34年前の映画「再会の時」(The Big Chill)は今でも強い印象に残っている。
主人公ハロルドとサラ夫妻は、電話で友人、アレックス友人の死を知らされ、そして彼の葬儀で大学時代の友人たちと15年振りに会うところから話が始まる、ローレンス・カスダン監督、ケビン・コスナーとグレン・クロース主演のこの映画は、それから葬式映画の元祖的役割を果たす。
今日紹介するこの作品の舞台は九州のどこかの田舎の町になっているが、ロケ地は熊本南部と鹿児島、宮崎と県境を接する熊本県人吉市だ。人口は3万4千人。
見渡す深緑の水田の中に川が蛇行し住宅がポツリポツリと建っている。
最近の映画は、空撮が多く、水田を低く舐めるのもドローンが多用されているからだろう。
映画が立体的な広がりを見せるのは喜ばしい。
冒頭は若い男女が真昼間からセックスに励んでいる。
そこへ電話のベルが,行為の途中未だイッテない男,圭介(松澤匠)は無視だが下に敷かれた春野吉子(岸井ゆきの)は中断して電話を取るとそのままベランダに出て庭で木に水をかけている父,清二(光石研)に声をかける。
「おじいちゃん、死んじゃったって。」
祖父、功(五歩一豊)の病室では清二が兄の昭男(岩松了)と葬儀の段取りでもめている。互いに親父のことを大切にしなかったと非難し合う。この兄弟の仲の悪さといがみあいが映画を引っ張る。
「みんなもたいして悲しそうじゃなかったですね」と病院の屋上で昭男の別れた妻、野村ふみ江(美保純)が連れたセーラー服の千春(小野花梨)が吉子が抱いている考えと同じことを言う。二人でうまそうに紫煙を空に向かって吐く。
祖父の葬式を実家で行うことにし、自宅へ運ぶとそこにはボケて自分の息子たちを「どなた様?」と問う祖母ハル(大方斐沙子)がいる。
集まった親戚の目の前でスカートを上げオシッコを畳の上にしてしまう程、
痴呆症は進行している。どこの介護ハウスも満員で空室待ち。どう押し込むかも家族には大変な問題だ。
東京の大学へ通う吉子の弟、清太(池本啓太)も帰って来た。親戚には黙っているが、父、清二はリストラされ再就職もままならず学費も払ってもらえるかどうか頭が痛い。
昭男の長男、洋平(岡山天音)は引き籠りの浪人生だが母、ふみ江に無理矢理連れ出され通夜に参列する。
真っ赤なフェラーリが春野家の庭に颯爽と入って来る。
降り立った中年の美人は昭男と清二の妹、薫(水野真紀)だ。
独身で地位も名誉も金もある薫は男など不要だと広言してはばからない。
ただ子どもだけは欲しいと。
工場の万年工員で下っ端の長男昭雄は清二がクビになり今後立ち行かなくなったことを非難するが、才覚も無くうだつも上がらず一生下働きの工員で終わる昭雄に言われたく無い!と取っ組み合いの大喧嘩。
香典が盗まれたり親戚同士でいがみ合い罵りあいの通夜を終え、一行は火葬場で最後の見送り。
一瞬正気に戻った祖母、ハルが火葬されている夫に向かい「お爺ちゃん!」と絶叫するのに驚かされる。
翌日薫はハルをフェラーリに乗せ老人介護ハウスへ向かう。
涙を流しながら薫はハルに声をかける。
「ごめんね、お父さん,死んじゃたって。」
どたばた騒動を描いていても映画の質は上がらない。
脚本の山崎佐保子と監督の森ガキ侑大は主人公吉子をインドへ送り込む。
森ガキはCMの世界が長く映画は初めて。
カッコつけてスタイリッシュに撮ろうとして変な省略やインドロケなど文脈に関係無いものを入れようとする。
30年前の「再会の時」とは比べるべくもない、かなりレベルの低い作品になってしまった。
余り気張らずバラバラ家族のリユニオンを単純に地道に描いて欲しかった。
NHK大河ドラマ「真田丸」で売り出した旬の若手女優・岸井ゆきのを主演にしたのも間違いだ。名前ばかりで演技力が無い。
祖父の葬儀をきっかけにそれぞれの事情を抱えた家族たちが久しぶりに顔を揃え、それぞれが抱えるやっかいな事情が明らかとなり、それぞれが本音をさらけだして互いに相手にぶっつけて戦う内に本当の家族として未来へと踏み出していく。
このテーマに絞り込んで仕上げるべきだった。終わって見てケジメが付いてない問題がいくつも残っている。吉子の訃報の最中に圭介とセックスに励んでいたという思いが忸怩としてトラウマになるのは着想として面白い。
それを解消しようと田圃の真ん中に軽トラを止めてリターンマッチは愉快でこれはケジメがついている。
しかしインドでは死体が道路に転がっていて犬が食うなんて出鱈目を検証のため遥々インダス河を訪ねる旅に出るのは、やり過ぎだと思う.。
11月14日よりテアトル新宿ほか全国公開となる。
主人公ハロルドとサラ夫妻は、電話で友人、アレックス友人の死を知らされ、そして彼の葬儀で大学時代の友人たちと15年振りに会うところから話が始まる、ローレンス・カスダン監督、ケビン・コスナーとグレン・クロース主演のこの映画は、それから葬式映画の元祖的役割を果たす。
今日紹介するこの作品の舞台は九州のどこかの田舎の町になっているが、ロケ地は熊本南部と鹿児島、宮崎と県境を接する熊本県人吉市だ。人口は3万4千人。
見渡す深緑の水田の中に川が蛇行し住宅がポツリポツリと建っている。
最近の映画は、空撮が多く、水田を低く舐めるのもドローンが多用されているからだろう。
映画が立体的な広がりを見せるのは喜ばしい。
冒頭は若い男女が真昼間からセックスに励んでいる。
そこへ電話のベルが,行為の途中未だイッテない男,圭介(松澤匠)は無視だが下に敷かれた春野吉子(岸井ゆきの)は中断して電話を取るとそのままベランダに出て庭で木に水をかけている父,清二(光石研)に声をかける。
「おじいちゃん、死んじゃったって。」
祖父、功(五歩一豊)の病室では清二が兄の昭男(岩松了)と葬儀の段取りでもめている。互いに親父のことを大切にしなかったと非難し合う。この兄弟の仲の悪さといがみあいが映画を引っ張る。
「みんなもたいして悲しそうじゃなかったですね」と病院の屋上で昭男の別れた妻、野村ふみ江(美保純)が連れたセーラー服の千春(小野花梨)が吉子が抱いている考えと同じことを言う。二人でうまそうに紫煙を空に向かって吐く。
祖父の葬式を実家で行うことにし、自宅へ運ぶとそこにはボケて自分の息子たちを「どなた様?」と問う祖母ハル(大方斐沙子)がいる。
集まった親戚の目の前でスカートを上げオシッコを畳の上にしてしまう程、
痴呆症は進行している。どこの介護ハウスも満員で空室待ち。どう押し込むかも家族には大変な問題だ。
東京の大学へ通う吉子の弟、清太(池本啓太)も帰って来た。親戚には黙っているが、父、清二はリストラされ再就職もままならず学費も払ってもらえるかどうか頭が痛い。
昭男の長男、洋平(岡山天音)は引き籠りの浪人生だが母、ふみ江に無理矢理連れ出され通夜に参列する。
真っ赤なフェラーリが春野家の庭に颯爽と入って来る。
降り立った中年の美人は昭男と清二の妹、薫(水野真紀)だ。
独身で地位も名誉も金もある薫は男など不要だと広言してはばからない。
ただ子どもだけは欲しいと。
工場の万年工員で下っ端の長男昭雄は清二がクビになり今後立ち行かなくなったことを非難するが、才覚も無くうだつも上がらず一生下働きの工員で終わる昭雄に言われたく無い!と取っ組み合いの大喧嘩。
香典が盗まれたり親戚同士でいがみ合い罵りあいの通夜を終え、一行は火葬場で最後の見送り。
一瞬正気に戻った祖母、ハルが火葬されている夫に向かい「お爺ちゃん!」と絶叫するのに驚かされる。
翌日薫はハルをフェラーリに乗せ老人介護ハウスへ向かう。
涙を流しながら薫はハルに声をかける。
「ごめんね、お父さん,死んじゃたって。」
どたばた騒動を描いていても映画の質は上がらない。
脚本の山崎佐保子と監督の森ガキ侑大は主人公吉子をインドへ送り込む。
森ガキはCMの世界が長く映画は初めて。
カッコつけてスタイリッシュに撮ろうとして変な省略やインドロケなど文脈に関係無いものを入れようとする。
30年前の「再会の時」とは比べるべくもない、かなりレベルの低い作品になってしまった。
余り気張らずバラバラ家族のリユニオンを単純に地道に描いて欲しかった。
NHK大河ドラマ「真田丸」で売り出した旬の若手女優・岸井ゆきのを主演にしたのも間違いだ。名前ばかりで演技力が無い。
祖父の葬儀をきっかけにそれぞれの事情を抱えた家族たちが久しぶりに顔を揃え、それぞれが抱えるやっかいな事情が明らかとなり、それぞれが本音をさらけだして互いに相手にぶっつけて戦う内に本当の家族として未来へと踏み出していく。
このテーマに絞り込んで仕上げるべきだった。終わって見てケジメが付いてない問題がいくつも残っている。吉子の訃報の最中に圭介とセックスに励んでいたという思いが忸怩としてトラウマになるのは着想として面白い。
それを解消しようと田圃の真ん中に軽トラを止めてリターンマッチは愉快でこれはケジメがついている。
しかしインドでは死体が道路に転がっていて犬が食うなんて出鱈目を検証のため遥々インダス河を訪ねる旅に出るのは、やり過ぎだと思う.。
11月14日よりテアトル新宿ほか全国公開となる。