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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「ハイドリヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺計画」(Anthropoid)(英・独・チェコ映画):第二次大戦初頭、連合国軍が見放したチェコスロバキアを勇猛なレジスタンスがドイツ高官ハインリヒ大将の暗殺に成功

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昨日(26日)のブログに続いて、史実に基づくナチスドイツへのレジスタンス映画を紹介したい。

「エンスラポイド作戦(Operation Anthropoid)」と言うコードネームを原題にしているが、エンスラポイドとは「類人猿」のことで何の関係があるかと訝るが、スパイのコードネームの意味は直ぐに分かってしまうと意味が無い。

ナチス親衛隊大将、ラインハルト・ハイドリヒはアドルフ・ヒトラー総統、ハインリッヒ・ヒムラー警察庁長官に次ぐ、ナチス第3のランキングに叙せられる男。
絶滅収容所を建てユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の基本計画を着々とすすめていた責任者でもある。

ナチスドイツがチェコスロバキアに侵攻し圧政をしくボスこそ、大物ラインハルト・ハイドリヒで、ロンドンにある亡命チェコ政府の指令のもと、レジスタンスが見事暗殺に成功した史実を映画化したもの。

大物暗殺事件は既に、フリッツ・ラング監督が「死刑執行人もまた死す」(Hangmen also die)(43)やダグラス・サーク監督「Hitler’s madman」(45)、
ルイス・ギルバート監督の「暁の7人」(Operation Daybreak)(75)など映画化されているが、
今の若い人は暗殺も映画も知らない。

だからこの映画は改めて史実を振り返り、連合軍から見放されたチェコスロバキアが愛国者たちの命を賭した暗殺計画によりその存在感を示したことを再認識させる。

 村上春樹の最新作「騎士団長殺し」はウィーンに留学していた日本画画家が仲間と仕掛けた「ナチス高官暗殺」に失敗し、日独伊三国同盟の恩恵で特赦を受け、
帰国後に暗殺を比喩したドン・ジョバンニに殺される騎士団長を描く。

 高官が誰かは小説では分らないがナチス高官の暗殺は多くないから、
ハイドリヒのことか村上春樹の年頭にあったと思って読んでいたが、
この映画を見てその感を強くした。

 第2次世界大戦下の1941年冬、ロンドンに本部を置くチェコスロバキア亡命政府は、
ヨゼフ・ガプチーク(キリアン・マーフィー)とヤン・クビシュ(ジェイミー・ド―ナン)の
2人をプラハ近郊の森の中へパラシュートで送り込む。

プラハでは抵抗組織「インドラ」の幹部、ラジスラフ・ヴァネック(マルチン・ドロチンスキー)とヤ
ン・ゼレンカ=ハイスキー(トビー・ジョーンズ)たちが待っていた。
 ベテラン俳優、小太りのトビー・ジョーンズが顔を出すと画面の重みも増す。

ここから直ぐにアクションが始まるのかと期待するが、ヴァネックは「ハイドリヒを殺せばヒトラーはこの街を潰す。家族友人も皆殺しにされるぞ」と猛反対。
何のための抵抗組織だ!当然ヨゼフもヤンも祖国を愛するなら命を落とす積りだ」と反論する。

 それでも男2人で街を探訪するのに目立ってはいけないと、
お手伝いのマリ―(シャルロット・ルボン)とその友達レンカ(アンナ・ガイスレロバー)を
紹介してくれる。

 若い男女が毎晩食事に酒、レストランにクラブで過ごせば
ヤンはマリーと婚約し、ジョセフとレンカは良い仲になる。
 
アクション映画を見に来たと思っていたのにラブロマンスを延々と見させられる。

ある日突然、ラインハルト・ハイドリヒ大将がパリに転勤になると言うニュースを聞いて
初めて腰を上げる。
実行日はその赴任の前日。
いつも9時45分に親衛隊本部にベンツ・カブリオーレで出勤するハイドリッヒを待ち伏せし襲撃する。

それまでにチェコ亡命政府は既に5人の暗殺部隊をパラシュートでチェコ領内に送り込んでいたが実効がでていない。何をやっていたんだろう?
これら前任者たちにヨゼフとヤンは実施直前に出会い計画を手伝って貰う。

そして手榴弾と機銃で不可能に思われた暗殺のミッションは成功し重傷を負ったはインドリヒは入院するがその晩に死亡が発表される。

 ハイドリヒへの襲撃に憤慨したナチスはレジスタンスを探し当て、
捕らえられたヴァネックはペラペラしゃべりまくる。
こいつはRat(裏切り者の潜伏スパイ)じゃないかと思わせる。

 終盤近くの30分がカトリック教会地下の納骨堂に隠れていたやジョセフやヤンたちと
数百人親衛隊との銃撃戦。

映画の観客はアメリカ映画で慣れっこになっているが、
欧州映画としては頑張っているシュートアウトだ。

エンドクレジットで明らかになる。
英仏連合国軍はチェコを見捨てていたが
ジョセフやヤンたちの英雄行為でヒトラーに一泡吹かせたことで
英首相ウィンストン・チャーチルはチェコを連合国軍の一員として認め、
支援を行うようになったと。

主人公のヨゼフ役を「バットマン・ダークナイト」3部作や「インセプション」のキリアン・マーフィ、
ヤン役を「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」のジェイミー・ドーナンが演じる。
夫々イケメン俳優が泥だらけ血みどろで戦うレジスタンスのヒーローを熱演する。

•監督・脚本それに撮影監督を務めるのはイギリスのCM界から映画の世界に入って来たショーン・エリス。アカデミー短編実写賞にノミネートされた「CASHBACK」(04)を長編劇映画にした
「フローズン・タイム」(Cashback)(06)で監督デビュー、
その他「ブロークン」(The Broken )(08)や
「メトロマニラ 世界で最も危険な街」(Metro Manila)(13)があり、
この作品が4作目になる。

映画としては決して質の高い作品ではないが、
世界が見放したチェコスロバキアをハインリヒ暗殺事件で注目させた史実を
改めて紹介することに意義がある。


8月12日より新宿武蔵野館にて公開される

「ボブという名の猫」(A Street Cat named Bob)(イギリス映画):ジャンキーで路上生活者のジェームズの人生を変えたのは、一匹の茶トラの野良猫・ボブとの出会いだった

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原作の翻訳が出た時、猫好きの僕は真っ先に飛びつき、あっという間に読了した。
ジャンキーを救った茶トラのボブの写真も載っていて何とハイ・タッチをするボブの可愛いこと!それが大型スクリーンで見ることが出来る。

原題はテネシー・ウィリアムズの「欲望と言う名の電車」(A Street Car named Desire)になぞらえているのも洒落ていた。(エリア・カザン監督ヴィヴィアン・リー主演の映画を見た人は少ないだろうね。65年前のヒット作だ。)

主人公ジェームズ・ボーエン(ルーク・トレッダウェイ)は、親に見放されたうえに気が弱くセンシティブでいつの間にか薬物依存症になり、ロンドン・コベントガーデン前の路上でストリート・ミュージシャンをして乞食同然の生活をしている。
ゴミ箱を漁り食べ物を探す姿はあさましい。
小銭を呉れる人は稀で1日の稼ぎは3000円ほどでしかない。

クリスマスショッピング中の父親ジャック(アンソニー・ヘッド)に偶然出会う。父親は懐かしがるが妻(義母)はジャンキーと胡散く冷たい目つき。父は手早く25ポンド程を渡す。

ジャンキー更生のためのNGOで働くヴァル(ジョアンナ・フロガット)はジェームズに同情しメタドン(ヘロイン代用薬)更生プログラムを受けさせ、小さなアパートを用意してくれる。

初めて路上で寝なくてすむジェームズは家具が一つもなくとも大喜び。
出かけようとするとアパートの塀の上に茶トラの猫がニャーニャー鳴いている。
足から血が、ケガをしているようだ。これが生涯の友となるボブとの出会いだ。

ヴァルの友達で近所に住む病院に勤めるベティ(ルタ・ゲドミンタス)が応急手当をしてくれた。ベティは茶トラの猫はボブだと決めつけるのがオカシイ。その上に、無料の動物クリニック(英国動物虐待防止協会(RSPCA)を紹介してくれる。

クリニックは無料だが化膿を防ぐ抗生物質は有料。28ポンド(約3575円)と父親に貰った30ポンドの小遣いは消えてしまう。

薬を飲まないボブにベティは器用に他の餌に混ぜ飲ませてしまう。

翌朝ストリートで稼ごうと出かけるジェームズにボブは付いて来る。追い払ってもどうしても付き纏うボブを肩にのせギターを弾き歌いだすジェームズ。

しかし情景が違っていた。人々が集まって来るのだ。ジェームズの歌のせいではない、ボブが可愛いからと寄って来て(ついでに)ジェームズの歌も聴く。うん、そんなに悪い歌じゃない。縞々模様のマフラー姿やジェームズとのハイ・タッチを披露すればやんやの喝采。小銭どころか1ポンド貨幣や5ポンド札、10ポンドも入れてくれる人がいる。

 ボブにお礼を言いベティを誘い美味しいものを食べに。

 ボブが加わりベティとのロマンスも花開き万々歳のジェームズ。
更に、人生が変わったのは評判を聞きつけた編集者がボブと出会いの人生が変わったことを本にしないかと持ちかけられたこと。

原作では「ビッグ・イッシュー」を売るホームレスと揉めたり、バスキングがうますぎるジェームズを羨んでボブに犬をけしかけられたり、などのトラブルもあるが映画では本を書きあげる四苦八苦の悩みも含めてあっさりと飛ばして良いとこだけを撮っている。

ジェームズ役を演じるのは、「タイタンの戦い」などのルーク・トレッダウェイ。バスキングのレパートリーは英ロックバンド「オアシス」の曲が多い。自身もバンドで歌っていた経験を持つだけにギターの弾き語りは素人ではない。

ジェームズに四六時中付き纏う猫のボブ役は実際のボブ自身が出演している。

ジャンキーに更生の道を拓くNGOの担当者ヴァルに「みおくりの作法」などのジョアンヌ・フロガット、

ロマンスの花が咲く、ベティに「ワンナイト・ワンラブ」などのルタ・ゲドミンタス、

気の良いジェームズの父親にベテラン、アンソニー・ヘッドらが名を連ねる。

だが大スターは,ボブ以外誰も居ないので、
制作費の大半を占める出演料は低く抑えられている。

監督は「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」「シックス・デイ」などの着実な演出を誇る
ロジャー・スポティスウッド。

 2012年に発表された原作は、イギリスでは100万部のベストセラーとなり、世界28カ国以上で翻訳出版された。また、続編も数冊刊行される人気で、日本でも第2作「ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険」が翻訳出版される。
世界で総計1000万部が売れてジェームズは自分の邸宅を持ち慈善団体を支援する大富豪。

 路上生活者のジェームズの前に現れた一匹の野良猫。この茶トラ猫ボブとの出会いが、彼と一匹の人生を変えていく。

「犬は人間の最良の友」という諺があるが「猫」もベストフレンドに付け加えなければならない。
日本は今や「猫ブーム」。
ソフトバンクのCMが猫でヒットして以来「猫も杓子も」猫無しでは生存競争に勝てない。
神様仏様、お猫様様だ。

ともかく見ていて気分が爽快になる映画だ。

8月26日より新宿ピカデリー他で公開される

「あの人に逢えるまで」(Awaiting)(韓国映画):北と南に別れたまま会えない離散家族。1000万人いた人たちは老齢化して今や3万人を数えるの

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毎年1回は催される是枝正彦作・演出の軽演劇。
今年の題目は「気まずいっ!!~心が痛くなるスケッチ集~」。
是枝は民芸出身で役者も脚本も演出もこなす何でも屋。

彼の才能溢れた芝居を楽しむ固定ファンがいて、毎回チケットの売れ行きは素晴らしい。
ただあくまでも小劇場向けで、大きな入れものでやる芝居ではない。

今年は5月27日の土曜から、いつもの「築地ブディストホール」(築地本願寺内)で行われた。
僕はいつも入口を間違え入って2階へ行くと読経と鉦の音が響き香が炊かれる本堂へ入ってしまう。

ホールは164席のコンパクトな劇場だから舞台との距離も近く、生声が最後列までしっかり届く。
だが階段式とまで行かない傾斜なので前の席に座高の高い人が座ると大変だ。

演目は6本(だったかな?)。
司会の一谷伸江の軽快な喋りでトントン拍子に演目は進む
明るい一家を描くもので、まともに相手にして貰えない捻くれた父親がマジシャンになったり透明人間になったりと言うバカバカしい中で、
最後の「カミングアウト」は一味違う。

小心の大学事務長(是枝)のLAに留学中に息子がゲイの恋人を連れて帰国し結婚したいと言い出す騒動。
一谷扮する大学の理事長がコチコチの保守頑迷。ゲイの結婚なんて言い出せない雰囲気の中で右往左往する両親(是枝&風祭ゆき)の芝居も上手かった。

LGBTを題材にしたレパートリーは笑いもあり泣きもあり、
最後は(お定まりなのだが)社会の偏見に対する抗議で終わる。

カミングアウトは居間の窓を開けスピーカーで「ご近所の皆さん、息子は同性愛でLAからゲイの恋人を連れて帰国し、これから結婚します」と。
そこまでやるからオカシイ。


アメリカの映画興行は「メモリアルデイ」(5月最終月曜日)の4日間週末だが
どうもシリーズものの大作に影が射している。

首位はDisneyの「Pirates of the Caribbean: Dead Men Tell No Tales」
(邦題「パイレーツ・オブ・カリビアン―最後の海賊―」;WD配給、7月1日より公開される)
は4276館で62.2M、祝日を入れた4日間では77Mと推定される。

この作品にもシリーズもの大作の影ははっきりと見える。

2003年の第一作「Pirates of the Caribbean: The Curse of the Black Pearl」(パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち)こそ46Mだったが、
2011年の「On Stranger Tides」は90M,
2007年の「At World’s End」は114.7M、
2006年の「Dead Man’s Chest」に至っては135.6Mと数字を挙げているので,
この第5作目は実質的に最低の成績なのだ。

制作費は230M超(256億円)をかけている。

国内だけの興行成績では赤字の怖れもあるが、海外ではこの週末208.4M、
ワールドワイド総計は270.6Mで4日間合計では300M(340億円)を超える予定。
すっかり海外依存型大作シリーズとなっている。
そして海外市場のお陰で「Pirates of the Caribbean」シリーズ5本は、今週中にもワールドワイド総累計4B(4520億円)を達成する。


さて今日紹介する韓国映画は、カン・ジェギュ監督のトリックに一杯食わされる。
 
ソウルに住む若い女性、ヨニ(ムン・チェウォン)は「あの人」の大好きな料理を並べて帰りを待っている。
書棚には若い男女のカップルの写真が飾ってある。
女性はヨニ、男性は最愛の夫、「あの人」だ。
ヨニはどうして「あの人」がこのところ、家に帰って来ないのか理解出来ない。
毎朝9時に若い女性から電話がかかって来る。
ヨニよりも年上の声だ。
天気がどうとか、こちらの時間では夜だとか、他愛の無い電話だが、
ヨニが元気かどうか、必ず聞く。
アメリカのロスアンジェルスからの国際電話からの呼びかけだ。
ヨニは今日も「あの人」の好きな献立を並べて、あの人の帰りを待っている。
ある日役所の人がやって来てヨニに告げる。
「あの人は80歳で『あっちで』生きています。明日、一緒にあの人に逢いに行きましょうね」と誘ってくれる。
翌朝、わけの解らないままヨニは、「あの人」に会えるならと、お手製のお弁当を手に抱え、沢山のお年寄りが乗り合わせるバスに乗り込む。
ヨニは「あの人」に逢えるのだろうか?ここから後はスポイラーになるので書きにくい。
38度線の南北朝鮮国境で守備をする北朝鮮の兵士と韓国の兵士が話し合っている。バスが10数台連ねたバスが話し合いを待っている。
ヨニは「あの人」に早くお弁当を食べさせたいとバスを降りて遮断機に近づく。止める兵士,包みが解け丹精込めて作ったヨニのお弁当は路上に散らばる。
いつの間にか若いヨニは皺くちゃの老婆「ヨニ」(ソン・スク)になっている。
第二次大戦の終戦で日本からの支配から脱した1948年に「大韓民国」(韓国)と「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)と2つの国が出来た。
1950年6月25日、北朝鮮の韓国侵攻をきっかけに朝鮮戦争が勃発。3年余り続いた戦争が終わった直後は北と南に引き離された離散家族1000万人を数えた。

離散家族問題が大きく動き出したのは1998年の金大中大統領の就任後。金大中は南北融和を唱え、
2000年6月には平壌で金正日と南北首脳会談を行い離散家族の再会を進めることになった。

2000年8月に第1回の離散家族再会がソウルと平壌で行われ、その後何回も開かれる。
金正日の時は離散家族の会合が数回あったが、金正恩になってからは全く行われていない。

しかし、朝鮮戦争終結から60年以上経った現在離散家族は老齢化し
今や3万人の少数を数えるのみだと言う。

ヨニはその数少ない老齢化した離散家族で「あの人」が住む北朝鮮へ行きたいのだ、
という想いを残して30分に満たないカン・ジェギュの短編は終わる。

ヨニと同様観客も、あの人を恋い焦がれる若奥様を想像していたのだ。

若い「あの人」、ミヌは「高地戦」「白夜行」などのコ・スが写真の中だけの出演。

「神弓 KAMIYUMI」などの若いヨニ役ムン・チェウォンは30歳、
老婆のヨニ役のソン・スクは女優歴53年を誇り文化勲章を授与されている73歳。

カン・ジェギュ監督は分断国家の悲劇的な状況を痴呆症の気味の老婆を主人公にラブストーリーに引き込む。

「銀杏の木のベッド」(96)「シュリ」(99)「ブラザーフッド」(04)など野心作がヒットして
並みいる韓国映画作家群のトップを走っていたカン・ジェギュ監督が、
オダギリジョーを主演に起用した2011年の「マイウェイ12000キロの真実」以来失速する。

CJエンターテインメントで制作や配給など監督業を離れていた巨匠がソコソコの「チャンス商会」(14)終了時にこの短編を制作し、現場復帰を果たした。

この映画は3年前の短編で、香港映画祭からの委任招待作品だ。
これ以降の3年間もジェギュは監督をしていない。残念なことだ。
(つまり韓国では誰もカン・ジェギュに莫大な制作費のかかる映画を作らせないと言うことだ)

7月22日からシネマート新宿で公開される。

「春の夢」(A Quiet Dream)(韓国映画):毎日何もしない若い男が3人、小さな居酒屋の女主人をいつも追い回している。

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第70回カンヌ国際映画祭は28日夜(日本時間29日午前中)、最高賞のパルムドールにスウェーデンのリューベン・オストルンド監督「スクエア」を選んで閉幕した。

コンペティションに参加した河瀬直美監督「光」は賞を逃した。盲目のカメラマンなんて意表を突くだけのモチーフには誰も興味を抱かないだろう。(盲目の天才画家を描く「ぼくとカミンスキーの旅」は面白かったが)

ドビュッシー劇場で公式上映された「ある視点」部門の黒沢清監督の「散歩する侵略者」もダメ。

しかし驚くのはリュミエール劇場で上映された、三池崇史監督、木村拓哉主演の「無限の住人」だ。

肝心の日本でも全く当たらず、既にチャート落ちのクズみたいな作品を「アウト・オブ・コンペティション部門」と賞には関係ないが、恥ずかしくも無くカンヌへ持っていくなよ、と言いたい。

その上会場入口まで敷き詰められたレッドカーペットを三池監督、木村拓也、杉崎花が熱狂的に歓迎されているとキャプションの写真を見ると、皆日本人で、おそらくキムタクのファンばかりだろう。

さてグランプリ作品の「スクエア」は現代美術館のキュレーターを皮肉る映画。
突飛な学芸員が企画したユニークな展覧会を巡る不条理劇。見ていないで何とも言えないが、人類としての責任ある役割を思い起こさせるために、通行人に利他主義を促す広場を作ろうとしたキュレーターが、そのために窮地に陥ると言う詰まらなそう映画だ。

大体2時間半にもナンナンとする長尺でこの内容だと見ない方がマシだ。
審査委員の顔ぶれを見るだけでダメだと思う。

委員長がスペインのペドロ・アルモドバル、65歳。
「オール・アバウト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」「ボルベール〈帰郷〉」など総て見たがアートフィルムの域を出ず、日本でもジャンル映画好きな人たちだけが評価している。

「スクエア」への観客の反応はブーイングが大半だが中には激賞する人も居たと言う。カンヌ受賞作品はフランスを除いては商業性に乏しく輸入し配給会社は大抵赤字になっている。



今日紹介するのは、変わった韓国映画だ。
白黒で撮影されているが韓国ソウルの都会の風景はしっかりと焼き付けられる。

どういう訳か何もしない若い男が3人、小さな居酒屋の女主人をいつも追い回している。

中国系韓国人のチャン・リュル監督が、「息もできない」のヤン・イクチュン、「悪いやつら」のユン・ジョンビン、「ムサン日記 白い犬」のパク・ジョンボムら韓国で活躍する3人の「現役監督」をキャストに迎え、韓国の若者たちの閉塞的な日常を描いた青春ドラマ。こんな役者は見たことが無いなと思っていたが、全員監督だと聞いて納得。

この3人の監督たちの芝居が上手いこと。思わず舌を巻く。

稼ぎのないホームレス同然のチンピラのイクチュン(ヤン・イクチュン)、脱北者で偉そうなボスに反抗して工場をクビになったジョンボム(パク・ジョンボム)、死んだ父親の遺産でこの辺り一帯の大家で金持ちだけどテンカン持ちで間抜けなジョンビン(ユン・ジョンビン)。

キャラの設定も愉快だ。イクチュンは背が高く口髯も似合うイケメン、3人のボス的な存在。
脱北者のジョンボムは身分証明書も無いので官憲を怖れいつもビクビクしている。工場のボスに足元を見られ給料も払って貰えない。ジョンピンは札束を一杯ポケットに詰めて酒場や食堂の払いは任されている。

そんな彼らのマドンナ的存在であるイェリ(ハン・イェリ)は、子ども時代の彼女と母親を捨てた父親が70を過ぎて倒れ、半身不随になったと聞いてソウルへ戻って来る。

そして寝たきりで口もきけない父親の看病をしながら居酒屋を営んでおり、怠け者の3人組は彼女の店に入り浸っていた。
イェリは彼らを好きでも嫌いでもなく、毎日店が開くと同時に入って来ても追い払うでもなく、好きなようにさせている。

3人はイェリの代わりに父親の看病をしたり店番をしたり雇われ店長のイェリの給与が支払ない時はオーナーの社長(キム・ウィソン)の事務所へ押しかけケジメを付ける。

見知らぬ男が店にやって来たり、ヤクザがイクチュンをリクルートに来たり、イェリの周りには何か事件がありそうだ。

チャン・リュル監督の分からないシーンが多い。
屋上でビアパーティに加わった3人の前でイェリは彼らのために踊りを披露する。

 店に突然入って来てビールをラッパ飲みにして勘定を払わない男を追いかけたイェリはそのまま闇に消える。次のシーンに切り替わるとイェリの遺影がある。

 寝たきりの父親は歩き出すどころか聾唖者だと思われていたのにべらべら喋り出す。
これはどういうことだ?

リュル監督の前作「慶州」(14)は死んだ友人との思い出をたどり、慶州を訪れたチェ・ヒョン(パク・ヘイル)が偶然会った喫茶店のオーナー(シン・ミナ)に枕絵を尋ね「変な奴」「変態」と誤解されたことから始まる物語でこの映画との類似点も多い。

 主演は「海にかかる霧」「ハナ〜奇跡の46日間」などのハン・イェリ。メインの出演者の中で唯一のプロの役者だ。
少しも美人で無いが男を惹きつける魅力がある。

上述したが付き纏う男たち3人は、役者はズブの素人、本職はパリパリの現役監督。地で演じているが役者顔負けの名演技だ。

いつもリュル監督と親しく酒を飲み群れている3人の監督、
「息もできない」などのヤン・イクチュン、
「悪いやつら」などのユン・ジョンビン、
「ムサン日記」などのパク・チョンボムの
仲良し4人組が乘って出来上がった作品だけに雰囲気満点に伝わって来る。

改めてチャン・リュル監督を紹介するが、1962年中国生まれの55才。
韓国に移住し短編のデビュー作「11才」(2000年)がベネチア国際映画祭で注目された。
長編劇場映画は2004年の「唐詩」から。
「キムチを売る女」(05)「境界」(07)や「慶州」(14)などジャンル的な韓国映画を撮り続ける。

不条理で、延々と退屈なシーンを積み重ねて、いつしか観客の感情移入を誘う映画だ。

7月22日よりシネマート新宿にて公開される。

「昼顔」(日本映画);互いに結婚している身でありながら、愛し合う笹本紗和と北野祐一郎は難局を切り抜け遂に二人で暮らし始めたが、妬み恨みから苛めようとする祐一郎の妻、乃里子の報復を受ける

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TVドラマを見ない僕は(自慢にもならないね)「昼顔」と聞いて、いまから半世紀前1967年の仏伊合作映画で、ルイス・ブニュエル監督作品を思い浮かべていた。
ヴェネチア映画祭で金獅子賞を獲得した名作なので、翻案したら面白い日本版のリメイクとなるのだと思っていた。

医師の妻として幸せな結婚生活を送っていたカトリーヌ・ドヌーヴ扮する美しい若妻がマゾヒスティックで好色の空想に取り付かれているところに、上流階級の婦人たちが客を取る売春宿の話を聞き、迷った後に「昼顔」という名前で娼婦として登楼する。好色な人妻は話題になるのだろう。

見始めて全くの思い違いだと気付く。
不振のフジテレビでも頑張っている昼のドラマ「昼顔 平日午後3時の恋人たち」の劇場版だと言う。

笹本紗和(上戸彩)と北野祐一郎(斎藤工)は、それぞれに夫、妻がいるにも関わらず、不倫関係に陥り、それが本気の恋愛に発展していく。
そして、いつしかそれは明るみに出てしまい、弁護士も交えた示談のうえ、ふたりは別れざるを得なくなる。

紗和は紆余曲折を経て夫と離婚し、独り身に。
そして北野は、離婚しない意志を持つ妻、乃里子(伊藤歩)とともに遠く離れた場所に引っ越した。

あれから3年。
夫と離婚した紗和は、海辺の町でひとり静かに暮らしていた。
オーナー平山浩行(杉崎尚人)の好意で海辺の彼のレストランでウェイトレスとして働かせて貰っていた。

大学の非常勤講師となっていた北野は、講演のため、沙和の住む港町を訪れた。
講演中、客席の中に紗和の姿を見つけた北野は言葉を失ってしまう。
再びめぐり会ってしった2人は、どちらからともなく逢瀬を重ねていく。

そして北野は沙和と一緒に暮らし始める。
アツアツの2人を近しい人周りの関係者などが、やっかむ妬み苛めるところにこのドラマの本質がある。
人間としてロマンスで血に足が着かない愛し合う男女を見れば、おのれの詰らない人生と比較せざるを得ない。
羨ましさ余って、どうでも良い社会規範や常識、道徳倫理を引っ張り出して、大義にして賤しい妬みや怒りを苛めとして発揮する。

関係の無いオーナーの平山が沙和に気があり同棲を知りヨソヨソしくなるから仲の良かった従業員も右に倣え。

北野は結婚の意を固め結婚指輪を購入したところへ離婚しないと意地を張っていた妻、乃里子妥協する話し合いをするからと車で迎えに来る。

しかしこれは真っ赤な嘘。
前にもアパートのベランダから飛び降り自殺をした乃里子は紗和に渡すくらいなら無理心中をしようと車を猛スピードで飛ばし崖から飛び降りる。

乃里子は重傷を負うが祐一郎は即死。
ここからが意地悪女の真骨頂、
「祐一郎は反省し私のところへ戻って来ると誓った」と沙和の心をズタズタにするが、
それをバスや列車の中で延々と展開し、
線路に嵌った沙和が銀河に祐一郎をダブルイメージで描くところに
終電車が突進して来る。

「神様に生かされた」結郎は良いが、詰らない終盤のシーンを見させられる観客のことはまるで考えていない。

大体この程度の内容と話で2時間を超すのは西谷弘監督の自己陶酔の現れだ。

確かに出産を経て画面に出て来た上戸彩は光り輝くように美しいし、
学者肌でモデストの斉藤工とのロマンスは盛り上がっている。

だが「神様に生かされた」内容をエンディングのナレーションとか、
遺体収容所での遺留品で必死に探し求めた「結婚リング」が廃屋の郵便受けにあった、
などのエピソードは線路からホームに這い上がるより重要では無かったのでは?

TVドラマが本職の西谷弘監督は「真夏の方程式」「容疑者Xの献身」などの映画作品はこの映画と同様にドラマの延長で撮っている。
ドラマはご破算、リセットして映画の文法、映画の本質を追及して欲しいと思った。

とは言うものの、西谷の泣き所のツボを抑えた演出は涙腺を刺激する。

6月10日よりTOHOシネマズ日劇他にて全国公開される。

「オラファー・エリアソン 視覚と知覚」(Olafur Eliasson: Space is Process)(デンマーク映画):現代美術家、オラファー・エリアソンの作品は大自然を都会で体験し、環境を考

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2009年の夏休みにNYで1週間を過ごしたが、何人もの友人たちから、その前年にイーストリバーで瀧を4つ作ったデンマーク人アーティストの話を聞かされた。

バカなことをするな?
川に瀧を作ってどうするんだよ?それも4つも。
一体誰が金を出したんだ?

その疑問を答えてくれたのがこのドキュメンタリ映画だ。

「21世紀の現代アートに最も影響をおよぼす一人」として世界中から高い評価を受ける(と言っても僕には初めて聞く名前だが)、デンマークの現代美術家、オラファー・エリアソン。
67年デンマーク生まれの50才、経験を積み油の乗り切っている年齢だ。
1989年から1995年まで王立デンマーク芸術アカデミーで学ぶ。現在はベルリンに夫婦二人で住んでいる。

メタルフレームの下の優しい目、細面のイケメンを不精髭が覆いセンシテイブな表情は芸術家の風貌だ。絶えずディジタルの一眼レフカメラを携え目を惹く対象物を撮りまくる。

2003年にロンドンのテート・モダンで人工の太陽と霧を出現させた個展「The Weather Project」で一躍注目を浴びたと言う。ギャラリーのフロアで見る人々は横になったり寝転んだりして鑑賞している。

このドキュメンタリ映画は上述のように、2008年NYのマンハッタンとブルックリンやクィーンズを分かつイースト川に突如巨大な瀧を制作する過程を企画段階から完成までを描いている。

オラファー・エリアソンの哲学は「大自然を都会で体験し、環境を考える機会とするのだ」と。
オラファーが視聴者に語りかけながら行う視覚的実験は
「視覚と知覚」「自然と人工」「理論と哲学」「主観と客観」。
さまざまな概念の境界線をフュージョンしながら、巧みな言葉でとうとうと述べるので字幕でついて行くのがやっとだ。

彼の作品は移設可能なものもあるが、大半は設置場所に応じたインスタレーション作品が多い。自然現象や建築物に大きな興味を持ち、時には機械等も用いて自然現象を思わせる空間を作り、鑑賞者の視覚や認識を揺り動かす。

グッゲンハイム美術館、ロスアンゼルス現代美術館、NYのMOMA、日本では金沢21世紀美術館など、世界各地の美術館に作品が所蔵されている。

瀧の話に戻ろう。
イーストリバーの何処からも良く見える(特にイノギュレーションセレモニーが行われた「リバーカフェ」の近く)
ブルックリンブリッジやマンハッタンブリッジ、ウィリアムズバーグブリッジなどに
寄り添うように鉄パイプで長方形の大きな櫓を組み、頂上から大量の水を放流する。
堂々たる人工瀧だがやはり場所が場所だけに唐突感や違和感は免れない。

この作品は「ザ・ニューヨークシティー・ウォーターフォールズ」と名付けられ、2008年6月26日〜10月13日まで約4カ月間展示された。総制作費は約17億円で、世界55カ国から140万人の人々が訪れ、経済効果は75億円を超えたと言う。

 映画が公開される8月4日から開催の「ヨコハマトリエンナーレ2017」ではオラファー・エリアソンのインスタレーション「Green light」が出展されるから、見に行かなくてはと言う気にさせられる。

この映画は「ヨコハマトリエンナーレ」の予告編ですな。

8月5日よりUPLINK澁谷にて公開される

「関西ジャニーズJr.のお笑いスター誕生!」(日本映画):関西ジャニーズJr.の映画第4弾は西畑大吾が主演で漫才コンビのサバイバル競争

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ちょっとほめ過ぎかも知れないが、関西ジャニーズJr.の群舞などは日本人ながら「La La Land」を彷彿とさせるテクニックとリズム感がある。

これで関西ジャニーズジュニアの主演映画シリーズの第4弾となるが、いずれも演出や脚本は今一つだが、それは彼らの責任ではない。演技と歌踊りに関しては及第点を進呈できる。

ただ芸人として小粒でSMAPに到達するには(何れ行ける筈だが)時間がかかるだけだ。
「京都太秦大行進!」「忍ジャニ参上!未来への闘い」「目指せドリームステージ」に続いて「関西ジャニーズJr.のお笑いスター誕生!」は自分たちのライフスタイルに沿った一番良く出来た脚本だった。
そのせいか,主演の西畑大吾が漫才をのびのびと演じ、共演の向井康二、室龍太、藤原丈一郎、草間リチャード敬太など関西ジャニーズJr.のメンバーがお笑いに取り組む。

題材は芸人のオーディション番組「お笑いスター誕生」。ちょっと手垢のついた素材だがキャスト一同良く稽古を積んでいるか、監督の石川勝己の厳しい指導と演出の成果だろう、ギャグの応酬や突っ込み&ボケのテンポ、滑舌の良さは素晴らしい。

ストーリーはクリシェだが、番組でのスーパースターの座を目指して熾烈な戦いが行われていた。厳正な審査、審査委員の辛口批評を受けるサバイバル戦に優勝すると、一躍スターの座を手に入れられるのだ。一瞬にして雲上人になれる。

そして多くの芸人たちが明日のスター、セレブを目指して漫才に励んでいる。
幼馴染の高浜優輔(西畑大吾)と稲毛潤(藤原丈一郎)は笑わせることが大好きで高校を卒業しお笑い養成所に通う二人は漫才コンビ「エンドレス」を結成する。養成所同期の「ピンクらくだ」(向井康二、室龍太、草間リチャード敬太)とは良きライバル同士だった。

その新人コンテスト「お笑いスター誕生」優勝したのは「エンドレス」でいくつものテレビ局から声がかかるようになる。

しかし後塵を拝して居た筈の「ピンクらくだ」が突然ブレイク。逆に「エンドレス」は停滞し、いやむしろ落ち目になって来る。

 しかし、空気の読めない高浜は次第に調子に乗り始めた。稲毛は才能ある高浜のお荷物になっているのだと悩み始め、密かに「解散」を考え始める。

そんなことも知らずに高浜はデビュー5周年を機に漫才強化合宿を琵琶湖畔に建つ旅館「たつのや」でやろうとやって来る。
同じ日に「ピンクらくだ」も心霊スポットロケでインチキ霊媒師(森脇健児)と宿泊することになっていた。高浜の子供の頃の思い出の宿「たつのや」は今や幽霊が出るとのウワサがある。
幽霊屋敷とは詰らない舞台を作ったものだと思う。トントン拍子で快調に進んだコメディも途端にシラケる。

クライマックスの「インド映画」風と言うか「La La Land」的な踊りと歌はびっくりするほどハーモニーがとれているし綺麗にまとまっている。他の関西ジャニーズジュニアの出演者、
正門良規、小島健、道枝駿佑、長尾謙杜、高橋恭平、嶋崎斗亜、浜中文一も加わり華麗なエンディングを見せてくれる。

主演の高浜優輔役の19才の西畑大吾が大物の片鱗を示す。NHKの連ドラでおなじみだが、映画は「ドリームステージ~」に続いて続く主演。
歌も踊りも芝居も優れており、邦画の明日を託せる若手だ・

残念なのは西条みつとしの脚本の出来が余り良く無いことだろう。芸人出身だと言うが脚本の勉強をした方が良いのでは。

監督は松竹大船育ちで「釣りバカ日誌」などを手がけ、コメディを得意とする49才の石川勝己。
安心して楽しく見ていられる。

8月26日より新宿ピカデリー他で公開される。

「ファウンダー~ハンバーガー帝国の秘密~」(Founder)(アメリカ映画): 世界最強のハンバーガー帝国を創った男、レイ・クロックの自伝映画だが本来のシステム創始者マクドナルド兄弟との確執もあり愛憎

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「マクドナルド」と言えばハンバーガーの世界的フランチャイズで知らない人はいない。その世界最強のハンバーガー帝国を創った男、レイ・クロック。

見る前から興味を持つが、マクドナルドの創始者の話かと思って見ていると飛んでもない。
バーガー提供するシステムを作り出した「創始者」がいる。

焼くのに30秒、フライドポテトとシェイクを付けて50セントでお釣りが来る。
イリノイ・デプレインの田舎者、マック&ディック・マクドナルド兄弟が考案したのだ。
ミルクシェイクのセールスマン、レイ・クロックは売り込みで兄弟に会い感激して、南カリフォルニアのサンべルナディノの本店を全国に広げようと決心をしたのが52才の時、
普通の人なら引退している初老の男だ。

キッチンやカウンターを収める八角形の平屋建ては天井が吹き抜けになっている。
広い駐車場に囲まれて、2つの大きな黄金のアーチにとんがり帽子の屋根、旗立や真っ赤な店名「マクドナルド」のサイン。
少しも無駄が無く(Keep it simple and Clean)をモットーに美味しく安い質の高いハンバーグで、窓口は長蛇の列。

「マクドナルド」は実にアメリカ的で開放感がある。
レイの苗字、「クロック・バーガー」と付けてもスラブ風で売れそうも無い。
レイ自身がマクドナルドを実に気に入っている。

この店舗だけでは勿体無い。全国に広めよフランチャイズ化にしようといきなり提案するレイは実にビジネスマンだ。
どこへ持って行っても大成功。たちまちローカルから全国区になる。

兄弟をおだてて騙し(と言うと語弊があるが)、レイはマクドナルドのフランチャイズ制を作り出して自らをマクドナルド創始者(ファウンダー)と称した男の物語だから後味は余り良く無い。

兄弟の孫が述懐している。今ではアメリカばかりか世界中に事業を展開し、
何兆円にもなる事業をたった27OMミリオン(3億円)ずつを兄弟に払って権利を買ったのは良いが、
自らを「マクドナルド創始者(ファウンダー)」と名乗ったのは許せないと。

順調に行っている訳ではない。利益の1.4%しか取れないと言う厳しい契約やシェイクの冷凍にかかる電気代などで銀行から融資を断られるなど苦難の道は幾らかある。

レイは土地や家屋を所有する不動産会社を設立してチェイン店を支配する。
怒る兄弟に一歩店内に入ればそれは兄弟の領域だ、しかしその周囲は総て不動産会社がコントロールし、その社長がレイ・クロックだと。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でアカデミー主演男優賞を受賞したマイケル・キートンが、マクドナルドの「創業者」レイ・クロックを熱演する実話をもとにしたドラマ。後に妻となるとピアノ弾きのジョーン(リンダ・カーデリーニ)と「ペニーズ・フローム・ヘブン」をデュエットするが中々の美声だ。

第二次大戦も終わって平和な1954年、シェイクミキサーの旅から旅へと巡るしがないセールスマン、レイ・クロックに8台もの注文が飛び込む。
電話をかけて来たのはマックとディックのマクドナルド兄弟と言う出だしからアメリカン・ドリームのサクセスストーリーに引き込まれる。

合理的なサービス、コスト削減、高品質という、店のコンセプトにチャンスありと確信したレイ・クロックは愚鈍な兄弟を説得し、「マクドナルド」のフランチャイズ化を展開する。
利益のみを追求するクロックとサービスを重視する兄弟の関係は次第に悪化し、
クロックと兄弟は全面対決のドラマは迫力がある。
愛憎半ばするアンビバレントな展開にどちらに感情移入するか迷う。

レイを献身的に支えながらも、常に不安そうな表情で演じる38年間仕えた糟糠の妻エセルをローラ・ダーン、

職人気質で人の良さにつけこまれるマクドナルド弟・ディック役には、「ロング・トレイル!」のニック・オファーマンと
兄・マック役に「「ファーゴ」などのジョン・キャロル・リンチがそれぞれ演じる。
まんまとしてやられる田舎者兄弟を、同情を持って見守る。

監督は「しあわせの隠れ場所」や「ウォルト・ディズニーの約束」の地味だが着実な演出のジョン・リー・ハンコック。

原作はレイ・クロックの自伝「成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者」(プレジデント社)。

7月29日より角川シネマ有楽町他で公開される。

「ライフ」(Life)(アメリカ映画):無重力のISS(国際宇宙ステーション)に乗り組んだ6名の宇宙飛行士が、火星で採取した「未知なる生命体」。宇宙に生物が存在する大発見に沸き立つ隊員たち。

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「閣さん会」と言う集まりを2月に1回持つ。
村上閣一さんは、昭和4年(1929年)1月1日生まれの88才。
東京大学法学部を昭和26年(1951年)に卒業して電通入社。
エリートコースを走る筈が喧嘩早くて役員待遇止まり。
子会社(電通Y&R社)の社長職が長い。(僕の学歴社内でのキャリアと殆ど類似している)

電通で連絡部長(その頃は営業部長と呼ばなかった)の時の部下や部に連なる関係者が6-10人、有楽町の外国特派員協会でランチとビールで昔話に花を咲かせ、現代世相を嘆き、駄弁り、そして何よりも閣さんを励ます。
一番若いS君が69才だからボケ老人の集まりと周りは思う。

主役の閣さんは奥さんを亡くして13年、子どもも居ないし親戚も遠い。
天涯孤独で生き抜くのは凄いと思う。
週に一度スーパーで買い出しをし、大量に料理を作って冷凍庫で保存する。
時には昼食や夕食の配達を生協に頼む。
民生委員なる輩が月に1、2度現れるがクソの役にも立たない御託を述べて退散する。

免許が無く車には乗れないので自転車で買い物やちょっとした用足しをする。
ビッコを引いているので足許を見たら足の甲に包帯を巻いて、靴が履けずサンダルをつっかけている。
どうしたの?と聞くと自動車にぶっつかってボンネットに投げ出された。

 自分がボンヤリしていたので、相手に謝ってそのまま行って貰った、と人の好いことを言っている。
見ていた近所のオバサンが救急車を呼ぶパトカーを呼ぶと大騒ぎをしていたが、
ケガも無いし自転車も壊れていない。
 
 自分が悪いので運転手に「済みません」と謝ったらそのまま行ってしまった。
勿論、プレートの番号も車種も分からないと。

男ヤモメは3年が限度だが、こんな性格だからこそ13年も生き抜き、来年は「卒寿」だ。
緑内障やパーキンソンでヒーヒー言っている僕なぞは未だ鼻たれ小僧、「閣さん会」では励ます積りが、逆に励まされ元気を貰える。

さて今日の映画の「ライフ」とは宇宙の生物体。
宇宙船に採取されその中で成長して、6人の隊員が次々と命を落として行くと言う、余り面白く無い話だ。
40年前のリドリー・スコット監督「エイリアン」も隊員数は6人で宇宙船内でクルーを襲い、やがて地球に降り立つエンディングも酷似している。要するに「二番煎じ」だ。

最近の話題作は、世界の興行記録を塗り替えた「アバター」にしても、オスカー7部門を抑えた「ゼロ・グラビティ」にしても世間を騒がせた後だけに、宇宙ものは食傷気味だが、日本人宇宙システム・エンジニアとして、真田広之が出て来るので期待するが、生物体と戦いもせず、あっさり命を落とす。
無重力のISS(国際宇宙ステーション)に乗り組んだ6名の宇宙飛行士が 火星で発見した「未知なる生命体」。

 どんな状況でも生き続け、相手にあわせて進化する。「カルビン」と名付けた虹色のナメクジにも似た生物は小さいままでなく、相手に合わせて絶えず成長を続ける。全身が筋肉で全身が頭脳、そして全身が目なのだ。
「カルビン」の最初のターゲットは人間。無重力の国際宇宙ステーションで6人の宇宙飛行士は火星に生物が存在すると言う大発見に沸き立つ隊員たちが襲われる。

隊員は夫々専門職、
医師のデビッド・ジョーダンは「サウスポー」などのジェイク・ギレンホール、
航空エンジニアのローリー・アダムズは「デッドプール」などのライアン・レイノルズ、
CDCPの検疫官ミランダ・ノースは「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」のレベッカ・ファーガソン、
システム・エンジニアは「ウルヴァリン:SAMURAI」の真田広之、
宇宙生物学者、ヒュー・デリーはアリヨン・バカレ、
そして宇宙船司令官エカテリーナ・ゴッロフキナはオルガ・ディボウヴィチナヤと
各国を代表する俳優が国際色を出して共演している。

やがて火星から取り込んだ地球外生命体はとんでもないモンスターだと気付いた時は6人の宇宙飛行士が密室の無重力空間で次々と命を落としていく。

生命体は次第に進化・成長して宇宙飛行士たちを襲いはじめるのだ。
高い知能を持つ生命体を前に宇宙飛行士たちは無力で恐怖の地獄。

この生命体を宇宙船もろとも爆破し「地球へ行かせない」ようにするのが自分たちのミッションと考え生命を賭して実行する。

しかし生命体は人間の叡智を越えていた。「生き残る」それがLifeの本能だった。

「デンジャラス・ラン」や「チャイルド44 森に消えた子供たち」などのスリラーものが得意のダニエル・エスピノーサが監督
「デッドプール」のポール・ワーニック&レット・リースが脚本を担当。

7月8日より丸の内ピカデリー他で公開される。

「あしたは最高のはじまり」(Demain Tout Commence)(仏映画):「あなたの娘よ」と突然押し付けられたサミュエルは8年も一緒に暮らし父娘の絆が出来た所に産みの母親が「親権」を求める訴え

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「最強のふたり」のオマール・シーが主演を務め、自由気ままなプレイボーイがゲイの友人とともに子育てに奮闘する姿を描いたフランス製ヒューマンコメディ。

日本では公開されなかったが全米とヨーロッパで大ヒットを記録したメキシコ映画「Instructions Not Included」をリメイクし、フランスで8週連続トップ10入りを果たした作品。

メキシコ版は、プレイボーイ・バレンティンは突如自宅を訪れてきた若い女性に「あなたの子供よ」という赤ん坊を手渡される。

彼は姿を消したその女を探しにメキシコからロサンゼルスへ向かうが、結局見つからずにマギーと名付けた女の子と一緒に暮し始める。 子育てに奮闘しながら 6年が過ぎ、彼はハリウッドでスタントマンとして働き、マギーは小学校に通うようになる。 監督と主演はエウゲニオ・デルベス。

このフランス版リメイク映画では
舞台をメキシコから南仏へロスアンジェルスからロンドンに変更している。

「太陽が一杯」の南仏、コートダジュールで観光客をヨットで遊覧させ、手当たり次第の女遊びに耽け、独身生活を謳歌するプレイボーイのサミュエル(オマール・シー)。

ある日2人の裸の女の間で昼まで寝ていた彼のもとに、かつて関係を持った(と主張する)女性クリスティ(クレマンス・ボエジー)がロンドンから訪ねてくる。

寝ぼけまなこのサミュエルに、クリスティは覚えていないかも知れないが「あなたの娘だ」という
生後4か月の赤ん坊、グロリアを彼に押し付け、待たせてあったタクシーで空港へ向かい、姿を消してしま
う。

慌てたサミュエルはクリスティを追ってロンドンへ飛ぶが、言葉すら通じない異国の地で彼女を見つけることはできず途方に暮れる。(Tube=地下鉄がオチンチンを意味するフランス語らしい)

そんなサミュエルを救ったのは、地下鉄で出会ったゲイのベルニー(アントワーヌ・ベルトラン)だった。

小太りのベルニーは映画プロデューサーでサミュエルを気に入りスタントマンの仕事を与え、
女の子、グロリア(グロルア・コルストン)と仲良くなって3人一緒に市内の広大な屋敷に住むことになる。

屋敷のあるノッティング・ヒル、ピカデリー、テムズ川、ロンドン橋、タワーブリッジに街を流す真っ赤な二階建てバスと観客をしっかりとロンドン観光案内をやってくれる。

サミュエルのフランス語と英語チャンポンの会話が面白そうだが、字幕は追いつかない。

ゲイのベルニーはサミュエルと一緒にグロリアのパパの役目を喜々として務める。男二人が育児に奮闘し、やがて3人の間に強い絆が生まれる。これが映画のヘソになる。

大都会にこんな人の好いホモ親父が居るとは信じがたいが、映画は楽天的なご都合主義で展開する。
だから先が読めてしまう。

それから8年後、すっかり家族となった3人の前に、グロリアの母クリスティンが現われる。
新しい夫とゆとりある生活を築き上げたクリスティはグロリアの「親権」を要求し、当然拒否するサミュエルを相手どり裁判に持ち込んで来たのだ。

主役のサミュエルを演じるのは大ヒットした「最強のふたり」のオマール・シー。
39歳のお笑い出身のオマールは人気絶頂。
真っ黒な顔に笑うと歯が真っ白なトレードマークも評判が良い。

アメリカの黒人俳優(オバマ大統領もそうだが)はドゥエイン・ジョンソンのように白人との混血が多く、オマールのように純粋黒人で真っ黒は珍しい。

中途半端を嫌うフランスだから人気があるのだろう。
私生活では子供が4人と、決してプレイボーイでは無い、家庭人だそうだ。

ゲイのベルニー役を「人生、ブラボー!」のカナダの人気コメディアンのアントワーヌ・ベルトラン、

親権を求めるクリスティン役を「ハリー・ポッター」シリーズのクレマンス・ポエジーが演じる。

グロリアはオーディションを勝ち抜いたLA在住の少女。映画初出演とは思えぬ芸達者だ。

監督を努めたのはユーゴ・ジェラン、36歳。祖父、父親とも俳優という芸能一家の出身。
デビュー作「兄弟のように」(Comme des Freres)は大ヒットしたが日本未公開、
これが長編劇場映画の2作目になる。

9月9日より新宿ピカデリー他で公開される。

「ハローグッバイ」(日本映画): 性格も家庭環境も異なる2人のJKが、ボケばあさんとの出会いをきっかけに付き合い、ぶつかり喧嘩をしながらバカにしシカトしていた相手を認め合っていく

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映画を見る前は、ビートルズの名曲をベースに展開する物語かと思っていた。村上春樹の「ノルウェイの森」みたいに。
いやもっと格下の柏原芳恵か藍坊主の歌に関係あるかな?

映画の冒頭から同級生の鞄を漁り、雑貨屋で万引きを繰り返すJKの今村葵(久保田紗友)に腹を立てながら、上述の有名な曲はまるで関係が無いことが分かる。
 
 映画のタイトルは顔であり看板で、観客が一番最初に目にするもの。
手垢のついた、それも名曲と紛らわしい題名は監督やプロデューサーがクリエイティブ能力に欠けていることを如実に証明する。

クラスの中心的存在の水野はづき(萩原みのり)と優等生の今村葵(久保田紗友)は、同じクラス・メイトながら一切関わることがなかった。

共働きで多忙な両親に構ってもらえない葵は、家では常にひとりぽっち学校では友達も居らず孤独だが、勉強はトップの成績。だから選ばれてクラスの「委員長」をして居るが苛々して雑貨屋で万引きの常習犯。

一方、はづきは元カレとの火遊びで生理が遅れている。
妊娠したかもしれないと思いもんもんとした日々を送っていた。

はづき役の19才の萩原みのりと葵役の16才の久保田紗友。
二人ともTVドラマやCMなどから登用された清楚な美人で
未熟な演技ながら地で出来るJKキャラクターを無難にこなす。

ある日の学校からの帰宅途中、葵が石段でキャリーバッグを引っくり返し座り込んだお婆さん(もたいまさこ)を起こそうとしている。

 通りかかったはづきも葵を手伝い散らかった荷物を拾い集める。
角封筒に入った手紙を拾うとお婆さんは引ったくって隠す。
互いに好きでないはづきと葵だが、一緒にお婆さんを助けなければならない。

名前は「エツコ」と名乗るが何処へ行こうとしているのか、自分の家は何処か分からない。
認知症老婆の徘徊を二人のJKが面倒をみることになる。

あっちこっちとひっぱり廻され、ゲームセンターで遊び、友達の老女の家に寄るなど余り意味の無い時間つぶしの間中、エツコ婆さんは絶えず一つのメロディを口ずさんでいる。

最後は交番へ連れて行くとさき婆さんはそこの「常連」と言うのも笑える。おまわりさん(川瀬陽太)が早速家へ電話を入れ、娘・早紀(渡辺真紀子)が飛んでやって来て母親を叱り飛ばす。早紀の怖いこと!

もたいまさこは「かもめ食堂」や「めがね」などで注目を浴びたが「訳知り」初老女性役のワンパターで鼻についていた。
しかしこの認知症役は上手い。
考えて見れば未だ64才で今の世の中では若い。

石段の途中の庭のある邸宅が悦子の実家。
花に水をやるエツコを娘に断り、連れ出して世話を焼くのが楽しみになったJKの2人。

その内にエツコが絶えず大事にしている手紙が若い頃に貰った恋人、コ-ジロー(渡辺シュンスケ)からのラブレターで、
エツコが口ずさんでいたのはコージローがエツコに捧げた歌だと分かる。

エツコが訪ね訪ねて行った先ではコージローはとっくに死んでおり、
息子のコースケがそのメロディを弾いてくれるシーンは涙がこぼれる。

主題曲となった「手紙が届けてくれたもの」はコースケ役の渡辺シュンスケの作曲とピアノ演奏、
エンディングでもフルコーラス流れる、美しいメロディだ。
帰り道で僕自身が口ずさんでいた。

性格も家庭環境も異なる2人のJK(女子高生)が、
ひとりのおばあさんとの出会いをきっかけに交流を持ち、
ぶつかり合いながらもバカにしていた相手を認め合っていく姿を描いていて共感は持てる。

監督,菊地健雄は1978年生まれ、栃木県足利市出身。
映画美学校時代から瀬々敬久監督に師事長年黒沢清や石井裕也などの助監督を経て37才になり「ディアーディアー」(15)で監督デビューした。幼い頃に「幻の鹿」を見て人生が狂ってしまう3兄妹の喜劇に菊地の才能を見た。
同作は注目を浴び、第39回モントリオール世界映画祭に正式出品され、第16回ニッポン・コネクションではニッポン・ヴィジョンズ審査員賞を受賞した。

TVディレクターからTV特番映画の監督をする若手監督は多いが、映画に無知だ。菊地はしっかりと映画の文法を身につけているのが良い。
この作品で第2作目。昨年の2016年・第29回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で上映された。

次作はオリジナルで脚本を書き演出をするのが望ましいし、期待している。 

加藤綾子の本は悪くは無いがクリシェが多過ぎるし先が読める。
一人前の映画作家を目指すなら心に抱くテーマを脚本で書き、監督をしてイメージ化することだ。

7月15日より渋谷ユーロスペースにて公開される

「ハローグッバイ」(日本映画): 性格も家庭環境も異なる2人のJKが、ボケばあさんとの出会いをきっかけに付き合うようになり、ぶつかり喧嘩をしながらバカにしシカトしていた相手を認め合っていく

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映画を見る前は、ビートルズの名曲をベースに展開する物語かと思っていた。村上春樹の「ノルウェイの森」みたいに。
いやもっと格下の柏原芳恵か藍坊主の歌に関係あるかな?

映画の冒頭から同級生の鞄を漁り、雑貨屋で万引きを繰り返すJKの今村葵(久保田紗友)に腹を立てながら、上述の有名な曲はまるで関係が無いことが分かる。
 
 映画のタイトルは顔であり看板で、観客が一番最初に目にするもの。
手垢のついた、それも名曲と紛らわしい題名は監督やプロデューサーがクリエイティブ能力に欠けていることを如実に証明する。

クラスの中心的存在の水野はづき(萩原みのり)と優等生の今村葵(久保田紗友)は、同じクラス・メイトながら一切関わることがなかった。

共働きで多忙な両親に構ってもらえない葵は、家では常にひとりぽっち学校では友達も居らず孤独だが、勉強はトップの成績。だから選ばれてクラスの「委員長」をして居るが苛々して雑貨屋で万引きの常習犯。

一方、はづきは元カレとの火遊びで生理が遅れている。
妊娠したかもしれないと思いもんもんとした日々を送っていた。

はづき役の19才の萩原みのりと葵役の16才の久保田紗友。二人ともTVドラマやCMなどから登用された清楚な美人で未熟な演技ながら地で出来るJKキャラクターは無難にこなす。

ある日の学校からの帰宅途中、葵が石段でキャリーバッグを引っくり返し座り込んだお婆さん(もたいまさこ)を起こそうとしている。
通りかかったはづきも葵を手伝い散らかった荷物を拾い集める。角封筒に入った手紙を拾うとお婆さんは引ったくって隠す。
互いに好きでないはづきと葵だが一緒にお婆さんを助けなければならない。

名前は「エツコ」と名乗るが何処へ行こうとしているのか、自分の家は何処か分からない。
認知症老婆の徘徊を二人のJKが面倒をみることになる。

あっちこっちとひっぱり廻され、ゲームセンターで遊び、友達の老女の家に寄るなど余り意味の無い時間つぶしの間中、エツコ婆さんは絶えず一つのメロディを口ずさんでいる。

最後は交番へ連れて行くとさき婆さんはそこの「常連」と言うのも笑える。おまわりさん(川瀬陽太)が早速家へ電話を入れ、娘、早紀(渡辺真紀子)が飛んでやって来て母親を叱り飛ばす。渡辺の威勢の良い叱咤は観客も怖ろしくなる。

もたいまさこは「かもめ食堂」や「めがね」などで注目を浴びたが「訳知り」初老女性役のワンパターで鼻についていた。
しかしこの認知症役は上手い。
考えて見れば64才で今の世の中では未だ若い。

石段の途中の庭のある邸宅が悦子の実家。
花に水をやるエツコを娘に断り連れ出して世話を焼くのが楽しみになったJKの2人。

その内にエツコが絶えず大事にしている手紙が若い頃に貰った恋人、コ-ジロー(渡辺シュンスケ)からのラブレターでエツコが口ずさんでいたのはコージローがエツコに捧げた歌だと分かる。
エツコが訪ね訪ねて行った先ではコージローはとっくに死んでおり、
息子のコースケがそのメロディを弾いてくれるシーンは涙がこぼれる。

主題曲「手紙が届けてくれたもの」はコースケ役の渡辺シュンスケの作曲とピアノ演奏、エンディングでもフルコーラス流れる、美しいメロディだ。
帰り道で僕自身が口ずさんでいた。

性格も家庭環境も異なる2人のJK(女子高生)が、ひとりのおばあさんとの出会いをきっかけに交流を持ち、ぶつかり合いながらもバカにしていた相手を認め合っていく姿を描いていて共感は持てる。

監督,菊地健雄は1978年生まれ、栃木県足利市出身。
映画美学校時代から瀬々敬久監督に師事長年黒沢清や石井裕也などの助監督を経て
37才になり「ディアーディアー」(15)で監督デビューした。
幼い頃に「幻の鹿」を見て人生が狂ってしまう3兄妹の喜劇に菊地の才能を見た。

同作は注目を浴び、第39回モントリオール世界映画祭に正式出品され、第16回ニッポン・コネクションではニッポン・ヴィジョンズ審査員賞を受賞した。

TVディレクターからTV特番映画の監督をする若手監督は多いが、映画に無知だ。菊地はしっかりと映画の文法を身につけているのが良い。
この作品で第2作目。昨年の2016年・第29回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で上映された。

次作はオリジナルで脚本を書き演出をするのが望ましいし、期待している。 

加藤綾子の本は悪くは無いがクリシェが多過ぎるし先が読める。
一人前の映画作家を目指すなら心に抱くテーマを脚本で書き、監督をしてイメージ化することだ。

7月15日より渋谷ユーロスペースにて公開される

「ボブという名の猫」(A Street Cat named Bob)(イギリス映画):ジャンキーで路上生活者のジェームズの人生を変えたのは、一匹の茶トラの野良猫・ボブとの出会いだった

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原作の翻訳が出た時、猫好きの僕は真っ先に飛びつき、あっという間に読了した。
ジャンキーを救った茶トラのボブの写真も載っていて何とハイ・タッチをするボブの可愛いこと!それが大型スクリーンで見ることが出来る。

原題はテネシー・ウィリアムズの「欲望と言う名の電車」(A Street Car named Desire)になぞらえているのも洒落ていた。(エリア・カザン監督ヴィヴィアン・リー主演の映画を見た人は少ないだろうね。65年前のヒット作だ。)

主人公ジェームズ・ボーエン(ルーク・トレッダウェイ)は、親に見放されたうえに気が弱くセンシティブでいつの間にか薬物依存症になり、ロンドン・コベントガーデン前の路上でストリート・ミュージシャンをして乞食同然の生活をしている。
ゴミ箱を漁り食べ物を探す姿はあさましい。
小銭を呉れる人は稀で1日の稼ぎは3000円ほどでしかない。

クリスマスショッピング中の父親ジャック(アンソニー・ヘッド)に偶然出会う。父親は懐かしがるが妻(義母)はジャンキーと胡散く冷たい目つき。父は手早く25ポンド程を渡す。

ジャンキー更生のためのNGOで働くヴァル(ジョアンナ・フロガット)はジェームズに同情しメタドン(ヘロイン代用薬)更生プログラムを受けさせ、小さなアパートを用意してくれる。

初めて路上で寝なくてすむジェームズは家具が一つもなくとも大喜び。
出かけようとするとアパートの塀の上に茶トラの猫がニャーニャー鳴いている。
足から血が、ケガをしているようだ。これが生涯の友となるボブとの出会いだ。

ヴァルの友達で近所に住む病院に勤めるベティ(ルタ・ゲドミンタス)が応急手当をしてくれた。ベティは茶トラの猫はボブだと決めつけるのがオカシイ。その上に、無料の動物クリニック(英国動物虐待防止協会(RSPCA)を紹介してくれる。

クリニックは無料だが化膿を防ぐ抗生物質は有料。28ポンド(約3575円)と父親に貰った30ポンドの小遣いは消えてしまう。

薬を飲まないボブにベティは器用に他の餌に混ぜ飲ませてしまう。

翌朝ストリートで稼ごうと出かけるジェームズにボブは付いて来る。追い払ってもどうしても付き纏うボブを肩にのせギターを弾き歌いだすジェームズ。

しかし情景が違っていた。人々が集まって来るのだ。ジェームズの歌のせいではない、ボブが可愛いからと寄って来て(ついでに)ジェームズの歌も聴く。うん、そんなに悪い歌じゃない。縞々模様のマフラー姿やジェームズとのハイ・タッチを披露すればやんやの喝采。小銭どころか1ポンド貨幣や5ポンド札、10ポンドも入れてくれる人がいる。

 ボブにお礼を言いベティを誘い美味しいものを食べに。

 ボブが加わりベティとのロマンスも花開き万々歳のジェームズ。
更に、人生が変わったのは評判を聞きつけた編集者がボブと出会いの人生が変わったことを本にしないかと持ちかけられたこと。

原作では「ビッグ・イッシュー」を売るホームレスと揉めたり、バスキングがうますぎるジェームズを羨んでボブに犬をけしかけられたり、などのトラブルもあるが映画では本を書きあげる四苦八苦の悩みも含めてあっさりと飛ばして良いとこだけを撮っている。

ジェームズ役を演じるのは、「タイタンの戦い」などのルーク・トレッダウェイ。バスキングのレパートリーは英ロックバンド「オアシス」の曲が多い。自身もバンドで歌っていた経験を持つだけにギターの弾き語りは素人ではない。

ジェームズに四六時中付き纏う猫のボブ役は実際のボブ自身が出演している。

ジャンキーに更生の道を拓くNGOの担当者ヴァルに「みおくりの作法」などのジョアンヌ・フロガット、

ロマンスの花が咲く、ベティに「ワンナイト・ワンラブ」などのルタ・ゲドミンタス、

気の良いジェームズの父親にベテラン、アンソニー・ヘッドらが名を連ねる。

だが大スターは,ボブ以外誰も居ないので、
制作費の大半を占める出演料は低く抑えられている。

監督は「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」「シックス・デイ」などの着実な演出を誇る
ロジャー・スポティスウッド。

 2012年に発表された原作は、イギリスでは100万部のベストセラーとなり、世界28カ国以上で翻訳出版された。また、続編も数冊刊行される人気で、日本でも第2作「ボブがくれた世界 ぼくらの小さな冒険」が翻訳出版される。
世界で総計1000万部が売れてジェームズは自分の邸宅を持ち慈善団体を支援する大富豪。

 路上生活者のジェームズの前に現れた一匹の野良猫。この茶トラ猫ボブとの出会いが、彼と一匹の人生を変えていく。

「犬は人間の最良の友」という諺があるが「猫」もベストフレンドに付け加えなければならない。
日本は今や「猫ブーム」。
ソフトバンクのCMが猫でヒットして以来「猫も杓子も」猫無しでは生存競争に勝てない。
神様仏様、お猫様様だ。

ともかく見ていて気分が爽快になる映画だ。

8月26日より新宿ピカデリー他で公開される

「ギフト 僕がきみに残せるもの」(Gleason)(アメリカ映画):「I am not giving up!」(絶対に白旗はあげないから!)叫び難病ALSに取り組む元NFL闘病生活を描くドキュメンタリ

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難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告された元アメリカン・フットボール選手が、生まれてくる息子のために撮影したビデオダイアリーを基にしたドキュメンタリー。

NFLニューオーリンズ・セインツ現役時代に輝かしい功績を残したスティーヴ・グリーソンは、選手生活を終えたある日、ALSを宣告される。

診断が出たすぐ後に妻との間に初めての子どもが出来たたことが判明する。
我が子を抱きしめることができるかどうか分からない厳しい現実を前にして、すてぃヴは我が子に向けてビデオダイアリーを撮りはじめる。
グリーソン自身や妻や父親、親戚、友人などが総出で撮影した4年間、1500時間におよぶビデオダイアリー。

ドキュメンタリー映画のベテラン監督、クレイ・トィールがストーリーを構成し脚本を書いて仕上げた2時間近い記録映画だ。日本未公開だが前作「Finders Keepers」はサンダンス映画祭でプレミアム上映され注目を浴びた。

ナレーターは存在せず、スティーヴが自分で最初は自声で後半はコンピュータからの機械音でコメントしている。

1998年1月1日のローズボールを僕はパサデナのローズボール・スタディアムで熱狂的なアメフットの友人M君と観戦していた。
入手困難のプラチナ・チケットをクライアントT社の役員がUSCの同窓会を通して確保してくれ、99年までの3年間程ローズボール観戦に通った。

98年、常連のミシガン大に挑んだのが久しぶりのワシントン州立大学(WSU)でスコアは忘れたがミシガンが圧勝した。

この試合でワズーと呼ばれるWSUの小柄なライン・バッカ―がクォーターバック・サックを何度も成功させていたのが印象的だった。
スティーヴ・グリーソンと言う名前が分かったのはプロで活躍し始めてからだ。

それがこの映画の主人公で、この活躍が認められドラフトでアメリカン・フットボールの最高峰NFLのニューオーリンズ・セインツに指名される。

両親が離婚していたのでワシントン州スポーケンの実家を離れ、ニューオルリーンズにセインツからの契約金で豪華な邸宅を構えている。

スティーヴ・グリーソンは、セインツ・ファンからは特別なスターだった。
2006 年、ハリケーン・カトリーナにより壊滅的な被害を受けたニューオーリンズで、市民が待ちに待っていた災害後最初のホームゲームにおいて、奇跡のようなパントをブロックするスーパー・プレイでチームを劇的な勝利に導いたからだ。

NFL選手のドキュメンタリーで素晴らしいことは、試合に関する限りフーテージが完璧に揃っていることだ。
特に災害後最初のゲームでの最初の得点を記録したパント・ブロックは何十回と角度を変え遠近を変え、最後は銅像となって繰り返される。
ライン。バッカ―と言うデフェンスの要ながら攻撃陣に比べれば地味でスポットライトの当たらない選手がこの一回のプレイでセインツの大スターになったのだから。


2008年、地元ニューオーリンズ出身のミシェル・ヴァリスコと結婚し、選手生活を引退し幸せな生活を送っていた。
ミシェルは「ロン毛のNFLプレイヤーと結婚するなんて思わなかったわ」とカメラに向かって笑みを浮かべ恵告白している。
選手としては小柄なグリーソンと長身細面の美人ミシェルは並ぶと背の高さは同じに見える。

それから3年後の2011年、グリーソンは、体調不良と違和感を訴え専門医の診察の結果、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告される。
ALSに罹ると、筋肉への伝達機能が徐々に失われ歩行や会話、呼吸ができなくなる難病で余命は3-5年とされている。

アメリカでは名選手だったルウ・ゲーリックの名前から「Lou Gehrig’s Disease」と呼ばれているが、日本では「車椅子の天才学者」ホーキンス博士の自伝映画「博士と彼女のセオリー」(2014年イギリス映画)で知られる。

ALS診断が降りた直後、妻ミシェルとの間に初めての子供を授かったことがわかる。
自分は我が子を抱きしめることができるのか。
生まれ来る子のために、自分は何が残せるのか。

グリーソンは、まだ見ぬ我が子に贈るためにビデオダイアリーを撮りはじめる。元気な時に声が出る間に出来るだけの映像を残そうと。

スティーヴの父親、マイクが顔を出し、息子たちの少年時代の話をする。温厚な眼鏡をかけた白髪の老紳士だ。
夫婦仲は悪くスティーヴが15才、弟が12才の時に離婚する。母親もインタビューに応じているが何処に住んでいるか、難病をどうとらえているか分からない。

子供の頃が頑張り屋で絶えず「I am not giving up!」(絶対に白旗はあげないから!)をモットーとしていたが闘病生活に入りより旗色鮮明になり繰り返す。

余命が3-5年と言うのは、声を再生するPC付車椅子や、糞尿の始末、生命維持装置、例えば痰が詰まり人工呼吸装置を装着すると24時間介護が必要だとか金も人手も容赦なく費消せねばならず、「Quality of Life」を求める人間は、諦めて人生に水から幕をおろす患者が殆どだからだと言う。

 グリーソンは非営利団体「Team Gleason」というチャリティを立ち上げ、ALS患者への支援を呼びかけている。オバマ大統領の2014年に支援法が成立し、ALS患者は手厚い介護を受けられるようになった。

 そうかと言って決して明るい映画では無い。スティーヴとミシェルの夫婦は終盤になると破綻をきたしている。

 ミシェルが逃げないように呪文のように「I love You」を繰り返し唱えているスティーヴは哀れだ。
歳の誕生日を迎えたリバースを介してのみ繋がっている。
見ていて観客もどんどん落ち込む。
ミシェルは「和服の小紋」のようなに細かいパターンの組み合わせのデザインの個展を開くのが夢だ。

人工呼吸を付け24時間介護になると自分の夢の追求どころではない。
2人の溝をリバースがキャーキャー走りまわるだけで解決のないままに映画は終わる。

8月19日よりヒューマントラストシネマ有楽町他にて公開される。

「ギフト 僕がきみに残せるもの」(Gleason)(アメリカ映画):「I am not giving up!」(絶対に白旗はあげないから!)叫び難病ALSに取り組む元NFL選手の闘病生活を描く

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難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告された元アメリカン・フットボール選手が、生まれてくる息子のために撮影したビデオダイアリーを基にしたドキュメンタリー。

NFLニューオーリンズ・セインツ現役時代に輝かしい功績を残したスティーヴ・グリーソンは、選手生活を終えたある日、ALSを宣告される。

診断が出たすぐ後に妻との間に初めての子どもが出来たたことが判明する。
我が子を抱きしめることができるかどうか分からない厳しい現実を前にして、すてぃヴは我が子に向けてビデオダイアリーを撮りはじめる。
グリーソン自身や妻や父親、親戚、友人などが総出で撮影した4年間、1500時間におよぶビデオダイアリー。

ドキュメンタリー映画のベテラン監督、クレイ・トィールがストーリーを構成し脚本を書いて仕上げた2時間近い記録映画だ。日本未公開だが前作「Finders Keepers」はサンダンス映画祭でプレミアム上映され注目を浴びた。

ナレーターは存在せず、スティーヴが自分で最初は自声で後半はコンピュータからの機械音でコメントしている。

1998年1月1日のローズボールを僕はパサデナのローズボール・スタディアムで熱狂的なアメフットの友人M君と観戦していた。
入手困難のプラチナ・チケットをクライアントT社の役員がUSCの同窓会を通して確保してくれ、99年までの3年間程ローズボール観戦に通った。

98年、常連のミシガン大に挑んだのが久しぶりのワシントン州立大学(WSU)でスコアは忘れたがミシガンが圧勝した。

この試合でワズーと呼ばれるWSUの小柄なライン・バッカ―がクォーターバック・サックを何度も成功させていたのが印象的だった。
スティーヴ・グリーソンと言う名前が分かったのはプロで活躍し始めてからだ。

それがこの映画の主人公で、この活躍が認められドラフトでアメリカン・フットボールの最高峰NFLのニューオーリンズ・セインツに指名される。

両親が離婚していたのでワシントン州スポーケンの実家を離れ、ニューオルリーンズにセインツからの契約金で豪華な邸宅を構えている。

スティーヴ・グリーソンは、セインツ・ファンからは特別なスターだった。
2006 年、ハリケーン・カトリーナにより壊滅的な被害を受けたニューオーリンズで、市民が待ちに待っていた災害後最初のホームゲームにおいて、奇跡のようなパントをブロックするスーパー・プレイでチームを劇的な勝利に導いたからだ。

NFL選手のドキュメンタリーで素晴らしいことは、試合に関する限りフーテージが完璧に揃っていることだ。
特に災害後最初のゲームでの最初の得点を記録したパント・ブロックは何十回と角度を変え遠近を変え、最後は銅像となって繰り返される。
ライン。バッカ―と言うデフェンスの要ながら攻撃陣に比べれば地味でスポットライトの当たらない選手がこの一回のプレイでセインツの大スターになったのだから。


2008年、地元ニューオーリンズ出身のミシェル・ヴァリスコと結婚し、選手生活を引退し幸せな生活を送っていた。
ミシェルは「ロン毛のNFLプレイヤーと結婚するなんて思わなかったわ」とカメラに向かって笑みを浮かべ恵告白している。
選手としては小柄なグリーソンと長身細面の美人ミシェルは並ぶと背の高さは同じに見える。

それから3年後の2011年、グリーソンは、体調不良と違和感を訴え専門医の診察の結果、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告される。
ALSに罹ると、筋肉への伝達機能が徐々に失われ歩行や会話、呼吸ができなくなる難病で余命は3-5年とされている。

アメリカでは名選手だったルウ・ゲーリックの名前から「Lou Gehrig’s Disease」と呼ばれているが、日本では「車椅子の天才学者」ホーキンス博士の自伝映画「博士と彼女のセオリー」(2014年イギリス映画)で知られる。

ALS診断が降りた直後、妻ミシェルとの間に初めての子供を授かったことがわかる。
自分は我が子を抱きしめることができるのか。
生まれ来る子のために、自分は何が残せるのか。

グリーソンは、まだ見ぬ我が子に贈るためにビデオダイアリーを撮りはじめる。元気な時に声が出る間に出来るだけの映像を残そうと。

スティーヴの父親、マイクが顔を出し、息子たちの少年時代の話をする。温厚な眼鏡をかけた白髪の老紳士だ。
夫婦仲は悪くスティーヴが15才、弟が12才の時に離婚する。母親もインタビューに応じているが何処に住んでいるか、難病をどうとらえているか分からない。

子供の頃が頑張り屋で絶えず「I am not giving up!」(絶対に白旗はあげないから!)をモットーとしていたが闘病生活に入りより旗色鮮明になり繰り返す。

余命が3-5年と言うのは、声を再生するPC付車椅子や、糞尿の始末、生命維持装置、例えば痰が詰まり人工呼吸装置を装着すると24時間介護が必要だとか金も人手も容赦なく費消せねばならず、「Quality of Life」を求める人間は、諦めて人生に水から幕をおろす患者が殆どだからだと言う。
グリーソンは非営利団体「Team Gleason」というチャリティを立ち上げ、ALS患者への支援を呼びかけている。オバマ大統領の2014年に支援法が成立し、ALS患者は手厚い介護を受けられるようになった。
そうかと言って決して明るい映画では無い。スティーヴとミシェルの夫婦は終盤になると破綻をきたしている。
ミシェルが逃げないように呪文のように「I love You」を繰り返し唱えているスティーヴは哀れだ。
歳の誕生日を迎えたリバースを介してのみ繋がっている。見ていて観客もどんどん落ち込む。
ミシェルは「和服の小紋」のようなに細かいパターンの組み合わせのデザインの個展を開くのが夢だ。
人工呼吸を付け24時間介護になると自分の夢の追求どころではない。
2人の溝をリバースがキャーキャー走りまわるだけで解決のないままに映画は終わる。

8月19日よりヒューマントラストシネマ有楽町他にて公開される。

「あの人に逢えるまで」(Awaiting)(韓国映画):北と南に別れたまま会えない離散家族。1000万人いた人たちは老齢化して今や3万人を数えるの

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毎年1回は催される是枝正彦作・演出の軽演劇。
今年の題目は「気まずいっ!!~心が痛くなるスケッチ集~」。
是枝は民芸出身で役者も脚本も演出もこなす何でも屋。

彼の才能溢れた芝居を楽しむ固定ファンがいて、毎回チケットの売れ行きは素晴らしい。
ただあくまでも小劇場向けで、大きな入れものでやる芝居ではない。

今年は5月27日の土曜から、いつもの「築地ブディストホール」(築地本願寺内)で行われた。
僕はいつも入口を間違え入って2階へ行くと読経と鉦の音が響き香が炊かれる本堂へ入ってしまう。

ホールは164席のコンパクトな劇場だから舞台との距離も近く、生声が最後列までしっかり届く。
だが階段式とまで行かない傾斜なので前の席に座高の高い人が座ると大変だ。

演目は6本(だったかな?)。
司会の一谷伸江の軽快な喋りでトントン拍子に演目は進む
明るい一家を描くもので、まともに相手にして貰えない捻くれた父親がマジシャンになったり透明人間になったりと言うバカバカしい中で、
最後の「カミングアウト」は一味違う。

小心の大学事務長(是枝)のLAに留学中に息子がゲイの恋人を連れて帰国し結婚したいと言い出す騒動。
一谷扮する大学の理事長がコチコチの保守頑迷。ゲイの結婚なんて言い出せない雰囲気の中で右往左往する両親(是枝&風祭ゆき)の芝居も上手かった。

LGBTを題材にしたレパートリーは笑いもあり泣きもあり、
最後は(お定まりなのだが)社会の偏見に対する抗議で終わる。

カミングアウトは居間の窓を開けスピーカーで「ご近所の皆さん、息子は同性愛でLAからゲイの恋人を連れて帰国し、これから結婚します」と。
そこまでやるからオカシイ。


アメリカの映画興行は「メモリアルデイ」(5月最終月曜日)の4日間週末だが
どうもシリーズものの大作に影が射している。

首位はDisneyの「Pirates of the Caribbean: Dead Men Tell No Tales」
(邦題「パイレーツ・オブ・カリビアン―最後の海賊―」;WD配給、7月1日より公開される)
は4276館で62.2M、祝日を入れた4日間では77Mと推定される。

この作品にもシリーズもの大作の影ははっきりと見える。

2003年の第一作「Pirates of the Caribbean: The Curse of the Black Pearl」(パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち)こそ46Mだったが、
2011年の「On Stranger Tides」は90M,
2007年の「At World’s End」は114.7M、
2006年の「Dead Man’s Chest」に至っては135.6Mと数字を挙げているので,
この第5作目は実質的に最低の成績なのだ。

制作費は230M超(256億円)をかけている。

国内だけの興行成績では赤字の怖れもあるが、海外ではこの週末208.4M、
ワールドワイド総計は270.6Mで4日間合計では300M(340億円)を超える予定。
すっかり海外依存型大作シリーズとなっている。
そして海外市場のお陰で「Pirates of the Caribbean」シリーズ5本は、今週中にもワールドワイド総累計4B(4520億円)を達成する。


さて今日紹介する韓国映画は、カン・ジェギュ監督のトリックに一杯食わされる。
 
ソウルに住む若い女性、ヨニ(ムン・チェウォン)は「あの人」の大好きな料理を並べて帰りを待っている。
書棚には若い男女のカップルの写真が飾ってある。
女性はヨニ、男性は最愛の夫、「あの人」だ。
ヨニはどうして「あの人」がこのところ、家に帰って来ないのか理解出来ない。
毎朝9時に若い女性から電話がかかって来る。
ヨニよりも年上の声だ。
天気がどうとか、こちらの時間では夜だとか、他愛の無い電話だが、
ヨニが元気かどうか、必ず聞く。
アメリカのロスアンジェルスからの国際電話からの呼びかけだ。
ヨニは今日も「あの人」の好きな献立を並べて、あの人の帰りを待っている。
ある日役所の人がやって来てヨニに告げる。
「あの人は80歳で『あっちで』生きています。明日、一緒にあの人に逢いに行きましょうね」と誘ってくれる。
翌朝、わけの解らないままヨニは、「あの人」に会えるならと、お手製のお弁当を手に抱え、沢山のお年寄りが乗り合わせるバスに乗り込む。
ヨニは「あの人」に逢えるのだろうか?ここから後はスポイラーになるので書きにくい。
38度線の南北朝鮮国境で守備をする北朝鮮の兵士と韓国の兵士が話し合っている。バスが10数台連ねたバスが話し合いを待っている。
ヨニは「あの人」に早くお弁当を食べさせたいとバスを降りて遮断機に近づく。止める兵士,包みが解け丹精込めて作ったヨニのお弁当は路上に散らばる。
いつの間にか若いヨニは皺くちゃの老婆「ヨニ」(ソン・スク)になっている。
第二次大戦の終戦で日本からの支配から脱した1948年に「大韓民国」(韓国)と「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)と2つの国が出来た。
1950年6月25日、北朝鮮の韓国侵攻をきっかけに朝鮮戦争が勃発。3年余り続いた戦争が終わった直後は北と南に引き離された離散家族1000万人を数えた。

離散家族問題が大きく動き出したのは1998年の金大中大統領の就任後。金大中は南北融和を唱え、
2000年6月には平壌で金正日と南北首脳会談を行い離散家族の再会を進めることになった。

2000年8月に第1回の離散家族再会がソウルと平壌で行われ、その後何回も開かれる。
金正日の時は離散家族の会合が数回あったが、金正恩になってからは全く行われていない。

しかし、朝鮮戦争終結から60年以上経った現在離散家族は老齢化し
今や3万人の少数を数えるのみだと言う。

ヨニはその数少ない老齢化した離散家族で「あの人」が住む北朝鮮へ行きたいのだ、
という想いを残して30分に満たないカン・ジェギュの短編は終わる。

ヨニと同様観客も、あの人を恋い焦がれる若奥様を想像していたのだ。

若い「あの人」、ミヌは「高地戦」「白夜行」などのコ・スが写真の中だけの出演。

「神弓 KAMIYUMI」などの若いヨニ役ムン・チェウォンは30歳、
老婆のヨニ役のソン・スクは女優歴53年を誇り文化勲章を授与されている73歳。

カン・ジェギュ監督は分断国家の悲劇的な状況を痴呆症の気味の老婆を主人公にラブストーリーに引き込む。

「銀杏の木のベッド」(96)「シュリ」(99)「ブラザーフッド」(04)など野心作がヒットして
並みいる韓国映画作家群のトップを走っていたカン・ジェギュ監督が、
オダギリジョーを主演に起用した2011年の「マイウェイ12000キロの真実」以来失速する。

CJエンターテインメントで制作や配給など監督業を離れていた巨匠がソコソコの「チャンス商会」(14)終了時にこの短編を制作し、現場復帰を果たした。

この映画は3年前の短編で、香港映画祭からの委任招待作品だ。
これ以降の3年間もジェギュは監督をしていない。残念なことだ。
(つまり韓国では誰もカン・ジェギュに莫大な制作費のかかる映画を作らせないと言うことだ)

7月22日からシネマート新宿で公開される。

「ローサは密告された」(MA’ROSA)(フィリピン映画):横暴で汚い警察にも負けず、マニラの貧民窟を生き抜こうと頑張る肝っ玉母さん、ローサ。

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 30周年を迎えるBuch-Tickのコンサート映画を見た。パンクロックのバンドかと思いきや、メロディの美しい曲ばかりでヴォーカルの桜井敦司のジュリーに似たイケメンと美声のうっとりとなる。

「Buch-Tick Climax Together on Screen 1992-2016」が正式タイトル。
冒頭のバラードを含めて初めて聞く曲ばかりだが悪く無い。

群馬県出身の5人組、驚くのは30年も続けていて誰も脱落せず同じ顔触れで歌い演奏していることだ。
流石に50代を何れも超えたメンバーはそれなりの年齢の顔つきをしていてそれが良い。
初老の男たちの何処からあの舞台で爆発するエネルギーが出るのだろうと感激しながら見た。


 
 イスラム分離派を拉致する「囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件」(Captive)(12) でベルリン国際映画祭で注目を浴びたブリランテ・メンドーサが監督を務め、スラム街に暮らす女性の姿を描いたドラマ。

 メンドーサ監督はマニラの聖トマス大学で広告芸術を専攻する。短髪で一見男性のような容姿の56歳。広告業界出身でCMディレクターが長い。

 主演は、本作で第69回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞したジャクリン・ホセ。ルソン島生まれの小太りの53才。
メンドーサ監督の秘蔵っ子的存在でいつも監督の映画に顔を出している。

マニラのスラム街で、小さな雑貨店「サリサリ・ストア」を夫婦で営みながら、4人の子供を育てるローサ・レイエス(ジャクリン・ホセ)。

 冒頭のスーパーマーケットで小銭を数えるローサ。少し足りない。スーパーで買った商品を小分けにして彼女の小さな雑貨屋「サリサリ・ストア」で売り僅かな差額を稼ぐ。
ローサは地元の人気者だったが、家計のために手を出した少量のアイスと呼ばれる麻薬を売ったことで、夫ネスタ―(フリオ・ディアス)と共に逮捕されてしまう。

マニラのゲットーの男達は概ね妻や娘に働かせ自分はブラブラしているヒモ状態。ネスタ―も例外で無くローサを働かせ自分はシャブ漬けだった。警官が踏み込んだ時はネスタ―の誕生日、証拠のアイスは直ぐに見つかる。

誰かが自分の家族を救うためにローサ夫婦を密告したのだった。

4人の子供たちは、腐敗した警察から両親を取り戻そうと力を尽くす。

メンドーサ監督のいつもの手法でドラマの展開に「三一致の法則」を厳密に守る。
一日の間(時間)に一か所(場所)で起こる一つの事(筋)を扱う。スラム街でローサ夫婦の麻薬取締事件を追い警察の腐敗を描く。

警官は繋がりのある麻薬売人の密告を要求する。これは筋が通るが、
高額の保釈金、10万ペソ(約20万円)を払えなど脅迫まがいの要求をされる。
拷問をしたり人質をとったり警官の職務を遥かに超えている。

月に3万円弱の安い給与で子沢山の家族を養わなければならない警官たちは署ぐるみで保釈金を自分の稼ぎに充てている。

裏がある逮捕だからロペス巡査長(バロン・ゲイスター)はプロトコールに従わず正面玄関を通らず、署の裏口から隠し部屋へ夫婦を連れ込み、部下と共に保釈金を強制する。

ローサたち家族は、彼らなりのやり方で横暴な警察に立ち向かう。
結局借金をしまくることになるが、この一家の人間模様が絵になるしドラマになって面白い。

ただ手持ちのHDカメラで撮っていて、暗いし、ブレるし、見苦しいたらありゃしない。
特にこの撮影時、マニラは激しい降りの雨季を迎えてのロケーションだから、
照明も使っていない画面のボケと闇には辟易とする。

 肝っ玉かあさんローサのジャクリン・ホセの熱演をじっくり観察したいが、撮影監督を何とかすれば映画の質ももっと上がったのではないか。

質屋の親父から保釈金の残りの4000ペソ(8千円)を借り(月2割の利息)、
交通費として20ペソ(40円)を貰い、
その金で屋台フードの白いタラボール(つみれ串)を泣きながら頬張るホセのラストシーンは胸を突く。

現大統領のロドリゴ・ドゥテルテ大統領の過激な言葉がエンドクレジットに現れる。
「麻薬を完全に撲滅する。逆らう者が望むなら、誰であろうとも、与えるのは死だ」と。
何人もの日本人も麻薬所持で死刑になったと聞く。

余談になるが、僕も主宰するNPOで、口唇口蓋裂(兎口)の子どもたちに無料の手術を施す慈善団体の仕事のため、医師団を引率しマニラへ何度も行った。

1億人を超す人口に対し形成外科医は75人しかいない。内科や外科のように命に直接関わらない形成外科医はフィリピン国民には贅沢なのだ。

手術を受けると健康保険も無い人たちは2000ドル以上(10万ペソ)もかかる。医者も居ないし貧乏な庶民にはそんな高額な費用は払えない。

患者の一人、クィーンちゃんを訪ねて貧民窟、モンテンルパに行った。(戦争直後に流行った「モンテンルパの夜は更けて」で年寄は皆知っている場所だ)
土間一間に5人の家族が寝ている。
水道も無ければ電気も引いて無い。

だからローサの住むゲットーは良く分かる。
そのモンテンルパで一人の若い男が僕らに囁いた。
「日本の皆さん、援助してくれるなら政府や厚生省などを通さず直接下さい。途中で皆ピンハネされてしまうのです。」

この模様は昨年3月のTBS系「報道の魂」で放映されたが見てくれた人はいるかしら?

この映画は昨年の第69回カンヌ国際映画祭コンペティションに出品され、
ジャクリン・ホセは輝く主演女優賞を受賞した。
今年の第89回アカデミー賞外国語映画賞でフィリピン代表となるが受賞は逸した。

7月29日より渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開される。
こんな場末の劇場でしか上映されないとはホセもメンドーサ監督も気の毒だ。

「甘き生活」(Fai Bei Sogni)(イタリア映画):幼い頃に母を亡くし心に傷を持つ「マザコン男」、マッシモを癒すのは精神科医の恋人、エリーザ。

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この邦題はズルい。
イタリア映画で「甘き生活」と一瞥すれば、
フェデリコ・フェリーニのあの「甘い生活」に結び付くからだ。
マルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグ主演で
1950年代後半のローマの豪奢で退廃的な上流階級の生態、

その場限りの乱痴気騒ぎやアバンチュール、
社会を生きる上で指針やモラルを失った現代人の不毛な生き方を、
主人公の退廃的な生活を通じて描く大ヒット作とそっくりの題名だからだ。
この映画の知名度が低いのを詐欺まがいのタイトルは酷い。
原題は「Sweet Dream」(甘い夢)だから全く違うし。


一瞬の快楽に耽る「甘い生活」と全く異なるのは、一人のジャーナリストが幼年時代からの生涯、早くして彼の前から消えた母親のイメージを追いかけイジイジ悩む姿を描く。
他の映画でも出くわすが、イタリア人と言うのはかくもマザーコンプレックスの塊かとも思いこんでしまう。

例えば深夜TVでオペラ「ベルファーゴ」などを見ていて、母親がカウチに丸くなって熱心に視聴していたのを思い出し涙ぐんだりする。

9才のマッシモ(ニコロ・カブラス)の前から突然母親(エマニュエル・ドゥヴォス)が消える。父親は心臓麻痺だと教えるがマッシモは信じない。
家族も家族同様に親しくしている神父も「母は天国に行った」と告げる。

それから30年、ジャーナリストになったマッシモ(ヴァレリオ・マスタンドレア)が真相を突き止めようと躍起になる。

映画はマッシモの成人と幼児をフラッシュバックで頻繁に往復する。サッカー狂からマスコミに興味を持つようになったか。包囲され死闘を繰り返すサラエヴォをライカに収める瞬間は心臓の鼓動が止まる勢いだ。

母を亡くした喪失感から、ジャーナリストとして成功を収めた今もなお心を閉ざした(PTSD)生活を送るマッシモが、
ある日の精神科医Dr.エリーザ(ベレニス・ベジョ)との出会いによって心を開き始め、過去の傷と向き合っていく。

78才になるイタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督は精神分析的作品で知られている。「肉体の悪魔」(86)「蝶の夢」(94)などは高い評価を受けている。
この主人公も母親を亡くした喪失感で30年近く心に傷を抱えながらジャーナリストに熱中してPTSDと折り合いをつけている。

原作は、成功したイタリア人ジャーナリストのマッシモ・グラメッリーニによる大ベストセラー自伝小説だ。

ベロッキオ監督は、イケイケドンドンの高度経済成長期60年代と、海図無き航海の先行き不透明な90年代をパラレルに、幼年期の故郷である古都、トリノとジャーナリストとしての拠点、首都ローマの二都市を彷徨うマッシモを通して、過去と現在のイタリアの光と影を描き出そうとしている。

主演は、「フォンターナ広場」(12)や「ローマに消えた男」(13)、「おとなの事情」(16)など話題作に主演しイタリア映画界を代表する46才のヴァレリオ・マスタンドレア。少し前頭部が禿て来たがイイ男だ。

主人公の恋人役の女医は、米アカデミー女優賞にノミネートされた「アーティスト」(11)やカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した「ある過去の行方」(12)などアルジェンティン生まれ40才の実力派ベレニス・ベジョ。中々の美女。

マッシモが思いこがれる母親役に「リード・マイ・リップス」(01)でセザール賞主演女優賞受賞のエマニュエル・ドゥヴォス。

この作品は昨年の第69回カンヌ国際映画祭で監督週間のオープンニング作品として上映された。
ベロッキオ監督の映画は商業的に大ヒットはしないが、映画の質は高くアートハウスではいつもヒーローだ。

7月15日より、有楽町スバル座他にて公開される。

「パターソン」(Paterson)(アメリカ映画):ニュージャージー州パターソンでバスの運転手をしているパターソンとその妻ローラの日常はとても詩的な毎日だ。

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ジム・ジャームッシュは1953年、オハイオ州アクロンと言う田舎生まれの64才になる。
NYコロンビア大学で学び、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(84)や「ダウン・バイ・ザ・ロード」(86)で世界に注目されアートフィルムのチャンピオンになったジム・ジャームッシュ。
 独特の作風はいつの間にかウエス・アンダーソンンに乗っ取られて13年の「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ」以来4年間作品を送り出していない。

それ以前の「コーヒー&シガレット」(03)にしても「ブロークン・フラワー」(05)もジムらしくない(らしいと言い切ればそれまでだが)映画で余り感激しなかった。

しかし、この作品は素晴らしい。ジム・ジャームッシュの中でベストだと言って良い。
完全カムバックだ。

25年ほど前、ジム・ジャームッシュは愛する詩人、ウィリアムズ・カーロス・ウィリアムズが自分の生まれ故郷「パターソン」に捧げた詩を読み、住んでいたNYから近いニュージャージー州パターソンに、日帰りでふらりとやって来た。

街の公園から映画の中でも紹介される名物77F(23メートル)の瀧「グレート・フォール」を眺め、かつて工業都市だった名残りの工場や事務所を見ていて、パターソン市で生まれた労働者のパターソンと言う男を主人公に映画を撮ろうと思ったと言う。

職業をバスの運転手にして、役者をアダム・ドライバー(運転手)にしたのは偶然で,
そんな積りは無かったと言うが面白い組み合わせだ。

薄青色の大きな目のパターソンは詩人志望でバス運転手。
月曜から金曜までの週日は毎朝6時に起きて
隣に寝ている愛妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして、
イングリッシュ・ブルドッグのマービンに送られ家を出て、
バスの車庫まで歩いて通う単調な日常を送っている。

単調と言いながら毎日何かが起きる。
パターソンは自作の詩(ロン・バジェット作)を口ずさむ
(We have plenty of matches in our house---)
画面の背景にパターソンの手描の字幕で詩を行毎に追う。

街の景色、高架な鉄道橋が跨ぐ「瀧」(グレート・フォールズ)の白い水飛沫、
通りの商店街の買い物客、常連の乗客との会話、
様々な出来事を彼の詩と共に映し出していく。

自宅はは夕刻には帰れる。
犬のマービンが前足で倒した郵便受けをまっすぐに建て、
ローラが豆料理など(イラン風)の料理が出来るまでマービンを連れて散歩に出る。
途中のドク(バリー・シャバカ・ヘンリー)がバーテンのバーで生ビールを一杯飲む。
バーで失恋のエヴェレットが銃で自殺するのを止めるが、銃は玩具だった。

たまには事故もある。バスが古く、電気系統の故障でエンコし乗客を降ろし代車を頼もうとするが公衆電話は皆廃止で使用できない。小学生からスマホを借りて車庫を呼び出すパターソンは時代遅れの人だ。

ローラが面白い。白と黒,市松模様でフロアからドレス、壁紙、シャワーカーテンを総て染め直す。
エステバン・ギター、「ハーレクィン」を注文しこれも白黒模様に塗り直す。

ケーキ作りが趣味で白と黒デザインのカップケーキを一杯作ってパン屋で打ったらソールドアウト。
283ドル儲かって二人揃って古いモノクロの恐怖映画を見に行くシーンも楽しい。

イラン女優のゴルシフテ・ファラハニ演じるエキゾティックな容貌の妻ローラに
メロメロのパターソンも好演している。

2人に置いてきぼりにされたマービンが癇癪を起してパターソンの詩のノートを噛み切って
バラバラにしローラからお仕置きでガレージに閉じ込められる。

マービンはその名演技でカンヌ映画祭で「パルム・ドッグ」賞を授与されたそうだ(嘘だけど)。

 終盤、日曜の公園で詩作に励んでいるパターソンに旅の日本人(永瀬正敏)が声をかける。
彼もW・C・ウィリアムズのファンで生まれ故郷のパターソン市に観光で来たのだが、
この市はビート世代の詩人アレン・ギンズバーグの育った町だと観客に教える。
永瀬もジャームシュの「ミステリー・トレイン」に主演して以来27年振りの出演だ。
白紙のノートをパターソンにお土産として渡し「白紙には無限の可能性がある」と
禅問答のような一言を残す。

因みにパターソン市はNYマンハッタンから列車で1時間弱、
ニュージャージー州では3番目に大きな市である。
18世紀末に産業革命が始まった時、パターソン市はアメリカの工業化の先端を走り、
その隆盛とその後の空洞化の歴史を経ている。
現在人口は15万人弱でラティーノが一番多く、次に黒人で白人の順だ。

ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ (1883-1963)の本業は小児科医、長詩「パターソン」を書いた現代詩人

主演のアダム・ドライバーは「スターウォーズ/フォースの覚醒」でブレイクした34才の若手俳優。
他に「フランシス・ハ」や「ハングリー・ハーツ」などがある。

「ミステリー・トレイン」以来27年ぶりにジャームッシュ作品に登場する永瀬正敏の英語が上手くなっているのに驚く。
放浪する日本人詩人という役だ。49才の永瀬に貫禄が出て来た。

8月26日よりヒューマントラストシネマ有楽町他で公開される。

「セザンヌと過ごした時間」(Cezanne et Moi)(仏映画):南仏で小学生時に出会い親友となったセザンヌゾラ。ゾラの小説で放埓で不道徳な画家と描かれて仲違いをするセザンヌ。

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タイトル(原題「セザンヌと私」も含めて)を見る限り、ポール・セザンヌを友人だったエミール・ゾラの視点で描く映画だ。

実際、女たらしでバガボンドの放埓な人生を過ごしていたセザンヌを父親的な保護主義で金銭面も含め色んな面倒というか、尻ぬぐいをゾラはしている。
セザンヌはそれを当然のことと見ている姿が映画の中でも描かれる。

ポスト印象派(本人はその呼称を嫌っていた)の巨匠ポール・セザンヌをピカソは「我々の父」と呼び、マティスは「絵の神様」と呼んで尊敬されたが、それは死後数十年を経てからで、「ナナ」や「居酒屋」などのエミール・ゾラは、生前作品は認められず世に出ないことを恥じて既に文豪となっていた自分を遠ざけ会おうとしなかった親友セザンヌを惜しむ。

南仏のエクス=アン=プロヴァンスで幼い小学生の頃に出会い、芸術家としての夢を語り合ったふたり。
深緑の森に草原、見渡す海原、素晴らしい環境の下で2人の芸術家の感性は磨かれて行く。
ゾラは画家ではないがセザンヌのデッサンやスケッチに並々ならぬ才能が秘められているのを察知する。

最初の出会いは1852年、ゾラはイタリア移民の子として、クラスメイト達に虐められていたのを、裕福な銀行家の子どもとして学友から認められているセザンヌは余裕があった。
ゾラを暴力から救い、御礼にゾラがリンゴを贈ったことから親友となる。

母エミリ-と少年エミール、シングルマザーの生活は貧しくひもじく、
エミール・ゾラが道で死んだツグミを拾って夕食にするシーンなどは同情を惹く。
早く有名になり母親を楽にさせたいと言う想いが常にエミール・ゾラの心底のある。

やがてゾラはパリに出て、新聞の評を書きながら、小説家として成功を収めていく。

一方、セザンヌも画家を目指してパリに出て絵を描き始める。
描いてはアカデミーが仕切る「サロン」に毎年挑むが落選続き。

新しいスタイルを模索するセザンヌは、ピサロやモネ、ルノワール、シスレーも同様の「落選組」だった。

栄光を手にしたゾラと、世間に認められないまま心を閉ざしていくセザンヌ。

そしてもっと決定的なことが起きる。
ゾラの別荘で久しぶりに再会したふたりは、「ある画家」をモデルにしたゾラの新作を巡って口論となる。
放埓な生活を送っている自分のことだとセザンヌは見抜く。この喧嘩で2人は不仲となり暫く会わない。

遂に存命中は名声を得ることなくセザンヌは死亡する。
しかし後世の天才画家たちに上述のような賛辞を贈られる「巨匠」となる。

セザンヌばかりか、概して画家と言うのは存命中には認められずに貧窮な生活を送り、死後名声があがる人が多い。

オランダの精神に異常を来したフィンセント・ファン・ゴッホもそうだし、
ゴッホの友人、ポール・ゴーギャンも同様だ。
オーストリアのグスタフ・クリムトも「黄金の女」はウィーンの「モナリザ」と言われ国宝級になった。
何れもドラマティックな生涯を送り映画化されている。

 僕の友人で、有望だが無名の画家の作品を買い漁り
「早く死なないかな」などと願っている不届きな男もいる。

セザンヌ役は「イブ・サンローラン」や「不機嫌なママにメルシィ!」でセザール賞作品賞など主要5部門受賞のギョーム・ガリエンヌ。

ゾラ役を「戦場のアリア」の実力派ギョーム・カネが熱演。俳優ばかりか監督も兼業、「唇を閉ざせ」(06)ではセザール賞最優秀監督賞を獲得している。

バガボンド風貌のガリエンヌに対し、メタルフレームの眼鏡を通して親友を見守るセンシティブな顔付きは印象に残る。

親友が仲違いをしたと言う歴史的な物語を、長年の膨大なリサーチによって
映画化の夢を叶えたダニエル・トンプソン監督の渾身の作品。
脚本家出身で75歳の彼女の代表作になることは間違いない。

あまり知られていない大芸術家同士の愛と憎しみのアンビバレントなエピソードは興味が湧く。

9月2日よりBUNKAMURAルシネマにて公開される。
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