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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎」(妖猫伝)(日中映画):唐の都・長安の夜を跋扈する謎の黒猫。食べるのは「目玉」だけ。黒い妖猫が齎す王朝を震駭させる連続怪事件。傾城の美女、楊貴妃を守る秘策とは?

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昨日(24日)が初日。4時5分の回はシャンテの一番大きなスクリーン1の224席が文字通り満席、こんな光景は久し振りだ。
何の予備知識も無しで、弘法大師こと空海を主人公とした真言宗の仏教映画かと思った。

監督のチェン・カイコーはカンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝いた「さらば、わが愛/覇王別姫」や「始皇帝暗殺」などの歴史もの得意の巨匠だから
弘法大師様の歴史映画もレパートリーだと思っていたら、
いきなり、黒猫が出て来て人間に襲い掛かり「目玉」をたべてしまうのに驚く。

原作が「陰陽師」シリーズや「神々の山嶺」などのベストセラー作家・夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」だから
素っ頓狂のSF的歴史ミステリーだなと思考を修正し始めた。

中国語のタイトルが「妖猫伝」だとすると黒猫が主人公なのか?
中国では昨年暮れから上映が始まり春節を迎えた今興行成績は100億円に達しているメガヒットなのだと言う。

物語りには誰でも知っている空海と天才詩人の白楽天が、長安で起きる傾国の美女、楊貴妃に恋に落ちる玄宗皇帝とのロマンス。
その果てに楊貴妃が殺される怪事件の謎に迫っていく。

1200年以上前、若き天才僧侶・空海(染谷将太)は、日本から遣唐使として中国・唐へ渡る。
唐の都、長安は世界最大の都。
大群衆の犇めく市場の雑踏や整然とした軍隊、華麗な宮人たちが仕える豪華な王朝など
目を見張るシーンに、中国映画のオープンセットとCG技術は半端ではないと感嘆する。

頭を丸め袈裟を着た小柄な染谷の空海は味噌のCMの小坊主のようで可愛いい。
小坊主が物語の語り部の主人公役とはちょっと軽いかな。

長安で学ぶ空海はあるきっかけで、王朝の記録係の詩人・白楽天(ホアン・シュアン)と知り合い友人となって親しくなっていく。

そのころ、長安では、皇帝2人を含め王朝の権力者が次々と奇妙な死を遂げ、王朝を震撼させる怪事件が起きる。
王朝は呪われている。

空海は白楽天とともに一連の殺人事件を探るうち、約50年前に唐に渡ったもう一人の日本人・阿倍仲麻呂(阿部寛)の存在を知る。

仲麻呂が玄宗皇帝(チャン・ルーイー)に仕えたその時代には、
国中を狂わせた絶世の美女、楊貴妃(チャン・ロンロン)がいた。
阿倍仲麻呂は危機が迫る楊貴妃を守ろうとして何か事件の鍵を握っていると空海は推量する。

染谷じゃ何となく頼りないが阿部寛が顔を出すとホッとする。
日本人離れした阿部の馬面は中国系なのか、支那人に交わって違和感は無い。

楊貴妃のチャン・ロンロンは台湾生まれのフランスと台湾の混血。
身長168センチで背が高い。
1987年生まれの30歳で結婚していて子どももいると言う。
傾城の美女、楊貴妃役としてはそれほど美しいとは思わないし、
プロフィールを見る限りイメージダウンだ。

ターニングポイントは迫り来る危機を回避すべく楊貴妃に死んで貰おうと言うもの。
勿論漢方の鍼灸の技で耳に刺す鍼一本で心肺停止の仮死状態になる。

敵に死んだと思わせ、棺桶に入れるが危機を脱した時に鍼を抜いて蘇生させる。
思い石棺に華やかな花嫁衣裳を着て横たわる楊貴妃。
これってシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」に似ていない?

連日連夜の極楽の宴、目玉のみを食する黒い妖猫の呪い、
そして絶世の美女、楊貴妃の秘めたる真実。。
空海&白楽天の探偵コンビはやがて歴史に隠された哀しき運命と対峙することになる。

主人公の若き天才僧侶・空海を演じるのは、海外作品初主演となる染谷将太。
13年に「ヒミズ」「悪の教典」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞している。
31歳の空海を演じるには25歳の染谷には重荷。どう見たって子供っぽい空海だ。

空海の相棒となる稀代の詩人・白楽天(後の白居易)にはホアン・シュアン。
1985年中国蘭州生まれの32歳。ダンスを志したがケガで俳優に転向。
これと言った作品に出ていないので日本では無名だが鼻筋のスキッと通ったイケメンで
今後日本でもファンが増えるだろう。

その他、松坂慶子や火野正平など60歳後半のベテランが脇を固める。

当然日本人には中国語は分らないので
日本語吹替えキャストとして
白楽天に高橋一生、楊貴妃に吉田羊、他に東出昌大、イッセー尾形、寛一郎、六角精児などが声の出演をする。

日本の原作、中国のスタッフ、そして日中を代表する豪華俳優たちの競演と鳴り物入りの大作だ。

TOHOシネマズシャンテ他で公開中

「Loveless ラブレス」(Loveless)(露・仏・独・白映画):ロシアの上流階級の夫婦は互いに愛人を作り離婚することは決まったが、一人息子12歳のアレクセイの引き取りを押し付け合う。

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両親が夫々勝手なことをしている。互いに愛は無くなっており、12歳の息子を誰が引き取るかで揉めている。住んで居る豪華アパートの売却も決まっている。2人の口論を聞かされているアレクセイはいたたまれない。
少年の身になれば自分の存在価値を否定されるのだからたまったものじゃない。
こんな親がロシアには居るんだ。

3月のアカデミー賞外国語部門賞でドイツ映画「女は二度決断する」と真っ向勝負で受賞するだろうと下馬評の高いこの重い悲しい作品。

監督は、デビュー作「父、帰る」(03)がヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝き、「ヴェラの祈り」(07)「エレナの惑い」(11)がカンヌ国際映画祭で賞を受賞、「裁かれるは善人のみ」(14)がカンヌ国際映画祭脚本賞、ゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞などを受賞したロシアの巨匠、アンドレイ・ズビャギンツェフの新作だ。

ロシアの格差社会を背景に家族の崩壊を描き、重厚な悲劇を描いてきたズビャギンツェフ監督の得意なジャンルで集大成の作品だ。
一流企業の重役のボリス(アレクセイ・ロズィン)と美容サロンを経営するジェーニャ(マルヤーナ・スヒヴァク)の夫婦。

2人は離婚協議中で、家族で住んでいるマンションも売りに出そうとしている。
その上12歳の息子、アレクセイ(マトヴェイ・ノヴィコフ)をどちらが引き取るのかで、激しい口論をしていた。アレクセイは耳をふさぎながら、両親が喧嘩する声を聞いている。少年の心はズタズタに引き裂かれている。

ボリスにはすでに妊娠中の若い恋人、マ-シャ(マリ―ナ・ヴェシリイェーヴァ)がいるが、上司は原理主義的な厳格なキリスト教徒で、離婚をすることはクビを意味していた。ロシアはギリシャ正教で厳格なカトリック、離婚は絶対に認めない。だから必死に情事は隠す。

美容サロンのオーナーでもあるジェーニャにも、年の離れた裕福な恋人、アントン(ンドリス・ケイシス)がいる。娘が一人、成人して留学中だ。アントンはジェーニャを上流階級の女性にしてくれる。

監督は2人を夢の良なピンクのロマンチックワールドへ誘う。
ジェーニャはアントンとセックスをしながら、母に愛されなかった子供時代のこと、そして自分も子供を愛せないのだと語る。母から逃れるため誰でも良いからとボリスと寝て妊娠してしまったのだと。
酷い母親だ。

両親がデートで家を留守にするなか、息子が通う学校からアレクセイが2日間も登校していないという連絡が入る。
自宅にやって来た警察は、反抗期だから両親が旅行中の友達の家で遊んでいて数日後に帰って来るといい加減なことを言う。アレクセイには友達は居ない。

ボリスとジェーニャは行方不明者を探す市民ボランティアに捜索を依頼する。夫婦とスタッフは、心当たりのある場所のひとつとしてジェーニャの母の家を訪ねる。がアレクセイは当然居ない。母親は娘に自業自得だと怒鳴るだけ。

アレクセイが姿を消して初めてボリスもジェーニャも自分たちの荒んだ心に気付く。それだからと言って相手と別れようとはしない。

ビラを配り、ポスターを貼り情報を求めるが少年は現れない。
10年経った公園でジョッギングする若い女性の前にアレクセイ探しの破れたポスターが風に吹かれて震えている。

見終わっても席を立てない。ショックな映画だ。アレクセイは何処へ行ったのだろう?

ズビャギンツェフ監督はプロローグとエピローグで冬の暗く冷たい公園の樹々や凍った池などをモノトーンで描きながら、ロシアの富裕層の非人間性を抉り非難する。

4月7日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される

「ファントム・スレッド」(Phantom Thread)(米映画):仕立屋でロンドン中に名を馳せたレイノルズと給仕のアルマは相思相愛で一緒に住み始める。築いて来生活に馴染めないアルマに苛立つレイノルズ

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オスカー有力候補として浮上して来たポール・トーマス・アンダーソン監督の「ファントム・スレッド」は、2月26日現在北米での累積は18.7M、海外44カ国で開けて累積は14.1M、グローバル総計は32.8M(35億円)と制作費も回収出来ていない苦しい興行成績だが、アート映画はこんなものだろう。
男優主演賞を含め主要部門でオスカーを取れれば興行成績は勢いを盛り返す。

僕はK男性化粧品のCMタレント交渉の時に、ハリウッドでデイ=ルイスに会っている。
「マイ・レフトフット」(89)でオスカーをとった後で、その時はフランスの女優、ジュリエット・ビノッシュを連れていた。寡黙で朴訥として芸能人らしからぬ態度、ギャラも高くなくこちらの言い値で引き受けてくれた。

1998年、デイ=ルイスは一旦俳優を辞めてイタリアで靴職人をしていた。
イタリア・フィレンツェのハンドメイド靴職人ステファノ・ベーメル(Stefano Bemer)のサン・フレディアーノの工房で靴作りを教わっていた。

ローマの工房近くに妻のレベッカ・ミラー(アーサー・ミラーの娘)と1歳の息子と住み始め、10ヶ月間べーメルの指導の下で靴制作の修行を積んでいた。
そこへマーティン・スコセッシ監督がフィレンツェまで訪れ、「ギャング・オブ・ニューヨーク」の出演を懇願した。

映画界に復帰する彼にベーメルが贈ったものは工房の合鍵でいつでも戻って来いと言う意図だった。
しかし、ベーメルは2012年7月に48歳で亡くなった。

親友スコセッシ監督に口説かれて役者にカムバックしたものだが、この作品を最後に再びフィレンツェに戻り靴職人に復帰する。

未だ60歳、役者として絶頂期なのに勿体ない話だ。
既にゴールデングローブで主演男優賞を授与されているが3月4日のアカデミー賞では主演男優賞の可能性は高い。

ダニエル・デイ=ルイス扮するオートクチュールの仕立屋レイノルズ・ウッドコックは、英国ファッション界の中心的存在として社交界から脚光を浴びていた。
ファッションデザイナーは1950年代ロンドンで上流階級やロイヤルファミリーなどの関心を買おうと腐心している。

芸術家肌のレイノルズの「ハウス・オブ・コットン」は30人ほどの縫子が働いていた。子供っぽいレイノルズを管理しビジネスを切り盛りし仕立屋(ブティック)をマネージするのは姉のシリル(レスリー マンビル)。
厳格な性格で感情を顔に表さず冷徹に物事を進める。
レイノルズの愛人で縫い子のジョハンナをどうするか?と聞く。
「彼女は可愛いがもう時期(Time)が来ているんじゃない」
シリルは退職金とお土産込みで即座に馘首する。

そんな頃、いつも朝食をとる近所の食堂で働くウェイトレス、アルマ(ヴィッキー・クリープス)に出会う。
一目惚れのレイノルズにアルマはメモをそっと手渡す。「ガツガツしないで、私の名前はアルマよ」
野心を抱くアルマもレイノルズに強烈な魅力を感じたのだ。
相思相愛の二人、勢いで結婚までしてしまう。

アルマはミューズ(愛の女神)としてレイノルズの人生に入り込むが、やがてレイノルズの美意識とフィロソフィーで丹念に緻密に織り上げた人生が「アルマへの愛情」により破綻し始めたことに気付く。

逆にアルマはレイノルズの愛情が他の女に向かないように色々と策略や陰謀を巡らす。

アンダーソン監督はそのあたりの描写が上手い。
新婚旅行で山奥の別荘で過ごす二人、メイドもコックもいないのでアルマが朝食を用意する。たっぷりバターを塗ったトーストに紅茶。紅茶には砂糖が3匙入れなければダメだし、バターは大嫌いだ。

新婚旅行から帰って来て普通の生活に戻りアルマは彼の好きなアスパラガスをバターソースで真っ黒に揚げて出す。
レイノルズは怒る。
アスパラガスはオリーブオイルで焼き、塩と胡椒だけを振りかける。
自分の規則正しくキチンと積み上げ生活や規範が異分子が入り込み不協和音を立てるのに怒り狂うレイノルズ。
シリルが追い出そうと提案するが肝心なところでアルマへの熱愛が許さない。
アルマはレイノルズを独り占めするのにどうしたら良いか考えた結果が飛んでも無い方法を思いつく。

夫々の存在を憎みながらも互いに猛烈に愛し合う、アンビバレントなロマンスと情熱が延々と描かれる。
二人の熱演は見ものだがデイ=ルイスの熟練の芝居に対し、美人でもなく「胸も小さい」ヴィッキー・クリープスは下手というかボロが目立つ。

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のポール・トーマス・アンダーソン監督とダニエル・デイ=ルイスが2度目のタッグを組む。

名優デイ=ルイスは「マイ・レフトフット」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「リンカーン」で3度のアカデミー主演男優賞を受賞しているがこれが最後の顔見世で4度目のオスカーを取れるかどうか。(僕は行けると確信している)

低音通奏といいたいがピアノやベースなど打楽器で派手な高音通奏でアンビバレントで不安を抱える二人の感情をなぞるレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドの音楽は画面と一体となり迫って来る。。

5月26日より銀座シネスィッチ他で公開される

「オー・ルーシー!」(OH LUCY!)(日米映画):43歳独身OL節子の退屈な日常に突如アメリカ人ルーシーに変身して語学研修と言う、これまでの人生を揺るがす刺激が舞い込む

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平柳敦子監督の名は聞いたことが無いがNYU大学院「ティッシュスクール・オブ・アート」卒と聞いて充分な背景に権威付けと知識を持つ筈でお手並みだ。

何しろ西のUSCの映画科に対抗して東のNYUの映画大学院「ティッシュ・スクール」は
アン・リー、オリバー・ストーン、スパイク・リー、などの監督や
俳優のアレック・ボールドウィン、マルシア・ゲイ・ハーディン、アダム・サンドラー、スーザー・セイデルマン、ブリジット・フォンダ、トニー・クシュナーなど、
優秀な映画人を輩出しているグラデュエートスクールだから。

この作品は平柳の大学院2年の終了制作の短編がカンヌ映画祭の学生映画部門(シネフォンダシオン)で2位となり、サンダンス・インスティチュートのNHK賞(脚本部門)で受賞し制作費の支援を受けて劇場用長編映画に仕上げたものだ。

小柄な平柳監督はサンフランシスコで結婚し二人の子持ち、空手初段の猛者でもある。

LAの高校に通っていた時に悩んだのは「自分のアイデンティティ」だという。
島国日本で人種的に均質化し保守的な環境に順応する日本人と
広いアメリカで文化も歴史も違う黒人、白人、ラティーノ、アジア人など人種のるつぼの中で
どう言う規範の中で生きていくか?
ティッシュ・スクールで早速このテーマで短編を撮り上げた。

43歳の独身で退屈な会社でダラダラ勤務のOL節子(寺島しのぶ)は、職場では仲良しの仲間もいない空気のような存在、一人暮らしの狭い部屋は足の踏み場もないゴミだめ。

ある日、メイドカフェに勤める姪の美花(忽那汐里)に頼まれ授業料は払い込み済みで勿体ないから、代理で英会話クラスを受講して欲しと頼まれる。
節子の姉、綾子(南果歩)は娘に厳しくそのため美花は家を出て自活しているから懐はピーピーだ。
節子はその授業料60万円を支払うハメになる。

英会話学校のアメリカ人講師ジョン(ジョシュ・ハートネット)の授業は変わっている。
生徒を日本の文化から切り離すため、ルーシーという名前と金髪のカツラを与えられ、挨拶はハグから始まる。

男性受講者小森(役所広司)はトムと言う名を貰いルーシーと一緒にジョンの授業を受ける。

「ヘイ! マイ・ネイム・イズ・ルーシー!」
「ワッツ・アップ?」

新人監督に寺島、役所、南、それにハリウッドスターのハートネットなどと言うベテランスターたちの演出とは荷が重いのでは。

変身アメリカ人、ルーシー役に成り切って受講するうちに、自分の中に眠っていた感情を呼び起こされた節子はハグしてくれたイケメン講師ジョンの愛を求め始める。

ところがジョンは、美花と一緒にアメリカLAに帰ってしまう。
節子は、姉である美花の母、綾子と一緒にジョンを追ってアメリカへ旅立つ。

何事にも満たされない日々を過ごす43歳独り身の会社員・節子が、姪にたのまれたばっかりに、ふと立ち寄った英会話教室のアメリカ人講師に恋をし、東京とロサンゼルス、それにサンディエゴで大騒動を巻き起こすブラック・コメディ。

ジョンとのセックスシーンはよがり声だけのモデストなものだが、
嫉妬にかられた美花との大立ち回りは、
美花が断崖からサンディエゴの海辺に落下する激しいもの。

主人公の節子を演じる寺島しのぶは中年女の凄さと弱さを演じ分け流石と思わせる。、「パール・ハーバー」「ブラックホーク・ダウン」などのジョシュ・ハートネットが準主役だが存在感が薄い。その他、南果歩、忽那汐里、役所広司ら豪華キャストだけが見ものだ。

4月28日よりテアトル新宿他全国で公開される。

「ばあちゃんロード」(日本映画):怪我で車椅子に縛り付けられている祖母。おばあちゃんっ子の夏海は結婚式までにリハビリで歩けるようになって一緒にヴァージンロードを歩いて欲しいと懇願する。

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ドラマもどんでん返しもクライマックスもない凡庸なストーリーで、これが「映画美学校プロットコンペティション2016」で最優秀賞を獲得した上村奈帆の脚本と言うからレベルが低いのではないか。

だが、草笛光子が演じ篠原哲雄が演出するとどういう訳か涙が流れ気が付けば感動作となっている。人間ってロジカルじゃないね。

しかし映画と言うものは毒が盛り込まれていなければ詰らないし、主人公を苛める悪者か敵が出てこなくてはドラマにならない。
この映画のように毒も無く悪者も登場しないと面白くも何ともない。
唯一、介護施設の所長や主任の官僚主義が障壁となるが、彼らも善意の人たちなのだ。

脚本に映画的刺激が無ければ役者たちの演技力で観客に感情移入をさせ泣かせ怒らせ笑わせなければならない。
そして監督は出演者たちから観客に伝える感動を引き出す演出力が必要となる。

主演の30歳の文音は未熟だが、84歳の実年齢で祖母役を演じる草笛光子がカバーする。
僕が若かりし頃毎週みていた「光子の窓」のマドンナから半世紀以上経った。

富山県西部に位置する人口5万人足らずの風光明媚な港町氷見市。
漁業で成りたっている。
海沿いの田舎町のガソリンスタンドで働く高山夏海(文音)は高校時代から付き合っている荒井大和(三浦貴大)と恋仲。

大和はある日船着き場に夏海を連れ出し「垂姫丸」という小さな漁船を見せ「この漁船を任されることになった。俺と結婚してくれ」と。
一人乗りながら一端の船長になれば夏海を食べさせていける。
三浦貴大のひたむきさが良い。

夏海の両親へ挨拶に行くが母親朝子(竹内昌子)は喜ぶが父、匠(鶴見辰吾)は冷たい。何故冷たいか分からない。10年近く付き合っていれば娘の選択肢は他に無いことは分かりそうなもの。

共働きの両親が面倒を見ず赤ん坊の時から世話をしてくれた祖母。
庭で樹の手入れをしている時、高い脚立から落ちて足をケガし歩けなくなり車椅子に縛り付けられ施設で暮らす祖母・キヨに是非結婚式に出席して欲しい。
それどころか根っからのおばあちゃん子の夏海は、父親に代わって一緒にヴァージンロードを歩いて欲しいと願う。

ベッドと車椅子に縛られトイレも行けずおしめをしている状態の祖母には全く無謀とも言える依頼だ。

一旦は無理だと断った祖母も孫娘の必死の申し入れに感動し、ヴァージンロードの長さを歩けるだけの体力を付けるために施設の理学療法士、庄司哲也(桜田通)の指導を受けながら、結婚式までの目標に向けて2人で必死のリハビリを重ねる。

主演は歌手の長渕剛の長女で女優の文音(あやね=30)だが美人でも無いし芝居も上手くない。何故彼女なのか分からない。
ただ84歳と経験を積んだ演技で文音をリードする草笛光子のアシストで頼りない主役を演じとおす

他に、夏海の婚約者役を三浦貴大、施設の理学療法士役を桜田通、夏海の父親役を鶴見辰吾が脇を固める。

 監督はデビュー作「月とキャベツ」から気に入っている篠原哲雄。
「起終点駅」や「花戦さ」など難しい作品を仕切る演出力で凡庸なプロットを感動作に盛り上げた功績は大きい。

4月14日より有楽町スバル座にて公開される。

「アイ、トーニャ」(I, Tonya)(アメリカ映画):フィギュアスケート史上最大の汚点となった「ナンシー・ケリガン襲撃事件」に巻き込まれ永久追放となったトーニャ・ハーディングの半生を描くブラックコメ

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日本でも週刊誌や大衆夕刊紙、TVのバラエティ番組でお馴染みの1994年に起きたフィギュアスケート史上最大の汚点「ナンシー・ケリガン襲撃事件」の真相をブラックコメディで注釈し直している。

いよいよ今週末(4日)発表のアカデミー賞の主演女優賞、助演女優賞、編集賞の3部門候補で有力だと評判になり渋谷ショウゲイト試写室も連日満杯の盛況だ。

主人公は、実在のアメリカ人フィギュアスケート選手のトーニャ・ハーディング(マーゴット・ロビー)。
オレゴン州ポートランド出身のハーディングは、12歳でトリプルルッツを完成させるほど将来有望なスケート選手で、1991年の全米選手権でトリプルアクセルを成功させ優勝、世界選手権へ出場、92年のアルベールビル、94年のリレハンメルと2度のオリンピックにアメリカ代表として出場している一流のアスリートだ。

映画の前半は如何に一家は貧しく学校へも通えなかったか、にも拘らず5番目の亭主に捨てられてシングルマザーの母、ラヴォナ(アリソン・ジャネイ)はウエィトレスをしながら稼ぎを残らずトーニャに注ぎ込む。

娘の才能を信じ総てをその将来性に賭ける母親とは立派だが、これが実に下品で強面、エゴに固まりなのがブラックユーモアで描かれる。
コーチのダイアン・ローリソン(ジュリアン・ニコルソン)がリンクで煙草を吸わないで、と注意しても吸いたいから吸う、お前に関係ね~だろう!と言う態度。
トーニャが少しでも反抗すると直ぐに手を出して殴る。
12歳でトリプルルッツを完成してからはダイアンやスケート連盟に文句ばかり付ける。

トーニャも家に居たたまれなくなり16歳で家を出てジェフ・ギルーリー(セバスチャン・スタン)と結婚してしまう。このジェフが母親同様どうしようも無いチンピラ。

トーニャが調子を落としスケーティングも不調な1994年にハーディングのライバル選手だったナンシー・ケリガンが何者かに襲撃される事件が発生し、膝を殴打されたケリガンは全米選手権を欠場し、その大会でトーニャが優勝を果たす。
このインシデント(襲撃事件)がトーニャの運命を狂わす。

ケリガンを襲ったのはハーディングの元夫であるジェフ(既に離婚していた)であることが彼のインタビューで明らかになる。

トーニャ自身は指示した訳でも殴打に加わった訳でもないのに、マスコミや世間は事件との関係をとがめられ、遂には全米フィギュアスケート協会から永久追放されてしまった。

ジェフもトーニャと直接話し合ってもいないし、単純に彼女の気持ちを「忖度」して実行したのだが、この措置は厳しすぎると映画の観客は思う作りになっている。

それからは食うために何でもするトーニャ、女ボクサーになってリングに上がるが素人の浅ましさ、プロの黒人ボクサーのアッパーカットが見事に決まりリングに沈む。
ゆっくりとスローモーションでトーニャが倒れる様子に悲壮感は無く、ユーモアだけが残る。

この襲撃事件関係を友人知人家族協会など関係者への取材などを重ねコメディタッチでしあげたスティーブン・ロジャースの脚本は秀逸。

主演のトーニャ・ハーディングを演じたマーゴット・ロビーの熱演はオスカーを狙える位置にある。

映画の後半部分の主役である元夫のジェフ・ギルーリーを、「キャプテン・アメリカ」シリーズの脇役、セバスチャン・スタンが好演している。如何にも悪い奴だね。

監督は「ラースと、その彼女」「ミリオンダラー・アーム」などのクレイグ・ギレスピーで間違いなく彼の最高傑作だ。。

5月4日よりTOHOシネマズシャンテ他で公開される

「ダウンサイズ」(Downsizing)(アメリカ映画):北欧のノルウェイで人間を14分の1に縮小する技術が発明され、環境、人口増加、経済格差、住宅などの問題解決に挑む人類の縮小計画がスタートする

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昨日(2日)が初日なのでTOHOシネマズ日本橋に駆けつけた。スクリーン9と言う狭い小屋でも1割しか入っていない。
こりゃダメ映画だと思って見始めるが、やはりダメ映画だった。

アメリカでの公開は「スター・ウォーズ:最後のジェダイ」が猛威を奮っていた12月22日からだが、
ようやく7位に食い込み2558館で4.6Mと振るわない。
 主演は人気スターのマット・デイモンなのにこの体たらくは何だ?

制作費70M(75億円)。客の60%は30歳以上と若い人に敬遠されている。
観客の出口調査はC評価とは驚く。
悪くても精々B-位を取らないと初手から嫌われている。
そしてこの評価だと口コミはネガティブになる。
「ヒデ―映画だから止めとけ」と。

翌週29日の週は2664館に増やしたが4.6Mで9位。
ジュマンジ」が首位を走りだす1月5日の週からはチャートに顔を出していない
結局アメリカでは25M(26億円)位で店じまい。制作費のモトも取れてない。

2年ほど前に「ダヴィンチ・コード」の続編で、トム・ハンクス主演の「インフェルノ」ではマッド・サイエンティストのバートランド・ゾブリストが「過激な方策を以ってしない限り地球の人口爆発に歯止めをかける事はできない」と主張し、そして大量殺戮を可能とする「インフェルノ」なるウィルスを開発し世界中ばらまこうとする。

ゾブリ博士は狂人扱いで、追い込まれて自殺をするが、基本的に彼の考えは正しく、どうやって人口増加を抑えるかは喫緊の課題だ。
国連関連機関の推計によると2015年に73億人だったが2050年には100億に達するという。
そうなると食料ばかりでなく、水が足りなくなり、特に人口増加が著しいアフリカで飢饉による大量死亡が見られる。
「インフェルノ」のゾブリ博士の考えを実行し地球を救う発明が完成する。

原題を見る限り企業のリストラを伴う事業縮小を思わせるがこれは文字通り人間の縮小を意味する。北欧のノルウェイで人間を14分の1のサイズにする技術が発明され、環境、100億に達する地球は破滅する人口増加、ますます広がる経済格差、住宅などの問題解決に挑む人類の縮小計画がスタートする。一時しのぎで根本的解決では無いがディストピアを嫌う人々はその施策に飛びつく。

主人公のポール・サフラネック(マット・デイモン)は医学部に通って外科医を目指していたものの、病気の母親の介護のために学校を中退し故郷オマハに戻り、今はステーキチェーン店の工場で(パテ作り)働きながらリハビリの作業療法士を副業としている。
仕事は安定しているし、親から継いだ家もあり、豊かではないが生活そのものはどん底ではない。

ど田舎のネブラスカ州オマハ(ペイン監督出身地)の中産階級下の平均的アメリカ人。
とはいえ今のままではとてもじゃないけど豊かな人生を送るのは将来的にはまず無理で、大きな家を夢見る妻を幸せにすることなんて出来やしない

ポールは、ノルウェーで開発されて今や世界中でポピュラーなものになりつつある、ダウンサイズの利用を検討し始める。

ダウンサイズとは、生物を14分の1(人間の場合は約13センチ均一)に縮小する技術で、環境への負荷を減らし、限界を迎えつつある地球を少しでも延命させるものっだ。

妻のオードリー(クリステン・ウィグ)と共にその技術を目の当たりにしたポールは、体を小さくすることで生活に関わるコストも縮小できることから現在の資産でも富豪になれると知って興奮し、縮小化を決意する。

ポールは13センチになってオードリーを探すが、一旦縮小したら元へ戻れない、家族や友人たちに会えないと逃げ出してしまう。

仕方が無いコールセンターでオペレーターをしながら陽気な二階の
フロリダから来た隣人デュサン(クリストフ・ヴァルツ)の紹介でシングルマザーと付き合ったりして時間を無駄に過ごす。

それよりデュサンのパーティは楽しく、常連になったポールは客船の船長コンランッド(ウド・キア)と仲良くなる。

ヴェトナムからの密入国者ノク・ラン・トラン(ホアン・チャン)がチーフの掃除人たちがデュサンの部屋にとりかかった際、ポールはトランの義足を壊してしまう
それからは彼女の助手として顎で使われる。

デュサンとコンラッドはノルウェィのダウンサイズのコミュニティに用事がありポールも一緒に誘うが、それを立ち聞きしたトランは発明したホルゲン・アブヨルンセン(ロルフ・ラスガルド)夫妻に会いお礼を言いたいと同行を頼む。

ノルウェイのコミュニティはアーミッシュの部落のように原理主義。馬車に乗り総て手作りで「終末説」に支配されている。地下のシェルターに全員、家畜や植物を持ちこみ隠れる所はノアの箱舟だ。
デュサンとコンラッドは自分たちの精子を高く売ったので米国へ帰ると。肝心のトランは今ではポールと相思相愛の仲、忘れがたく離れがたい。涙ながらにベトナム語の聖書を渡すシーンは貰い泣きする。

しかしこの脚本いい加減なことばかり。クロス船長にノルウェイのような遠い国へ行く時はどうするか?と聞くと「フェデックス」で目的地へ送れば航海するよりずっと早いと。
成るほどと納得したがフィヨルドのコミュニティを離れるミニ客船は全速力で走っている。ヒデー齟齬だ。そんなエピソードが散見される程雑な作品はペン監督とは思えない。どうしてしまったんだろう?

主人公ポールを、「ジェイソン・ボーン」シリーズや「オデッセイ」などのマット・デイモンが演じる。
悪友デュサンを「イングロリアス・バスターズ」などのクリストフ・ヴァルツ、
逃げ出した妻を「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」などのクリステン・ウィグらが共演。
そんな中で目を惹くのは、ベトナム人活動家のノク・ラン・トランを演じ、今作の演技でゴールデングローブ賞にもノミネートされたホン・チャウだ。
ノク・ランは、穏やかで西洋人には従順というアジア人女性のからは程遠く、文法を無視し命令形で喋る言葉は横柄に聞こえて笑わせる.しかし自分の意思をはっきりと伝える彼女がポール達の手垢のついた常識を退け正論になるのが愉快。

僕はアレクサンダー・ペイン監督の作品を高く評価している
2004年の監督・脚色の「サイドウェイ」でアカデミー脚色賞を受賞。
2011年の「ファミリー・ツリー」で再びアカデミー脚色賞を受賞している。

「サイドウェイ」のヒロイン・ステファニーを演じた中国系アメリカ人サンドラ・オーと撮影中に出来て2003年に結婚。
私生活のサンドラ・オーはダウンサイズで密入国し壊疽になり左足を切断したベトナム人活動家のノク・ラン・トランのホン・チャウに酷似している。
ゴールデングローブ賞にもノミネートされオスカーも有力なホン・チャウとサンドラ・オーの両者は国籍こそ違うがオリジンは中国人だ。
実生活でオーはペインのもとを去ったが映画の中でポールはチヤウとは熱愛で結ばれ永久の愛を誓うのは冷たかったオーへのリベンジに違いない。

それにしても演出力は今一つだが本を書くのは超一流の筈のペインのこの脚色の下手くそなこと、文句も注文もつけないのかね。
あちこちでボロが出、破綻を来して説得性が無い。

TOHOシネマズ日本橋他で公開中

「男と女、モントーク岬で」(Return to Montauk)(独映画):若き日の実らなかった恋の思い出wp新作小説に綴り、そのブック・ツアーでニューヨークを訪れた人気作家のマックス・ゾーン

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久坂部羊と言う阪大医学部卒で外務省医務官として長く海外勤務の後、高齢者の在宅医療に従事しながら小説家に転じた。
「悪医」で日本医療小説大賞を受賞。ブラックコメディの衣を纏いながら鋭い舌鋒で一刀両断に斬り捨てる。
例えば夏川草介のベストセラー小説「神様のカルテ:(幸福のカルテと変えてあるが)「タイトルからしておめでたいが、中身はもっとひどい。甘っちょろい医者(栗原一止のこと)が薄っぺらな苦悩の末、ほのぼのとした結末を迎える。(中略)一番気にくわないのは専門用語とリアルな描写で読者の目をくらますことだ。(中略)現場では多くの問題が解決不能で不幸と災難が延々と続くのに、フィククションでは常に最終ページまでにすべてが解決する。ご都合主義、ハッピーエンド。現実もそうだと読者は思い込む」
(今日紹介する映画「男と女」にも一脈通じるものがある)

僕も夏川草介の小説は読んで同感なので一ぺんに久坂部のファンになる。

昨年暮れに出したブラックジョークの短編集「カネと共に去りぬ」(新潮社刊)で大日新聞(朝日新聞)の元論説委員入楠明日礼が「世相の窓」(天声人語)に如何に苦労したか、とこんなことを言わせている。「社の看板みたいなものですからきれい事しか書けないのです。例えば以前、広告代理店の「弁通」で女性社員が過重労働で自殺したでしょう。「弁通」には「鬼十戒」と言うのがあって社員に長時間の残業を強いていたんです。それを「世相の窓」では徹底的に批判しました。許せない、即座に改めるべきだとね。ところが、わが社は「弁通」以上の長時間労働を強いていたんです。自分のところが同じことをしているのに正義を振りかざして非難するのはつらかったです」

フォルカー・シュレンドルフの満を持した作品の前評判は崩れる。
「ブリキの太鼓」などで知られるドイツの名匠フォルカー・シュレンドルフの大人のラブストーリーだが
どうも自分だけがご満悦の様子で何を言いたいのか漠然とした印象しか残らない。
主人公のベストセラー作家と17年前に別れた俊英女性弁護士の気紛れな懐古に感情移入するほど
観客は暇ではない。

ただ冒頭カメラに向かって「実らなかった愛について、哲学者プラトンについて」滔々と語るマックスの語りに魅了される。
インタビューのTVカメラに向かって主人公マックス・ゾーンが自著のテーマについてのモノローグだ。
スウェーデンの名優、ステラン・スカルスガルドの少し訛りのある喋りはソフトな声とロジカルな説得性で印象に残る。

実らなかった恋の思い出を新作の小説としてつづり、その小説のプロモーションのためニューヨークを訪れた作家のマックス・ゾーンは、
NYの出版社でインターンとして働く妻、クララ(スザンネ・ウルフ)と久し振りに会うが互いに冷めている。

60代後半になるマックスの願いは、かつての恋人レベッカ(ニーナ・ホス)と再会し旧交をあたためることだ。
ニーナはイェールのロースクールを出て今では大物弁護士で出版社から派遣された
臨時秘書のリンジ―(イシ・ラボルト)から連絡を入れても時間が無いの一点張り。
「俺はマックス・ロードだぜ!」と言っても
レベッカの秘書はアポが無ければお会いできませんの一点張り。
マックスが誰かも知らぬ様子なのに憤り、強引に法律事務所に突撃する様が笑える。

すったもんだの末レベッカは数分ロビーに降りて来て週末に連絡を入れるからと言い残し
オフィスへ去る。
やがてマックスがニューヨークを去る日が近づくが、
出立の3日前、レベッカからロングアイランドの突端、
モントーク岬への旅に誘われる。
そこは恋人だった2人が訪れた思い出の場所だった。

マンハッタンから130キロ離れた海岸に建つ一軒家。
友人がいらなくなった別荘を、介護が必要となったドレスデンに住むレベッカの老父母を呼び
そこで住まわせる予定だ。鍵が見つからず、おまけに車が海岸の砂に嵌り込み、
近くのモーテルに泊まることに。

昔二人で遠出をして来てよく泊まったホテルだ。
激しく絡み合った翌朝、

一瞬焼け木杭には火が付いたと思うが、レベッカは冷静。
別れた後に何があったのかを一切語ろうとはしない。
マックスと別れた後マーカスと言う同業の弁護士と付き合ったが
死別したと言うだけ。何で死んだのかまるで分らない。

マックスは余生をレベッカと暮らしても良いとまで思い詰める。
「今、クララと言う妻がいるが別れても良い」と切り出すがレベッカの反応は無い。

早い話が、昔の女に執着しての火遊び。うじうじとする男の心理がよくわかってしまう

主人公で作家のマックスには、「アヴェンジャー」シリーズなどハリウッドで活躍するスウェーデンの誇る名優ステラン・スカルスガルド。
演技が上手すぎて一人だけ浮いて見える程だ。

かつての恋人レベッカには、ドイツを代表する女優で銀熊賞受賞のクリスティアン・ペツォールト監督
「東ベルリンから来た女」(12)で一気にブレイクしたニーナ・ホス。
冷たい笑みが似合う43歳の美女だ。

不機嫌な妻クララは「三銃士」などのスザンネ・ウルフ。
学生時代のマックスを財政的に援助した富豪のウォルターにフランスのベテラン俳優、ニエル・アレストリュプ。

行き止まりの岬で、これまで歩いてきた道のりを夫々違った視点で振り返る。
ここから先は、誰とどこへ向かうのか。残りの味わい深い人生を誰と過ごすか。

レベッカに振られたと自覚したマックスはクララにスリスリするのがいじましい。

不思議なのはマックスもレベッカもクララもドイツ人なのになぜ英語で話すのだろう。
ウォルターがでて来るとフランス語になるだけだ。

NYのマンハッタンとロングアイランドが舞台で英語のダイアログなのにアメリカではドイツで公開後
1年以上経っても上映のチャンスが無い。それほどドイツの名匠フォルカー・シュレンドルフと言っても
傘寿に近い著名な映画作家はアメリカでは商売にならないのだろうか。

日本の巨匠、黒沢明が晩年に駄作を乱発したが、ドイツの大御所フォルカー・シュレンドルフも同じ道を岬に向かって歩んでいる。

5月26日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される

「フェリーニに恋して」(In Search of Fellini)(アメリカ映画):偶然見たフェリーニの「道」に感動しオハイオの田舎からフェリーニの国・イタリアへ旅する少女ルーシー。

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主人公ルーシー(クセニア・ソロ)はオハイオのど田舎に母親クレア(マリア・ベロ)と暮らす20歳の女の子。
母親の過保護のもとで育ったので仕事に就いたこともボーイフレンドと遊んだことも無い。だからもちろん処女で社交性はゼロ。
こんな純粋培養の女の子は映画の世界でしか見られない。

ルーシーを演じる金髪で面長のクセニア・ソロはどう見ても老け顔で20歳とは思えない。調べてみると87年生まれの30歳、出身地は東欧の小国ラトビアで、10歳からカナダに移住して歌手になり俳優になって芸能活動を続けている。

町の小さな映画館で「フェデリコ・フェリーニ祭」(Fellini Film Festival)をやっていて,変てこな初めて聞くイタリア人監督の映画を何本か見る。

最初に見た「道」(La Strada)に心を打たれる。フェリーニの映画で心を打たれるのは「道」しかない。「81/2」なんか見たら訳が分からなくなってフェリーニを追いかけない。

白痴の薄幸な女性、ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーン)は粗野で直ぐ暴力を振るう旅芸人のザンパノ(アンソニー・クィン)は芸の手伝いをする女が死んでしまったため、その妹のジェルソミーナをタダ同然で買い取った。粗野で暴力を振るうザンパノと、頭が弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る。どんな迫害に会ってもひたすらザンバノに付いて行く純真さ心の美しさに涙を流す。
ニーノ・ロータのトランペットをフィーチャーした主題曲が哀愁を誘いまた素晴らしい。

タロン・レクストン監督は脚本を書きながらルーシーをジェルソミーナのイメージにダブらせたのではないかと思われる。

母親クレアや妹で伯母のケリー(メアリー・リン・ライスカブ)の庇護の下、試験管ベイビーのように育ったルーシーがフェリーニの映画、特に最初の「道」だけで感動し、もっと広い世界を探索したいと考える。

オハイオの田舎を飛び出し、映画の背景になったイタリアの町を訪れフェリーニの哲学考え方をもっと知ろうとするのは当然だ。

クレアはルーシーには黙っているが、ガンが転移し余命幾ばくもない。
映画は随分とご都合主義でフェリーニのようなリアリズムはない。
早速ピエトロ()と言う地元のハンサムな少年を小姓のようにルーシーにつきそわせる。
ローマやヴェニスばかりのアメリカ人観光では無く小さな町ヴェローナを案内しロメオとジュリエットの愛を囁くベランダを見せる。
この辺りでルーシーのフェリーニ探しに一区切りがつく。
教会の尖塔から大きな石の橋の欄干から「フェリーニ!」と叫ぶが空しい。

大体、若い女の子はフェリーニの好きな巨乳巨尻のデブ女とか道化やピエロのサーカスや猥雑な女たちの娼館などは忌み嫌う。
その上、ネオリズモを出発点としながら、フェリーニはスタジオ撮影が多くなる。
巨大なセット撮影を駆使して人工美の世界こそフェリーニの映画になった。

だから僕は同時代を生きた貴族出身のルキノ・ヴィスコンティの方がホモだと言うことを除けば好きだ。ネオレアリズモに拘らず上流階級、貴族階級の華麗な絵作りで魅了している。

ふとしたことから覗いたフェデリコ・フェリーニの作品に魅了された少女が、フェリーニを探してイタリアを旅をしながら大人として女として成長していく「通過儀礼」の映画だ。
映画本体はB級作品だが「道」「甘い生活」「8 ½」などのフェリーニの名作シーンのクリッピングが劇中劇で覗けること、観光案内ながらローマ、ヴェネチア、ヴェローナといったイタリア的歴史のある美しい都市の景色を堪能できることだ。
3月17日より恵比寿ガーデンシネマにて公開される

「英国ロイヤル・オペラ・ハウス:リゴレット」(Rigoletto)(イギリス映画):ロンドンに行かなくとも本物のロイヤル・オペラ・ハウスの豪華な舞台が楽しめる

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第90回アカデミー賞が発表になった。ギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」( THE SHAPE OF WATER)だ。

昨年の「ラ・ラ・ランド」を除けばアート系やジャンル系の作品に人気が集まるのが心配だ。
その手の映画はカンヌやヴェネチアに任せておけば良い。
オスカーを取るのはアメリカ人映画作家による興行成績の良いハリウッド映画に焦点を絞りアカデミー会員は投票して欲しい。

今回受賞したギレルモ・デル・トロ監督の「The Shape of Water」(「シェイプ・オブ・ウォーター」)は、1960年代の米ソ冷戦下のワシントンDCを舞台に、古ぼけた映画館の2階に設えた秘密の政府研究所で、深夜に働く聾唖の女性清掃人と、ソ連の友人宇宙飛行に対抗すべきアマゾンから連れてこられた半漁人のような生物とのロマンスだ。

突拍子もないSF映画で商売にならなかったが、ゴールデングローブ賞で幾つかの受賞を経て、アカデミー賞9部門でノミネートされたお陰で、
賞発表直前の2日から4日週末に、候補作を見ておこうと多くの人が劇場に足を運んでいる。

前週より小屋数は832館と減ったにもかかわらず興行成績は19%アップの1.4Mで累積は57.4Mになる。海外累積が69M,ワールドワイド総計は126M(134億円).

僕の好みはFOXサーチライト「Three Billboard outside Ebbing, Missouri」(「スリー・ビルボード」)も1.2Mで累積は52Mワールドワイド総計は131M(140億円)。

監督賞、作品賞を取るか取れないかで天地の差が出る。
因みに主演女優賞は「シェイプ~」のサリー・ホーキンスは落選で、「スリー~」のフランシス・マクドマーが栄冠を勝ち取っている。

この5年を振り返ってみるとメキシコ人監督3人がオスカーを手にしている。
アルフォンソ・キュアロンが「ゼロ・グラヴィティ」(13)で、
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(15)で、
そしてこの17年,ギレルモ・デル・トロ監督「シェイプ・オブ・ウォーター」と続く。

メキシコ人のヘンテコな名前は覚えられないし発音も難しい。
トランプ大統領じゃないが、メキシコ人「進入禁止」の高い塀をハリウッドにも巡らせるべきではないかと僕は考える。


東宝東和のゆたっりとした椅子でいつもコベントガーデンの英国ロイヤル・オペラ・ハウスのオペラかバレエを楽しませて貰っている。
90年代前半に住んだNY時代はシーズンになるとMETで、ルチアーノ・パヴァロッティ(07年死亡)、プラシド・ドミンゴ、(ホセ・カレーラスだけはMETに出ない)を楽しんだが東京に戻って来るとODC(フィルム以外の映写素材)としてのオペラやバレエ映画だけになってしまう。
ツアーで本物が来日してもチケット代は現地の4倍も5倍もする上にファンが殺到して手に入らない。

だからかぶりつきで見るようなクローズアップの舞台を鑑賞できるこの種の映画はお勧めだ。
BBCをキーにライブで世界中の映画館に配信上映する映画はロンドンやNYまで足を延ばせない地方のファンにとって素晴らしい贈り物だ。

興行成績も悪く無い。
アメリカで、先々週の2月23日から25日の週末3日間で
METオペラ「ラ・ボーエム」は900館でライブ中継され1.9M(2億円)を挙げ「ブラックパンサー」が支配するBOチャートで堂々10位に食い込んでいる。

昨夕見せて貰ったジュゼッペ・ヴェルディの代表作「リゴレット」は凄い迫力の舞台だった。
冒頭TVの女性コメンテイターがリゴレットを演じるディミトリ・プラタニアスを紹介する。

リゴレットの舞台に触れる前に、昨年11月、この収録の直前に55歳で亡くなった親友のバリトン歌手ディミトリー・ホロストフスキーについてのインタビューだ。
2年前の15年に脳腫瘍と診断を受けながらも癌と戦いながら
舞台で歌い続けた戦友への惜別の言葉は胸を打つ。

さて肝心のオペラ「リゴレット」はインターミッションをいれて上演時間は2時間57分。
6時に始まって9時に終わる長尺だ。

演出はデイヴィッド・マクヴィカー
出演:マイケル・ファビアーノ(マントヴァ公爵)
ディミトリ・プラタニアス(リゴレット)
ルーシー・クロウ(ジルダ)
アンドレア・マストローニ(スパラフチーレ)

ヴィクトル・ユーゴーの戯曲「王は愉しむ」に基づいたジュゼッペ・ヴェルディの
悲劇的なオペラは人気がありオペラファンなら誰でも知っている。
特に劇中でマントヴァ公爵が歌う「女ごごろの歌」が有名だ。

好色なマントヴァ公爵に仕える道化師リゴレット。
リゴレットは娘ジルダを溺愛していたが、娘は公爵に誘惑されてしまう。

リゴレットの腕に抱かれて息を引き取るジルダに観客は涙を流して幕が降りる。

3月9日から15日までTOHOシネマズ日本橋ほかで公開される。

「タクシー運転手 約束は海を越えて」(A Taxi Driver)(韓国映画):戒厳令下の厳しい軍の検閲抜け市内の残虐な鎮圧を現地取材し全世界に伝えたドイツ記者と命がけで運んだタクシー運転手

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ブログの不具合で今こんな時間になってしまった。

「慰安婦問題を白紙の戻す」などと日本政府に反抗的で、北の金正恩にスリスリな文在寅・韓国大統領を理解するには「五一八光州民主化運動」のことをもっと知らなければならない。
文在寅は光州市出身で若い頃この事件に関与して逮捕拘留もされているのだから。

「光州事件」は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国・全羅南道の道庁所在地であった光州市に民衆蜂起。
5月17日の全斗煥少将らのクーデターと金大中らの逮捕の翌日、
18日にクーデターに抗議する学生デモが起きた。
戒厳軍の精鋭空挺部隊による学生への暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。
デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、
市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、
5月27日に大韓民国政府によって鎮圧された

光州事件の映画と言えば10年前のキム・ジフン監督の「光州5・18」 (2007)が印象的だった。
市民への大弾圧が行なわれた「光州の悲劇」を商業映画として初めて正面から取り上げ、10日間に及ぶ悪夢の惨劇を描くヒューマンドラマだった。
主人公のタクシー運転手で弟思いの純朴な兄に「殺人の追憶」などのキム・サンギョン、戒厳軍に殺される弟に「王の男」のイ・ジュンギ。

「光州5・18」は市内に住む住民が事件に巻き込まれるフィクションだが、
これから紹介する「タクシー運転手」は少しばかり粉飾が施されているが、実話の映画化。
主人公が10年隔てた両作品ともタクシー運転手とは奇妙な一致だ。

妻に先立たれ11歳になる娘と2人で小さな家に暮らしているソウルのタクシー運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)。
家賃は滞納しているし同僚の運転手たちからの借金もある。生計を立てることに精一杯で政治には無関心な中年男。

東京から着いたばかりのドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)に「通行禁止時間(Curfew)までに光州に往復できたら大金(10万ウォン)を支払う」という言葉につられたマンソプ。誰も怖くて行きたがらない光州行きに手を挙げる。

車内での英語も分からぬままの身振り手振りの交流が可笑しい。
ガンホのいい加減さクレッチマンの誠実さが飛びかう会話に大笑いする
一路光州を目指すが幹線道路の戒厳軍検問は厳しい。

何としてもタクシー代を受け取りたいマンソプは機転を利かせて検問を切り抜け、時間ぎりぎりで光州に入る。

自分たちの声を世界に伝える外国人記者はウェルカムの市民たちの中で、ピーターは通訳を買ってでた大学生のジェシク(リュ・ジョンヨル)と正義感燃えるタクシー運転手ファン(ユ・ヘジン)の助けを借り、撮影を始める。

暴徒化したデモ隊に、増々過激な防衛ばかりか銃や軽機関銃で市民を虐殺し始める戒厳軍。
「危険だからソウルに戻ろう」と屋上で撮影中のピーターはマンソプの言葉に耳を貸さず地上に降りてデモ隊の中へ。しかし軍は倒れた市民を助けようとする仲間まで銃撃するなど状況は更に悪化。

マンソプは1人で留守番させている11歳の娘が気になりソウルへ車を発進させのだが、やはり気になり途中から引き返す。

事件は韓国政府が抵抗する光州市民を「スパイに扇動された暴徒」であると決めつけた。
韓国メディアは光州で暴動が起きていることを報じたが記事は政府発表の公式文書そのままだった。
海外メディアは、ニューヨーク・タイムズを始めとして金大中を「民主化運動の闘士」であるとの支援記事を載せたが事件そのものを現地で取材した訳ではない。

そんな中で、戒厳令下の物々しい言論統制をくぐり抜け唯一、光州市を現地取材し、全世界に5.18の実情を伝えたドイツ公共放送(ARD)東京特派員のユルゲン・ヒンツペーター。 
戒厳軍の市民への暴行ばかりか虐殺現場を取材し世界へ発信して韓国政府の傍観と無策を批判し、ようやく戒厳軍は光州市から撤収する

その彼をタクシーに乗せ、光州の中心部に入った平凡な市民、キム・サボクの視点で事件を追う。実在した2人が肌で感じた光州事件を監督チャン・フンのディテイルにこだわる実直な演出で再現される。

17年晩春に、映画完成試写が青瓦台で行われた。
文在寅韓国大統領はヒンツペーター未亡人とサボク運転手の息子スンピルを招いた。(映画では娘になっているが子供は男の子だった)

2017年5月18日、選挙地盤でもあり、自身も光州事件経験者で被害者でもある文在寅大統領は「5.18民主化運動37周年記念式」で演説を行った、
「文在寅政府は光州民主化運動の延長線上に立っています」と口火を切り
「光州精神を憲法に継承する真の民主共和国時代を開きます」と約束している。

お礼を言いたいし軍に追われボロボロになったタクシー修理代を払いたいヒンツペーターはサボクの行方を懸命に探すが見つからないままに16年に死去。

またサボクも長男スンピルに依れば事件4年後の84年に癌で病死していたことが明らかになった。
主人公の平凡なタクシー運転手に「シュリ」や「殺人の追憶」など韓国映画界を代表するソン・ガンホ、流石に顔を見せるだけで存在感がある。

ドイツ人記者に脇専門だがドイツのベテラン俳優トーマス・クレッチマン。ひっつペーター本人がエンドクレジットで登場するが顔つき喋り方がよく似ている。主役の2人は噛み合っていて映画を引っ張る。

他に通訳を買ってでて戒厳軍の兵士に惨殺される大学生のジェシク役のリュ・ジョンヨルも素晴らしい。言葉の分からない兵士に捕まりながら「俺のことはどうでも良い。こいつらが上がって行く前に裏口から逃げろ!」と英語で伝える。

正義感燃えるタクシー運転手ファンを演じるユ・ヘジンは相変わらず可笑しな顔で熱演するが家族や仲間を集って光州で起きていることを世界に発信させようと努力は涙ぐましい。

監督は「義兄弟」「高地戦」などのベテラン、チャン・フン。悲劇的なストーリーをコミカルにフィーチャーしてユーモアの中で悲劇を更に深めている。

映画は2017年8月に公開され1200万人が見る大ヒットとなった。
韓国人の4人に1人が映画館に足を運んだ勘定になる。

シネマートみたいな小さな小屋で上映する映画ではない。日劇や丸の内ピカデリーなど一流の映画館で公開して日本人にも韓国人の愛国心を知って欲しい。

ただ文在寅大統領は日本への憎悪を止めて欲しい。日本は戒厳軍でも全斗煥でも無い、隣国と理解を深め手を組んで北朝鮮の核の暴挙を封じ込めようとしているだけなのだから

4月21日よりシネマート新宿他で公開される。

「犬屋敷」(日本映画):

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今日もブログは不具合が頻繁に発生。最終稿が消えてしまうオマケ付きだ。
改めて書き直しを上書きしている

主演の木梨兼武は「初めに映画のオファーをいただいた時、『いぬやしき』というタイトルを聞いて、どんな作品なのか全然分からなかった」と言う。
中井貴一にも「木梨くん、犬の映画やるの?」と言われた。
コミックもTVも見ない僕も中井や木梨と同じ反応で、映画が始まるまで犬の映画だと思っていた。
木梨の子どもが「パパ、犬屋敷の映画にでるんだ!」と突如尊敬の目で見つめたと言うから
オジサンはコミックについてはすべからく子どもに聞くことだ

 平々凡々のサラリーマン生活を務めあげ定年間近の犬屋敷壱郎(木梨兼武)。会社でも居場所がないが家でも家族にバカにされている。妻の万里江(浜田マリ)はパパはアテに出来ないからとパートに励んでいる。息子剛史(那由也)も娘の麻里(三吉彩花)も一家をあげて粗大ゴミ扱い。せめて犬だけでも懐いてくれるだろうと拾って来ると妻は犬は飼えない捨てて来いとの命令。

犬を放つ公園でベンチにぼんやり座っていると隣に高校生らしい若い男。
そこに青天の霹靂、飛行機が墜落し2人は木端微塵。

ここからが面白いが、新だ2人の肉体が機械仕掛けになり、サイボーグになってしまう。

スパイダーマンは蜘蛛に刺されスーパーマンは隕石から生まれ何か切っ掛けがあって超能力を備えるが
火だるまの飛行機に直撃されてス-パ―ヒーローと言うのが現代的か。

根が善良で誠実な犬屋敷はサイボーグになっても世のため人のために尽くそうとするが、高校生、獅子神晧(佐藤健)歪んだ極悪なキャラクター。
指を曲げて撃つ真似だけで実弾が飛び出し人間を殺傷できる。腕を捲るとガントレット機関銃やらRPGロケット弾が飛び出す。

 犬屋敷おじさんは必死に獅子神の暴走を食い止めようとするが、爆破しても微塵に砕いても不死身なのはターミネーターのようで不気味だ

 娘の麻里を誘拐され重傷を負わせた上超高層ビルの上から投げ捨てる冷酷さ。

ハイライトは新宿上空を超音速での追いかけっこ。報道用のヘリも巻き添えでビルに激突炎上。
日本のVFXも大変な進歩でハリウッドに負けてはいない。
バカバカしいと思い名が結構楽しむ。

主人公・犬屋敷を演じるのは、16年ぶりの映画主演となるとんねるずの木梨憲武。55歳の年齢をものとせずワイヤーアクションにも挑戦し肉弾相討つ格闘シーンも見せる。
大量殺人鬼・獅子神に扮するのは、初の悪役挑戦となる佐藤健。サトケンの悪人は違和感を覚えるが
絶対的な力を持ち、冷酷無比に大量殺人を重ねていくアンチヒーロー役を熱演する

他にも本郷奏多、二階堂ふみ、三吉彩花、伊勢谷友介など共演陣も豪華な顔ぶれが脇を固める。

「GANTZ」の奥浩哉と、その原作を実写映画化して興行収入約63億円の大ヒットに導いた佐藤信介監督が再び強力タッグを組む

4月20日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開される

「レッド・スパロー」(Red Sparrow)(米映画):ボリショイバレイの若手スター、ドミニカは舞台のケガでキャリアを降りるが、叔父の紹介でロシア情報部に女スパイとして訓練を受ける

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旧7帝国大学(台北も含める)の卒業生のクラブ、学士会は昭和40年より各界の様々な学識経験者を講師に迎え、午餐会2回夕食会2回と月に4回の会員向け講演会を開催している。

昨夕(9日)は6,500mの深さまで潜ることの出来る有人潜水調査船「しんかい6500」の現役パイロットでチーム潜航長大西 琢磨氏が「しんかい6500の世界」と題して漆黒の世界、深海の写真とヴィデオで分かり易く紹介してくれた。出席者は暇を持て余している老人たちばかり。4000円の参加費も苦にならない富裕層が多いのも旧帝大卒業生の特徴だろう。

こんな題目は老人向けではないからいつもよりは出席者が5-60人少ない。
僕は友人のトレジャーハンター、ポール・ティドウェルがここ30年近く取り組んでいる伊-52号潜水艦に関する質問もあるので出席した。

ポールは90年に第二次大戦の機密文書を公開したNational Archiveで伊-52号潜水艦が横たわるバルバロス島沖・大西洋の5340メートル海底を特定し95年と98年と2度に亘りロシアの潜水艇で潜り船内船外と探索して水夫の運動靴やアヘンや亜鉛などの小物を回収している。いざ船体をサルベージと言う段階で資金が底を突き現在はスポンサー探しに奔走している。

しんかい6500の機能はロシア潜水艇と余り変わらない。なにしろ建造されたのが89年で30年近くも経っている。
しかし日本の潜水艦のサルベージには日本の潜水艇が望ましい。何しろ船内には117の英霊が眠っているのだから。

3月3日からアメリカで上映が始まった。メガヒットの「ブラック・パンサー」には遥か及ばないが健闘し2位につけた
FOXから新登場のスパイ・スリラー「Red Sparrow」は3056館で公開され17M。
制作費は69M(73億円)。「ブラック ~」の1/3だ。
興行成績は東と西の海岸が良く、内陸部の中部アメリカは落ち込んでいる。
女性客が53%と大半を占め、80%は25歳以上と若い層が少ない。
出口調査(CS)はB+評価で、フレッシュトマトは51%。

主演ジェニファー・ローレンスが、スターとなった「ハンガー・ゲーム」シリーズの監督フランシス・ローレンス監督と組んでいるから気心は知れている。
ローレンスの演出だからこそ女スパイの特技(くのいちに通じる)「ハニー・トラップ」の大胆なセックスの芝居も出来る。

オスカー女優で清純派と見られるジェニファーのイメージを一変する数々のシーン、諜報部の捜査対象を女性の魅力の「ハニート・ラップ」で誘惑する女スパイの活躍満載の映画だ。アメリカではR-15で 親が連れて行っても15歳以下なら入場禁止だが、日本では試写会場の六本木ヒルズスクリーン2には少年の姿も見えていた。

原作は元CIA局員の経歴を持つジェイソン・マシューズの小説だからスパイの世界での裏切りやモ-ル(潜伏諜報部員)、二重スパイなどは実際あったのだろう。

事故でバレリーナになる道を絶たれたドミニカ・エゴロワ(ローレンス)は、父の死後疎遠だった弟で叔父ワーニャ(マティアス・スーナールツ)がドミニカに接近し、母親の治療と今までの暮らしを保障するとの言質でロシア政府が極秘裏に組織した諜報機関の訓練所に送り込む
自らの肉体を使った誘惑や心理操作などを駆使して情報を盗み出す女スパイ「スパロー」になる訓練を受ける。

訓練所監督官を演じるシャーロット・ランプリングはブートキャンプ(新兵訓練所)の鬼軍曹さながら。生徒たちを口汚く罵り時には体罰を加えながら鍛える。
演技派ランプリングも鬼ババア役は初めてだろう。
しかし彼女のドミニカの評価は低い。

やがて組織の中で頭角を現したドミニカは、ロシアの機密情報を探っていたCIA捜査官ナッシュ(ジョエル・エガートン)に近づくというミッションを与えられる。
ドミニカとナッシュは腹に一物ありと見とめながら互いに惹かれあうが、それぞれの国家への忠誠心やキャリアをかけてだまし合いや小細工を繰り広げていく。

ドミニカの究極のミッションはロシアの中枢部に居ながらアメリカのモグラになっているダブルスパイを特定することだった。

ナッシュはロシア諜報部に捕らえられ拷問にかけられるがモールを白状しない。ジャガイモの皮むき器で皮膚を薄く一枚一枚剥いでいく業苦にも耐えかね失神しても吐かない。

このところオーストラリア出身のジョエル・エドガートンの株が上がっている。
「スターウォーズ」シリーズから注目され、「ラビング 愛という名前のふたりなどを経て監督としても数学天才少女「Gift」は評判が良かった。

他に「君と歩く世界」などのマティアス・スーナールツ、シャーロット・ランプリング 、ジェレミー・アイアン、メアリー=ルイーズ・パーカーと錚々たるベテランが脇を固める。

ローレンスの女スパイかと見くびっていたが、期待以上に堪能できたアクションスリラーで続編が楽しみだ。

3月30日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他全国公開される

「去年の冬、きみと別れ」(日本映画):無名のルポライターが出版社に持ち込んだ原稿は世界的写真家木原坂雄大が犯した盲目の美女焼死事件の真相を暴くものだった。

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タイトルはカッコ良いし、見たいと言う友人も多い。TBSの午前中放映の「王様のブランチ」でも褒めていた(もっとも紹介する映画は貶さないが)

昨日(10日)が初日と聞いて丸の内ピカデリー1(一番大きい)の4時15分の回に駆けつけた。
驚いたことに1階席は1割も埋まっていない。2階は半分程はいいっているようだが初日からこの入りだと内容はともかくとして、興行的には明らかに失敗だ。

ハリウッド的表現ではDOA(Death On Arrival=病院到着時に死亡)と言って初日にコケたらもう終わり、と言うことだ。(ネガティブな口コミやSNSなどで)

僕はそんなに悪く無いと思った。
ストーリーは込み入っておりRed Herring(目くらまし)もばら撒かれていて引っ掛る。
いきなり序章と第一章を飛ばし第二章から入る倒叙法的展開も僕の好みだ。

しかしご都合主義的な強引な論法は疑惑が湧く。
でも見終わったから言える後付け批判で、鑑賞中は疑問の余地を瀧本智行監督は許さないテンポの良さは「犯人に告ぐ」の時ど同様で、後から嵌められてと感じる。

無名だが意気込みだけは凄いルポライター耶雲恭介(岩田剛典)が出版社に原稿を持ち込む。既に判決は降り無罪となった世界的フォトグラファー・木原坂雄大(斎藤工)の真実について異なった見方をしている。盲目の美女、吉岡亜記子(土村芳)を撮影中蝋燭が倒れ火事となり亜記子は焼死した。木原坂は助けもしないで焼け死ぬシーンを撮り続けた木原坂は死刑判決が当然で証拠写真もあると言う。
若い担当者は、これは大変なスクープだと興奮する。
他社に持ち込まないと耶雲は約束するが、デスクの小坂良樹(北村一輝)は判決が出た後だからと渋る。

耶雲恭介は有名なレストランで働く松田百合子(山本美月)との結婚を間近に控えそれまでに本を出版したいと、盲目美女焼死事件は世間を騒がせただけ注目度もたかい。

その真相を探るために耶雲は百合子を木原坂のスタジオへ送り込む。だが百合子はレストランを休みアパートにも帰っていない。

警察に通報し警官が木原坂のスタジオに行って調べると百合子は写真のモデルをしていて自分の意思でスタジオで寝起きしているのだと言い張り、警察は事件性無しと手を引く。
しかしある夜スタジオが燃え耶雲は小坂と一緒に駆けつけると手錠を嵌められ身動き出来ない百合子が燃えていて木原坂はシャッターを夢中で切っている。亜希子焼死事件の再現だ。

倒叙で過去にさかのぼると木原坂雄大には姉の珠里がいて、幼い頃に強盗が侵入し酒乱の父は刺殺され、幼い姉弟もナイフで刺されるが命を取り留めたことが序章で明らかになる。

これ以上書くとネタバレになるので止めるが、目くらまし(レッドへリング)に観客は大抵引っ掛る。

主役の岩田剛典が上手い。「EXILE」「三代目J Soul Brothers」のパフォーマーで、「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」などで俳優としても確固たる地位を築きつつある岩田が、偏執狂的性格で愛した女性への思慕に満ちているジャーナリストを熱演する。

ドラマ映画で引っ張りだこで「昼顔」などの斎藤工が演じるのは何を考えているか得体の知れないカメラマン、木原坂雄大。
岩田と斎藤が火花を散らして互いの腹の内を探り合う芝居はかなり上質だ。
耶雲の婚約者・百合子役に「ピーチガール」の山本美月。

最近では「悪と仮面のルール」など幾つも映像化されている芥川賞作家・中村文則のサスペンス小説が原作。
原作がしっかりと構成されている映画は騙されても見応えはある。

丸の内ピカデリー他で全国公開中

「ビューティフルデイ」(You were never really here)(イギリス映画):幼い頃に父親から受けたトラウマに悩むホアキン・フェニックスの内面の演技は絶賛に値する

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夭折したリバー・フェニックスの方が好きで実力も弟のホアキン・フェニックスより優れていると思っていたがジョニー・キャッシュシ伝記映画「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」(05)を見て一変した。リース・ウィザースプーンも見事だったがホアキンの歌はジョニー・キャッシュよりうまいのじゃないかと思わせた。

「グラディエーター」(00)でブレイクし「ウォーク・ザ・ライン」に続いて「ザ・マスター」(12)で3度目のオスカー候補になどのホアキンは「少年は残酷な弓を射る」のリン・ラムジー監督とのコンビで、昨年の第70回カンヌ国際映画祭でホアキンが男優賞をラムジーは脚本賞を受賞している。

ならば鳴り物入りで日本公開となる筈だがバルト9のような二流館で上映されると言う。
ストーリーも面白そうなクライムアクション。

中東(イラク)での凄惨な戦場を経て退役した元海兵のジョー(フェニックス)。
暴力を恐れないジョーは年老いた母と暮らしながら、行方不明になっている少女たちを捜し出す報酬で生計を立てていた。

最強のマリーンで鍛えたマーシャルアートも銃器の扱いも優れ悪人どもをバッタバッタとなぎ倒すスーパーヒーロ―もどきのシーンを期待していた。

ところがどうだろう、
冒頭、真っ暗闇の画面にカウントダウンの声だけが聞こえる。画面が明るくなるとジョーがビニールの袋を頭から被り呼吸困難こなっている。大きく開いた口に息を呑み込む度にビニールが吸い込まれる。袋を被る前に大量の精神安定剤を飲んでいたと見える。

痛快なアクション映画とは随分とイメージが違う。人身売買などの闇の勢力との死闘も乱闘シーンは出て来ない。血がフロアに流れていてもアクションシーンは見せない。

ジョーの容貌も小太り髭もじゃで怪僧ラスプープーチンみたいでカッコ悪い。

ジョーは幼い頃、亡くなった父親から暴力を振るわれたトラウマとなって今でも悪夢に現れる。母親(ジュディス・ロバーツ)へのヴァイオレンスは熾烈を極めた。
海兵を除隊して年老いた母親と同居し面倒を見るのもDVの嵐を経験した同病を相憐れむ気持ちからだ。

そんな彼ジョーのもとに、大物政治家、州上議員議員ヴォット(アレックス・マネット)の娘ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)を捜してほしいとの依頼が舞い込む。
しかし売春宿で用心棒2人と客を叩きのめして助け出したニーナは、怯える様子もなく嬉しそうな顔も見せない。

「パパの所へ帰ろう」と話しかけても人形のように感情を失っていた。
ヴォット議員と落ち合うホテルに彼は居ない。
TVを入れると議員は飛び降り自殺をしたと報じている。

そして混乱の内にニーナはジョーの目の前で再びさらわれてしまう。

ラムジー監督の前作「少年は残酷な弓を射る」も担当した「レディオヘッド」のジョニー・グリーンウッドは「ファントム・スレッド」でも聞かせた低音通奏の無機質な音楽をこの映画ででも展開している。

クライムアクションと言うがジョーの内面を抉るトラウマ分析映画で1時間半を切る短さで開放される。
原題「You were never really here」(最初から存在しなかった)と言う暗い悲観的なイメージをぶっ飛ばそうと邦題「ビューティフル・デイ」は命名されているようだが終盤に出て来るセリフで本題には関係無い。

6月1日より新宿バルト9他全国公開される

「猫は抱くもの」(日本映画):自分は猫ではなく沙織の恋人で、彼女を守れるのは自分しかいないと思い込んでしまうロシアンブルー。

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 猫好きの僕としてはかなり期待して試写室に駆けつけたが正直言ってややガッカリ。
犬童一心監督は名前負けしないほど、動物映画は多く撮っているし上手い。
だがどうしたのだろう、いつもの犬童らしくない、タイトルの猫が生きていない。

焦点が当たっているのは沢尻エリカ。
6年振りの映画主演の脚本はエリカに宛書したようなルポルタージュ風で猫がすっ飛ぶ。ロシアンブルーをもっと見ていたいのにいきなり若い男に変身して姿を消す。

33歳の沙織(沢尻)は、かつてアイドルグループ「サニーズ」のヴォーカルとして芸能界で活動していたが、歌手としては芽が出ず、全てに嫌気が差して都会から逃げてきた。
劇中、沢尻エリカは「サニーズ」唯一のヒット曲「ロマンス交差点」をたっぷり聞かせてくれる。

元アイドルで今はスーパーでレジ打ちとして働くアラサーの沙織は、思い描く理想の姿と惨めな現実の落差に失望していた。
刺激といえば万引きの女子高生を捕まえて説教するくらい。

女子高生の叔父で見受けに来た保護者の叔父、画家のゴッホこと後藤保(峯田和伸)と出会って打ち解けて話すうちに沙織の日常が変って来る。

沙織が唯一心を開くのが、ペット禁止のアパートでこっそりと飼っているロシアンブルーの猫だけだった。ペットショップで売れ残りの猫だけに自分の身の上の感情移入をしてしまったのだろう。
ここまでは良い。

ところがロシアンブルーが突然人間の男、良男(吉沢亮)になり、その上沙織に惚れられていることを仲間の猫に自慢する。そして画面では猫ではなく、縞々Tシャツを着た細身のイケメン男に変身している。
自分は猫ではなく沙織の恋人で、彼女を守れるのは自分しかいないと思い込んでしまうのだ。

思い込みの世界になると背景も舞台の大道具や小道具に囲まれている。

ミュージカルの「キャッツ」ならばそういう取り決めだから、猫が擬人化して歌を唄って良いが、ロシアンブルーがいきなり良男になるなんてルール違反じゃないだろうか。
猫の思いこみの世界を実写でなく演劇で描き、一線を画するがやはり観客は戸惑う。

大山淳子の原作は知らないがファンタジーと現実とのフュージョンが未消化で犬童監督も頭を悩ませただろうが、演出で解決できるものでもない。
犬童作品でも下位の映画にならざるを得ない。

主人公の沙織を演じる沢尻エリカは不貞腐れた「フツー」の応対イメージを払拭した大胆な裸身を披露して大ヒットした「ヘルタースケルター」以来6年振りの主演で注目したが、こんな映画では詰らない。

沙織のガーディアンを任じる良男役の吉沢亮は脇で見たことがあるが準主役としては初めてだ。
画家のゴッホは「銀杏BOYZ」の峯田和伸は中々様になっている。

6月23日より新宿ピカデリー他で上映される

「レディ・プレイヤー1」(Ready Player One)(米映画):近未来の荒廃した地球のデストピアの現実を逃避するため、ゴーグルに緑の水着をつけてオンラインゲームのヴァーチャル世界に耽溺する。

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 昨晩(13日)の丸の内ピカデリー1での試写を見せて貰った。
丸ピカの反対側の日劇は既にTOHOシネマズ日比谷として三信ビル後の新施設に移行しており、1階のチケット売り場も9階と11階の日劇も入口や大きなガラスの壁面は白いカバーで覆われており不気味な感じだ。
戦中から続いた伝統ある日劇ビルは消えてしまった。
ここは丸ピカを軸に松竹系の牙城になるのだろう。

スティーブン・スピルバーグ監督が、アーネスト・クラインによる小説「ゲームウォーズ」を映画化したSFアクション。
ゴーグルをつけたヴァーチャル世界VFXと現実世界のリアルなライブ描写を織り交ぜている。

近未来2045年のオハイオ州コロンバス、環境汚染や気候変動、政治の機能不全が原因となって、地球上の人口の大半がスラム街で暮らさざるを得ない状況の地球は荒廃したデストピア。
惨めな現実を逃れるのはオアシスでオンラインゲームに耽るのが一番の解消法。

人類の歴史を変えたと言われ、世界中の人々がアクセスする仮想ネットワークシステム「OASIS(オアシス)」に突如としてメッセージが発信される。

OASISの開発によって巨万の富を築いた大富豪のジェームズ・ハリデー(マーク・ライランス )が死去し、OASISの隠された謎を解明した者に、オアシスの所有権と2400億ドル相当のハリデーの遺産が授与されることになっていた。

メッセージを見た孤独な青年ウェイド・ワッツ(タイ・シェリダン)は、
全人類が探すオアシスの秘密を解く三つの鍵を巡り仮想空間でアノラック・ゲームの冒険に挑む。
ゲームの参加者はハリデーがオアシス内に隠したとされる「イースターエッグ」を探し出した者が勝者である。

ゲームの参加者の中には、オアシスの管理権を欲する大企業IOIの息の根がかかった人間(ベン・メンデルゾーン)もおり、アノラック・ゲームは現実の世界をも巻き込んだ死闘の様相を呈し始めた。

最初のゲームはカーレース。ウェイドの車はバック・トゥ・フューチャーのガルフ。ウィングの2シー
タ、「デロリアン」だ。懐かしいね、しかし今見ると完璧にクラシックかーだ。ウェイドはゴール近くに障壁があると見て逆走して勝利する。2位の黒人の巨大な天才医学者アエック、アニメスタイルのクーキー(オリビア・クック)に加えて日本人2人、ダイトー(ウィン・モリサキ)とショトー(フィリップ・ザオ)が入っているのが嬉しい。

しかし主演のシェリダンにしても、クックにしても、その他の役者を含め誰も知った顔はいない。制作費の大きな支出を占める俳優のギャラは格安だっただろう。


作中のゲーム世界には、アメリカはもとより日本のアニメや映画、」ゲームに由来するキャラクターやアイテムなどが多数登場する。

例えば作者本人が気にいっていない映画とは?の応えは、スティブーン・キングス原作でスタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」

5人が訪ねたさびれたリゾートホテルに双子の姉妹が現れ追いかけたアエックは突然の泥水の奔流に溺れる。
蘊蓄を試されているようにガンダムやマッドマックスやバットモービルなどは大丈夫だが「アキラ」に登場した金田のバイクなどは知らない。

前後の脈絡なしに「ローズ・バッド」が出て来るがオースン・ウェルズ監督主演の1941の映画で新聞王の残した謎の言葉だ。

だが75年前の作品のキーワードなど誰が知っているのだろうか?比較的新しいデロリアンだって今の若者は知らない。

上映前に配給会社ワーナーブラザースからネタバレ禁止令が出ているからこれ以上書けないが
スピルバーグは映画の中で観客の大衆文化の経験知識、つまりカルチャー度に挑戦している。

僕自身はかなり反応して自己満足して、堪能できた映画だ。

4月20日より丸の内ピカデリー他で全国公開される

「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」(I Can Quit Whenever I Want 2:Masterclass)(伊映画):不況で教授の地位を追われた学者たちは合法ドラッグで復

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この手のイタリア喜劇はアメリカでは上映されない。今のところ公開された国はイタリア本国とフランス、ドイツだけで、日本で上映されるとは特筆に値する。

実は2014年にオリジナル版がありイタリアだけでEU4M(5.4億円)のヒットを飛ばしてイタアリアのゴールデングローブ賞を獲得している。
三部作でこの映画は第二弾と言うことになる。

問題の発端が大げさだ。
2009年にギリシャで始まった欧州危機はイタリアにも拡大、ユーロ圏の深刻な不況はローマの大学研究者たちにも影響し、収入はカットされ、職を追われる者も続出。才能ある者たちは次々と海外に稼ぎを求め、研究者の海外転出は「国の頭脳流出」とも言われ、大きな社会問題にもなる。なかには世界各国でテロ組織などに爆弾を売り込む者もいた。

そこで学者たちは自己防衛のため反撃に出る。
主人公の神経生物学者、ピエトロ・ズィンニ(エドアルド・レオ)は研究に人生を捧げてきたが、大学から研究費を削減され職を失ってしまう。新しい職も見つからず路頭に迷った彼は、社会から弾き出された学者たちを見るにつけ、「合法ドラッグ」でひと儲けしようとする。

自分と同じく社会から不遇な扱いを受けている経済学、化学、人類学、ラテン語の専門家たちを集めて犯罪集団を結成する。

ミッション・インポッシブルはプロジェクトに適合した武術の専門家を集めるが、ここでは頭脳集団だ。
しかし集まった面々はどう見ても研究室に閉じこもっている青白いインテリとは思えない。
計算化学者(って何)のアルベルト・ベトレッチ(ステファ―ノ・フレージ)などはゴリラみたいで知性は感じない。
動学マクロ経済学者バルトロメオ・ポネッリ(リベロ・デ・リエンツォ)、文化人類学者のアンドレ・デ・サンクティス(ピエトロ・セルモンティ)
古典考古学者のアルトゥーロ・フランティーニ(パオロ・カラブレーナ)、それにラテン系の2人、解釈論的記号学者のマッティア・アルジェリ(ヴァレリオ・アプレア)とラテン碑銘学者ジョルジョ・ジローニ(ロレンツォ・ラヴィア)教会法学者ヴィットリオ(ロザリオ・リスマ)メカトロニクス・エンジニアのルーチョ・ナポリ(ジャンパオロ・モレッリ)理論解剖学者ジュリオ・ポッレ(マルコ・ボニーニ)の「10人の怒れる教授たち」専門職名も役者も余り聞かない。
学者たちは「合法ドラッグ」と言ってもズブの素人で何も知らない。
本物の合法ドラッグを手に入れ成分を分析すると11種の素材やハーブから出来ている。10種は簡単の大量に手に入るが残りの1種が「エストロゲン」。これは女性が飲む避妊ピルに多量に含まれていることが分かる。
男が薬局へ行って避妊ピルを買う訳にはいかない。

そこで原材料を略奪する方策を考える。
しかしバカバカしいのは貨車に積み込まれてしまった避妊ピルを手に入れる方法だ。積み込んだ貨車を学者軍団が追いかける。
ハーケンクロイツのヘルメットを被り大戦中のナチが使っていたサイドカーとバイクで追いかける。
何で学者たちがネオナチ党なのか分からない。そしてハイライトは、貨物列車とサイドカーやバイクの追いかけっこがクライマックスなる。

ストーリーは馬鹿げているし、役者は誰も知らない。

「首席の学者がゴミ収集員」という新聞記事が、35歳の若い監督、シドニー・シビリアの目に留まったのが切っ掛けでシビリアは原案を書き、3部作のヒットシリーズに繋がった。

主人公の神経生物学者ピエトロ・ズィンニを演じるのは、「おとなの事情」などののエドアルド・レオ。また、イタリア映画界のベテランM.ベロッキオが医者として「ヒポクラテスの誓い」を重視する解剖学者、美人刑事役のグレタ・スカラーノも存在感を主張している。

5月26日よりBunkamuraル・シネマ他で公開される

「海を駆ける」(日・仏・インドネシア映画):インドネシア、スマトラ島沖の海からやって来た謎の男、ラウは平穏な貴子の一家とそのNGO組織に波乱を齎す

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インドネシア、バンダ・アチェの海岸で倒れている謎の男が発見される。片言の日本語やインドネシア語を話すその男は、海で発見されたことからインドネシア語で「海」を意味する「ラウ」と名づけられた。

NGO法人で災害復興の仕事をしている貴子と息子のタカシ、親戚のサチコは、記憶喪失ではないかと診断されたラウをしばらく預かり、身元捜しを手伝うこととなる。ラウはいつもただ静かにほほ笑んでいるだけだったが、そんなラウの周辺ではさまざまな不可思議な現象が起こりはじめていた。フジオカが謎の男・ラウを演じ、貴子役を鶴田真由、タカシ役を太賀、サチコ役を阿部純子がそれぞれ演じる。

深田晃司監督が2年前の第69回カンヌ国際映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞した「淵に立つ」も下町の小さな工場を経営する平和な一家に刑務所を出たばかりの謎の男が現れ平穏、だった日常に不協和音が響き始める様子を描いているが、この映画もその線上にある。

日本からインドネシアに移住し、NPO法人を起ち上げ津波や山火事などの災害復興の仕事をしている貴子(鶴田真由)と息子のタカシ(太賀)、はタカシの同級生クリス(アディパティ・ドルケン)とジャーナリスト志望のイルマ(セカール・サリ)のインタビューを受けていた。そこへ親戚のサチコ(阿部純子)が日本からやって来る。

そんな折り、バンダ・アチェの海岸で倒れている謎の男(ディーンフジオカ)が発見される。
日本人らしいが片言の日本語やインドネシア語を話すその男は、何も喋らず微笑むだけ。海で発見されたことからインドネシア語で「海」を意味する「ラウ」と名づけられた。

「淵に立つ」では謎の男は浅野忠信、この映画ではディーン・フジオカでやや格が落ちるが、深田監督のパターンでは平穏な貴子の家庭に波乱を齎すことになる。
状況を変えただけの、どうも記憶喪失だけでなくキリストがガリラヤ湖を裸足で歩いたように海を歩いて渡るような超能力も秘いるような、クリシェながら何が起こるか興味が湧く。

案の定、ラウの周辺ではさまざまな不可思議な現象が起こりはじめていた。
夕暮れに二組の子供の葬儀の列が続き、どうやらラウが子どもの事件に関与しているようだ。

脚本・監督の深田晃司は37歳とまだ若いが「東京人間喜劇」(08)「ほとりの朔子」(13)など問題作を輩出している。
出演者は「結婚」などのディーン・フジオカ、「聞けわだつみの声」などの鶴田真由、深田の「淵に立つ」以来の再コンビの太賀、他に阿部純子、アディパティ・ドルケン、セカール・サリなどが脇を固める。

2004年の地震による大津波で大きな被害を受けたスマトラ島でロケを行い、海からやって来た不思議な男が起こす奇跡のファンタジードラマ。
僕にはどうもピンと来ない作品だった。

5月テアトル新宿他で公開される。

「フジコ・ヘミングの時間」(日本映画):コンサート無冠の「つんぼのピアニスト」フジコ・へミグは因習に捕らわれず自由に演奏し与えられた残りの人生を謳歌する

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 中村紘子も内田光子もショパンピアノコンクールに入賞し世界に羽ばたいたがそれ以外にもベートーべンやバッハ、モーツアルトなどの有名作曲家の名を冠したコンクールは幾つもある。

 今日の映画の主人公フジコ・ヘミングは67歳の時にNHKTVで伝記が放映されたことで一躍ブレイクし、日本の人々に見いだされ次いで世界でも認められ「奇跡のピアニスト」となって一躍有名ピアニストとなり、デビュー20周年となる2019年に向けた記念映画として製作されたもの。

大抵のピアニストは幼児の頃から神童として世間からもてはやされるがフジコがデビューする67歳には引退している。引退どころか67歳がスタート地点と言うのがユニークなところ。

そのNHK番組は1999年2月に放映されたドキュメンタリー「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」で、大きな反響を呼び、フジコブームが起こった。
その後、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。現在、ソロ活動に加え、海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続く。

2003年には菅野美穂がフジコ役を演じたドラマ「フジ子・ヘミングの軌跡」も話題を呼んだ。
フジコ・ヘミングは、日本人ピアニストの母とロシア系スウェーデン人デザイナーの父のもとで1932年にベルリンに生まれ、今年86歳。女優、樹木希林のようなユーモラスな雰囲気を漂わせジプシー(ロマ)のような恰好で舞台に立つ。衣装デザインも自前だ。
物心がつく前に父が家を出てアメリカに渡ってしまったので、帰国して東京で母の手ほどきを受けて5歳でピアノを始めた。

30歳でドイツに留学した後、ヨーロッパで著名な音楽家から支持を得てキャリアを重ねたが、リサイタル直前に風邪をこじらせて聴力を失う。
耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を取得し、以後はピアノ教師をしながら各地でコンサート活動を続けた。つまりピアニストとしては素人の域を少し出ただけの音楽教師のレベルだということ。
コンサート無冠の「つんぼのピアニスト」フジコだからこそ「判官びいき」な日本人向きで僕もその一人だ。

オーケストラとのコンサートは余りやらない。日本の東北巡業のツアーでは指揮者からテンポが合わないと注意を受ける。コンダクターに視線を向けないし、かなり回復したとはいえ難聴は続いている。
だからピアノソロのコンサートが主流になる。これなら「わが道を往く」で演奏できる。
正直だ、「今日はミスタッチが多かったな」とカメラの前で告白しているが素人観客には知る由もない。

それでも人気者のフジコ婆さん、年間70回のツアーをこなし、パリ、東京(下北沢)、京都、ロスアンジェルス(サンタモニカ)、ベルリンにアパートを持つリッチなコスモポリタンだ。どのアパートも内装は自分の手で行う。
猫が大好きでサンタモニカでは3匹、下北沢では25匹、パリは5匹いたのだが死んでしまって今は2匹。一番可愛がっていた「チョンチョン」が死んだ様を涙ながらに語るフジコは子供のようだ。

動物愛護にためのチャリティコンサートも開き多額の寄付もしている。
パリ、ニューヨーク、アルゼンチン、ベルリン、そして京都と世界を巡るヘミングにカメラは密着し、演奏家としての姿、自宅で愛猫たちとともに暮らすプライベートでの様子、そして子供時代の絵日記やアルバムを通して知られざる半生を描く。

劇中演奏される曲に聞きほれる。だれでも知っている曲をたっぷり聞かせてくれる。特にフジコ・ヘミングの専売特許のようなレパートリーとなっているフランツ・リストの「ラ・カンパネラ」は何度も登場する。
ショパンの「別れの曲」、ベートーベンの「月光」、モーツアルトの「トルコ行進曲」リストの「ため息」、ショパンの「ピアノ協奏曲」そしてジャズのスタンダードナンバー「サマータイム」など大衆的なポピュラーな曲ばかりで観客は大満悦。

「これから何年生きられるか知る由も無いが与えられた時間を精一杯生きる」というフジコの言葉は印象に残る。

監督は小松壮一郎、これまで多数のアーティストのPV、ライブ映像、ドキュメンタリー映像などを手掛けているが商業湯王長編記録映画は初めてだが緻密に丁寧に仕上げている。

初夏6月に、シネスィッチ銀座にて公開される
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