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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「ORANGE―オレンジ‐」(日本映画):高校2年の菜穂は10年後の自分から受け取った手紙に転校生・翔の悲劇的な恋の顛末が書かれていた

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バカバカしいと思いつつも泣かされてしまう青春ドラマ。
大体タイムトラベルかパラレルワールドか知らないが未来へ行って現在を変えるのはSF世界では「禁じ手」になっているが、いとも簡単に金科玉条を破ってしまうのは如何なものか。(余り小言幸兵衛みたいだと嫌われるか)

舞台は長野県松本市。遠くに北アルプスの連峰が霞んで見える。桜並木の花吹雪の中を始業式に遅れそうな高校2年生なったばかりの高宮菜穂(土屋太鳳)が急ぐかばんの中に何処からか届いた手紙。
何と、差出人を見て驚く。それは10年後の自分からのものだった。

新学期の今日、東京から転校生の翔(かける)(山賢人)が紹介され自分の隣りに座り、そして彼を好きになることが書かれてある。

その上翔が1年後には死んでしまっていること。
そしてそんな悲劇的な未来を変えるためにやるべきこと。
初めはイタズラかと思ったが、書かれていることが次々と起こっていく。次第に手紙を信じるようになる。

26歳の自分と同じ後悔を繰り返さないため、そして翔を救うため、運命を変えようと動き始める。
なぜ翔を失ってしまったのか?未来を知った菜穂の運命を変えていく日々

菜穂に協力する仲良しグループがいる。菜穂に想いを寄せながらも翔との恋を応援するサッカー少年・須和弘人(竜星涼)。言いたいことをズバズバ言うクールな姉御肌・茅野貴子(山崎紘菜)、大きなメガネをかけたがり勉で運動オンチの萩田朔(桜田通)荻田とは掛け合い漫才をやるムードメイカーの清水くるみ(村坂あずさ)。

転校した無口な少年を皆でヨイショし忽ち仲良くなるなんて考えられない。まして父親は幼い頃に蒸発し母子家庭の翔は東京の高校で「イジメ」に会い、母親が息子を連れて実家の松本へ引っ越して来たのだ。田舎の子は親切で優しいと言うのだろうか。ましてや自分の好きな子を譲る諏和だとか、普通ならチビでオタクっぽい荻田などはイジメの対象になるが仲良しグループでサブカルのリーダーを務めるなんて現実的では無い。

だがここは長野県松本市、霊峰に囲まれたシャングリラ。都会のイジメは無く皆ニコニコ楽しく過ごす。
しかし翔には影がある。始業式の放課後即席仲良しグループが名物の満開の桜見物に翔を強引に誘う。その間に母親は入院中の母親は死んでしまう。「自分が殺したんだ」と自責の念に駆られる翔。だが友達には何も喋らない。

弁当のエピソードが泣かせる。いつもパンを買って済ませる翔に菜穂は手作りで弁当を用意する。出し巻き玉子や蓮根や大根の煮付けの美味しそうなこと。
突如菜穂の恋敵が現れる。1年先輩の美人で頭の良い上田利緒(真野恵理菜)が翔にコクる。翔も悪い気がせず菜穂の弁当を遠慮して利緒と付き合う。しかしそれもアッと言う間に終わる。「やはり菜穂の方が良い」と。

楽しい日々も1年後の雨の降る日に終わりになる。自転車の乗った翔は高速で疾走して来たトラックの前に飛び出す。
どうしてそれが10年後か知らないが26歳になった仲良しグループが翔の実家を訪れお祖母ちゃん(里村礼子)から自殺の真相を聞く。菜穂は諏和と結婚していて赤ん坊まで連れている。

ここからがクライマックス。夫々が10年前にの自分に手紙を書いて翔の悲劇を食い止めると言うのだ。
観客に仕組みを解説してくれるのはクラス担任の中野先生(鶴見辰吾)。一つの事象が起こればそれに付随する未来は変わって行く。翔の自殺を阻止できればその将来は現実と離れた「パラレルワールド」となって引き継がれる。

と言うことは翔と菜穂のロマンスは成就し諏和との結婚はキャンセルされるってことじゃないか。可哀相に「赤ちゃん」まで消滅することになる。
映画はその結末までは描かないが翔と菜穂のために仲間の何人かは犠牲になると言うことでしょ。要するに「ジコチュー映画」じゃないですか。面白かったけど。


主人公の高宮菜穂には、NHK連続テレビ小説「まれ」ですっかり顔馴染みになった土屋太鳳、菜穂が恋をする、母親の自殺によって心に深い傷を負う成瀬翔役には同じく「まれ」で土屋の相手役を演じる山崎賢。人気NHKコンビを居抜きでそうイージーに使って良いものかどうか。

共演のサッカー少年・須和弘人役は、「獣電戦隊キョウリュウジャー」の竜星涼。クールな姉御肌・茅野貴子役は映画「神さまの言うとおり」の山崎紘菜、運動オンチ少年の萩田朔役は新人の桜田通、村坂あずさ役にも新人・清水くるみが抜擢されている。若い高校生役の出演者たちが揃って美男美女なのも嬉しい。殆ど顔馴染みの無い若い役者たちばかりだが。

監督はTVドラマで修行を積んだ橋本光二郎が初めて長編劇場映画に取り組む。やはり演出はギコチ無い。脚本は「陰日向に咲く」「ヘルタースケルター」などのベテラン金子ありさ。

原作は舞台となっている長野県出身で松本市在住の高野苺のアクションコミックス「ORANGE」1-5巻。既刊は4巻で累計210万部を突破する大ヒットコミック。

タイムトラベルやSFのルール破りや矛盾に目を瞑ればロマンスも悲劇も充分に堪能できる、最近のJKものでは悪くない作品だ。

12月12日よりTOHOシネマズ日本橋他で公開される。

「牡蠣工場(かきこうば)」(日米合作映画):グローバル時代を迎え日本の漁業は受け継ぎ手が居ないのだろうか?岡山牛窓の「牡蠣工場」の観察映画を通して想田和弘監督は訴える。

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 NYブルックリン在住の想田和弘は45歳のドキュメンタリ映画作家だ。
日本で大学を終えNYのスクールオブ・アーツを卒業。以来NYに住みTVの下請けで細々と暮らしていた。

記録映画を撮ろうとし思い立ち、只管に目の前の情景を記録だけをする「観察映画」と称する手法でこの8年撮り続けこれが6弾目。
 
 最初の作品は「選挙」(2007)だ。東大文学部宗教学科の同級生・山内和彦がサラリーマンを辞めて川崎市議会の補欠選挙に自民党公認で出馬すると聞き、選挙運動中から当選するまでを密着取材をした。
ドブ板を踏みながら絨毯爆撃的に選挙区を廻り出会った人にはやたらとお辞儀をせよとの命を受け、気付けば郵便ポストにまで頭を下げていたと言う笑えない話や、自民党の幹部の命令を金科玉条として細かく丁寧に従う、議員キャリアの長さが上下関係を作るなど「日本的選挙」が特異で注目を浴びる。

「選挙」はベルリンやシドニーなどの国際映画祭に正式招待され、ベオグラード・ドキュメンタリー映画祭で、グランプリを受賞した。
また、60分短縮版がBBC、PBS、ARTE、NHKなど200カ国近くでテレビ放映される。2008年には、米国放送界最高の名誉とされるピーボディ賞を受賞する。
日本では余り注目をされなかったがこの一本で世界的に派手なお披露目となった。

僕は想田和弘の作品を総て見ているが処女作の「選挙」が一番出来が良いと思っている。

想田の観察映画とは「構成」も「脚本」も全く無し。撮影前に何も想定無しで現場に飛び込みそこで展開されるものを「そのまま撮る」。
ドキュメンタリに付き物の「ヤラセ」が全く無いのもそのためだ。

 更に驚くのはナレーションやコメント、字幕の解説は一切無し。
完全に「観察」だけをして目の前のものを撮るだけ。価値観を付け加える「春秋の筆法」など問題外だ。
 もし想田和弘の主張やコンセプトがあるとすればそれは後付けで、100時間余りのフーテージをどう編集するかだ。
 
 この映画も日本の漁業の将来に関心があるので岡山出身の妻でプロデューサーの柏木由紀子の知り合いで瀬戸内海に面した牛窓で漁業を営む62歳の平野老人を訪ねる。「牛窓」は日本のエーゲ海と呼ばれる瀬戸内海に臨む風光明媚な海漁業の町。想田和弘夫妻は日本へ来ると必ずこの牛窓で過ごすと言う。

 想田の思惑と外れたのは漁業には違いないが平野は牛窓の内陸で「牡蠣工場」を経営していたと言うことだ。魚を獲りに太平洋に乗り出す訳ではない。牡蠣を岸壁近くで養殖し中身を取り出す工場だ。岡山県は広島県に次ぐ牡蠣養殖の盛んな土地だ。

 18日間工場を撮った90時間を越えるフーテージを9ヶ月かけて想田和弘自身がコツコツと編集をしている。編集次第で方向も主張も盛り込める。

 想田は語る「日本人は海の幸を良く食べる。しかし漁師の生活は経済的に厳しく後継者の不在に悩み、数もだんだん減っている。牛窓でみかける漁師の大半はおじいさんで後を継ぐ人は稀である」

 牡蠣剥き繁忙期の週末に手伝いのため九州でサラリーマンをしている平野の長男がやってくる。
昼休みに即席ラーメンを啜る若い男に想田は聞く。「お父さんの工場を継ぐ気は無いの?」
「全くありません!」とニベ無い返事に想田もいささかシラける。

 しかし平野は幸運にも後継者を見つけた。東日本大震災で宮城県南三陸町で家業として牡蠣養殖業を営んでいた渡辺和夫は妻子を連れ一家で牛窓に越して来た。平野は贈与税が必要無くなる65歳になったら完全に引退して渡辺に引き渡すと言う。後3年は一緒に工場で働く。「もう足腰が痛くて立っていられないんだ」と平野はこぼす。

 サラリーマンを辞めて漁業に転じる人は多いが基礎を叩き込むのが大変だ。そこへ行くと渡辺は幼い頃から家業の牡蠣養殖を手伝って来たから超の字がつくベテラン。自分の妻や近所のバイトの主婦そして中国人の季節労働者に適切な指示をテキパキと出す。

 ここで話題になるのが中国人労働者。岡山や広島で働く中国人労働者は100人を超えると言う。凡そ5月までの7ヶ月間働き故郷へ戻る。間に中国人の斡旋屋が入って手数料を取る。平野はカメラを廻さないでくれと今言う。日本人で「剥き子」のなり手が居ない朝の7時から12時間も座りっぱなしの3K労働の牡蠣剥き作業。折角斡旋して貰った中国人の若者がカメラが怖くて逃げられたら元も子も無い。

 しかしエイジェントと一緒にやって来た鄭さんと寧さんの二人は「構いませんよ」とホッとする想田・柏木夫妻。

 二人の中国人が住むことになるプレファブの仮設住宅を運んできた運転手が想田に語る。
「中国人は気をつけなければいけないよ。そこらにあるものを片端から持って行ってしまうんだ。日本人感覚で扱うとエライ目に会うからね」と。
人種差別的暴言もそのまま取り入れるのも「観察映画」の特長だ。

幸い鄭さん寧さん好青年で上手く職場に溶け込んでいる。

やたらとカメラを廻すと思わぬシーンも拾う。
岸壁で釣りをしていた老人が海に落っこちたのを従業員が見つけ牡蠣巻上げ船を移動させ老人を巻き上げて「人命救助」をする。
よその家の真っ白な猫が工場や住宅に出入りするのを追いかける。
想田は猫が好きだ。
「精神」でも中庭に集まる猫集団を外様の野良猫が侵入してボスに成る様を丁寧に追っている。
白猫「ミルク」はズーズーしい追い払っても脅しても家の中に侵入する。網戸なら爪をたてて開けてしまう。
 想田は餌をやる。魚の煮付けで辛いのか中途でプイと横を向く。岸壁を降りて海の中へオシッコをするミルク。「観察映画」も忙しい。

 結論といえば「日本漁業の将来を憂う」と言うコンセプトだろうが、何となく2時間25分の長尺も終わりになる。想田の映画はともかく長い。デビュー作「選挙」が丁度2時間で短い方、「演劇」シリーズ2本は170分を越える。余り長すぎると上映回数が減って商業的にも損だが想田は気にしていないようだ。

 想田が観察してありのままをスクリーンに映し出せればそれで良しとする。

2月20日より渋谷シアター・イメージで公開される。

「リザとキツネと恋する死者たち」(LIZA,THE FOX FAIRY)(ハンガリー映画): 重病の老婦人を24時間介護する孤独な美しいリザは、自分にしか見えない日本人の歌謡曲歌手トミー谷と歌って踊る

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 こんな奇想天外で変わった映画は初めてだ。
登場人物が日本と関係が無ければ興味も半減するが、ヒロイン・リサ(モーニカ・バルシャイ)が憧れアドバイスを求めるメンターが日本人の歌手、トミー谷(デヴィッド・サクライ)なのだ。
しかもトミーは幽霊でリサの目にしか見えない。

明らかに歌って踊って算盤片手に司会したあの「トニー谷」(「あなたのオナマエなんってのー)と歌う司会者)をモデルにしているが、吊り上った黒縁のメガネは特異過ぎると変哲もないノーマルなものにしている。
メガネを普通なものにして素直で正直そうに見えるトミーの性格は、リザには好ましい誠実なように思えるが、内面は「邪悪」でネガティブなエネルギーに満ちている「キツネ」なのだ。

黒沢明や小津安二郎の映画、それに芥川龍之介深沢七郎の小説を通して日本に憧れを持ち日本通のウッイ・メーサーロッシュ・カーロイが脚本を書き劇場用長編映画監督デビューしたSFファンタジーロマンス映画。売れっ子のCMディレクターからの転進だ。

日本人の僕らでも余り知らない「九尾の狐」伝説にインスパイアされた作品だ。
狐は古来より精霊・妖怪に近く、なんらかの力を持つ動物とされている。年を経て妖力を増した老狐は尻尾が増えていき、最後には9本まで増える。これが「九尾の狐」である。吉兆をもたらす神獣とされる場合と、人を惑わす妖怪とされる場合があり、この映画はどうやら後者のようだ。

トミー谷は日本の歌謡曲を歌い踊り日本語を喋る。「ダンスダンス★ハバグッタイム」「ドキドキ」「はばたけリサ」「最後まで信じぬくものが勝ち」など聞きなれぬ題名だが、メロディはまさしく日本風歌謡曲。
監督と音楽担当のアンブルシュ・ティブルハーシュと数百曲の歌謡曲を聴いてオリジナルで作詞作曲をしたと言うから驚く。このサントラ盤は日本で売れるのはないか?

 演じるデヴィッド・サクライはデンマーク・コペンハーゲン生まれで父親が日本人、母がデンマーク人の混血。
黒い前髪をパラリと額に垂らしスーツをキチンと着こなした端正な姿は日本人に見える。
18歳の時に來日しバーテンをしながら俳優修行をしたと言うから日本語はペラペラ。歌も踊りも素人では無い。

共産党政権下灰色の1970年代のブダペスト。
太りすぎと重病でベッドから離れられない元日本大使の未亡人マルタの住み込み介護人として朝から晩まで休み無く働くリザ(モーニカ・ヴァルシャイ)。生き甲斐で心の拠り所としているのは、日本の恋愛小説と、自分にしか見えない幽霊の日本人歌手、トミー谷(デヴィッド・サクライ)だ。
突如トミーと一緒に踊り歌うリザにマルタは唖然とする。身体をくねらせ腕を振り軽やかなステップを踏むピンクレディ風の派手な振り付けだ。

トミー谷のその軽妙な歌声と囁きは、日々の世間から隔絶され病人の介護ばかりのリサの孤独を忘れさせてくれた。

そして迎えた30歳の誕生日。恋愛小説にあるような甘い恋に出会いたいと、リザは誕生日だからとマルタ未亡人から2時間だけ外出許可を貰う。

外出から戻ってみるとマルタはベッドから転げ落ちて冷たくなっている。未亡人は殺害されたのだ。死後マルタの親族はどっと家に押し寄せ家具調度品を根こそぎ持ち去る。しかし現金だけは見つからない。親族はリザが盗んだに違いないと警察に訴え出る。

リザを取り調べる田舎から出てきたばかりの刑事ゾルタン(サボルチ・ベデ=ファゼカシュ)もそのベテランの上司(ガーボル・レヴィッキ)も一旦はリザを疑うが、彼女が報酬を一銭も受け取っていないことが分かり釈放する。

 ポツンと一人家に取り残され悲しみに暮れるリザは新たな恋を求めて色んな男と付き合う。
これがどれもこれも素っ頓狂な奴ばかり。鯉のメープルシロップ煮など如何にも不味そうな料理を好む男、棚(クローゼット)に閉じこもらなければ落ち着けない男、女と見れば誰にでもチョッカイを出す男などなど。それでもリザが付き合い始めようようとするとキツネの影が忍び寄り次々と変死を遂げる。

地方から出て来たばかりの担当刑事のゾルタンはボスの命令もあって、広い邸宅の1部屋を借りて下宿人となりリザと同居をして密着捜査を開始。密かに捜査を進めてゆくが、リザに殺人の気配は微塵も感じられないし、更に死人は増えて行く。
やがてゾルタンはリザに恋心を抱くようになり、そんなゾルタンをキツネが妬み始める。

ハンガリーで大ヒットし、世界三大ファンタスティック映画祭の内2つの映画祭、第35回ポルト国際映画祭でグランプリ、第33回ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭で審査員&観客賞を受賞するなど工業的には予想の6倍を達成した。
しかしアメリカでは一般公開の予定は無い。
あくまでもヨーロッパ向けで、願うべくは日本でヒットして欲しいと年末にミニシアターでの公開に漕ぎ着けた。

主演のリザはハンガリー国内で人気の31歳のモーニカ・ヴァルシャイ。茶髪をポにーテイルに結った小顔のキュートな女優だ。勿論日本では馴染みが無い。
 居候刑事のゾルタン役、サボルチ・ベデ=ファゼカシュは舞台俳優で49歳東欧のがっちりした体躯だが、やがてリザと結ばれるのだろうか。

12月19日より新宿シネマカリテにて上映される。

「シェル・コレクター」(日本映画):盲目の貝類学者が貝の毒で難病を治す。「奇跡を起こしてしまったね、先生」と皆が押し寄せ静かな生活が急変する

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昨日(27日)の午後はKADOKAWA新試写室で上映された市川菎監督の「おとうと」を見た。KADOKAWA新試写室は逓信病院の手前の坂の途中にあり、長い間駐車場になっていたが工事が始まって半年、アッという間に完成した。

 従来の試写室は角川本社の角を曲がって坂を登る中途にありワンブロック遠いので5分は距離をセーブできる。
シネコンのように130席近くの劇場は階段式で前に座る頭も邪魔にならず、音響も映像(4K上映)も快適だ。東宝にひけをとらない立派な小屋を作ったということはこれから益々KADOKAWA制作・配給の映画本数が増えて行くということ。インディの配給会社はメガサイズのTOHOシネマに圧倒され倒産や合併吸収が多くなっているがGAGAやKADOKAWAと言う両巨頭が頑張ってくれれば日本の興行界は明るい。

 KADOKAWAは旧大映を買収しているのでアーカイブはリッチだ。その中から市川菎監督作品21本を1月16日から2月11日までと若尾文子主演映画38本を12月26日から1月15日まで新宿の角川シネマで上映する。

アーカイブからデジタル復元版で公開されると言うのはオールドファンにとって嬉しい限りで、市川菎監督生誕100周年(1915年11月生まれ)のを記念して「炎上」「鍵」「ビルマの竪琴」そして大ブーイングが巻き起こった1965年「東京オリンピック」石原裕次郎と手を組んだ「太平洋一人ぽっち」角川映画第一弾で大ヒットした「犬神家の一族」など一挙21本上映される。
2008年2月に現役75年の映画人生を終えるまでに残した足跡を辿る映画鑑賞はメッカ巡礼に匹敵する。

 昨日試写された昭和35年(1960年)公開の「おとうと」も大学生の頃に見た時そのままの、岸恵子と川口浩の仲良し姉弟の口喧嘩や田中絹代の文句タラタラの後妻、森雅之の売れない作家のボヤキなど懐かしく思い出しながら見た。83歳で未だ現役の岸恵子を除いて皆死んじゃった。
初めて気付いたのだが江波杏子がデビュー2作目の18歳ホヤホヤの新人で看護婦役。「女賭博師」なんて片肌脱いだイメージが焼きつく前で初々しくてキレイなんだとびっくりする。


 貝の螺旋の美しさと謎に魅せられた盲目の貝類学者(リリー・フランキー)は、研究に熱中する余り妻子に捨てられ一人ぼっちで沖縄の離島で厭世的生活を送っている。しかしその名声は世界中で知られている。

 映像の冒頭では、きらめく波が押し寄せる浜辺を、杖をついて歩くリリーの姿。学者の声が被さる「貝はらせんを描く。なぜこの形でこの模様なのか。なぞってもなぞっても、答えは永遠に出ない」
この映画のテーマだ。沖縄の海と浜辺をこれほどまでに美しく描写するカメラを知らない。
物語のディテイルは詳らかにならないが、トーンはおとぎ話か童話のようだ。
学者は拾い上げた美しい貝を指で愛おしく撫でる。そして茹でて中身を丁寧に掻き出し汚れがないかを何度も指先で確認して貝殻を磨く。だが目線は宙に向けられている。観客はここで学者の盲目に気付く。

 ある日女性画家の山岡いづみ(寺島しのぶ)が島に流れ着き、ひょんなことから奇妙な同居生活を始めることとなったいづみが皮膚に患っていた奇病はラジオのニュースが報じている。
手足の痺れから始まり皮膚病変を伴い重症になると死に至る。原因は不明で治療法も分からない。

 偶然にも見つけた新種の「イモガイ」にいづみが刺される。そしてその毒で夜中に目が覚めたいずみの右手が動く。いずみの皮膚病が治ったことから、学者の生活に異変が訪れる。

「赤目四十八瀧心中未遂」や「キャタピラー」で強烈だった妖艶なセックス演技が延々と披露される。美人では無いが42歳の寺島しのぶの均整の取れた白い裸身が学者の上で蠢く。もう一度イモガイに刺されたい、あの幻想を体感したいと懇願するいずみに逃げ回る学者。飽き足らないいずみはやがて島を去るが皮膚病が治ったと言う物語と一緒だった。

 噂を聞いた他の島の実力者、黒真珠の養殖で富をなす弓場宗治(普久原明)が子分を連れて学者の小屋を訪れ乱暴に部屋の中に乱入する。彼の娘・嶌子(橋本明子)も奇病に罹っていたのだ。

 嶌子の治療にも成功するが、それを知った人々が貝毒による奇跡的な治療法を求めて島に押し寄せ、静かだった学者の日々は次第に狂い始めていく。その中には環境汚染が奇病に影響していると説く学者の息子、光(池松壮亮)もいる。光は慈善団体の熱心な活動家だった。金のなる木の貝を慈善団体に寄付しようと言う光と口論になる学者。

 しかし翌朝人々が学者を連れて行った浜辺で光はイモガイを握り締めて息耐えている。健常者は貝の刺されると猛毒で死ぬのだ。

 夢の中、深夜轟く嵐、貝類学者は海の中でイモガイを掴んで息子、光と会話をしている。
「自然を理解しようと思ったら自然に従順になるより他は無い」
「今ならお父さんが島に一人で暮らしていたか分かるような気がする」

 学者の傍にいつも付き添うように現れる嶌子の存在が神秘的だ。赤や真っ白な貫頭衣のような長いワンピースを着て水に入ったり逆光で透けて見えたり、セクシーだがいずみのような肉感的なエロさは無い。妖精と言った方が良い。

 全編沖縄ロケを敢行し具体的にはどの島か分からないが人間の手が触れていない美しい自然が映し出されている。芦沢明子のカメラは海の中に潜ってもミステリアスなブルーを湛えている。

監督は脚本は「美代子阿佐ヶ谷気分」でデビューしたと言う坪田義史だが、大した作品を残していない。この映画が代表作になるだろう。
原作から物語の舞台を沖縄に置き換えて描いたのが良かったのだろう。

その原作は最新作長篇小説「All the Light We Cannot See」で今年度ピュリッツァー賞を受賞した、アメリカの作家アンソニー・ドーアの「シェル・コレクター」。
 この処女短編集ではO.ヘンリー賞他多くの賞を受賞しているという。

2月27日よりテアトル新宿他にて公開される。

「マイ・ファニー・レディ」(SHE’S FUNNY THAT WAY)(アメリカ映画):k巨匠ピーター・ボグダノヴィッチの14年振りのコメディは笑うに笑えない

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昨日(28日)コロラド・スプリングスの「Planned Parenthood」の経営する病院で男が立て籠もり人質をとって警官隊と撃ちあいになり3人が死亡したニュースが飛び込んできた。
「Planned Parenthood」は「家族計画協会」と日本語で言える 団体で、HIVの予防、子宮頸がんへの対策、そして避妊の普及などの活動を行っており、やむを得ない妊娠中絶を実施する医師や医院で構成していて家族計画のために必要なら「人工中絶」をと、唱えている。その「「人工中絶」に反対するグループに属する犯人の暴挙と思われる。

 慶応大学教授の渡辺靖が書いた「沈まぬアメリカ 拡散するソフトパワーとその真価」(新潮社:2015年10月刊)はこの人口中絶の病院や診療所を襲う保守的なアメリカソフトパワーの背景など教えられるところが多かった。
渡辺は48歳、文化政策論、文化人類学専攻で92年ハーバード大学院修了、97年社会人類学でPh.D.取得。

 渡辺は「メガ・チャーチ」の章でアメリカのキリスト教保守派は人口の4割を占めると書いている。全盛期の労働組合の人数に匹敵する人口だ。
アメリカにおける根本派(ファンダメンタリスト)は福音派(エバンジェリカル)聖霊派(ペンテコスタル)などの保守派の総称だがメソジスト派、ユニテリアン、聖公会など主流派を加える保守派は強大なパワーを持つ。オバマ大統領の「LGT」(L(ズレス)G(ゲイ)(両性愛者)T(心と体の性の不一致))の権利を承認し「同性愛者の結婚」を認めたことにも大きな反発をしている。
その原動力になっているのは保守派の「メガ・チャーチ」。テキサス州の「レイクウッド教会」は説教を聞くには入場券が必要だし、クリスチャン・ロックの演奏などメガカルチャーの一環として捕えられると言う。

 世界各国に輸出されシンガポールの「ニュー・クリエーション・チャーチ」は資金力も政治力も優れキリスト教徒は若者や女性の支持を受けこの30年の間に5倍となり20%を超えたと言う。

 世界最大の教会は韓国にある。ソウル漢江の中洲にある聖霊派のヨイド福音教会で信者数は100万人を超える。日曜には2万人を収容する大聖堂で7回礼拝が行われるがそれでも入場できない信者にインターネットで中継が行われる。

僕が一番興味を持ったのは「政治コンサルタント」の章で暗雲のアメリカ型民主主義のサブタイトルが示すように「政治のビジネス化」がロビイストやシンクタンクと呼ばれる政治コンサルタントの輩出だ。世界初の政治コンサルタント会社は「キャンペーンズ」で1933年暮れ無・ういてぃかーとその後妻になるレオーネ・バクスターによって始められた。ニュー・ディール政策で「小さな政府」から「大きな政府」への転換時でデュポンや石油会社などの大企業は強欲が不況を齎したと世論から反発を受けPRに余念が無かった。

 面白いのは「政治コンサルタント」は「広告業界」からの派生だと思われるが逆で広告業界は政治コンサルの一環で大企業にとって広告は商業目的では無くビジネスに有利な法案を通すための世論環境整備の一環だと言う。政治の急速なビジネス化の幕開けだ。
1933年から50年間にキャンペーンズは75の選挙に関わり70で勝利した。

 基本はネガティブキャンペーン。対立候補の過去やアラを探して選挙民に知らせ叩き落とす。選挙資金の獲得も兼ねてネットや家庭訪問も当たり前。日本では法律もあり倫理的や道義的にも禁止されているから街頭演説が主で政治コンサルタントは流行らない。
1980年以降になるとコンサル会社は急増し2008年時点で全米3000社を超える。
かつて大統領選挙を指揮したディック・モリス、ジェームス・カーヴィル、カール・ローブと言う大物も含まれる。

 アメリカの政治手法は海外でも評判が良い。とりわけヨーロッパでは盛んに取り入れられる。2015年の5月のイギリス総選挙では労働党は2008年のオバマ大統領の首席戦略担当だったデイヴィッド・アクセルロッド、保守党は2012年のオバマ陣営で選挙対策本部長だったジム・メッシーナと契約を結んだ。
 
 リベラルマインド養成のTV番組の「セサミストリート」のグローバリゼーションとその地域独特のローカライゼーション、「ロータリークラブ」-奉仕と言う名のソフトパワーも興味をそそる。
奉仕大国アメリカ・ミドルクラスが担う世界。1905年シカゴで青年弁護士ポール・ハリスが友人4人と夫々の家庭を廻り(ロータリー)し討論して社会奉仕を目指す。最初のプロジェクトは公衆トイレの設置運動だった。

 日本人(個人・企業)の寄付総額は2009年まで1.1兆円だったが東日本大震災を経て2012年には1.1兆円で名目GNP比も0.23%から0.3%に伸びているがアメリカの2012年では3162億ドル(38兆円)でGNP比2%。

アメリカでは個人寄付が高く72%だが日本では法人が半分を占める。
一人当たりの寄付額は日本人が1.5万円、アメリカ人は22万円で15倍近い差がある。
キリスト教精神、とりわけ個人救済を重んじるプロテスタントの教えに基づく奉仕や寄付の奨励、自治精神の強さ、社会的地位との結びつきなどがその要因だと言える。日本の仏教や儒教、神道には弱者を救済する慈悲心が無いのだろう。


さて今日の作品。
 少し私事に亘るが1980年の春、僕は日本の週刊プレイボーイ誌のM君に協力してハリウッドの女優のヌードを撮りたいと言う企画に付き合った。
 AGFのコーヒーのタレントたち(カークとP・ダグラス親子、P・ニューマン、テリー・サバラスなど)との付き合いでハリウッドで少し顔がきくようになっていて、10人の新人女優達に会った。
何れも映画界の未来を背負って立つ美人ぞろい。小遣い稼ぎに一寸脱ぐだけならいいかと言う程度で沢山の応募があり10人のヌードを毎日撮影した。

 その中にドロシー・ストラットンがいた。
1980年の「プレイメイト・オブ・ザ・イヤー」(1979年中のプレイメイトたちのベスト1)に選ばれたばかり。
撮影に立ち会ったが、真っ白な肌にブロンドの髪は映え、戸外庭園での撮影では正にヴーナスの誕生を思わせる輝く美女だった。
サイズは身長175cm、体重56kg、B91-W61-H91cmとポートフォリオに書いてあった。(良く覚えている)
1960年生まれの20歳のドロシーは既に端役ながら3本のコメディ映画に出演していた。

 日本の週刊プレイボーイ誌でのドロシーのヌードは素晴らしい反応だったが、その数週間後、
彼女がショットガンで頭を西瓜のように撃ち砕かれたと言うニュースが入って来た。
 別居中の夫で自称、マネージャーのポール・スナイダーに射殺されたのだ。
ポールも犯行直後に同じ銃で自殺した。

 このドロシー・ストラットンこそ、ピーター・ボグダノヴィッチの溺愛してやまない恋人だったのだ。
ピーターの「ニューヨークの恋人たち」(日本未公開)に脇役で出演したことから恋に落ち同居をしていた。
 ピーターに奪われた(実際その通りだが)と嫉妬心からスナイダーは殺してしまったのだ。

 ピーターはその後暫く映画を撮っていないし撮っても駄作ばかり。
今日紹介する「マイ・ファニー・レディ」も実に14年振りの作品だ。
かなり精神的には回復はしているものの、76歳のピーター・ボグダノヴィッチには昔日の活力を見出すのは難しい。
しかし主人公の新進女優イザベラに僕は35年前に惨殺されたドロシー・ストラットンのイメージを重ねる。

 新たなハリウッドスターとして活躍する女優、イザベラ(イモージェン・プーツ)。
NY五番街のバーで皮肉屋の記者(イリーナ・ダグラス)からインタビューを受けていた彼女は、かつて高級コールガールだったのがある切っ掛けで女優になれたシンデレラストーリーをあっけらかんと告白する。

 コールガールとして初対面の客であったブロードウェイの人気演出家アーノルド・アルバートソン(オーウェン・ウィルソン)は人気俳優セス・ギルバート(リス・エヴァンス)を主役とした舞台のリハーサル中だった。
 アーノルドの妻で女優のデルタ・シモンズ(キャスリン・ハーン)はセスと昔から仲が良いと言うか怪しい関係だった。

 アーノルドにホテルに呼び出されたイザベラは早速「お仕事」に取り掛かろうとすると、夕食を食べに行こうと誘われ、セントラルパークを巡る馬車に乗ってのデートでゴージャスな一夜を過ごす。
そしてアーノルドから「この仕事を辞めるなら、そして自分の将来のために3万ドルをプレゼントしたい」という不思議な申し出を受けたのを機に輝かしいキャリアを歩み始めたのだと言う。

 アーノルドは言う「リスにナッツを上げる人がいる。たまにはナッツにリスを上げたっていいじゃないか」つまり自分独自の特異な生き方をしても良いでは無いかと言うことらしい。それを女性を口説く時の常套句にして3万ドルをプレゼントし、それで大成した女性がウジャウジャ出て来るから始末に悪い。空港にLAから飛んできた妻デルタの面前で感謝されても誰か思い出せない。
この映画のテーマでナッツを食べているリスの彫刻が出て来るがどうも僕にはピンと来ない。余り笑えないのだ。

 笑いをとるならイージーの通っているセラピストのジェーン(ジェニファー・アニストン)の方だろう。アルコール依存症の母親に代わり代診を務めるジェーンは人の話を聞かない。そんないい加減なセラピストに追い出されてイージーはオーディションの会場に向かう。何とそれはアーノルドの演出する舞台で役柄もコールガール役。本物そっくりに最高の演技が出来て登用されるのは言うまでもない。

「ペーパームーン」「ラスト・ショー」の名匠ピーター・ボグダノヴィッチ監督が、長編劇映画としては約14年ぶりに手がけたコメディ。
 ボグダノヴィッチとしてはホームグラウンドの笑劇だが、どうにも古すぎる。
ウディ・アレンの二番煎じのようなセリフと展開に笑えない。
 少なくとも今の若者には無理だろう。
昔のボグダノヴィッチを懐かしむ僕みたいなオールドファンが付いて来てくれればそれで良い。

イギリスの俳優オーウェン・ウィルソンが主人公の演出家アーノルドを演じ、イギリス訛り英語で珍妙な哲学を説く。
イジー役の26歳イモージェン・プーツはロンドンでモデルやTVで活躍するが日本では馴染がない。

 セラピストジェーン役の46歳ジェニファー・アニストンが相変わらずの美貌でコメディアン。
アーノルドの妻デルタはキャスリン・ハーンは「10日間で男を上手にフル方法」は可笑しかった。ハーンもイギリスの女優。
総て主要キャストはイギリス勢で占められている。

先々週の12月19日よりヒューマントラスト有楽町他で公開されている。

「ブリッジ・オブ・スパイ」(BRIDGE OF SPIES)(アメリカ映画):1950-60年代、米ソ冷戦下に両国のスパイ交換を任された保険専門の地味なNY弁護士が世紀の仕事をやり遂げる

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 ソ連とアメリカのスパイ交換のニュースは、社会人になっていた(1962年)僕はリアルタイムでTVのニュースや新聞で見ているから鮮明に覚えている。

米空軍のスパイ偵察機「U-2」と言うのは両翼がグライダーのように長く醜い格好の飛行機でこんなものが最先端の偵察機かと仲間内で笑っていた。
2万メートルを超える高空から武器工場や飛行場、ミサイル基地などを撮影するのが主任務で攻撃や防御能力は無い。

その後スティルスというレーダーに捉えられない灰色の偵察機にとって変わられたが、近年は軍事用ドローン無人機が開発され、撮影ばかりかミサイルで攻撃もする。
その上彼方の衛星からの撮影は地上数メートルで撮ったと思う程鮮明でスティルスでさえ必要無くなった。

「U-2」の名前はアイルランド出身でボノのヴォーカルで世界的に著名なロックバンドに継承されている。だから若い人たちはボノを思い出してもスパイ偵察機のことは知らない。

冒頭は公園でスケッチをしている画家・ルドルフ・アベル(マーク・ライアンス)。ベンチの下に貼り付けている紙切れを剥がしてパレットの下に隠す。アトリエに戻り習作を仕上げているところへFBIの係官が雪崩こんで来る。
「コロネル(大佐)スパイ容疑で逮捕します」 パレットの上の絵の具が硬くなるので拭き取らせてくれと巧みに紙切れを処分する。

 「どうして君たちは僕を『大佐』と呼ぶんだ」と惚けるアベル。
メガネを光らせ頭が薄くなった初老の男を演じるマーク・ライアンスは舞台俳優で馴染みの顔ではない。渋い演技でアベルを熱演し主役のトム・ハンクスを食う。

スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演、ジョエル&イーサン・コーエン脚本と、アカデミー賞受賞歴のある錚々たるハリウッド最高峰の才能が結集し、1950~60年代の米ソ冷戦下のスパイ実話のサスペンスドラマは流石に見応えがある。

第二次世界大戦後の世界を二分したアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立は1989年にベルリンの壁崩壊と共に終結したコールド・ウォー(冷戦)とはこんなに凄まじく恐ろしいものだったのかと改めて戦慄を覚える

保険の分野で着実にキャリアを積み重ねてきたブルックリンに住むNYの弁護士ジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)は、FBIが身柄を拘束したソ連のスパイ、ルドルフ・アベル(マーク・ライアンス)の弁護をプロボノ(無料)で国選弁護士として引き受けたことから地味な弁護士生活が変わって行く。

スパイだと認めないが祖国への忠誠心に燃えるアベルは懲役30年の刑を宣告され収監される。親切で人柄の良いドノバンは弁護士・囚人の垣根を越えアベルと面会し彼の要望を聞いてやる。二人はすっかり友人となっていた。

5年後、1962年に大事件が起こる。若い中尉・フランシス・パワーズ(オースティン・ストウェル)がスパイ偵察機U-2 を操縦しソ連上空を侵犯してミサイル基地を撮影していたがミグ戦闘機と高射砲攻撃でエンジンが火を噴く。
撃墜される前にスパイ機の爆破と自殺用の青酸カリの錠剤を渡されていたがオメオメと捕虜になってしまうパワーズ中尉。こちらはスパイ罪で10年の禁固刑。

ここでドノバンを驚愕させる依頼が飛び込んでくる。大統領ジョン・F・ケネディから極秘指令を受け、ソ連からの米国スパイ・パワーズ中尉と自らが弁護したソ連のスパイ・アベルとの交換をするという交渉の大役を任じられる。
FBIでもCIAでもな普通の地味な保険専門の弁護士ジェームズ・B・ドノバンが飛び上るのも無理は無い。大体海外出張もしたことが無く、ブルックリンから地下鉄に乗ってマンハッタンの弁護士事務所に通い法廷も関係無く事務専門の弁護士だ。

妻メアリー(エイミー・ライアン)や幼い子供たちに何て説明しよう。妻はロシアのスパイの弁護でアベルと仲良しだとは知っているがそれ以上は何も知らせていない。思いついたのが、このところ忙しかったので休暇を取りロンドンに飛び、アイルランドで鮭釣りを友人たちと楽しむと。メアリーはロンドンナイトブリッジにあるジャム専門店で「マーマレイド」を買って来てくれと楽しそう。

西ベルリンに飛んだドノバンは米国大使館付けのCIA諜報員ホフマン(スコット・シェパード)から細かなソ連KGB情報部員や彼らとの交渉などの情報を貰うが結局は「頼れるのは自分だけだ」と教え込まれ東ベルリンへ足を踏み入れる。迎えの自動車も無く戦争の傷跡も残っている荒廃した町を歩いていると若者たちに取り囲まれ外套を奪われる。

鼻水を垂らしながら着いたソ連大使館ではアベルの家族が待ち受けている。東独の弁護士ウルフガング・ヴォーゲル(セバスチャン・ゴッホ)が信頼できるがアベルの家族も偽者ならソ連大使館の二等書記官も実はKGBの大物だったり、と魑魅魍魎の世界。ベルリンの壁近くを通る列車からは壁を乗り越えようとする市民が射殺されている。

それでも誠実なドノバンの交渉でアベルとパワーズ交換の基本合意が成り立つ。
ところが一難去ってまた一難。
イェール大学経済大学院のフレデリック・プライアー(ウィル・ロジャーズ)が卒論で「共産主義化の経済」とか何とかの論文を書き上げてベルリンの壁を通ろうとして東独警察に逮捕されてしまう。
プライアーに同情したドノバンはアベルとパワーズの1対1の交換からプライアーを加えて1対2の交換を主張し始める。

パワーズだけを取り戻せば任務修了のCIAのホフマンは驚き怒りドノバンを脅す。屈しないドノバン。ソ連側もプライアーは東独警察の囚人でソ連は関知しないと。めげない頑固なドノバンは1対2を主張。
大体二つの国名が、東独が「GERMAN DEMOCRATICREPUBLIC」でソ連が「UNION OF SOVIET SOCIAL REPUBLICS」で「国名が長過ぎる」と変てこな文句をつけて惚けているのが笑える。
しかしドノバンの強情で頑固な性格に屈するソ連KGB、東独警察、米国CIAにカタルシス!

自宅に戻ると妻のメアリーにマーマレイドを渡す。
ラベルは角の雑貨屋の値段表が。
TVと新聞にはドノバンの写真が国家の英雄として報じられている。
ブルックリンからの地下鉄でも乗客たちが袖引きながらドノバンを覗き見る。

「プライベート・ライアン」でタッグを組んだスティーブン・スピルバーグ監督とトム・ハンクス主演によるサスペンスドラマは2時間半になんなんとするが飽きさせもせずスクリーンに惹き付ける。
アメリカでは10月16日に公開され、観客の出口調査のシネマスコアはA評価で来年のオスカーやGG賞狙いの作品と目されるが興行成績は「オデッセイ」や007スペクターに圧倒されて期待したほどの数字を挙げていないのは残念だ。

1月8日よりTOHOシネマズスカラ座他にて公開される。

「マジカル・ガール」(MAGICAL GIRL)(スペイン映画):日本趣味たっぷりのスパニッシュ・ノワールフィルム

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スペイン語圏内メキシコやスペインの巨匠、ギレルモ・デル・トロやアルハンドロ・ゴンザレス・イニャトゥ、ペドロ・アルモドバルたちは「デビルズ・バックボーン」や「永遠のこどもたち」などで恐怖のどん底に叩き込んだと思うと「グラヴィティ」や「バベル」でオスカーやその他の大きな賞の常連だ。
しかし根っ子はノワール・フィルムだと思う。
これらの巨匠たちに負けないと言うかジャンルを少し変えてノワールフィルムの新星が誕生した。

 カルロス・ベルムト。1980年生まれの35歳。TVドラマやブラックユーモア満載の短編映画の演出を経てこの「マジカル・ガール」の脚本を書き監督デビューを果たした。
それも並のお披露目ではない。いきなり「第62回サンセバスチャン国際映画祭グランプリ・監督賞受賞」と 「第29回ゴヤ賞(スペイン・アカデミー賞)主演女優賞受賞 」を掻っ攫ったから驚きだ。
映画は途中から世界を変えるから面白い。
冒頭は厳格な先生ダミアンが女生徒バルバラのマジックに引っかかる。この掌で消えるメモは最後のシーンの締めになるから計算ができている。

薄幸の少女と父親の話で、可哀そうにと沈んだ気持ちで見てていると、突然暴力行為や強姦、詐欺恐喝から殺人事件に発展する。
アレヨアレヨのスペイン・ノワールフィルム。それがハリウッドと一味も二味も異なり面白い。

 映画に扉があってタイトルがある。
最初は「世界」日本趣味満載で、白血病で余命わずかな少女アリシア(ルシア・ポジャン)は、日本のアニメ「魔法少女ユキコ」の大ファン。(調べて見たがこんなアニメは無い)
彼女の願いは13歳の誕生日まで生き延びることと、魔法少女ユキコのコスチューム(白地に真っ赤な花をあしらった派手な着物)を着て踊ること。長山洋子のデビュー曲らしいが(僕が知る訳が無い)「恋はSARASARA」が軽やかに流れる。

不治の病に冒され死に行く娘を不憫に思い最後の願い(Dying Wish)をかなえるため父ルイス(ルイス・ベルメホ)は奔走する。着物は見つかるが教師の職を6か月前に失いその日の生活費にも苦しむ父親はそれでも高額なコスチュームを手に入れようと決意する。
調べると7000ユーロ(90万円)もする。文学の先生だっただけに膨大な本はキロ単位である。古本屋に持ち込むと二束三文。友達も皆貧乏で頼り甲斐がない。

残る手段は宝石屋に強盗に入ることだ。ショウウィンドウをレンガで叩き割ろうとした瞬間上の店の上階アパートのベランダからゲロが降りかかる。
高級宝飾店のウィンドウの中には人通りの絶えた深夜に高額商品など無いのは常識だが、タイミング良いゲロと言いスペインノワールは調子が良い。

次のタイトルは「悪魔」
 女生徒だったが妖艶に成長したバルバラ(バルバラ・レニー)は精神科医の夫と結婚している。夫に渡された睡眠薬を飲んで深い眠りにつくが深夜目を覚ますと夫は居ない。鏡で顔に傷つけ血を流しながら男に電話を入れる。(どうも不条理の世界ですな)男は電話がバルバラだと知ると直ぐに切ってしまう。(なにか胡散くさい)どうしようもなく大量の睡眠薬を酒で流し込む。気持ちが悪くなりベランダからゲロを吐く。
ここで宝石店強盗未遂のルイスと繋がる。バルバラはルイスを家に招きいれ二人は肉体関係を持つ。
翌朝、帰宅した夫が朝食を食べていると電話がかかって来る。「7千ユーロを工面しろ。夫に浮気をバラすぞ」と。

ルイスは脅迫をする悪い男になってしまう。
そんな大金を用意できないバルバラは仲間のアダ(エリザベート・ヘラベルト)を訪ねる。どうやら彼女は裏の仕事をしているようで豪邸に案内される。
そこで車椅子の男に服を脱ぐように言われカードに書かれた暗号を覚え「トカゲ」の部屋に入れば傷をつけられる。暗号で止めることができるが絶えれば耐える程大金を貰える。(理屈の通らない変てこな話だが)
バルバラは頑張って大金を手に入れルイスの指示通り図書館へ行って7千ユーロを渡す。

ルイスはコスチュームを買ってやるが魔女ユキコが手に持つ魔法のステッキが必要になる。これは高くて2万ユーロ(260万円)。バルバラは撥ね付けるが夫に言いつけると脅され渋々と従う。
トカゲの部屋の中に封筒があり暴力を止めるための暗号がある筈なのに空っぽ。それはバルバラの「無間地獄」を意味する。

終章は「肉欲」
ここで元教師のダミアンが登場する。12歳の女子生徒だったバルバラが原因で殺人を犯し10年の刑期を終えて出所したばかり。ルイスがバルバラに何をしたか。そのためにバルバラは全身に包帯を巻くほどの傷を負い病院で治療を受けていることを知る。
バルバラを救う為に銃を取ってルイスと対決する元教師同士のダミアンとルイス。

お涙頂戴の父子物語がかつての教え子を救う為に恐喝犯をやっつける復讐劇になるこのドラスティックな展開について行くのがやっとの有様。

ドンデンや奇想天外な独創的なプロット。全編を貫くブラックユーモア。まったく先読みできない巧みな構成。そして観客の想像もできない大団円。
出演者たちは顔を見たことが無いが皆個性的で上手だ。長編劇場映画デビューの新鋭カルロス・ベルムトはこんな作品を作ってしまって次回作はどうする積りだろうか?
 長山洋子のポップス、美輪明宏作曲の「黒蜥蜴の歌」がフルコーラスでエンドクレジットをカバーする。ベルムト監督の日本趣味は映画に深みとバイオレンスにワビサビのテイストを加える。

3月12日よりヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかで公開。

「家族はつらいよ」(日本映画):84歳の山田洋次監督のエイジシュート・84作目のコメディは大傑作だ。

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 この映画の前作が小津安二郎監督による「東京物語」(1953年松竹)のリメイクで「東京家族」と言う題名で2012年に上映された。

 広島側の舞台が尾道から瀬戸内海に浮かぶ豊田郡大崎上島町に変更され撮影されている。
瀬戸内の小島から上京し、自分の子どもたちと久々の対面を果たした老夫婦の姿を通して、現代日本における親子孫の関係や家族そのもの在り方、田舎と都会の家庭の見方や絆などを見つめていく。中心になる原節子も笠置衆もいないし、リメイクになると山田洋次監督の力も削がれ、とっちらかって余り良い出来とは言えなかった。興行成績も2014年春に終映して纏めた最終興収は18.2億だからソコソコの成績でヒットしたとは言えない。

「東京家族」の配役をそのままにオリジナルで脚本を書き監督をすると山田洋次は力を発揮する。特に「つらいよ」シリーズは十八番中の十八番。

「男はつらいよ」シリーズ終了から約20年ぶりに手がけた喜劇でホームグラウンドに戻って来た。「つらいよ」のタイトルロゴも筆記体をそのまま継続するし、鰻屋の出前配達(徳永ゆうき)が寅さん並に「男はつらいよ」のテーマソングをいい声で聞かせてくれる。
 しかし上うな重7人前で2万4千円は高いね。出前が「何しろ値段はうなぎのぼり」です、と笑えぬ冗談を言う。

肝心の寅さんこと渥美清が居ない。主人公の平田家家長周造役の橋爪功では荷が重過ぎる。

 子会社を経て現役を引退して7年。
72歳の平田周造(橋爪功)はゴルフに酒に、孫と遊び犬のトトの散歩と人生を満喫している。
トトは、白い毛並みが特徴のジャックラッセルテリア。居間が一望できる庭の小屋で暮らし、家庭で起こる騒動のすべてを見つめている、平田家の一員だ。

 事件はゴルフにかまけて誕生日祝いを忘れていた周造が妻(吉行和子)に催促されてプレゼントを贈ろう、「欲しいものは何だ?」と尋ねるが、その答えはなんと「離婚届」だと。
45年も平穏無事に過ごし3人の子供と二人の孫の三代揃った平穏な家族に激震が走る。子どもたちも大慌て。すぐに家族会議が開かれることになるが、それぞれが抱えてきた不満が噴出してしまう。一見纏まり平穏な家族も蓋を開けるとバラバラ家族だった。

 そこから始まる一家を挙げての大騒動を描くコメディは山田洋次の真骨頂。
寅さんに代わって、東京家族が全員でボケも突っ込みもやる分業だ。長男の平田幸之助の西村雅彦も猛烈サラリーマンながら家族問題では弟や妹に言い込められたり、長女の金井成子(中嶋朋子)がバリバリの公認会計士で仕切ろうとしたり、一家から「髪結いの亭主」と嘲笑される金井泰蔵(林家正蔵)が周造の弱点(浮気)を探り出そうと探偵・沼田(小林稔侍)を雇って居酒屋のママ(吹吹ジュン)の周りをうろついたり騒がしいこと夥しい。

 特に活躍するのは次男の荘太(妻夫木聡)、音楽家を目指しながらピアノ調律師で不安定な職業で平田家の部屋住み。しかし看護師の間宮聡子(蒼井優)との結婚をようやく決心し家を出ようとする時にこのドタバタだ。泰蔵がママの手を握る証拠写真を付きつけ取り返そうともみ合う時に脳梗塞で倒れる泰蔵。その場に居合わせた聡子の応急措置と救急車手配で泰蔵の命が救われる。

 映画の推移を見つめればこの若い二人の意見や行動が正しくまっとうだというところに山田監督の若い世代にかける夢や希望が託されている。

映画は、山田監督の「東京家族」(2012)で一家を演じたキャスト陣が再結集している。

改めて紹介すると、橋爪功と吉行和子が離婚危機に瀕する熟年夫婦、西村雅彦と夏川結衣が長男夫婦、中嶋朋子と林家正蔵が長女夫婦、妻夫木聡と蒼井優が次男カップルを演じている。

周造は居間で何度も小津安二郎の「東京物語」を見ている。
自分の娘でも無いが死んだ長男の嫁(原節子)が良く尽くしてくれると笠置衆がつくづくと語りかけるシーンと故郷の瀬戸内海の遠景のエンドシーンが印象深くクローズアップされている。

「東京家族」よりも「母とくらせば」より遥かに出来が良く、84歳の山田洋次監督のエイジシュート(撮影)になる84作目は近年に無い秀作で大笑いしながら堪能させて貰った。

3月12日より新宿ピカデリー他で公開される。

「偉大なるマルグリット」(MARGUERITE)(フランス映画):音痴のフランス男爵夫人マルグリットがNYカーネギー・ホールの桧舞台を踏むに至るまでを描く真面目なコメディ

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酷い音痴だがカーネギー・ホールに満員の観客を集めてコンサートを開きライブのSP盤も出ているという実在のソプラノ歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルにした映画だと言うが驚くことばかり。

フローレンス・F・ジェンキンスはペンシルベニア生まれの生粋のアメリカ人。このフローレンスの生涯の話しが愉快だ。

幼い頃から音楽教育を受け、音楽留学を希望していた。しかし音痴だと知っている父親が費用の支出を拒んだので、彼女は医師で後に夫となったフランク・ソーントン・ジェンキンスとフィラデルフィアに駆け落ちした。そこでピアノ教師をして生活していたが、1909年に父親が亡くなると、莫大な遺産を相続し、両親と夫から反対されていた歌手の道を歩み始めたと言う。

彼女の歌ったレコード(レコードがあるのも不思議だ)を聴くと音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないことがわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した音痴と派手な衣装や歌唱スタイルだった。

 死ぬ直前の1944年、76歳の時に晴れのカーネギー・ホールでのコンサートの舞台に登る。
観客は余りの音痴に笑い転げるがフローレンスは自分の歌を観客が楽しんでくれているのだと勘違いして益々声を張り上げたと。

 ライブ版はYou-Tubeで今も聞ける筈だから試して見るのも一興だ。
モーツアルトの「夜の女王のアリア」(Queen Of The Night)を歌う。
フローレンスの動画は無く歌だけだが、歌を聴く可愛い猫たちがゾロゾロ登場して「Tone Deaf!」(音痴だ!)「ヒデーもんだ」「衣装だけは本物だ」歌が終わってやれやれ「生き延びた」などと批判中傷の字幕が入っている。
 これを見ても誰もフローレンスに本物のアリアの歌唱力を要求したとは思えない。
 
 この音痴ソプラノ歌手フローレンスをモデルとして、時代物が得意なグザヴィエ・ジャノリ監督は舞台を1920年代のペンシルヴァニアからパリ郊外の大豪邸の城に移し、超リッチなマルグリット・デュラン男爵夫人(カトリーヌ・フロ)と言う主人公を作り上げた。
唯一76歳でのカーネギー・ホールのリサイタルだけは本物と同じだ。

 第一次大戦終了後、不景気な1920年代のフランス。パリ郊外の貴族の邸宅で開かれた「戦争孤児救済」慈善サロン音楽会に興味を抱いた音楽評論担当の新聞記者ボーモン(シルヴァン・デュエード)と親友でアナーキストの画家キリル(オベール・フェノワ)はタキシードを着て塀をよじ登り招待無しで強引に潜り込んだ。

 そこで音大の生徒で歌手を目指すアゼル(クリスタ・テレ)に出会う。前座で歌うアゼルは素晴らしい歌唱力がありその上茶髪ショートカットのキュートな美人。後半、映画の進行と共にキリルとロマンスも発展しドンドン人気が出て行くが、マルグリット夫人の音痴の毒消し薬となって観客の耳を楽しませてくれる。

 そしてサロンコンサートのトリ(Main Attraction)マルグリット夫人の登場だ。天使の羽根をつけキラキラ光るティアラを冠し室内楽団をバックにモーツアルトの「魔笛」から「夜の女王」を歌いだす。天井から吊るしたシャンデリアが揺れる。
あまりに音痴な歌声に唖然とするボーモンとキリル。
だが会場を埋め尽くす貴族たちサロンの面々は拍手喝采。
招待客たちはマルグリット夫人の寛大な寄付が目当てでやむを得ず歌を聞いて拍手をするのだ。
夫人は「裸の王様」なのだ。

 亭主のジョルジュ・デュラン男爵(アンドレ・マルコム)ですらあのキーキー声の歌を聴きたくないと豪華2シーターのオープンカーをわざと故障と見せかけ手とスーツに車の油で汚し歌い終わった頃を見計らって豪邸に到着する。

 ジョルジュは優しい。それとなく歌を止めるように何度も婉曲に頼むがマルグリットには通じない。強く言えないのは貴族の称号も妻のお金で買って貰ったものだからだ。ジョルジュの欲求のはけ口は妻の親友フランソワに向けられている。

 翌朝の新聞でボーモンは夫人の歌を「べた褒め」する。ボーモンは夫人に貸しを作って親しくなり「富」を引き出そうとする下心があるからだ。

 マルグリットを理解し唯一の支援者は黒人の執事、マデルボス(デニス・ムブンカ)だけ。
ボーモンの記事だけを見せ他紙の酷評は見せない。
そして花屋に白い蘭の鉢を大量に注文して記事を読んだ夫人のファンからだと偽る。

 スキンヘッドで入道のような黒い顔に目だけ大きく白く光っているムブンカはマルグリットの歌のピアノ伴奏をし、オペラや衣装、宝石をつけた夫人の撮影を丹念にする。

 マルグリットが本格的に歌手のトレイニングをしたいと著名なオペラ歌手ペッジーニ(ミシェル・フォー)にレッスンを頼む。歌の酷さに救いは無いと断るペッジーニのスキャンダルをかき集め脅してトレイニングをさせるシーンは笑える。

 ボーモンの記事で歌う喜びに目覚めたマルグリットは、必要なのは歌を聴いてくれる観客だと信じ込みポールとキリルに誘われるまま自身のリサイタルの開催を決意する。
キリルは無政府主義者。現政権を批判する前衛劇を影絵とニュースリールで構成しマルグリットを登場させ国歌・ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)を歌わせる。

 アナキーなステージに調子外れのトンでもない国歌。
見事な舞台演出だが何も知らない観客は怒りだし国歌への侮辱だと大騒動。警官隊が押し寄せ鎮圧したのは良いが出演者のマルグリットは逮捕される。しかし大観衆の前で大声で独唱できた喜びは何よりも変え難い。釈放され、クラブは除名されるが多数の観客を集めたリサイタルの夢は益々膨らんで行き、本格的な歌唱トレイニングに入って行くのだ。

 自分の歌唱能力を信じ唯我独尊の世界に浸り有り余る富を費消してのオペラ歌唱の道は厳しいが楽しい。
こんな人物が実在しただけでも世の中すてたものでは無いと思うが、フランス貴族夫人に置き換えて更に物語を増幅させたジャノリ監督の手腕も優れていて観客の期待に見事応えて楽しませる。

音痴の歌姫マルグリットの数奇な運命を「大統領の料理人」「地上5センチの恋心」などでセザール賞に6度ノミネートされたカトリーヌ・フロが小太りの身体を揺さぶりながら素っ頓狂な声を張り上げて熱演する。
共演のデュモン男爵役に「不機嫌なママにメルシィ!」のアンドレ・マルコン、新人歌手アデルに「ルノワール 陽だまりの裸婦」のクリスタ・テレ。

 本国フランスでは動員100万人を突破という大ヒットを記録したと言うこの映画、果たして日本ではどの程度ウケるだろうか?

2月よりシネスィッチ銀座にて公開される。

「ハンガー・ゲーム FINAL: レボリューション」(The Hunger Games: Mockingjay — Part 2)(アメリカ映画):独裁政治の大統領を倒す女戦士

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 今日は朝から地域ブロードバンドのサーバーがダウンしてメイルも送受信できず、ブログもアップできなくて今の時間になってしまった。ネット依存症のライフスタイルは総崩れだ。
 
 KADOKAWA映画試写室での上映も無いままいきなり劇場公開が先々週から始まって13日目。
ヘッド館はスカラ座だが昨日(3日)の3時15分の回にTOHOシネマズ日本橋のスクリーン4で見た。
130程の座席に観客はたったの6人。
先週末などは日本興行成績のトップ10のチャートにも入っていない。
全世界で大ヒット作品も日本ではミソッカッス、何ともグローバル化に乗り遅れた日本興行界を見せ付けられた格好だ。

 11月20日(金)にこの映画は日米同時で公開された。北米では4,175館で上映されたが、シリーズ最低のデビューで101M(124.2億円)。 
それでも3日で軽く124億を越えるのだから凄い。
160M(197億円)の制作費をかけたこの作品は前作「The Hunger Games: Mockingjay — Part 1」の121.9Mに17%ダウン。2年前の「The Hunger Games: Catching Fire 」の158 Mよりは36%も落ちている。 
シリーズものは前作を見た人が母数だから落ちるのは当たり前だ。

映画のプロローグで5分程度これまでの概略の説明がある。
誰が仲間でどいつが敵か分からせてくれる。

 主婦スーザン・コリンズが閑に任せて書いたYA小説「The Hunger Games」は三部作だがスタジオのライオンズ・ゲイトはこんなに当たるのだったら最終章を二つに分けて4部作にしようと言う浅ましい考え。
 だから少し興行成績はおちても想定内で124億も稼いでくれれば「御の字」これでトータル$2.55B(3436.5億円)を達成するメドがついた。 
 3500億円の売り上げだぜ、大会社並みだ。

 観客の63%が女性、52%は25歳以下。特に18歳から24歳までが37%と最大のコア。
デビュー週の3日間、海外ではUKの17.1M,中国、ドイツで14.4Mメキシコ8.7M、テロに関係無かった前作より10M減少したフランスで7.1Mなど、81か国で首位をとり、グローバル総計は前作より10%ダウンながら247Mになる。

 最終章を二部作にした阿漕な商売に批判の声もあったが映画評ではソコソコだが、観客の出口調査からはA-評価と女性ファンの受けは悪くない。

 翌週は、感謝祭をいれた水ー日の5日間で75.8M。ただし昨年の「The Hunger Games: Mockingjay — Part 1」の82.7Mに及ばないが、しかし莫大な数の観客を惹きつけている。海外市場でも好調で新たに62Mを加え10日間累積242.4M、グローバル総計は既に440.7M(542億円)となっている。今年一杯クリスマスシーズンも駆け抜けてシリーズ3500億円を達成するのは間違いない。

サンダンス映画祭やインディ映画でキュートだが取り立てて美人でもない地味なジェニファー・ローレンスがこの3年の間ブロックバスターに立て続けに4本も主演を張れば世界的大スターの地位を手にする。
ハリウッド映画では男性主演作品が殆どだが、女優が堂々の主演で男性陣を従える現象も特異なものだ。映画ばかりか世の中のパラダイムを引っくり返すエポックメイキングなシリーズだった。

 原作者スザンヌ・コリンズはしっかりとしたビジョンをヒロイン・カトニスに託している。戦争と平和、銃弾とロマンス、家族を思い妹の身代わりに志願するサバイバルゲーム、コミュニティや友人たちや未来への希望。タフだが涙もろい。ストイックでありながらセンチメンタル。膝まずいて命乞いするよりも圧制や独裁からの自由を求めて命を賭す。ともかく若い女性たちの理想像なのだ。

 さて肝心の映画。独裁国家パネムに対する反政府勢力のリーダーとなったカットニス(ジェニファー・ローレンス)にさらなる試練が降りかかる。
カットニス率いる第13地区の反乱軍は、スノー大統領(ドナルド・サザーランド)が支配する独裁国家との最終戦争に突入。

 カットニスは、ゲイル(リアム・ヘムズワース)、フィニック(サム・クラフリン)、そしてピータ(ジョシュ・ハッチャ―ソン)を従え、スノー大統領暗殺(ドナルド・サザランド)に挑んでいく。独裁国歌パネムを開放するにはスノーを殺さなければならない。
だが大統領もカットニス抹殺の念にとり付かれており、反乱軍の動きを察知し策を巡らす。TVで大々的に大統領官邸に避難民を呼び込み保護すると宣言する。慈悲深い大統領のイメージを植え付けようというもの。

 カットニスは避難民に紛れこんで官邸に向かう。政府軍爆撃機がシャボン玉状の透明な球形を無数に避難民の上に落とす。
何とそれは爆弾だった。
忽ち始まるロケット砲や機銃による阿鼻狂乱の地獄絵。
死のトラップ、無数の敵に直面する中、やがて捕らえられたカットニスは過去のどのゲームの戦闘よりも困難で非道徳的な決断を迫られる。

 同じように拘束されたスノーを得意な弓で処刑せよと言うもの。党首(ジュリアン・ムーア)はスノーの後釜に座り、式台に立ち合図でスノーの心臓を射抜けと命じる。
ここにトンでもない出来事が集まった政府軍や反乱軍の目の前で起きる。

 J・ローレンスやJ・ハッチャーソン、L・ニーソンを支えるのはD・サザランドやJ・ムーア、J・ライトやフィリップ・セイモア・ホフマンなどのベテラン陣。
彼らの芸で軽いYAドラマに重みも深さも出て来る。
特に意味も無いのに皆の集まりに出て別れを告げるホフマンはこの映画の撮影後にドラッグで突然死をしているだけに感慨深い。

監督は前2作に引き続いて3作目となるフランシス・ローレンス。ローレンスが優れている訳でも何でも無い。前作に引き続いて同じトーンとマナーで映画を維持して欲しいと言うことだけで、何か目新しいことをやらないようにスタジオのプロデューサーが立会い見張っていた。

2時間半も延々と見させられた長尺を終わりにする大団円のどんでん返しのカタルシスに胸のつかえが降りる。

最後の湖畔でピータとカットニス夫妻が幼子を二人慈しんでいるシーンは蛇足だ。

TOHOシネマズスカラ座他で公開中

「無伴奏」(日本映画):純情可憐な役柄を破って全裸セックスシーンで女優としての成長を目指す成海璃子の熱演

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仙台の高校生の恋と言うと1949年から50年に1歳年上の宮城第二高女の若尾文子に憧れた仙台1高の井上ひさしの小説「青葉繁れる」が有名だ。

奇しくもこちらはその20年後、第二次安保闘争の1969年から1970年にかけての東北大学生と仙台第三女子高生の衝撃的恋物語だ。
実話を基にしたもので、直木賞作家・小池真理子による赤裸々な半自伝的恋愛小説だ。

タイトルは仙台市に実在した音楽喫茶「無伴奏」で、そこで出会う4人の男女を軸に数奇な物語は展開する。

第二次安保改定を迎えベトナム反戦、沖縄の米軍基地返還など全共闘運動が盛んになっていた1969年。仙台第三女子高の野間響子(成海璃子)も親友二人と共に制服廃止闘争委員会を作り保守的で生徒の自由を束縛する学校に反発していた。

自らも「ゲバルト・ローザ」と名乗り学園紛争の先頭に立ち東北大学の反戦集会にも参加していた。「嵐の中に自分を駆り立てていかなければ発狂しそうだ」世の中のムードに乗るだけの響子は基本的にはノンポリでベトナムにも沖縄にも興味は無かった。

こう言う政治アパシーは多く僕自身もこの時代より10年前の第一次安保(60年)で、駒場時代隣りのクラスの樺美智子が警官隊に撲殺されたのに怒り、雨降りしきる国会前デモに参加して「キシを倒せ!」と叫んでいた。因みの今の首相・安部晋三は当事5歳、祖父岸伸介の膝に抱かれてTVに唱和し「キシを倒せ!」と黄色い声を張り上げていたと言うから可笑しい。

そんな多感な時期を過ごしていた響子は、全学連など怪しげな人物が集まるという名曲喫茶「無伴奏」で、東北大学生・堂本渉(池松壮亮)と偶然出会い、渉のリクエストしたパッヘルベル作曲の「カノン」に感動する。このカノンが二人のロマンスのテーマ曲のように幾度となく喫茶店「無伴奏」に流れる。この他渉が響子の誕生祝にプレゼントするチャイコフスキーの交響曲「悲愴」も繰り返される。
何かに学園紛争も一時の気まぐれ何かに縋りたい響子はインテリでアーティストの渉と忽ち恋に落ちる。
時代の喧噪から距離を置き、同じ大学生で親友・関祐之介(斎藤工)の茶室に居候しのらりくらりと生きている渉。詩人の関祐之介はガールフレンド高宮エマ(遠藤新菜)といつも一緒だ。エマも学校は違うが高校3年生。

4人はたちまちグループとして群れ集い、海水浴や映画、音楽喫茶などでタバコを吸い酒を飲む。あの時代若者は背伸びするように末青年ながらタバコをチェインスモークしビールやウィスキーをガブ飲みしていた。今の健康志向の世の中とは違っている。時代を描くならタバコと酒はシンボルだろう。もう一つ付け加えるなら裸になった時の白いブラとパンティ。ミニでもカラーでも無い真っ白な大きい木綿のパンティも懐かしい。

驚いたことに茶室の「にじり口」から互いのセックスシーンを覗く。エマは大胆で祐之介が求めれば他人の目を気にせず胸をはだけパンティを脱ぐ。渉と響子はためらいがあり今一歩踏み込めないが、やがて響子も渉の前に身体を開く。

成海璃子の胸が大きいのには驚く。手で恥ずかしそうに覆うが掌から溢れる大きさだ。子役のイメージが強いから違和感を覚えるが、97年デビューなのですでに18年もの芸歴がある。今年23歳の成熟した女優として更に成長を目指す成海としては全裸シーンはその関門突破の第一歩。ふんだんに出て来るセックスシーンに圧倒される。この官能的肉体は小池真理子とは似ても似つかない。映画がR15 指定なのも分かる。しかし監督・矢崎仁司の絡みの描写は下手だ。ギコチ無いのは良いがもっと美しくスタイリッシュに撮れないかね。

渉と過ごすことによって、響子は初めて「恋」を知る。「女性として愛したのは君が初めてだ」の言葉は響子の胸に染み入り内部で共鳴するがその言葉自体に渉の個人的な「ある秘密」が隠されている。
最初は渉の姉、勢津子(松本若菜)との余りの仲の良さに嫉妬を抱くが恋人に振られた勢津子が自殺未遂で疑いが晴れる。勢津子のそんな行動をするのではないかと気にしていたのだ。

しかし渉と響子のロマンスは順調だが(ラブホテル、茶室、響子の下宿で手を変え、品を変えてのセックス)ドラマは異常な方向へ向かって行く。

先ずエマが妊娠した。3ヶ月だと言う。「堕ろせ」の祐之介の要求も撥ね付け母になる喜びを楽しむエマ。だがそのエマは祐之助にナイフで刺され殺され、そして逮捕に駆けつけた刑事に渉は「殺したのはオレだ!」と泣き叫び逮捕を妨害する。
この渉の心情を響子は痛いほど理解している。

仙台に残りたいと言っていた響子は真面目に予備校で勉強し東京の大学へ入ることになるが、その秘密はスポイラー(ネタばれ)になるから語れないが、後半だけに焦点を当てて本編は、後30分は削れる。2時間を越す長尺の作品では無い。

成海と林の熱演はドラマを守り立てているが「三月のライオン」「太陽の坐る場所」の矢崎仁司監督だけが力不足。

2016年3月に新宿シネマカリテで公開される。

「虹蛇と眠る女」(STRANGER LAND)(オーストラリア・アイルランド映画):28年振りに母国オーストラリに戻った大女優、ニコール・キッドマン。トラウマが齎す心理サスペンス。

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昨日(5日)の昼はロシアのマリインスキー・バレエ「白鳥の湖」を上野の東京文化会館で見た。学士会館で募集し割引料金の17000円で二階S席は悪く無い。外国特派員協会も同じ割引で案内があったがエンタメ委員会のW女史の顔を見たくないので学士会の方を選んだ。これでかち合うのは3回目だ。

それはともあれ華麗なマリインスキー・バレエ団の舞台は感動。ダークな舞台に白い白鳥が舞い踊る姿は天使の降臨を思わせる。ブラック・スワンになった時のオクサーナ・スコーリクのダイナミックなダンスに驚くばかり。
 
 本当はウリヤーナ・ロパートキナの「白鳥の湖」が同じ5日の6時半からあるのだが、即日完売で一席も無いと。この秋、ドキュメンタリ映画「ロパートキナ 孤高の白鳥」(2016年1月から東京・渋谷のBunkamuraル・シネマで公開)を見て感激したばかり。

200年以上の歴史を持つロシアのバレエ団マリインスキー・バレエに、1991年に入団したウクライナ出身のウリヤーナ・ヴァチェスラヴォヴナ・ロパートキナ。1995年にプリンシパルに昇格し20年間女王の位を維持している。世界のバレリーナで最も高いとされる175センチメートルの身長と長い手足を駆使した踊りで数々の賞を受賞しており、ロシアを代表するバレリーナなのだ。もう一度この映画を見るしかない。
ダーレン・アロノフスキー監督がナタリー・ポートマンを主人公に白鳥の湖を題材にした心理スリラーも思い出す。内気なバレリーナが大役に抜てきされたプレッシャーから少しずつ心のバランスを崩していく。ライバルのロシアバレリーナ役をミラ・クニスが「ブラックスワン」を熱演するシーンが凄かった。ミラもナタリーもプロ顔負けの踊りに圧倒された。

ロシアと言えばロクな話題が無いが芸術の都サンクトペテルブルグで200年以上高貴で華麗な花を咲かせるマリインスキー・バレエの歴史を見ると面白い。ロシア帝国時代は、バレエ団への入団は貴族の子女が条件だったので、貴族的で古典的な美しさと優雅で上品が売り物だったようだ。
「コール・ド・バレエ」(群舞)の評価が高く、ソ連時代は踊り手の身長・手足の長さなどの肉体的特徴まで揃えていたと言う。
ソ連時代は「キーロフ・バレエと」呼ばれていたがソ連崩壊とともに昔の名前「マリインスキー・バレエ」に戻った。

さて今日の映画は、「虹蛇と眠る女」と邦題は訳が分からないが原題は「他人の土地」(STRANGER LAND)。

オーストラリアの砂漠地帯にたたずむ小さな架空の町ナスガリが舞台。明らかに都会で不祥事があり越してきたキャサリン(ニコール・キッドマン)と薬剤師、マシュー(ジョセフ・ファインズ)夫婦の子供たち、15歳の長女・リリー(マディソン・ブラウン)と幼いトム(ニコラス・ハミルトン)が、ある満月の夜、神隠しに遭ったかのように、忽然と姿を消す。
車に乗って探し回る夫婦を襲う砂嵐が凄い。特殊効果だろうが「マッドマックス・デスロード」を凌ぎ一寸先も見えない。

灼熱のこの地で行方不明となった者は、2・3日しか生命が保たない。
地元のベテラン警官レイ(ヒューゴ・ウィーヴィング)らが大掛かりな捜査を行うが、どこにも手がかりが見当たらず、保守的で信心深い土地の人々の疑惑の目は次第に夫婦を非難する。

周囲の無理解と命に関わるタイムリミット、そして隠し通さねばならない家族の秘密。
次第に神経を苛まれるキャサリンは、極限状態のさなか、先住民族アボリジニの間で語り継がれる「虹蛇の伝説」を耳にする。アボリジニの老婆の幼い孫が口にする「虹の蛇が二人を呑み込んだ。歌えば子供たちは戻って来る」と言う言葉に激しく心を揺さ振られるキャサリン。

美しい少女リリーは色情狂。一家が引っ越さねばならなかったのはリリーが教師と不適切な関係を持ったから。
引っ越して来ても姉弟は学校へも行かず、リリーの男関係は更に派手になり、その日記を読んだキャサリンは呆然として精神的にも不安定になる。
夢遊病癖のあるトムは翌夜帰宅するものの、お姉ちゃんは「黒い車に乗った」と言うだけで取りとめも無い。

夜通し森や野原を歩いたキャサリンは全裸で翌朝町の人々に発見される。ロングショットだが48歳のキッドマンのヘアヌードは美しい。

リリーが最後まで行方不明なのでドラマとしてのカタルシスが無い。
ラストシーンは俯瞰で何処までも続く大森林と平原のアウトバックス。
白人が原住民アボリジニから取り上げた土地が白人の美しい子どもを拉致して復讐を遂げようとしているメタフォーを表しているのだろうか?

これが長編劇場映画デビューの女流監督・キム・ファラントは22歳の時に父を亡くし圧倒的な悲しみを感じ無力な自分を見出した。この人生における絶望感が映画を作る原動力となった、と言っているが良く分からない。

売りはトム・クルーズに発見されハリウッドで大女優になったニコール・キッドマンが25年ぶりに母国オーストラリアで主演のトラウマが齎す心理サスペンスと言うだけ。

2月27日よりヒューマントラスト有楽町で公開される。

「神なるオオカミ」(WOLF TOTEM)(中国・フランス映画):モンゴルの遊牧民に「下放」された北京大学生が狼に出会い「神」と感動し絆を築く

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 「特捜部Q」シリーズで有名なデンマークを代表するミステリ作家、ユッシ・エーズラ・オ-ルスンの「アルファベット・ハウス」(早川書房:2015年10月刊)が傑作だ。特捜部Q以外にもこんなアドベンチャー作品を残しているとは知らなかった。1997年と言うから18年前の作品だ。
 
第二次世界大戦中の1944年、ドイツ上空を偵察飛行中のイギリス空軍機が撃墜され二人のパイロット、ブライアンとジェイムズは辛うじてパラシュートで脱出する。ドイツ軍捜索隊に追われる中通りかかった列車に飛び乗る。それは病院列車で重い傷害を負ったSS将校を精神病院へ搬送する列車だった。瀕死のSS将校を走る列車の窓から放り出し瀕死のSS将校になりすまして精神病院へ送り込まれる。

ここには軍の財宝を着服した悪徳将校4人組が紛れ込んでいて重傷の将校への薬と電気療法で虐待し廃人にしてしまう。ブライアンは脱走に成功するがジェイムズは精神病院にそのまま取り残される。
28年後のミュンヘンオリンピックの行われた1972年ブライアンはジェームスの生死を探るべく精神病院のあったフライブルグを訪れる。

タイトル「アルファベット・ハウス」は精神病院のこと。第三帝国では軍務につく者は総てアルファベットで分類された。これは特に負傷した場合に適用され被検査者がどの程度軍務に相応しいかを決定する。戦争が進むにつれ致命的なレッテル、特に狂気と精神遅滞においては顕著だった。
そう言う重度の精神的障害者を収容する家と言う意味で「アルファベット・ハウス」と名付けられた。

前半の陰々滅々の電気ショック療法やドラッグ服用の10か月は読んでいても楽しく無い。
やはりブライアンがフライブルグに戻り元悪徳将校たちへのリベンジと未だ狂気が残っているジェイムズの救出になるとワクワクする。だが最後までジェイムズは置き去りにして30年近くも放置したブライアンを許したとは思えないのが心残りだ。
二人のイギリスパイロットの友情と愛情の物語。

1966年から1976年までの「文化大革命」で1億人近くが何らかの被害を受け、中国国内の大混乱と経済の深刻な停滞をもたらした。
若い知識人学生は農村に「下放」されたが、中国映画でこれほど下放を礼賛する物語は初めてだ。
もっともこれはフランス人監督が撮ったからなのだろうか。

「セブン・イヤーズ・イン・チベット」「愛人 ラマン」「スターリングラード」などの名作を手がけてきたジャン=ジャック・アノー監督が文化大革命により内モンゴルの草原にやってきた北京出身の知識人の青年を主人公に、そこで地元の民が神と崇めるオオカミと交流する姿を描いたドラマ。

原作は、中国人作家ジャン・ロン。政治雑誌「BEIJING SPRING」編集長時代に1989年6月4日の「天安門事件」に連座したとしては投獄され3年も収監されていた。
ジャンが11年に亘り下放された自分の体験した実話を同名の自伝的小説(2004年)を映画化したもの。38Mドルというから47億円もの巨費をかけた大作だ。

文革期の初期1967年に北京大学生のチャン・ジェン(ウィリアム・フォン)は友人ヤン・カー(ショーン・ドウ)の二人は内モンゴルへ羊飼いとして労働しながら遊牧民の子供たちに勉強を教えるため下放された。

都会の生活とかけ離れたモンゴルの草原。年老いた族長ビリグ(バーサンジャブ)の指導の下、羊の放牧で朝から夜まで働いた。
半年が過ぎていたある日、帰り道でチェンは狼たちの縄張りに足を踏み入れ牙をむき出した狼の群れに取り囲まれていた。何とか危機を乗り越えたが初めて狼の持つ威厳に満ちた生気を感じる。それはまるで神に出会ったような高揚感をチェンに齎す。

そこで彼は、地元民が聖なる動物として崇めるオオカミについて多くを学び、その存在に魅了される。ビリグは「狼は死の危険を冒してでも狩りに出る戦士だ」と教える。「この世の総ては天(タンゴル)の意志で決められる」と信じる遊牧民。牧草を荒らすガゼルの群れを襲う狼はまさに守護神だ。

人間が死ぬ。チェンやヤンは埋葬しようとするが遺体はそのまま野原に放置される。死んで狼の餌になるのだ。スクリーンを見ていて驚くことばかり。

狼が可愛くなるのは政府機関の命令で狼を殺す役目を引き受けたチェンたちは巣穴にいた三匹の赤ん坊のオオカミを拾って一匹を保護し、「小狼(シャオラン)と名付け飼い慣らそうとするシーンからだ。見えない目で飼い犬のオッパイを探り当て他の仔犬に混じって乳を飲む小狼。

最悪のシーンが起こる。羊牧場一帯が大寒波に襲われたある日、政府の委託で飼育していた数十頭の軍馬が飢餓状態の狼の群れに襲われる。逃げ惑う軍馬はパニック状態で湖に次々と落下し這い上がれず次々と凍死してしまう。
このシーンはVFXだろうが襲う狼群と逃げ惑う軍馬は凄い迫力だ。
ビリグの息子バトまでも吹雪に視界を奪われ凍死をしてしまう。
都会の青年チェン・ジェンが、聖なる動物オオカミに魅了されていく様子や、人間と動物が築いた絆が中国共産党の役人たちの政策によって脅威にさらされるさまなど感動のドラマだ。やはり中国共産党は悪人だ。

主人公チェン役を「項羽と劉邦」「いつか、また」などの上海生まれの37歳ウィリアム・フォン、友人ヤンには27歳と若い西安生まれのショーン・ドウ、チャン・イーモウ監督に見出され「サンザシの樹の下で」で主演デビューしその後殆どのイーモウ作品に出ている。
遊牧民の族長ビリグはモンゴル人俳優で61歳のバーサンジャプらが起用された。中国映画「レッドクリフ」に関羽役で出演しているから顔を見れば分かる。
中国のアカデミー賞にあたる第30回中国金鶏奨の作品賞や、第5回北京国際映画祭の最優秀監督賞、視覚効果賞などを獲得している。

映画に登場するオオカミの子どもたち「子役」は3頭で、主演のウィリアム・フォン(馮紹峰)と最も共演時間の長かったのが、「C-SAW」と呼ばれる子オオカミだった。

この中仏合作映画は中国本土で興行収入7億元(約133億円)超えの大ヒットを記録したと言う。
 日本ではどのように受けれられるだろうか?

1月12日よりヒューマントラスト渋谷にて公開される。

「ディバイナー 戦禍に光を求めて」(THE WATER DIVINER)(豪・米・土映画):第一次大戦(1915年)の激戦区ガリポリで行方不明になった息子3人を探すオーストラリアの農夫。

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 日本では「誓い」と言うタイトル(原題はGALIPOLI)で1982年に公開された映画を覚えている。
「マッド・マックス」でデビューした翌年のメル・ギブスンが、志願してトルコ・ドイツ軍と戦う若い兵士。第一次大戦下の1915年、イタリアとトルコの国境近くの激戦地だったガリポリ戦線に赴いた2人のオーストラリア兵を中心に、彼らとその仲間の若者たちの青春、友情、愛国心を描く感動作だったが日本では当たらなかった。監督はピーター・ウェアー。後にギブスンと一緒にハリウッドへ活躍の場を移している。

そのガリポリで息子3人を失ったオーストラリアの農夫が「水脈占い師」(THE WATER DIVINER)と言う特殊能力を生かして多くの死者が眠っている激戦の跡地で遺体を見つける嘘のような実話に基づく映画だ。

この映画で監督デビューを飾ったラッセル・クロウは「私が監督になるためにこの映画を選んだのではない、この映画が私を監督に選んだのだ」と意気込みも荒い。このところ出演作も低迷しているクロウは祖国に戻り愛国心を掻き立てる作品に張り切っている。

タイトルの「ディバイナー」(DIVINER)は占い師とか予測師の意味で科学的根拠が無いのに水資源を探り当てる予測師として映画の冒頭にジョシュア・コナー(ラッセル)が現れる。
棒を二本交錯させ地面を探り、乾燥した野原に水脈を発見する。
金鉱を発見する「ヤマシ」に似ている。

 何れにしてもリアリスティックでは無いが息子を思う父親、ましてや妻イライザ(ジャックリーヌ・マッケンジー)は息子が戻って来ないことをはかなみ精神に異常を来たし自殺を遂げる。
キリスト教の教えでは「自殺は罪」で牧師の祈祷どころか教会の墓地への埋葬も許されない。

 愛する家族、妻も息子たちも廻りに居ない、たった一人ぽっちになってしまったコナーは、息子たちを戦場へ赴くことを阻止しなかった罪悪感に追い詰められる。
そして戦いから4年後,大戦が終了しガリポリで自分の「水脈発見」の超能力を駆使しての息子たちを探索する冒険旅行を始める。

 幼い息子たちのアウトバックでの回想シーンがある。
一寸先も見えない砂嵐に襲われるが父親が馬に乗って救出に駆けつけるまで長男アーサー(ジャック・パターソン)は弟たち、ヘンリー(ベン・ノリス)とエドワード(エイダン・スミス)を嵐から庇う。「弟たちは僕が守るからね」
凛とした言葉で同じ約束する出征の朝のアーサー(ライアン・コール)。ヘンリー(ベン・オトゥール)もエドワード(ジェイムス・フレイザー)も同じ部隊で兄と行動を共にする。

激戦地・ガリポリでオーストラリア・ニュージーランド軍は敗色濃く撤収中にアーサーが倒れ、ヘンリーとエドワードは引き返して機銃掃射を浴びて戦死したことも分かる。

実話をベースにした作品だが絵本「千一夜物語」がベースにあり水脈占い師の超能力がバックにあるなど寓話的でもあり、焦点を必死に思い詰める父親像に絞って、オーストラリア奥地のアウトバックやトルコ・イスタンブール、そしてガリポリと壮大なロケーションを行い、短時日のうちに豪英軍1万人トルコ軍7万人と言う甚大な戦死者を出したガリポリの戦いをオーストラリアとトルコの双方の視点から忠実に描いている。未だ8千人の死者の身元がはっきりしないという。

僕としては同じ1915年に異教徒キリスト教の隣国・アルメニア人300万人を虐殺したオスマントルコを許せない。(未だ正式に謝罪を表明してないことでトルコのEU加盟は宙に浮いている)

しかしこの映画でトルコ軍を指揮して豪英軍と戦ったハーサン少佐(イルマズ・アルドアン)のコナーへの協力と親切さ同情の心を見ている内にトルコ人も悪くは無いんだと思い知らされる。むしろ戦後処理とガリポリを管理している英軍の官僚主義の冷たさに腹を立てる。
イギリスの植民地政策はトルコやギリシャの紛争をも引き起こしておりコナーはその衝突にも巻き込まれる。

 戦争の血なまぐさい話ばかりでは無い。
3ヶ月もかけてオーストラリアから上陸したコンスタンチノープルで英国大使館と英国軍はコナーのガリポリ行きを拒否摺る。既に戦没者の墓は集団で作ってあると。出会ったハーサン少佐は言う。「大きな穴を掘って人間の死体もロバや馬と一緒に放り込んであるから無理だと。ただ敵味方ははっきりしていてトルコ軍の遺体は野ざらしで積まれている」と。

 しかし英軍の将校ヒューズ(ジェイ・コートニー)はコナーに協力して遺体発見を手伝ってくれる。最後の日記の日付で死んだ場所はここだとハーサン少佐と部下のジャマル(セム・イーマズ)は指し示す。果たしてそこからヘンリーとエドワードの遺品が出てくる。しかし長男アーサーの身に着けていたものは何も無い。「未だ生きている」とコナーの本能は告げる。

映画としては男だけの冒険譚では詰まらない。
船着場で荷物を持ち逃げした客引きの少年オーファン(ディラン・ウィリー)は細い混雑した露店街を抜けてこじんまりしたホテルへ案内する。
 そこは美しい母アイシェ(オルガ・キュリレンコ)と保守的な叔父オマー(スティーブ・バストニ)が経営している。アイシャーはコナーがオーストラリア人と聞いて宿泊を断る。
 夫がやはりガリポリで戦死しているからだ。叔父のオマーのとりなしで泊まれることになる。アイシェはキツイ感じの美人。よく見たら007のボンドガール(慰めの報酬)だった。夫の弟のオマーは後妻にとアイシェにしつこく付きまとう。孤独なコナーはアイシェに恋心を覚える。こう言うメロドラマも悪くない。

この映画は今年のオーストラリア アカデミー賞最優秀作品賞ほか主要3部門を受賞している。

他に共演は「ターミネーター:新起動/ジェニシス」などのジェイ・コートニー、「サイの季節」などのイルマズ・アルドアン。
初監督ながらラッセル・クロウの演出はユーモアも哀愁も悲哀も織り交ぜ悪くない。

2月27日より有楽町スバル座にて公開される。

「リリーのすべて」(THE DANISH GIRL)(イギリス映画):世界で初の性転換手術を受けたデンマークの画家の短い一生。

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 今年の9月5日にヴェネチアで12日にトロント国際映画祭で上映され受賞には至らなかったものの話題騒然の映画だった。
アメリカでは25日のクリスマスに公開され来年のオスカー狙いの最右翼に躍り出る。

 今年5月、オバマ大統領は現職の米国大統領として初めて、「同性愛結婚支持」の姿勢を打ち出した。これまでにも同性愛者の軍入隊問題や結婚擁護法など、宗教的争点でリベラル姿勢を強めてきた同大統領だが、焦点である同性愛結婚を明確に認めたことで、2012年大統領選挙を宗教的リベラルの立場から戦う姿勢を鮮明にしたと言えるだろう。

世界で最初の性転換手術を受けたリリーの物語は1928年で、現在のオバマ大統領発言にしても完全に世間の慣習や保守性を打破していないのだから90年前の性のパイオニア・リリー/アイナーは世紀の快挙と言えよう。

現代のオバマ宣言により「LGBT」に焦点が当たって来ている。これは性的少数者を限定的に指す言葉でLesbian (女性同性愛者)、Gay(男性同性愛者)Bisexual (両性愛者)、Transgender (心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称。

ナチス・ドイツは同性愛者たちをユダヤ人たちと同様に強制収容所に連行し処刑した。
ナチスは極端だとしても、現在でも同性結婚を認めた国は約20カ国を超えたばかりだ。

 多くの人たちはLGBTを「精神病」や「統合失調症」の一種だと考えている。電気ショック療法、放射線治療法、劇薬などを用いて「正常」に戻そうとする。この映画の中でも主人公アイナーをラジウム療法にかけ効かないと見るや頭蓋骨でこめかみの上に穴を開け鉄棒を突っ込む治療法を説明する医師もいる。(幸いにしてその手術は回避できたが)


 舞台は1926年のデンマークの首都コペンハーゲン。
結婚して6年正常の結婚生活を送っていた風景画家、アイナー・ベイナー(レッドメイン)と、妻で同じ肖像画家のゲルダ・ベゲネル(アリシア・ビカンダー)。売れている夫の風景画に対し画商はゲルダに才能はあるんだから特長を出せる個性的な絵を求める。

友人でモデルのバレリーナ、ウラ(アンバー・ハード)が時間に遅れ、ゲルダは夫にアイヴォリーのストッキングとシルクのパンプスを履いて立ってくれと気軽に頼む。抵抗しながらもストッキングを着けたアイナーに、下半身だけだとダメと、バレエ衣装を上から着せるとアイナーは今までに無い恍惚を感じる。

 後になってゲルダは自分を責める。
私が原因で悪魔を引っ張り出してしまったんだわ」と。
アイナーは激しく否定する。「神様が私の中に既に植えつけてあったものでそれが表面化しただけ」だから精神病でも統合失調症でも無く本来の姿になったのだと。「神がお造りになったものを完全な『形』に治してくれる先生を探し」ドイツで婦人科のクリニック開くヴァルネクロス医師(セバスチャン・コッホ)に出会ったのは運命だった。

世界で初めての性転換手術に医師も生命を賭す。手術は「二段階、最初は男性器の除去、そして体力が充分についた所で膣の造成」後者の方がはるかに難しい。

手術前にアイナーはリリーになった気持ちで全裸になって鏡に映る。下着を取り陰茎陰嚢を後ろに隠して足を閉じると薄い陰毛だけになり「女性」になる。嬉しそうなアイナーは身をくねらせ妖艶にほほ笑む。
エディ・レッドメインが素晴らしい。
痩せてへこんだ頬骨の上で長い睫の下の光る大きな目は何かを必死に求めている。鋭い形の良い鼻、真っ白な裸身の腰のラインは絞られ、メイクをすれば完全な美女だ。

 ALSのホーキンス博士を演じてオスカーを獲得した今年に引き続き来年も主演男優賞をとるのだろう。

だが背の高さはどうしてもオカマに見えパリの公園で酔っ払った二人の無頼漢に叩きのめされる。

リリーになっても男性を愛する訳では無い。最後まで慈しみ大事にするのは妻のゲルダのみ。
幼馴染で画商のハンス(マティアス・スーナールツ)もゲルダに付き添い命を賭してリリーになろうとする手術を見守る。

 重いシリアスな画面を救うのはヴァッぺ。小さなショートヘアのジャック・ラッセル・テリア。ちょっと首を傾げてリリーの後を付いて公園を散歩をし、夫婦の仲を和やかな雰囲気に持ち込む。最近の映画に猫や仔犬は必須だ。

レッドメインと「レ・ミゼラブル」(12)以来のタッグを組むトム・フーパー監督「英国王のスピーチ」(10)でアカデミー賞を総なめした実力派の演出はデヴィッド・エバーショップの原作本LGBTのエッセンスを映像化している。商業的にヒットする映画ではないが、問題のLGBTの正しい理解を助ける貴重な作品だ。

ほかベン・ウィショー、セバスチャン・コッホ、アンバー・ハード、マティアス・スーナールツらイギリスで活躍するベテラン俳優が共演する。

3月18日よりTOHOシネマズ系で公開される。

「Maiko ふたたびの白鳥」(Maiko: Dancing Child)(ノルウェー映画):ノルウェー国立バレエ団で長男を出産しながらプリマドンナの座を維持する麻衣子のど根性

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パリ・オペラ座のエトワールを務め100年に一人といわれたバレエの女王シルヴィ・ギエムが今年50歳になったのを機に来日しファイナルツアーをしている。公演は見られなかったがTVのニュースで見る限り50歳とも思えぬ痩身の肉体で高くジャンプする「ボレロ」などは驚異だ。

先週はロシアのマリインスキー・バレエ「白鳥の湖」を上野の東京文化会館で見た。ウリヤーナ・ロパートキナの白鳥はチケット完売で見られなかったがオクサーナ・スコークのブラック・スワンも素晴らしかった。

日本人バレエダンサーが話題にならないのは淋しいな、と思っていたところに今日紹介するMaiko(西野麻衣子)のドキュメンタリの登場だ。勿論オペラ座やマリンスキーに比すべくも無いがノルウェー国立バレエ団の堂々たるプリンシパルだ。

プリンシパルに至る裏話が可笑しくて笑えるし泣けて感動する。
強引でわが道を行く「大阪のオカン」が登場するのだ。麻衣子の母親、衣津江の存在が大きい。
父親が亡くなり女手一つで麻衣子と弟二人を養うキャリアウーマン。
何が何でもプリマになれと励ます。

 15歳でロンドンのロイヤルバレエ団に留学すると決めた時、両親は躊躇わず家と車を売って学費や生活費をひねりだした。
 オペラ歌手や映画スターになるのと違いバレエ団のダンサーはビッグになっても金持ちになれる訳でもない。ましてやノルウェーの国立バレエ団で国家公務員だ。母親、衣津江はそんなことは関係無い子供を生み母親としてバレエを続けられればそれで満足。母子の大阪弁での掛け合いは「漫才」を見ているようだ。

麻衣子は「高校くらい出てからにしたら」と言う父親の言葉を振り切り、母親に後押しされて、15歳で単身イギリスの名門ロイヤルバレエスクールに留学し、19歳でノルウェー国立バレエ団に入団、そして25歳で同バレエ団初の東洋人のプリンシバルとなる。

顔はオカメで幅広く決して美人では無いが172cmの長身と長い手足から繰り出されるダイナミックでエレガントなダンスに魅了されるファンが多く人気は高い。そう舞台は客席から離れているから全体のシルエットやスタイルが問題で顔の美醜はそれほど問題では無い。

入団2年目ではオペラハウスの音響と照明を担当する舞台監督で7歳年上のノルウェー人男性ニコライと付き合い結婚するが、30代を迎えて子供が欲しいだがプリマドンナの座は譲れないと内面で揺れていた矢先、幸か不幸か妊娠したことがわかる。

大阪のオカンに励まされ出産・育休を経てもプリンシバルへ復帰しようと決意した麻衣子は、衣津栄や優しい夫ニコライら温かい家族に支えられながら、一年間のブランクを経てクラシックバレエの中でも特に難役とされる「白鳥の湖」に挑む。復帰に向けてのトレイニングが凄まじい。麻衣子のド根性物語でもある。

デビューと復帰が同じレパートリー「白鳥の湖」と決めた麻衣子。
特に二幕の黒鳥・オディールの32回のターンは不可能に思えた。
見事に踊り終わったジークフリート王子役から「ゾクゾクするほど興奮したよ」と賛辞を送られる麻衣子。

 32回ターンの最中、観客から大歓声と「ブラヴォー」の歓声に混じって、和服を着たオカンがメガネを取り零れる涙を拭きながら「マイコ!」と叫んでいる。こちら映画を見ている方まで貰い泣きをしてしまう。

 バレエのトピックス以外でも興味があるのはノルウェーの暮し。生活費は日本の3倍だが福祉制度には驚く。出産費用は1銭もかからず生まれた長男アイリフは義務教育の間の学費はタダ。国立バレエ団員の麻衣子は国家公務員で41歳で定年退職し、年金が受給される。

 北欧的福祉制度はヨーロッパでも人気があり入団希望者も高いのもその一つだと言う。
全然期待しなかった映画だがドキュメンタリ監督のオセ・スパイハイム・ドリブネスの長期にわたる女性の視点から捉えたエトランジェ日本人のプリマドンナの観察は感動の記録となっている。

 今年の9月LAフィルム・フェスティバルでドキュメンタリ部門候補となっているがアメリカでの一般公開は無い。ヨーロッパと日本だけの上映となるがバレエの舞台とノルウェイのライフスタイル、そして大阪の母娘の漫才風掛け合いを楽しめる。

 2月20日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される。

「星ヶ丘ワンダーランド」(日本映画):20年前に失踪した母の残した赤い手袋。「取りに戻るからね」の言葉を信じて待ち続ける駅の遺失物係の温人。

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 週末の日本興行成績が出た。喜ばしいのはダニエル・クレイグが4度目となるジェームズ・ボンド・007シリーズ24弾「007 スペクター」が、591スクリーンで公開され、土日2日間で動員26万2663人、興収3億6222万1200円をあげ、初登場首位を獲得したことだ。

これで公開した国(日本が最後だが)のすべてで初登場首位という快挙を成し遂げた。
親会社ソニーが大赤字なので子会社SPEは孝行息子だ。

北米BO累積では184.7M,海外市場では607.5M、ワールドワイド総計では792M(966億円)と1000億円台に迫っている。未だクリスマスから正月にかけて稼げる。

NYの友人から「ジャパンソサイティ」で大林宣彦監督回顧展がありオープニング作品で「ハウス」を見た,と知らせてきた。監督本人も東京から駆けつけ上映後にトークショウがあったと言う。

 懐かしく思い出すのはCMディレクターとして大林宣彦に長い間AGFのコーヒー「マキシム」を撮って貰っていたことだ。
 カーク・ダグラスを主人公に映画の名場面(例えば「風とともに去りぬ」など)でコーヒーを飲むなどのシリーズが好評だったが1976年のある日突然CMは止めたと僕に申し入れて来た。
これからは念願の映画「ハウス」を撮ると。

 CMディレクターのギャラはその当時業界一で映画制作費は充分溜まったと自己資金で賄ったと見える。後任に推薦したのはLAで映画評論をしていた原田眞人だった。
原田はアカデミー賞を取ったヴィルモス・ジグモンドを僕を通して採用し、大林に負けないCMに仕上げてくれた。

イギリスのトニーとリドリー・スコット兄弟もマドンナと結婚したガイ・リッチーもCM作家だった。
つまり優秀なCM作家は優れた映画監督になっていると言うことだ。

 そしてこの映画の脚本と監督を務める33歳と若い柳沢翔にも当てはまる。
Google NEXUS7シリーズ「コカコーラ」などのCMやMVなどで、業界の注目を集めているCMディレクター・柳沢翔の長編劇場映画の監督デビューとなる。

 小さな星ガ丘駅の落とし物預り所で働く瀬生温人(中村倫也)は、幼い頃に母に捨てられた過去を持っていた。雪に覆われた田舎道を父、瀬生藤二(松重豊)が運転する車に母、爽子(木村佳乃)の両親に幼い哲人と温人の4人で乗っていた。

 突如始まる夫婦喧嘩、いつも馴れっこの子供たちは平気だが母は突然車を止めさせ降りてしまう。母を好きな温人は必死に追いかける。母の手袋が雪道に落ちている。振り向いた母が「温人、それを預かっていて。10年経ったら取りに戻るから」
淋しそうな和服の背中を見せながら小さく消えて行く母、それが生きた母を見た最後だった。

 そして20年後、遺失物係りの駅員・温人は持ち込まれる落とし物の持ち主の顔を想像し、名札の裏に似顔絵を描く。現れる持ち主の顔は似顔絵に良く似ている。
落とし物として行き場を失い、ここにやってきたモノたちは、なぜここに来たのか、どんな人に愛されてきたのか、そんなことをいつも想像する。

 そんな温人の元に母が自殺したという一報が届いた。駅の裏にある遊園地「星ヶ丘ワンダーランド」の大観覧車から墜落死したのだ。ハンドバッグには300万円の大金が入っていた。刑事(島田久作と杏)は自殺と決め付けて処理をしてしまう。

母の突然死の知らせにより、温人の人生が静かだが大きく動き始める。
母の再婚相手の連れ子、清川七海(佐々木希)に感情移入をする温人。七海の弟、雄哉(菅田将喗)が殴りかかるのが訳分からない。

 CMというのは不条理の世界を描くのが多い。何故こうなるのをムードで描く。ゴミの山にモーツアルトを聴かせる倉庫番,楠仁吾なんかその典型だ。

 兄、哲人(新井浩文)は温人と違い父が好き。
喧嘩で母が出て行った後「見せたかったな」と一言呟いたのを鮮明に覚えていた。

この映画を救うカタルシスはこの言葉。
父はワンダーランドの下請け業者、哲人もそれを引き継ぎ荒廃した遊園地のメインテナンスと言うか撤収作業を手伝っている。

 母が好きだった色、真っ赤に染まった大観覧車のイルミネーションが真っ暗闇の丘陵をバックにクライマックスを盛り立てる。

 あんなチッポケな駅に遺失物係り専門の駅員がいる訳は無い。
閑に任せて作ったジオラマは拾った場所を特定する。
事件のキーを握る腕白小学生など、不条理一杯だが、20年前母の残した落し物をシンボリックにミステリー要素を加味して映画を引っ張る柳沢翔のCMで体得したテクニックは見事だ。

3月9日より新宿バルト9他で公開される。

「TOO YOUNG TO DIE 若くして死ぬ」(日本映画):高校生大助は若くして死に、宮藤官九郎の描く「地獄」に落ちるがそこは鬼たちのロックに溢れている。

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一昨日(10日)銀座のカラオケボックスで老人たちばかりの忘年会があった。
映画は見ないが良く本を読んでいる。
誰の本が面白いかの議論になった。
11人の仲間で4人が佐伯泰英を挙げたのには驚いた。

佐伯泰英、1942年北九州市生まれの73歳。大ヒットしている「居眠り磐根 江戸双紙」シリーズが来年1月の50と51巻で完結すると言う。
2002年から始まり累計1900万部を超える。
素早く安価に新作を発表する「文庫書き下ろし時代小説」と言うジャンルをけん引してきた「職人作家」

優しき青年武士、坂崎磐音が色んな事件に直面し悪をバッタバッタのなぎ倒すB級エンターテインメント。
週刊誌の価格に少し足しただけの700円程度で読み切りの時代劇には傑作を望む人は居ない。通勤や昼休みの時間潰しに適当な娯楽であれば良い。

この「居眠り磐根 江戸双紙」の他にも時代劇ヒットシリーズが、長崎絵師通史辰次郎など新しいものもあるが、「鎌倉河岸捕物控え」はもう一つの柱だろう。
「後見の月」(角川春樹事務所:2014年4月刊)で24巻を数える。

時は寛政年間、ところは江戸・神田鎌倉河岸界隈。呉服屋松坂屋の手代政次、金座裏の御用聞き9代目・宗五郎親分の手先亮吉、船宿の船頭彦四郎らはむじな長屋で生まれ育った幼馴染であり、同じく幼馴染で酒問屋豊島屋の看板娘しほに想いを寄せる者同士でもある。職業も性格も違う3人だが、お互い張り合うことがありながらも、仲の良い若者たちである。
ある日、浪人であるしほの父が、御家人との揉め事で殺された。上手く立ち回った下手人がお構い無し(不起訴)となったことから、政次たちはしほの敵討ちを計画する。一方、母親の遺品から、しほが20年前に駆け落ちした川越藩藩士の娘であることが判明する。その直後から、しほの周囲を不審な男たちが出没し始めた。2人が駆け落ちした同じ日に、藩の城代家老と御用商人が謎の死を遂げていることが関わっていると考えた宗五郎は、しほの身を護るため、動き出す。

 佐伯泰英のシリーズで僕が好きなのは「密命」シリーズだ。佐伯ファンだと言う4人の老人たちも「密命」がベストだと言う。
池波正太郎の「剣客商売」シリーズのように主人公、総三郎は下級武士の出で直心影流の剣の達人。老いを感じる46歳(46歳位で老いを感じたら我々の立場が無い)。南町奉行・大岡越前の密偵役を永く務め辞退して半年。

 大岡越前の主導で「町火消し・いろは47組」の再編を計る時に5千石以上の大名たちの「火付盗賊改め」とが火事場で先陣争いで刃傷事件も起こる。
それと言うのも火付け強盗「火頭の歌右衛門」が大店を狙い住人を子どもに至るまで皆殺しにして現場に下手な戯れ歌を残して行く。

 総三郎の親友「芝鳶の辰吉」が襲われ火頭の歌右衛門が次々と犯行を重ねるに至ってはカムバックをせざるを得ない。歌右衛門と総三郎の知恵比べにも挑戦し再び得意の探索と秘儀の剣を振う。

 職人作家・佐伯泰英のもう一つの顔は「番人」。静岡県熱海市、相模湾を望む岩波書店創業者の別荘だった「惜櫟荘」。建築家吉田五十八の数寄屋造りの傑作に私財を投じて解体修復して「番人」を務めている。


 今日紹介する映画は、人気脚本家・宮藤官九郎の監督作。
平凡な男子高校生・大助(神木隆之介)は、同級生のひろ美(森川葵)ちゃんに片思いの真っ最中。
修学旅行バスでひろ美ちゃんの席に近いシートに座っている。
ひろ美ちゃんの気があるような思わせぶりにうっとりしているとバスがガードレールを突き破って崖下へ落下、最前列の大介は呆気なく死んでしまう。

タイトル通り「17歳で死ぬなんて若すぎる」

目覚めるとそこは、深紅の空の下で髑髏が転がり人々が責め苦を受ける、ホンモノの「地獄」だった。
戸惑う大助の前に、地獄専属ロックバンド「地獄図(ヘルズ)」のボーカル&ギターで、地獄農業高校の軽音楽部顧問をつとめる赤鬼・キラーK(長瀬智也)が出現。
キラーKの話では閻魔さま(古田新太)の裁き次第で現世によみがえる方法があることを知った大助は、大好きなクラスメイト・ひろ美ちゃんとキスするため、キラーKの厳しい指導のもと「生き返り」を賭けた地獄めぐりを開始する。

地獄の登場人物は物凄い隈取りのメイク。
えんま校長(閻魔大王)は全面赤塗りの上隈取りだから古田新太と気付かない。
毎週金曜に「裁き」を行うがいい加減で現世のトイレから飛び出す輪廻では、アザラシにされたり仔犬にされたり、なかなか人間にしてくれない。
でも7回チャンスがあると言うので大助は何度でもひろ美ちゃんとのキスを求めて大王の裁きを受ける。

地獄では僅かだが現世では時間が経つのは早く、高校生大助の垣間見るひろ美ちゃんは37歳47歳と年を取っている。宮澤りえが演じるから中年ながらなかなかの美人だ。

大助は地獄ではモテモテ。特にキラーKの「地獄図」と敵対するガールズバンド「デビルハラスメント」のボーカル&ギター、じゅんこ(皆川猿時)から「童貞」を狙われている。
「やだよ、あんなデブブスは!」と大助。この遣り取りが笑える。皆川の上手いこと。

楽器店ではギタリストの「名手」を売っている。
じゅんこはジミヘンを買ったがギターが弾けない。「ジミヘンは左利きじゃないか」と注意されて持ち直し凄い演奏を聞かせる。

宮藤官九郎の脚本・演出の下キラ星の如くオールスターキャストだが、主役・赤鬼・キラーKの長瀬智也が素晴らしい。TOKIOとジャンルの違う激しいロックも抜群だしKISSのような隈取りをした特殊メイクの衝撃的なビジュアルで歌い踊り走り廻る。

宮藤官九郎は05年に「真夜中の弥次さん喜多さん」で監督デビューし「少年メリケンサック」(09)「中学生円山」(13)に続いて4本目になるが、官九郎らしいユーモアやギャグや奇想天外なストーリーに満ち満ちていて一番面白い。脚本では更に奇抜なものもあるが脚本を書き監督をするのが「王道」。その意味で完璧なコメディに仕上げている。

2月6日より新宿ピカデリー他で公開される。

「スティーブ・ジョブズ」(STEVE JOBS)(アメリカ映画):シリコンバレーの天才でモンスターのスティーブ・ジョブズを3つの新製品発表会の舞台裏から描く

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 この映画の前の2013年に「スティーブ・ジョブズ」と同名の作品が公開されている。 2011年に逝去したアップル社の創業者、スティーブ・ジョブズの伝記ドラマと銘打ち、天才と称される一方で友人や家族に対して非情で冷酷な人間としてのジョブズが歩んだ、波瀾万丈な人生を辿っていく。
監督は脚本家のジョシュア・マイケル・スターン。主役は、『抱きたいカンケイ』などのアシュトン・カッチャーや『イノセント・ガーデン』などのダーモット・マローニーなど。
ジョブズの死後直ぐに制作に入ったキワモノ的だが忠実な伝記映画だったが、それだけだった。

死後4年経ってダニー・ボイルが撮るとこんなに違う角度からジョブズを捉えると言う見本みたいな作品だ。

原案はジョブズ、家族、関係者へのインタビュー等を基に執筆された唯一の記録本で、ジョブズ自身が伝記作家ウォルター・アイザックソンに頼み込んで完成した著作「スティーブ・ジョブズ」(講談社刊)。

僕も読んだが日本でも上下巻合わせ100万部を越えるベストセラーだ。しかし映画は原作では無く「原案」としているようにジョブズのスポットライトを浴びた3つの歴史的イベントの発表会に絞り、更に彼の完全主義、同僚や部下への中傷批判、家族特に娘リサとの関係の推移に焦点を当てている。
映画では、生涯の中でも最も波乱に満ちた時期の3大製品「Macintosh」、「NeXT Cube」「Macintosh」、「iMac」の発表会と直前の楽屋を描いている。

 1984年ジョブズ(マイケル・ファスビンダー)29歳の時の「Macintosh」はクパチーノの大学の講堂で開かれる。ロボットが「ハロー」と言わないことに怒り、「タイムス・マガジン」の「今年の顔」に洩れたことに苛立ち、共同創業者スティーブ・ウォズ・ウォズニック(セス・ローガン)が陽の目を見ないAPPLE競繊璽爐忙深を贈ることを拒否する。

 そんな折に元カノのクリスアン(キャサリン・ウォーターストーン)がジョブズの娘だと言う5歳のリサ(マッケンジー・モス)を連れて楽屋に入って来る。既にマスコミで派手に喧伝されているジョブズの娘だが認知しようとしない。

「全米の男性の28%はリサの父親の可能性がある」と雑誌に語っているジョブズに怒りを露わにするクリスアン「441M(540億円)の資産を持つ父親の娘リサの母が生活保護を受けているのはどう言うこと」
 突如舞台上で胸ポケットのある白いシャツを着るから揃えろと命じるジョブズのモンスター振りに観客は驚く。
マーケティング担当で長い付き合いのジョアンナ(ケイト・ウィンスレット)が間にはいって宥めすかして場を持たせる。

 ジョブズが創業したアップルを追われ作った1988年「NeXT Cube」の発表会はサンフランシスコのオペラハウスで開かれる。
ウォズは自分が総てプログラミングし作ったアップルを何もせずに傲慢なだけのジョブズに腹を立てる。「NeXT Cube」はパソコン史上最大の失敗作だと正直にコメントする。
実際6500ドルもするコンピュータはまるで売れず、日本のキャノンに売却される。

ここでも9歳になったリサ(リプリー・ソボ)と家を買って貰った母クリスアンの口論がある。
この二幕目ではペプシからアップル建て直しでCEOになったジョン・スカリー(ジェフ・ダニエル)が本番前に現れジョブズと論争する。
回想シーンでアップルの役員会が描かれる。

 そして一番華やかなサンフランシスコ・シンフォニー・ホールで開かれた1998年の「iMac」発表会。3年前にリサの持っているウォークマンを「弁当箱」と批判し1000曲以上も収納できる「iPod」で世界を驚かせている。2年前に「砂糖水売屋」と貶したスカリーを解雇し完全に自分の会社アップルだ。
グレイの短髪にイッセイ・ミヤケの特製黒のタートルネックのスゥエーターと小さい縁なし眼鏡、ジョブズの永遠のイメージがこの時の舞台の容姿だ。

 ジョブズの「右腕」ジョアンナが途轍もない売り上げ予測を宣言するが彼女自身は19歳のリサのハーバード大学の学費を払わないと言うジョブズに不満w抱いている。
ポーランド移民のジョアンナとアラブの血を継ぐジョブズは恋人でも無いが何でも話し合える仕事仲間だ。

 しかしハッキリ言って難しい映画だ。ジョブズの早口の罵詈雑言や中傷の数々を中心にセリフの映画だ。日本字幕が追いきれていない。マイケル・ファスビンダーは確かに素晴らしい役者だが「イングロリアス・バスターズ」で知られるようになるがポピュラーでは無い。つまり客は呼べない。

 実はユニバーサルで映画化が決まるまではソニーピクチャーがレオナード・ディカプリオとクリスチャン・ベールで決定していた。
 突然の移籍でソニー首脳部は落胆したが今となっては後知恵だが幸せに思っている。と言うのはサンフランシスコやLA、NYなどでの限定上映では映画評も良く観客の出口調査もA-評価と高かった。
しかし拡大興行になってからが行けない。
 数週間経っても30Mを超えるのが精々。
制作費に30Mをかけたら120M(146億円)を挙げていなければダメだからだ。
トップチャートからは既に消え、せめて賞狙いが生きる道。
ゴールデングローブやオスカーの候補作が発表される迄持ちこたえて欲しいと言う関係者の願いも虚しい。

この映画は脚本家「マネーボール」や「ソーシアルネットワーク」のアーロン・ソーキンとダニー・ボイルの野心的伝記映画だ。例えばシリコンバレーの天才で奇人を3つの発表会で集約しようとする試み。セリフ中心にディベイトと非難中傷、親娘の歪んだ関係、そして凝ったことに1984年の舞台は16ミリカメラ、88年は35ミリ、98年はディジタルHDカメラで撮影している。

スタジオが「ジュラシック・パーク」や「ミニオンズ」で大儲けしているユニバーサルだから損失は屁でも無いが,夏の大作が総てコケたうえに北朝鮮から金正日をおちょくったとハッカー攻撃を受けている成績不振のソニー映画ではとても耐えきれなかっただろう。

大体が監督を務めるダニー・ボイルはボリウッド映画「スラムドッグ$ミリオネア」(08)で唯一ヒットをとばしたが「トレインスポッティング」や「サンシャイン2057」(07)「トランス」など死屍累々の作品ばかり。

主役のジョブス役には「イングロリアス・バスターズ」やアカデミー賞にノミネートされた「それでも夜は明ける」などのアイリッシュのマイケル・ファスベンダー。演技派俳優だが少しもジョブズに似てもいないし人気も無い。

前述したように大都市での限定公開の初週末の興行収入が520,942ドル(約6300万円)と一館当たりの今年最高を記録するなど、かなり上出来な滑り出しとなったが拡大興行になってから普通の映画ファンを取り込めなかった。アートハウス向き、オスカー狙いの作品になってしまった。これで賞が取れなければタダの粗大ゴミだ。

2月12日よりTOHOシネマズスカラ座他で公開される。

「蜃気楼の舟」(日本映画):ホームレスを保護し生活保護を申請させ保護費をピンハネする「囲いや」集団

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 ブラジル軍事政権下で拉致され行方不明になった娘を探すベルナルド・クジンスキーの「K.消えた娘を追って」(花伝社:2015年10月刊)はフィクションで書いているが事実に基ずく小説だ。
 1974年4月22日、突然姿を消した大学教授の娘、アナ・ローザ・クシンスキー・シルバ。
 Kと言うのは著者の父親であり失踪したKの娘は著者の妹にあたる。小説で語られている出来事は著者が年老いた父親と共に体験したことであり、父親が死んだ後は自分自身が継続した妹の捜索を土台に書かれたと言う。

アナとその夫ウィルソン・シルバは一緒に軍部に拉致され尋問されたあとリオ市郊外のペトロポリスいあった「死の家」で拷問され殺害されただろうと推測されるが、当局は二人を拉致したこと自体を否定しているので何処にも証拠は無い。

昨年は世界中から大群衆&観光客が集まるワールドカップサッカー(WCS)が、来年はオリンピックが開催されるブラジルで僅か30年前までは軍部の独裁政権下で人々が突然行方不明になり殺害される事件が続出する。
 1964年の軍事クーデターから1985年迄21年間続いた暗黒時代。カストロの1959年のキューバ革命が成功した中南米諸国が一斉に共産化することを怖れたアメリカはCIAを中心に軍部を後押し赤化防止のため共産主義を力づくで押し込める圧制をひく。
Kはポルトガル系ユダヤ人、第二次大戦前後にポルトガルで政治犯として拘束され3年後に出所したところでブラジルへ移住して来た。娘アナはサンパウロ大学の化学部教授、父親Kの知らない内に結婚し夫シルバと一緒に政治活動もしていたことを娘の行方を調べている内に知る。
 
1964年から始まった軍事政権は次々と軍政令を出して独裁制を強化し1968年の第五軍政令では大統領の権限を大幅に強化して表現の自由は極端に制限を受ける。この頃から合法的に政府を批判する方法は閉ざされ活動家は国外に亡命するか地下に潜って非合法活動をするしか道が無くなる。
 アナ夫妻が失踪しKと兄の筆者が捜索を始めるのが1974年そして翌年75年までの探索を事細かに日記風に収め、関係者の証言を残している。

 面白いのは当局やアナ周辺の友人知人たちで証言を取れなかった人々は架空の人物や名前を変えてKの想像で書いていることだ。
 こうなると完全に小説でKの実際の探索と証言を組み合わせて、如何に調査が時間とお金の浪費に終わったかを語っている。何しろ軍部に拉致され尋問、拷問の後「死の家」で殺害されていたと(証拠や証言は無いが)と推測されるからだ。

 1991年、サンパウロ市長の発案で軍政時代の行方不明者や死者など被害者の名前を通りにつける政策でアンの名前を冠した通りが市内にある。

 WCSやオリンピックで世界の脚光を浴び続々と人々が訪れるブラジルで僅か30年前まで恐怖の独裁政治が行われていたことを被害者の父親Kの視点で捉えたドキュメンタリ+フィクションのこの著作はなかなか興味深く読んだ。



NHKの「クローズアップ現代」で7年ほど前に「囲い屋」と言う詐欺集団があるのを知った。生活困窮者に対して救済するなどと称して、住居をあっせんする。あっせんした住居を元に、生活保護を申請させる。家賃、弁当代などの名目で、生活保護費の一部ないし全部を交付させるという手法で生活困窮者から搾取をしている。

NHKで取り上げられた埼玉県での事例は弱者やお年寄りを食い物にする若者集団だ。
生活保護を受給するには定まった住居が必要である為、まず、路上生活者らを見つけ「俺たちのここに入れば生活保護費を受けられる」という甘い言葉で誘い込み、宿泊所に入所させる。
次に、職員が入所者に同行し、生活保護の手続きをさせるが、若者集団側が受給者の預金通帳やキャッシュカードを押さえている為、受給者の銀行口座から、施設使用料(家賃)・食費・運営費・その他光熱費等の名目で自動的に送金される手続きが取られている。

こうした手続きは、通常、受給者本人しか出来ないはずだが、集団は、受給者名義の印鑑を作り、口座を開設、それらを使用している。その為、1か月13万円ほど支給される生活保護費が受給者本人に直接渡ることは無く、様々な名目の「経費」が差し引かれた末に手元に残るのは僅か3万円程である。
この映画の中では老人が「12万円貰っているのに1万円しか残らない」と嘆いているが実態はそれほど酷いのだろう。

住む環境も劣悪であり、1人にあてがわれるスペースは2帖ほど、ワンルームを薄いベニヤ板で仕切っただけの「部屋」で、プライバシーも無く、部屋同士の行き来や私語も禁止し外出しても門限を定めるといった「規則」も存在する。不満を口にする者に対しては、暴言も浴びせ、殴る蹴るなどの暴力行為で威圧していた。

この映画はそのような実態を抑え、ホームレスの老人たちに住居を与えて生活保護費を搾取する「囲い屋」の青年を描いた作品だ。

幼い頃に母を亡くし、父に捨てられたつらい過去を持つ男(小水たいが)。友人のミツオ(足立智充)たちに誘われて浮浪者を誘い込む「囲い屋」の仕事を始める。

東京で公園や駅で寝ている浮浪者を言葉巧みに郊外に連れ出す。
まるで豚小屋のような収容施設にすし詰めにされ、モノや家畜のように扱われる老人たち。それでも屋根があり体を横たえて雨露を凌げると不満を漏らすホームレスは少ない。

男は仲間と一緒に動きながら、汚く臭い劣悪な環境でモノのように扱われる老人たち(三谷昇など)に対して人間に対するような罪悪感を抱くこともなく、何も感じなく淡々と毎日を過ごしていた。

そんなある日、男はホームレスたちの中に、自分の父(田中泯)を発見する尾羽打ち枯らし浮浪者になった父。
思いがけない再会に初めてホームレスに感情を動かされた男は、何かに導かれるように父を連れて囲い屋を飛び出す。

この時から、彼の現実と離れてもうひとつ昔の父子の不思議な世界が交錯し始める。

父との再会により、初めて男の心は揺れ始める。その揺れは、彼の日常ともう一つの世界とが交わるきっかけとなる。導かれるように父を連れて囲い屋を出た男は、自身の欠落を問うために車を走らせる。2つの世界の間を揺れ動くドライブの中で、父と訪れた廃墟には母親の幻影が彷徨っていた。そして、現実と幻想の狭間を航海する一艘の舟が燃えている。

出演は浮浪者の父親に「たそがれ清兵衛」の田中泯、主人公の若者に「朱花の月」の小水たい。多くの出演者は田中泯を除いて名前の知らない俳優ばかり。

新橋高速道路の下のTCC試写室で上映前に32歳の若い竹馬監督が挨拶する。
ひきこもりの青年を描いたデビュー作「今、僕は」で高く評価された竹馬靖具が監督・脚本を手がけ、坂本龍一がテーマ曲を担当した。

 この映画で何を主張したいのか?シンボリックに現れる「蜃気楼の舟」とは何か?竹馬監督は言葉足らずで見ている僕らは歯がゆい。

1月31日より渋谷アップリンクにて公開される。
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