アイスランド共和国は、北ヨーロッパの北大西洋上に位置する国家。首都はレイキャビク。総人口は約31万人。
「春にして君を想う」(91)などのフリドリック・トール・フリドリクソン監督の,日本人の地質調査隊の事故を永瀬正敏主演で扱った「コールド・フィーバー」(1995年)を見た記憶がある。
東京での築地市場や人の溢れる澁谷駅前交差点をはじめとする狭苦しい東京]から一転してアイスランドのスケールの広い空間の対比は印象に残っている。
フリドリクソン監督以外にはアイスランドに大作家がいないので、
短編で修練を積んだ34歳の若いグズムンドゥル・アルナル・グズムンドソン監督の
デビューも難しく無かった。
アイスランドの総人口は僅か31万人、首都レイキャビクに21万人住むから
田舎のコミュイティに暮らす人々は互いのことは知りつくしプライバシーなど存在しない。
大部分の映画観客は大都会で生活していて、東アイスランドの小さな漁村には興味を抱く。
アイスランドの鄙びた漁港での漁と広大な草原や丘陵に囲まれた漁村に住む人たち。
人口の流入も流出もないので互いに知り尽くしている状況は閉鎖コミュニティだ。
映画の冒頭、埠頭の真下に集まった魚群。
少年たちは餌が無いと慌てるが釣り糸を垂れると「入れ食い」大きな魚がどんどん釣れる。
ただ「カサゴ」だけは美味しく無いので少年たちが足で踏みつけ頭蓋を挫くシーンは不快だ。
籠一杯の魚をソール(バルドル・エイナルソン)は家に持ち帰ると
母親ラケル(ニーナ・ドッグ・フィリップスドッテイル)は何処から盗んで来たと詰問する。
14歳のソールは大人の言うことも聞かず勝手気ままな少年なのだろう。
そんな漁村に住む濃密だが保守的にならざるを得ない人たちの間で、
少年たちがLGBTに入り込んでしまう描写は特異なオーラを放つ。
改めて説明するがLGBTとは性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)のL、
ゲイ(男性同性愛者)のG、バイセクシュアル(両性愛者)B、
トランスジェンダー(性同一視障害)の頭文字を繋げたものだ。
大人になる手前、思春期真っ盛りの2人の少年、14歳のソールと親友のクリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)。
2人は幼馴染で大の仲良し、いつも一緒だ。
ソールは天使のような美しい顔、体は未成熟だが声変わりをしている。
大人びた美少女ベータ(ディルヤゥ・ワルスドッティル)のことが気になり始めている。
背が高くブロンドのクリスティアンはソールが大好きだが、感情を抑えソールとベータの後押しをする。クリスティンに想いを寄せるベータの女友達ハンナ(カトラ・ニャルスドティル)も加え4人いっしょにいつも群れている。
ややこしいのはベータとハンナもレズっぽい。
ゲイに見えるがストレイトなソールとストレイトのようだがソールへの強い想いを秘めるクリスティアンのソールを見詰める眼差しは忽ち村人の評判になる。
関係がぎこちなくなったソールはクリスティアンに頼む。
「普通にしてくれよ。そしたら元へ戻れるから」
クリスティアンはソールのために一大決心をする。
この初長編作品が各国の映画祭で絶賛され数々の受賞を受けている。
アイスランド語の題名は「Hjartasteinn」の英訳はHeartstone。
グズムンドソン監督が「Heart(ハート)」と「Stone(ストーン)」という2つの単語を1語に合わせて作った造語である。
「温かい感情」と「厳しい環境」を意味しており、監督はこの新しい言葉が詩的な形でこの映画にとても良くフィットすると感じたと言う。
映画のストーリーは監督自身が幼い頃に過ごした漁村での経験が元になっていると言う。大人から子供までみなが顔見知りで、古くからの慣習を尊重する村の環境は些細なことが大きな火種となる。ソールとクリスティアンに向けられた好奇の眼差しは二人の関係をぎこちなく浮彫にする。
明るいテーマでは無く映画はヒットを望めないだろうが
(アメリカでは一般公開されない)
性に目覚める少年たちのLGBTの側面に光を当て、
大人への一歩手前の通過儀礼を濃密に描いている。
7月15日よりYEBIS GARDEN CINEMAにて公開される。
「春にして君を想う」(91)などのフリドリック・トール・フリドリクソン監督の,日本人の地質調査隊の事故を永瀬正敏主演で扱った「コールド・フィーバー」(1995年)を見た記憶がある。
東京での築地市場や人の溢れる澁谷駅前交差点をはじめとする狭苦しい東京]から一転してアイスランドのスケールの広い空間の対比は印象に残っている。
フリドリクソン監督以外にはアイスランドに大作家がいないので、
短編で修練を積んだ34歳の若いグズムンドゥル・アルナル・グズムンドソン監督の
デビューも難しく無かった。
アイスランドの総人口は僅か31万人、首都レイキャビクに21万人住むから
田舎のコミュイティに暮らす人々は互いのことは知りつくしプライバシーなど存在しない。
大部分の映画観客は大都会で生活していて、東アイスランドの小さな漁村には興味を抱く。
アイスランドの鄙びた漁港での漁と広大な草原や丘陵に囲まれた漁村に住む人たち。
人口の流入も流出もないので互いに知り尽くしている状況は閉鎖コミュニティだ。
映画の冒頭、埠頭の真下に集まった魚群。
少年たちは餌が無いと慌てるが釣り糸を垂れると「入れ食い」大きな魚がどんどん釣れる。
ただ「カサゴ」だけは美味しく無いので少年たちが足で踏みつけ頭蓋を挫くシーンは不快だ。
籠一杯の魚をソール(バルドル・エイナルソン)は家に持ち帰ると
母親ラケル(ニーナ・ドッグ・フィリップスドッテイル)は何処から盗んで来たと詰問する。
14歳のソールは大人の言うことも聞かず勝手気ままな少年なのだろう。
そんな漁村に住む濃密だが保守的にならざるを得ない人たちの間で、
少年たちがLGBTに入り込んでしまう描写は特異なオーラを放つ。
改めて説明するがLGBTとは性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)のL、
ゲイ(男性同性愛者)のG、バイセクシュアル(両性愛者)B、
トランスジェンダー(性同一視障害)の頭文字を繋げたものだ。
大人になる手前、思春期真っ盛りの2人の少年、14歳のソールと親友のクリスティアン(ブラーイル・ヒンリクソン)。
2人は幼馴染で大の仲良し、いつも一緒だ。
ソールは天使のような美しい顔、体は未成熟だが声変わりをしている。
大人びた美少女ベータ(ディルヤゥ・ワルスドッティル)のことが気になり始めている。
背が高くブロンドのクリスティアンはソールが大好きだが、感情を抑えソールとベータの後押しをする。クリスティンに想いを寄せるベータの女友達ハンナ(カトラ・ニャルスドティル)も加え4人いっしょにいつも群れている。
ややこしいのはベータとハンナもレズっぽい。
ゲイに見えるがストレイトなソールとストレイトのようだがソールへの強い想いを秘めるクリスティアンのソールを見詰める眼差しは忽ち村人の評判になる。
関係がぎこちなくなったソールはクリスティアンに頼む。
「普通にしてくれよ。そしたら元へ戻れるから」
クリスティアンはソールのために一大決心をする。
この初長編作品が各国の映画祭で絶賛され数々の受賞を受けている。
アイスランド語の題名は「Hjartasteinn」の英訳はHeartstone。
グズムンドソン監督が「Heart(ハート)」と「Stone(ストーン)」という2つの単語を1語に合わせて作った造語である。
「温かい感情」と「厳しい環境」を意味しており、監督はこの新しい言葉が詩的な形でこの映画にとても良くフィットすると感じたと言う。
映画のストーリーは監督自身が幼い頃に過ごした漁村での経験が元になっていると言う。大人から子供までみなが顔見知りで、古くからの慣習を尊重する村の環境は些細なことが大きな火種となる。ソールとクリスティアンに向けられた好奇の眼差しは二人の関係をぎこちなく浮彫にする。
明るいテーマでは無く映画はヒットを望めないだろうが
(アメリカでは一般公開されない)
性に目覚める少年たちのLGBTの側面に光を当て、
大人への一歩手前の通過儀礼を濃密に描いている。
7月15日よりYEBIS GARDEN CINEMAにて公開される。