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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「ダークタワー」(The Dark Tower)(アメリカ映画): 11歳の少年、ジェイクは、毎夜「黒い巨大なタワー」と「拳銃使いの戦士」「魔術を操る黒衣の男」が現れる同じ夢にうなされていた。

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スティーヴン・キング原作の映画2本は、アメリカの夏シーズンの興行成績(BO)で最高と最低の役割を果たした。

最高は、9月8日からスタートした、New Lineの「It」(邦題「IT/イット:“それ”が見えたら終わり」が3917館で2週目国内累積は291M。海外市場では77か国で開け50M、累積は192.7M。12日間のワールドワイド総計は532M(600億円)になります。

レイバーデイ(9月の第一月曜)までの夏映画は低迷を脱しきれずないで終わり、昨年のサマーシーズンBOにくらべ14.6%のダウンの3.8B(4115億円)と言う悲惨な成績だった。
このレイバーデイ直後に公開された「It」はハリウッドをどん底から「救い」、
前年とくらべ年初頭からの総BOが6.5%下がっていたのを上方修正の5.5%ダウンまで持って来た。

それに比べると5週前の8月4日の夏の盛りに、同じスティーヴン・キング原作の
SPEの「The Dark Tower」は3451館で公開され19.5Mと低レベルながら、
連続トップを維持していた「Dunkirk」を破った。

しかし週末BOでトップとなった作品であるが、2月のスーパーボウル時の「Split」の14.4Mに次ぐ2番目に低い成績だ。

「The Dark Tower」(ザ・ダーク・タワー)シリーズは、キング自身ライフワークと称するファンタジーノベルで、既に8冊を発表している。そのダイジェスト版を原作として映画化。7冊分のダイジェストと言うところにこの映画の弱点があるがそれは後述する。

制作費は60M(68億円)と夏映画大作(Tentpole)の1/3ほどの低予算におさえているところを見てもスタジオはある程度見限った作品だろう。

実際プロの批評家からはサンザンな酷評をうけているし、
観客のRotten Tomatoも18%フレッシュネスと低評価。
つまりプロも観客も「詰らない」と言っているのだ。

その後の足跡を追うと、2週目は週末BOのトップはWBとNew Lineのシリーズ4作目のホラー映画「Annabelle: Creation」に簡単に首位の座を奪われて4位。

先週首位だった2週目のSony and MRCの「The Dark Tower」(日本公開未定)は3451館で上映され何と61%もダウンで7.9Mしかとれない。

3週目は9位に落ちて3143館で上映され4.3M。国内累積は41,6M
4週目はチャート12位にも入れない。

こんな興行成績ではソニーとしては広告やPRなどのマーケティング費もかさみ、」結局は赤字を覚悟せねばならないだろう。

未だ原作は8巻以降の発刊を続けているし、映画の結末を見ても少年と拳銃遣いの絆は固くシリーズ化も可能だが、映画は「儲かってナンボ」の世界、続編は難しいだろう。


ニューヨーク・ブルックリンに住む11歳の少年、ジェイク(トム・テイラー)は、毎夜「黒い巨大なタワー」と「拳銃使いの戦士」「魔術を操る黒衣の男」が現れる同じ夢にうなされていた。宇宙の中心には「巨大な黒い塔」(ダークタワー)があり闇の勢力から人々を守っている。

夢からさめたジェイクに、精神科医ホチキス(ホセ・ズニガ-)は「何を見たんだ?」と尋ねられ、
口にしたのは「ダークタワー」(黒い塔)を見たという。

「皮膚の継ぎ目が蠢く不気味な人々」、西部劇に出て来るような古びた皮のコートを着た黒人の拳銃遣い、魔術を駆使する黒衣の男、そして世界の終焉の闇と光。

ある朝、ジェイクは 母親ローラ(キャサリン・ウィニック)にクリニックへ行くと偽って逃げ込んだ廃屋にポ-タル(場所)を発見する。
「現実世界」と夢で見た「中間世界」と呼ばれる異界が時空を超えて繋がっているポ-タルですべては実在したのだと悟る。

そして行きついた荒れ地の「中間世界」に導かれたジェイクは、そこで最後のガンスリンガーのローランド・デスチェイン(イドリス・エルバ)に出会うこととなる。

彼は2つの世界のバランスを保つ塔「ダークタワー」の最後の守護者であり、ダークタワーの破壊を目論む黒衣の男・ウォルター(マシュー・マコノヒー)を倒すため旅を続けていたのだ。

そんなに腕の良い拳銃遣いなのに黒衣の男を見てもモタモタしていてじれったい。
彼は実父(デニス・ヘイスバード)を殺されており、リベンジに溢れて黒衣の男を殺す準備に
エクスカリバーから鋳造した拳銃の準備に時間をかけていたのだ。

「父親の顔を忘れてしまった男の手で発砲する」などと訳の分からない格言みたいなことを呟く。

黒衣の男はジェイクの嫌いな義理の父に「呼吸を止めろ!」と命令し窒息死をさせている。(そんなバカな)

一方、ジェイクこそがタワーに関わる 重要な存在だと気付いた黒衣の男がジェイクと拳銃遣いの2人の前に立ちはだかり、いよいよ「ブラックタワー」を巡る壮絶な戦いが始まる。

主人公の拳銃遣いには「マンデラ 自由への長い道」(13)「ノー・グッド・ディード」(14)などのイドリス・エルバ。僕は黒人のガンスリンガーと言うのは違和感を覚える。、

黒衣の男には「ダラス・バイヤーズクラブ」(13)「インターステラー」(14)、「フリー・ステイト・オブ・ジョーンズ」(16)などのオスカー俳優、マシュー・マコノヒー。彼の方が拳銃遣いに合っているのでは。

少年、ジェイク役の新人トム・テイラーが良い。母親や精神科のシュリンクや義父につつき廻される、ハンサムで繊細な超能力の少年を熱演する。

監督は大ヒットの「ドラゴンタトゥーの女」の脚本家でデンマークのニコライ・アーセル。これが監督デビュー作。
経験浅い作家に複雑なファンタジーを任せるのは無理かもしれない。
表面をなぞっただけの描写になってしまった。

1月27日より丸の内ピカデリー他全国公開される。

「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」(Gauguin Voyage de Tahiti)(フランス映画):天才画家ゴーギャンのエキゾチックな南の島タヒチでおくる愛と苦悩の芸術人生

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 僕はタヒチに苦い思い出がある。30年程前のことだ。
今の映画ではないが「フラットライナー」になったのだ。心肺停止で5分間、臨死を体験した。

パペーテから飛行機で1時間足らずで離島、ボラボラ島に着く。泳ぎはあまり得意ではないが、透明な海に「ファインディングニモ」のように熱帯魚が一杯泳いでいる。シュノーケルにゴーグルをつけてうっとりと海底を眺めている内にシュノーケルから水が入って来てアッと言う間に意識が遠のいた。

気が付くと空から救急車で運ばれる自分を眺めている。やがて小さな診療所に運び込まれた。胸に鈍痛。聞くと運が良かったのでしょう、僕が溺れた浜で同じように休暇で遊びに来ていたベルギーの心臓外科医が泳いでいたと言う。

引き上げられた僕の胸をドンドン叩いてマッサージをしてくれたと言う。医師は5分以内だから後遺症は無いと言い残してまた遊泳に出かけたと。

軍の双発機でただちにパペーテの病院へ送還され入院。全く回復し健常そのものだが日本へ帰るなら医師と看護師が付き添い酸素ボンベを携行しなければならないと。
幸いなことに1週間後に日本のマグロ漁船の船員が急病になり、パペ-テの病院に担ぎ込まれ、医師付き添いで帰国すると言う。それに便乗して10日に亘るタヒチ旅行は幕を閉じた。

「後期印象派」の映画が最近多い。19世紀後半、フランスの「サロン」に落ち続けた画家たち、例えばポール・セザンヌの「セザンヌと過ごした時間」はセザンヌが幼馴染の文豪エミール・ゾラとの40年にわたる友情を描いている。
モーリス・ピアラ監督は「ヴァン・ゴッホ~最期の70日~」を撮っているし、
現在公開中の「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」も最晩年にアメリカの友人の肖像画を延々と描き続けるエピソードは笑える。

彫刻家を本業とするオーギュスト・ロダンを除いて、セザンヌもゴッホもゴーギャンも生前は認められず貧乏の中で人生の幕を閉じている。

これらの映画の中で際立って優れていて観客を惹きつけるのはこれから紹介する「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」だ。

この時代の天才画家たちの中でも特異なゴーギャンはパリでの保守的な退屈な日常から抜け出し、エキゾチックな野生を切望し、モチーフにも異国情緒と神秘さを持ち込んだ。そればかりか、タヒチで永遠のミューズに出会いモデルとして妻として情熱を注ぎこむロマンが、ゴーギャンの波乱万丈に満ちた物語の横糸を織りなす。

ポール・ゴーギャンは1848年6月7日にパリで生まれ1903年5月8日にフランス領ポリネシア マルキーズ諸島で病没する。享年54歳だった。

そして何と言ってもゴーギャンを演じる、ヴァンサン・カッセルの熱演がなければ詰らない映画になっていただろう。

フランス、パリで株式仲買人として妻メット(ペルニール・ベルゲンドルフ)と5人の子どもたちに囲まれ裕福な暮らしをしていたゴーギャン(バンサン・カッセル)は、趣味で絵を描くようになった。

だが1882年、パリ株式市場が大暴落し、それまでの豊な生活は一変する。
それを契機に絵画を本業とすることを考えるようになったゴーギャンだが、絵は一枚も売れず生活は困窮。

 蓄えたお金でマルティニック諸島を訪れた彼は、南国のエキゾチックさにすっかり魅了されてしまう。

因習と保守的な環境を抜け出し一緒にタヒチに行こうと決心し最愛の妻メットと5人の子供たちも誘うが拒否されメットは実家のデンマークに戻ってしまう。

1891年、タヒチのパペーテに着いたゴーギャンの心は「野蛮人」を目指すが身体は都会人で糖尿病と栄養失調で倒れ、現地のフランス人医師、アンリ・ヴァラン(マリック・ジディ)の入院の勧めを断り、さらに島の奥地へ向かう。

 現地の若い女性、テフラ(プア・タウ・ヒクティニ)を村の長老から「妻にどうか」と紹介される。テフラが気にいったから良いが相手が白人だから、まるで犬か猫を上げると言うようなフランス植民地的な雰囲気だ。

テフラは献身的にかしずき、そしてゴーギャンの絵のミューズとなる。
「タヒチの女たち」や「アレアレ」などオルセー美術館所蔵の作品がエンドクレジットで紹介される。

ところがタヒチからパリへ送った絵は全く売れず、わずかな貯金が底をつくと再び極貧生活に陥る。港湾労働者で積荷の運搬などで糊口をしのぐも、生活も荒れテフラの愛情も離れていってしまう。

19世紀フランスを代表する画家ゴーギャンの知られざる創作の秘密やタヒチでの愛と苦悩の日々を描いた伝記ドラマ。
ゴーギャンは生涯、2度にわたりタヒチに滞在しているが、この映画はその1度目の1891年から93年までを描く。
文明を拒否して「野蛮人」になろうと友人たちに説くゴーギャン。芸術と生活、理想と現実を成り立たせるのが難しい。

主人公のゴーギャン役を演じるのは、「オーシャンズ」シリーズや「ブラック・スワン」、「パブリック・エナミー・ナンバー1」(Part1&2)フランス版「美女と野獣」などの51歳のフランス人ヴァンサン・カッセル。主人公に成りきっての熱演に映画は支えられている。他にアートフィルムの監督で何本かの作品を撮っているが商業的にはヒットしない。

監督・共同脚本:エドゥアルド・デルック。国立美術学校、エコール・デ・ボザールを卒業し、TV局で演出を経験し短編映画で数々の受賞を経て長編劇場映画監督となり、この映画は2作目。ヴァンサン・カッセルの熱演もあって上質な伝記映画に仕上げている。

1月27日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される。

「クイーン 旅立つわたしのハネムーン」(Queen)(インド映画):結婚式前日に婚約者から振られたラーニーはハネムーン用に買っておいたチケットでヨーロッパ一人旅に出かける

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インドと中国、この2大人口国は映画が好きだが根本的な差異がある。
中国14億5千万人、インド12億5千万人、人口世界1位と2位の国で娯楽が少ないせいか両国ともに映画が大好きな国民性がある。

ところが互いに相手国の映画を輸入していない。
中国はハリウッドを買収しそうな勢いでアメリカ進出をしているが、
インドは内面志向のドメスティック。
言語が多様化しているので、「ボリウッド」と言われるように世界一の800本以上の作品を撮っているのに自国内のみで公開している。
おまけにインド映画には厳然たる「あらすじも結末もわかっている」定番の物語のスタイル。

そして長い、3時間、4時間当たり前。おまけに唐突に集団でダンスを始める。
だから日本では今一つ、「マハラジャ」でインド映画が再認識され
「スラムドッグ&ミリオネア」で地歩を固めたと思ったが、
長すぎる上に途中で全員が歌い踊るヘンテコミュージカルのインド映画は基本的に違和感があって受け入れられてない

しかしアメリカでは2年前のの「Baahubali: The Beginning」(邦題「バーフバリ 伝説誕生」)とその続編で今年の「バーフバリ 王の凱旋」(Baahubali2: The Conclusion)シリーズや15年の「Bajirao Mastani」(日本未公開)などがヒットして、インド映画への関心は高まっている。


日本では15年4月に公開されたが不調だったオリジナルの「Baahubali: The Beginning」(邦題「バーフバリ 伝説誕生」)の続編「バーフバリ 王の凱旋」は、新宿ピカデリーのような一流館で正月映画として勝負するから配給元「ツイン」は必死の覚悟だし、インド映画の将来を占う大事な興行だ。

ジャッキー・チェン主演の「カンフー・ヨガ」は、インドと中国にとって、初の映画での合弁事業となる。 現在の中国市場では、インド映画はほとんど上映されていない。
中国では今年1月28日の旧正月の書入れ時、インドでは共和国記念日の1週遅れの2月3日から公開が始まり、両国とも大ヒットとなっている。
全世界では既に280億円を突破していると言う。

日本では12月22日から始まるが、
正月興行に「バーフバリ 王の凱旋」「カンフー・ヨガ」そして「クイーン」の3本のインド映画のそろい踏みが見ものだ。


さてその「クイーン」だが、インド アカデミーの最優秀作品賞・最優秀監督賞ほかの輝かしい受賞歴だが、よく見るとインド国内の受賞で国際的な勲章は貰っていない。

しかし制作費僅か2億円にも拘わらずインドで大ヒット、この最初の2週間で10億円も稼いでいる。
アメリカでも限定公開したが50位以内にも入っていない。やはり内弁慶のインド映画だ。

男三人のバディムービー「きっと、うまくいく」や英会話を習って自己啓発する主婦の「マダム・イン・ニューヨーク」などはインド映画も変わりつつあると感じるが、しかし稚拙なストーリーの改良や保守的なインド社会を批判するに留まっている。

だから鳴り物入りで登場するこの映画に見る前から期待を抱く。
先ず良い点は2時間半を切る長さ(2時間26分)だ。


デリーの保守的な家庭に生まれ育ったラーニー(カンガナー・ラーナーウト)はどこに行くにも父親か弟の付添いで、1人で出歩いたこともなかった。因みにラーニーとは「Queen」を意味するのだと言う。

そんなラーニーは家族の知り合いの息子ヴィジャイ(ラージクマール・ラーオ)と婚約しており、結婚式の準備も万端整いつつあった。

結婚式の前日、突如訪ねて来たヴィジャイから結婚はできないと告げられる。
モゴモゴと結婚しない理由を説明するがラーニー同様、観客にも納得が行かない。

青天の霹靂、ラーニーは部屋に閉じこもり涙に明け暮れていたが、突如一大決心をする。
昔からの憧れであり、ハネムーン用に買っておいたチケットで一人旅に行くことを思い立つ。新婚旅行で行くはずだったヨーロッパ旅行に行こうというのだ。

目的地はパリとアムステルダム。
今まで何をするにも誰かと一緒だった箱入り娘な女の子ラーニーが、無謀にも一人で旅に出てしまう冒険譚。

パリで、婚約者と同じ名前のハーフの女性・ヴィジャイ(リサ・ヘイドン)に出会って、仲良くなり、デリーでは経験できなかった新しい世界に恐る恐る足を踏み入れる。

インド映画は主演の男は醜男だが女優は超美人と相場が決まっているがカンガナー・ラーナーウトなチャーミングだが美人じゃない。そこへ行くとパリで出会い仲良くなるヴィジャイ役のリサ・ヘイドンの方が遥かにキレイだ。
同年代で、同じインド人の血が流れてても、自分と全く違う人生を歩んでいるヴィジャイに、ラーニーは色々と驚かされ刺激されて心を開いて親友になる。ショッピングやドレスや食事を楽しみ盛り上がるガールズトーク。

婚約者ヴィジャイは結婚式直前にヒロインを振りながら、間違ってスマホに送られてきたラーニーのパリ・ファッションに包まれた写真を見て、ムラムラと恋心が復活し追っかけてアムステルダムやパリにやって来る。
そして「君を愛してる」と壊れたレコードみたいに繰り返す。ストーリーはもっとロジカルに組み立てて欲しいね。

一人では車が往来する歩道も渡れないほどの箱入り娘で世慣れていないラーニーにロシア人だの日本人だのイタリア人だの祖国を捨て流浪する連中のファンクラブが結成される彼女のボディガードを務める。
ロッククラブやポールダンシングクラブ、セックスショップ、売春宿など禁制な場所に興味を持つラーニーを警護する。無知で無邪気なラーニーはそんなものを見ても理解できないのだ。

ガードにアムスのホステルから付いて来た日本人がいる。
「タカ」と言う日本名だが、顔だけが長いチンチクリンな小人で、ジェフリー・ホーと言う中国人役者が演じている。
日本人への侮辱でこれには腹が立つ。
追い打ちをかけるのは日本人のミーハー観光団。
ラーニーがお腹が痛くなり下呂を吐くと一斉にフラッシュを焚く。

イタリア人のシェフ、マルチェロ(マルコ・マカデオ)はメキシコ人みたいな発音で英語を喋る。

1人だけギャングスタイルでカッコ良いのがロシアの学生、オレクサンダーでしつこくつき纏う元婚約を追い払ってくれる。

ビカ―ス・バール監督が描きたかったのは世界の人々との交流を通して箱入り娘が一人成長して行く過程(Coming of Age)を描きたかったのだろう。

若いバール監督はこれが2作目。
もっと仕切って欲しかったのは、ストーリーでフラッシュバックが多用され何度も同じシーンの繰り返し(Redundant)がある点、またかとウンザリする。

カメラマンは手持ち撮影に慣れてないのか、ブレはしょっちゅうだし、焦点の合わないボケもある。
無駄なボケシーンを削除し、リダンダントをカットしてエディティングし直せば30分は短くなるのではないだろう。

男尊女卑に挑戦するフェミニズム、カースト制の階級社会の打破、頑迷固陋な保守的高年齢者層との対立と閉塞したインドを抜け出しパリ・アムステルダムで羽根を伸ばしたい庶民の夢を叶えていればこそインドで大ヒットしたのだろう。
日本の観客は何を学べば良いのだろうか?

1月6日よりシネマート新宿にて公開される。

「ナチュラル・ウーマン」(A Fantastic Woman)(チリ・米・独・西映画):親子ほども年の離れた恋人同士。老齢のオルランドが急死し、パートナーの性転換したマリーナは試練の日々を迎える

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 前作「グロリアの青春」(13)でサンティアゴに住む、58歳のキャリアウーマン、グロリアが、孤独や更年期を乗り越え前向きに生きていく姿を描いている。
チリ人監督、セバスティアン・レリオは同じようなテーマで、自分らしさを守るため、差別や偏見に闘いを挑む20代後半の主人公を紹介する。

但し今回はトランスジェンダー(性転換)の女性を主人公にしているところに性差別や蔑視などの新たな要素を加え、周囲からの激しい攻撃のマイナスをプラスに転じる元気になる映画にしあげている。

 冒頭は荘厳で華麗なイグアナの瀧。僕もブラジル側から見たがナイアガラは日光の瀧などはチャチに見える程広大で熾烈な水の落下に驚く。
だが観光映画じゃない、何の意味があるか。

豪華なチャイニーズレストランで老齢の男が若い女性の誕生日を祝っている。バースデイプレゼントとして白い封筒が渡される。開けると「イグアナの瀧への休暇」とメモがあるだけ。
チケット2枚、何処かに忘れたか落としてしまったらしい。

繊維会社の社長を務めるオルランド(フランシスコ・レジェス)は57歳。妻も子供もいるが美しいトランスジェンダーのマリーナ(ダニエラ・ヴェガ)に夢中だ。

ウェイトレスをしながらナイトクラブのシンガーとして歌うマリーナは、父親ほど歳の離れた恋人オルランドと愛し合い一緒に暮していた。
アパートは彼の所有だが食費ガス電気総ての経費はマリーナが支払っている。

しかし、オルランドは自身の誕生日の夜、レストランで祝杯を挙げしこたま酔った。
2人のアパートのベッドでコトが終わった後、意識が薄れたまま階段から転落して亡くなってしまう。

動脈瘤で最愛のパートナーの死で一番悲しい筈のマリーナはオルランドの親族家族から
一斉に攻撃を受け思いがけないトラブルに巻き込まれる。
容赦ない差別や偏見を受ける。

救急車で担ぎ込んだ病院にはオルランドの掛かり付けの医師(アレハンドロ・ゴイック)が待ち受け手当をするが、マリーナを男だった時の旧姓で呼ぶ。
頭に切り傷があり体中に痣があることから病院は事件性ありと警察の性犯罪課の刑事(アンパロ・ノグエラ)を呼ぶ。レイプか売春の果ての事件だと捜査が始まりマリーナは屈辱的な身体検査を受けるが、
医師の動脈瘤の診断で手を引く。

もっと酷いのは駆けつけた家族。長男ブルーノ(ニコラス・サヴェドラ)は即刻車を返せ、父のアパートから出て行けと命じる。

別れた妻のソニア(アリン・クーベンハイム)は実業家だが冷たく僅かばかりの手切れ金を渡す。
早く縁を切りたいのだ。

唯一理解者だと言うオルランドの弟、ガボ(ルイス・ニエッコ)は小柄でデブで愛嬌のある顔を振りながらマリーナに慰めの言葉をかけてくれる。

そのガボでさえ、オルランドの骨灰は「分けてあげる」と。
マリーナは「それば葬儀に顔を出すなと言うことね!」

堂々とオルランドの葬儀に乗り込むことからマリーナの反逆は始まる。
「男女」「オカマ」「売春婦」と参列者から罵声が飛び、男3人に腕足を取られ教会の外へ放り出される。

「せめてディアブラ(シェパード)だけは返して!」と泣き叫ぶマリーナを教会の会衆は無視する。犬の争奪戦が最後の意地の砦だ。

性転換したマリーナで無くとも家庭を捨て若い女性とくらしていた富裕な男性が死ねば財産を争って騒動になる。
ましてパートナーは女性ですらない、卑しむべき性転換者だ。
ドナルド・トランプ大統領も家族の味方だろう。

四面楚歌のマリーナは決意する。信念は曲げない、女性として生きていく権利を胸に前を向いて歩くこうと。

セバスティアン・レリオ監督は前作「グロリアの青春」(13)を凌ぐ、更に頑固で信念を曲げない女性主人公をヴィヴィッドに前向きに生きていく姿を描いている。

主人公のマリーナを演じるのは自身もトランスジェンダーの歌手であるダニエラ・ヴェガ。歌も上手いし何と言っても美人だ。性転換したと教えられなければ男性だったとは思えない。アレサ・フランクリンがエンディングで歌う「You Make Me Feel a Natural Woman」とセクシーな声で囁く。邦題が「ナチュラル・ウーマン」で自然だ。

この作品は第90回アカデミー賞の外国語映画賞チリ代表作に選出されたほか、「第67回ベルリン国際映画祭」では脚本賞を受賞している。

数あるLGBT映画の中でも傑出し見応えのある作品だ。

2月シネスィッチ銀座他で公開される。

「ルージュの手紙」(Sage Femme)(仏映画):30年振りに現れた父の愛人だったベアトリス、真面目に助産婦として働き続けたクレールは父がベアトリスの所為で自殺したので戸惑うばかり

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土曜(9日)の初日に銀座和光裏のシネスィッチ銀座の午後1時40分の回に駆けつけた。IT予約が無い小屋なので窓口に並ばなければならない。1時半でかなりの列が出来ていたがいつもの2階席は1/3程度しか埋まっていない。トイレが近いので右端の席をとる。

しかし久し振りのカトリーヌ・ドヌーブがデブになっているのに驚く。
クローズアップで顔だけになると昔取った杵柄、あの美しい女優の容貌が蘇る。
74歳、「シェルブールの雨傘」や「ロシュフォールの恋人」を演じた女優とは思えない。

主演のカトリーヌ・フロは61歳、地味でブスではないが目立たない。あの「大統領の料理人」や「女はみんな生きている」や「地上5センチの恋」などで注目を浴びるているが目立たない女優だ。

この対照的な2人のカトリーヌの演技でローキーの映画も持っている。

英語のタイトルは「Midwife」=助産婦、フランス語の原題が「Sage Femme」=賢い女性、そして邦題は真っ赤な口紅だけが押してある手紙(遺書)と、お国柄ですね。ほんのりとラストシーンを匂わす邦題はネタバレ気味だが一番適切で情緒がある。


パリ郊外。モント=ラ=ジョリーで助産婦として働くクレール(カトリーヌ・フロ)は、女手ひとつで大学生の息子(クエンティン・ドルメール)を育てあげてきたことを誇りに思っている。

長年続けてきた助産婦の仕事に明け暮れる毎日、映画の中でも可愛い赤ちゃんを取り上げる様子が暖かい笑みを誘う。
自分の生き方を振り返る時間もなく、疲れ果てていたある日、1本の電話が入る。

その相手は、30年前に突如姿を消した父親の愛人、ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)だった。
豹(レオパード)柄のスカーフを巻きケバいドレスにアクセサリーをジャラジャラさせるベアトリスに対し、クレールは焦げ茶色の衣装しか持ち合わせないし靴は実用一本やりのローヒール。
「父に会いたい」という突然のベアトリスの出現にクレールは戸惑う。クレールの父は、ベアトリスが突然姿を消した事が耐えられず、自殺していたのだ。

だからクレールは30年振りに会うベアトリスを許せずにいた。

これまでの人生で冒険をすることなく、ひたすら赤ん坊を取り上げ、他人のため堅実に働き続けてきたクレールと、酒やギャンブルそれに男が大好きで、将来の事は考えず自由気儘に生きてきたベアトリス。何故今頃父に会いたいなどと言い出すのかしら?

一旦会って話をしたが直ぐに消えたベアトリスは勝手に空き家に入り込んで寝泊りしていた。
お金も無くなり高級腕時計だと質屋に持って行くが一銭にもならないベアトリス。
放っておけないと持前の親切心からクレールは自分のアパートに住まわせ食事の世話をする。

身勝手なベアトリスにあきれつつも、クレールは全てを失って戻ってきた彼女の事を放っておけなかった。

やがてクレールは、ベアトリスの秘密を知る。
重篤な病に侵され手術を受けさせるが手遅れで余命は幾ばくも無かった。
秘密が明らかになるにつれ、2人の間の失われた年月が埋まってゆく。

いつしかベアトリスはクレールの堅実で真面目な生き方に影響され、人生の扉を少しずつ開き始める。

主演はカトリーヌ・フロが真面目な娘を、血の繋がらない母親をカトリーヌ・ドヌーヴが自由奔放で人生を謳歌する老婆を演じ、女同士ならではの軽妙なやりとりを披露する。この二人の芝居が絶妙で上手い。

シネスィッチ銀座にて公開中

「アウトサイダーズ」(Trespass Against Us)(英映画):イングランド北部を放浪し犯罪を重ねるアイルランドのならず者、カトラー家。長男チャド妻子とまともな生活を望んでいた

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アイルランドのギャング家族・カトラー一家。
家族はボロボロのトレイラーハウスに分乗して移動し、強盗を働いて逃走し、キャンプ地に駐車しながら暮らしている。

西部劇に出て来る幌馬車隊のように隊列を組み、アイルランドに隣接するイングランド北部を放浪しながら、犯罪を生業としている。

この映画は実話ではないが貧困で根っからの気の荒いアイリッシュが出稼ぎでイングランド北部を家宅侵入、窃盗、強盗などの事件は多く実在する。

父、コルビー(ブレンダン・グリーソン)は長男チャド(マイケル・ファスベンダー)と精薄の次男ゴードン(ショーン・ハリス)など家族を絶対的な力で支配する。
ゴードンは全裸でうろつき回り小動物を殺し、たき火が大好きな変わり者。

カトラー・ファミリーの長男で犯罪後の逃亡用ドライバーとし一味に加わってきたチャドは、泥棒稼業から足を洗い、妻と幼い2人の子どもとともに新天地での生活を考える。

だが、その望みは絶対的な力で家族を支配する父、コルビー(ブレンダン・グリーソン)によって阻まれてしまう。

ある夜、父に強制されて州総督の邸宅に強盗に入ったチャドは警察の追跡を猛スピードで振り切ることに成功する。

しかし、メディアでその事件は大きく報道され日頃から一家に目をつけていた警察は逮捕に向けて着々と準備を始める。

そしてその事件を境に父と息子の絆がリセットされる。

チャドは逮捕されるが父コルビーの枷から逃れることが出来たのだ。「肉を切らせて骨を断つ」


冒頭のカーチェイスは迫力がある。溺愛する6歳の息子、タイソンを後部座席に乗せて父コルビーの後をSUVで追っていると、突如パトカーとヘリコプターで追跡が始まる。道なき草原や農家の狭い納屋を抜け、森の中でヘリコプターをやり過ごす。

ドイツ生まれでアイルランド育ちのマイケル・ファスベンダーが主人公のチャドを演じる。
ファスビンダーはどんな役でもこなせる上手い役者で僕の好みだ。

今年40歳、2007年「300(スリーハンドレッド)」の筋骨隆々のスパルタ戦士役で映画デビュー。
2008年公開のハンガーストライキのIRAリーダー役の「ハンガー」で英国インディペンデント映画賞主演男優賞を受賞、
2011年「SHAME -シェイム-」で第68回ヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞した。
2013年の南部奴隷制度を描いた「それでも夜は明ける」のパラノイアの農園主を演じて第86回アカデミー賞助演男優賞にノミネート。
他に「エイリアン コヴェナント」や「X-MEN」シリーズや、マクベス、」スティブ・ジョブスなどどんなキャラでもこなせるファスビンダーはあちこちから引っ張りだで出演した映画は50本を超える。

今年春に日本で公開された「アサシン・クリード」はアサシン(暗殺者)として活躍した祖先の記憶を呼び覚まされた死刑囚の男が、歴史の裏に隠された多くの謎に挑むゲームの主人公だ。

父親、コルビーに「アサシン クリード」に続き2度目の父子役となったブレンダン・グリーソン。大柄で威圧的、反抗すれば殴る蹴るの暴行を加える。
腕力ではチャドもゴードンも束になってかかっても敵わない。

監督はこの作品が長編劇映画初監督となったアダム・スミスで演出も心もと無い。各地の放浪や喧嘩などを描くがインパクトも無ければ論理的な説明も無い。
唯一警官に追われ大木に登り、タイソンを呼び寄せ一緒に飛び降りるシーンは秀逸だ。
この印象的な親子のカットでスミス監督の不器用で下手な描写の総てを許しても良いと言う気持ちになる。

原題のTrespass Against Usは「私たちを侵害する」の意で、日本の配給会社は
邦題を「Outsiders」として「Outlaw」(無法者)と混同している。
「Outsiders」は外部の者と言う意味で、フランシス・コッポラの83年に公開された名作青春映画のタイトルだ。

2月10日よりシネマート新宿にて公開される。

「ローズの秘密の頁(ページ)」(The Secret Scripture)(アイルランド映画):精神病院に入れられた100歳の老婆の若い頃の奔放な生き様を、V・レッドグレイプとR・マーラが熱演

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オスカー監督のジム・シェリダン、オスカー女優のヴァネッサ・レッドグレイプ、話題のルーニー・マーラに原作がセバスチャン・バリーのブッカー賞最終候補のベストセラー小説と豪華布陣の作品で期待満々で見始めたが途中から失望する。

プロットがとっ散らかっている、一貫性が無い、ロジックが通らない、どうしてこうなるの?何故?の疑問だらけの作品で、最後の最後でどんでん返し的に取り繕って観客を落ち着かせる。

精神病院の院長で精神科医、ステファン・グリーン(エリック・バナ)が病院に収容されているローズ(レッドグレイプ)を健診し他の患者と一緒に新しい施設に移るよう説得する。
ローズは第二次大戦終了後に産んだばかりの自分の長男殺害の罪で収容されたのだ。
グリーン医師の問診に沿って映画は展開する。ナレーションは問診に答えるローズだ。

収容患者たちは病院の温泉スパのリソースを利用しリゾートホテルに建て直すからだ。地上げ再開発とどこの国でも見られる現象だ。

ローズを除いて患者たち7人(8人の筈だが1人は昨日死去)と親族は待遇も医療設備も素晴らしい新精神病院に移ることに大喜びだが、ローズだけは断固拒否。
「私の息子、マイケルが迎えに来るから」と。

100歳のローズの回顧が始まる。

1944年、第二次大戦も終わりに近づいてはいるもののヒトラーの最後の反撃でロンドンは連夜に渡り空爆されて両親を亡くした若い女子学生のローズ(ルーニー・マーラ)は故郷アイルランドへ疎開する。

舞台は故郷の田舎、カウンティ・スリゴ・ヴィレッジ。
 母の姉にあたる叔母アン(ポーリン・マクリーン)のカフェで女給を務めながら青春を送る。医学生だったローズが女給となる段差に驚くが、更に男たちに言い寄られても拒否しないローズは人気の的。「ヤリマン」的存在ではないか。

人付き合いの良い日雇い労働者のジャック(エイデン・ターナー)、愛想の良い旅人だったがやがて村の教会に赴任するゴーント神父(テオ・ジェームス)、空軍パイロットのマイケル・マクナルティ(ジャック・レイノール)、それにローズを待ち伏せしてマイケルと付き合いを警告する弁護士のテイラー(トム・ボーン)などなど。

特に神父ゴーントは一目でローズに惚れてしまい、ローズが相手をしないとストーカーとなりローズの身辺に付き纏っていた。
カトリック教徒が多いアイルランドで神父をおちょくる描写は如何なものか。

ジャックと神父はダンスパーティーの夜ローズを巡って大喧嘩。
それを聞いた叔母はローズを郊外の小屋へ閉じ込める。

ある日海岸で一人寛ぐローズを目がけて戦闘機スピットファイアが急降下し,それを何回も繰り返す。マイケルだ。
ビックリするのはその戦闘機が砂浜に激突し炎上する。ドイツ戦闘機メッサーシュミットのドッグファイトに敗れたのだ。ローズはコックピットからマイケルを引きずり出すと瞬時にスピットファイアは爆発。

マイケルを人は知られていない森の中の納屋にかくまい治療をする。看護の知識はあっても重篤な患者は病院へ連れて行くだろうが。
テイラーに扇動された村人たちはマイケルを探し出し殺そうとするのも不可解。IRAなどの政治問題がかかずらわっているのか説明不足。

戦闘機が墜落し地獄に落ちたとマイケルは意識を取り戻す。とローズが上に乗っている天国だった。二人は毎日毎晩が愛欲に耽溺する天国で過ごす。
だがストーカーの神父ゴーントはローズとマイケルの愛の巣も知っていた。

ローズがいつしか妊娠に気付いた時にはマイケルは軍隊に戻っている。
せり出し大きくなり目立つローズの下腹に「父親は誰だ?」の詮索が始まる。神父も噂の最右翼。

 ローズは堕胎を決意したのか深夜冷たい海に泳ぎ出て洞窟の中で陣痛が始まり、元気な赤ん坊の泣き声が聞こえる。石を振り上げ赤ん坊目がけて振り下ろすところで暗転。
観客はローズの殺人を目撃しないが認識する。

タイトルは「秘密の日記」とでも訳そうか、ローズの若き日のロマンスが事細かに聖書の余白に記されている。下の余白には楽譜が。ベートーベンの「月光」で映画のバックミュージックにピアノ曲が絶えず流れる。


原作者のセバスチャン・バリーは、英国とアイルランドの文学賞、コスタ賞を2009年に受賞し、ブッカー賞最終候補のベストセラー小説を映画化したもの。

監督は「イン・アメリカ/三つの小さな願いごと」や「父の祈りを」でオスカーを受賞しているアイルランド人のジム・シェリダン。

主演は77歳になるヴァネッサ・レッドグレイヴ。「ジュリア」でオスカー助演女優賞を授与されている。
実質的主演はルーニー・マーラ。
スタッフもキャストもアイルランドとイギリスで占められている中ただ一人、スェーデンの「ドラゴン・タトゥーの女」で世界の注目を集め「キャロル」で好演している。
この組み合わせは面白い。

時代をまたいだパラレルワールドのロマンス。
しかし最後のどんでん返しは安堵の息を漏らすが唐突過ぎる。

2月3日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される。

「The Beguiled 欲望のめざめ」(The Beguiled)(米映画): 南北戦争のさなか、足を負傷して動けない北軍兵士を南部の女子学園の女性たちは敵軍にも拘わら手術し治療し介護する。

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今年の第70回カンヌ国際映画祭でソフィア・コッポラは監督賞を受賞し、凱旋興行データ6月23日より限定公開のアメリカではで200K(240万円)をあげたが2週目の30日から674館に拡大公開され3.6Mで8位に食いこんだ。

 カンヌやヴェニス、ベルリンでパルム・ドールや銀獅子をとっても欧米はともかく北米やアジアでは商売に繋がらない。
上映館数も3週目の941が最大で成績は逆に2.1Mと減っている。
7月14日からの4週目では726館1.0M、累積9.4M(106億円)                   
を最後にチャートから消えた。

豪華キャストのギャラ、時代考証に基づく美術・衣装、宣伝PRなどのマーケtィング費用を考えるとかなり赤字を出して制作会社フォーカスにダメージを与えただろう。

しかしソフィア・コッポラ監督は知ったことではない。
カンヌ監督賞は大輪の勲章でルンルンだ。
2013年の「ブリングリング」以来4年振りの長編映画で自分の存在感を高めるだけで充分なのだ。。

1971年の ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演のサスペンス映画「The Beguiled」 (邦題:白い肌の異常な夜)のリメイク版になる。

原作はトーマス・カリナンの同名の小説。

南北戦争末期、負傷した北軍伍長が女子寄宿学園に収容され看護を受けるが、ハンサムな兵士に、先生を始め生徒たちの異常な女性陣の狂気を描いたサスペンス・スリラー。
イタリアで修業しマッチョな大スターとなって帰国し親友シーゲルと組めば男性の視点はと当然のことだったろう。

F・コッポラ監督は企画意図が違う。
カリナンの原作を精読し忠実に脚色している。

シーゲルものは男の視点と異なる女性の立場を軸に描いている、。

1864年バージニア州の静かな森の中。遠くで大砲が聞こえるが南北戦争も3年を経て終りに近づいていた。

森の中でキノコをとっていた12歳のエイミー(ウナ・オーレンス)は草むらの中に倒れているブルーの制服の敵北軍の兵士(Union Soldier)を見付ける。

足を負傷して動けないジョン・マクバニー(コリン・ファル)という北軍の伍長がマーサ・ファーンズワース女子学園の女性たちによって救出された。
彼女たちは敵兵なので気の乗らないままマクバニーを自分たちが住む女学園に搬送し、被弾し完全に意識を失っている彼に銃弾(8発)を手術で摘出し、手厚い看護を施した。キリスト教精神の人道主義的措置だ。

園長、マーサ(ニコール・キッドマン)、教師エドウィナ・ダブニー(キルスティン・ダンスト)、家に帰れない事情を抱えたエイミーやアリシア(エル・ファニング)ジェーン(アンガリー・ライス)エミリー(アディソン・リーケ)の5人の女生徒たち。

人里から遠く離れた森の中で、人との接触も無く長い間女たちだけで暮らしてきたため、女学生ばかりかや2人の先生たちも容姿端麗で紳士的な彼のとりこになりマクバニーに並々ならぬ関心を持った。

初めのうちはそんな状況を楽しんでいたマクバニーだったが、女たちが嫉妬や情欲に狂っていく中で、自らの身にも危険が及ぶ可能性を怖れるようになった。

ある日、マクバニーは女学園から逃げだそうとするが、マーサ園長に見つかって連れ戻されてしまう。
これを契機にマクバニー伍長は女たちの憎悪を一身に浴びることになってしまう。


ソフィア・コッポラ、46歳二児の母、巨匠フランシス・コッポラの娘、
女優業でスタートしたが下手くそで監督に転身、
99年の「ヴァージン・スーサイド」が注目を浴びる。5人姉妹の末娘の自殺願望を扱ったもので、キルスティン・ダンストが主演・

4年後に東京を舞台に、倦怠期のハリウッド・スターと、孤独な若いアメリカ人妻の淡い出会いと別れを描く「ロスト・イン・トランスレーション」がヒットを飛ばしソフィア・コッポラの監督の地位が確立した。
時代物や青春ものなどを器用にこなし、この6作品目でカンヌでお墨付きを貰った。

主演は「めぐりあう時間たち」「Lion」などのオスカー女優ニコール・キッドマン、50歳ながら見事な肉体美で」マクバニーとの荒々しいセックスシーンは魅せる。

注目は「ネオン・デーモン」などのアリシア役、エル・ファニング、殆ど無口だが女子学園の帰趨を決する重大な役割を果たす。

コッポラのデビュー作から付き合いのある「マリー・アントワネット」などのキルスティン・ダンスト。

そして黒一点の緑眼茶髪のヤンキー、「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」のコリン・ファレル。41歳のアイルランド人。確かに南軍兵士にはいない顔つきだ。

出演者は夫々素晴らしい演技で閉塞的で異常な女子寄宿舎の雰囲気を盛り上げている。


2月23日よりTOHOシネマズ 六本木ヒルズほかで公開される。

「リベンジgirl」(日本映画):振られた腹いせに衆議院議員に当選し女性初の「総理大臣」を目指す東大首席卒の美人、宝石美輝、24歳。

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先ずは映画公式サイトの能書きを見てみよう。

東大首席でミスキャンパス1位に選ばれるほどの美女ながら性格の悪い宝石美輝(桐谷美玲)。
しかし本人はそれに気付かず、イケメンで政治家一家の息子である斎藤裕雅(清原翔)と付き合うがゴミのように捨てられ失恋してしまう。

美輝はリベンジしようと衆議院議員選挙に出ることを決める。(神奈川19区だってさ。神奈川県は広いんだ)
それも女性初の総理大臣に就任するのが目標で
選挙活動を開始する。

宝石の選挙秘書になったのはベテランの門脇俊也(鈴木伸之)。
候補者のやらなければならない事、やっていけない事を細かく注意をする。
気位の高い嫌なヤツだ宝石は感じる。

原作は清智英と吉田恵梨香のこ同名のコミック。コミックだから目を瞑るが
映画の脚本を書いたかざきさとしと監督の三木康一郎には常識と言うものが無い。

先ず首相を目指すために衆議院議員選挙に出馬し当選しなければならない。
しかし被選挙資格は25歳以上。
宝石は東大を出てルイヴィトン(かよ)に、1年務めた24歳。(本人も映画の中でそう言っている)。
被選挙資格が無いので選挙に出られない。だから物語は始まらない

二番目に東大首席とは何事か?
それも経済学部。東大で文系トップは法学部へ行く。
点数が足りなくて経済へ行くのが多い。
経済学部は幾つかの学科に別れ、学部首席なんて有り得ない。

三番目に選挙運動期間中に候補者はマスメディアを含む一切の公式の媒体に登場できない。
ニュースショウで司会が流布されている宝石の噂やスキャンダルをインタビューすることはあり得ない。

四番目に(私見だが)桐谷美玲は決して美人では無い、
その上28歳のアラサーで芝居の下手なことこの上無い

五番目に最後一発逆転の立ち合い演説の中で自分は皆さまを騙してました、選挙はリベンジのため、と告白するのは良いが、
辞表を提出した秘書への愛をヌケヌケと告白するかよ。
まして衆人監視の中で抱擁に続いて熱い接吻などトンでも無い。
今や秘書と議員の恋はご法度。世間の目を考えろよ。

こんな欠点だらけ非常識な映画だがどういう訳か許してしまう。
何故なら凄く面白く笑えるからだ。

監督の三木康一郎はTVドラマとバラエティで育った人。映画はは「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」や「覆面ノイズ」など経験は少ない。
TV人間だけに軽く映画文法はすっ飛ばしてヴァラエティ感覚で撮る。それで面白いんだな。常識や習慣など無視してテーマにフォーカス。

主演の性格ブスの宝石美輝は「ヒロイン失格』の桐谷美玲
美輝を支える敏腕選挙参謀を門脇俊也を「東京喰種 トーキョーグール」の鈴木伸之。イケメンだね。
政治家一家の息子で女たらし斎藤裕雅を清原翔。初めて見る顔だがこれもイケメン。年齢は25歳以上あるようだ。

しかし笑ったなあ。

12月23日より新宿ピカデリー他で公開される。

「ウィスキーと2人の花嫁」(Whisky Galore!)(イギリス映画):ウィスキーが無ければ結婚式が出来ないと嘆く島民の目の前でアメリカに大量のウィスキーを運ぶ貨物線が座礁する。

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僕の友人たちの中で大酒飲みはアイルランド人(Irish)とスコットランド人(Scottish)だ。
ウィスキーの語源はラテン語のaqua vitae(アクア・ヴィテ、「命の水」の意)に由来する。
スコッチ・ウィスキーは whisky、アイリッシュ・ウィスキーは whiskey と表記される。どちらも本家本元は自国だと主張するが、製法はほぼ同じで違いは泥炭(ピート)による燻製を行うか否かだけだ・

 ナチス・ドイツによるロンドン空襲が激しさを増す第二次世界大戦中、人々にとって「命の水」であるウィスキーが枯渇してしまっていた。配給は完全にストップしてしまう。ウィスキーをこよなく愛するスコトランドのドティ島の住民には死活問題だ。
紅茶を幾ら美味しくいれても「命の水」の代替えにはならない。

島の顔役の1人、郵便局長のジョセフ・マクルーン(グレゴール・フィッシャー)はウィスキー欠乏で頭を抱えている。
結婚適齢期の仲良し美人姉妹2人の結婚披露パーティが開けないからだ。
姉のペギー(ナオミ・バトリック)にプロポーズするために戦場を離れたオッド軍曹(ショーン・ビガースタッフ)が島にやって来る。

一方妹のカトリ―ナ(エリー・ケンドリック)は気の弱い学校教師ジョージ・キャンベル(ケヴィン・ガスリー)と結婚の約束をしたばかり。

このまま結婚式を開きたいがウィスキーがなければ「結婚は無理!」と周りの人々から言われ泣きべその美人姉妹。

そんな折、イギリスのリバプールからアメリカに向けて航行していた「SSポリティシャン号」は、5万ケース(約26万本)のウィスキーを積んでスコットランドのエリスケイ島の北にある狭い海峡で濃霧のため座礁し、動けなくなってしまう。

1941年2月と言うからパール・ハーバー奇襲より10か月も前、アメリカは参戦していない。

当時、ドイツ軍のUボートが英国近海に出没しており、民間の貨物船までもが攻撃目標になっていた。
そのためSSポリティシャン号もUボートを避けるため、リバプールからアウター・ヘブリディーズ諸島へ北上し、夜の闇にまぎれてミンチ海峡から大西洋へと抜ける航路をとっていた。
だがその時期はアウター・ヘブリディーズ諸島特有の「冬の嵐の日」で、視界が悪く、浅瀬のエリスケイ海峡に入ってしまった。

大型船SSポリティシャン号は、岩礁に乗り上げてしまった。船は船底から浸水して傾き、船長と乗組員全員が島民によって無事救助された。
そのとき島民たちは船に大量のウィスキーが積まれていたことを知った。

 沈没寸前のSSポリティシャン号から島民たちは、船長と乗組員の救助の後、可能なかぎりのウィスキーを船から陸へ持ち出しそうとした。
その寸前のところで邪魔が入る。マカリスター牧師(ジェームス・っコスモ)が現れ「安息日(サバス)には働いてならない」と。

敬虔なクリスチャンの島民は牧師の言いつけを守るがその間にウィスキーが舟諸共沈んでしまうのではないかと気が気ではない。この宗教の規律に苛まれる飲兵衛たちのシーンは笑える。

島の民兵大尉ワゲット(エディ・イザード)は船の積み荷を監視するようオッド軍曹に命じるが軍曹はウィスキーが無ければ恋しいペギーと結婚できない。
だから大尉の命令に背く。
わざと島民の捕虜になる騒ぎを起こさせ、その間に島民たちは船の沈没までに出来るだけのウィスキーの回収を行う。

救出したウィスキーは洞窟に隠し、各自必要な本数だけを家へ持ち帰る。久しぶりの「命の水」に満足気な島民たちの描写が良い。

まさに「神様の贈り物」だった。

 しかし略奪されたウィスキーを押収しようと関税消費庁が島へやって来ることが分かった島民たちは、島の色々なところに慌ててウィスキーを隠した。隠し場所もベッドの下のような当たり前の所から溝や塀の中など様々な思いもつかないところ。

背景はスコットランドの海岸、断崖絶壁、丘陵地の森や草原など各地で撮影された映像は美しい。

原作は英国人作家コンプトン・マッケンジーが1947年に発表した小説「Whisky Galore」(意味:たっぷりのウィスキー)。
1949年に映画化され、ヒットした。リメイクをプロデューサーの熱意により10年の歳月をかけて製作された作品。

実話だけに、当時SSポリティシャン号に乗船していた士官候補生や座礁した船をいち早く発見した人物など、事件を直接知る人々への丁寧な取材や当時のウィスキー瓶まで見つけている。

監督はベルリン国際映画祭をはじめ世界の国際映画祭で多くの受賞歴を誇ギリーズ・マッキノン。

愛娘たちの結婚話に動揺する父ジョセフ役に、「ラブ・アクチュアリー」のグレゴール・フィッシャー。
結婚適齢期の仲良し姉妹の姉、ペギーは、「ランズエンド -闇の孤島-」などのナオミ・バトリック。
妹カトリーナ役に「17歳の肖像」などのエリー・ケンドリック。

島に訪れた大騒動に翻弄される姉の婚約者・オリバー・ウッド役に「ハリー・ポッター」シリーズなどのショーン・ビガースタッフ。
妹にプロポーズする内気な教師は「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」「ダンケルク」などのケヴィン・ガスリー。

ウィスキーを回収しようとする悪役、島民の敵ワゲット大尉を、「ワルキューレ」「オーシャンズ13」などに出演したコメディアンのエディ・イザードが威張り散らして務めるなど日本には馴染みの薄い脇役陣も充実している。

略奪されたウィスキーを押収しようと関税消費庁と洞窟から上手く運び出す島民。「猫と鼠」の追いかけっこも楽しい。

考えて見れば悪事を賛美するピカレスク映画だが、結婚するにはウィスキーが必要と言う変な論理に負けてしまう。

ウィスキーグラスを片手に一杯飲みながら見たい映画だ。

2月17日よりヒューマントラスト有楽町で公開される。

「ジュピターズ・ムーン」(Jupiter’s Moon)(ハンガリー・ドイツ映画):被弾し瀕死の重傷を負った避難民の少年が、重力に逆らい浮遊し、多数の銃弾を受けながら傷を自力で治癒できる超能力を持って

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 ハンガリー映画は余り日本では人気が無いが、実力はあり質の高い映画を送り出している。
今年のべルリン国際映画祭金熊賞をハンガリーの女性映画監督イルディコ・エンエディ監督のラブストーリー「オン・ボディー・アンド・ソウル(On Body and Soul)」が受賞したと言う。(僕は未だ見ていないが)

サボー・イシュトバーン監督の「メフィスト」(81)は、共産主義者でありながらナチスに利用される俳優の姿を描いて米アカデミー外国語映画賞を受賞。
・同監督の「太陽の雫」(99)は、祖父・父・子の三代にわたる家族の歴史を通して、ハプスブルグ帝国時代、ナチス・ドイツ占領時代、共産主義時代の近代史を描く。

 ぼくが一番好きなのはロルフ・シューベル監督の「暗い日曜日」(99)で第二次大戦前のブダペストでユダヤ人と恋人がレストランを開きピアニストを雇う。3人は三角関係になる。ピアニストが恋人に捧げた「暗い日曜日」が大ヒットになり聞いた人の自殺が多発する。そこへ絡んで来るのがナチの将校だ。ナチとユダヤ問題を含めた歴史感の上に復讐劇のサスペンスが主軸。

  42歳のコーネル・ムンドルッツォ監督は2014年の「ホワイト・ゴッド 少女とンの狂詩曲」で初めて日本に紹介された。雑種犬を殺す当局に反発する13歳の少女は野良犬を集めて氾乱を起こす。250匹の犬がブタペストの市内を駆け抜けるシーンに圧倒された。

 今日の映画、ムンドルッツォ監督「ジュピターズ・ムーン」は、ソフィアコッポラが監督賞を授与された今年の第70回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品されたSFドラマ。カスリもしなかったがコンペ作品として上映されたことに意義がある。

 父とともに祖国シリアを逃れハンガリーを目指す少年アリアン(ゾンボル・ヤェーゲル)は、混乱の中で父とはぐれ、国境を越えようとしたところを国境警備隊の男ラズロ(ギェルギ・ツセルハルミ)に銃で撃たれてしまう。
無腰の少年を背後から撃つ違法銃撃は、冷酷なラズロに心の負担となり後を引き摺る。

 逃げる少年を追うカメラワークが素晴らしい。必死で逃げる少年は市街地から森を抜け草原を駆ける撮影をパンをしなが空撮や地上走を含めてワンショットで収めるマルツェル・レーヴ撮影監督の技法に驚く。

 銃で撃たれ瀕死の重傷を負ったアリアンは、難民キャンプの医師シュテルン(メラーブ・ニニッゼ)のもとへ運び込まれる。

アルコール依存症で泥酔して寝ているところを急患と叩き起こされ脊椎注射で医療ミス。患者家族による訴訟で大きな病院を追われた医師・シュテルンは、難民キャンプで働きながら違法に難民を逃すことで賠償金を稼ぎ、遺族による訴訟取り下げを目論んでいた。
恋人で同僚の医師、ヴェラ(モーニカ・ハルシャイ)も同意しシュテルンに協力している。

シュテルンは被弾し瀕死の重傷を負った少年・アリアンが、重力に逆らい浮遊し、さらに多数の銃弾を受けながら傷を自力で治癒できる超能力を持っていることを知り驚愕する。
俄かに信じがたい超能力の少年を保護下におけば「金儲け」に使えると咄嗟に判断っしキャンプから連れ出す。

その頃、アリアンを違法銃撃した国境警備隊が口封じのためアリアンとシュテルンを追い始めるが、行く先々で起こる失踪やテロ、不可解な事件の現場に少年の痕跡が残されていることに気づく。

テーマは難民とハンガリー政府の受け入れ方に焦点が合わなければならないが
宙を舞う少年のパーフォーマンスに目が移る。

15年のアカデミー賞作品、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」ように空を飛び地上の悩みから抜けるのに似ている。

それにしても二番煎じでクリシェになるが、売り物の筈の延々とパトカーに追われるカーチェイスの迫力の無さ。殆ど無人のブタペストの街を例え逆走しても誰も驚かない。世界の(特にフランスとハリウッドの)カーチェイスに比べれば児戯に等しいお粗末さだ。

主人公のシュテルン医師役に「名もなきアフリカの地で」や「宇宙飛行士の医者」などのメラーブ・ニニッゼ。オーストリアに移住したロシア人で52歳。
強面の国境警備隊班長のラズロには「ジェラリ」など69の69歳ハンガリア人、ギェルギ・ツセルハルミら。

1月27日より新宿バルト9他で公開される

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」(Star Wars: The Last Jedi)(米エイg):新鋭R・ジョンソン監督の脚本もスター・ウォーズを生き返らせ全米映画興行史上2位、250億円の大当り

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日本でも超満員の日劇。M・ハミルの最後のジェダイも消え、レイア姫のC・フィッシャーも実生活で亡くなり献辞が捧げられている

打ち込みの15日に見たかったが日劇も品川も日本橋も近くの小屋は前に空席が見える程度の満員。
仕方なく翌16日の午後一番(12時55分)の日劇で見た。ほぼ満席で10席程度がスクリーン前に空いている。

最初の三部作に続く三部作の二作目と言う中途半端な位置だけにストーリー的にけじめがつかない点があるものの2時間32分の映画を見終わる。
シリーズで最長の映画だ。だが長さを感じない程楽しんでいる自分を発見する。

制作費300M(334億円)をかけているから、ジョンソン監督が本筋を外れ余談に入っても、金使いが荒いVFXで各シーン充実している。

楽しいのは、マーク・ハミル、キャリー・フィッシャー、アダム・ドライバー、デイジー・リドリー、ジョン・ボイエガ、オスカー・アイザックと言う懐かしい役者たちが戻って来たことだ。
R2-D2、C-3PO、チューバッカ、BB-8などおなじみのキャラクターはもちろん姿をみせるが、新たにベニチオ・デル・トロ演じるDJやそれに整備士のローズ・ティコ(ケリー・マリー・トラン)や
将校ローラ・ダーンら新顔も楽しませてくれる。
ただレイア姫のキャリー・フィッシャーは撮影後2016年12月27日に死去したC・フィッシャーにとっては本作が遺作となりエンドクレジットには献辞が捧げられている。
 
エピソード6『ジェダイの帰還』の30年後の世界を描いた「スター・ウォーズ;フォースの覚醒」の続編。

最後のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーを巡り、帝国軍の残党、ファースト・オーダーと、彼らに立ち向かうレジスタンスたちとの戦いが繰り広げられる。
サンダンス映画祭で上映された長編映画監督デビュー作「BRICK ブリック」(05)で注目を浴び、30年後に自分を殺しに来るSFスリラー「LOOPER ルーパー」がユーモアと独創性があるとの理由で抜擢されたライアン・ジョンソンが監督を務める。

監督と脚本を一人でこなしたのはジョージ・ルーカスのVIと,兇世韻覗藁者としての名誉的な意味合い換算すればジョンソンは周囲から認められその成果を出していると言える。44歳のジョンソンは最初のスター・ウォーズの時は僅か4歳の幼児だった。

伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)をついに探し出し、弟子入りを願いライトセーバーを差し出したレイ(デイジー・リドリー)は、諦観したフィロソフィーを聞き驚くべき真実を知ることになる。

ハン・ソロとレジスタンスを率いるレイア(キャリー・フィッシャー)の息子カイロ・レン(アダム・ドライバー)が、祖父、ダース・ベイダーを受け継ぎダークサイドに付く。
 
レイアやストームトルーパーの脱走兵フィン(ジョン・ボイエガ)、パイロットのポー(オスカー・アイザック)、ドロイドのBB-8らレジスタンスたちの新たなるミッションに加わる。

前回はフィンが活躍したがこの回では地味な存在。派手に動き降格までされるポーが目立つ。

『…フォースの覚醒』のその後を描いたシリーズ第8作。
シリーズを通じて描かれてきた家族の愛と喪失の物語に加え、語られることのなかった衝撃の真実が明かされる。
映画の冒頭15分間はレジスタンスに悪の組織「ファースト・オーダー」に基地を徹底的に襲撃され、逃走を余儀なくされるが、どれだけ逃げても追いつかれ、窮地に立たされる。
同じ頃、レイ(デイジー・リドリー)は島で孤独に暮らす最後のジェダイ、ルーク・スカイウォーカー(マーク・ハミル)を訪ね、弟子入りを願い出るが、ルークはそれをはねつける。

アメリカのスペースオペラである『スター・ウォーズ』シリーズにおける実写映画本編の第8作品目で、
レイを主人公とする続三部作の第2章『エピソード8』に当たる。

レイアオーガナ将軍率いるレジスタンスの基地にスノーク(アンディ・サルキス)率いる「ファースト・オーダー」が奇襲を行った。
レジスタンス軍ナンバー1のパイロットであるポー・ダメロン(オスカー・アイザック)がスターデストロイヤーのブラスターを破壊する命令を受けたが敵のTIE ファイターによりポーダメロンの乗っていたXwingが故障する。

レイアオーガナ将軍(キャリー・フィッシャー)の戻れという命令を聞かず壊れたXwingをBB-8が、修理をするが時間がかかる。そのせいで爆弾を投下するはずの船が攻撃を受け次々に撃墜され残り一機になりなんとか爆弾を投下し、その隙にレジスタンスは、ハイパースペースへ逃げる。
レイアオーガナ将軍に再会したポーは、レイアオーガナ将軍から命令を聞かなかったという理由によって中佐から降格される。

TOHOシネマズ日劇他全国公開中

「デトロイト」(Detroit)(アメリカ映画):1967年夏に起きたデトロイト暴動を描く実録サスペンス。人種差別主義の白人警官の黒人への苛め、拷問、虐殺と人間の極限の残虐さを浮き彫りにする

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後世に残し語り繋いで行くべき知的な大作だ。興行的には失敗作だが描かれている人間のサディスティックな残酷さ
表面を取り繕う卑劣さ人種の差別、そして凶悪な殺人に及ぶ冷酷さ。
キャスリン・ビグロー監督は素晴らしい作品に仕上げたがそれが興行的に成功しないもどかしさ。

アメリカでは7月28日から限定公開。
NY,LA,Detroitなど10都市20館で開けて365K(41万円)の成績.

キャスリン・ビグロー監督はメジャースタジオの仕事をしない。
好きな作品を撮りたいので自分のプロダクションAnnapurna Pictureで制作する。
この「Detroit」の制作費は40M(45億円)。

 翌週末8月3日からは20館の限定公開から3007館に拡大興行され、最低でも7-8M行くとの予測を裏切り僅か 3.0M(3億4千万円)。
それでもようやくチャート8位に食い込む。
観客の評価、Rotten Tomatoesも89%と悪く無いのだが。

 拡大興行2週目の8月10日からの興行は苦戦。
ハイレベルの争いで同じ3Mでも13位でチャートからも外れ、それから後は消え去った。
興行成績は10M(11.2億円)にも届かなかっただろう。
マーケティング費や興行の半分は配給会社に行くので丸々45億円はビグローの懐から消えた。

日本の配給会社、ファントム・フィルムが「オスカー最有力!」と絶叫して宣伝PRに努めているが
アメリカでのプアなパーフォーマンスを見ていると掛け声も空しい。
12月11日に発表されたゴールデングローブ賞の候補作品に「デトロイト」はどの部門にも皆無だ。

さて肝心の映画の内容、
1967年に起きたデトロイトの暴動を題材にした実録サスペンスについて説明する。。

今から丁度半世紀(50年)前の1967年7月23日、アフリカ系の退役軍人の功績を讃える式典がデトロイトで催された。

市民の注目がその式典に向いている隙を突いて、デトロイト市警察は違法酒場の摘発を行った。
酒場の経営者が逮捕されたとの一報を受けて、摘発現場にいた人々が警官隊に石を投げ始めた。
こうして始まった暴動はどんどん規模を拡大し、ついには食料品店の略奪や銃撃戦が発生するに至った。
世にいう「12番街暴動」の始まりであった。

暴動の根底に横たわる原因は積年の「人種対立」であった。
デトロイトは自動車産業の都市として栄え1960年までには人口は180万人を超えた。
ポーランドやハンガリー、チェコなどの東欧やイタリア、アイルランドからの白人移民と南部からの黒人が
自動車産業で共存共栄をして平和に暮らしていた。
住宅は白人は郊外に逃げ出しデトロイト都心には黒人の貧困層が居座った。
67年事件当時、警官の98%は白人で殆どがレイシストで黒人の不当逮捕や虐待が続いていた。

こんな状況下で起きた暴動は、デトロイト市当局と市警察では到底対処できない大規模暴動だったので、
ミシガン州知事のジョージ・ロムニーはミシガン州軍の現地派遣を決断した。

その翌日には、略奪犯の捜査が始まっていたが、暴動の混乱の中では思うように捜査ができるわけもなかった。

捜査に当たっていた若い刑事、フィリップ・クラウス(ウィル・ポールター)は規則に反して逃げる黒人男性を背面から銃撃し、男は死ぬ。

本来であれば、彼は直ちに現場から外されるはずだが、緊急事態であったこともあって、クラウスは引き続いて捜査に当たることになった。

諸悪の根源はこのフィリップ・クラウスで、モーテル拷問でも主役を果たしている。

実質的主演は、イギリス生まれのウィル・ポールター、24歳。
悪さなどしそうも無い少年の面影を残しているだけに勘違いさせる。
「メイズ・ランナー」(14)や「レヴェナント」(15)などに顔を出しているから見覚えがある。

一方、地元デトロイトの黒人によって結成されたR&Bバンド、「ザ・ドラマティックス」がツアーでデトロイトを訪れていた。
大手レコード会社と契約するために彼らはツアーバスで東奔西走していた。

市内音楽堂でのライブ・パフォーマンス直前に、警察が音楽堂のある通りを封鎖し、
バンドメンバーにもデトロイトから退去するように命じた。
不本意ではあったが、彼らは警察の命令に従うことにした。
彼らはバスでデトロイトを離れようとしたが、道中、暴徒化した市民にバスが襲撃されて、
メンバーは離れ離れになってしまった。

ボーカルのラリー・リード(アウジー・スミス)とその友人であるフレド・テンプル(ジェイコブ・ラティモア)はアルジェ・モーテルに一泊し、
取りあえず様子を見ることにした。

モーテルでオハイオの田舎から来たジュリー(ハンナ・マレイ)とカレン(ケイトリン・ディーヴァー)という2人の白人女性と知り合う。
4人で話していると、そこにカール・クーパー(ジェイソン・ミッシェル)とオーブリー・ポラード(ネイサン・デイビス)いう二人の男がやって来た。
クーパーとポラードはジュリーとカレンの友人なのだという。

5人は一部屋に集まり談笑をしている最中に、
何を思ったのか、クーパーは競技用のスターター・ピストルを使って悪ふざけを始めた。
暴動の最中にそんなことをするクーパーに愛想を尽かした彼女たちは、友人のベトナム戦争帰還兵、グリーン(アンソニー・マッキー)の部屋に向かった。
疲れ果てているラリーとフレドは自室に戻った。

なおも悪ふざけを続けていたクーパーは、警官隊がいる方向に向かって数発の空砲を撃ち込んだ。
クーパーは「ちょっと怖がらせてやろう」くらいの安易な気持ちで発砲したが、
警官隊はそれをスナイパーによる攻撃だと勘違いしてしまった。
アルジェ・モーテルにその狙撃手がいると確信したクラウスは、警官隊を引き連れてモーテルに乗り込んだ。

2日に亘る警官隊の宿泊客に行った過酷な自白強要の責苦拷問で
黒人3人が死亡し、白人3人と黒人6人が重傷を負った「アルジェ・モーテル事件」はこのように始まったのである。

この40分も続く過酷な拷問シーンをビグロー監督は微に入り細を穿ってリアルに再現する。
この映画のハイライトだ。
2人の白人少女が黒人たちに身を任せていたことも中年白人警官は我慢できない。
射殺した黒人にナイフを持たせて「正当防衛」にするなど、白人警官たちの卑劣な行為も観客を怒らせる。

半世紀経った現在の登場人物の後日談がある。
美声で「ザ・ドラマティックス」のリードヴォーカルのラリー・リードはメンバーの呼びかけにも応ぜずバンドに戻らず
郊外の小さな教会の聖歌隊で歌っている。

あの暴動を生き延びたラリーは人気のバンドで高給を貰うなどと言うのは彼の設計図には無い。
実写で聖歌隊の老いたラリーに涙する。

製作&監督はキャスリン・ビグロー。「ハート・ロッカー」で女性初のアカデミー賞監督賞を授与されている。
他ウサマ・ビン・ラディンを暗殺する米海兵隊特殊部隊シールズを描く「ゼロ・ダーク・サーティ」などの問題作やエピックを世に送り出しているが興行的に必ずしも成功していないのは残念だ。

1月26日よりTOHOシネマズシャンテ他で公開される

「目撃者 闇の中の瞳」(Who Killed Cock Robin)(台湾映画):中古で買った車が9年前に目撃した交通事故の車であったことから、主人公の新聞記者は思いがけない事態へ謎の深みへと陥いる。

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 15日から世界中で上映が開始された「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」はこの週末でグローバル総計は450M(508億円)に達し
映画興行史上第二位の記録を樹立した。

 日本でもダントツの首位、土日2日間で動員73万8千人、興収11億3千万円を記録、
木曜の前夜祭興行を含めた4日間の累計は動員106万人、興収16億2千万円で、
最終興収116.3億円を稼いだ2年前の「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」ほぼ同等の出だしだ。

洋画の沈滞ムードがこの1本で吹き飛んだ感じだがこの調子で年末まで頑張って興行成績を上げて欲しい。

東南アジアで日本帝国の植民地になっていた中国(満州)、朝鮮、台湾の3国の中で中国映画や韓国映画は日本人を悪人とし敵視し理不尽に日本バッシングをするが、
台湾映画だけは日本に優しい。

候孝賢のヴェネチアで金獅子賞を授与された「非情城市」(89)で描かれているように中国本土から毛沢東に追われて台湾に逃亡してきた蒋介石と国民党の圧制もあり

「犬(日本)は去ったが、豚(中国国民党)が来た」と揶揄されが、
日本を懐かしがった伝統は今も続く。
古い漢字を使い(例えば国は國、学は學など)、老人たちは創氏改名された日本名を愛し、
文部省唱歌を歌い、綺麗な日本語を話す(誰も「ラ抜き」言葉など使わない)

日本が絡んだ青春映画、「海角七号/君想う、国境の南」や「KANO」などが大ヒットを飛ばしているが、ハリウッドでも日本でも主流のクライムやホラー、サスペンス映画が少ない。

ようやくナイフの達人で殺し屋を生業としている台湾人のロン(チャン・チェン)を描く
「Mr.Long」(監督:日本人SABU)や、
今日紹介する33歳の新鋭監督、チェン・ウェイハオ(程偉豪)が登場してジャンル映画も台湾では人気が出て来た。

彼の「紅衣小女孩」(The Tag-Alone)はホラー映画の興行成績第一位となったが日本では未公開だ。
すでに続編の「紅衣小女孩 2」(The Tag-Along 2)が8月に台湾で公開され、1作目を超える大ヒットとなっている。
これも日本公開は未定だ。

だからこの「目撃者」がウェイハオ監督の日本お披露目作品になる。

2007年。新聞社で実習生として働くシャオチー(カイザー・チュアン)は、ある嵐の夜、台北郊外の新店の山道で。止まっている車に当て逃げ事故を目撃する。

被害者の車は無残に潰れ、運転席の男性は死亡、助手席の女性も瀕死の状態だった。
シャオチーはとっさに現場から逃走する車の写真を撮影し、大学院時代の恩師でもあり新聞社のチウ編集局長(クリストファー・リー)に見せるが、
ナンバープレートの数字が判読不可能であったため記事にはならず、また犯人が捕まることもなかった。

時は過ぎ、9年後。スクープを連発する敏腕記者となったシャオチーは、国会議員の不倫疑惑現場を目撃した帰り道、1ヶ月前に中古で買ったばかりの愛車をぶつけてしまう。

破損した車を馴染みの自動車修理工、ジーに見せると、その車は過去にも事故に遭っていて自分も巻き込まれていたと告白される。

さらに警察で車両番号を照会したところ、なんと以前の持ち主は9年前の当て逃げ事故の被害者だった。
時を同じくして、順風満帆だったシャオチーのキャリアに危機が訪れる。

シャオチーがその不倫疑惑を報じた国会議員カップルが実は夫婦であり、名誉毀損で新聞社を訴えると言い出したのだ。

解雇されたシャオチーは、先輩記者マギー(ティファニー・シュ)の協力を得て独自に9年前の事故の真相を調べ始める。

家族との縁も断ち切り世間から身を隠して暮らす被害者女性シュー・アイティン(アリス・クー)、
彼女につきまとう影、同じ日に起きていた富豪の娘の誘拐事件、
そして逃走車の実際の所有者として意外な人物が浮かび上がる。

当て逃げ犯は? マスコミ、警察、政治家、修理工、被害者、誰が一番罪が深いのだろうか?

中古で買った車が9年前に目撃した交通事故当事者の車であったことから、主人公シャオチーが思いがけない事態へそして深みへと陥っていく。

この手のサスペンス・スリラーに慣れていないナイーブな台湾の観客にとっては
驚天動地の展開だろうが、
ドンデンに次ぐドンデンは如何にもストーリーは人為的なものでご都合主義のプロットや、
疑惑を呼ぶための疑惑など稚拙な手法はクライムサスペンス慣れしている我々には見抜ける。

野心あふれる新聞記者の主人公役は若手実力派のカイザー・チュアン(莊凱)。
主人公を翻弄する魔性の上司、ファム・ファタールに、モデル出身で昨年の台北映画祭では「紅衣小女孩」を含む3作品で最優秀主演女優賞に輝いたシュー・ウェイニン(許瑋)。
事件の後家に引き籠りひっそり暮らすワケありの被害者女性シュー・アイティンにアリス・クー。

プリミティブで未熟なクライムサスペンスを高見の見物と言うのも悪くない。

1月13日より新宿シネマカリテにて公開される

「祈りの幕が下りる時」(日本映画):葛飾区小菅のアパートで滋賀県在住の40代女性の絞殺死体が発見される。同じころ河川敷でホームレス男性の焼死体も見つかる

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映画を見始めていきなり犯人が分かってしまう。
東野圭吾の原作を4年前に読んでいたことを忘れていたのだ。

フーダニットのミステリーなので興味半減だが、
その原作をどう料理しフィーチャーし?
阿部寛や松嶋菜々子などのスターがどう演じるか?
TBSの人気ディレクター,福澤克雄がTVドラマを離れ映画の文法に従いどう仕上げるか?に関心が移る。

東京都葛飾区小菅のアパートで女性の絞殺死体が発見される。
被害者は、ハウスクリーニングの会社で働く滋賀県在住の押谷道子
殺害現場となったアパートの住人・越川睦夫も行方不明になっていた。
松宮(溝端淳平)たち警視庁捜査一課の刑事たちが捜査にあたる。

押谷道子は何故見知らぬ越川睦夫の部屋で殺されていたのか?
2人の接点がまったく見つからず、捜査は難航する。
滋賀県在住の押谷が何故東京で殺されたのか。

やがて捜査線上に浮かびあがる女性演出家・浅居博美(松嶋菜々子)。
押谷道子は学生時代の同級生である浅居博美の演出する芝居を見るために
上京し明治座の博美演出の舞台をを見に来たことが分かるが、

浅居博美と越川睦夫の間にも接点がなく、捜査は進展しない。

松宮は近くで発見されたホームレスの焼死体の死因が焼死では無く絞殺と判明する
押谷と同じころ絞殺されている関連性を疑い、捜査を進める
遺品に日本橋にある橋の名前を月毎に書き込んだカレンダーに12の橋の名が書き込まれていることを発見する。

加賀恭一郎(阿部寛)は激しく動揺する。
それは失踪し孤独死した加賀の母、百合子(伊藤蘭)の謎に繋がっていた。

百合子は加賀の父親、隆正(山崎務)と幼い息子、恭一郎を捨て家出し、1人仙台でクラブで働いていたが、
客として来ていた原発プラントを巡り歩く作業員の男と親しくなり東北へ来ている時は同棲していたのだ。

東野圭吾はストーリーテラーだ。
観客の関心興味を惹きつけ物語は展開する。

軸となっているのは父と娘の愛、そして息子と母親への思い遣りだ。

バックグラウンドに、貧困、街金、暴力的取り立て、東北大震災、原発作業員の労働環境に対する問題など、
社会的政治的要素を織り込んで奥深い。

日本橋署への「新参者」シリーズはこれで終焉を迎える。
加賀恭一郎は警視庁本庁勤務の辞令を受け取る。

浅居博美は舞台演出家、脚本家。
芸名は「角倉博美」。
両親の離婚後、父が自殺したため養護施設に引き取られて育ち、20代の頃に女優として活躍する、

14歳の博美と20歳の博美を夫々、飯豊まりえと桜田ひよりが演じ分けるなど細かい。
30代頃から演出、脚本を手がけるようになり注目を集める。成長した博美を松嶋菜々子が熱演するがなかなかの熱演で阿部寛とがっちり四つに取り組んでいる。

博美の父親を小日向文世がいつものお人好し能天気のキャラを脱ぎ捨てて熱演する。

1月27日よりTOHOシネマズスカラ座 他で全国公開される。

「BPM」(120 battements par minute)(仏映画):HIV感染の若者たちの怒りと抗議、恋と葛藤、苛立ちと悩み、そして短い人生の輝きを描き今年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞

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 第70回 カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、
第90回アカデミー賞外国語映画部門フランス代表に選出されたロバン・カンピヨ監督の長編第3作。

原題は「1分間に120回叩く」
エイズ発症者やHIV感染者への差別や不当な扱いに抗議し、政府や製薬会社などへ変革に挑んだ実在の団体「ACT UP-Paris」の活動を
して、若者たちの恋と人生の輝きを描く。

「Act Up」とは
正式名称は「the AIDS Coalition to Unleash Power(=力を解き放つためのエイズ連合)」の略で
頭文字を並べたもの

「アクトアップ・ニューヨーク」が第一号で
1987年3月にNYで発足したエイズ・アクティビストの団体。
エイズ政策に感染者の声を反映させることに力を入れ、差別や不当な扱いに抗議して、政府、
製薬会社などに対しデモなどの直接行動に訴えることもしばしばある。
現在は全米各地やフランス、インド、ネパールなどにもアクトアップ支部が作られている。

10年ほどの前の作品だが、パリ20区の移民の子弟が多数を占める中学のクラスの1年を追ったドキュメンタリー風人間ドラマ、
ローラン・カンテ監督のThe Class(邦題「パリ20区、僕たちのクラス」)はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝いた。

The Classで共同脚本のロバン・カンピヨは04年に「奇跡の朝」で監督デビュー。2作目の「イースタン・ボーイズ」はベネチア国際映画祭でオリゾンティ賞を授与されている。
専門は脚本家のロバン・カンピヨが監督としては遅咲きの55歳だが、
この3番目の監督作品では監督・脚本を務める。
The Classのような実録再現ドラマで実話に基づいた迫力ある人間ドラマに仕上げている。

エイズ活動家団体ACT UPのメンバーだったロバン・カンピヨ自身の経験をもとに
HIV感染の若者たちの怒りと抗議、恋と葛藤、人生の輝きを描いて、
2017年・第70回カンヌ国際映画祭で栄誉あるグランプリを受賞した。

1990年代初頭のパリ。
エイズの治療はまだ発展途上で誤った知識や偏見が横行する中、
ACT UP Parisのメンバーたちはエイズ患者やHIV感染者への差別に対してさまざまな抗議活動を行っていた。
フランスのHIV患者はイギリスやイタリアの2倍も存在する。
それに対して政府も製薬会社も何の対策も手立ても持たないことにACT UP Parisは怒りを募らせている。

カメラは殆どACT UPにHIVポジティブでゲイの男性たちを追う。
HIV陰性でありながら活動に参加しはじめた物静かなナタン(アルノーヴァロワ)はショーンに惹かれ恋に落ちる。

抗議行動に積極的な彼らは自分たちの戦術を激論する。時間がかない、文字通り命は短い。
ディベイティングは夫々の立場で論理的に議論されるが苛立っているからどれも過激だ。
長くなるスピーチには「タイムアウト」カードが示され、拍手は時間をとるので「指を鳴らす」ように指示される。
成るほどいい考えだ。

映画の冒頭は衝撃的だ。
医療学会に殴り込みをかけ壇上の講師にザブッと真っ赤な血液(偽物だが)をぶっかけ、手錠で柱に繋いでしまう。
この作戦はある意味で失敗だった。

暴力的で協調性の無い無規律な団体だと世間に逆PRをすることになる。
この偽血液攻撃は今までの慣習に逆行し、ガラス器具や装飾品にダメージを与え内部からも批判があるものの
ようやく政府関係者や製薬会社の幹部を話し合いのテーブルにつけさせることになるから成功したのだ。

笑えるのはバスタブで偽血液のペンキのレシピを議論する。
もっと赤味を出すには何をどう加えるかを大の男たちの真剣な表情。

古い白黒イメージが挿入される。
現代のACTUPの抗議デモを1848年のフランス革命とパラレルで並べ、フランスの旧体制を
一新した市民デモに勝るとも劣らないことを示している

創立者の1人で行動派のメンバーである細身のショーン(ナウエル・ペレーズ・ピスカヤ-ド)は、
いつも後部に座り挑戦的でカリスマ的な発言をする。
新たにメンバーに加わったHIV陰性で温和なナタン(アーノード・ヴァロワ)はショーンに惹かれやがて恋人になる。

ACT UP執行部のチボー(アントワン・ライナルツ)やオーガナイザーのソフィ(アデル・エネル)に対して批判的な態度を取るように。
チボーもソフィもショーンと衝突するが結局は強硬派のショーンの意見に従うことになる。

抗議行動が成功を収め興奮した若者たちがメトロに乗って家路につく。
ショーンは余命幾ばくも無いこと、そしてそれが命の大切さを教えてくれると
興奮して喋る。
一瞬車窓から見える大都会パリの美しい風景とショーンのスピーチの
コントラストは峻烈だ。

そして、ショーンのエイズの症状は日に日に顕在化していく、
そんな彼を献身的に介護するナタン。

そしてある日病院のベッドで息を引き取るショーン。26歳だった。
ショーンの「遺灰」の取り扱いでショックなシーンが展開する。

主人公のショーンを「グランド・セントラル」のナウエル・ペレーズ・ビスカヤートが怒涛のように熱演し消える
オーガナイザーで温和なソフィを「ブルーム・オブ・イエスタディ」などの人気若手女優、アデル・エネル。
ショーンを慕うナタンをアーノード・ヴァロワ。暫く役者を休業していたが本作で復活した。

重いシリアスな映画だがこんな青春群像があるのかと考えさせられる作品だ。

3月24日よりヒューマントラストシネマ有楽町他で公開される。

「RAW少女のめざめ」(RAW)(仏・白映画):獣医科大学新入女子大生で16歳のべジタリアン、ジュスティーヌが学寮の新入生歓迎会で無理矢理「兎の腎臓」を食べさせられ、肉体も精神も大変革が起きる

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予備知識も無しに東宝東和の試写室に飛び込んだ。

16歳のべジタリアン、ジュスティーヌ(ギャランス・マリリエ)は、両親(ジョアンナ・プレイス&エラ・ルンプフ)や
姉と同じ獣医科大学に合格し、初めて親元を離れて、見知らぬ新しい環境である大学の寮で、生活する不安で落ち着かない。

両親に車でパリから田舎の獣医科大学寮まで送ってもらうが、
寮にいるはずの姉アレックスに電話をかけるもつながらない。
途方に暮れつつも、仕方なく一人で寮に向かいルームメイトと対面する。

女子新入生全員が入寮することは義務付けられている。
同居する相方は男。
「俺はゲイだから心配しないで良い」と殺し屋スタイルのイケメンアドリアン(ラバ・ナイト・ウフェラ)は請け合う。

初日、疲れ果てぐっすり寝ているところに上級生からストームをかけられ
「アニマルハウス」真っ青の新入生歓迎儀式を受ける。
廊下に整列して苛めや嫌がらせを受ける。
動物の血のバスに漬かったり真っ赤なペンキをぶっかけられたりするのは何とか耐えられるが
「兎の腎臓」を食べなければならない。

幼い頃より母親の躾で肉など口に入れたことのないベジタリアンのジュスティーヌは断固拒否するが、
1学年上の姉、アレックスが現れ無理矢理口に突っ込まれる。
「抵抗しても無駄よ。儀式の一環なのだから」そして学校生活に慣れて行くのよ、と説得され「兎の腎臓」を口に入れる。
直ぐに戻すがその夜から体中に発疹が出来、痒くてボリボリ掻くが医務室で軟膏を塗り絆創膏で
抑えただけの治療。

しかし腎臓がターニングポイント。
学業では優等生だが、原因不明の精神的、肉体的な変化についていけない。
ストレスも溜り最悪。

 学食で衝動的にハンバーグを万引きしようとしたジュスティーヌを見かけたアドリアンは
彼女を連れてバスで小旅行に出かけ夕食を共にする。

 すすめられて、生まれて初めて肉(ケバブ)を口にしたジュスティーヌは、
肉の美味しさに衝撃を受け、ガツガツとむしゃぶりつくばかりか、
夜中に無性に腹が減り生肉にかぶりつくなど、エスカレートする。
ジュスティーヌの体質は変わり自分の内に秘めた恐ろしい本性と秘密に気づく。

処女で清純な心も官能の炎に苛まれ、姉アレックスの手ほどきで男を受け入れ始め、
精神も肉体も大変革を遂げる。

大人になる「通過儀礼」で肉食大好き人間になったジュスティーヌが更なる高みの「カニバリスト」(食人)になる切っ掛けが怖ろしい。

姉アレックスが誤ってハサミでひとさし指を切断し失神してしまう。
姉妹の可愛がっているシェパード犬のクィックが姉の流した血を舐めようとするのを追い払い
救急病院に連絡して救急車を待つ間、指をジーっと眺めていたジュスティーヌは我慢できなくなる。。。

この映画のハイライトでぞっとする場面だ。
可哀相なのはクィック。指を食べた犯人にされ薬殺される。

人が人を喰うという人道にもとる、最も禁忌とされる「カニバリズム」をテーマとするカニバル映画は別に珍しくない。
日本では熊井啓監督の「ひかりごけ」(92)がある。
北海道知床半島の沖合で4人の漁師を乗せた船が悪天候に遭遇、そのまま消息を絶つが3ヵ月後、ただ一人、死んだ仲間の肉を食べた船長だけは生還する。(余談だが僕は高校時代に武田泰淳の芝居で演じたことがある)

肉食のヨーロッパでは、例えばイタリアのルッジェロ・デオダート監督のアマゾンの奥地で食べられてしまう夫婦の
「食人族」(81)はカニバリズム映画を初めて見てショックだったが、
その後「世界残酷物語」から「グリーン・インフェルノ」まで沢山のB級ホラー映画にカニバリズムは登場する。
そしてトビー・フーパー監督の「悪魔のいけにえ」と言う最高峰に行き着く。

この映画は昨年のカンヌ国際映画祭批評家週間で上映され、賞は取れなかったもののスタンディングオベーションの大喝采を浴びた。
本国フランスで大ヒット、アメリカやイギリスでもジャンル映画としてマニアの間で注目されている。

ベジタリアンの少女が偶然肉を食べたことで「カニバリスト」という隠された自分の本性に目覚める、
思春期の精神的肉体的な変容と成長がメインだが、姉アレックスの蛮行や大学で出会って以来25年間も愛し合う両親の「絆の秘密」をエンディングに披露する奇策に観客はノックアウトされる。

監督と脚本はこれが長編商業用作品監督デビューとなるフランス映画界の希望の星、34歳のジュリア・デュクルノー。
フランスの名門映画スクール「ラ・フェミス」出身のデュクルノーは、小顔で手足が長い長身の女優にしても良い美女。
今後の活躍が楽しみな才能溢れる女流映画作家だ。

主人公ジュスティーヌ役を、デュクルノー監督の短編映画にも出演した新人ギャランス・マリリエ。これが長編劇映画デビューとなる。
決して美人ではないが往年のフランソワーズ・アルヌールを思わせるキュートで愛くるしい容貌の持ち主。
演技に磨きがかければ女優不足のフランス映画界を背負って立つ存在になる。

2月2日よりTOHOシネマズ六本木他で全国公開される

「北の桜守」(日本映画):ソ連が侵攻した樺太から脱出した母子30年の血と汗の軌跡を描く、吉永小百合、120本目の記念作品

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東映の試写室へ向かう廊下から宣伝部が見える。
天井から大きなバナー「『北の桜守』30億円目標!」
バーは相当に高いが、今回は行けるだろう。

明治維新の北海道開拓移民団の辛苦を描く「北の零年」(05)は27.5億円、分校の女教師と教え子の「北のカナリアたち」(12)は14億円の成績だが
その2本に続く、「北の三部作」最終章となる。
三部作と言っても一貫したテーマがある訳でもなく、単に北海道が舞台で主人公を演じるのが吉永小百合と言うだけだ。

監督も行定勲、坂本順次、そして今回は滝田洋二郎と、撮影時にアベイラブルな人を選んでいる。
だから後付けで命名したシリーズの感が拭えないが、
ただオリジナル脚本を那須真知子が3作総て書いている。

ベテラン脚本家の那須は職人で与えられたテーマをミクロ的に器用にこなすが
大所高所の大局的フィロソフィーやマクロ的視野が無い。
三部作で北海道の抱えている根底の問題を歴史的に追い問題解決を計ると言うタイプの
脚本家ではない。シベリアへ送り込んだ日本人捕虜の過酷な強制労働や北方領土などに触れるが判断停止。
保健所との確執も近隣の商店主との軋轢も表面を撫でるだけ。
とてもじゃないが上質な脚本とは言えない。

製作総指揮を一人に固定し、しっかりスーパーバイズとマネージをしなければ
単なるご当地映画、観光案内に堕する。

戦中の1945年3月生まれだから72歳、女優・吉永小百合の120作目となる映画出演作だが、
吉永の全盛期、60年代で過半数の70本以上に主演している。
吉永小百合の名を不動のものとした「キューポラのある町」は62年、日本中を泣かせて大ヒットした「愛と死の記録」は66年。
60年代映画群の財産で残り人生に食いはぐれは無い。

吉永は決して演技派の女優ではない。所謂、大根役者だ。本が良く無ければ女優生命が危うくなる。
だがこの作品の吉永の芝居はシリーズ最高だった。
何かイタイタしいアルツハイマー老婆をリアルに地で演じられるのも晩年の「日の名残り」の70歳代最後の輝きだろう、


1945年春、樺太の西海岸・恵須取(えすとる)で暮らす江蓮一家。妻、てつ(吉永小百合)は、製材所を経営する夫、徳次郎(阿部寛)が息子が生まれたのを記念して
本土から持ち帰った桜の種が丹精の結果、見事成長し満開となった美しい桜の花を一家で愛でていた。

1945年8月9日、広島と長崎が原爆で完璧に破壊されポツダム宣言を受け入れる直前、
日ソ不可侵協定を一方的に破棄したソ連軍が侵攻してきたために
徳次郎は兵隊にとられ、てつは2人の息子と一緒に北海道へ渡るフェリーがソ連の攻撃で沈没する、
弟と母を助けようと長男政一郎は波にのまれて行方不明、このことはてつの罪悪感を焼き付け後々までもトラウマとなる。

辿り着いた網走の凍てつく寒さと飢えの中、てつと幼い次は必死に生き延びるのだった。
そんな時に知り合った闇屋の菅原信治(佐藤浩一)が親子に暖かい手を差し伸べる。菅原はてつに好意を抱くもてつは夫徳次郎が何れ帰って来ると信じている。

時は16年過ぎて1971年、アメリカに渡り苦労の末、成功を収めた次男・修二郎(堺雅人)は日本初のホットドッグ店の社長として帰国する。

LAで見染めた日系実業家、岡部大吉(中村雅俊)の娘、真理(篠原涼子)のお陰だ。この逆玉の展開も含めご都合主義のストーリー展開には付いて行けない。
修二郎は網走の母を引き取るが、クリシェの嫁姑の確執とかてつのツケ買いを万引きと騒ぎ立てる商店主など詰らないエピソードが続く。
吉永の「何がどうなっているの?」の表情がうまい。

ドラマのターニングポイントやハイライトを舞台の上でミュージカルにして見せるケラリーノ・サンドロヴィッチの手法がシンプルで楽しい。
貨車にぎゅう詰めの引揚者、ソ連の魚雷攻撃を受けて沈没するフェリーなどの実写は見たくない。
成程こういう省略法もあるのかと感心する。

監督は「おくりびと」などの滝田洋二郎だが、彼のテイストでないし吉永をどう立たせるかに腐心しているので
本来の実力は発揮できないでいる。
母と子の約30年にわたる軌跡を丁寧に描き出した。

修二郎がチェイン店100店舗達成記念パーティを祝っている時、2年間行方不明だった母、てつが桜の園で発見される。

その前のシーンが完全にボケて大切なカメラもマフラーも置き去りにして人里離れた森の道をシンシンと降る雪の中を歩く姿で終わっているから
エンディングの桜の下のてつの笑顔は信じられない。普通なら死んでしまっているだろう。これはユーレイか?

まあそんな細かいこと(細かく無い!)に目くじらたてないで
大女優、吉永小百合の120本記念作品を愛でようではないか。

3月10日より丸の内TOEI他で全国公開される。

「The Greatest Showmanグレイテスト・ショーマン」(The Greatest Showman)(アメリカ映画):19世紀半ばにサーカスで成功したPTバーナムの伝記映画

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19世紀に実在したサーカス興行師を描いたミュージカル。
19世紀に「地上最大のショウ」という名のサーカスを主宰した興行師P.T.バーナムが成功を得るまでを描いた映画です。
アメリカでは20日からスタートしクリスマス込みの5日間でヒットを狙ったがランキングは4位。

全米3006館で上映され8.6M(9.7億円)。週末3日間で6.2M。
出口調査CinemaScoreはA評価でみれば楽しい映画だが劇場へ足を運ばない。
ミュージカル展開で、「ラ・ラ・ランド」でアカデミー賞歌曲賞を受賞した、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールが音楽を担当。

リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスの前身を作ったP・T・バーナムの伝記映画。
貧乏のどん底から他の追随を許さない異色の出し物、変人奇人、小人、珍種の動物などで大金持ちになるサクセスストーリー。。
髭の生えた女性ソプラノ歌手なんて見たことある?

お堅いNYの紳士や淑女は眉を顰めるが好奇心に負けて連日満員の盛況。
実在のバーナムは動物を虐待し人種差別をし貧乏人を見下ろしと悪評を聞くが
映画は華麗なショウと音楽の世界。

バーナム役にヒュー・ジャックマン、ビジネスパートナーのフィリップ役にザック・エフロン、バーナムの妻チャリティ役にミシェル・ウィリアムズ、
さらにティーンからの絶大な人気を集める歌手&女優ゼンデイヤが出演。

この映画の60年前に「地上最大のショウ」(52)があった。
チャールトン・ヘストンとベティ・八トンの主演。1952年のアカデミー作品賞と脚本賞を受賞している。


「地上最大のショウ」とはこのサーカスの謳い文句で、もとはこのサーカスの前身の一つを作ったP・T・バーナムが宣伝コピーとして使い始めた。
映画の舞台はサーカス。そしてその中央リングで競いあう3人の男女が主人公である。空中ブランコ乗りのホリーと、ザ・グレート・セバスチャン、そしてショウの公演監督でもあるサーカス経営者のブラッド・ブレイデンである。彼らは恋のさや当てをする「三角関係」でもある。
3人の繰り広げるラブストーリーと並行し、ドキュメンタリータッチと言えるほど迫真のアクロバット演技のシーンが交錯する。

映画の終盤で、公演ツアーの移動をするサーカス団を載せた列車に予期せぬ事態が起きる。スピード感あふれる列車の走行シーンがドラマチックに加わる。
豪華な衣装でのサーカスシーンはきらびやかで、豪華絢爛主義といわれたデミル監督の意向が反映されている。
ストーリーに欠かせない脇役には、ドロシー・ラムーア、グロリア・グレアムが演じる芸人フィリスとエンジェル、決してメーキャップを落とさない道化師バタンズにはジェームス・スチュワート。
また、ボブ・ホープとビング・クロスビーがサーカスの観客として特別出演している。

さて今日の映画はバーナム役にヒュー・ジャックマン、ビジネスパートナーのフィリップ役にザック・エフロン、バーナムの妻チャリティ役にミシェル・ウィリアムズ、さらにティーンからの絶大な人気を集める歌手&女優ゼンデイヤが出演。

マイケル・グレイシーにとって初の映画監督作品
監督はトヨタのCMやブラック・アイド・ピーズのPVのヴィジュアルエフェクトを手がけてきたマイケル・グレイシー。初の映画監督作品だ。

『ラ・ラ・ランド』で第89回アカデミー賞歌曲賞を受賞した、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールが音楽を担当しているからどの曲も美しいメロディで覚えやすい。。

主役P・T・バーナムを演じるのは、ヒュー・ジャックマン。
ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」ではゴールデングローブ賞「主演男優賞」、ブロードウェイミュージカルではトニー賞「ミュージカル主演男優賞」を受賞している。
狼男の絶唱は素晴らしい迫力で響き渡る。

もう1人注目は、空中ブランコ乗りのアンを演じるフランス若手女優のゼンデイヤ。数カ月に及ぶ空中ブランコのトレーニングに挑んだ成果をが見られる
そのアンと恋仲となるフィリップ役は「ハイスクール・ミュージカル」で知られるザック・エフロン。イケメンで芝居は上手いがチビだね。

バーナムの南部の富裕層出身の妻の、チャリティ役ではミシェル・ウィリアムズが出演している。

2月16日よりTOHOシネマズみゆき座他で公開される

「長江愛の詩」(長江図)(中国映画):オンボロ船の船長チュンは悠久で壮大な長江を遡りながら、亡き父親の詩集「長江図」に導かれゆく先々でミステリアスな女性に出会う叙事詩的ドラマ

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長江の美しさ雄大さにとりつかれた映画作家は多い。
日本ではさだまさしが借金を背負って2時間を遥かに超えるドキュメンタリ映画「長江」を1981年に
岩波映画出身の神馬亥佐雄が「長江悠々」の記録映画を1989年に送り出している。

どちらも商業的には成功しなかったがさだの新宿高島屋のIMAXで上映された絵に圧倒されたのを覚えている。

しかし自分の生まれ故郷や体験を織り交じえて長江を撮り続けたジャ・ジャンクー監督の執念は凄い。
デビュー作の「プラットホーム」(01)や第63回ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞の「長江哀歌」(06)や「山河ノスタルジア」(16)など世界の注目を浴びているが、中国本土では上映が制限されている。


 今日紹介する映画もタイトルだけ見てジャ・ジャンク―監督作品かと思ったほどだ。
ヤン・チャオ監督はジャンク―より遥に若い43歳で河南省の生まれ。

 この映画のために05年から10年間、長江で水上生活をしながら脚本を書いたと言う。
チャオ監督も執念の作家だ。
その甲斐あって2016年のベルリン国際映画祭で銀熊賞の栄誉に浴している。

アジア最長の全長6300キロの長江は、悠久の歴史、文化、大自然を育み、流域に暮らす庶民に豊かな恵みをもたらしてきた。
息を呑む美しい長江をバックに、壮大で幻想的な叙事詩を奏でる。

しかし上述のジャ・ジャンクー監督の映画でも紹介されているように
2009年に幾つかの村落を河底に沈める世界最大の三峡ダムが完成するなど、
中国社会の急速な経済発展に伴い、長江も大きな変貌を遂げつつある。

時勢に併せヤン・チャオ監督は悠久の長江を背景にロマンティックなドラマを作り上げる。
2か月前に亡くなった父の後を継ぎ、小さな貨物船の船長となったガオ・チュン(チン・ハオ)は、
花火が上海の空に上がるある夜、双眼鏡ごしに、ある女性の姿を目にする。

その女性は生活に疲れた様子で、さほど若くもないが、なぜかガオは心のときめきを感じでいた。
やがて違法の仕事を請け負ったガオは上海から長江をさかのぼる旅へ出発する。
機関室で発見した「長江図」と題された手書きの詩集には父親が20年前に創作したいくつもの詩が記されており、

ガオは詩集に導かれるかのように、行く先々で出会うアン・ルー(シン・ジーレイ)というミステリアスな女性との恋に落ちていく。

彼女とガオの父親の間には、いかなる因果関係があるのか。
出会いと別れを繰り返すたびにみずみずしく若返っていくアン・ルーは、はたして何者なのか。
やがて三峡ダムを越え、長江の水源への航行を続けるガオが、その神秘的な旅の果てに何を思うだろう?

日本未公開だが、デビュー作「Passage」(04)でカンヌ映画祭カメラドールを受賞し、
これが長編2作目となる北京電影学院出身のヤン・チャオ監督が10年の製作期間を費やし、オリジナル脚本を書きあげ、極寒の長江を中心に60日間のオールロケを敢行して完成させた。

壮大で美しい情景を余すところなく名匠、撮影監督リー・ピンビンがカメラに収めた一大叙事詩。
違法の仕事を請け負って上海から長江を遡る旅に出発したガオは、「長江図」と題されたその詩集に導かれるようにして、アン・ルーというミステリアスな女性との恋に落ちていく。

ジャ・ジャンクー監督と異なり政治的な意図が無いから中国国内での公開は問題無い。。

ホウ・シャオシェン、ウォン・カーウァイといった台湾や中国の巨匠と組んで培った撮影監督リー・ピンビンの独特の感性が、遺憾なく発揮される。

ガオの旅を通して映し出される驚くべき絶景の数々。出航地の下流の商業都市である上海や南京、中流の三峡ダムを経て、雄大な山々がそびえる上流へと移り変わる旅の幻想的な景色は、それだけで見る者に豪華で壮大なスペクタクルを体感させる。

いつの間にか途中で出会うアン・ルーや声がそっくりな女性とのドラマは忘れてしまっている。叙事詩的なラブストーリーと言う惹句も消えてしまう。

2月17日よりシネマート新宿他で公開される。
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