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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「羊と鋼の森」(日本映画):ピアノの調律師を志し修行中の外村は根気よく、一歩一歩、「羊(羊毛でできたピアノハンマー)と鋼(弦)の森」を歩き続ける

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この作品、何処かで見たような気がしたが見ている内に思い出した。
オーストリア映画の「ピアノマニア」で10年ほど前のドキュメンタリだ。

フランスを代表するピアニスト、ピエール=ロラン・エマールと、調律を任されたシュテファン・クニュップファーとのやり取りを軸に、世界の名だたる演奏家が信頼を寄せるシュテファンの丹念な仕事ぶりを映し出す。

次々と高い要求をする完ぺき主義者のピアニストと、あらゆる手段を用いてその要求に応える調律師、究極の響きを求める「ピアノマニア」同士の妥協なき執念。

恐らく原作者の宮下奈都もこの映画を見て参考にしたに違いない。

ピアニスト、ピエール=ロラン・エマールが、バッハ晩年の未完の傑作「フーガの技法」を録音するに際し、演奏するピアノにスタインウェイ社の逸品「245番」を選ぶ。
スタインウェイ社の技術主任でドイツ人調律師のシュテファンは、バッハ時代の古楽器を研究し、
エマールからの細かい注文にも丹念にこたえながらピアノをたくみに調整していく。
究極の響きを求めるピアニストと調律師の共同作業を追う。

主人公は北海道育ちの外村直樹(山崎賢人)。
特に将来の夢もなく漫然と高校生活を過ごしていた外村の運命を変えたのは、先生に頼まれて体育館のグランドピアノまで案内した年配の男性の仕事ぶりだった。
転校して来た高校で外村はピアノの調律師・板鳥宗一郎(三浦友和)と出会うと言う幸運に恵まれたのだ。
板鳥が体育館に設置してあるグランドピアノの前に立つと、何やら生まれ故郷、北海道と同じ森の匂いがした。

調律師である板鳥の仕事を見学していると、外村は果てしない森に踏み込んだような不思議な感動を覚えた。
外村はそこで、ピアノの調律を行う板鳥に魅了され、「弟子にしてください」と申し出る。

板鳥は、弟子をとることは断ったが、調律師になるための方法を教える。
外村は専門学校に進み、2年後の卒業とともに板鳥の勤務する「江藤楽器」に就職する。
採用の際、板鳥の推薦があったことはいうまでもない。

外村はピアノを弾けなかったし、音楽の素養は全くない。

毎日、仕事の後には店のピアノで調律の練習をしているし、家に帰ってからはクラシックを聴きこんでいるが、板鳥のような美しい音をつくることなどできそうにもない。
板鳥「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつ、です」
お客さんのピアノを調律させてもらえるようになるのは、早くて半年後から。

外村は7年先輩調律師である柳伸二(鈴木亮平)について回り、見学をしながら仕事を覚えていく。
佐倉家の調律に同行し、外村は双子の女子高生、姉の和音(上白石萌音)と妹の由仁(上白石萌歌)に出会う。
外見はそっくりだが、和音のピアノは静謐であり、由仁のピアノは弾むような楽しさを表現していた。

柳は由仁にプロポーズする予定だったが、指輪を失くすエピソードが入るが面白いものではない。
劇中のピアノ曲を僕は余り知らないので、その意味でも楽しさを失う。

外村は、柳だけでなく、板鳥、秋野ら先輩の調律を目の当たりにし、次第に調律師としての修練を積んでいく。
しかし失敗の方が多く話としては盛り上がらない。

ようやく柳の結婚式で当初、家庭用のピアノのように調律を行い、会場の広さやテーブルセッティングなども考慮せずに行ってしまい、
和音のリハーサルの音を聴いて、急遽、板鳥のアドバイスを受けつつ外村は再調整する。

和音の美しい音色の演奏が行われる中、来賓で出席していた社長に「どうして板鳥君が、君みたいにまっとうで素直に生きてきた人を、推薦したのか、今ならよく分かる。外村君みたいな人が、根気よく、一歩一歩、『羊(羊毛でできたピアノハンマー)と鋼(弦)の森』を歩き続けるのかもしれない」と外村に語る。
これで初めてタイトルの意味が分かる。

第13回本屋大賞に輝いた宮下奈都の小説を実写映画化。

主人公・外村を「オレンジ」や「四月は君の嘘」「氷菓」などの23歳の山崎賢人、
外村の人生に大きく関わる調律師・板鳥を「Raylway」「64」「Desiny鎌倉物語」など演技派の三浦友和が演じる。

監督はデビュー作「orange-オレンジ-」(15)で山崎と組んだ橋本光二郎で、監督2作目になるが演出は不器用で未熟だ。
「高台家の人々」などの金子ありさが脚色。
しかしこの内容で2時間14分は長過ぎる。

6月8日よりTOHOシネマズ日比谷他全国公開される。

「沖縄スパイ戦史」(日本映画):75年前、10代の少年たちは自分たちの父母や兄弟姉妹、そして故郷を守るため「擁郷隊」に志願し少年ゲリラ兵としてアメリカ軍と戦った。

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今年、2月4日の名護市長選で、普天間基地の辺野古移設に反対してきた「オール沖縄」の稲嶺現市長が敗れた。
移設容認の渡件口具知武豊候補に約3500票の大差をつけられ落選したのだ。
これで11月の知事選も翁長現知事も落選が決まったようなものだ。
翁長知事はその上レベル2のガンを患い出馬しないことを表明している。

3年前の15年のことだが、元自民党県連代表の翁長知事は中国を訪れ河野洋平議員とともに李首相と会談している。
中国福建省と沖縄県との間の定期航空便開設など経済的な関係強化を図ることが目的だったが、李首相はアジアとの交流で栄えた琉球王国の歴史に触れている。
翁長知事は明が沖縄の宗主国だったことを容認している。
琉球王として中国共産党から柵幇して貰いたいのだろうか。

名護市長選挙は安倍首相の勝利でこれで潮目が変わり、11月の知事選も自民推薦候補が当選する見通しが立ち、難航していた米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設が解決することになる。
ようやく沖縄県民は基地を強固にし中国の侵入を食い止めようとする自覚を持ち始めたと思う。

沖縄の人たちは太平洋戦争末期に日本に捨てられた、見放されたという意識があると思う。
だからこそ、本土では大騒ぎするが沖縄諸島の間をゆうゆうと巡航する中国の漁船や軍艦の領海侵犯には理解を示す。

日本は信用ならないのだ。
岡本喜八の「激動の昭和史 沖縄決戦」(71)をみても小林桂樹扮する第32軍司令官牛島満中将なんてのは、戦況が不利になると、トット本土に帰ってしまう。
その結果民間人を含む24万人が死亡することになる。

日本や本土人(ヤマトンチュー)には恨みがある。
米軍が上陸して戦争が終わる45年6月23日までが「表の戦争」なら、それ以降北部ではゲリラ戦やスパイ
戦などの「裏の戦争」が続いた。

渋谷のショウゲイト試写室で上映前に共同監督の三上智恵とともに流球朝日放送に在籍していた大矢英代が挨拶する。

沖縄戦長編ドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」の撮影でまだ語れない戦争秘話の中に、次の戦争を止める特効薬となるべき大事な話がわんさか眠っていると。

登場する何人ものお年寄りは「元擁護隊」の少年兵たち。
自分たちの故郷、父母や兄弟姉妹を守るため志願した。

45年3月末、米軍は慶良間諸島を制圧4月1日に沖縄本島に上陸し、島は南北に分断される。
南部は激戦だったが少年兵たちの籠ったのは北部の山々。
例えば第二護郷隊 第二中隊 第二小隊リョーコー二等兵(瑞慶山良光)さん89歳の訥々と語る元少年ゲリラ兵の活躍だ。

瑞慶山良光は沖縄戦直前の1945年3月16歳で召集された。
たった二、三週間の訓練ののち恩納岳の陣地で
いきなり敵を迎え撃つことになる

4月1日
恩納岳から読谷村座喜味まで偵察に行き
アメリカの艦隊に包囲された海と続々と陸に上がってくる上陸艇を見て言葉を失った

3日後、谷茶の山中で黒人兵の集団と鉢合わせ
驚いて咄嗟に銃を水たまりに落としてしまい
そのままそこに潜って顔だけ水面に出し
自決用の手榴弾を口にくわえガチガチと震えていた。

後に「斬り込み隊」として敵陣に突入し、手榴弾の破片を頬に受けるが野戦病院ではロクな手当もして貰えずいまも皺くちゃの頬に手榴弾の傷は残っている。

瑞慶山良光ばかりでなく生き延びた護郷隊員たちは皆、インタビューの間に大声で「護郷隊の歌」を音痴で調子パズレながら歌ってくれる。

挿入されるアメリカのアーカイブからの古くぼやけたニュースリール。洞窟に隠れていた日本兵を火炎放射器であぶり出し、火だるまになって転がり出て来る映像は
過去にも観ている。

7月16日米軍の圧倒的物量作戦の前にすべてを失った「第二養郷隊」の岩波寿隊長は解散命令を出す。

「守備軍」であったはずの「軍隊は住民を守らなかった」ことを浮き彫りにする。

 日本軍による住民虐殺は当時、沖縄各地で頻発した。
渡嘉敷島や久米島では、無条件降伏を告げる「玉音放送」以後に起きている。
殺害の理由は「敵への内通」、つまりスパイ行為とされた。軍はその方針である「防諜」を一方的に拡大解釈し、「スパイ」にでっち上げた。

沖縄戦を戦った日本軍、第32軍は創設・配備された1944年春以降、飛行場建設を急ぎ、住民を大動員した。
このため住民から軍事機密が漏洩することを極度に警戒した。

司令官は着任時に「防諜に厳に注意すべし」と訓示し、米軍が沖縄本島に上陸した直後には「爾今軍人軍属とを問わず標準語以外の使用を禁ず。沖縄語を以て談話しある者は間諜とみなし処分す」と全軍に命令した。
酷い話でスパイは無論「いなかった」。

しかし、「スパイ」と難くせをつけられ、数多くの住民虐殺が行われたのが沖縄戦の実相だ。

75年前の擁護隊少年兵の意志を汲み平和日本を実現するためにも
米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設を迅速に軌道にのせ、
中国の脅威を日米安保の下に解決しなければならない。


7月28日よりポレポレ東中野にて公開される

「クレイジー・フォー・マウンテン」(Mountain)(オーストラリア映画):荘厳な山岳の絶景に融合するクラシックの室内管弦楽、ただただ見惚れるだけの珠玉のシネマエッセイ

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雲を突き抜ける真っ白な山脈が室内管弦楽団で荘厳な姿を現す。
所々にウィレアム・デフォーの魅了する深い声でナレーションが入る。
ストーリーは無い、エッセイのようなドキュメンタリ-「原題:山=Mountain」だ。
(邦題「クレイジー・フォー・マウンテン」は余計な思い入れを付け加えている)

爽快な気分で画面を楽しめる。
CGや特殊効果は一切無し。
ドローンやヘリコプターをふんだんに使用して天空からの撮影は「神」の視点で睥睨する気持ちよさ!

カメラマンはドイツ生まれのレナン・オズターク。
クライマーとして名を馳せているが、高所からの撮影のエキスパートだ。

単なる絶景を見せるだけではない。
山を舞台とした肝を冷やす驚きの「エクストリームスポーツ」に挑む登山家、アスリートを紹介してくれる。

ネパールのエベレスト、フランスのモンブラン、アメリカのデナリ、北インドのメルーに挑む登山家の姿や、ロッククライマーのアレックス・オノルドが垂直の岩壁をロープを付けずに登頂する場面、
アメリカ・グランドキャニオンでマウンテンバイクに乗りながらスカイダイビングをする様子、
F1レースよりも速い、時速360キロに達すると言われる「ウィングスーツ」で山頂から滑空するシーンは圧巻だ。

ウィングスーツ (Wingsuit) を初めて見たが、手と足の間に布を張った滑空用のジャンプスーツで、まるで「人間ムササビ」だ。ただ着地は衝撃が大きいからパラシュートを使う。

オーストラリアの女性のドキュメンタリ監督ジェニファー・ピードンの珠玉の作品だ。
08年の「Solo Lost at Sea 冒険家アンドリュー・マッコリ―の軌跡」で数々の賞を受け注目され、「Sherpa」(15)は記録映画としてオーストラリアの興行成績で史上3位の記録を作った。

音楽はオーストラリアの作曲家リチャード・トネッティが担当した。
劇中ではオーストラリア管弦楽団演奏のアントニオ・ヴィヴァルディの「四季」やルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」などの楽曲が荘厳な山脈の映像美の背景に流れる。

脚本を担当した作家ロバート・マクファーレンの著書「Mountains of the Mind」をもとに構成され、「人はなぜ山に登るのか」、そして「なぜ山を愛するのか」を探る。

プロの評論家のロットン・トマトではフレッシュネス92%と類を見ない高評価を得ている。

7月21日より新宿武蔵野館にて公開される。

「モリーズ・ゲーム」(Molly’s Game)(アメリカ映画):目の前の冬季オリンピックを逃した女子モーグル選手のモリーは、各界のセレブや富豪が集まる評判のカジノをLAに次いでNYで開く。

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昨日(19日)の午後3時過ぎのTOHOシネマズ日比谷スクリーン7は文字通り満席。芯が強く頭脳明晰な元女性アスリートのコンプレックスを扱う難しい映画なのに小屋が良いと客が集まる。

30年ほど昔のK・コスナー主演映画「フィールド・オブ・ドリームス」じゃないが、「それを作ればやって来る」と天の声を聞いた農夫がコーン畑を潰して野球場にしたら、シューレス・ジョーとホワイトソックスの選手たちが霊界から集まった、ようなものだ。
観客も老若男女と幅広く、TOHOシネマズ日比谷は大成功だ。

オリンピックを目指していた女子アスリートがセレブを集めて高額ポーカールームの経営者に転身し、手数料を取った賭博法違反でFBIに逮捕される。

実在の女性モリー・ブルームがアスリートを諦めた後の波乱万丈の8年間の回顧録「モリーズ・ゲーム」(Molly’s Game)を、「ア・フュー・グッドメン」や「ソーシャル・ネットワーク」などの脚本家のアーロン・ソーキンが脚色し演出して、監督デビューを果たしたスリリングな人間ドラマ。

複雑なストーリーを殆どナレーションでカバーする。最近これほど多弁な映画は無い。
本職は脚本家のソーキンが解り易い言葉でキチンとコメントするのだが、語り手は勿論主人公モリ―。落ち着いた声で明瞭な滑舌のスピーディに語るジェシカ・チャステインのナレーションはそのまま耳に入って来る。
「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」や「ゼロ・ダーク・サーティ」などの演技派ジェシカ・チャステインはもう41歳になる。クローズアップされた時の肌の荒れが気になる。

2002年、冬季オリンピック予選の最終戦。女子モーグル北米3位のモリー・ブルーム(ジェシカ・チャステイン)は、上位の2人が転倒し、ソルトレイクシティ五輪出場を目前にしていた。

コロラド州立大学の心理学教授の厳格な父親、ラリー・ブルーム(ケヴィン・コスナー)のもと、幼い頃からひたすら練習を重ね、12歳の時の背骨の大手術からも復活したモリーだったが、そのその最終予選で松の小枝にひっかかりバインダーが外れて転倒、頸椎に損傷を負って、彼女のアスリート人生は終りを迎えるのだった。

その後、ケガから回復したモリーは、ハーバード大学のロースクールに一発で合格していたがLAで1年間の休暇を取っていた。

LAでのバイト先のボスからポーカー・ゲームのアシスタントを頼まれる。
そこは、ハリウッドスターのプレイヤーX(マイケル・セラ)、映画監督、ラッパー、ボクサーなど大金持ちの有名人ばかりが集まる場所であった。
セラの他に、ジェレミー・ストロングやブライアン・ダーシー・ジエイムス、クリス・オドゥドなどが顔を揃える。
ゲームの参加費は1万ドル(110万円)。
一夜で100万ドル(1.1億円)単位の金が動くスリリングな世界で、上流の富豪たちとの交流に生き甲斐を見つけるモリーだったが、数年後、突然クビを言い渡されてしまう。

モリーは秘かに練っていた計画を実行し、自ら経営する「モリーズ・ルーム」をLAにオープン。その後、ウォール街の金持ち客を当てにしてNYに拠点を移し、生まれつきの才覚で大繁盛し、ヒットカジノの評判を呼ぶ。

しかし、ロシア・マフィアが絡み始めモリーズ・ルームは閉鎖する。
何百万ドルという大金を賭けたポーカー・ゲームだがストーリーの軸だがアーロンはブラフとかフルハウスのようなギャンブルの手を細かく描かない。

2年間静かに暮らしていたモリ―は突如FBIに踏み込まれ逮捕、彼女は全財産を没収される。

2014年、回顧録「モリーズ・ゲーム」を出版後、モリーは違法賭博運営の容疑で突然FBIに逮捕される。争点は本で実名を明らかにした4人以外に賭博客全員の名を明かすことを要求される。
検察は総ての実名を掴んでいるがモリ―の口から吐かせたいのだ。

もう2年もカジノ経営から遠のいていると反抗するモリーだが、裁判所の令状を前に成す術もない。何人もの弁護士に断られた彼女は、チャーリー・ジャフィー(イドリス・エルバ)に弁護を依頼。今は無一文だが25万ドル払うことも納得する。

ジャフィーは、タブロイド紙に載る「ポーカー・プリンセス」は自分向きの事件ではないと断るが、ジャフィーの幼い娘がモリーのことを気に入り、そして彼女はタブロイド紙に書かれる人物でないと知り、彼女の弁護を引き受ける。

45歳のイドリス・エルバは「マンデラ 自由への長い道」で注目された190センチと言う長身の黒人俳優で同じ演技派のジャスティンとの競演に火花を散らす。
モリ―とジャフィーの丁々発止の受け答えは気持ちが良い。

デンバーから父親ラリーが娘を見舞いにNYに飛んでくる。セントラルパークのスケートリンクを見下ろすベンチで父親は無料セラピーを授けるシーンは感動的だ。
アスリートとしての厳しいトレーニングを課していたこと、文武両道(二人ともハーバード大学卒、一人はモーグルの世界チャンピオン)で優秀な弟二人を自分より愛し慈しんだこと、などが彼女のトラウマになっている。

結末はハッピーエンディングとなっているが、ウォール街の巨悪に比べればモリ―のカジノなどは微罪(本人が有罪と主張しても)にも当たらないと社会奉仕200時間だけの執行猶予刑を言い渡す、フォックスマン判事のグラハム・グリーンが可笑しい。

2時間40分は長すぎる。
アーロン・ソーキンの監督の才能は証明されたのだから次作はオリジナル脚本で演出する映画を見たいものだ。

TOHOシネマズ日比谷他全国公開中。

「さらば青春、されど青春」(日本映画):「幸福の科学」総裁の大川隆法の夢想の半生を、長男・大川宏洋を主演に据え誇大に粉飾して描く。

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タイトルが良かったから内容も知らないままに品川まで国電に乗り、プリンスホテルのアネックスを占める「TJOY」のシネコンに飛び込んだ。
冒頭、いきなり「製作総指揮・原案/大川隆法」のクレジットが入る。
何と「幸福の科学」の宣伝映画に間違って入場料を払って見てしまったのだ。

「幸福の科学」のPR映画は、丸の内TOEIでアニメを含めて何本か興味本位で見ていたが、宗教映画と分かっていた。だが、この映画の看板やポスターには「幸福の科学」を謳っていない。チーティングだね。

主演の役者もノッペリ顔で、芝居もギコチない。名前も聞いたことが無い、大川の姓だけでは分からない。
調べて見れば、やはり主役の大川宏洋は幸福の科学総裁の大川隆法の長男で29歳。
父、隆法が商社を辞め宗教家として独立した歳だ。

長男の成長に合わせて自伝映画を制作したのだろう。
スタッフには大川姓のオンパレード、大川家のプライベイト・フィルムに付き合わねばならない、と「覚悟」が必要だ。

映画は大川隆法の学んだ大学や就職した商社は仮名にしてあるが、
完璧な自己宣伝で唯我独尊、イケイケドンドンだ。

実際の総裁の半生を振り返ってみよう。
それがそのまま映画になっている。

1956年6月、徳島県麻植郡川島町(現・吉野川市)に生まれる。
一浪の後1976年に東京大学文科一類に入学し法学部政治コースに進学。
「ハンナ・アーレント」の研究論文を作成した時には、教授から「マチュアー(成熟している)」という評価をもらったという。(そのままマチュアーと言う言葉を使うが教授は「マチュア―」なんて使うかな?)

その後、司法試験と国家公務員上級試験を受験したがいずれも不合格となり、学者の道に進むこともなかった。

映画では憧れの美人学生が司法試験を受けるので大川も挑戦する秘話を披露している。
1981年に法学部を卒業し、総合商社のトーメン(現豊田通商)に入社。

翌年1982年8月にニューヨーク本社に研修生として派遣され、その間にベルリッツ語学学校ニューヨーク校を卒業、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学んだ。

映画の中でNY支社の幹部会議に出席しM&Aの重要案件を本社やメインバンクに連絡なしで進めようとする方針に真っ向から一人で反抗する雄姿?を挿入しているが、語学学校に通っている研修生の身で意見を述べる資格も無ければ、初期の語学学校に通うプアな語学力でNY支店のネイティブな管理職を説得するなんてあり得ない。

45歳まで勤めて役員となり新時代を切り開く商社を導く役目を自覚していたが、それは悪霊の囁く陰謀なんだそうだ。

自動車に撥ねられ即死した幼い女の子を祈って生き返らせる「神業」も衆人監視の中で魅せる噴飯シーンなどもある。段々超能力者になっていくのでどうもシラケる。

大学を卒業して商社マンとして勤めながらも宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる。
卒業した1981年3月に日興・日蓮との間で「霊道」を開き、そして空海、イエス・キリスト、天之御中主と交信した内容を集めて「幸福の科学」の初期の霊言集が完成する。
「あらゆる宗教の総合商社」なんだ。

父・中川善川三朗は定年後「学習塾」を開くが忽ち倒産。
1985年からは「大川隆法」の名で父親とともに出版活動を始め、1981以来4年間で収録した「霊言」の「日蓮聖人の霊言」を初めて発刊。

その後、「空海の霊言」「キリストの霊言「天照大神の霊言」「ソクラテスの霊言」「坂本龍馬の霊言」等(題名を書いていてバカバカしくなる)の著書を続々と出版。

ようやく人生がうまく回りはじめるが、徐々に「救世主」としての使命に目覚めていく真一。
救世主を待ち望み、イエスでさえキリスト(=救世主)と認めないユダヤ教の人々は勝手に「救世主」を使われると怒る。

しかし、その救世主の道を選ぶには、愛する大切な人との結婚やエリートとしての会社人間の将来を諦めなければならない。
この世の幸福を選ぶか。それとも天命のミッションに従うか。
迷う真一の心に、悪魔の誘惑が忍び寄る。この世の義理人情や常識に従えば「悪魔」の言い分は正しいのだが。

1986年7月15日には5年4ヶ月間勤めたトーメンを退社して、30歳にして宗教家としての活動を本格的に開始し現代に至ると言う訳だ。幸福の科学発会の講演会で原稿なしで長いスピーチを一言一句間違えずに行ったと威張っているのがおかしい。

主人公・中道真一には、総裁の長男、大川宏洋。
恋人・額田美子にはNHK連続テレビ小説「まれ」(15年)で世に出た千眼美子(清水富美加)を起用。彼女は熱心な信者で「幸福の科学」の広告塔になっている。

監督は、(見ていないが)「君のまなざし」で総裁に見込まれたと言う、赤羽博。学芸会程度の演出だ。
学芸会と言えば幼稚で不器用なメロディの単調な歌を4-5曲フルコースで聞かされる。エンドクレジットを見ると案の定、全て大川隆法、作詞作曲だ。

貴重な時間を費やし、品川くんだりまで出かけ、年金生活者の乏しい懐から安くも無い入場料を払い、押しつけがましい世迷言を聞かされるのは拷問に等しい。

T・ジョイPRINCE品川他全国公開されている

「Modern Love」(日本映画): 「インディの鬼才」を自称する、唯我独尊で自信にあふれる福島拓哉監督の哲学的で先が読めない、奇想天外なSF物語

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先週の試写会で、新橋から京橋へ抜ける高速道路地下の30名も入れば満席の小さなTCC試写室での上映前に
金ぴかのトロフィーを手にしたセーター姿の背が高い若者が威勢よく入って来ていきなり大声で挨拶を始める。

若者と思ったが顔は皺がより40台の後半の監督、福島拓哉だった。
良く喋る。

観客に阿ることなく自分の意図した企画を映画にすると、(トロフィーを持ち上げて)このような賞が後追いでついて来る。
だから結果を考えずに頭の中のコンセプトやテーマをひたすら追い求めて映画を撮るのだと。
自信たっぷりに口調に観客も引きずり込こまれる。

東京国際映画祭(TIFF)ほか世界各国の映画祭で注目を集め全国公開された福島拓哉の「アワ・ブリーフ・エタニティ」(10)以来、8年ぶりのオリジナル長編作品。
PFF入選作「TIME IS ON MY SIDE」、水戸短編映像祭審査員奨励賞「JAM」を経て01年「PRISM」で衝撃のデビューを果たし、「鬼才・俊英・インディペンデントの雄」などと自称する唯我独尊の映画監督・福島拓哉。

映画作家は才能のあるなしに関らずこれだけの自信を持ち覚悟を決めて作品にとりかからなければならない。

福島の常に抱くテーマは「都市と記憶」「現実と非現実」。
90年代から20年以上に渡り取り組んでいるテーマの作品だ。

この「モダン・ラブ」は、愛する恋人を失った女性の孤独と葛藤、その先にある新たな心の揺らぎを描くのだと福島監督。

東京を主舞台にして、地方ロケでスペイン・カタルーニャ州でのロケを行っている。(しかし何故カタルーニャなのかは明らかではない)

さて物語は現代の東京から始まる。
NASAが太陽系内に生命体が存在する可能性のある新惑星・エマノンを発見したと発表。
衝撃的なニュースは世界中を駆け巡り、新惑星ブームが到来する。
しかし人々の盛り上がりと裏腹に、異常気象が頻発するようになる。

旅行代理店でアルバイトをしながら、大学で理論物理学を専攻している大学院生・ミカ(稲村梓)は、5年前に失踪してしまった恋人・テル(高橋卓郎)のことが忘れられない。
ミカは一見普通の大学院生だが、出会い系アプリで男を漁りで孤独を埋めつつ、妄想でテルと会話している。

そんなミカの様子を、同性愛で男にしか興味のない、親友のシゲ(芳野正朝)や、研究室の尊敬する女性先輩・高山(佐藤睦)は心配している。
ある日、ミカは発作的に既視感を覚えるようになり、もう一人の自分と出会ってしまう。
互いに驚く二人のミカだが、どうすればいいかわからない。

テルの失踪前に親友だと紹介されたバード(今村怜央)に相談しに行くと、さらにもう一人のミカが現れ、それぞれが本来は違う世界線に存在するミカだということがわかる。

要するに「パラレルワールド」が交錯しているのだが、これは新惑星「エマノン」の影響かもしれない、とバードは推察する。

テルが失踪した現代のミカ、テルと出会い恋が始まった過去のミカ、そしてテルが既に死んでいる未来のミカ。

おまけに何度でも同じシーンがくり返される。こんな映画はハリウッド作品に多い。
例えばビル・マーレ―の「恋はデジャブ」やジェイク・ギレンホールの「ミッション:8ミニッツ」など

3人のミカはそれぞれの人生を変える選択を迫られる。
「ここではないどこか、行けるところまで行ってみたい」

見ている観客は同一人物が何人も現れるドッペルゲンガーかと思い、シーンがくりかえされるデジャブ映画とも思う

福島監督の得意とするサイコ・ファンタジー作品だが、どうも主人公ミカに感情移入が出来ない。

異常現象をミカに及ぼすエマノンの影響が諸悪の根源なのだが、
結果ばかりで要因の説明が無いのが、二階にあげて梯子を外されたようで落ち着かない。

主演はつかこうへい作品など演劇界で活躍していると言う27歳の稲村梓。映画の主演は初めてだと言うがもう少し美人女優が欲しいね。

パラレルワールドを行き来する「一人三役」演じているがギコチ無く、三役を峻別できていない。

相手役のテルの高橋卓郎は聞いたことのない。33歳ののっぺり顔の役者だ。

他に前田教授役の58歳,川瀬陽太、それに芳野正朝や、佐藤睦、草野康太などが脇を固める。
ロックバンド・The John‘s Guerrillaのボーカリスト・今村怜央が物語の鍵を握る重要な「バード」を演じている。

どうも僕みたいな凡人には福島監督の哲学的、予測不能の奇想天外なSF物語に付いて行けない。

映画は「真実の愛とは何か」を投げかけていると言うが良く分からない。
「起きてないことはすべて、起こり得るってことだから。気づいてないだけで」
とカッコ良いことを言われもどうもね、と考え込。

ともかくしっちゃかめっちゃかな映像と物語に2時間も付き合うと疲労感だけが残る。

6月30日より新宿K’s Cinemaにて公開される

「Vision」(日本・フランス映画):故郷奈良・吉野の深緑の森が荒廃に瀕していることを危ぶみ、「森を未来に継いで行くために何が必要か」そのビジョンを探る

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河直美は18歳の時、初めて8ミリカメラを手にしてから30年。
1997年劇場映画デビュー作『萌の朱雀』でカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)を
「殯の森」(07)でカンヌ映画祭グランプリ(審査員特別大賞)を受賞
カンヌ映画祭に貢献した監督に贈られる「黄金きんの馬車賞」(09)を受賞
2013年カンヌ映画祭コンペティション部門の審査委員に就任

河瀬監督はカンヌを完璧に征服したと思うが
実は今年のカンヌで是枝裕和監督の「万引き家族」ように、コンペティション部門で勝ち抜いた
「パルム・ドール」は未だ授与されていない

今年もこの「Vision」を出品したが予選で落とされている。

はっきり言うと河瀬の監督作品は所謂ジャンル映画でごく少数のアートフィルムのファンでなければ見ない。
河瀬自身が外国特派員協会に招かれ時に私自身も一日働いて疲れている時に自分の作るような映画は見ないでしょうね」と実に率直に語ってくれた。
その通りだ。

 実際河瀬監督作品に惚れて毎作品ロングランしていた在日台湾人ライさんの劇場、渋谷のスペイン坂の「シネマライズ」は呆気なく倒産してしまった。
1986年6月に創立、渋谷の文化を守り赤字になるから誰も手を出さない河瀬作品にこだわったのが必ずしも原因でないにせよ、、2016年1月に閉館してしま多

 河瀬監督がオリジナル脚本でなく他人の原作を脚色した「あん」が初めて国内外で大ヒットした。
続く盲目のカメラマンも面白かった。
   
 ところがこの長編劇映画第10作の「Vision」は原点帰り。
20年前のデビュー作「萌の朱雀「や10年前の「殯の森」の退屈なアートフィルムの世界は戻ってしまっている。

監督の生まれ故郷である奈良・吉野にある樹々が青々と茂る神秘的な深い森。
このところ森や山が「おかしい」と河瀬は感じ何とかしなければと思い始めたと言う。
林業が衰退し携わってる人たちが高齢化し若い人たちは林業を敬遠する。
「森のありようは、人間のありようだ」で共に生きてゆく感覚で森を継承したい、という意図で映画を撮ったのだと。

「森の中にいると自分が今を今として生きているのか、それともこれは過去なのか未来なのか分からなくなる」
人間本位の暮らしは破滅に繋がる。
「森を未来に継いで行くために何が必要か」
そのビジョンを探る映」なのだが、コンセプトやフィロソフィーは河瀬監督は明確で確固たるものだが
それを映像にして具現化した作品を見せられると僕などはたじろぐ。

ストーリーを追って見よう。
木々が青々と茂る奈良県吉野の夏。

冒頭老いた猟師(田中泯)は猟銃で鹿を狙っている。初弾で仕留めたようだが樹々の間に動く白いものを見て二弾目を発射、獲物に近づきハッと驚く猟師の顔のアップで暗転(何を撃ったか分からないまま)

フランスの女性旅ジャーナリスト、ジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は、奈良・吉野にある山深い神秘的な森に通訳兼アシスタントの花(美波)とやってきた。
白い猟犬、コウと静かに暮らす智(永瀬正敏)と出会う。智はその森で木々を切り、自然を守っている山守だ。

智はある日、鋭い感覚を持つ女・アキ(夏木マリ)から、明日は森の守り神である春日神社へお参りに行くように、と告げられる。

翌朝、ジャンヌと花は春日神社で智と出会い、花は「この村に昔から伝わる薬狩りの話を聞き「ビジョン」と呼ばれる薬草を探しています」と打ち明ける。
ジャンヌは「人類のあらゆる精神的な苦痛を取り去ることができる」と説明するが、智は「聞いたことがない」という。

ジャンヌは智の家の離れに泊めてもらえることになり、ほどなく出会ったアキからは「あんただったんだね」と言われる。

アキは、この森に誰かがやってくることを前もって知っていたのだ。
さらに「最近、森がおかしい。1000年に1度の時が迫っている」と言う。
アキは「ビジョン」についても、何か知っているという口ぶりだった。

森の未来を探る映画なのに「ビジョン」そのものを草花にしてしまう拙速と呆気なさに少々シラける。
仙女か預言者みたいなアキは百年以上も生きていて物知りだが、これもリアリアティが無い。

驚くことに智とジャンヌは愛し合い妊娠して子どもが出来る。
二人のセックスシーンは短くは無いが淡々として喘ぎ声も無い。
産んだ赤子を捨ててジャンヌはフランスへ帰り、孤独な老夫婦が拾って大喜び。

何だかトッ散らかってハチャメチャな展開だが、百々新の手持ちカメラは雨のしずくや森の息吹や風にそよぐ草木を幻想的にとらえ印象的だ。

主演は「イングリッシュ・ペイシェント」(97)でアカデミー賞助演女優賞を授与された他、「トリコロール/青の愛」でベネチア、「トスカーナの贋作」(11)ではカンヌと世界三大映画祭で女優賞を獲得したフランスの女優ジュリエット・ビノシュ、

相手役の山守の智には「隠し剣 鬼の爪」「パターソン」などの他河瀬監督の直近2作「あん」(15)、「光」(17)と連続主演した永瀬正敏。

共演には夏木マリ、岩田剛典、美波、森山未來、田中泯などが脇を固める

映画のフィロソフィーでありテーマの
「ひとがひととして、母なる大地で生きることに
真正面から向き合う、いのちの物語」
がもう少し一般観客に分かり易く描写して欲しかった。

6月8日より新宿ピカデリー他で公開される

「返還交渉人」(日本映画):「沖縄を取り戻す、日本に取り戻す…それが僕の仕事だ」。その理念を果たすため生涯を全うした外交官、千葉一夫、そしてそれを支え続けた妻、惠子。

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沖縄返還というと毎日新聞記者西山太吉が情交していた外務省の蓮見女性職員に機密文書を持ち出させ、沖縄返還に伴い、米側が負担すべき土地の原状回復費4百万ドルを日本側が肩代わりするなどとした吉野文六・外務省アメリカ局長とスナイダー駐日米公使密約をスクープしたことしか頭に残っていない。

しかし黒子として、沖縄返還の外交交渉最前線で戦った外交官、千葉一夫北米一課長の話は初めてで大変興味深く見た。

これは2010年の外務省の「密約問題」調査により、今までは封印されていた返還当時の外交資料がほぼ全て公開されたことで明るみに出た。。
資料を読み解くと、対米交渉・対沖縄折衝の両面で1人の外交官が大きな役割を占めていたことが初めて判った。
その外交官こそ、この映画の主人公、外務省北米一課長、千葉一夫(井浦新)なのだ。

太平洋戦争末期(1945年)の沖縄戦で24万人が死亡すると言う多大な犠牲をはらった沖縄は、
戦後アメリカの施政権下におかれ、1952年からはアメリカ民政府の下で琉球政府が発足したが、
その主席は民政府による任命制であった。
そして住民の土地が収用されて多数のアメリカ軍基地が置かれていた。

1960年代から活発な祖国復帰運動が始まり、1967年に佐藤内閣とジョンソン大統領の間で3年以内に返還することが約束された。
ニュースリールで佐藤栄作が「沖縄の復帰なくしては、戦御は終らない」とのだみ声の有名な演説が耳に残る。

69年には佐藤=ニクソン会談の結果、日米共同声明が発表され、日米安全保障条約の堅持、「核抜き・本土なみ」の返還が合意された。
これらに基づき1971年に沖縄返還協定が調印され、72年5月に返還が実現した。
しかし、施政権は返還されたものの、米軍基地はそのまま残され、「核抜き」についても大きな疑惑が存在したため、大きな反対運動が起こったのは周知の通りだ。

 映画の冒頭は沖縄戦の真っただ中、海軍通信士官だった千葉一夫は圧倒的な武力で沖縄を攻撃する米軍の通信を傍受するしかできなかった悔しさをから「いつか、沖縄を取り戻す」と心に誓う。

復員して東大法学部を卒業し外務省に入省。
外務省から派遣され、マサチューセッツ州フレッチャースクールに留学するが、後の妻となる恵子(戸田菜穂)も一緒で帰国後結婚する。

サンフランシスコ講和条約締結を記念したある上院議員の講演があり、千葉は沖縄がアメリカの信託統治下に置かれることが規定されているのは何故だと質問をする。「それは日本が望んだからだ」という一方的で人を食った答えに千葉は憤慨し、恵子夫人に「外務省で一つだけどうしてもやりたいことがある。僕は沖縄をどうしても取り戻したい」と宣言する

千葉一夫こそ、沖縄返還で外交交渉の最前線にいて、本土から切り離され、アメリカの統治下にあった沖縄から核兵器を撤去させ、長距離爆撃機、B52をベトナム戦争の出撃拠点としないよう、アメリカと激しい外交交渉を重ねた。

さらに何度も沖縄に足を運んでは、人々の苦悩に真摯に耳を傾けた。
最初は敵対していた琉球政府行政首席、屋良朝苗(石橋蓮司)も千葉の真摯な人柄に感動し大きな「沖縄の紅型」の飾りをモスクワ赴任に際して贈るシーンは印象に残る。

外務省の中にも敵は多く、例えば駐米大使植田啓三(大杉漣)などは本土の思惑で千葉に立ちはだかる。トップのプレッシャーで挫折しかけることもある。
亡くなった大杉もチョイ悪役だ。

映画は一貫して沖縄のために戦い、「鬼の千葉なくして沖縄返還なし」と称された伝説の外交官、千葉一夫の生き様を描く。

字幕と仲代達矢のナレーションで沖縄と米軍基地の統計が示される。

沖縄県には、31の米軍専用施設があり、その総面積は1万8,609ヘクター ル、本県の総面積の約8%、人口の9割以上が居住する沖縄本島では約 15%の面積を占めている。
沖縄が本土に復帰した昭和47年 (1972年)当時、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄県の割合は約58.7%だったたが、本土では米軍基地の整理・縮小 が沖縄県よりも進んだ結果、
現在では国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.6%が 集中していると言う。

そして遂に1972年5月15日、沖縄返還。

主人公の千葉を演じるのは、08年の「実録・連合浅赤軍浅間 あさま山荘への道程」で注目され、「かぞくのくに」や「さよなら渓谷」「悼む人」などの井浦新。

しっかりと一夫を支える妻の恵子役は「ブタがいた教室」や「ダーリンは外国人」などの44歳・戸田菜穂。知的で上品な美貌に隠された情熱で夫の使命成就を支援する妻を熱演する。

他に当時の外務官僚、沖縄主席の石野文男を演じる尾美としのり、千葉の上司、
北米局長,西條公彦役を佐野史郎、
駐米大使役の大杉漣、屋良朝苗の石橋蓮司などのベテラン俳優が脇を固める。

 原作は、公開された資料を丹念に当たり、千葉の遺族への度重なる取材から掘り起こした、宮川徹志の「僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫」
 脚色は西岡琢也。監督はNHKディレクターの柳川強。

 昨年夏のNHKBSプレミアム・スペシャル・ドラマに、新たな映像を加え再編集した劇場版。NHKのドラマは評判になり見た人は多いが僕は初めて。
だから人一倍堪能し感動した。

映画は、1972年(昭和47年)1月、千葉一夫がモスクワへの転任を命じられ赴任前にお世話になった人々へ挨拶のため沖縄に飛ぶ。
タクシーで走行中に嘉手納基地のそばで、柵の内側にある先祖の墓に向かい、「清明祭(シーミー)」を行っていた家族と出会い、憤然として柵内の墓にお参りさせろと掛け合うため米軍司令官に会おうとするーンで終わる。

千葉一夫はその後モスクワからアトランタ、ベルリン、スリランカなどに行き、
最後は駐英大使となった。

6月30日よりポレポレ東中野にて公開される。

「スパイナル・タップ」(This Is Spinal Tap)(米映画): イギリスの架空ヘヴィメタルバンド「スパイナル・タップ」の60年代からの20年間を主にビートルズを下敷きにギャグ満載の風刺喜劇

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1984年に公開のロック・モキュメンタリ・ーコメディ映画。「モキュメンタリー (Mock Documentary) とは、如何にも実話の記録映画にみせかける「うそのドキュメンタリー」のことだ。
34年前の作品だがその当時に見ればギャグもわかりやすかっただろうが時代を経るとジョークもギャグもシらけるのは仕方がないしえない喜劇だ

ただ注目したいのは映画監督マーティ・ディバーグ役のロブ・ライナーが脚本を書き、主演をし劇中同様に監督をしていること。

2年後に「スタンド・バイ・ミー」(86)に大ヒットを飛ばし、「恋人たちの予感」(89)「ミザリー」(90)など秀作を送り出し巨匠と呼ばれるようになったライナーは、この時36歳でこれが監督デビュー作なのだ。

映画監督マーティ・ディ・ベルギー(ライナー)は60年代にデビューし、ビートルズ・スタイルやフラワー・チルドレン調など時代にあわせて活躍してきた人気ロックバンド「パイナル・タップ」がニューアルバム「Break Like the Wind」は(スラング「Break the wind(=屁をこく))をリリースし、全米ツアーを行うと聞き、大ファンのディ・ベルギー監督はドキュメンタリを撮りたいと申しいれ契約を結んだ。

ディ・ベルギーはふんだんにある若い頃のバンドのロックン・ロールやハードロック、ヘビメタなどのフーテージを探し出して編集して盛りこむ。

64年の結成時、スーツにマッシュルームカットという、ビートルズの模倣スタイルで「Give Me Some Money(金をくれ)」と明るく歌う彼ら。

その後ヒッピー・ムーブメントが来ると、バンドのコンセプトを“フラワー・チルドレン”にあっさり転向。
サイケなファッションで「聞いてフラワー・ピープル」と歌う姿はまるっきり別人。バンド名も、オリジナルズ、ニュー・オリジナルズ、レギュラーズと変更につぐ変更で、メンバーのイメージを変えていくが、一方では現代のバンドのオジサンメンバーたちは昔のエピソードの紹介とその余りの乖離に戸惑う。

年齢的にはすでにオッサンの老舗バンドだが、全米ツアーに際し、バリバリのハード・ロック・バンドと化し、長髪にスパッツ姿で、悪魔だ地獄だと絶叫するヘヴィ―なスタイルで舞台をこなして行くが。。。
メンバーのガールフレンドのことでバンド内に亀裂が走ったり、サイン会に誰も来なかったり、ツアー毎にドラマーが謎の変死を遂げたり、ビートルズ・ネタが多いのだが今の若者に分かるか心配だ。

制作費200万ドル北米総計で4.7百万ドルの興行成績だから赤字にはならなかったようだ、。

スパイナル・タップの主要メンバー3人、デヴィッド・セントハビンズはマイケル・マッキーン、デレク・スモールはハリー・シェアラー、ナイジェル・タフネルはクリストファー・ゲスト、とそれぞれ俳優によって演じられている。

3人の俳優は素人ながら、しっかりと楽器を演奏し歌いまくる。映画全体でモック・イングリッシュのアクセントで話す。本物のロック歌手よりロックン・ロールで驚くばかり。

他の出演者にはグループマネージャーイアン・フェイス役のトニー・ヘンドラ、セントバビンズに干渉する恋人ジーニン役のジューン・チャドウィック。

尚、偽ドキュメンタリ=「モキュメンタリ」という言葉は、この監督ロブ・ライナーがインタビューで用いたことで有名になり流行化した。

6月16日より新宿武蔵野館他で公開される。

「死の谷間」(Z for Zachariah)(アイスランド・米映画):汚染外界を隔てた平和なエデンの園のような谷間。生き残ったイブにアダムが2人。3人の関係は戦争宗教人種問題を内包しながら展開する

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近未来、映画でハッキリは言っていないが、人類は核兵器による放射能で絶滅の危機に瀕していた。
人類は汚染された都市村落から消え、文化文明は崩壊し、電力やガス、水道などのインフラ整備も機能しなくなった。

そんな中でアン・バーデン(マーゴット・ロビー)は岩壁に囲まれた谷間が防御壁になり放射能汚染から逃れることができた数少ない生存者だった。

邦題で言う「死の谷間」とは逆に、アメリカ南部の山岳地帯、深緑の森や陽を一杯浴びて野菜を育て食肉用に小動物を罠で捕らえ聖書から得た勇気と自信で「エデンの園」のように平穏に暮らしていた。
父が牧師のアン一家は生存者を救おうと下界に降りたまま行方不明となり留守番のアンが1人、子犬のファロと共に取り残される。

ある日、アンの谷間に放射線防護服を身にまとったリサーチ・サイアンティストのジョン・ルーミス(キウェテル・イジョフォー)が現れる。山間から飛沫を上げて落ちる清浄な瀧に、ルーミスは汚染されているとは知らず、防護服を脱いで飛び込み、滝の水をたっぷり浴びて急激に体調を落としてしまい、アンの手厚い看病で一命を取り留める。

その日を境に二人は一つ屋根の下で暮らし始める。
アンはルーミスの博学さや知性や創造力、優しい性格などに惹かれいつしか肉体関係を持つようになる。
セックス描写はクレイグ・ゾベル監督の描写はロビーのヌードを見たい観客の期待を裏切り淡々とした淡泊なものだ。

しかし未来世界とは言え白人の美女と年齢は親子ほども離れている真っ黒なルーミスには抵抗もある。ルーミスも「白人たちは群れたがるのだよな」と洩らし人種差別を意識している。
そんなところに鉱夫をしていたケイレブ(クリス・パイン)が現れる。健康的な四肢が伸びきって絶世の美男子で女性はイチコロ。

ルーミスの対極にある若いイケメンの白人の出現はまさにアダムとイブを誘惑したぶらかす「蛇」だ。

しかしメタフォーのエデンの園を破壊するのは蛇ではない。
2人の間の難関はルーミスの「無神論」だ。

大きな水車を作り瀧の水を利用してまわして水力発電機を作ることにする。
厳しい冬を越すために電力は必要だ。
しかしそれには父と一家が建てた教会を取り壊して木材を集める必要があった。
信仰心の強いアンはこれに反対したが、生存のためには仕方のないことだった。
アンは妥協し水車作りを手伝う。

ある日白人美男子のケイレブが現れ、ルーミスは放射能を浴びているケイレブを追い返そうとしたが、
それは自分にあらゆる面で優位性を誇るケイレブを恐れる「嫉妬心」からに他ならない。
不憫に思ったアンが彼を家に泊めてあげようと言い張り、三人は一緒に暮らすことになる。

しかし水車が完成し電気が生じ始めると悪魔の筈の「蛇」は「神」になって姿を消す。

1976年にエドガー・アラン・ポー賞を受賞したアメリカの児童文学者ロバート・C・オブライエンの子どもたちに聖書を分かり易く教える「Z for Zachariah」(ZはザカリアのZ)とAはアダムのAから始まる最終エピソードを基にした人類滅亡SF的世界で、男2人と女1人の愛と嫉妬とエゴが巻き起こし最後に誰が残るか、スリリングな展開だ。

主人公のアン・バーデン役を「スーサイド・スクワッド」「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」などのオーストリア生まれ、27歳のマーゴット・ロビー。「アイ,トーニャ~」でオスカー候補になって以来注目株だ。

年の離れた黒人、ジョン・ルーミス役を「それでも夜は明ける」のキウェテル・イジョフォー、
イケメン、ケイレブ役を「スター・トレック」シリーズ、「ワンダーウーマン」などのクリス・パインがそれぞれ演じる。

監督は2作目のスリラー「コンプライアンス 服従の心理」(12)が注目されたのクレイグ・ゾベル。インディでは名の知れた監督だがスタジオから声がかからず、寡作。この作品も5年振りだ。

6月23日より新宿武蔵野館他で公開される。

「Alone アローン」(Mine)(米・西・伊映画):テロリストに追われ砂漠の中の「地雷原」に足を踏み込んだ米海兵隊の狙撃兵、マイク・スティーブンス軍曹。埋まった地雷の上に足を乗せたまま動けない。

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「Alone」などと邦題に英字タイトルをつけているがどうPRしようか配給会社の苦労が伺える。
 地雷を踏み、身動きが取れなくなった兵士の独りぼっち(alone)な戦いを描くアクション・スリラーと言う謳い文句。
何か起こるだろうと延々と待つが何のアクションもない。
ここは何処だろう。テロリストや砂漠から解釈すると北アフリカか中東の何れかだろうが、映画の中では何の説明も無く舞台は分らない。
ひたすら主人公の内面を追うだけではアクションを期待していただけに失望する。

その上、主人公は海兵の狙撃兵だと分かるが、置かれた背景や環境が見えないと不安になるし、作品の理解も齟齬を起こす。兵士は純粋に切り離されてメタフォーの世界で泳ぐ。

結婚式に立ち会うテロリストの白髪混じりのエレガントな最高幹部を2000キロ離れた丘の上から狙うが、新郎の陰に隠れて狙えない。

本部からの指令は新郎も一緒に殺せと。「Send it!」,心優しいアメリカ・マリーン(海兵)の狙撃兵、マイク・スティーブンス軍曹(アーミー・ハマー)はどうしても引き金を引けない。どうして一緒に新郎も撃ち殺さなかったか僕には理解できない。新郎とてもテロリストだろうが。

その内に狙撃銃のスコープの反射光がテロリストたちに気付かれてミッションに失敗。
テロリストの銃撃を避け逃走中に誤って3,000万以上の地雷が埋まる砂漠の地雷原に入ってしまう。

映画の前半1/3程は躍動感もありテロリストたちとのキャット&マウスの追いかけっこも面白い。
しかし30百万個も埋められていると言う地雷原に迷い込んでからは、動きもアクションもスタックして延々と退屈なシーンが続く。

救援が到着するまで全く動けない状況で、砂漠の過酷な自然環境にさらされる主人公を「君の名前で僕を呼んで」でゴールデン・グローブ賞などにノミネートされた演技派のアーミー・ハマーが演じるが、戦争映画に演技派は要らない。

同僚で親友のトミー(トム・カレン)が目前で爆死した直後、彼も地雷を踏んでしまい一歩たりとも動けなくなる。地雷は感圧起爆方式で一定の重量が信管にかかることによって作動し、爆発する。足を動くと同時に信管が作動し爆発するのだ。

爆風でぶっ飛んだトミーの無線を手繰り寄せ、「メーデー、メーデー」と本部と連絡をとるも、GPSが壊れ正確な位置は分らない。

その上頻繁に襲う砂嵐でヘリは飛べず、ジェット戦闘機で救出隊の到着までの52時間待ち続けると言う難行苦行に耐えなければならない。

砂嵐のような自然の脅威や過去のトラウマのフラッシュバックに襲われながら、スマホに残した妻、ジェニー(アナベル・ウォーリーズ)の激励のヴィデオを見ながら自分との戦いを強いられる。

地雷の7%は劣化して爆発しない、だから足を上げてみたらと本部からの無線は説明を受けても不安は募るばかりでそんな勇気はない。

その中で突如現れる片足が義足の原住民バーバー(クリント・ダイア―)との現実と幻影での対話が興味深い。
バーバーはジグザグに歩いて巧みに地雷を避け目の前に現れる。トミーと同じように「前へ進め」と進言する。
綺麗な英語を話す彼は3人の息子と一人の娘の父親だったが、娘と一緒に歩いていて地雷に触れ娘は亡くなり、バーバーは片足を吹き飛ばされる

その死んだ筈の少女がマイクに水筒を渡して渇きを癒してくれる。
喉が渇くばかりでない。腹が減ったマイクは生きたサソリ(スコーピオン)を食べるシーンは生々しい。

原題は「Mine」=地雷だが兵士の孤独な戦いで過去の幻想もMine(自分のもの)で陳腐な掛詞で余り意味を持たない。

地雷を踏み、身動きが取れなくなった兵士の孤独な戦いを描くのだがどうもすっきりしない。マイクは少しも怖がらないし、いつ爆発するか、そのスリルが映画から伝わって来ない。だから緊張感の欠けた単調で退屈な映画になってしまう。


主人公を「君の名前で僕を呼んで」でゴールデン・グローブ賞などにノミネートされた主演のアーミー・ハマーのほかに、
同僚で親友のトミー役は舞台TVで活躍する32歳のイギリス人俳優、トム・カレン、
妻ジェニーを「ザ・マミー/呪われた砂漠の王女」や「アナベル 死霊館の人形」などのアナベル・ウォーリスらが共演。

「YES / NO イエス・ノー」の脚本を手掛けたファビオ・レジナーロとファビオ・グアリョーネが「ファビオ・ファビオ」と称して共同監督をつとめた。二人にとって長編劇場映画のデビュー作だ。

6月16日より新宿シネマカリテ他で公開される

「デッドプール2」(Deadpool2)(米映画):ハチャメチャヒーローのデッドプールも娼婦ヴァネッサを愛し始め、ファムファタールにカッコ良いとこ見せようとミュータントを集め「エックスフォース」を結成

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アメリカで5月17日に開けたFOX配給のライアン・レイノルズ主演R-レイトコメディ「Deadpool 2」が4349館(FOXの新記録)で公開され125M(139億円)、81か国で開けた海外で176M,
ワールドワイド総計ではいきなり300Mをクリアし301M(334億円)の快挙。

2週目となるこのメモリアルデイ週末は4349館(FOXの新記録)で公開され42.7M、国内累積は207.4m、海外は好調で57Mを加え279.8M、ワールドワイド総計は487M(533.7億円)、
1915年創業の「フォックス映画帝国」(the Fox film empire)の103年の長い歴史の有終の美を飾るに相応しい興行成績だ。

批評家のロットン・トマトも71%と高評価で、観客の出口調査(CS)はオリジナルと同様のA評価。男性は61%、25歳以下は38%。

他のヒーローものと異なるおふざけ満載のR-レイトコメディ。未来からタイムトラベルでやって来た生物と機械の融合体「ケーブル」が狙う孤児院のミュータント少年ラッセルを守ろうと、特殊な能力があるミュータントチーム「エックス・フォース」を作り、ド派手なバトルを展開する。

1934年12月28日、フォックス・フィルム(1915年にウィリアム・フォックスにより設立)と20世紀映画(1933年にダリル・F・ザナックにより設立)が合併し、「20世紀フォックス映画」として設立される。
昨年暮れに発表されたのはスタジオで最大手ウォルト・ディズニー(DIS.N)はルパート・マードック会長の「21世紀フォックス(FOXA.O)」の映画・テレビ事業などを524億ドルで買収すると発表している。フォックスの抱える純債務(約137億ドル)を含めた買収総額は約661億ドル(7兆2710⃣億円)となる。

2005年10月よりマイケル・アイズナーの後任としてウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOに就任したロバート・A・アイガー(会長兼CEO)は、2006年にスティーブ・ジョブの創立しヒット作を連発していた「ピクサー・アニメーション・スタジオ」を買収し、2009年にはコミックの最大手「マーベル・コミック」を、2012年には「スターウォーズ」の利権を握るルーカス・フィルムを$4B(4400億円)で買収し子会社とした。

FOXの買収でウォルトディズニー社は史上最大最強のスタジオとなり、競合はワーナーブラザーズ、ソニー映画位しかいなくなった。
サ-チライトとタタッターのファンファーレは残るがあくまでもディズニーのマジック・カースルと「星に願いを」のテーマミュージックの表カバーの後だ。
2年前の16年2月公開のオリジナル「Deadpool」は「~2」の125Mを凌ぐ132.4Mを挙げR-レイトコメディの史上1位だった。

結果、国内総計は363M,ワールドワイド総計は783M(869億円)で終わった。
今回の第二弾も他のヒーローものと異なるおふざけ満載のR-レイトコメディ。
観客の出口調査(CS)はオリジナルと同様のA評価。男性は61%、25歳以下は38%です。

主演のライアン・レイノルズ扮するウェイド・ウィルソンことデッドプールは末期がん治療の怪しい人体実験で不死身となる。気ままな無責任ヒーロー。

若いミュータントを集めてチーム「Xフォース」を結成。
仲間に「運」を自在に操れるドミノをサジー・ビーツが、ヴァネッサにモリーナ・バッカリン、それにケーブルに狙われるラッセル・コリンズ / ファイヤーフィストを演じるジュリアン・デニソン少年、デッドヒートプールの親友で武器商人、ウィーゼルに扮するT・J・ミラーなどと、チームを組む。
未来から来た凶悪な機械人間、ケーブル(ジョシュ・ブローリン)と戦う。

「アヴェンジャー」でも天敵・サノスはジョシュ・ブローリンで悪役専門だね。
前回同様「第四の壁」(スクリーン)を超えて観客に直接語り掛ける。

マーベルコミックスのヒーローの中でもユーモラスなキャラクター・デッドプールに、ライアン・レイノルズがふんしたアクションの第2弾。

監督は前作に続いて「ジョン・ウィック」や「アトミック・ブロンド」などのデヴィッド・リーチ。
敵ケーブルを「アベンジャーズ」シリーズでも凶悪「サノス」に扮している無表情な巨漢、ジョシュ・ブローリンが演じるほか、
モリーナ・バッカリン、T・J・ミラー、オーストラリア育ちの日本人忽那汐里らが脇を固める。

のんきに過ごすデッドプール(ライアン・レイノルズ)の前に、未来からタイムトラベルして来た生物と機械の融合マ人間のケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れる。
娼婦だったがラブラブのヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)のためにまっとうなヒーローになると誓ったデッドプールは、ケーブルが狙う不思議な力を持つミュータント少年ラッセルを守ろうと、特殊な能力があるメンバーだけのスペシャルチーム「エックス・フォース」を作り、ド派手なバトルを展開する。
ケーブルと戦う内にケーブルとも仲良くなり、フォースに加える。これではケジメがつかない。
デッドプールはエンディングで宣言する「言ったでしょ、このフォースは皆ファミリーだ。これはファミリー映画なのよ」

ファッキンだのマザーファッカーを二言目に多発するRレイト映画が「ファミリー映画」の筈がない。
けれどもケーブルと腕を組んで観客ににこやかに語り掛ける姿は変態では無く、ストレートのミュータントだ。

ヴァネッサ役のモリーナ・バッカリンはブラジル出身のエキゾチックな魅力を振り撒きデッドプールのファムファタールになる。

レイノルズ同様カナダ出身のセリーヌ・ディオンの歌声がテーマ曲のように鳴りひびき、ともすればレイノルズが貶める作品の品位と質を保っている。

デヴィッド・リーチ監督はスタント出身。アクションは日本刀を肩に担いだ主人公がワイヤアクションにCGやVFXふんだんに交えど派手な死闘。

最後に献辞が出る。セクアナ・SJ・ハリスに捧ぐと。女性スタントで撮影中に亡くなったと言う。

セリフの面白さは字幕や吹き替えでは出せず、ユーモアやジョークは日本人には通用せず、やはり「アメコミ」は難しい。

6月1日よりTOHOシネマズ日比谷他全国公開される

「オーケストラ・クラス」(La Melodie)(仏映画):オーケストラをリストラされた中年のバイオリニスト、シモン・ダウドは生きるため場末の小学校で移民や貧困の子どもたちに音楽を教えることになる

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ご都合主義で展開も先が読めて陳腐(クリシェ)、負け犬たちが立ち直り助け合い栄光を掴むなど、
決して賞が授与されるような質の高い作品では無いが、
観客を気持ち良くカタルシスを味わえるように仕上げられているから僕は好きな映画に入れる。

その上少年少女のオーケストラがコルサコフやバッハ、モーツアルト、メンデルスゾーンの名曲をフルコーラスで聞かせうっとりさせる。
映画の観客は楽しく愉快に過ごさせてくれれば文句を言わない。
例え子どもたちの演奏が吹き替えであってもエピソードが実話でなくても充実し堪能して映画を見終えられれば
満足なのだ。

音楽に触れる機会の少ない貧しい子どもたちに無料で楽器を贈呈し、プロの演奏家たちが音楽を教える
実在の教育プログラム「フィルハーモニー・ド・パリ」(デモス)から着想を得たフィクションだと。

才能ある中年のバイオリニスト、シモン・ダウド(カド・メラッド)は長年に亘り、在職していたオーケストラをクビになる。
どうしても職を見付けなければ生きていけないと子どもたちに音楽を教える教育プログラム「フィルハーモニー・ド・パリ」を通してバイオリンを教える職を手に入れる。
パリ郊外19区にある移民や貧困層の多い小学校に音楽教育プログラムの講師としてやってきたシモン。

年寄りの頑固さで気難しく子どもが苦手なシモンは、話を聞かない子どもたちを相手に四苦八苦するが、
6年生の音楽担当教師、ファリッド・ブラヒミ(サミール・ゲスミ)のとりなしで授業が始まる。
喋っていた子どもたちもシモンがバイオリンを弾きだすと静まる。

ある日の午後、アーノルド(アルフレッド・ルネリー)と言う黒人の少年は無人の教室に置いてあったバイオリンに興味を抱き、触ったり、音を出しているところへ戻って来た生徒たちからの袋叩きに会う。
アーノルドの事件はシモンに再び子どもたちに才能を伸ばしてやる気になる。

シモンはアーノルドが興味を覚えたバイオリンの弾き方の初歩を教えるが、覚えも彼に音楽の才能を見いだす。
はぐれ者アーノルドがバイオリンに夢中になった影響もあって次第にクラス全体が音楽に熱心に取り組み出し、成長していく子どもたちと向き合うことで、シモンもまた初めて音楽に触れる子どもたちの交流を通して、音楽や人生の喜び、素晴らしさ、音楽の喜びを取り戻していく。
キャスティングされた少年少女たちは楽器に触れるのも初めての素人。
特訓で演奏しているようになり、様になる。

映画の最終目標は年末の「フィルハーモニー・ド・パリ」で開かれる演奏会を目指す、というもの。
課題曲、リムスキー=コルサコフの「シェラザード」で、アーノルドは終盤のソロ演奏を任される。
勿論吹き替えだがアーノルドの滔々と弾く美しいメロディに恍惚となり思わず涙が零れる。
会場の観客もスタンディングオベーション。

実話とリアリティを求めるハリウッドでは映画にはならないだろうが、そういう意味では作り話でも感動を齎すのが得意なフランス映画。

出演の俳優たちは顔を知らない人たちだ。
主演のシモンを演じのは「コーラス」や「幸せはシャンソニア劇場から」などのアルジェリア生まれで53歳のカド・メラッドと言うがイメージは変わっている。
短く刈り込んだスキンヘッドに近い頭に黒斑眼鏡を通して演奏を凝視しながらタクトを振るメラッドは異相だが教室では似合っている。

子どもたちの間を取り成す6年生の音楽担当教師、ファリッド・ブラヒミを「カミーユ、恋はふたたび」などのサミール・ゲスミ。

黒人少年、アーノルドに扮するアルフレッド・ルネリーが小太りの身体をチョコマカ動かしてユーモラスにクラスを盛り上げる。

「デモス」にインスピレーションを受け、パリ管弦楽団の本拠地でもあるコンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリの協力のもと、「コーラス」などの音楽映画を手掛けたニコラ・モヴェルネが製作した。

監督と脚本は、ラシド・ハミが担当した。アルジェリア生まれの32歳と若いラシド・ハミはこれが監督デビュー作。

第74回ヴェネツィア国際映画祭で特別招待作品として上映された。

8月18日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される。

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(日本映画):友達がいない吃音コンプレックスの志乃は歌うとドモらない。一方音楽大好きだが音痴の加代は志乃と組んでバンドを作り文化祭を目指す

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吃音で名前さえ言えない志乃は、歌はスラスラと上手い。
ギターが得意で音楽の才能がある加代は音痴で歌はまるでダメ。

新入生で同じクラスになったが友達が一人も居ない不器用な2人は手を繋いで一歩を踏み出す。

加代がギターを弾き志乃が歌う。
プロのギタリスト顔負けのテクニックと音色。
志乃の透明感のある声は天使の歌声だ。

僕は考え込んでしまうがどうして「どもり」と言わないのだろうか?
ドモリを吃音と言い換えると気を使い過ぎて却って本人に失礼だ。

この思い違いは日本だけだ。世界中で「ノートルダムの背むし男」と呼ばれている名作が日本では「背むし」は差別用語だから「ノートルダムの鐘」と言い換えなければならない。

アメリカ映画をみても「ドモリ」はstutterで平気で皆がセリフで使う。
背むしはhunchbacksでこれも差別用語で無い。
NHKでアナウンサーが「目が不自由な人」(=めくら)「耳が不自由な人」(=つんぼ)と言うたびに腹が立つ。

歌舞伎でも「傾城反魂香」の中で一番の人気は「吃又」と言う出し物。
主人公は又平という絵師で、生まれついての吃音で俗称「ドモ又」で親しまれている。
この又平と女房のおとくのうるわしい夫婦愛が奇跡を呼ぶのが見どころになっている。

ドイツに宣戦布告をする英国王ジョージ六世も映画「英国王のスピーチ」で描かれるように吃音だったのがトレーニングで直る。

本人は生まれつきなので気にしていないが周囲で気にすればするほど却って意識してしまう。

僕はパーキンソン病のレベル3の難病指定。ヨチヨチ歩きなどで廻りの人は助けてくれるし、
電車の優先席の近くに立つと譲ってくれる。
だけどそれを有難いと感謝こそすれ、譲られて恥ずかしいと思わない。

だからドモリの女子高生が大好きな友達も音楽も放棄して閉じこもりとなり
学校も社会も拒否して人生のどん底に落ちるのが分からない。

そいう訳で今日紹介するのはドモリの女子高校一年生の話。
喋ろうとするたび言葉に詰まってしまう志乃(南沙良)は、クラスでの自己紹介で名前すら上手く言うことが出来ず、笑い者になってしまう。

ひとりぼっちの高校生活を送る彼女は、ひょんなことから同級生の加代(蒔田彩珠)と友達になる。
ギターが生きがいなのに音痴な加代は、思いがけず聴いた志乃の歌声に心を奪われバンドに誘う。
文化祭に向けて不器用なふたりの猛練習が始まった。
コンプレックスから目を背け、人との関わりを避けてきた志乃と加代。互いに手を取り小さな一歩を踏み出す。

路上ライブだ。
「翼をください」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
「世界の終わり」
志乃に扮する南沙良の澄んだ歌声と加代の蒔田彩珠奏でるギターは本物だ。
「しのかよ」バンドは文化祭を目指して軌道に乗り出す。
やがてクラスでドモリの志乃をからかった同級生の男子で明るいことだけが取り柄で、空気が読めない菊地強(萩原利久)が路上ライブをしている2人の音楽に感動して強引にバンドに加入することになる。

しかし志乃は菊地の出現で、コンプレックスがぶり返し家に閉じこもり、母、由美(奥貫薫)に「催眠セミナー」に誘われようと、何と言われようとも学校へも行かなくなる。

原作は思春期の少年少女をモチーフに、独創的な作風で「惡の華」「ぼくは麻理のなか」等の傑作を生みだしてきた人気漫画家・押見修造。

この映画で長編商業映画デビューの40歳の湯浅弘章は観客にカタルシスを与えることを忘れている。これは脚色の足立紳を責めるべきなのかも知れないが、待望の文化祭の舞台で加代だけが志乃が居ない言い訳をしながら自作の「魔法」を歌う。

「魔法をください 魔法をください
みんなと同じに喋れる魔法
みんなと同じに歌える魔法」
歌詞も素晴らしいが何よりも加代の歌が凄い。
少しも音痴で無い。
会場に駆けつけ加代の歌を聞いた志乃が大声でドモらずに
「私は大島志乃よ!」と叫び立派に心境を吐露する。

僕の言うカタルシスと言うか観客サービスは、
そこまで大声で叫べるなら舞台に上がって加代と一緒に「しのかよ」バンドをやらないか、ということ。
実際文化祭プログラムにはバンド名は登録されていたのだし、
2人は文化祭目指して猛練習をしていたのだから。


7月14日より新宿武蔵野館他で公開される

「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル最期に死ぬ時」(日本映画):86歳の母親宏子は認知症も最終ステージ。「看取り」と「死」と言う重いテーマを関口監督はいつもの気楽なトーンで笑いながら学習させてくれる

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冒頭から笑える。
 
両股関節手術を受け7週間ぶりに家へ戻った関口裕加は居間でのんびりお茶を飲んでいる母親、宏子は「お泊りデイ・サービス」を納得していない。
「家を出て欲しい」と懇願されたと思い、烈火のごとく怒る母親。

「この家はなあ、お父ちゃんが建てはって私が貰うたものやで、私の家や。出るのはあんたや」
まだら模様の認知症は覚めている時には頭は回転し自己弁護の舌鋒は凄まじいほど冴えている。

説明不足だった。
宏子は86歳、関口は還暦を過ぎた60歳。
老老介護も限界に来ている。

宏子は認知症から発症する脳の虚血性心疾患で4度も救急車が発動され病院へ救急搬送されてる。
1時間ほど空けてリセットし、病院から2か月振りに実家に戻り、母親と再会するシチュエーションにすると、ハタと抱き合い「手術、大変だったなあ」と
今までの確執はどこへやら、雲散霧消で涙の歓迎だ。

これが「毎日が~」の母娘のエッセンスで人気の源。

基はと言えば関口祐加監督09年9月よりアップしたYouTubeで100万人以上が視聴した人気動画から生まれたドキュメンタリー映画シリーズで、「死」を目前にした完結編でタイトルも「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」

2010年1月、29年ぶりにオーストラリアより帰国しそこから母との抱腹絶倒な介護生活が始まる。
帰国した8年前母親,宏子は認知症を発症した。自宅で介護する娘の関口祐加監督はドキュメンタリーで症状を記録しユーモラスなシリーズにして評判を呼びこれで3本目。
オリジナルの「毎日がアルツハイマー」は2012年7月14日に公開以来、大ヒットとなり、今も上映が続く。

だが宏子は2014年~2015年に脳の虚血症発作で4度も倒れ、意識不明となり、いよいよ認知症の最終ステージで後は死を待つだけ。

4度も死に損なったことを宏子は全く覚えていない。
そんな時に誕生日を迎え孫たちに囲まれバースデーケーキの蝋燭の火を吹き消す。

「ところでお婆ちゃん何歳になるの?」
ケーキを前にじっと考え込む宏子。
「80にはなっているだろうが」
実は86歳の誕生日。

「死ぬのを忘れている」と笑う母は、いつ脳の虚血症発作を起こすかわからない状態。

「母の『命』は介護者である自分が預かっている。その責任をどう考え、何を準備すれば良いのだろうか?」

この疑問が新たな認知症探求の旅”の出発点となり、認知症最終ステージの母の『看取り』と誰しもに訪れる『死』をテーマに老老介護で「この先どのぐらい母を支えていけるのだろう?」

関口監督は自分の初めて在宅介護に不安を覚える。
そんななか、知り合いの高齢女性山田さんが自宅で脳梗塞を起し緩和ハウスに入院する。
緩和ハウスに行ったのは初めてでやがて山田さんはお花畑の中で眠るように死んでいった。

死や友人の癌など「死を意識」する機会が増える。
「幸せな『死』=ハッピーエンディング」とはどんなものなのか?を求め、ロンドンとスイスに飛び識者に話を伺うところから
ユーモアドキュメンタリは急にアカデミックになる。
30年近くのオーケストラリアで暮した関口監督の英語は流暢だ。

死のオプションを捜す旅はスイスの「自死幇助クリニック」のエリカプライチェク女医に緩和ケアの問題点を聞いている。
緩和ケアでも痛みや恐怖から呼吸が苦しくなることがあり、そんな時は薬で昏睡状態にしてそのまま息を引き取らせる。

映画のタイトルは忘れたが人生に絶望した富裕の若い男性がスイスの安楽死の大手「エグジット」に行こうとするのを若い家政婦が必死に止めるロマンティックなシーンも思い出す。

オランダとスイスでは安楽死は合法なのだ。
150万円位の費用で楽に死ねると、日本からも「エグジット」に入る人は多いと聞く。

「看取り」と「死」と言う重いテーマで僕自身も身近に迫った感があるが、
映画は関口監督のいつものイージーゴーイングのトーンとマナーで笑いながら学習させてくれる。

7月14日よりポレポレ東中野にて公開される。

「クリミナル・タウン」(November Criminals)(アメリカ映画):大学入試の真っ最中の11月、高校三年生の美人で頭の良いフィービーは同級生で幼馴染のボンクラなアディソンに夢中だ。

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舞台は首都、ワシントンD.C.。
高校3年の11月、志望大学への入学の手続き、SATの点数、高校の推薦状や論文など忙しい季節だ。

ここで明らかなのは、幼馴染のフィービー(クロエ・グレース)は大学入試で落ち着いている。
黙っているがSATの点も高く志望のアイビーリーグの大学は決まっているようなもので、憧れのボーイフレンドの話を聞くだけ。

主人公は友達付き合いが良いだけの冴えない高校生アディソン・シャクト(アンセル・エルゴート)。
趣味は読書とデヴィッド・ボウイを聴き、ビデオ日記をつけること。愛車は古いBMW2200にこだわる。

ガールフレンド、フィービーから「卒業までに処女を捨てたいの」と迫られたモーテルでのセックスの後、
「もう一回」とのフィービーのリクェストを断り余韻に浸っていた。
オカシな関係だ。
美人で頭の良いフィービーはボンクラなアディソンに夢中なのだ。

偶然電源を入れたTVニュースでさっき会ったばかりの親友の黒人、ケヴィン・ブローダス(ジャレッド・ケンプ)が、アルバイト先のカフェで射殺されたことを知る。
目撃者は大型バイクで乗り付けた中年の背が高い白人がいきなり銃で撃ち殺したと言う。

だが、警察は「事件はチンピラの黒人少年が麻薬をめぐるギャングたちの抗争に巻き込まれただけ」で
「実行犯は犯人は組織内で始末された」としてと処理され捜査は早々に打ち切りとなる。

ケヴィンは優等生であり,麻薬に関わって殺されたなどあり得ない。
親友の名誉を取り戻すためアディソンは、幼馴染みガールフレンドのフィービーと共に真実を解明しようと独自に調査を始める。

しかし、彼の申し立てを取り合わない警察ばかりか、親友の死因に納得できないアディソンが、
真相を突き止めるため「ケヴィン事件の情報求む」と書いた貼り紙を学校の廊下に貼りつけ手掛かりを探すが、
教師や同級生からは事件に首を突っ込むなと忠告を受ける。

志望のシカゴ大学への推薦状を餌にカールスシュタット校長(テリー・キニー)はアディソンの調査を打ち切るよう要請する。
どうも街中が事件に目を背ける空気だ。

「息子はこの街に殺された」と白人居住区に邸宅を構えるケヴィンの父、(ヴィクター・ウィリアム)と母(オパール・アラディン)。

父親は生前に入室が出来なかったケヴィンの部屋から大量のドラッグを見つける。

まるでワシントンDCの街全体がこの事件を無かったかのように処理しようとする様に、違和感を拭えないアディソンとフィービー。

やがてカフェの常連D・キャッシュ(コーリー・ハードリクト)から麻薬をある男に届けてくれれば犯人を教えると言う。

不自然な展開に躊躇しながらアディソンは引き受ける。
フィービーは警察に届けるべきだと主張しデリバリーには付き合わない。
その大柄な白人の男こそ犯人だったことは、届け物を渡した瞬間に分かる。

二人は、ドラッグや人種問題が渦巻く闇の中、戻れないところへと足を踏み入れてしまったのだ。

主演は「ベイビー・ドライバー」で注目されたのアンセル・エルゴートと、
フィービーに「キック・アス」の可愛いクロエ・グレース・モレッツ。可愛い女の子はすっかり成熟してアツアツのベッドシーンまで披露する。

事件が解決しドラッグ密売組織も壊滅して、2人は無事高校を卒業する。
アディソンはソコソコ大学だが志望のシカゴ大学に合格し大喜び。
しかし頭の良いフィービーは何と名門イェールに入学が決まっていた。
観客も驚く、アイビーリーグでもイェールはハーバードやMITに並ぶ名門だ。
シカゴ大学など足もとにも及ばない。

これで二人は別れるなと思ったら、フィービーがプレゼントとして小さな封筒を渡す。
中にアムトラック(鉄道)の時刻表、シカゴとニューヘブン(イェール大の所在地、コネチカット州)。

ダサいB級映画だが最後に得点を挙げる。

エンドクレジットで主人公が絶えず聴いていたデビッド・ボオイにエンド・ロールでボオイの楽曲をバックに献辞を捧げている。

「ティーンエイジノワールの傑作」と絶賛されたサム・マソンの小説「November Criminals」を、ドキュメンタリー「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」で監督デビューしたイギリス人のサーシャ・ガヴァシが映画化。
そのサーシャ・ガヴァシはその後、A・ホプキンス主演の「ヒッチコック」(12)で長編劇場用監督デビューし高い評価を受け、監督第二作としてこの作品の監督と脚色をしているが未熟さが散見される。

8月25日より新宿シネマカリテにて公開される。

「ルームロンダリング」(日本映画):自殺とか殺人傷害事件のあったワケあり物件に住み事故の履歴をリセットし、次の住人までにクリーンな空き部屋へと浄化する。しかし死んだ元住人たちは幽霊となって残っている

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ドラッグなどで設けた黒いお金を洗浄して当局からつつかれない様にするのが、「マネー・ロンダリング」。
ありそうでなかった奇抜な職業 「ルームロンダリング」

字幕で聞き慣れないタイトルの「ルームロンダリング」の説明がある。
自殺したとか殺人傷害があったいわくつきの部屋を売ったり借りたりするときに、客へ前の住人は若い女性だと説明が出来るようにするために一時的に住まわせるのが「ルームロンダリング」。これなら分かり易い。

冒頭で老女の葬儀が執り行われているいきなり教会に殴り込むようにザンバラ頭に黒メガネ男が突入する。

そして祖母(渡辺えり)の遺影に向かい怒鳴り焼香のツボをひっくり返す。
男は祖母の息子で主人公御子の母の弟、叔父の雷土悟郎(オダギリジョー)。

祖母が亡くなり天涯孤独になった八雲御子(池田エライザ)をこれから俺が面倒を見る、と言うのだが葬儀をぶち壊さなくともいいんじゃないかね、
と思ったら悟郎は幽霊になった母親と話していたので大声になったことが後で分る。
祖母の渡辺えりが息子に頼んだよ、と笑い掛けるのだ。

葬儀に参列していた、楚々としたセ-ラー服姿のJK御子は一瞬、男の乱暴な言動に怯えるが、根は優しい叔父悟郎は、御子に住む場所とアルバイトを用意してくれた。

そのアルバイトとは、ワケあり物件に住み込んで事故の履歴を帳消しにし、次の住人を迎えるまでにクリーンな空き部屋へと浄化すること(=ルームロンダリング)なのだ。

引っ込み思案で人見知りをする御子にとって都合の良い仕事だったが、行く先々の訳あり部屋で待ち受けていたのは、幽霊となって部屋に居座る未練たらたらでリベンジを考える元住人たち。

このシチュエーションはこれから何が起こるか期待でワクワクさせる。

ミュージシャンになる夢を諦めきれないパンクロッカー春日公比古(渋川清彦)や見ず知らずのストーカーに命を奪われ恨み骨髄の美人OL千夏本悠希(光宗薫)、カニの扮装をした小学生。

どういう訳か幽霊となった彼らの姿が見えてしまう御子は、相談に乗り頼みを聞くが余りの多さに振り回される。
彼らのお悩み相談に振り回されるうちに、御子は少しずつ自分の人生と向き合っていく。
この作品で監督デビューとなる片桐健滋は御子には自分を投影していると言う。

「人と向き合うことは、自分と向き合うこと。それは時にしんどく、切なくて可笑しくもあるけれど、少し回り道をしても立ち止まって人を思いやれば、自分にも優しくしてあげることができるかもしれない。
目いっぱい頑張って疲れてしまった心をロンダリングしてくれるような、人生の次の一歩を踏み出すまでのささやかな物語は、私たちそれぞれの目に見えない姿、言葉にならない声に耳を傾け、寄り添い、そっと背中を押してくれる」
まともに撮ると辛気臭く、しんみりしてしまうのでコメディタッチでエッセンスを外さないように描いたと。

天涯孤独でアヒルのランプが手放せない、ちょっぴり不思議少女のヒロイン・御子を演じるのは、19歳の時、映画「みんな!エスパーだよ!」(15)の主人公に抜擢されて以降、女優としての道を歩む22歳の池田エライザ。モデル出身だけに美人でゴージャスだ。

御子と良い関係になりちょっぴりロマンティックなのは、死んでもミュージシャンになる夢を諦めない渋川清彦扮する公比古、作詞作曲のカセットテープをレコード会社に渡しておけば世に出ていた。

見ず知らずのストーカー男に命を奪われた美人OLの悠希には光宗薫、
その殺人事件を防げなかったことで悩む隣人の亜樹人に健太郎。

ほかに木下隆行、奥野瑛太、つみきみほ、田口トモロヲ、渡辺えりといったベテランの面々が脇を固める。

崔洋一、廣木隆一らの元で助監督を務めてきた39歳片桐健滋の長編劇場映画の監督デビュー作。

新たな映像クリエイターの発掘を目的としたコンペティション「TSUTAYA CREATORS’PROGRAM FILM2015」で準グランプリに輝いたオリジナルストーリーを映画化。

誰が本を書いたのかクレジットされないが、面白い素材に愉快な展開ですっかり堪能できた。

7月7日より、新宿武蔵野館ほかで公開される。
(もっと一流の小屋で上映すべし)

「万引き家族」(日本映画):長年「家族の姿」をひたすら追い求めていた是枝裕和監督の集大成版は「偽の家族」だった、そしてカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した

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今年5月の第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にて、最高賞にあたるパルム・ドールを受賞した。

カンヌ、ベニス、ベルリンの三大映画祭でカンヌが抜きん出てトップだ。
是枝裕和は世界の巨匠の仲間入りをした訳だ。
1997年ベニス映画祭で「HANA-BI」で金獅子賞の北野武より上だ。

「家族の姿」をひたすら追求して来た是枝裕和監督のカンヌで知られた作品と言えば、柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞した「誰も知らない」。
子供を置き去りにした母の代わりに、過酷な状況下で幼い弟妹の世話をする懸命な中学生の長男を描いた。

産院で取り違えられた子供をめぐり裕福な家族の下で育った子と、貧しいが笑いが絶えない家族の子と究極の選択を迫る「そして父になる」も階級と幸福度の乖離や、
海の見える街に暮らす姉妹たち、母親が違い田舎でそだった末娘がどのように姉たち受け入れられ家族となるかを描くた「海街diary」、
15年前に死んだ兄と比較されて育ち、その命日に年老いた父母の住む実家を訪れる居心地の悪さで悪態をつく「歩いても、歩いても」など、
さまざまな「家族のかたち」を追い続けてきた。(僕は「歩いても~」が一番好きだ)

その是枝が今までの中では一番心が痛むが視点をもう一段高くした「偽家族」を組み立て生き残りを賭ける作品でパルム・ドールを勝ち得たことに意義がある。

実は、2015年の第68回カンヌ映画祭で同じパルム・ドールを取ったジャック・オーディアール監督の
フランス映画「ディーパンの闘い」も偽家族を扱っている。
スリランカの内戦でディーパンは妻も子供も失い、名前さえも失う。一方、女性(カレアスワリ・スリニバサン)は、移住許可を取りやすくすべく難民キャンプで孤児の少女(カラウタヤニ・ヴィナシタンビ)を探し当てる。海外渡航のあっせん事務所を訪れた彼女たちは、ディーパンと共に偽装家族として出国する。

生き残るために見知らぬ難民同士が「偽家族」を作るのは似ているがこれはスリランカ内戦の難民に焦点が当たっているが
パリでディーパンは「家族」を守るためドラッグディーラーのギャング団と戦う。

映画の出来は遥に是枝作品の方が優れている。

高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな狭い平屋に、柴田治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の4人が牛詰めで暮らしている。

彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母、初枝(樹木希林)の年金だ。自分を置いて他の女と駆け落ちした夫が亡くなり,僅かながらもその年金が妻として
籍の残っている初枝に入って来る。
その上命日と称して夫の実家に押し掛け、そこの夫婦から毎回3万円ずつ心付けを貰う。(一種の恐喝だね)

治は工事現場で日雇い人夫、信代はクリーニング店でアルバイト。
しかし不況の波に押し流されて治も信代もリストラされる。

そこで足りない生活費は、スーパーや雑貨屋、駄菓子店などの万引きで稼いでいた。
治は買われるまではお店の品は誰のものでもないと祥太に説明している。
階層社会のドン底を這うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。

「家族の幸せ」とは美味しいものを皆で飲食することにあるのじゃないかと思わせるほど食べるシーンはバラエティをつけながら絶やさない。
熱々のカップラーメンに大きなコロッケを落として食べる家族の顔は皆ハッピーだ。

冬のある日、近隣の高層団地の廊下で震えていた幼い女の子、(佐々木みゆ)を、見かねた治が家に連れ帰る。
食わせなければならないと文句を言う信代は女の子の体に煙草の焼けど跡や切り傷殴打の赤い痣だらけの彼女の境遇に涙して、信代は娘として育てることにする。
名前を聞くと「ユリ」だと言う。ユリを連れ帰っても両親は警察へも届けていないようだ。連れて来て2か月になるのに、TVで「誘拐」のニュースも流れない。

だが、とんでもない事件が一家を襲う。
祖母が突如死んでしまったのだ。
役所に死亡届を出すと年金は打ち切られることになる。
年金が打ち切られると一家は生活できない。
そこで死亡届は出さずに遺体をオンボロ家の床下の土中に埋める。

 祥太がスーパーでいつものように必需品を揃えて(万引き)いると、外で待っている筈のユリが店内に入り込み祥太の真似をし始める。
観客は万引きがバレるのは時間の問題だと感じる。

祥太は治から聞かされているが「どうも悪いことをしている」感覚を覚えて来る。
治がハンドバッグを置き引きしたり、駐車場でウィンドウを割り「車上荒らし」で鞄を盗り出しているのを見ているとどうしても悪いこと、「罪」の意識を確信する。

更に大変なことにはユリを庇うために祥太の万引きが見つかり店員に追いかけられて高い道路から飛び降り足を挫き入院する。
この事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく。

総ての罪を信代が自分1人の仕業だと自白する心境が良く分からないが、この映画のクライマックスであり、理想の家族がどういうものかを収監された信代が語る。

「自分の人生の中で皆と過ごしたこの3年が最高の幸せな時だったし、この至福を味合わせてくれたお礼に何を投げ出しても良い」と思うようになったと。

信代は前の夫のDV(家庭内暴力)でズタズタにされ刺し殺した前科がある。
正当防衛とされたが殺人は殺人だ。

愛に飢えた信代が夏の暑い日、全裸で汗まみれで初めて治とマグ合うシーンは美しい。
「もう一度お願い」と頼み込む信代の倍以上の年齢の治が「久しぶりのエクスタシーの余韻を味合わせてよ」と煙草を吸うシーンは秀逸だ。

是枝は親の死亡届けを出さずに年金を10年間不正に貰い続けていたある家族の実際にあった事件に構想を受け、家族や社会についてじっくり考え作り上げたと言う。
寄せ集めの「偽装家族」の方が愛情に溢れる本当の家族なのだ。

日雇い人夫の父・治役にはリリー・フランキー。
是枝作品には「そして父になる」以来庶民的な父親を好演して以降、「海街diary」、「海よりもまだ深く」と4本続けて出演している。
前頭部は禿げ広くなった額の下に愛嬌のある小さな眼、口髭はマバラでとぼけた表情は飄々といい味を出している。

祖母・初枝役には是枝作品の「家族」には欠かせない存在の71歳の樹木希林。
しかし是枝作品には初参加となる安藤サクラが素晴らしい。一家を纏める妻・信代役を熱演している。安藤が演技陣の要だ。

オーディションで選出された子役2人も上手い。

息子・祥太役にハンサムな城桧吏、一家が面倒を見ることになる少女・ユリ役の佐々木みゆが天性の甘えの芝居を見せる。
みずみずしい表情や仕草を引き出すため、子役には台本が渡されていない。
是枝は子役の演出は人一倍エネルギーを使い役柄のエッセンスを引きだしている。

監督は「万引き家族」には「血のつながりについて、社会について、正しさについて、長年考え続けてきたことの全てを込めた」と語っている。
是枝の家族映画の集大成だ。

6月8日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国で公開される。

「スウィンダラーズ」(The Swindlers)(韓国映画):騙し騙され、ドンデンに次ぐドンデン。観客はすっかり煙に巻かれたまま結末を見守る。

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韓国で起こったマルチ商法詐欺事件(所謂「ねずみ講」)を基にした犯罪アクション。
原題Swindler=詐欺師がそのまま「かな書き」で邦題になっているが、
僕らは普通Con man, fraud, rogue, hustlerなどを使いSwindlerなどと言う仰々しい言葉は初めて見る。

ある日、有名な詐欺師のチャン・ドゥチルが死亡したと報じられた。
ドゥチルが組織したネズミ講の3000億ウォン(300億円)も消えている。

死亡したとされる有名な詐欺師チャン・ドゥチルがまだ生きていると直感した若き知能型詐欺師、ファン・ジソン(ヒョンビン)が希代の詐欺師をチームを結成し協力して捕まえようとエリート検事パク・ヒス(ユ・ジテ)に相談する。

詐欺師だけをターゲットにだます詐欺師集団が活躍するなんて映画を初めて見る。
詐欺師が何故検事と組むのかも理解の外にある。
犯罪人と官憲がチームを組む訳も常識では考えられない。

パク検事は非公式捜査ルートである詐欺師3人組、ベテランのコ・ソクトン(ベ・ソンウ)、美人でハニートラップ得意のチュンジャ(ナナ)、裏側捜査専門のキム課長(アン・セハ)も合流して、行方をくらましたチャン・ドゥチルを追い詰めるためドゥチルの側近クァク・スンゴン(パク・ソンウン)に接近しようと新しい作戦を立て始める。

しかし、パク検事はチャン・ドゥチル検挙ではなく、別の目的のためにひそかに違う作戦を立てていた。
これに気づいたジソンと他の詐欺師たちも互いにダマされないため、それぞれの計画を立て始める。

韓国映画はレベルが高く興行界のサバイバル戦を戦い抜くには「奇を衒った」コンセプトやフィロソフィーが必要なのかも知れない。

僕のような凡庸な日本人観客は「どうしてこうなるの?」というドンデンに次ぐドンデンで戸惑うばかりだ。それにセリフが幼稚と言うかドンくさい。
紅一点のナナのカマトトぽいセリフ。ナナは英語で喋るから分かる。

主人公の知能が高い若い美男詐欺師を演じるのは「王の涙」や「コンフィデンシャル/共助」などのヒョンビン。変装と騙しのテクニックは群を抜いている。

仲間に加わる首席検事パク・ヒスを演じるのは春の日はすぎゆく」や
「オールド・ボーイ」などの名作に出演しているユ・ジテ、野望に満ちたエリート検事役を官僚臭く演じる。

ベテラン詐欺師コ・ソントクは「インサイダーズ/内部者たち」などのペ・ソンウ、
そして紅一点、K-POPガールズグループ「AFTERSCHOOL」のナナが美人のチュンジャを演じて美貌と話術を武器にして男どもをトラップへ引きずり込む。
でも「私ってあなた好みの女かしら」なんてセリフをヌケヌケと吐く。

「詐欺師をダマす詐欺師」という未曽有なコンセプトでの駆け引きの連続と大どんでん返し。

詐欺師のみを狙う詐欺師グループと言う発想は面白い。詐欺で集めた大金をごっそり頂こうと言う寸法だ。
しかし、どうも小物がBig Fishを狙う奇策を用いすぎでレベルの高い韓国映画にあってはB級作品のレベルだ。

7月7日よりシネマート新宿ほか全国で公開される

「妻の愛、娘の時」(相愛相親/LOVE EDUCATION)(中国・台湾映画):三世代に亘り、家系に繋がる女性たちの考えの違いや愛憎を浮き彫りにする

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 30年程前の「過ぎゆく時の中で」や「恋人たちの食卓」(94)などの台湾の美人女優、シルビア・チャンもいつの間にか64歳。一生役者で終わりたくないと思ったのか、
「君のいた永遠」(99)などで監督業に乗り出している。
才色兼備とはシルビア・チャンのことを言うのだろうが、今日紹介する映画も女性ならでは撮れないセンチメンタルながらアンビバレントな愛憎を織り交ぜて
三世代に亘る家系に繋がる女性たちを描く。

彼女の監督作品は歳を経るに従い内面深部の女性心理やフィロソフィーを明確に抉っていながら
アートフィルムに堕せず、人気女優のキャリアから観客へのサービスを忘れないプロットを考慮している。
そんな意味で監督・脚本・主演のこの映画はシルビアの集大成ともいえる。

堪能した僕はすっかりこの作品の虜になっている。

冒頭、北京の病院で老女が死の床にある。
母を看取ったのはもうじき定年を迎える学校教師のフイイン(シルヴィア・チャン)。

田舎にある父の墓を北京に移して母を一緒に入れてあげたいと、夫と娘を連れて父の故郷を訪れる。

父の最初の妻、ツォン(ウー・イェンシュー)は家を出たままの夫をひたすら待ち続けていた老女で
子どもも身寄りも無い一人暮らし。

いきなり都会から現れた後妻一族に大事な夫の墓を持って行かれては堪らない。
村人たちは一様にツォンに同情しツォンと一緒に抵抗する。

フイインの夫、シアオピン(ティエン・チュアンチュアン)は自動車教習所のインストラクターで妻を温かく見守る優しい男性。
早く引退してフイインと全国をドライブしたいと考えている。
上手い初老の役者だなと思いクレジットを見ると「盗馬賊」や「青い凧」などの巨匠ティエン・チュアンチュアン監督が演じている。

娘のウェイウェイ(ラン・ユエティン)はゴシップ専門のTV局のレポーター。
ボスはツォンとフイインの「お墓をめぐるトラブル」は面白い話題だからと取材を命じられ記者としてツォンの家へ足しげく通い、すっかり意気投合して仲良くなる。

いつの間にか焦点はウェイウェイに当たる。
村のバーで人気のバンドでヴォーカルのアダー(ソン・ニンフォン)は彼女の幼馴染、
ツアーに出たりして久しぶりに墓騒動の村で歌っているところで再会する。
そのまま舞台に上げて名曲Beyondの「海闊天空」をたっぷりフルコーラスで、デュエットを聞かせるが、シルビアの観客サービス心の一環だ。

劇中でもアダーが女性の視点で描いた歌としてギターを弾きながら紹介する「佰上花開」をエンドクレジットの間中流して楽しませてくれる。
映写終了しても甘いメロディは頭の中で反芻を繰り返す。

父の墓をめぐる3世代の女性それぞれの思いを、切実かつユーモラスに描いたヒューマンドラマだが、
町長が出て来て政治的に解決し墓は北京に移すことになるがツォンの気持ちを思うと後味は良くない。

「家族の中にも世代の違いがあり、どうすれば理解し合えるのかを描きたい」とのシルヴィア監督のコンセプトは明確だ。

9月上旬YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開。
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