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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「ぼくらのごはんは明日で待ってる」(日本映画):「どうして?」 高校、大学、社会人と愛し合って来た小春に突然「別れ」を告げられて戸惑うばかりの亮太

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 書籍が売れない、本屋がバタバタ倒産して行く出版界。
書店員を主人公にして如何に気にいった本を売り出していくかを扱った興味深い小説、村山早紀の「桜風堂ものがたり」(PHP研究所:2016年10月刊)は作者が本屋を研究し書店員たちにインタビューをして現実の状態を把握した物語なので説得力がある。
 
架空の中都市、風早の駅前にある老舗の星野百貨店6階「銀河堂書店」文庫担当の月原一整が主人公。大学生アルバイトから勤めているから10年のベテラン。
「宝探しの月原」と言われ埋もれた名作を掘り出す名人。

この物語では長年TVの脚本を書いていて引退していた団重彦が「四月の魚」を仕上げ、ゲラを読んで感激し、単行本になったらベストセラーにして見せると心に期す。

 同僚の卯佐美苑絵は児童書担当。涙もろい性格。おさな馴染みで大学時も同級生で親友の三神渚砂は同時に入社して文芸担当で業界内の顔が広い。

ある日中学生が万引きし月原が追うが、百貨店の外へ逃げて交通事故に会う。世間は書店を非難し追いかけた月原はマスメディアやSNSで叩かれ、10年務めた好きな書店員を辞めざるを得ない。

しかしSNSを通じて知った150所帯に満たない山間の小さな町「桜野町」の一軒だけの「桜風堂書店」の老店主が1か月以上入院して本屋は休業していることを知る。
 
シルバー船長のように隣家の船乗りの老人から旅に出る間に頼まれたオームを肩に乗せ病院へ見舞いに行った月原は老店主から「桜風堂書店」の再開と経営を頼まれる。

 優しい人情味あふれる月原青年と慕う昔の同僚、苑絵。老人の孫、大学生の透君と彼の子猫。メルヘンのような雰囲気で物語は展開する。

ブレイクするのは月原が宝探しの末に探り当てた団重彦の「四月の魚」8千部しか刷っていないので品薄。小さな桜風堂書店で沢山仕入れたサイン本は遥々やって来た客に飛ぶように売れる。
性格の全く違うカップルが織り成す恋愛模様をつづる瀬尾まいこの小説を映画化。
ひょんなことから付き合うことになった男女が、食を通じて愛を育み、やがて家族になるまでの7年間を描く。


「ぼくらのごはんは明日で待ってる」 ヘンテコな題名。何のことだか訳が分からない。大阪生まれ、中学校の国語教師を長く勤めた42歳の女流小説家・瀬尾まいこの同名の原作の映画化。
「幸福な食卓」で吉川英治文学新人賞をとっただけあり、やたらと食べる場面が出て来る。だから「ぼくらのごはん」か?

無口で他人に無関心で友人もいない高校生・葉山亮太(中島裕翔)は、明るく人気者の同級生、上村小春(新木優子)の誘いで体育祭の競技「米袋ジャンプ」でコンビを組む。

誰にも相手にされない亮太を見かねて、学級委員の小春が米袋に二人で入りジャンプしながらレースする競技に付き合ったのだ。
1位を獲得して亮太が喜んでいると、突然小春から「付き合わない?」と告白され戸惑うものの、いつしか彼女に惹かれていく。
 実は小春は中学の時から亮太が好きだったのだと言う。

二人はファストフードで恋を知りやファミレスで愛し合っていることに気付く。食事をしながらとりとめも無いお喋りで交際を続け、やがて高校卒業を控えた3年生の夏、就職するつもりだった亮太は小春と一緒の大学へ行くと言い出す。バラバラになるのが嫌だったのだ。

 東京の大学は一緒にはなれない。小春は女子短大で亮太は4年制の総合大学。後で小春は亮太はに「嘘」を言ったと責める場面がおかしい。

 二人が大学生になったある日、突然、小春は亮太に別れを切り出す。実は、小春は亮太に言えない秘密を抱えていた。小春はお婆ちゃん(松原智恵子)と一緒に暮らしているが、お婆ちゃんも「別れること」に賛成しているときかされガックリする亮太。

 別れの理由がわからないまま、亮太は何度も真っ直ぐな想いを伝えるが、小春はまったく取り合わない。
社会人になったある日、ビルの屋上から橋を見ていると車椅子の小春が泣いている。
「私が涙をこぼしている時は慰めてね」初めて小春が泣くのを見た亮太はすべてを放棄して小春の許へ駆けつける。

 高校、大学、社会人の7年間、愛を育みながら突如中断され、何が何だかわからないまま放り出される亮太。
それがラストでは白いごはんを食卓で一緒に囲む家族になるまでのカタルシスの7年間は波乱万丈だが、観客は途中で気ずく。どうも「また使い古された手かよ」と思いながらやはり涙が零れる

 Hey!Say!jump!の中島裕翔が「ピンクとグレー」に続いて映画2作目の葉山亮太を演じる。歌手と言うのは演技が上手いね。

 ヒロイン・鈴原えみりをCMガール出身の新木優子が演じる。22歳、笑顔が良い。

 監督はデビュー作「隼」(04)や「箱入り息子の恋」(13)で注目を浴びた市井昌秀。お笑い出身の40歳と異色の映画作家だ。
コメディタッチの演出は冴えている。

 1月7日より豊洲ユナイテッドシネマにて公開される

「ママ、ごはんまだ?」(日本映画):台湾人の夫を早くに亡くし、一青家の二人の娘たちを台湾料理でしっかり育てる頑張り屋の肝っ玉母さん

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 人気歌手の一青窈の実姉でもある一青妙のエッセイ「私の箱子」「ママ、ごはんまだ?」を原作に映画化。

一青姉妹は台湾人の父親と日本人の母親の混血だ。
そういえば民進党・党主の蓮舫(49)もこの組み合わせの美人だが、この姉妹もなかなか愛くるしいしキュートだ。

一青窈も登場人物で勿論物語に現れるが主人公は姉妹の母親、かづ枝(河合美智子)の生き様を描く。
エンドクレジットにかづ枝本人のスナップが何枚も映し出されるが、細面のかなりの美人だ。
しかし扮する河合美智子が酷い。僕の記憶にある河合と違い、醜くなっているので驚く。草履の裏のような顔は見ていて心地良いものではない。

映画の冒頭で、台湾からの旅行者で、後の夫になる顔家(呉朋奉)がホテルのフロントに立つかづ枝に一目惚れ、その場で指輪を外させてプロポーズをするドラマティックな出会いがあるのだから、河合の容姿と芝居は観客に納得されるものでなければならない。
 
46歳と言う年齢もあるが、映画の後半になって二人の娘に台湾料理をセッセと作る主婦ならともかく、旅行中の台湾人を夢中にさせる若い美人の日本女性は河合には無理だ。
別の女優を立てるべきだった。僕が覚えている限り歌手で紅白に出ていた頃の河合はこんなブスでは無かったが、これば配役ミスだろう。

映画は石川県能登半島の喉元にある小さな中能登町の町制10周年記念事業作品として製作されている。
大体周年事業の映画なんて詰まらないものだが、素材が良いし中能登の町に変なこだわりや制約を付けなかったからしっかりとした作品に仕上がっている。

家族4人で暮らした東京の家を取り壊す時に本棚の隅に赤い木箱が見つかった。
箱の中に入っていたのは、古い手紙と20年前に亡くなった母の台湾料理のレシピ帳だった。妙の心に思い出があふれ出す。

レシピ帳を手にした妙(木南晴夏)は、どんなにつらい時でも料理で家族や周囲の人たちを幸せな気持ちにしてくれた母の姿を思い起こす。

妙と妹の窈(藤本泉)は、一青家ゆかりの地、母親の故郷、中能登町にある一青家の墓前にで母の20周忌の法事をおこなう。そこに東京からかけつけた母の仕事の同僚(春風亭昇太)。
小さなロマンスを知り、好奇心に駆り立てられた妙は、家族のもう一つのふるさとである台湾の台北市の顔家一族にあうために台北へと向かう。(中華航空の機影がばっちり写るタイアップ)

父を亡くした母は東京へ戻り働きながら中学生と高校生の娘を育てる。どんなにつらくとも台湾で顔家の義母から叩き込まれて身につけた台湾料理をテーブル一杯に作る。台湾料理を腹一杯食べるとウサもふっとぶ。

ちまき、大根餅、水餃子、でも一番の豚足料理ができない。豚の足なんて日本では手に入らない。小さな肉屋の主人(甲本雅裕)とのやりとりが面白い。

しかし体調を崩し検査をうけると胃がん。全摘手術の甲斐もなくみじかい二度目の発症であっけなく亡くなる。

その年近くになった妙の想いを感謝と懐古の気持ちこめて描く映画はしっとりとよく出来ている。

一青窈は出番が少ないがエンドクレジットにかけて映画のために書き下ろした主題歌をフルコーラス歌う。メロディアスで綺麗な曲だ。

監督は「能登の花ヨメ」などの白羽弥仁。周年記念映画などというが嫌な外野からのプレッシャーを跳ねのけ母娘の人間ドラマに仕上げている。

東京、金沢、中能登町、台北のロケで夫々の土地の雰囲気や人情が描かれるが、何と言っても数々の台湾家庭料理を作るシーンが最高の売り物だ。シズルがスクリーンから漂って来る。

2月11日より角川シネマ新宿で公開される。

「ガール・オン・ザ・トレイン」(THE GIRL ON THE TRAIN)(アメリカ映画):毎日通勤列車から眺める瀟洒な家に住む愛し合う「理想の夫婦」。離婚以来落ち込んでいるレベッカには眩しい光景だ

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 通勤列車に乗っていて毎日同じ光景を見ているOLが仲睦まじい夫婦を見かけるが何か違和感を覚え途中下車して事件に遭遇する。
同じ時間に見かける光景の裏の異変、同じように通勤する僕も日本でも起こりそうな話で興味深い。
 
 金曜(18日)から公開されたので土曜の午後一で見ようと朝9時にPCでみゆき座の座席表をチェックしたら半分以上空いている。TBSの午前中「王様のブランチ」でこの映画が取り上げられ皆が褒めていた。
昼過ぎに改めてPCで座席を調べると9割は埋まっている。慌てて抑えたが、TVの影響力は未だ結構あるんだと実感した。
1時40分に日比谷に着いたら劇場窓口で筆太な字で「ガール~」は完売ですと張り紙がしてあった。邦画アニメに圧倒されている中、本格的ハリウッド・スリラーに客が久しぶりに集うのは嬉しい。

アメリカでは5週間前の10月7日より公開された作品で、デビュー週は3144館で開けて24.7M(28億円)でチャートの首位を奪った。

 S・スピルバーグのアンブリンが制作、ユニバーサルが配給なので日本では東宝東和の配給となる。
制作費は50M(55億円)も掛けていない低予算作品。
今現在は36か国で上映されワールドワイド総計で160M(176億円)を超えているから制作費はリクープ出来て利益が出ている。大スターも出ていないしNY近郊でオール・ロケの地味な映画だけに喜ばしいことだ。

 公開後の映画評は好不評合い半ばだが、観客のロットン・トマトは44%と低調。みゆき座の階段付近でピアが出口調査をしていたが日本ではどういう評価を受けただろうか気になる。僕は堪能した作品なので評価は悪く無い。

 イギリスの人気作家ポーラ・ホーキンズの同名ベストセラーを映画化しただけに
ホーキンズの小説ファンが劇場に足を運び女性層が70%を占め内35歳以上
は55%。出口調査のCS(シネマ・スコア)ではB-評価で芳しくない。
原作はロンドン郊外からの通勤列車だがここでNYのハドソン川沿い、アーズレイ・オン・ハドソンからマンハッタンの42丁目・グランドセントラルへ到着するニューヘイブン線だろう。
この列車で通勤している女性が、緑に囲まれた瀟洒な二階家のバルコニーで抱き合う夫婦の姿を車窓から眺めている「目撃者」だった

 ウォッカをフレスコからがぶ飲みする中年女性、レイチェル(エミリー・ブラント)は酔っぱらい打ちひしがれた様相は一目で分かる。

 あの美しいエミリーがこれほどまでに落ち込んだボロボロの容姿を見せるとは、それにしても上手い演技だ。
イギリス生まれの新進女優として06年の「プラダを着た悪魔」のM・ストリープのキュートで機敏なアシスタント役は映画ファンなら誰でも覚えている。

 子どもが出来ないことを理由に愛する夫から離婚させられ、以来立ち直れないままに傷心の日々をアルコールに依存して送っていた。
落ち込む彼女にとって、通勤電車の窓から見える「理想の夫婦」だけが慰めだった。

バルコニーで愛を交歓するその二人の家は、かつてレイチェルが夫のトム(ジャスティン・セロー)と暮していた近くにある。

今は、トムと妻のアナ(レベッカ・ファーガソン)が、生まれたばかりの娘、リーヴェと新しい生活を始めている。

ある朝、レイチェルはいつもの車窓から、バルコニーの「理想の妻」が他の男と不倫している現場を目撃する。

 その翌日、夫婦の様子が気になったレイチェルは、どうにも気になり、途中下車して夫婦の家を訪ねようとしていた。だが彼らの家に向かったところから記憶がなくなり、気がつけば自分の部屋で頭から血を流していた。

そして間もなく「理想の妻」は行方不明となり、TV報道で彼女の名はミーガン・ヒップウエル(イリー・ベネット)と知れるが、そのミーガンの死体が森で発見される。


ミーガンが失踪した日、自分は一体何をしていたのか?
酔ったままあの家に向かう途中だった。
アリバイが存在しない空白の時間と記憶、警察からも疑惑の目を向けられる。

 誰がミーガンを殺したのか? 
「自分が殺したんじゃない」という記憶は本当に確かなのか?

 レイチェルは、あの日、泥酔していてブラックアウトした空白の時間のおかげで、周囲から犯人かt疑惑の目を向けられるのは当然だ。
フラッシュ・バックの中で記憶を取り戻そうとするレベッカ。

不安を抱えつつもミーガンの夫、スコット(ルーク・エバンス)に接近し、かつての元夫、トムの再婚相手アナ(レベッカ・ファーガソン)も巻き込み、真相に迫ろうとするレイチェル。

 彼女が探る闇の中で関係者たちの思わぬ秘密が明らかになっていく。

「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」(2011年)などで注目されたテイト・テイラーが監督。サイコ・スリラーをヒチコック的手法で秘密を解いて行く演出は見事だ。

主役のエミリー・ブラントの他に
「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」などのレベッカ・ファーガソンがアナを、「マグニフィセント・セブン」のヘイリー・ベネットが殺されるミーガンを演じる。
小太り金髪のベネットは熱演している。

TOHOシネマズみゆき座他にて公開中。

「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」(FANTASTIC BEAST)(アメリカ映画):1920年代後半・禁酒法時代のNYシティに解き放たれるファンタジービーストの数々。

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アメリカで先週金曜(18日)より上映が開始された。
4144館で75Mを挙げている。
しかし「ハリポタ」8作品のデビュー週末BOより低い数字だ。

やや低調の北米と異なり、海外では143.4Mを獲得し、グローバル総計で218.3M(240億円)と既に軽々200Mの壁を越えている。

しかもこの数字には稼ぎ頭中国も日本も含まれていない。
因みにハリポタ故郷の英国では18.3M,韓国で14.3M,ロシアで9.8Mの成績だ。
アメリカではPG-13の制限があり、最後の「ハリポタ」2作品より年寄りが多い。
25歳以上が65%。前の2作品は夫々56%と55%。コア層は25歳から35歳で女性が55%を占める。
観客の出口調査(CS)はA評価と高い。

しかしWBとローリング(制作も兼ねる)にとっては厳しい試練が待ち構えている。
ハリポタ以前の数十年を子ども相手ではない、NYに展開する広大な大人の魔法世界を描こうとする5本のシリーズ作品が持ち堪えられるか否か?

制作費は180M(198億円)と大予算をつぎ込んでいる。

主人公は魔法動物学者のニュート・スキャマンター(エディ・レッドメイン)。
映画の冒頭は未知の絶滅種の幻獣を求めて世界中を周り、ロンドンから1926年NYエリス島へ着いた彼のトランクには魔法動物が入っている。
審査官が「生物(ライブストック)は無いね」と念を押す。トランクの中は捕獲したビーストで一杯だが、開けてビックリ。
動物たちは姿を消し、下着や靴下類が詰まっている。
そうだよね、ニュートは一流の魔法使いだから。

NYへは逃亡中のキラキラ光る金貨や宝石が大好きなニフラーを探しに来た。
案の定銀行の金庫に忍び込んでいた。
銀行では工場労働者を辞めパン屋を開業したいと資金を借りに来たジェイコブ(ダン・フォグラー)を巻き込み、ジェイコブがニュートのトランクを開けてしまい魔法動物がNY中に開放される。

アメリカ魔法省(MACUSA)捜査官、ティナ・ゴ-ルドスタイン(キャサリン・ウォーターストーン)の追跡が始まる。
マンハッタンの空間には魔法動物が一杯飛びまわっている。

 売りは魔法動物(ファンタスティック・ビースト)のキュートさと野生さ凶暴性だが、青と緑の羽をもつスウイ―ピング・イーブルや身体の大きさを自由に変えられるオカミーなどは可愛いが、ニュートに纏わりつく小さいボウトラックルや怖い目に会うと透明になって逃げだすデミガイズなどには馴染めそうもない。
最初に出て来るモルモットに似たニフラーなどは可愛い方だ。

 アメリカ社会は「セイレムの魔女裁判」で有名のように魔法使いに厳しい。
魔法使いと普通の人間(ノー・マジ)との区別はしっかりと付けていてそのためにアメリカ魔法省はFBI的活動をしている。ノー・マジはノーマジックの略でイギリスではマグルと呼ばれる。

 NYは荒廃に帰すが魔法動物の所為では無く、元凶はヨーロッパを荒らしまわったグリーンデルワルドと言う魔法使い。
魔法省壊滅を目論む謎の組織を率いている。
映画ではその本性を垣間見させて印象付ける。

 これからのシリーズでニュートの天敵、悪役として大騒動を巻き起こすだろう。

実際ノー・マジたちは魔法使いの存在を嗅ぎ付け騒ぎ始める。

共演はコリン・ファーレル、サマンサ・モートン、ジョン・ボイトなど
監督は「ハリー・ポッター」シリーズ5作目から監督を務めてきたデビッド・イェーツ。
彼が監督した作品は「ハリポタ」シリーズの最高峰を飾った。
イエーツが基礎工事を終え続くシリーズを他の監督に任せていく戦術だろう。

 因みにタイトルになった「Fantastic Beasts and Where to Find Them」はニュート・スキャマンター著の指定教科書「幻の動物とその生息地」、70年後のホグワーツで使われている。

 ニュート・スキャマンダー演じるエディ・レッドメインは1982年生まれの34歳のイギリス人。名門イートン校で学び、ケンブリッジ公ウィリアム王子と同級生だったと言う。昨年の「博士と彼女のセオリー」でアカデミー主演男優賞を受賞している。このシリーズで人気は更に高まるだろう。

 魔法省捜査官ティナ・ゴ-ルドスタインのキャサリン・ウォーターストーンは36歳のアメリカ人。ポール・トーマス・アンダーソン監督の「インヒアレント・ヴァイス」(14)の主演で注目された。この役は彼女にとってプラム・ロールだ。

 今週水曜に日本で上映が開始するが、ハリポタを超えられるか興味津々だ。

 11月23日(祝)より丸の内ピカデリー他で公開される

「俺たち文化系プロレスDDT」(日本映画):新潟県のちっこいプロレス団体DDTが全国区になるスラプステッィック・コメデイ。

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 昨夜(21日)の外国特派員協会の映画上映会は笑いに包まれた。
司会のカレンがこの記者クラブには今までプロレスラーは3人しかいないと冒頭に宣言する。
「力道山とアントニオ猪木と今日、映画の監督主演を務めるマッスル・阪井さんです」。

 僕は熱烈なプロレスファンで力動山のTV(街頭か電気屋)はかかせなかった。
シャープ兄弟の責められハロルド坂田が危機に陥ると「空手チョップ」で反則ばかりの悪漢二人をリングの上でノシてしまう様を見ていると日頃のウサがぶっとんだ。

 圧巻は柔道チャンピオン、木村政彦との真剣勝負だった。木村が力道山の金的を蹴ったことで怒り心頭の力道は殴る蹴るの暴力三昧。木村は病院に担ぎ込まれその後再びハレの舞台には登場出来ない身体になっていた。
 
 この試合を見て考えた。そして物の本で勉強した。
プロレスというのは互いに「慣れ合い」の試合、観客を興奮させる展開だけを予め決めておいて派手に戦う。
 ヒール(悪役)を決めておいて散々反則技で善玉を苛め抜く。堪忍袋の緒が切れて(例えば)力動山の空手チョップがヒールの顔やクビに炸裂する。
そのパターンの繰り返しで真剣勝負で無い、言ってみれば「八百長」だと分かり高校に入る頃にはプロレスは見向きもしなくなった。

 だからマッスル阪井もDDT(Dramatic Dream Team)も知らないし、記者クラブに半裸姿で筋肉モリモリを誇示する黄金マスクの本人が現れパーソナル・コンピューターのパワーポイントで僕みたいの素人にDDTの由来や戦術、マーケティング(プロレスにマーケティングだぜ)更に現在のプロレス界の市場規模や全体像を紹介するに至っては何処かの大学の講座を受けているようだった。

 それにマッスル阪井の語り口の上手さは映画そのもの(詰らないレスリングマッチの記録)より、前提の説明の方が面白いと言う逆転現象。
バルト9での一般公開も上映前にこのスライドショウがあると言う。

 先ず自己紹介から笑わせる。
77年生まれの36歳、早稲田大学でシネマ研究会を経てDDTプロレス映像班に参加。
自身もプロレスラーとして活躍。
30歳で新潟県の実家の家業、金型精機の専務取締役で一旦は引退するものの、月に3回は試合を行うと。
試合前に見どころを会場大スクリーンにプレゼンする「煽りパワポ」が大人気となり固定ファンがつく。

マッスルによると日本プロレス界の市場規模は121億円。最大の団体は「新日本プロレス」で35億円を売り上げると言うから1/4以上のシェアを持つ大企業だ。
一方DDTは贔屓目でも5億がカスカスの中小企業。
マッスルの会社、坂井精機の年間売り上げと同じだと。

さて映画の方は1997年に旗揚げし、エンタメ色の強い文化系プロレス団体「文化系プロレス」を掲げる団体「DDTプロレスリング」。

 3年前の「劇場版プロレスキャノンボール2014」がそこそこ評判になったのに気を良くして劇場用作品第2弾。
異なる目的を抱えたままリングに上がる新潟在住のレスラーたちを追ったドキュメンタリー。
今年の東京国際映画祭スプラッシュ部門にも参加している。

 映画で問題としているのは2015年8月のDDT両国国技館大会のリングに上がった新日本プロレスのエースと言うか日本を代表するレスラー、棚橋弘至がDDTのエース・HARASHIMAを完膚なきまでに叩きのめし、その試合終了後に発した棚橋のコメントだ。

 同じプロレスを標榜して試合をするのだがDDTと新日本とはレべルや質、技が違い過ぎると。

 棚橋の侮辱的な爆弾発言により、DDTの選手たちやそのファン、そしてHARASHIMA本人たちに生まれた憤怒と言うか、どうせ敵わないと言うモヤモヤとした感情を解消すべく、男色ディーノとマッスル坂井が極秘裏に準備を進めていたのが棚橋とHARASHIMAの再戦だった。

 ここで再びマッスルのプレゼンテーション。
「ランチェスター戦略」を用いようではないか。
僕らも現役時代に教科書にした懐かしい用語だ。
先ず弱点を見つけそこを徹底的に攻め「点」を確保し、更にもう一つの「点」を攻め二つの点を結ぶ「線」を、そして何本かの線で囲む平面を占領し敵を撃破すると言う戦場での戦略だ。

 棚橋の弱点の研究から始まる戦術会議は面白いが、棚橋は当然DDTナンバー1のHARASHIMAが再登場すると思いきや、DDTでも最弱の大家をぶつける。
 敵の思惑を最初から破るのがランチェスター戦略なのだとマッスルは言う。

シリアスな試合らしき画像はあるが、基本的には、これはスラプステッィック喜劇。
記者クラブの観客がこれほど笑ったのをはじめて見た。

 作品の完成度とか質なんて問題じゃない。どれだけ観客をエンタテインするかが映画の生命線ならばそれをクリアしている。
ただし映画そのものよりマッスル坂井のパワーポイントのプレゼンテーションがあってはじめて成り立つ。

11月26日より新宿バルト9にて公開される。この手の具にもつかない作品が一流の小屋で上映されることがイベントなのだ。

「ドント・ブリーズ」(DON’T BREATH)(アメリカ映画):30万ドルの大金を地下金庫に隠す盲目の老人宅へ強盗目的の若者3人が真夜中に忍び込むが。。。。

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盲目の被害者に迫る殺人鬼と言うパターンの映画は多い。
オードリー・ヘップバーンの盲の女性のサスペンス「暗くなるまで待って」は怖いえいがだった。陽が落ちてしまえば暗闇では優位に立つ。

マデリーン・ストウ主演の「瞳が忘れない/ブリンク」は角膜移植手術を受けたばかりの盲目の女性が、殺人鬼につけねらわれるサスペンスもおもしろかった。

座頭市の焼き直しの「ブラインド・フューリー」はルトガーハウワーの主人公は盲目で、サーベルを仕込んだ刀を武器としている元ベトナム帰還兵。友人救うために麻薬組織と戦いを挑み銃を相手に暗闇で麻薬カルテルを絶滅する。

日本映画でも「暗いところで待ち合わせ」は全盲の女性(田中麗奈)の家に殺人犯が逃げ込み気付かれないように潜む。

共通して言えることは盲目の主人公は善人で侵入者に恐怖に晒される被害者だが、この映画では盲の老人が何と侵入して来た若者3人の加害者になると言う逆転現象で観客の興味をひきヒットした。

「お前たちの見えない物を俺には見える」の脅し文句は効く。居所が分かってしまうから「息を潜める」(DON’T BREATH)と言う平凡な原題が明瞭だ。

実際、アメリカでは夏の大作が立て込む8月27日から公開され、3週連続首位の「スーサイド・スクアド」を蹴落として新たに首位に立った。
成人指定の限定Rレイト・ホラースリラーにも関わらずこの作品は3051館で上映され26.1M(29億円)の
興行成績(BO)でチャートの首位に躍り出た。

制作費は10M(11億円)を切る超低予算でBOトップとは、関係者は予想以上の成果に大喜び。
観客の出口調査シネマスコア(CS)ではB+評価とホラー映画では異常な高評価だ。

「The Shallows」とか「Sausage Party」など低予算映画が立て続けにヒットして、親会社ソニーと共に台所事情の苦しいソニー・ピクチャーを潤している。

舞台は自動車産業が不振で荒廃の街デトロイト。
生活能力がなく養育放棄のだらしない両親と暮らす不良少女ロッキー(ジジェーン・レヴィ)はここから抜け出そうと妹に約束していたが、そのために必要な逃走資金を得るあてはなかった。

ボーイフレンドのマニー(ダニエル・ゾヴァット)から地下室の金庫に大金を持っているらしい盲目の老人宅への強盗を持ちかけられる。

老人はアフガニスタンで戦い両目を爆弾の破片で失っている。
更に可愛がっていた娘、シンディを交通事故で亡くしてしまう。
大金は事故の補償額30万ドルだと言う。

 こんな可哀想な年寄りを襲うなんて飛んでも無い若者たちではないか。
映画の観客は最初から盲の老人の味方だった。

ロッキーはマニーと友人のアレックス(ディラン・ミネット)を誘う。
ロッキーは成功すれば恋人のマニーが居なくなるので余り乗り気では無い。
アレックスは刺激を求めて面白いからやろうと野次馬根性。

 この3人で真夜中に隣家から1ブロック離れた一軒家のセキュリティシステムを解除し
番犬、ロットワイラーを眠らせ盲目の男性の屋敷に押し入る。

そこで彼らを待ち受けていた老人は只者ではない。
実はこの盲目の年寄り(ステファン・ラング)が目は見えないが超人的聴覚を用いて自宅への侵入者を仕留めていくサイコキラーだと知る。

 「お前たちの見えないものは、俺には見えるんだ」
明かりを消され屋敷に閉じ込められた若者たちは、息を殺して脱出を図るが拳銃を正確にぶっ放されて逃げ惑い、扉が開いていた地下室に逃げ込む。

地下は電気がついていて3人の若者が見たものは鎖で椅子に縛られ宙に吊るされた若い女性。
老人が降りて来る。
「この女が俺の娘、シンディを殺した。子どもを取り返すのだ」と訳の分からないことを言う。
しかしよく見ると女は妊娠している。老人の子どもだ。
パニクッた3人に斧と鉄棒で襲い掛かる盲目の老人。

 怖いねえ!
被害者が180度回転して加害者、それもサイコパスなんだから。
マニーが尖った鉄棒でやられ、アレックスも鈍器で殴られ息を引き取る。
ロッキーは隙を見て、老人を昏倒させ辛うじて外へ出たところに黒い大型犬、ロットワイラーが追いかけて来る。
逃げ込んだ車のカギが見つからない。
ガラス越しに吠えまくる黒い大型犬。そこへ老人も駆けつける。

強盗計画を立てた若者3人が、裕福な盲目の老人の豪邸に忍び込んだために、身も凍るほど恐ろしい一夜を体験する様を描く。

恐怖映画の巨匠サム・ライミが生み出した名作ホラーをリメイクした「死霊のはらわた」(EVIL DEAD)(03)で注目を集めたフェデ・アルバレスが監督13年振りの2度目の
監督と脚本を務め、ライミがプロデュースを手がけている。

 アルバレスとロド・サヤゲスの共同脚本がしっかりと書き込まれており、納得性のある展開に観客を恐怖のどん底に叩き込む。

 主演の老人は「アヴァター」などのスティーブン・ラング。暗闇でのサイコキラーの芝居は禍々しい。
リメイク版「死霊のはらわた」などのジェーン・レヴィが仕掛け人ロッキーを、面白いからと強盗に加わる若者、アレックスを「プリズナーズ」などのディラン・ミネットらが共演する。

 12月16日よりTOHOシネマズみゆき座他で公開される。

「エリザのために」(BACCALAUREAT)(ルーマニア・フランス・ベルギー映画):ベテラン医師、ロメオの1人娘エリザは卒業試験直前に暴漢に襲われ心理的ショックで試験に影響し始める

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「親の心、子知らず」なのか「子の心、親知らず」なのか、愛する娘「エリザのために」良かれ、とやっていることが全て裏目に出る父親の悲劇は複雑に絡み奥深い。

監督・脚本・製作を務めたのは、ルーマニア出身の映画監督クリスティアン・ムンジウ。
2007年の第60回カンヌ映画祭では、チャウシェスク政権下のルーマニアを舞台に、違法な中絶をのぞむ女子学生とそれを手助けしようとするルームメイトの辛く長い一日を描いた衝撃作「4ヶ月、3週と2日」で最高賞パルム・ドールを受賞し、世界的にその名を知らしめた鬼才だ。

 タイトルロールのエリザは、高校卒業とイギリス留学を間近に控えながら暴漢(レイピスト)に襲われ精神的に大きな傷を抱えてしまった少女と、そのエリザの将来のために彼女の進学を成功させようと裏で奔走する父親のロメオ。

父親、ロメオの裏工作を知り反発するエリザ、コネを頼りに奔走の末、検察官による捜査と悪くすれば訴追の怖れが迫って来る。
映画作家になる前に教師・ジャーナリストとして働いた経験を持つムンジウは、そんな父娘の複雑な心理と関係性を学校での「卒業」(原題)をきっかけとするエリザの将来をテーマに繊細に描き出した。

驚くのはルーマニアと言う国はコネと賄賂で何とでもなる可能性があると言うことだ。
明らかに監督のクリスティアン・ムンジウは故国ルーマニアとその社会を嫌っている。

映画の中でもロメオ夫妻は2001年に故国に戻って来たがそれを悔いて、娘がイギリスに留学するならロンドンに移住したいと考えている。

なおこの作品は2016年5月の第69回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門にて監督賞を受賞している。
2013年の第65回カンヌ映画で「汚れなき祈り」が女優賞&脚本賞のW受賞をしているが、ムンジウはカンヌ映画祭で3度目の受賞となった。

 50歳になる医師ロメオ・アルディア(アドリアン・ティティエニ)には、イギリス留学を控える娘エリザ(マリア・ドラガス)がいる。
ロメオには高校の英語教師をしている愛人、サンドラ(マイナ・マノヴィッチ)を愛していて、家庭は決してうまくいっているとは言えない。
妻、マグダ(リナ・ブグナル)はとっくに気づいているようだ。娘の父親への反発は母親からそのことを知らされたかもしれない。

ある朝、娘が登校途中に暴漢に襲われてしまう。
校門の前まで送らなかった非がロメオにはある。彼はサンドラと朝の約束をしていたのだ。

右手にケガを負うだけで大事には至らなかったが、エリザの心理的な動揺は大きく、ケンブリッジ大学への留学を決める最終試験に影響を及ぼしそうだ。
エリザは名門大学への入学もさることながら、両親と同様にルーマニアが嫌いで早く出国したいと言うのが動機だ。

「4ヶ月、3週と2日」もそうだが、監督、ムンジウは故国が好きでない。
こんなに映画の中でルーマニアは嫌われているのにルーマニア大使館後援とは驚きだ。映画で描かれている世界は既に過去のものとなっているのだろうか?

ロメオは娘の留学をかなえるべく、警察署長(ヴラド・イヴァノフ)、副市長ブライ(ペトレ・チュポタル)そして試験監督とツテをたより点数をひそかに上げる策略に走り回る。

その条件は(署長が示唆するのは)ブライの腎臓の生態移植の順番を繰り上げることを交換に、ブライの下にいる教育長に命令して試験に手心を加えてもらおうと言うものだ。

教育長は簡単に引き受ける。試験問題の設問説明文の最後の行を横線を引き消せば娘と分かり2点底上げすると言うものだ。
エリザ自身は優秀な既に成績をとっているので2点あれば言うことなしだ。

しかし肝心の娘には反発され、更に重篤な腎臓病が悪化して入院させている副市長の汚職を追及する検事官の捜査がロメオに迫っている。

主役のロメオを演じるアドリアン・ティティエニは53歳のベテラン男優で映画は50本以上出演していると言うが日本に紹介されていないので馴染みが無い。がっちりした体躯で説得力のある内科医は適役だが、娘と妻の女性陣には弱いキャラを好演している。

娘のエリザ役はマリア・ドラグシ、22歳。父がルーマニア人で母親がドイツ人でドイツで育ち教育を受ける。パルム・ドール受賞のM・ハケネ監督「白いリボン」で脇ながら聖職者の娘を演じて注目される。
がっちりして小太りの父親ロメオと好対照に楚々としたブロンド美人だ。

 監督・脚本・製作はルーマニアを代表する48歳の巨匠、クリスティアン・ムンジウ。「4ヶ月、3週と2日」「汚れなき祈り」など送り出す作品は次々と高い評価を得ている。

1月28日よりヒューマントラスト有楽町他で上映され

「ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男」(Free State of Jones )(アメリカ映画):南北戦争中に南軍逃走兵や黒人奴隷を束ねて南軍と戦った自由を目指す闘士、ニュートン・ナイトの実録

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こんなエピソードを聞いたことが無いが、アメリカ南北戦争の真っ最中の1863年、およそ150年ほど昔、ミシシッピー州ジョーンズ郡から徴兵され衛生兵として戦っていた一兵士が、黒人奴隷を沢山抱える大農園主には兵役免除の特権があることを知って怒りだしたと言うのだ。

僕は、NYに長らく住んでいたが南部のミシシッピ―州とアラバマ州へ行くと今でも黒人差別を肌で感じる。

 映画「ミシシッピー・バーニング」や「ドライビング・ミス・デイジー」で人種差別、黒人蔑視、KKK団の暗躍など、ドナルド・トランプは気にも留めないだろうが名南部のこれらの州は大都会とは異質の世界だ。

 この映画のテーマの一つに主人公、ニュートン・ナイトの曾孫、デイビス・ナイト(ブライアン・リー・フランクリン)が有色人種にも関わらず白人の妻と結婚した罪で懲役5年の刑の判決を受ける。1985年、30年前のことだ。有色人種と言ってもデイビスはどう見ても白人だ。しかし85年前にニュートンが黒人と結婚してできた子どもが1/2,孫は1/4,曾孫は1/8黒人の血が入っていることは事実だ。だから黒人だと。このように黒人の血が一滴でも混じると白人と認めない。ナチと同じ主張だ。

 映画は1861年に始まった南北戦争で、南軍に徴兵されたニュートンが宗教的な理由で銃をとることを拒否し看護兵として従軍している。
そこへニュートンを父のように慕う甥ダニエル(ジェイコブ)・ロフランド)が訪ねて来る。彼も徴兵されていたが叔父と一緒に戦いたいと戦場へ来たとたん、胸を撃たれて戦死。
死んだ甥の遺体をロバに積んで故郷のミシシッピー州ジョーンズ郡に届けようと、南部軍を脱走したニュートン・ナイト

 久し振りの故郷で妻セリーナ(ケリー・ラッセル)と幼い息子に出会う。家の麦や玉蜀黍の積み込んだ納屋は空っぽ、牛豚の家畜も南部軍から徴集されている。近所の農民たちも同じ憂き目に。ニュートンは貧しい農民から食糧を奪う軍が許せない、小隊長、バーバー中尉(ビル・ダングレイディ)と小隊に銃を突きつけ追い返す。

 お尋ね者として追われる身となるニュートンに南軍を脱走した白人や黒人が集まる。医術を身に付けインテリの黒人、レイチェル(ググ・ンバータ=ロー)の案内でを一行は湿原に身を隠す。目の前に大きな沼が広がるので騎馬隊は攻め込めない。
脱走兵ばかりでなく黒人逃亡奴隷たちとも友情を築いたナイトは、白人と黒人がひとつになった反乱軍を結成する。

「20人の黒人奴隷がいれば兵役免除、40人いれば2人免除」と言う法律があることを知りニュートンは怒り心頭に発する。
結局、戦争は南部の大プランテーションの金持ちの農園主のために戦い貧乏な白人と奴隷黒人が犠牲になっているのだ。ここでニュートンは自由のために立ち上がり、自分の故郷ジョーンズ郡を中心に
 
 「ジョーンズ・自由州」を宣言し南軍に対してゲリラ戦法で対抗する。
北軍が味方かと思いきや胡乱臭い群衆は相手にされない。孤立無援でエリアス・フッド大佐(トーマス・フランシス・マーフィ)率いる1万の大部隊を200人が迎え討とうというものだ。
血湧き肉躍る戦闘は画面では描かれない。

 中途半端なまま、ミッシッピー州法とニュートン一派の争い、それが選挙の違法投票とか、ニュートン腹心の奴隷だった部下、モーゼス(マハーシャラ・アリ)一家4人へのリンチと言うエピソードなどで散見されるだけだ。
 アクション映画を期待していた観客には拍子抜けだが、本題は85年後の現代にまで継続されるミシシッピー州の悪法を巡る裁判に飛ぶ。

 判決から2年後の1987年に人種間結婚の禁止法はようやく撤廃された。そしてようやく1995年になって、南北戦争終結後の1865年に奴隷制度を廃止したアメリカ合衆国憲法修正第13条を象徴的に批准した。

 日本人の観客には余り興味は無いが如何にアラバマやミシシッピーが遅れているかが分かる。

 主人公のニュートンには「インターステラー」「ダラス・バイヤーズクラブ」のマシュー・マコノヒーが演じる。オスカー受賞の役者は流石に上手い。
アメリカ南北戦争時代、エイブラハム・リンカーン大統領の奴隷解放宣言よりも早く、白人と黒人が平等に生きる「自由州」を設立した実在の男性ニュートン・ナイトだが、必ずしも人格的にロビンフッド的な正義の味方では無かったようで賛否両論が歴史書に見られる。

 監督・脚本は「シービスケット」「ハンガー・ゲーム」のゲイリー・ロス。本来は脚本家が本職だが監督では余り手際が良くない。2時間20分の長尺は流石後半はダレる。

 セリーナと言う妻がいることを知りながらニュートンと一緒になる奴隷女、レイチェルを演じるのはイギリス出身の若手注目女優ググ・バサ=ロー。デイビスが裁判所で1/8黒人だから白人と結婚は違法とされるのはレイチェルが祖母だからだ。
 南アフリカ人医師の父とイギリス人看護婦の母を持つ彼女は、王立演劇学校を卒業後、テレビ、映画など様々なメディアで活躍しているが日本では初お目見えだ

 2月4日より新宿武蔵野館他で公開される

「ニーゼと光のアトリエ」(NISE-THE HEART OF MADNESS)(ブラジル映画):精神病患者の人間性や尊厳を重んじる新任の女性医師、ニーゼの行く手を阻む差別的保守頑迷のブラジル社会

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僕らの精神病院の閉鎖病棟のイメージと言えば暗い部屋・鉄格子の独房・奇声を上げる患者。

精神病患者と言うか今は統合失調症と言う方が分かりやすい。

この映画の舞台は1944年と言うから第二次大戦中だが南米ブラジルには戦火は及んでいない。解放病棟だが患者は少し暴れれば鉄格子の独房に放り込まれる。

ソ連や中国など(ばかりではないが)は政治犯を精神病院へ送り込み幽閉したと言う記録もある。日本ではそんなことは無いが精神病患者数は350万人を数えると言うからもっと注目をしても良い。
 
この映画で描かれる精神病院ではショック療法が当たり前とされ、精神病院が患者を人間扱いしていなかった時代に画期的な改革、それは療法にしても患者の扱いにしても人間の尊厳を重要視し、そして自身に及ぶ女性差別の男性社会に挑んだ女性精神科医ニーゼの苦闘と奮闘を描いている。


1944年のブラジル、リオデジャネイロ。統合失調症の患者の前頭葉の一部を切除するロボトミー手術や電気ショック療法などと言う非人間性の治療法が一般的だったペデロ二世・精神病院で働くことになった医師のニーゼ(グロリア・ピレス)。
患者に対するショック療法など、暴力的な治療が日常茶飯事になっている現実を目の当たりにし衝撃を受ける。
ある医師などは「アイスピック」を手に取り、これで前頭葉に穴を開ける、世界で一番廉価なセラピーだと豪語するのには、ニーゼはもちろんのこと観客も呆気にとられる。

周りを見ても男性医師ばかりで女性ということで医師としての資質も認めない病院で身の置き場も少ないニーゼだった。

そこで志望して与えられた職場は「作業療法室」(Physical Therapy)の責任者。男性と女性の看護師が2人で運営され専門の医師はいない。
納屋のように雑然と物が放り込まれた汚い部屋の掃除と整頓から始める。綺麗になった部屋へ続々と患者は来るが誰もニーナの言うことを聞かない。
男の看護師リマは大声を上げて患者を怒鳴り付け命令に従うように言う。ニーナはリマを制し患者のやりたいようにさせる。

拘束されたり前時代的療法を強制されて来た患者を病院の強権的支配から解放するのが治療法の第一歩だと信じるニーナは、庭でボール蹴りで楽しませ、部屋へ呼び込んだ患者たちに絵の具と筆を与え真っ白なキャンバスに何でも描かせる。

患者たちの心を解き放ち自由に表現する絵画などの芸術療法を取り入れた場を与えようと、部屋はいつの間にかアトリエになっている。

ここに至るまでの道のりや努力が丹念に描かれる。
今では当たり前のセラピーだが頑迷固陋な男性医師たちの目から見ればニーナは医師の本分を離脱する異端の魔女だ。

ニーナは内科医の夫からプレゼントされたユングの著作から「精神は肉体と同様に自己治癒能力持っている」と言う理論が自分の実践しようとしている「作業療法」と合致することで意を強くする。
患者が回復し正常に戻ってくれば勝者は自ずから分かって来る。ペデロ二世・精神病院でニーゼは自分の立ち位置を確保していく。

これまで腫れ物を触るように患者と接してきた医師看護師などの病院関係者が、自然と患者を大切な友人として接するようになる過程は感動的だ。



主人公ニーゼ役は、ブラジルの名女優グロリア・ピレス。と言っても馴染みのない顔で美人ではない53歳。眼光鋭いダークな短髪が似合うインテリの容姿。男だけの閉鎖社会にあって、保守頑迷セラピーでないがしろにされた精神病患者の人間の尊厳を重んじる強い意志と信念の十国力を発揮する頑固な女性医師を熱演する。

監督・脚本はドキュメンタリーやCM短編映画を経て劇場用長編に手をつけこれが2作目のホベルト・ベリネール。実話の映画化だけにドキュメンタリータッチの画面は迫力がある。。

ブラジルを除いてアメリカでは未だ公開されてはいない。
15年の第28回東京国際映画祭(TIFF)の最高賞である「東京グランプ」受賞作であり、主演女優のグロリア・ピレスも最優秀女優賞を受賞。

日本で見出された映画だが世界で通用するかどうか?TIFFで栄誉を勝ち取って2年経ち日本でもようやく公開に漕ぎつけた状況だが、真面目すぎて商業性は乏しい。

12月7日より渋谷ユーロスペースにて公開される

「聖の青春」(日本映画):「命を賭して」羽生善治と勝負を挑んだ天才村山聖。頂点まであと一歩の29歳で夭折する若き棋士の無念さ。

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いつもだったらガラガラの丸の内ピカデリー2の昨日(26日)、午後1時55分の回。
通路の傍でスクリーン迄中ごろの、好きな席は埋まってはいたが、7割の入りとは公開されて1週間目にしては成績が良い。

上位を占めるのは子供向けのアニメばかりの邦画で、じっくりと人間ドラマを味合わせてくれる作品に堪能する。
それも頂上まで一歩届かず夭折した天才棋士、村山聖の実話となれば大人向けの悲劇として興味が湧く。

このところ映画ではなくNHKTVで繰り返し放映されている第47回(1997年度)NHK杯戦決勝(対局日は1998年2月28日)のエピソードは、この映画のハイライトで羽生善治の村山聖との最後の対戦となった。
最終盤、後2手で村山が勝利と観戦者の誰でも思った瞬間、気が狂ったように悪手(68手目△7六角)を指し、急転直下で3手後に村山の投了となった。
羽生善治は4度目の優勝。
これで、二人の通算対戦成績は羽生の7勝6敗となった。そして5か月後の1998年8月8日に村山が死去する。

 映画の冒頭1994年、大阪。路上に倒れていたひとりの青年が、通りかかった男の手を借りて関西将棋会館の対局室に向かっていく。

 青年の名は村山聖(さとし)、演じるは松山ケンイチ。当時七段、「西の怪童」と呼ばれる新世代のプロ棋士だ。

 聖は幼少時より「ネフローゼ」という腎臓の難病を患っており、無理のきかない自らの重い身体と闘いながら、将棋界最高峰のタイトル「名人」を目指して快進撃を続けてきた。
村山聖に扮する松山ケンイチは、最初は松山か誰か分からない。それ程太っていて(21キロ体重を増やしたと言う)
長髪、将棋しか考えない傍若無人のふてぶてしさ。酒を飲みながら同僚の棋士に「お前に勝っても単なる1勝だ。羽生に勝てば20勝の価値がある」と嘯いて喧嘩になる。

そんな聖の目標で彼の前に立ちはだかったのは、将棋界に旋風を巻き起こしていた同世代の天才棋士・羽生善治(東出昌大)。
すでに新名人となっていた羽生との初めての対局で、聖は必死に食らいついたものの、結局負けてしまう。
「西の村山、東の羽生」と20代の同世代の若者は研を競っていたのだ。

「先生。僕、東京行きます」
先生とは「冴えんなあ」が口癖の師匠・森信雄(リリー・フランキー)だ。
聖は15歳の頃から森に弟子入りし、自分の存在を柔らかく受け入れてくれる師匠を親同然に慕っていた。

 どうしても羽生の側で将棋を指したいと思った聖は上京を希望したいと森に相談を持ちかける。
持病に問題を抱える聖の上京を家族や仲間は反対するが、将棋に人生の全てを懸けてきた聖を心底理解している森は、彼の背中を押した。

 森は師匠と言っても将棋は強く無いが人間味溢れ村山を心から愛し理解する大人、その森をリリー・フランキーは好演する。リリーあっての松村の聖だが浮かびあがる。

 東京のアパート。ボサボサの髪や無精な爪は伸び放題、本やCDやゴミ袋で足の踏み場もなく散らかった部屋。麺は東京は柔らかすぎて不味い。牛丼なら「吉野屋」が一番、生卵とみそ汁をつけて、と拘りも面白い。

 酒癖は悪く本音を吐いて先輩たちにも食ってかかる聖に皆は呆れるが、同時にその強烈な個性と純粋さに魅了され、いつしか聖の周りには彼の情熱を支えてくれる仲間たちが集まっていた。

 その頃、羽生善治が前人未到のタイトル七冠を達成する。
聖はさらに強く羽生を意識し、ライバルでありながら憧れの想いも抱く。
そして一層将棋に没頭し、並み居る上位の先輩棋士たちを次々と下して、A級入りし、いよいよ羽生との対戦権を獲得し射程圏内に収めるようになる。

 そんな折、聖の身体に癌が見つかった。膀胱と前立腺にレベル3bの腫瘍がMRIに見える。
両親と師匠森の前でこの医師との会話が凄絶だ。

 膀胱と前立腺の全摘の手術を勧められる。
手術をすると3カ月は絶対安静で1年は対局を諦めなければなければならないと聞くと憤然と
「皆に取り残されてしまう」から手術は嫌だと頭から拒否。

「このまま将棋を指し続けると3カ月で確実に死ぬ」と医者は真剣に忠告する。手術で全身麻酔をかけられると脳に負担がかかり知力が衰えるから麻酔無しなら受けると聖。豚や馬でもあるまいし、とこの会話が悲愴だが笑える。

 全摘手術を聖は聞き入れず、将棋を指し続けると決意。
「命よりも将棋が大事」ともう少しで名人への夢に手が届くところまで来ていることを主張する。
彼の命の期限は刻一刻と迫っていたのだ。

 5歳の幼い時から重い腎臓病(ネピローゼ)で余命の短さを覚悟し、勝負に総てを懸けて29歳の生涯を駆け抜けた天才棋士、村山聖の実録映画は見るものを圧倒しスクリーンに引き込む。
 
 彼のつかの間の将棋人生の伝記を描く大崎善生のノンフィクションを原作に、森義隆が監督して映画化したもの。

 村山の逸話は知らなかったがこれは素晴らしい文字通り「命を賭けた」名勝負物語の佳作だ。
広島から大阪へ出て、15歳の頃から弟子入りして息子の病気を悲しむ母に代わる面倒見の良い師匠、森信雄に背中を押され、同世代の天才棋士、羽生善治に初めての対局で負けたのを機に名人位を目指して上京したのだ。

 思考が鈍るのを恐れて末期がんの手術を麻酔なしなら受けると言い張る聖。「勝つ」「悔しい」ただそれだけの将棋人生に総てを賭す。
 
 このNHK杯の対局で聖は衝撃の敗北を喫してB級に転落。その後は5戦全勝しA級に返り咲く。
羽生との再戦の5カ月後、A級で再び羽生と戦うことを願いながら両親に見守られて逝く。

 聖が羽生を破ったNHK杯の後二人だけで深夜の居酒屋でビールを飲むシーンが良い。
聖の好きなものは少女漫画、勝負事は競馬、麻雀なんでも来い。美人と結婚したい、羽生さんみたいに。
羽生は将棋以外の勝負事はチェスだけ。全く住む世界が違う聖と羽生。共通なのは将棋の盤の勝負だけだ。

「もっと生きたい。こんな身体で産んでくれた神様が憎い、だが神様はこんな身体にしなかったなら自分は将棋を指さなかった。
自分の望みは生きている内に王将位を獲得し、綺麗な女性と結婚したい」
(羽生の妻はNHK連続ドラマの主演だった美人の黒田理恵)

「羽生さんあんたの望みは?」
「ともかく今日は負けたことが悔しい。死ぬほど悔しい」。
羽生の見る海は「独自の海の底まで潜ったら何が見えるだろうか?でも聖さん、あんたと一緒に潜りたい」

いつもはチンピラ役で殴り合いアクションが得意な東出昌大が眼鏡を光らせインテリの羽生善治を好演している。

久しぶりに邦画で涙が零れる人間ドラマに遭遇し満足して劇場を出る。

丸の内ピカデリー他で公開中。

「ミューズ・アカデミー」(La academia de las musas)(スペイン映画):スペイン・バルセロナ大学のピント哲学教授は現代の女神(ミューズ)論を粛々と展開し満足気に教室を出た所で嫉妬

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諸田玲子の「梅もどき」(KADOKAWA:2016年10月刊)は時代に埋もれている女性、女性は政治の道具として扱われていた戦乱の時代のヒロインを掘り起こして主人公にするのが得意の諸田らしい作品。
数奇な運命から逃げずに戦った一人の女性の生涯を描く大河小説。
370頁を超える長尺は丁寧な語り口でゆっくりと展開するので読了するのに時間がかかる。

ヒロインは豊臣家と徳川家の両方に血縁を持つ青木家の一人娘、梅。
父親の青木紀伊守一躯は秀吉の従妹。」徳川家康の母、於大は梅を可愛がり梅は家康の側室になる。
「内府様の側妾になるなど。。。死んだ方がましです」
父青木勘七は関ケ原の戦いで西軍につき敗北。

そんなある日病床に伏す於大の傍で薬研で薬を作っている老人に出会う。町医者だとばかり思っていたが徳川家康だった。その素朴な質素で控えめな姿に好感を抱くお梅。

だがお梅は家康の寵臣である本多弥八郎の凛々しい姿に一目ぼれ。忘れられない存在となる。後に添い遂げて弥八郎の波乱万丈の生涯に付き添うことになるのだが。

諸田はあとがきで自分の小説に向かう態度について述べている
「歴史小説を書く際に私が好んで女性を主人公にするのはあまりに女性が過小評価されていると感じるからです。中略
女性についてまわる偏見と蔑視には見逃せないものがあります。この主人公お梅も,本多正純や宇都宮事件の研究書の類では全く無視されているか、下賜された妻と言うイメージからでしょうか、好色な想像ばかりが捏造されているかのいずれかしかないことに悲憤を感じざるをえませんでした」
お梅は本多正純(弥八郎)とこの時代を語る上に欠かせないキーパーソンだと言うのにだ。


 小太りの初老の前頭部が禿げ上がった男がずり落ちる眼鏡を指で押さえながら男女の大学生たちを相手に階段式の大教室で講義を行っている。
スペイン・マドリッドのバロセルナ大学を舞台に、実在するイタリア人教授ラファエロ・ピント教授が、ダンテの「神曲」における女神の役割をきっかけに、現代におけるミューズ(女神)像を探る講義を行なっているシーンが長々と続く。これが結構面白い。成るほどと頷きながら傾聴する。

 騎士ランスロットとアーサー王妃・グィネヴィアの不義の恋。ギリシャ神話からアポロンとダフネ。オルフェウスとエウリディケ、そして声を禁じられたニンフのエコーと美しい青年ナルキッソスとの恋など古今東西の古典の中からミューズを求める恋人たちのエピソードを披歴する。

 その博学さに聞き惚れる。そしてこれはピント教授の純粋の授業。
フィクションとドキュメンタリーの境目をあいまいにしていくゲリン監督独特の手法で密度の濃い授業を前半に持って来るが、ここまではドキュメンタリーの分野。

 高尚な文学や芸術を語る講義で教授と学生たちの議論は果てなく続き、やがて教室を一歩出たところで嫉妬に狂った妻が待ち受け予期せぬ方向へと向かっていく。
帰路についた教授は校庭で妻と出会う。そしてそこから嫉妬を交えた激しい口論になる。
初めて人間ドラマらしくなって来る。
講義の抽象的なミューズ(女神)論は長すぎて退屈になったところで観客はこの展開を歓迎する。

イタリアへ講演に行った時に女子学生と一緒だったことが妻にバレているのだ。
偉そうに「ミューズ論」を説いても本性は単なるスケベ親父だったのか?

「シルビアのいる街で」などのホセ・ルイス・ゲリン監督が、フィクションとドキュメンタリーを融合させたような独自のスタイルで撮り上げているので普通の映画と違う。
俳優ではなくて、実在のバルセロナ大学の哲学科教授・ラファエル・ピントが登場し、文学や芸術をひもとき、時に学生たちと熱い議論を戦わせながら現代のミューズ像をテーマにした授業が繰り広げられる。

撮影も兼任するホセ・ルイス・ゲリンによる映像美と、ユーモラスでエロチックな展開に引き込まれる。


このホセ・ルイス・ゲリン監督は映像作家として、フィクションとノンフィクションの境界で、物語とドラマツルギーの新しい形式を模索していると言う。
ワークショップや大学、映画学校などの講師として、世界各地から招聘されている。

そして昨年、2015年・第28回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門でも上映された。

 2017年1月7日より東京写真美術館ホールにて公開される

「モンスターストライク はじまりの場所へ」(日本映画):小学生、レンたち3人は研究所の大人たちの陰謀から逃れ、見つけたドラゴンを元の世界へ返す旅に出る。

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 オーストラリア生まれの作家、マイケル・ロボサムのスリラー「生か死か」(LIFE OR DEATH)(ハヤカワ・ポケット・ミステリー:2016年9月刊)に圧倒された。
舞台はロボサムの生まれ故郷とは関係ない、アメリカの南部テキサス。
 11年前、ヒューストンでの現金輸送車が襲撃された事件で保安官と襲撃犯たちと銃の撃ち合いとなり4人が死亡し700万ドルが行方不明になる。

襲撃事件の共犯として10年の刑に服していたのが主人公、オーディ・パーマー。頭を撃たれ意識不明の重体で警察の聴取も出来ない。
3年後に奇跡的に意識を取り戻し証拠不十分ながら10年の懲役刑の判決。
 
ピッツバーグのスリー・リバーズ刑務所で服役中、受刑囚や看守などからどんなに脅かされ痛めつけられても大金の在りかを漏らすことはなかった。

10年の収監期間が過ぎ、明日は晴れて釈放と言う前夜、オーディオは突如脱獄する。1日待てば自由になれるし隠してある大金も使い放題なのに脱獄で捕まると20年の刑が加算される。

何故、1日前にオーディオ・パーマーは脱獄しなければならなかったか?
その動機と裏にFBIやテキサス州警察、ヒューストンの保安官事務所、裁判の時の検事など多くの人物たちの間で複雑に隠されている恐るべき陰謀とそれに巻き込まれた主人公の悲劇を抉り、オーディオの人生を変えた秘めたロマンスを明らかにしていく。

この作品でイギリス推理作家協会賞の「ゴールド・ダガー」を授与された。
久しぶりに謎だらけの興味深いスリラーに興奮する。


ゲームを基にしたアニメは僕が一番苦手とするところだ。原作のコミックを見ていないし、TVゲームなどやったことが無い。

試写状が来るので「ポケモン」「マリオブラザーズ」「妖怪ウォッチ」「バイオハザード」(ようやく終章を迎える)など手あたり次第に見ているがピンと来ない。

 しかしこの「モンスト」は、最近見た「ハリポタ」のスピン・オフ「ファンタジー・ビースト」が面白く羽根が両脇にある巨大なドラゴンなど魔法獣に通じるところがあるので親しみを感じる。
東京近郊に暮らす小学4年生。
「モンスト」の開発に協力する焔レン(ほむら・れん)(声:坂本 真)は仲間を引っ張る活発さがあるけれど、チームワークは苦手。

放課後に町外れの研究所で、「モンスト」と呼ばれる秘密の実験に参加している。母親と妹の三人暮らしで、3年前に旅に出た父親の帰りを待っている。

レンに協力する同級生の水澤葵(声:Lynn)と若葉皆実(声:木村珠莉)の3人のチームメイトはある日研究所の地下で、現実世界にいるはずのない巨大なドラゴンを目撃する。
キャラは小学生には見えない。
どちらかと言うと宝塚の男役っぽいがキュートで馴染みやすい。皆、チャーミングで瞳が大きくキラキラ光っている。

レンたち3人は研究所の大人たちの何やら知れない陰謀から逃れ、見つけたドラゴンを元の世界へ返す旅に出る。

これも魔法獣を解きはなつ魔法動物学者のニュート・スキャマンターと同じフィロソフィーだ。巨大鳥フランクをアリゾナの荒野に放つために旅をした。
旅の目的地は、考古学者であるレンの父が失踪した場所でもあった。
父の背中を追い求めるレンは、仲間と口論しぶつかりながらも、自分が一人ではないことに気づきはじめる。
友情とは本気で相手に本音をぶっつけ合うことで生まれるのだ。
「We are not alone」は普遍的テーマだ。

目的地の「はじまりの場所」へたどりついたときに明らかになるのは、世界を脅かす強大な敵に向かうには互いの絆を信じて「モンスト」で戦うのだと。

原作は2013年にリリースされた人気ゲームアプリ「モンスターストライク」の劇場用アニメーション。
15年10月にYouTubeで配信され、作品内の謎解きとゲームが連動する仕掛けが好評を博したオリジナルアニメ版に続き、劇場用にアニメ化した作品。

ストーリー構成を「妖怪ウォッチ」も手がけた加藤陽一が担当し、
脚本は「ハイキュー!!」「僕だけがいない街」の岸本卓が執筆した。
監督は「ガンスリンガー ストラトス」の江崎慎平。
声の出演は坂本真綾、水樹奈々の他、北大路欣也や山寺宏一などベテランの
「大人」も出演している。

この映画、「モンスト」が親しまれているアメリカや台湾や香港など世界でヒットするでしょうね。

12月10日より新宿ピカデリー他で公開される

「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」(FUOCOAMMARE)(イタリア・フランス映画):小さな平和な島に押し寄せる難民の悲惨さだけが印象に残る作品。

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先週末の日本の映画興行は活況を呈している。「ハリー・ポッター」シリーズより70年前の1920年代後半を描く、原作者J・K・ローリングが脚本も手掛ける、新シリーズの1作目「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」が丸の内ピカデリー他松竹系で全国で上映され、週末2日間で興収8.23億円をあげ2位と大差をつけて堂々の初登場首位を獲得した。

11月23日(祝)の公開初日からの5日間累計興収は17億円を超えている。この日本での成績を入れると世界での総計は473.7M(516億円)となる。日本興行界は1年間で2000億円到達するかどうかだから、アメリカで公開開始からわずか10日間で日本全体の1/4を超えたことになる。
因みに中国も日本と同様にアメリカから1週遅れのスタートででいきなり41.1 M(46.4億円)だ。昔はアメリカを除く海外では日本が一番の興行成績を誇っていたが、中国でハリウッド映画が解放(輸入制限枠の拡大)されるや娯楽に飢えた14億の民は大作に飛びつく。特にIMAXを始め立体映画が大好きだ。

2位は首位を連続して快進撃を続けていたアニメ「君の名は。」でようやくチャート1位を譲って、この週末は興収2.1億円をあげた。11月27日までの累計興収は194億円を突破し、ついに「もののけ姫」の興収193億円を超え歴代6位にランクイン。ブームは衰える様子もなく200億円突破は必至。歴代ベスト3は固い。


冒頭から失礼かもしれないがイタリアの巨匠と誉めそやされているジャンフランコ・ロージ監督の映画にいつも失望しその才能を疑っている。
2013年度ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞した前作の「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」も詰まらない映画だった。イタリアの首都ローマをグルリと囲んで走る巨大高速道路GRA周辺のさまざまな人々の暮らしを描いている。現代的なアパートで娘と同居する老紳士や、シュロの木につく害虫の研究に没頭する植物学者、ボートで生活しつつチベレ川でウナギを釣る漁師など、そこに生活する者たちの様子が前後脈絡もなくパラレルに映し出されるだけ。ドラマもなければ観客へのサービス、エンタメ要素も無く、面白くもなんともない。何でこんなものが金獅子賞か分からない。

この「海は燃えている」もベルリン国際映画祭で金熊賞を取ったが、主人公の少年と難民がバラバラに登場し前作同様脈絡も無く、ドラマも娯楽性も無い作品だ。
タイトルは上手い。イタリア語「FUOCOAMMARE」は「See at Fire=海は燃えている」で中身はともかく興味を引く看板だ。

冒頭のクレジットで紹介されるだけで難民問題は心を痛める。
イタリア最南端、北アフリカにもっとも近い小さな島、ランペドゥーサ島。シシリーとアフリカのリビアの中頃に位置する。住民は僅か5500人の島に20年間で難民40万人が島経由でシシリーそしてヨーロッパに渡った。その間に1万5千人の命が海の藻屑と消えた。
 
 2010年のチュニジアのジャスミン革命で始まる「アラブの春」以来アフリカ諸国で内乱が勃発。ガーナ、マリ、ナイジェリア、エリトリア、ソマリアなどから全財産を叩いて小さな船にギュウズメになった難民がリビアを経由してランベドゥーサ島に辿り着き、そこからシシリーを通ってヨーロッパ諸国に散っていく。
 
島で生まれ育った12歳の少年サムエレ・プッチロは友だちと手作りのパチンコや花火で遊び、岩をよじ登り漁師の父親の漁船に乗せてもらう。島の人々はどこにでもある日々を生きている。島のラジオDJは懐かしのカンツォーネを流し、少年の祖母は大ファンだ。
しかし、老婆は音楽の合間の難民遭難のニュースに心を痛めている。
イタリア海軍は島に管制塔を設けパラボラアンテナやレーダーで難民ボートのSOSをキャッチして救助船やヘリコプターを駆使し救助に当たる。

この部分はジャンフランコ・ロージ監督がTV局から依頼されたドキュメンタリの短編からのフーテージだから迫力がある。甲板の難民は海水がかかり寒い思い船底に詰められた人々は空気が欠乏しディーゼルエンジンに焼かれて火傷だらけ。動かなくなった難民が続々と救助ボートに引き上げられる風景は地獄絵だ。

島の難民収容所は850人しか収容できない。2000人がつめかけることが多い。
島の住民は少年と同様、難民と無関係だが島のただ一人の医師、ドクター・ピエトロ・バルトロは瀕死の難民の治療にあたる。「人の命を救うのは人間としての義務だからね」と
バルトロ以外は難民と無関係。ノンシャランな少年を長々写しそのシーンの退屈なこと。

ジャンフランコ・ロージ監督は撮影、音響までワンマンショウ。炎に燃えた地中海の地獄の詩を際立たせるために島の平和な暮らしを長々と見せたのだろうか?
難民の悲惨さだけが印象に残る作品。

2月11日よりBunkamuraル・シネマにて公開される。

「トッド・ソロンズの子犬物語」(Wiener-Dog)(アメリカ映画):様々な人間たちに飼われる子犬から老犬までの茶色の牝ダックスフントがキュートだ

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原題Wiener-Dogとはダックスフントのこと。垂れ耳で足が短く胴長の小型犬だ。僕も飼っていたことがあるが人懐っこい可愛い。

インディの分野では知る人ぞ知るがタイトルに監督名を冠するとは配給会社は余程アイディアに枯渇したのだろう。原題通りズバリ「ダックスフント」とか「旅するダックスフント」とすれば良かった。実際エンドタイトルでカントリ・ウェスタン風の主題歌が彷徨うダックスフント」と歌い上げている。この男声の曲、中々メロディアスで耳に残る。

物語は幾つかのエピソードを綴る。アメリカ中をさまよう1匹のダックスフントとその飼い主となる人々の悲喜こもごもが描かれる短編集だ。

無邪気で可愛いが問題ばかり起こす子犬が出会うのは、少し変わった個性的な人々ばかりだ。
初めにダックスフントと出会うガンに冒された9歳の少年レミ(キートン・ナイジェル・クック)のために父親ダニー(トレイシー・レッツ)が子犬を買って来る。少年と子犬は直ぐに仲良しになるが母親ディナ(ジュリー・デルピー)は猛反対。富裕な一家だがディナは冷たい。「避妊手術を受けさせること」と「グラノーラ・バーを与えると下痢をする」んどの理由で子犬を安楽死させるため地元の動物病院へ連れて来られる。

子犬を死から救ったのは動物病院の獣医の助手ドーン・ウィナ(グレタ・ガーウィグ)だった。一人暮らしのドーンは子犬を家へ連れて帰る。ドッグフードを買いに食料雑貨屋へ、そこで元クラスメートのブランドン・マッカーシー(キーラン・カルキン)に出会う。ブランドンは反体制主義者で麻薬常習者と言うややこしいタイプ。

いろんな人物が登場するが面白のは終盤に登場する脚本家で映画学校の講師をしているデイブ・シュルツ(ダニー・デビート)だ。
OBで最近売れっ子の若い監督を学校で招いて講演をさせている。アクターズ・スクールでいつものQ&Aだ。
「在校生へのアドバイスは?」
「直ぐに中退(Quit)することだな」
「学校の授業なんて現場で全く役に立たないぜ」
MCは頑張る。「それでも脚本の書き方とか実用的だったでしょう」
「ダメダメ。糞の役にも立たない。ところでシュルツ先生は未だ教えているかい?」
「あの命題WHAT IF(もしこんな場合は?)とか,それを受けてTHEN WHAT(それからどうなる?)のワンパターンだもんな」
生徒に隠れて教え子の監督の話を聴いていた小柄でデブのシュルツ(デビート)は居たたまれなく出口へ
急ぐ。

皆の前で侮辱されたシュルツはダックスフントの胴体に時限爆弾を装着させ教室の入口に放つ。NYPDの爆弾処理班が駆けつけ事なきを得る。
面子を失くし自棄になるデビートの芝居の上手さ。

最終章はエレン・バーンスタイン扮する老婆の演技に舌を巻く。郊外の豪邸で隠居生活のた顔の半分が隠れる大きなサングラスをかけたナナ(バーンスタイン)。介護ヘルパーの初老の黒人イヴォンヌと二人でひっそりと暮らしている。ダックスフントを散歩に連れ出すのが唯一の運動。
そこへ孫娘、ゾーイ(ゾーシャ・マメット)が黒人のアーティスト、ファンタジー(マイケル・ショウ)を連れて訪ねて来る。3-4年振り。

お土産はオーストラリアから持ち帰ったと言う駝鳥の大きな玉子。イヴォンヌに渡すと忽ちクズ・ディスポーザーで処分するのが笑える。
「それで幾ら欲しいの?」見抜いたナナ婆さんは聞く。
「ファンタジーの芸術活動に1万ドル」「本当は彼と別れようと思うのだけど」なんて愚痴も借金の言い訳。

ナナ婆さんはガンで余命半年、金の使い道も無く、金額欄を空白にした小切手を渡す。
ここからエンディングまでがドラマティック。サングラスを外して物思いに耽っていると老犬になった
ダックスフントはフラフラと車が頻繁に往来する道路へ出る。そして悲劇が。。。
半年後のファンタジーの個展が大笑い。インスタレーションでダックスフントがガラスのショウケースに収められ観客席に向って「ワン」と吠える。

久し振りでインディ巨匠ソロンズ監督の傑作を堪能する。(僕は他の作品は余り好きではない)
俳優陣が豪華だ。映画学校講師に「バットマン・リターンズ」などのダニー・デヴィート。、偏屈な老婆ナナ役に「アリスの恋」でアカデミー主演女優賞に輝いたエレン・バースティン。
1995年に製作されたソロンズ監督のデビュー作「ウェルカム・ドールハウス」の主人公ドーン・ウィーナーも成人して顔を見せる。
大人になっても自分のやりたいことが見つからないウィーナーを「フランシス・ハ」のグレタ・ガーウィグが演じる。マコーレ・カルキンの弟、キーラン・カルキンも出演する。

トッド・ソロンズ監督はこれまで「ハピネス」や「ストーリーテリング」などで人生のバカバカしさや人間の愚かさをブラックユーモアで描いてきたがその集大成のような映画だ。
子犬から老犬までの茶色の牝ダックスフントがキュートだ。

1月14日よりヒューマントラスト渋谷で公開される。

「The Net 網に囚われた男」(The Net)(韓国映画):世界に名が知れた韓国のキム・ギドク監督は南と北の政治・社会のシステムの差を主人公の漁師ナムの目を通して浮彫りにする。

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昨日(1日)から奈良に来ている。口唇口蓋裂の学会が開催され出席しているスマイル・アジアのDR.ヴィンセント・ヨウ会長と随行しているアビ事務局長と来年のミッション(無料集団手術)の打合せのためだ。

僕が理事長を務める慈善団体「子どもに笑顔」はスマイル・アジアの主要メンバーだ。来年は東南アジアで28回のミッションがあり日本から医師看護師などの医療チームを5回程派遣する予定を立てている。

 最初は2月、ミャンマーの中国雲南省と川一つ隔てる国境近くのシャンに8名ほどのチームを送り込むが、その後カンボジア、インドネシア、東チモール、ブータンなど来年も忙しい年になりそうだ。

スマイル・アジアには別途ミッションを行うためのバジェットを送らなければならないが日本でどの位寄付を集められるかが問題で、先ず12月15日に読売新聞朝刊に全7段の広告を載せ、名称が「子どもに笑顔」に変わったことの案内と日本からの医師団派遣の支援をお願いする。
 

世界に名が知れた韓国のキム・ギドクは僕の好きな監督で日本公開作品は殆ど見ているが、この作品はギドク監督の中でもベストの映画と数えても良い。
改めてギドク監督を紹介するまでもないが、2004年に「サマリア」が第54回ベルリン国際映画祭で銀熊賞 (監督賞)のを始めとし「うつせみ」が第61回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を、2012年には「嘆きのピエタ」が第69回ヴェネツィア国際映画祭でグランプリの金獅子賞を受賞すると言う映画祭男なのだ。今年の12月で56歳、油が乗り冴えわたる。

映画の冒頭は、韓国との国境が近い北朝鮮の静かな湾から小さな原動機付舟に乗り込む積りの漁師ナム・チョル(リュ・スンボム)は、いつものように漁に出るため妻子に送られ家を出る。
小さな港に行くために細い道を行くが、水爆実験成功(これは架空の話)を祝する看板も見える核兵器基地の傍を通り抜ける。

家には大きな金日成や金正日のご真影が飾ってあるから時代は正日死去の2011年頃か。
妻(イ・ウヌ)と幼い娘と共につましいながらも穏やかに暮らしていた。

北鮮の国境警備の兵士が見守る中でナムの舟の原動機は漁網に絡んで止まり、小舟は漂流し始める。潮は北から南へ。遂に韓国領に入り込み韓国軍兵士に捕まり、公安部にスパイ容疑で拉致される。

公安部室長(チェ‣グイファ)は個人の自由や平等など基本的人権が侵害されている北鮮の人々を救うのが自分の使命だと、取調官(キム・ヨンミン)にスパイ容疑で逮捕の後、韓国で贅沢な暮らしができるように亡命させることを指示する。室長の考えは大部分の人たちの賛同を得るだろう。
 
 しかしナムは「勝手に故国北朝鮮での暮らしが不幸だと判断するのは間違いだ」と反論。自分は愛する妻子に囲まれて幸福の絶頂にある。
この考えは北朝鮮人民に共通する考えだろう。
 
取調官は朝鮮戦争で家族が殺されており、北鮮市民は敵だとの意気込みで拷問を交えて徹底的に責め上げスパイだと白状させようとする。

ナムの心情を唯一理解し、家族の許へ送り返してやりたいと同情するのが監視役の若い警官オ・ジス(イ・ウォングン)でナムとオは互いに理解し合える。

どんなに拷問に会っても甘いエサで釣ろうとしてもナムは頑固に家族の許へ送り返して欲しいと繰り返す。
丁度チャン・イーモウ監督が描く頑固な百姓の女性の姿を彷彿させる。

しかし公安部の巧みな戦術とスパイ告白文書に署名すれば送り返してやるとの取調官の甘言に欺かれサインをしてしまう。そしてそれが嘘だと知って激怒するナム。
北朝鮮特殊部隊にいたナムは素手で5-6人を叩きのめすのは簡単だ。
不精髭にボサボサの長髪のナムに扮するリュ・スンボンは着痩せをするが裸になった時の筋骨隆々の肉体は素晴らしい。

公安部のスパイに仕立てるカラクリがマスコミにバレてナムは図らずも故国送還を果たす。
スパイ容疑が晴れて故国の英雄として迎えられた筈のナムを今度は北朝鮮公安部が韓国へ寝返った二重スパイ容疑で責め立てる。

キム・ギドクのストーリー・テリングの巧みなこと。
オの餞別として飲み込んだ高額米国ドル紙幣を脱糞したウンコに手を突っ込んで取り出すナムを取調官は見抜いてドルを巻き上げる。私腹を肥やす取調官の秘密を守ることで釈放され、久しぶりで妻(イ・ウヌ)の身体を抱く。だが韓国ソープランドの豊満な女性の姿がチラチラするのが可笑しい。
この辺にギドク監督の遊びが入る。

翌朝早くに漁に出かけようとするナムは未だスパイ容疑が晴れないから漁業は禁止だと兵士が制止するのを振り切り舟に乗り込む。「俺は漁師だ。生活するには海へ出るしかない」と頑固だ。

悲劇の運命が訪れようとも信念を曲げないナムの姿は目に焼き付く。

南と北の全く異なる政治システムが、主人公ナムをその中に放り込んで浮き彫りになる。両者とも自分たちこそ正しいと信じていて譲らない。頑固で信念の男ナムは両方の狭間でこれもまた自分こそ正しいと考えているから三すくみの状態だ。
ギドク監督は南と北のシステムの差をナムを通して客観的に描き、どちらが正しいとの軍配をさしていない。

筋骨隆々の漁師ナムに扮するのは「ベルリンファイル」などの演技派俳優リュ・スンボム。
残忍な取調官役を「殺されたミンジュ」のキム・ヨンミン、
拘留されたナムの帰りを待つ妻役を「メビウス」のイ・ウヌが演じる。
昼の貞淑な顔と違い、夜のナムとの熱いベッドシーンに驚く。。

1月7日より新宿シネマカリテにて公開される

「一週間フレンズ」(日本映画):1週間で記憶を失くしてしまう香織を何とかして友達になりたい祐樹は必死で追いかける

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 「ブラック企業」とマスコミで名指しされSNSでも炎上した電通で新たな動きがあった。

恒例「電通年賀会」は廃止だと言う。
外の人には何だ、当たり前だと思だろうが、僕のように電通で営業一筋で過ごした人間には心の故郷が喪失したような悲しさを覚える。

 営業局局長や次長、部長として、また子会社の社長として、そして卒業してからはOBとしれ招待を受け30年近く年賀会に出席を続けていた。
 中曽根康弘首相(当時)が「電通年賀会が無ければ新年は始まらない」と挨拶をしたように、クライアントを始めとしてメディア、芸能人、文化人と全国本社支社5地区で2500人を超す招待客の賀詞交換会は賑わった。
 クライアントへの折衝や交渉の営業は年賀会から始まる。
電通人にとっては大変重要な行事でただの飲み食いでは無い。

先に「鬼十則」が「電ノート」から外すことになったとも石井社長から発表された。
「鬼十則」は電通の憲法であり、仕事に基本理念だ。

これら二つが無くなったら電通人は「腑抜け」になってします。
新入女子社員の過労自殺は大変痛ましいし不幸な出来事だった。

社として反省し改善する方策を練るのは良いが「年賀会」と「鬼十則」を目の仇にすることは無い。
「八つ当たり」と言うものだ。
石井社長が禿げ頭を下げないから詰らないことを考える。

これまでの電通再建案で実効性のあるのは「社員の一割を配置転換」と言うことだ。
適材適所が全くできていない。必罰はあるが信賞がない。
上に立つ人間を選ぶのに基準が無い。
一昔前は新聞局の地方部(地方紙担当)出身だけが偉くなった。(これが基準だと言われれば仕方が無いが)
 だからボンクラでも新入社員の時に巧く地方部に配置されればシメタものだった。


 映画を見ながら,今から10年以上も前にドリュー・バリモア主演の「50回目のファーストキス」(50 First Dates)と言う作品を思い出していた。
記憶障害で前日の出来事を全て忘れてしまう女性と、そんな彼女に惚れた弱みでアタックを続ける男性(アダム・サンドラ―)との恋の行方を描いた大恋愛劇だった。

この映画では前日の記憶でなくて1週間の記憶を無くしてしまうので未だマシだが、原作者葉月抹茶のコミックはこのバリモアの映画からヒントを得たのだろうか。

川口春奈と山崎賢人の若手美女美男コンビで、アニメ化や舞台化もされた葉月抹茶の人気コミックを実写映画化したもの。

高校2年生になった春、長谷祐樹(山崎)は、転校して来てクラスメイトになり初めて会った日から一目惚れの藤宮香織(川口)が気になって仕方がない。香織友達もいないしいつもひとりぼっちだ。校舎の屋上で黙ってお弁当を食べている香織に近づく。
「友だちになってほしい」と思い切って声をかける。頭を下げ、腕をさし延ばすお馴染みのポーズだ。

しかし、一週間しか記憶がもたないという障害を抱えていた香織は、祐樹の願いを「無理」の一言で拒む。もっとも祐樹はそんなことを知らない。
それでも香織のそばにいたいと思う祐樹は、毎週月曜日、記憶がリセットされるたびに香織に会いに行く。

古文の授業で教えられた「土佐日記」にヒントを得て祐樹は交換日記で1週間の行動を書いて月曜に交換しようと始めた2人は、少しずつ距離を縮めていく。
秋になったそんなある日、ランタンを飛ばす「天燈祭」に祐樹の親友、桐生將悟(松尾太陽)や山岸沙希(高橋春織)の4人で出かける。

そこへ香織の過去を知る転校生,九条一(上杉柊平)が現れる香織に向かって「裏切者」と呟く。

祐樹にとってショックだったのは、香織は未だ中学時代に付き合った一が忘れられないと言うことだ。

記憶が一週間で無くなるのに3年前のボーイフレンドをしっかり覚えていると言うのが解せない。
おまけに知らない他校の女子高生、まゆ(古畑星夏)が一を追いかけ香織を敵視している。

 ショックを受けた祐樹は一にあっさり香織を譲ってしまうのが分からないし、その後一が逆に祐樹と香織を結びつけると言う騎士道と言えばカッコ良いが、執着心がまるで無い。
 でもイジイジするのが嫌いなんだろうね。

「好きっていいなよ。」の川口春奈が香織を、「orange オレンジ」「オオカミ少女と黒王子」などの山崎賢人が祐樹を演じ、息のあった(最初はあわないが)ロマンスは見ていて感じが良い。

監督はTVディレクターで映画「電車男」「7月24日通りのクリスマス」などの村上正典が監督。着実でしっかりとした演出だ。

2月18日より新宿ピカデリー他で公開される。

「クリミナル 2人の記憶を持つ男」(CRIMINAL)(英・米映画):人間性や感情、道徳心などないサイコパスが脳移植で正義感に満ち、受け継いだ美しい妻と娘を慈しむ優しい男に変わる

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「記憶」とは頭の中の過去の知識、情報やイメージだ。記憶を持つ人間が死んでしまえば当然のことながら過去の記憶は永遠に失われる。
CIAとテロリストの熾烈な攻防のドラマでどうしても記憶を持つ人間が死んだからと言って、その情報を失う訳には行かない。

CIAロンドン支局のエージェント、ビル・ホープ(ライアン・レイノルズ)が大金を受け取り誰かに渡す重大な極秘任務の最中にテロリストに襲われる。
埠頭近くのセメント工場に追い詰められて銃弾が尽き、捕らえられ柱に縛り付けられて拷問を受ける。凄絶な電気ショックにも耐えながら秘密を洩らさず死ぬスパイ根性は大したものだ。

「デッドプール」や「マイティ・ソウ」などスーパーヒーロー役で売り出し中のレイノルズのが呆気なく殺されるには驚くが、大スターたちが顔を揃える作品では冒頭に壮絶な死を遂げることが見せ場なのだ。
ダッチマンは米軍の核ミサイルさえも遠隔操作で世界中の大都市を破壊可能な恐るべきプログラムを開発した謎のハッカー。

ポ-プはダッチマンことヤン・ストローク(マイケル・ピット)の居場所を知る唯一の人物だった。
凶悪なテロを阻止するためにダッチマンを捜し出す最後の手段は、死んだの脳前葉部を手術で生体移植によってビルの記憶を他人に移植すること。
CIAロンドン支局長クウェイカー・ウェルズ(ゲイリー・オールドマン)は未だ人間では実験したことが無いが充分に成功の可能性があると断言する脳外科医、Drフランクス(トミー・リー=ジョーンズ)に手術を依頼する。

冒頭の銃撃戦から話の展開は早い。
その移植相手をフランクス博士は決めていたらしい。
選ばれたのは、幼い頃に父親から受けた虐待で頭部に重傷を負い、人間的な感情や感覚を失ってしまった凶悪なサイコパスで死刑囚となっているジェリコ・スチュワート(ケビン・コスナー)。彼の指名は博士が治療に当たっていたのかもしれない。

収監されているジェリコは凶獣のように強く手に負えない。檻の中にいるのに鎖で繋がれている。その鎖も暴れて断ち切るが遂に抑えられて手術台に乗る。
移植手術は(実に簡単に)成功するが、ロンドンの街へ移送中に逃走したジェリコは、自分自身の凶暴な性格でファーストフード前のチンピラ3人をアッと言う間に殴り倒し、彼らのバンで逃走する。
と、頭の中で正義感あふれるCIAエージェントのビルの意識が沸き上がりビルのアパートに忍び込む。
ジェリコ本人とビルと「2人の記憶」に引き裂かれる。

ウェルズ支局長は折角手術をしたジェリコが役に立たないと凶悪な男を野放しに出来ないと射殺を命じる。

ジェリコはCIAに追われる一方、ダッチマンの世界の核ミサイル操作を手に入れようとするテロリストたちとの壮絶な闘いに巻き込まれていく。
ビルの「記憶が失われゆく48時間」のタイムリミットで荒唐無稽なアクションが展開されるが、観客もいつの間にか粗雑なストーリーに慣れて映画に飲み込まれて行く
 
しかしビルの記憶は愛している妻子に向けられている。妻ジル(ガル・カドット)と幼い娘、エマ(ララ・デカルド)はジェリコの内面に居るビルを見つけ彼を慕う。
 テロリストはそこまで見抜き、ジルとエマを人質にダッチマンのソフトを要求する。ビルの心のジェリコは銃撃を恐れず飛び立とうとするプライベイトジェットを襲う。
 
 ハチャメチャに暴走した映画は終盤に落ち着く。ジェリコとジルのロマンスとジェリコを父と慕うエマの3人。人間的な感情を持ち合わせていないジェリコにビルの記憶が支配してくる。
CIAのスナイパーがジェリコを狙う海岸で3人は抱き合うシーンはチョットした感傷ものだ。

 主人公ジェリコのケビン・コスナー。あのジェントルマンが荒々しい野獣のキャラクターは想定外だが立派に演じる。この人が「ダンス・ウィズ・ウフブス」で監督主演してアカデミー賞をそうなめにしたのは四半世紀前(90年)だ。
CIAロンドン支局長クウェイカー・ウェルズに「ダークナイト」「裏切りのサーカス」のゲイリー・オールドマン、
記憶の移植手術を行う脳外科医フランクス博士に扮するトミー・リー=ジョーンズは日本のCMでお馴染みだ。70代のお爺で貫禄十分。

ベテランでロートルの男性陣に囲まれてビルの妻、ジルのガル・カドットはテルアビブ生まれでミス・ユニバースからハリウッド入り。その濃い美貌は目を惹く。将来性は誰もが認めるところで来年公開のスーパーヒーロー大作「ワンダー・ウーマン」の主役に抜擢された。

監督のアリエル・ヴロメンもイスラエル人。「氷の処刑人」(12)で注目された。しかしこんな本で疲れただろう。
人間性や感情、道徳心など一切持ち合わせていないサイコパスが脳移植でまともなそれも正義感に満ち、美しい妻と幼い娘を慈しむ優しい男に変わって行く映画などはそうザラにあるものでは無い。

2月25日より新宿バルト9他で公開される。

「オアシス スーパーソニック」(OASIS: SUPERSONIC)(イギリス映画):1993年リバプールの労働者階級の公営住宅でスタートし、その3年後には世界的なバンドになって「ネブワース・ライブ」

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映画は1996年8月の「ネブワース・ライブ」で始まりそして終わる。
ネブワース・パークはロンドンの北郊外。レッド・ツェッペリンやベイビー・メタルもコンサートをしたがオアシスのコンサート程盛り上がったものは空前絶後だ。なにしろチケットの予約申し込みは260万人、会場には25万人の大観客だ。

イギリスの伝説的ロック・バンド オアシス初のドキュメンタリーでプライベイトフィルムやホームヴィデオ、それにアイルランド移民の母親ペギーやツアーの裏方、レコーディングのスタッフなど普段顔が見られない人々が画面に表れインタビューを受けている。
やはり焦点はロック界の天才、シンガーソングライターのノエル・ギャラガーに当てられる。

ネブワース・ライブは1993年、リバプールの労働者階級の住む公営住宅で失業手当を受けている若者たちが集まってスタートし、その3年後には世界的なバンドになって「ネブワース・ライブ」は絶頂期を迎える。

その後も喧嘩をしながらも16年間活動を続け2009年に解散をする。
「オアシス」の中心メンバーではリアム&ノエル・ギャラガー兄弟だが、母親ペギーの話では2人は仲がそれ程良く無く、バラバラで活躍していた。
弟のリアムはリズム・ギター、ポール・ボーンヘッド・アーサー、ベースのポール・ジプシー・マクガイア、ドラムのトニー・マクガイア、そしてリアムがリードギターとヴォーカルを担当していた。

ノエルはローカルの「インスパイラル・カーペット」をクビになると即座にリアムのバンドに加わり、事実上のバンドリーダーになる。確かに天才的な作詞作曲のシンガーソングライターだが、ナルシストで傍若無人、授賞式の時に終わってしまった過去の歌手からトロフィーを受け取りたくない」などと暴言を吐く。

弱小バンド「オアシス」がブレイクしたのはグラスゴーでのコンサートで地元バンド「シスター・ラヴァーズ」と前座を分かち合って殆ど観客がいない会場で演奏した時だ。そこにクリエーション・レコードのトップ、アラン・マッギーがその場で契約を持ち掛けた。

 マッギーのお陰で忽ち人気になり「ロックンロール界の悪ガキども」と言う異名で名を知られる。
デビュー・アルバム「Definitely Maybe/オアシス」は英国チャート#1を記録史上最速のスピードで売れる。
 そこから世界ツアーに出るが、アメリカで全然ダメ。ナイトショウで「どうしてイギリスでそんなに受けて人気があるのか?」なんて聞かれるのには笑える。日本の若者は即座に受け入れコンサートはソールドアウト。日本は直ぐに飛びつく。

 ノエルとリアムの兄弟喧嘩は熾烈。
弟のリアムの方が大人だがノエルは怒鳴りまくり、頭に来ると行方不明になる。しかしソングライターのノエルがいなければ何も前に進まない。
名曲「サム・マイト・セイ」や「シャンペン・スーパーノヴァ」などはノエルの心からの発露だ。

ギャラガー兄弟、母親ペギー、一家を捨てた父親への新たなインタビューのほか、バンドメンバーや関係者の証言、名曲の数々をとらえた貴重なライブ映像、膨大なアーカイブ資料をもとにこの映画に先行する「AMY エイミー」の手法で編んだドキュメンタリー映画だ。


リアム&ノエル・ギャラガー兄弟と、「AMY エイミー」でアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞したアシフ・カパディアが製作総指揮に名を連ね、
「グアンタナモ、僕達が見た真実」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞したマット・ホワイトクロスが監督を務めている。

「オアシスというバンドの歴史において特別で二度と繰り返すことのできない期間というのはネブワース・ライブまでの3年間なんじゃないかと思う」監督マット・ホワイトクロスは語る。
「このプロジェクトは僕にとって、当時へと時空旅行するような感じなんだ。バンドが輝きを放った、二度と戻ってこないあの当時の感覚をもう一度味わえる」と。

12月24日より角川シネマ有楽町にて公開される

「人魚姫」(THE MERMAID)(中国映画):中国興行記録を塗り替えて超ヒットしたチヤウ・シンチー監督・脚本の喜劇、人魚族の環境破壊者への制裁

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ハリウッドの業界紙に目を通しているとワールドワイド興行成績にハリウッド映画を押しのけて上位に入って来る中国映画「THE MERMAID」がある。
今年の2月に公開されたが、初日だけで2.7億元(47.6億円)と言うとてつもない成績だ。制作費は中国映画としては破格の50億円もかけたというのにバレンタインデー一日だけで53億円を挙げてリクープは済んでいる。
最終的に33億8800万元(591億円)でワールドワイドチャートに9位にランクされた。
 
だからこの作品は待ち焦がれていたのだが、来年1月7日から上映開始となる。
しかし日劇とか丸の内ピカデリーと言うような一流館でなく東京ではシネマート新宿と言う三流の小屋だ。それも「2017冬の香港・中国エンターテイメント映画まつり」の参加作品の扱いだ。

映画を見て興行主がシネマートのその他大勢中国映画にした訳が分かる。
チヤウ・シンチー監督・脚本の喜劇やジョークは日本人には通用しないのだ。例えば人魚のヒロイン、シャンシャン(リン・ユン)が環境破壊の悪徳不動産王リウ・シュエン(ダン・チャオ)を暗殺しようと、毒入りの飲料やナイフ、ウニの殻で色々試みるがタイミングが合わず総て空回り、暗殺首謀者のタコ兄(ショウ・ルオ)は自分の足を切り取られたり焼かれたり散々な目に会う。スラプスティックのシーンが延々と続くが、僕には子供じみた茶番で底が割れていて面白くも可笑しくも無い。
こんなものにナイーブな中国人がウケて笑い転げるのだろうなと推測する。

粗筋は平凡。
若き実業家リウ(ダン・チャオ)はリゾート開発のため、広東省の美しい自然保護区域・青羅湾(何れも架空の地域)を買収し、埋め立てることを決める。
規制があってイルカが生息する湾は干拓出来ない。それならばと強力なソナーを発信しイルカに瀕死のインパクトを与え湾から排除する。
湾に生息している「人魚族」は生態や環境が破壊され沈没した難破船に隠れていたが、いよいよ絶滅の危機に瀕している。
幸せな日々を取り戻すため、可憐な人魚シャンシャン(リン・ユン)を人間に変装させ、「悪徳不動産王・リウ暗殺作戦」を決行しようとする。

シャンシャンはパーティのダンサーに化けてリウに近寄ろうとするが、眇目で低い鼻やペチャンコの胸は少しも魅力的では無い。

シンチー監督のメソッドは「ヒロインは必ずブサイク顔で登場させるべし!」でこれでは直ぐに見破られる。追い出される直前に電話番号だけを交換したのが唯一の収穫だった。

リウは富豪の父親(巨匠、ツイ・ハークのカメオ出演)の代理で出資をして利益の45%を得ようと、リウに色仕掛けで近づくルオラン(キティ・チャン)。大人の美貌で妖艶なテクニックで女好きのリウも満更では無いが、しかし気位の高いルオランに頭に来て当てつけにシャンシャンをデートに誘う。

映画の出だしより遥に美しくなったシャンシャンにリウも惹かれてしまう。人間界と人魚界に住む男女のロマンスがメインストリームになる。
シャンシャンに教えられリウは環境と生態を破壊する恐ろしさを実感する。

そして二人の募る思いとは裏腹に、人魚族と欲に駆られたルオラン一派たちによる激しい武力戦に巻き込まれていく。

製作・監督・脚本:チャウ・シンチーは日本でも大ヒットした「少林サッカー」や「カンフーハッスル」「西遊記~はじまりのはじまり~」を送り出しているが日本人のテイストにはこれら3作品の方が合う。実際上映館は一流の小屋で公開された。

主人公の人魚姫役にはオーディションで12万人の中から選ばれ、チャウ・シンチーに大抜擢された新人女優 リン・ユンが扮する。
リウ役には「ドラゴン・フォー』シリーズなどのダン・チャオ、
女実業家、ルオランはチャウ・シンチー監督作『ミラクル7号』にも出演したキティ・チャン。
タコ兄には台湾の人気歌手、ショウ・ルオがハチャメチャなキャラクターを熱演する。

中国の興行記録を塗り替えた(中国人にとっては)捧腹絶倒の喜劇を覗いて見るのも一興だろう。

チャウ・シンチーの凄いのは環境破壊や地球温暖化を気にも留めない中国政府への批判を笑いの中に盛り込んでいること。その共産党政権への鋭い矛先を見逃してはいけない。

1月7日よりシネマート新宿で公開される。

「王様のためのホログラム」(A HOROGRAM FOR THE KING)(アメリカ映画):不況の真只中、娘の授業料のため大逆転を狙いサウジ・アラビア王に3Dホログラムシステムを売り込むアラン

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イギリスのヘレン・ギルトロウ(Helen Giltrow)と言う女流作家のデビュー小説「謀略監獄」(The Distance)(文藝春秋社:2016年1月刊)は主要な登場人物が30人を超え460頁になんなんとする大分なスリラーだが面白く読んだ。

原題「The Distance」は「距離」のことだが、近未来のロンドンでは犯罪多発により刑務所が不足する。囚人を野放しにする訳に行かずロンドン郊外の荒廃した住宅地に人が住まなくなった場所に民間の収容施設を作る。

 謳い文句は、収容所の自治と自由が大幅に認められ、福利厚生施設も充実していて刑務所とは言えないと。
 しかし実態は二重の高い壁や電気フェンスが張り巡らされている堅固な刑務所だ。

施設内(プログラム)では元ギャングで牢名主のジョン・クィンランをボスとする受刑者たちの暴力的「自治」が行われている。

主人公で語り手は犯罪のサポートと情報の売買を仕事とする、カーラ。またの名をシャーロット・オールトンともローラ・ブレンジャーなど幾つもの名を使い分ける。

依頼人は元狙撃兵の殺し屋、サイモン・ジョンハンセン。
カーラの手配でジョハンセンは施設(プログラム)に潜入する。
キャサリン・ギャラガーと言う女医がプログラム内に居ると見当をつけ探し出しシャバへ連れ戻すのが仕事だ。

依頼の背景を調べるカーラは次々と不可解で不穏な事実にぶち当たる。
ケイト(キャサリン)は施設内の診療所長を務め患者の命を救うことに全力を傾けている医師だ。
どんな罪を犯してプログラムに潜り込んだか?その背景は幾つもノベールに覆われ裏には様々な思惑と陰謀が隠されている。
カーラとジョハンセンが関わったギャングの抗争がある。元MI5の老スパイの死、警察やMI5、ギャングなどの犯罪者、何か秘められた謀略が蠢いている。そしてプログラム内でジョハンセンを待ち受けていた大物ギャング。

張り巡らされた陰謀の迷宮。スタイリッシュなクライム・ノワール、クールなヒロイン、カーラとジョハンセンとの秘められたロマンス。
これがデビュー作とは思えぬ緻密な構成とミスれリアスなプロット。読了するのに時間がかかるが(種々多様な登場人物をいちいちチェックしなければ)久しぶりに堪能させられるプリズン・スリラーだった。次回作が待ち遠しい。


デビューから30余年、今年還暦を迎えたトム・ハンクスは数々の名作に主演し、アカデミー賞に5度ノミネート、そのうち1993年にエイズを取り扱ったシリアスなドラマ「フィラデルフィア」1994年に「フォレスト・ガンプ/一期一会」で2年連続アカデミー主演男優賞を受賞。

最近はヒット作「ハドソン川の奇跡」の機長、サリーを飄々と演じて好評を博している。
しかしかれの本質はライトコメディ、今日紹介する映画「王様のためのホログラム」は彼自身のやりたかった役柄だったようだ。

トム・ハンクスはSNSで1200万人を超えるフォロワーを抱える圧倒的なスターだが、ある1冊の本を大絶賛するツイートを投稿した。
その本こそピューリッツァー賞、全米図書賞ノミネート経験を持つベストセラー作家デイヴ・エガーズの小説「王様のためのホログラム」だ。出版から4年、トムと名作の出会いがトムの希望通り映画化された。
冒頭に流れるトーキング・ヘッドの「Once in lifetime」がテーマを暗示する。「人生で一度きり、しっくりくるんだ、僕たちは間違いを犯さない、すべてを奪い去ってしまうような、地すべりや、激流が襲いかかっても」

 大手自転車メーカーの取締役だったアラン(ハンクス)は、業績悪化の責任を問われ解任される。立派な車もステキな家も美しい妻も、煙のように(実際エンジ色の煙が揺らめく)消えてしまった。

妻には愛想を尽かれ、愛する娘の養育費を払うためにIT業界に転職するが、2010年の不況時の真っただ中、そこで知人が国王の甥と言うコネを頼り、一発逆転をかけて地球の裏側、はるばるサウジ・アラビアのジェッダに飛び、国王に最先端の映像装置〈3Dホログラムのテレコンファレンスシステム〉を売りに行く。

 ところが空港からタクシーに乗り延々と車を走らせて砂漠に到着すると、2025年完成予定の「国王の経済・貿易新都心」に建設中の高層ビルの鉄骨が立ち並び、アラン達のプレゼンチームを収容するオフィスはただのぼろテント。Wi-Fiもつながらないしエアコンも効かない。レストランさえないので買い置きのレトルトや非常食で凌ぐ有様。

 抗議したくても担当者カリームはいつも不在、プレゼン相手の国王がいつ現れるのかもわからない。
ただタクシーの運転手、ユーセフ(アレクサンダー・ブラック)をアランはすっかり気に入り友達になる。
ユーセフは仲良くなった人妻の亭主から命を狙われているのが心配だと車に乗る前の点検には万全を期している。

 カーラジオから流れるのは1980年代にヒットしたロックバンド「トーキング・ヘッズ」や「シカゴ」の楽曲でエルビス・プレスリーが流れ始めるとアランは「止めてくれ!」とスィッチを切る。
ユーセフは色々と適切なアドバイスを呉れ二重文化の狭間で溺れかけるアランを助ける。運転手に扮するアレクサンダー・ブラックはエジプト出身でNYのスタンダップ・コメディアン、TVで活躍していると言う。アラブ訛りの英語で人懐っこい髭面でアランを親身に世話をする。

 アメリカのボスからはどうなっているんだ?とプレッシャーをかけられ、ついには体も悲鳴をあげる。
追いつめられたアランを助けてくれたのは、診察を受けた女医のザーラ・ハキム(サリタ・チョウドリー)。色黒だが目が大きく肩までかかるカーリーヘアーに包まれた容貌は美しく、アランはすっかり夢中になる。

 次から次へと襲いかかる異文化の嵐。けれど流れに身を任せた時、大切なものが見えてきた。幸せは思わぬところに落ちているんだ。

 フラッシュバックでアランの家族が現れる。元妻(ジェーン・ペリー)との腐れ縁は断ちがたく、娘(トレーシー・フェア)は授業料を滞納してても父親を許してくれる。引退した工場労働者だった年老いたアランの父(トム・スケリット)はジョブをサウジ・アラビアやドバイ、中国にアウトソーシングするからアメリカはダメになるんだと悲憤慷慨する。

 監督・脚本はトム・ティクバ、トム・ハンクスとは「クラウド アトラス」(2012)続くタッグを組んでオフビートのコメディに仕上げている。

 観客にとってカタルシスを味わえないのは、3Dホログラムはライバルの中国が同じレベルの質のテレコンアレンス・システムを半分の値段で売り込んでしまったと言うこと。

2月10日よりTOHOシネマズシャンテにて公開される。
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