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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「YESTERDAYイエスタデイ」(Beatles」)(ノルウェー映画):ビートルズに憧れバンドを結成する高校生たちの青春グラフィティ

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ロックバンド「ビートルズ」にあこがれる高校生を描くノルウェーの青春映画の原題「Beatles」が、ややこしいが「イエスタデイ」の邦題になった。

ビートルズの代表的ナンバーで内容を考えると、大人になろうとしている高校生たちの青春を振り返る意味で適切なタイトルだ。

原作はノルウェーを代表する作家ラーシュ・ソービエ・クリステンセンが1984年に発表したベストセラー小説「Beatles」の映画化。

冒頭タイトルバックに「SHE LOVES YOU」が流れる。
この大ヒットソングだけでウキウキする。

1960年代、ビートルズが世界中を席巻していた時代のノルウェーはオスロを舞台に4人の男子高校生が「自分たちもビートルズになりたい!」と「スネイファス」なる音楽バンドを結成する。
だからビートルズのカバーバンドかと思ったら、ビートルズの曲はシーンに合わせてバックに流れるだけで、バンドのオリジナル曲が最後に演奏されるだけ。
下手なカバーバンドでビートルズを延々とやられては堪ったものではない。

自分たちの作った曲を最後に1曲演奏するだけのビートルズに憧れる少年たちの大人への通過儀礼を描くこの作品は中々よく出来ている。

4人が自分たちもバンドを結成しようとした切っ掛けは船乗りのセブ(ホ-ヴァル・ジャクウィッツ)の父親が外国で出たばかりのアルバム「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ」を聞いた瞬間だ。
手巻きの蓄音機に大判のLPレコード。
今では博物館でしかお目に掛かれない。因みにセブは内気なジョージを自認している。

リンゴ並みにドラマを叩くオラ(ハルヴォー・シュルツ)は早く叩きすぎて他のパートと合わない。
ジョンを自称するグンナー(オレ・ニコライ・オレンセン)は美声の持ち主。ジョンと同じギターを買うため実家の配達仕事を手伝う。

イケメンのグンナーは配達先の人妻と不倫を始め、
セブの両親はいがみ合って家庭崩壊、
オラは恋人が出来付き合い始めるが前途多難.。
街はベトナム反戦デモ荒れ狂っている。

映画の主人公は、ポール・マッカートニーを自称し彼に似せようとマッシュルーム・カットにしているキム(ルイス・ウィリアムズ)。

ある日ビートルズの映画を見に行って出会った少女ニーナ(エッマ・ウェーゲ)に出会う。
別れ際のバス停でいきなりキスをされてショックを受ける。

それ以来、名前しか知らないニーナに恋をしてしまい、毎日のように出す宛てのないラブレターを書き続け箱一杯になる。これが後で騒動を巻き起こすことも知らずに。

そんなキムの前に現れた転校生の美少女セシリア(スサン・ブーシェ)。2歳年上だが塀に寄りかかっていたセシリアの首に蛇が巻き着いた危機をキムが助けた事で知り合う。モデルになりたいと言う彼女のプロモーションビデオを撮ってあげると仲間を集めて撮影を始めるが素人のバンドの連中は右往左往。

2人はデートを重ねるが、裕福な家庭に育った我が儘なセシリアは気が強く「貴方なんて彼氏じゃないから!」と冷たい。
その内にセシリアはボーイフレンドに誘われるままモデル修行にロンドンへ行ってしまう。

しかしセシリアはいつしかオスロに戻っている。ロンドンで彼氏に捨てられモデルになるには背丈が低すぎると言うのだ。
オスロで超美人でもロンドンでは掃いて捨てる程居る。キムにとっては願ってもないチャンスだと喜ぶ様が楽しい。

内気ながら優しいキムとセシリアは次第に深く付き合うが、ある日、キムの部屋でセシリアがニーナ宛てのラブレターを読んでしまい、更に悪いことにセシリアの自宅でのパーティーでもキムが泥酔騒ぎを起こす。頭に来たセシリアに絶交を宣言される。

そんな絶望するキムに他の3人のバンド仲間は自分たちが演奏するバーにセシリアを呼び、そこでキムがセシリアへの愛を叫ぶ歌でセシリアの心を取り戻すんだ!とキムを励ます。

セシリアのハートを取り戻そうとキムは思いのたけを曲作りに専念し素晴らしい曲と詩が出来上がる。
そして運命の演奏の日。

それぞれが様々な悩みやトラブルを抱えながらもキムのために集まった「スネイファス」は、半信半疑でやって来たセシリアの前で歌うキムのボーカルをバックで懸命に盛り上げる。

キムが自分に捧げてくれた歌の熱唱に感動したセシリアがステージのキムに満面の笑顔で駆け寄る。彼女がキムに抱きつくその直前に、2人の前にキムが思いも寄らない人物、あの「一瞬のキス」のニーナが立ちはだかる。

エンドクレジットに流れるのは「レット・イット・ビー」。あるがままに受け入れるんだ、と言うビートルズかの結論を伝えている。

出演者はセシリア役のスサン・ブーシェ以外は全員素人。
監督のベーテル・フリントは少年たちnoちょっと甘くてほろ苦い少年の日々、大人への通過儀礼を演出している。

10月1日より新宿シネマカリテにて公開される

「舗道の囁き」(日本映画:1935年):アメリカ被れの昭和初期の映画人が80年前に造ったミュージカル

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僕がパーキンソン病の疑いで逓信病院の椎尾先生に紹介してくれたのは加賀祥夫さん。同病相憐れむとすっかり良くなった姿をみせつけて体験を語ってくれた。
昭和7年生まれの84歳、今は無くなった大映の宣伝部長だった。

加賀祥夫さんは加賀まり子のお兄さん、二人の父親で戦後も大映のプロデューサーとして活躍した加賀四郎が、昭和10年、自ら興した独立プロ「加賀ブラザース」第一回作品として製作した日本初の本格的なミュージカルが今日紹介する映画だ。

加賀四郎は、RKO(これもハリウッドから消えている)のドル箱スターであったフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの陽気なミュージカル映画が大好きで、若手のトップダンサー中川三郎と人気ジャズ歌手ベティ稲田を起用して日本版アステア&ロジャース映画を目指した。

戦時中の空襲によりフィルムと資料が全焼。アメリカ至上主義の映画は当局にも睨まれ一度も一般公開されることのないまま、どこかの闇に消えたと思われていた。が25年ほど前にカリフォルニアのUCLAの映像保存倉庫からフィルムが発見されたと言うこちらも映画になりそうな話だ。


ストーリーは他愛ないコメディタッチのボーイ・ミーツ・ガール。
コメディとは言えバカバカしいオーバーな芝居にシラける。
昔の人はこんなもんを面白がったのか。

アメリカ生まれのジャズ・シンガー、ベティ吉田(ベティ稲田)が鳴り物入りで来日し、東京、大阪、福岡と巡演は大成功を収めるが、悪徳興行師栗田にギャラを持ち逃げされる.
一文無しで無銭飲食をして雨の中に放り出された時に失業中のバンドマスター、沖(中川三郎)と出会う。

不思議なことに悪役、栗田のクレジットは出ない。誰が演じているのだろう?出番が多いのに役者の名前が分からないのは不安だ。

お互いに惹かれ合うが、色んなごたごたがあり、沖はバンドの再起をかけたコンクールに応募する。
ベティも駆けつけ二人で歌い踊って、コンクールで優勝する。
沖のバンドは職を得、ベティは大手レコード会社と契約する。
ハッピーエンドの蔭に新聞記者佐竹の身を挺した犠牲が潜んでいる。

ベティが無銭飲食して放り出されるのは「ミルクホール」、そしてコンクールが開かれるのも「ミルクホール」。
コンテストが無い時はダンサーが男性客を漁り、酒食を供する。いってみればキャバレーだ。
誰もミルクなど注文しない。

監督・主演は松竹の大スターだった鈴木傳明。
口髭を蓄え中折れ帽を被った姿はエロール・フリンにも負けないイイ男。
扮するのは新聞記者の佐竹。

アメリカの友人から日本での興行を仕切る栗田を警戒するようにとベティへの手紙を預かっていた。
栗田のオフィスで揉め大型客船が横浜・山下桟橋到着で喧嘩になるがどうしても本人に会えない。
ベティと沖を救おうと動きまわっている内に交通事故に会い救急車で運ばれ重篤な症状にも関わらず二人の行方を見守る。

あまつさえ沖にぞっこんの自分の妹(花房銀子)に思慕を止め彼を諦めろと引導を渡して息を引き取る。

加賀四郎は、当時、松竹の城戸四郎撮影所長と衝突し、岡田時彦、高田稔とともに松竹を飛び出した鈴木傳明をこの作品に抜擢したのだが、公開直前になって、松竹サイドから圧力がかかり、結局、製作時には一度も上映されないまま、葬り去られてしまい戦争が始まって尚更「敵性映画」のレッテルで公開は出来なくなった作品だ。


天才タップダンサーと言われた中川三郎は当時アメリカ修行を終え帰国したばかりの19歳。
アステアを凌ぐような機関銃のようなタップの妙技と、ベティ稲田の独特のフレージングのジャズソングが披露される。

曲の多くは洋楽(ハワイアン、ラテン、スタンダードジャズ)で船中で歌う「ダイナ」やコンサートでは「ラクカラチャ」「マリヒニメレ」沖の「アパートでは「ブルームーン」そしてコンテストで「セント・ルイス・ブルース」を踊りまくる。

冒頭から、ふたりのデュエットで何度もリフレインされる服部良一作曲の主題歌「舗道の薔薇」はこんなスタンダード・ナンバーに挟まれるとみすぼらしい。

ラストシーンもこの曲がバックに流れ「In the loving memory of Mr.Ichiro Satake」と刻まれた十字架の墓を後にする沖とベティの悲しみの姿でで「完」と出る。

昔の映画の良いところは10分も続くエンドクレジットを排しただ一言で終わらせる点である。

デックスプロモーションからDVDとして発売されている。

「ラサへの歩き方 祈りの2400km」(PATHS OF THE SOUL)(中国映画):身体を地面に投げ出しその分だけ進む「五体投地」で聖地ラサや更にその先の聖山カイラスを目指し2400kmもの気が

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稲葉稔の幕府役人事情 浜野徳右衛門シリーズ4巻目「疑わしき男」(文藝春秋社:2016年4月刊)は時代劇捕り物帖だが主人公、先手組与力、浜野徳右衛門の推理や洞察力が優れていてスリリングな展開で一気に読ませる。

徳右衛門はひょんなことから与力、津野惣十郎に絡まれ挙句に果し合いまで申し込まれる。困り果てていたところで惣十郎は居酒屋からの家路で一刀のもと斬り殺される。
徒目付の探査が始まるが容疑者の筆頭は斬りあいまでして揉めていた徳右衛門。
嫌疑を晴らそうと惣十郎の交友関係を調べるが惣十郎ほど人間性が悪く同輩や部下につらく当たった男は居ない。

誰もが殺意を抱いているが総ての人にアリバイがある。
惣十郎を巡る交友関係者の動機とアリバイを丹念に調べ上げて行く過程がストーリーテラーの稲葉が上手い。

熊本県生まれの稲葉稔は還暦を過ぎたベテランの時代劇作家。これと言った文学賞は皆無だが書き下ろし時代劇シリーズを何本も抱えている人気作家だ。


昨年5月に公開されたドキュメンタリー「ダライ・ラマ14世」を見ると「五体投地」と言う礼拝法に驚く。
手足に大きな下駄を履き、両手・両膝・額(五体)を地面に投げ伏して尺取り虫のように身体全体を伸ばし縮めながら、ゆっくりと前進し聖地に近ずき祈る、仏教でもっとも丁寧な礼拝の方法だと言う。
映画ではインド最北の地、ラダックで大晦日から2日かけて極寒の山頂の聖地を目指す数百人の信者達の

「五体投地」や、ダラムサラのチベット・チルドレン・ヴィレッジでの子供たちの生活、ギュメ寺での僧侶たちの修行の様子など、亡命政権でのチベットの人々の暮らしが描かれている。平和を訴え、非暴力に徹してきたダライ・ラマ法王の業績が映し出される。

チベット動乱と1959年のダライ・ラマ14世のインドへの政治亡命以来半世紀以上、チベット亡命政府のあるインドのダラムサラと、いまもチベットの伝統と風習が受け継がれるラダックには脈々と受け継がれるチベット仏教の教えと、その源流であるダライ・ラマの存在、そして亡命後にダライ・ラマ14世が人々と作り上げてきたものを描いている。

リチャード・ギアはダライ・ラマ法王の教えを乞うため1年に1回撮影の合間を縫ってラダックを訪れる熱心なチベット仏教の信者だ。
彼の主演映画(最近では数は減ったが)の記者会見では映画の事よりダライ・ラマへの賛歌と中国政府への憎しみが吐露される。
日本は中国を何とかしなければならない、と訴える。憎き悪徳の中国だと。

 
 前置きが長くなったが、この映画「ラサへの~」は中国の劇映画だ。
ダライ・ラマの天敵・中国が国内の自治区に住むチベット仏教の信者たちの村人たちの聖地巡礼の旅を描く。宗教や信心だけに徹し亡命政府や政治のことは一切触れない。
チベット、カム地方のマルカム県プラ村。。父を亡くし49日も経っていないニマの家では、法事が行われている。

 父の弟、70歳のヤンペルは、思い残すことなく死ぬ前に聖地ラサに行きたいと願っていた。
そんなヤンペルの願いを叶えるために、50歳の家長・ニマは巡礼の旅を決意する。

 やがて老人、妊婦、幼い少女タツォら同行を願う村人が集まり、総勢11名で出発。
五体投地しながら聖地ラサや更にその先の聖山カイラスを目指し2400kmもの気が遠くなる道を進む。

 亀やナメクジよりは早いが、立ち上がって前方に身体を投げ出すと身長分しか進まない、人間尺取り虫。ゾロゾロ這うように進む公道をトラックや乗用車がビュンビュン飛ばしていく。

途中では落石やら道に水が溢れ川になってしまったり、荷物などを積んだ農耕トラクターが乗用車に追突されて大破したり難関苦行のエピソードに溢れている。

監督は「こころの湯」「胡同のひまわり」(何れも父子暖かい思いやりを描いた僕の大好きな作品だ)のチャン・ヤン。

ドキュメンタリと見えるがフィクションで、チベット以外では見られない両手・両膝・額を大地に投げ出し他者のために祈りながら進む村人たちの生き方を劇映画にした。

 役者は使わず素人の村人たちを聖地ラサまで1200km、さらには聖山カイラスまで1200kmの2400kmもの道のりを1年かけて行く過酷なロードムービーだ。

渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開中

「チリの闘い 三部作」(THE BATTLE OF CHILE )(チリ・仏・キューバ映画):米国の暗躍と陰謀でチリのアジェンデ大統領は自殺に追いまれ「社会主義政権」は瓦解する

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「入院して1カ月近くなると新作映画は見られないが、ブログは毎日書かなければならない。仕方無く入院前に見て書いてない作品を記憶とプレスを頼りに綴ることになる。

逓信病院の外は灼熱の太陽が照りつけており、台風が次々と来襲し暴風雨が荒れ狂っているが、窓一つ隔てると別世界。平穏で静謐なノホホン毎日を送っているが(手術後は流石に傷口が痛かった)、病院食の不味さと読売巨人軍の弱さには参っていて回復の足を引っ張られている。


今日の映画は263分の大長尺。ネットで4時間半を超す。
1部がほぼ1時間半の長さで間に2度オシッコタイムの10分を挟むから、試写が終わって劇場を出ると5時間が経過していた。
休憩中におむすびやサンドウィッチを食べている人も多い。

 1975年制作のこの映画は16ミリで撮影されたモノクロ。
現場感が漂い迫力がある。スペインで映画制作を学んだグスマン監督は、1970年11月、民主主義選挙により世界で初めて民主的選挙で人民連合政権の社会主義政権が樹立されサルバドール・アジェンデ大統領が就任する。

人口の4割を占める労働者や市民の貧困層の支持を得て1973年3月のチリ議会選において、左派が与党となったことにより、選挙では勝てない右翼を中心とした過激な暴動がはじまる。

アメリカの影がちらつく暴動がジェンテの政府を弱体化し危機的状況に追い込んでいく。(第一部「ブルジョアジーの暴動」)

 1973年6月29日、軍は大統領官邸(モネダ宮殿)を攻撃。アジェンデは抵抗し、クーデター未遂事件として終わるが、政権の崩壊は時間の問題だった。

9月11日、チリ国民に向けたラジオメッセージを最後にアジェンデは自殺、軍部によるクーデターが成立する。(第二部「反乱」)

 遺書となるラジオメッセージが心に響く「私たちは正義と自由を構築する。新しい社会のために」マイクの前で眼鏡を光らせながら国民に淡々と語りかけるアジェンデは痛ましい。

 大統領府の前では数万の市民が「アジェンデ、我々はあなたを守る」とプラカードを掲げて叫んでいる。

幾万人もの労働者階級の人々の「民衆の力」と呼ばれる組織は、自らの食料生産などを通し、闇市場に対抗。
工場や農場を経営し、社会的組織を営んでいた。反アジェンデ政権と右翼に対抗し、ソビエト型の社会主義を目指す、チリの民衆を記録(第三部「民衆の力」)

アジェンデの自殺で1000日に及ぶ社会主義政権の終焉をえがいた1部と2部は波乱万丈のドラマに似て迫力に満ちている。

 悪漢はアメリカだ。映画の画面では触れないがナレーションで公認の事実としてアメリカのCIAの暗躍を指摘する。

アジェンデ大統領は歴代政権が断交していたキューバとの国交を回復する。米国資本の銅鉱山や電信電話事業を国有化する。
大地主の特権を奪う農地改革を行う。

アメリカには我慢できないことばかりだ。
そこでチリの軍人をパナマ運河地帯の米軍軍事訓練所でクーデターの工作活動を教え、組合活動の幹部を賄賂で抱き込み物流のトラック業者に長期のストライキをさせて経済活動をマヒさせる。メディアにも手を廻し「物流が途絶え日常品が不足してるのはアジェンダのせいだ」と大々的に喧伝する。

市民労働者の支援があってもたちまちアジェンデ政権は目に見えて立ち行かなくなる。

 監督・製作のパトリシオ・グスマンは日本では知られていないが、10月より東京・岩波ホールで上映が始まる「光のノスタルジア」と「真珠のボタン」が公開されるチリのドキュメンタリー作家。両作品とも美し詩情あふれる砂漠や海底の画面の裏に政治犯として処刑された遺体が埋められていて、政治の暗黒や闇を潜めている。

グスマンはスペイン・マドリッドの国立映画大学で映画制作を学び、アジェンデ政権下の1971年に帰国し、チリにおける政治的緊張と社会主義政権の終焉をリアルタイムで捉えた記録映画に仕上げている。
地球の裏側、我々には未知の国、チリの大統領を自殺に追い込んだおぞましいい歴史をグスマン監督自ら16ミリで撮ったドキュメンタリーは教えてくれる。

9月10日より渋谷ユーロスペースにて公開される

「ソング・オブ・ラホール」(SOMG OF LAHORE)(アメリカ映画):シタールやタブラなどの古典楽器でジャズを演奏しNYなど世界で受け入れられ、逆輸入でタリバンに破壊された伝統音楽を復興する

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パキスタン・イスラム共和国(Islamic Republic of Pakistan)は70年代後半国教となったイスラム教の原理主義者により世界遺産のバーミャン摩崖仏など伝統的文化遺産を多く破壊された。
ラホールは1000年以上もインド亜大陸の芸術の中心だった。

だが90年代に台頭し始めたタリバンによるイスラム化の波は伝統的な歌舞音曲の禁止や破壊にまで及んだ。

音楽家たちはウエイターやリクシャの運転手や土方など、糊口を凌ぐため慣れない下賤な仕事に就かざるを余儀なくされる。
酷いのになると殺害されたミュージシャンもいる。

そんな逆境の中、細々と演奏活動を続けてきた音楽家たちが突如、伝統音楽の継承をし再生を始める。

イギリスで成功したラホール出身の実業家イッザト・マジードが私財200万ポンド(2.8億円)を投じて音楽スタジオを作り、往年の音楽職人たちを集めて楽団「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」を結成し無職の音楽家を呼び寄せたことだった。

「このままだと伝統あるパキスタン音楽が絶えてしまう」と危惧を抱いていたミュージシャンは喜び勇んで馳せ参じた。
伝統的なパキスタン奏法でジャズを取り入れ始める。
「スィングしなければ生き延びない」と慣れないスタンダード・ジャズに取り組む。
白いローブにターバンに髭、見るからに異色のジャズ演奏家たちだ。

彼らはシタール(インドの弦楽器)やタブラ(伝統的ドラム)などの古典楽器を用いた、世界で類を見ないジャズのスタンダードナンバーを生み出し、伝統音楽の底力を見せつける。
メロディは馴染みがあるがシタールがリードをとるとエキゾチックな魅惑的な曲に変貌する。

1950―60年代のデューク・エリントンなどアンバッサダー・オブ・ジャズのカバー演奏をする。

「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」を世界的に名を広めたのはユーチューブに投稿したデイヴ・ブルーベックの名曲「テイク・ファイヴ」をカバーしたプロモーションビデオだ。
シタールがメロディ・パートを歌い上げ、タブラが華麗にファイブ・リズムを刻む。
たちまち世界中が注目し、100万以上のアクセスを記録した。


女流ドキュメンタリー作家、シャルミーン・ウベード=チナーイが関心を示しバンドを追い始める。

SNSの動画をイギリスBBCが取り上げたことで、NYリンカーンセンター音楽監督でジャズミュージシャン、ウィントン・マルサリスの知るところとなり、世界最高峰のビッグバンドと共演させようと、彼らをニューヨークへと招待する。

故郷ラホールから大都会ニューヨークへ。
タイムス・スクウェアで彼らは、ストリート・ドラマーの素晴らしいリズムを聴き、星条旗のパンツにカウボーイハットの「ネイキッド・カウボーイ」のギターに合わせてデュエットする。

音楽と真剣に向き合える自由、芸術が息づく街、音楽を愛する聴衆たちと出会うことで、音楽家である誇りを取り戻していく。

コンサート直前に肝心のシタール奏者がジャズと古典音楽の狭間で堪えられなくなり逃亡するがNY在住の奏者が見つかり事なきを得た。

晴れのリンカーンセンターの舞台、黒人の中で真っ黒なウィントン・マルサリスのバンドの紹介で真っ白な姿の髭面の男たちの演奏が始まる。

パキスタンで文化が縮小し続けるなか、居場所を失った音楽職人たちと彼らの音楽”ラホール・ジャズ”の本当の旅がはじまる

監督はアカデミー短編ドキュメンタリー賞を2度受賞したパキスタン人女性シャルミーン・ウベード=チナーイとニューヨーク在住のアンディ・ショーケン。

「ロリウッド」と呼ばれるパキスタン映画産業の中心都市、ラホール。
数々の映画が作られるとともに、伝統楽器を使った映画音楽も数多く生み出された。
「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」の成功とこの映画のヒットで「ロリウッド」は再び花開こうとしている。

角川シネマ有楽町他にて公開中

「ラスト・タンゴ」(Un tango más)(ドイツ・アルジェンチン映画):50年間コンビを組んでアルジェンチン・タンゴを踊り続けたマリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペス。

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いよいよ今日で退院だ。
1カ月近く逓信病院に入院していた。
最初はパーキンソン病の治療と投薬、次いで脊柱管狭窄症の手術。
外を歩くのが怖い。

「煉瓦を運ぶ」(LIGHTLIFTING)(新潮社:2016年5月刊)の著者、アレクサンダー・マクラウドはカナダのオンタリオ州ウィンザーで育つ。
ハリファックスのセントメアリー大学で文学と創作を教えながら10数年に亘り、短編を書き綴って2010年に本作を刊行、処女作だ。

それでも一躍注目を集めたのは、父親がノーベル文学賞候補に挙げられた著名な作家、アリステア・マクラウドだからだ。しかし親の七光りばかりでない。
充実した短編集はギラー賞を授与され、フランク・オコナ―国際短編賞にノミネートされた。

短編は7作収められているが自分が育ったデトロイト川に近いウィンザー西部の種々雑多の階層の人々が住む街を舞台としている。
国境を隔て隣接しているデトロイトの自動車産業の関連工場が主産業。
ラスト(錆)ベルトと呼ばれる斜陽化している工業地域で暮らす労働者階級の人々が主人公だ。
彼らは、労働やスポーツに身体を使うこと、身体を動かすことを主軸にする。

最初の「ミラクルマイル」はこれから自爆テロを実行するのではないかと思わせる二人の親友の会話。
幼馴染の中距離ランナーたちでホテルの部屋に閉じこもり強敵の名を挙げながらトラックでの死闘をイメージで勝ち抜いて行く。
アレクサンダー自身も学生時代は中距離の選手だった。

「親ってものは」はシラミの話。冒頭若い父親が妻や子供たちの髪をかき分け梳いてシラミを探す。時代は随分前に違いない。
戦後日本人の僕らにもシラミがたかり、それが学校や職場で人から人へ移動する。
しかし進駐軍がDDTを持ち込み学校で子供たちも教師も頭から噴霧器のようなものでかけられて雪だるまのように真っ白になる。
小説の後半にはDDTが登場しシラミを根絶するがDDTは副作用で長年に亘る環境破壊につながりシラミより大きな害を齎す。

歴史に現れるシラミのエピソードは気持ちの悪いものばかり。
だが軸になる話は病気の乳児を連れて両親や祖父母とクリスマスイブを過ごす約束だからと、モントリオールからウィンザーまでの長距離を車を走らせる。
赤ん坊の容態は悪化し妻は嘆き悪態をつく最悪のクリスマスだ。

カバーストーリーの「煉瓦を運ぶ」は湖畔の新興邸宅街のドライブウェイに煉瓦を敷く仕事をする労働者。
夏休みの2か月間灼熱の太陽の下で煉瓦運びを一生懸命に務めた高校生ロビーの送別会で仕事を昼までに切り上げる。
リーダーのトムは昼からビアパーティでしこたま酔っ払い、他の唯一の客、工場作業員たちに論争を吹っ掛けたちまちの乱闘。多勢に無勢、数人に殴り倒され道路でのびたところを更にキックを浴びて動かなくなる。

 「良い子たち」は心を打つ少年たちの短編だ。
4人兄弟の住む家の傍の貸家に母と子どもが越してくる。
母の姿を見たことが無いが、兄弟たちよりやや年下のレジーと言う少年がいる。
兄弟たちのミニホッケーの試合をじっと見物し、ゲームに入れてやらざるを得ず登校や下校は必ず一緒に行動する。

学校では誰にも相手にされず兄弟たちが唯一の友達だ。
遂にレジーは兄弟の母親に気に入られ夕食に招かれる。好きなものは?と聞かれ毎回リクェストするのは「ロールキャベツ」。
その料理こそ兄弟が一番嫌いなものだった。

余談になるが僕の孫、K君は学校では人気者で級友の誰にも親切だった。
ある時校長に呼ばれ仲間外れのいじめられっ子X君の面倒を見てくれと頼まれる。
X君からご指名で「Kちゃんが好きだ」と言われたそうだ。

それから学校でも放課後でも夜になるまでベターっと付きまとわれる。
X君は不登校気味でK君も付き合い始める。

X君の両親は半年後に転校させてしまい重荷を外したが、K自身が不登校になってしまった。
それから3年間家に閉じこもり性格も変わってしまう。

父親の大学教授はノイローゼになり休職に追い込まれた。
とっつかれるととんでもない結末になる。

幸いKは中学校に進学し部活に熱中し、息子の教授の方は新学期から講義を始めた。
小学校校長の思慮分別の無いおせっかいが一家を悲惨のどん底に追い込んだことを校長は知る由もない。


閑話休題、下校になるといつものように兄弟たちを待ち受けているレジーに遂に次男のジェイムズが切れる。
泥だらけの道路で殴る蹴るとボコボコにされながら「痛く無い、痛く無いよぉ」と歌うように唱える。他の3人の兄弟が引き離した時には泥まみれのレジーは弱り切っている。それでも「本気じゃなかったんだろ、僕は平気だよ」と言うレジーにジェイムズはあやまりつづける。
直ぐに母親と引っ越してしまったレジーは今頃は30をすぎたばかり、どうしているだろうか?」と長男マイケルは回想する

7編とも自身を外側から客観的に見つめ,行動と人生を振り返る。人生は思いがけない出会いとアクシデントで大きな転換を迎える。



80歳を過ぎた老人男女が罵りあっている。
「マリアにはうんざりだ!」
「コペスなんてくたばれ!」
この二人こそアルゼンチン・タンゴの伝説的ペア、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスだ。

1940年代、アルゼンチン・タンゴがブームを迎えた頃、マリア・14歳とファン・17歳が出会ってから50年近く踊り続け、世界に名声を轟かせた名コンビなのだ。

しかし栄光の裏で二人は何度も、愛や嫉妬、裏切りが繰り広げられていた。
愛と憎しみを芸術的なタンゴダンスに昇華できたのは、タンゴへの情熱と互いへの尊敬の念が根底にあればこそだ。

アルゼンチンでタンゴが下火になった時、二人はNYへ飛び、バーで狭いテーブルの上で派手に踊るタンゴを考案する。これが人気を呼び、世界ツアーを行うなどアルゼンチン・タンゴに革命を起こした。

しかし、1997年、日本へのツアー公演を最後に、ついにコンビを解消する。
他のダンサーと組んでは理想の踊りができないと骨の髄まで知る彼らが冒頭の罵詈雑言を互いに浴びせるとは、いったい何が起きたのか。

以来、互いに顔を合わせることすら避けていたのだったが、後継者となる若きタンゴダンサーに二人の波乱の人生とタンゴへの愛を語り始めた。

映画は回想シーンになる。
ドキュメンタリーの実写から実録ドラマに転じる。
 マリアの青年期はアジェレン・アルバレス・ミニョ、壮年期をアレハンドラ・ゲティ、ファンの青年時代をファン・マリシア、壮年期をパブロ・ベロンが演じている。
夫々余り似ているとは言えないが、タンゴ界を代表するダンサーと言う基準で選んだのだから仕方が無い。何れも華美でダイナミックで激しく優しいアルジェンチン・タンゴを披露してくれる。

マリアは告白する。「ファンと恋に落ちたの。タンゴは口実に過ぎないの」とメロメロ。
しかし止めは「もう二度と生まれないわ。私とファンのようなタンゴ・ペア」はと、心残りも見せる。「私はタンゴのために生まれ、タンゴのために死ぬ」とカッコ良い挨拶を最後のステージで述べている。

愛し合いながら、互いに愛人を作り、嫉妬、憎しみ、だがダンスへの情熱、ダンス・ペアの誇りは忘れない。

制作総指揮はドイツの名匠、ヴィム・ヴェンダース。
監督。脚本はアルジェンチン生まれのヘルマン・クラル。ドイツへ渡りヴェンダースに師事。1996年の「TANGO BERLIN」 以来7本のドキュメンタリを撮っている。

踊りに合わせ映画全編に流れる音楽は、セステート・マジョール、トロイロ楽団、ダリエンソ楽団によるタンゴの名曲ばかり。

現在、マリア・ニエベス、82歳、フアン・カルロス・コペス85歳、二人とも矍鑠としてアクティブにタンゴにかかずらあっている。

マリアとファンの波乱万丈の男と女のドラマを情熱的なタンゴ・ダンスで綴る心を奪われる1時間半の映画だ。

京都シネマ他で9月7日より公開される(東京では終)

「サンマとカタール 女川とつながる人々」(日本映画):女川は流されたんじゃない。 海の見える景色を残したまま新しい町が誕生するんだ!。若者連合の主導で「女川の未来」は見えて来る。

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 アメリカでは昨日のレイバーデイをもって映画のサマーシーズンは終了する。
年間興行成績の6割を挙げる「夏映画」も一昔前は5月末のメモリアルデイからレイバーデイ週末と決まっていたが、最近はイースターが終わる5月初頭から前倒しで各スタジオは大作を注ぎ込んでいる。

今年も150Mから200Mを注ぎ込んだ大作がゾロリとそろったが殆どはシークェルかリメイクばかり。
それでもオリジナル作品でサンダンス映画祭で認められ、限定公開のロードショウから勝ち上った映画もいくつかある。

 夏映画BO総計は昨年とほぼ同額の4.48B(4,659億円)と推定される。相変わらずハリウッドは景気が良いが儲かっているのはウォルトディズニーかユニバーサルでソニー映画やワーナーブラザースは苦しい台所事情を抱えている。
一番深刻なのは名門パラマウントで一発勝負に賭け巨額の制作費を投じた「ベンハ―」がコケ、親会社のヴァイアコムのCEOフィリップ・ドウマンのクビが飛んだ。

 夏が終わってこれからはいよいよオスカーやゴールデングローブ賞などを目指す作品が登場する。
第一弾がクリントイーストウッド監督トム・ハンクス主演の「ハドソン川の奇跡」で昨夜行われた品川TjoyのIMax試写が見たくて脳神経外科のK先生にお願いして退院を前倒しにして貰ったのだ。この批評は今週末に書く。

邦画は好調だ。
先週末(3-4日)のBOを見ると青春アニメ「君の名は」首位を連続2週獲得して公開10日で興収は38億円を突破と驚異的な記録。

2位に再上昇した「シン・ゴジラ」も引き続き好調,土日2日間で動員20万人、興収3. 2億円をあげ累計興収60億円を突破している


 組織をはみ出し独自の行動をする女性警察官、クロハこと黒羽佑巡査部長が活躍する警察小説シリーズ「アルゴリズム・キル」(光文社:2016年6月刊)はタイトル通りネットやSNSに詳しく無ければついて行けないと最初は思った。

県警本部の捜査一課を外され所轄署の警務課にまわされ公演で吹奏楽のイベントに立ち会っていたクロエの目の前で身元不明の少女が倒れ息を引き取る。少女の身体には子供の掌紋で打撲の傷が一杯あるが見えない処で致命傷は棒状なもので強く殴られたものだ。

これを切っ掛けに親の保護下にいないロウティーンの子供たちの死体が次々と発見される。そしてそのクロハの携帯端末のCGの地図上に死体の場所に赤い柱が「kilu」とかかれた立っている。果たしてその柱の傍には少年たちの撲殺された死体が発見される。

 どうやら中心の少年は「細身の鼻筋の通った子」だと絞れる。
5年振りの女性警察官クロハシリーズ、
迷宮化する都市の闇に跋扈する、誰からも愛されていない影の存在。
そこから強烈に放射される悪の根源を探る主人公
バックには県警の不正会計処理や児童福祉の問題が存在している。
県警本部審理官とその部下たち、所轄署の自殺した経理課員とその同僚、区役所子ども支援室などが絡んで来る。

クロハの常人とは外れた考察と行動で無事問題は解決を迎える。


 宮城県女川町の名を一躍世界に知られたのは、高台から見下ろす町並みの家や車が津波の引き潮に流され町は完全に破壊され殲滅される映像だった。
2011年3月11日。この日574名の住民の内半数近くの235名の死者、行方不明者を出し、8割以上が住まいを失った。

それから町が徐々に復興して行く。
見事なのは定点観測。

 高台から撮った地獄絵を基底に、津波が引いた後、流木や木造家屋は跡形も無いが鉄筋コンクリートのビルは骨組みだけを残して廃屋が地面にへばりついている。
廃墟と化した町並みに、徐々に家が建ち道路が整備され商店街が出来て人通りが多くなる。監督、乾弘明はじっくりと時間をかけ刻々と進む復興の模様をHDカメラに収めて行く。

 乾自身はTV朝日の「報道ステーション」のディレクター、TV用に撮ったフーテージは十分すぎるほどある。それをどう編集しナレーションをつけるかがポイントなのだ。
復興の中心は若者たち。ネットワークを作り上げて知恵を絞り、汗をながして盛りたてる。女川はサンマの町。震災の年も休むことなく続けられた「秋刀魚収穫祭」では大勢の客が町にやって来て獲りたてのサンマに舌鼓をうった。

 しかしサンマは冷凍倉庫が無ければ日持ちがしない。そこに中東のカタールから援助の手が差し伸べられる。

映画のタイトル「サンマとカタール」がようやく結びつくのだが、カタールの要人やドバイに余り焦点を当てていない。
「カタールフレンド寄金」から2500万ドル(26億円)もの巨額な寄金で3階建ての冷凍冷蔵施設「マスカー」を作ってくれた。
その後マスカーの周辺には多くの水産加工工場の建築が進み、女川の水産業復興の牽引役となった。

これを契機にサンマ水産業は全国的な規模の展開となるのだが、映画は復興の機動力として若者リーダーの阿部淳の言動に焦点を当てている。
阿部の主宰する「復幸祭」は、高台へ「逃げろ!」マラソンやサンマの塩焼きに加え、JR女川駅の開通(2015年3月)商店街のオープンなど順調に推移している。

 鮮度を保たなければサンマは商売にならない。
女川の復興は何と言ってもこの冷凍冷蔵施設「マスカー」なのにドキュメンタリは阿部をキーパーソンとして誉めそやしている。

「女川は流されたんじゃない。
海の見える景色を残したまま新しい女川が誕生する!」と主張する阿部はカッコ良い。

「サンマとカタール」と言う題名は映画的で惹きつけるものがあるがターバンに白いローブのカタール人は画面に余り登場しない。むしろ「サンマと若者リーダー・阿部淳」とタイトルを変えた方が良さそうだ。
中井貴一がナレーションを務める。

上映は終了し11月よりDVDが発売される。

「ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気」(FREEHELD)(アメリカ映画):肺癌が全身に転移し、余命幾ばくも無い敏腕女刑事ロ-レルがレズのパートナー、ステイシーに自分の不動産や年金を受け取れる資格を求

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こんな下手な題名は見たことも無い。「手のひらの勇気」って何だ?
「ハンズ・オブ・ラヴ」なんて英語の意味は?
Freeholderの語源を映画で説明して欲しい。
プレスによるとニュージャージー州固有の法律で自身が所有する土地財産を自由に処分することが出来る人のこと

レズビアン同士の片方が不治の病に堕ち余命幾ばくも無い。同性愛の相方に家屋などの不動産を譲りたい、年金受給者の権利を継がせたい、その自由の権利をゲイに与えて欲しいとの闘いを描く。

刑事ローレル・ヘスター(ジュリアン・ムーア)と23歳年下の自動車整備士のステイシー・リー・アンドレ(エレン・ペイジ)と出あったのが1999年だから同性愛に対する世間の目は険しい。

米連邦最高裁で「同性婚を含むすべてのアメリカ人の婚姻を保証する」という画期的な判決が降りたのが昨年(2015年6月)の夏。二人の闘いが判決に影響を与えたと認めらる。

アンシャンレジーム時代にローレルとステイシーがどれほどの苦難の道を乗り越えLGBT仲間の応援を得てFreeheld,自由の権利を勝ち取ったか、州政府委員が満場一致で可決した瞬間は涙が零れる。

この劇映画の前、2008年にローレルとステイシーという実在する二人の女性の、愛と自由をかけた闘いを記録したドキュメンタリー映画「フリーヘルド」がアカデミー短編記録映画賞を受賞した。

NJの片田舎の実話が全米を感動で包んだレズの愛情が「フィラデルフィア」(93)でオスカーを初め数々の映画賞を授与されたロン・ナイスワーナーが脚色している。
「フィラデルフィア」のエイズとゲイの弁護士がここではゲイの女刑事に置き変わっている。
「キミに逢えたら!」などのピーター・ソレットが監督した。

ニュージャージー州オーシャン・カウンティ。
20年以上、同僚のデーン(マイケル・シャノン)と組みオーシャン・カウンティ署警察官という仕事に打ち込んできた。

悪を憎み殺人犯やドラッグディーラーを挙げるなど正義感の強い辣腕刑事・ローレルに妻子持ちながらデーンは惹かれていた。巡査部長のローレルの夢は早く警部補に昇進することだった。
この辺りの描写はややチープでご都合主義、ソレット監督の未熟さを見る。

ある日、ローレルは隣り町でバレーの試合に参加しステイシーという若い女性と出会い、忽ち恋に落ちいる。
ダイク(レズビアン)を隠す必要は無いが、警察のような保守的でそうでなくても男尊女卑の社会ではカミングアウトは出来ない。
だからハンティングもデイトも警察署から遠く離れた場所へ行く。

年齢も出自も取り巻く環境も社会的地位も異なる二人は、愛し合っていることは確かで、手探りで関係を築きあげる。

下世話的な興味をそそる裸の女性が絡み合うシーンなどは全く無い。キスか着衣のままのベッドインでシーツの下で抱き合うだけ。

モーテルや狭いアパートでは飽き足らず、二人の愛い合う場所として郊外に一軒家を買い、一緒に暮らし始める。
銀行ローンを組むが刑事の給料で賄うにしては豪邸だ。

好きな色で壁を塗り直し、隔壁を壊して広いリビングルームを作るなど家を好みの赴くまま修繕し、犬(醜い中型犬)を飼い、愛の巣は完成する。
そして穏やかで幸せな日々が続くはずだった。

ある日体調が思わしく無いローレルは病院でMRIやCTスキャンの検査を受ける。何とステージ4の肺癌が既に全身に転移し余命幾ばくも無いことを宣言される。

自分がいなくなった後もステイシーが家を売らずに暮らしていけるよう、
遺族年金を遺そうと州のフリ-ホールダー委員に提訴するローレル。NYタイムスなど全国メディアの見出しを飾るが委員会は拒否の姿勢は変わらない。
法的に同性同士に認められていなかった。

残された時間の中で、愛するステイシーを守るために闘う決心をしたローレルの勇気が、抗がん剤で頭髪は抜け落ちてスキンヘッド、痩せこけた崩れ落ちそうな身体を車椅子に横たえ酸素マスクを外して訴えるローレルに委員も同情を禁じ得ない。
オスカー女優の体当たり演技は感動的だ。

ういういしいステイシー役のエレン・ペイジも身体全体でローレルに頼り切る芝居が上手い。
同僚の強面デーン役のマイケル・シャノンはストレートでローレルに惚れているが自宅を訪れ彼女がレスだと分かりしょげるシーンは嗤える。

瀕死のローレルの証言とパートナーへの愛情、それが警察の同僚や上司、カウンティに広がり、やがて全米をも動かしてローレルの息を引き取る間際に賛成票が全会一致で同意を得ることになる。

11月26日より新宿ピカデリー他で公開される。

「ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期」(Bridget Jones's Baby)(イギリス映画):長い男日照りの末、訪れたモテ期で2人の男と寝て妊娠、父親はどちらだ?

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 長い病院生活でも毎日ブログは絶やさなかったが今日は何回やっても書き込めない。

こんな時間になってようやく作動しはじめた。


夏映画はどれもこれもマッチョな男たちのアクション映画ばかりで辟易していたが、たおやか(ではないが)おっちょこちょいの女性主人公のロマンスに憧れ幸せを求めるいじましい映画は一服の清涼剤でウェルカムだ。

昨夜(7日)の六本木ヒルで行われた満員の試写会は久し振りのヒロインのカンバックを喜び、相変わらずのドジを嬉しがる笑い声で溢れていた。

ロンドンの出版社に勤める30代の女性、ブリジット・ジョーンズの日記(01)は結構楽しめた。
ヘレン・フィールディングのベストセラー小説が恋愛に翻弄されるOL心理を巧みに描写し、類似のNYの4人の女性たちを描く「セックス・アンド・シティ」を凌ぐ良い出来だった。

2作目の「~きれそうなわたしの日記」(04)から12年も経ってしまったらシークェルとは言えずRebootの範疇だ。
年齢は43歳にもなっている。

映画の冒頭は、誰にも相手にされずケーキにローソクを一本立てて消そうとしている。
背後に大音響で名曲「All BY MYSELF」(たった一人ぼっち)が流れている。
この曲は前作の最後に流れていた。セリーヌ・ディオンで大ヒットした曲だが彼女では無いらしい。

出版社の上司、ダニエル(ヒュー・グラント)とお堅い弁護士、マーク(コリン・ファース)の間を彷徨い歩くラブロマンスの狭間で「幸せになりたい!」願望は強いが、恋愛は不毛で結果、酒はかなり飲み、タバコは止められず、体重はいつもオーバーな「ブリジット・ジョーンズの日記」はファンがしっかり固定した。

恋に夢中だがキャリアも大事というブリジットは、なぜか未だ独身。
彼女が愛した男、上司のダニエル(ヒュー・グラント)は飛行機事故で亡くなり(グラントは教会の葬儀で遺影のカメオでアップされる)、その葬儀の場で鉢合わせをしたマーク(コリン・ファース)は別の女性、カミラ(チャールズ皇太子妃の名前と同じなのが笑える)と結婚してしまっていた。

しかし今やテレビ局の敏腕プロデューサーとなったブリジットはハンサムでリッチ、性格もナイスなアメリカ人のIT企業社長、ジャック(パトリック・デンプシー)と音楽フェスティバルで出会い暫くご無沙汰だった身体が燃えて情熱的な夜を過ごす。

デンプシーは「バレンタイン・デイ」や「トランスフォーマー」などで顔は見ているが何れも脇役でこんなイケメンだったのだと思い知らされる。

折角ジャックと良い仲になったのにマークが現れ、カミラと別れたと聞いて焼け棒杭に火が付く。昔馴染んだ身体に抱かれる心地良さ。

ここまではブリジットに「モテ期」が訪れ万々歳なのだが11週経っても生理が無い。
検査紙も陽性だし、産婦人科の先生もおめでとうを言われ超音波で胎児を見せられる。

43歳で赤ん坊を授かるとは嬉しい話だが、さあ困った、間を置かずジャックとマークの二人と寝てしまったので父親がどちらか分からない。

この生まれてDNA検査まで判明しないと言うことで生じる悲喜劇が可笑しい可笑しい。
マークもジャックもブリジットにゾッコンなので「父親は自分だ!」と譲らない。

 まわりの反応がオカシイ。
ブリジットと同様天然の母親は「3Pをしたの?」とあっけらかんと聞く。
TVのインタービューでゲイが子どもが欲しいカップルと勘違いして「代理母なんですか?」の質問に3人がのけぞる。

予定日より早く破水し病院へ駆けつけるシーンと出産シーンがクライマックス。救急車は呼べど来ないと諦め車を走らせ交通混雑でイタリア料理配送の小型車もダメ、マークとジャックは「重い」ブリジットを2.5キロの道を抱えて走る、走る。

苦労の結果生まれた男の子が可愛いこと!
さて父親は誰だ?
結果は1年後のブリジットの結婚式まで観客には分からない。

ブリジットのレニー・ゼルウィガーの天然ぶりが冴えわたり、観客は腹を抱えて笑い転げる。

三部作の中でベスト。

監督は第一作を演出したシャロン・マグワイアが戻って来て手慣れたテクニックで快調なテンポで撮っている。

10月29日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他で公開される。

「ジュリエッタ」(JULIETA)(スペイン映画):突然姿を消して32年、ひとり娘のアンティアを抱きしめたいという、母親としての激しい思いに駆られるジュリエッタ

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 カンヌ映画祭やアカデミー賞外国語賞を獲得した「オール・アバウト・マイ・マザー」や「トーク・トゥ・ハー」などで知られるスペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督が、カナダのノーベル賞作家で短編の女王と呼ばれるアリス・マンローの短編小説を原作に英語のダイアログで映画化している。

 ヴァンクーバーからスペイン・マドリッドへ移住して来たカナダ人、ジュリエッタを主人公とした短編は3本「CHANCE」「SOON」「SILENCE」をアルモドバルが統合し脚色して映画化したもの。
女性主人公の映画で世界の注目を浴びたアルモドバルとしては久し振りにヒロイン映画に戻って来た。

映画は時空を30年も超える三部作となっている。

現代のマドリッド、真っ赤なカーテンをバックに50歳代の疲れた顔のジュリエッタ(エマ・スアレス)のアップから始まる。茶髪に染めて若く見せようとしているが生涯の苦しみや不幸が目の下の皺やくすみに現れている。

ジュリエッタとパートナーの小説家・ロレンソ(ダリオ・グランディネッティ)は閉塞感に満ちたマドリッドの暮らしを抜け出しポルトガル移住を決める。

その日の午後、娘の親友だったベア(ミシェル・ジェネール)に出会い、イタリアのコモ湖の畔で子連れのアンティアに会ったと言う。

今まで娘の行方を追って12年間、孤独で暮らしてきたジュリエッタに希望の光が灯る。マドリッドに居なければアンティアが戻って来ても分からない。ロレンソにポルトガル行きを断る。

30年前古典の臨時教師をしていたジュリエッタ(アドリアーナ・ウガルテ)は夜行列車でハンサムな漁師ショアン(ダニエル・グラオ)に出会い情熱的な一夜を過ごす。
ショアンの妻が亡くなり、結婚して彼の住む港町に移り住むことになる。家には不愛想な家政婦、マリアン(ロッシ・デ・パルマ)が出迎える。

ショアンとジュリエッタの結婚生活は娘、アンティアが生まれて幸せだった。

若き日のジュリエッタを演じるアドリアーナ・ウガルテはスペイン生まれの30歳。ペネロペ・クルスよりも綺麗で、ロッサナ・ポデスタを彷彿させる美人女優。ボーイッシュな短い金髪が良く似あう。

アンティアが9歳の時、学校行事のキャンプに出かけた後、悲劇が訪れる。
ショアンは漁に出かけて暴風雨に会い遭難して帰らぬ人となったのだ。漁は天候の問題もあり出かけなくても良かったが、ショアンが昔の恋人、アーティストのアバ(インマ・クエスタ)と不倫をしているとジュリエッタの追求を逃れての漁だった。

キャンプから戻ったアンティアは父親の訃報を3日遅れで知らされて人が変わる。
山奥で「瞑想」に耽りたいと理由も語らずにジュリエッタの前から突然姿を消す。

マドリッドから山奥へと車を走らせ行方を探すが全く不明。警察も私立探偵も役に立たない。
ひとり娘のアンティアを抱きしめたいという、母親としての激しい思いに駆られたジュリエッタは、封印していた過去と向き合い、居場所すらわからない娘に宛てて日記を書き始める。

推理ドラマのような展開だがあくまでも一人娘にもう一度会いたい、胸に抱きしめたいと言う母性愛の映画だ。

親友だったベアがコモ湖で合った時は実に不快な会話だったと言う。今までの事、特に母親を恥じると言うのだ。ベアと親友だったことも否定すると言う。

 家政婦のアバはジュリエッタとショアンの喧嘩を娘は父親から電話で知らされていたと言う。いわばリベンジなのだ。

ジュリエッタは只管待つ、娘の誕生日にケーキのロウソクを付けて18歳、19歳、20歳、やがて火が消えゴミ箱へケーキは投げ捨てられる。

しかしその内、住所と名前が無いカードが一年に一回届くようになる。娘が母親を許し始めた兆候か?

スペインのベテラン女優エマ・スアレスが現在のジュリエッタを、新進女優アドリアーナ・ウガルテが過去のジュリエッタをそれぞれ演じる。

32年間も母親を恨みリベンジする娘の心境はどうも分からないが、3本の短編を繋ぎ一本の脚本にし監督するペドロ・アルモドバルの力量に改めて感動する。

11月5日より新宿ピカデリー他で公開される

「ハドソン川の奇跡」(SULLY)(アメリカ映画):155人の命を救ったヒーローは尊い人命を危機に落とした「悪漢」に忽ち成り下がりマスコミの論調は豹変する

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アメリカでは夏映画シーズンの終わったレイバーデイ週末の翌週、9日より全国3525館で公開が始まり3日間で推定32M(33億円)のヒットとなったようだ。

配給元ワーナーブラザースの意向は、クリント・イーストウッド監督が再びオスカーを狙う秀作と位置付けている。

実際映画評は好評だし観客のRotten Tomatoのフレッシュ度も81%と悪く無い。

2009年1月15日、真冬のニューヨーク・ラ・ガーディア空港を安全第一がモットーのベテラン操縦士、チェスリー・サレンバーガー機長(トム・ハンクス)は、いつものように操縦席へ向かう。
猛烈に寒いだけで天候は良好、無風状態の好コンディションの中、目的地ノースカロライナ・シャーロットに向かうUSエアウェイズ1549便は順調に離陸する。

飛行機は無事に飛び立ったものの、マンハッタンの上空わずか850メートルという低空地点で急にエンジンが停止してしまう。
離陸直後、大型の鳥,カナダガンの大群に会い、数羽がエンジンに吸い込まれる「バードストライク」により両エンジンが停止したのだ。

このまま墜落すれば、乗員乗客155人の命はおろか、高層ビル街に突っ込み、ニューヨーク市民に甚大な被害が及ぶ状況で機長は、ハドソン川への着水しかないと決断する。

地上から指揮するラ・ガーディア空港管制官は、先ずラ・ガーディア空港へ引き返すことを勧めるが、
不可能との返事に,進行方向の先にあるニュージャージー州テターボロ空港への着陸をアドバイスする。
しかし高度と速度が足りないことを危惧したサレンバーガー機長は、独自の判断で、ハドソン川に不時着水する。

ジョージワシントン橋をギリギリで超え、NJ側、マンハッタン側のピアを避け、リンカーントンネルに至る手前までに不時着しなければならない。

激突(クラッシュ)すれば機体は二つに折れ忽ち水面下に沈んでしまう。
グライダーさながら滑空しながらなめらかに水面に着水する技術は、飛行時間2万時間を超えるベテランパイロットでなければ成しえないテクニックだ。

 着水後、機長は何度も何度も水浸しの機内を廻り歩き、残された乗客は居ないかと声をかけ、シートの下をのぞき込む。
クルーが機長全員無事です、早く脱出してくださいとの声を無視し更に後部座席に戻ってチェックする。

 一昨年の2014年4月16日韓国・仁川港から済州島へ向かっていた、大型旅客船「セウォル」号が、観梅島(クヮンメド)沖海上で転覆し沈没した。
修学旅行中の安山市の檀園高等学校2年生生徒325人と引率教員14人の他、一般客108人、乗務員29人の計476名が乗船していたが乗客の死者295人、行方不明者9人、捜索作業員の死者8人、310名の犠牲者を出している。

セウォル号が沈み始めた時、船長は真っ先に高級船員らと共に乗客を見捨てて救命ボートで脱出している。
サレンバーガー機長との義務感や倫理観、責任感は天地の差以上にある。

 沈む飛行機をバックに救助に当たっていた責任者に「生存者は何人か?」と聞くシーンがある。「155人、全員です!」の返答を聞いて至福の表情を浮かべる機長に思わず観客は涙が流れるほど盛り上がる。

しかしサレンバーガー機長は夜眠れない。双発旅客機がマンハッタン上空を迷走し911にように高層ビルに激突する悪夢、もしくは激突を避け、ラ・ガーディアかテターボロに着陸し乗客乗員を生命の危機にさらさなくて済んだのではないかと言う夢を見てうなされる。

まさに後者の夢をチェックするために国家運輸安全委員会(NTSC)に召喚され厳しい査問を受ける。
二基のエンジンのうちバードストラックを受けた直後の左側エンジンは推進力は残っていたと言うのだ。

155人の命のヒーローは尊い人命を危機に落とした「悪漢」に忽ち成り下がりマスコミの論調は変わり昼となく夜と無く機長の自宅は襲われるが、夫を信じる妻ローリー(ローラ・リー)は敢然と受けて立ち撃退する。

その後ヴォイスレコーダーに従って2人のベテランパイロットがシュミレーションで何れかの空港への帰投が可能かどうかが、行われ時間が足らなかったことが証明される。

さらに川底から左エンジンが回収され分解の結果推進力は全く不可能だと証明される。完全勝利で国民的英雄は再び空高く舞い上がる。

 委員会議長が副操縦士、ジェフ・スカイルズ(アーロン・エックハート)に「もう一度こんな事態になったら何を望むか?」と聞かれ
「次は7月(の温かい時)にやって欲しいですね」と笑わせる。

パイロット、コパイ、クルー一同の一糸乱れぬチームワークもNTSCの厳しい公聴会を切り抜けるのに必要欠かせない要因だった。

イーストウッド監督の巧みなのは、ジェット旅客機が着水に至るまでを小出しにしながらフラッシュバックで小さなエピソードを繋いで行くことだ。

ワンピースでそのまま突っ込んでしまえば映画は終わってしまう。だから総集編のようにGW橋をギリギリ超えた所から着水までの短い時間の盛り上がりがフラストレーションを解消するかのように凄いインパクトで水飛沫を上げる。

 エンドクレジットが楽しい。ラ・ガーディア空港の格納庫で同種の双発旅客機をバックにサレンバーガー機長本人を囲んで5-60人ほどの乗客が座席番号を名乗って登場する。
同窓会の雰囲気の中で機長夫婦は神様だ。

トム・ハンクスが出て来たと思うほど機長とハンクスのメイクは完璧だ。

映画化は事故後、サレンバーガー機長とジェフリー・ザスローの共著の「Highest Duty」(邦題「ハドソン川の奇跡」)を原作としてイーストウッドが脚色し監督をしたもの。

2度のオスカーを受賞している両者。
監督として巨匠の域に達したクリント・イーストウッドと、名優トム・ハンクスが初めてタッグを組んだ感動のヒューマン・ドラマだ。

コパイを演じる「サンキュー・スモーキング」などのアーロン・エッカートが飄々とした演技で良い味を出している。

9月24日より丸の内ピカデリー他で公開される。

「グッドモーニングショー」(日本映画):銃とダイナマイトを持ちキャフェに客と従業員を人質にしている立て籠り犯人は、放送中のワイドショーメインキャスター澄田を名指しで現場に呼び寄せる。

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目の前で胴上げを見させられて熱狂的ジャイアンツファンのボクの落ち込みは翌日の今日も激しい。

パーキンソン病の投薬と脊柱管狭窄症の手術を受け1か月近くも入院した後ようやく退院して初めて、仲の良いTさん夫妻やNさんに囲まれて快気祝い。
塩コショウがピリリと効いた柔らかいステーキを頬張りながら40日振りにビールやワインアをとりながらの観戦だが、連続ホームランで逆転敗退と情けなく、赤ヘル集団の胴上げ歓喜で気分が悪くなりすっかり滅入って病気がぶり戻しそうだ。


今,公開中で、ニュースのワイドショーの報道をテーマにした「ニュースの真相」と言うシリアスな番組がある。2004年に起こったスクープ事件で誤報が一部あり看板アンカーマンのロバート・レッドフォード扮するダン・ラザーが番組を降りざるを得なくなった事件の映画化だ。

今日紹介する「グッドモーニングショー」もガラリと毛色が変わったドタバタ喜劇だが、ニュースショーでキャスターたちは浮かれているが、日米両映画に根底にある不気味で地獄の閻魔のように目を光らせているのは「視聴率」だ。
数字を挙げようとスクープを狙い、多局の隙をつくネタを鵜の目鷹の目で探し回る。

「グッドモーニングショー」のメインキャスターの澄田真吾(中井貴一)もダン・ラザ-も立ち位置は同じだ。

だからこのところ数字が低迷しているこのワイドショーは番組打ち切りが検討されており、澄田やプロデューサーの石山聰(時任三郎)は報道部への配置展開が囁かれている。

映画はおよそワイドショーと関係のない詰まらないエピソードで始まる。夜も明けきらぬ早朝、お台場に向かう(モデルのTV局はフジテレビだろう)タクシーが2台。

澄田の隣りに座るサブキャスターの小川圭子(長澤まさみ)が平行するタクシーから携帯をかけてくる。「あのこと今日の生番組で発表しますからね」「待ってくれ。俺には妻子がいるんだ」「2人が愛情で結ばれていれば関係ありませんわ」

澄田は飲み会で酔っ払って小川と一晩過ごしたのだが,以前から澄田に想いを抱いていた小川は満願達成とばかり実力行使に走り始めると宣言したのだ。

それは生番組の中で突如「実は私と澄田キャスターは」と始められ「ここでCMを!」とか次の話題に振るのに大童の澄田に笑える。
しかし現実ではあり得ない話なので観客もモードをスラプステッィック喜劇に切り替えておく必要がある。

自宅でTVを見ている澄田の妻、明美(吉田洋)は小川圭子の澄田に向ける眼差しで誰も知らない情事を見抜いている。

その日の朝息子がガールフレンドが妊娠したから一緒になりたいと打ち明けられる。大学生の癖にどうやって暮らしていくんだと一喝して家を出てタクシーに乗り込んだ。

 芸能ゴシップや政治家の汚職事件などをネタとして番組はスタートする
そこへ都内駅前のカフェに爆弾と銃を持った男が店員と10数人の客を人質を取って立てこもっているという速報が飛び込む。

「行列スイーツ」特集が飛ぶ。放送後客がドッと押し寄せると踏んだ菓子店は山と積まれたエクレアを前に弱り切った店長とシェフの表情が可哀想。

 立てこもりの現場に中継カメラ大東俊介(府川速人)がしっかりと店の前に三脚を立てカフェを狙う。
その直後、警視庁特殊班リーダー、黒岩哲人(松重豊)からとんでもない知らせが入る。
なんと、犯人(浜田岳)の要求は「澄田を呼べ」というものだった。

過去のトラウマもあり現場に出ることを拒否する澄田だったが、小川の執拗な告白を逃れることもあり、石山Pからの命令に従う振りをして、番組視聴率のために現場に向かうことをカメラに向かって宣言してしまう。

 そこからの澄田のチキンハート振りと優柔不断振りは,余りにも見ている者にとって酷すぎるが、もう少し何とかしようがあったのではないか?大体喋るのが商売なのに無言が多すぎる。
軽いテンポでコメディをこなして来た君塚良一監督としては半分の長さに切った方がより喜劇要素が引き立つんではなかったのではなかろうか。

犯人、西谷爽太は元カフェの従業員。2年半前にカフェで火災が起き漏電で処理されたが西谷が絡んでいると警察もTV局も推測する。丁度そんな時に澄田に直訴状を渡そうとして逃げられてしまっていたのだ。
こんな事件を起こして西谷はTVカメラの前で自殺しようと猟銃を喉に当て引き金に指をかける。

小川は視聴者に西谷を「見捨てて死なせた方が良いか?」
「説得して命を助けるか?」を赤ボタン青ボタンで投票させる。

 命を賭けの対象にするなんて飛んでもない話だが、結果を見て石山が数字を入れ替える。
映画の上だけのジョーダンだろうが、君塚はTV局で日常行われていることへの告発だと取れば「由々しき」問題だ。
この辺はPCのキーボード一つで出来る作業だけに真偽を明らかにせねばならない。

 防弾チョッキに防爆スーツに爆弾防止のマスク、胸にカメラとマイクを仕込ませての重装備の澄田は店内に足を踏み込む。西谷と直接の会話をし、視聴率はうなぎ上り。

 報道部がワイドショーの分野ではないだろうと割り込みスウィイチボタンを奪い合うバトルになる。
澄田は犯人から手紙を受け取る。
その手紙の内容は事件の動機を伝える重要なキーなのに最後まで明かされないのは不思議だ。

何れにしても武装した犯人に落ち目のキャスター澄田がマイクひとつで立ち向かうというありえない展開に日本中が注目するニュースの渦中に立たされ、前代未聞の生放送が始まる。

大ヒットシリーズ「踊る大捜査線」などの君塚良一監督が朝の情報番組であるワイドショーをあることないこと織り交ぜて面白おかしい喜劇に仕上げた。

主人公「グッドモーニングショー」メインキャスターの澄田真吾役の中井貴一は余り「任」だっとは思えない。シリアスな芝居は上手いが軽いコミカルな味は少しぎこちない。

サブキャスターの女子アナに長澤まさみはあんな厚かましい押し付けがましいキャラは似合わなない。
共演は新人アナウンサーの志田未来の他、TVスタジオスタッフに林 遣都、梶原 善、 木南晴夏、大東駿介などひと癖ある個性的な役者を揃えている。

笑って過ごしながら見終わると、TV局に踊らされている我々の無知に愕然とする。これは単なるジョークの世界であれば良いのだが。

10月8日よりTOHOシネマズにて公開される

「ある天文学者の恋文」(CORRESPONDENCE)(イタリア映画):突如死亡した天文学者の主人公エドは大学院院生の恋人エイミーと死後もメイルとヴィデオでしっかりと通信を続ける。

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原題「CORRESPONDENCE」は「通信」と言う意味。妻帯者で天文学者の主人公エドは大学院院生の恋人エイミーと死後もメイルとヴィデオでどういう訳かしっかりと通信を続ける。

生きている頃、天文学者のエド(ジェレミー・アイアン)は夜空の星をエイミー(オルガ・キュリレンコ)に見せながら「あの星はもう存在しないが光は君に届いているんだよ」と教えている。それは重大なメッセージだったことをエイミーは後になって思い知らされるのだ。

イタリアの巨匠、ジュゼッペ・トルナトーレ監督は「ニュー・シネマ・パラダイス」(89)で世界中の注目を集め「みんな元気」(90)「明日を夢見て」(95)など秀作を次々と送り出し、大ヒットを記録した「鑑定士と顔のない依頼人」(13)で鮮やかなミステリーの手腕を披露した。

今日紹介するトルナトーレ監督の新作は、一人の天文学者が恋人に遺した「謎」をめぐる物語。
数十億年前に死してなお、地球に光を届ける星々のように、癌で命尽きた後でも主人公のエドの愛は大切な恋人エイミーの行く先を照らし続けることができるのだろうか? 
天文学者の星に託した壮大でロマンに満ちた物語りが展開される。

著名な天文学者エド・フィーラムと彼の教え子エイミー・ライアンは、皆には6年に亘る秘密の恋を謳歌していた。星を愛誌し研究する者同士の二人は尊敬と深い絆で結ばれている。

冒頭ラブホテルで長い長いキスを交わした後、「互いに知らない秘密があるのかな?」と聞く。これは最後まで答えが出ないが大事な質問だった。

エドは家族と共にエジンバラに住み、エイミーはイングランドの何処かに部屋を持っている。彼らの関係は主にスカイプを通じて行われるが時には手紙、イーメイルやSMSも使われる。
不思議なことにスカイプで会話中に花束が届けられたリ、カードがイーメイルを読んでいる時に配達される。そんな愛の交歓が長い間互いに会えない時間や物理的空間を埋める。

観客が度肝を抜かれるのは、シーンが突如変わって爆発で宙に飛ばされるエイミー首を吊って足を痙攣させる、ガードレイルを突き破って崖下に転落するセダン。何れもエイミーのスタントウーマンとしてのアルバイト。
エドはエイミーと名前を言わず「カミカゼ」の綽名で呼んでいる。

暫く姿を見せず大学の講座に顔を出すと知らない教授が黒板の前で「エドワード・フィーラム教授は4日前にお亡くなりになりました」と言うではないか。

突然第三者から届けられたエドの訃報。現実を受け入れられないエイミーだったが、彼女の元にはその後もエドからの優しさとユーモアにあふれた手紙やメイルや贈り物が届き続ける。

エドの遺した謎を解き明かそうと、エイミーは彼が暮らしていたエジンバラや、かつて二人で時間を過ごしたイタリア湖水地方のサン・ジュリオ島などを辿りはじめる。

そこで出会った昔からの教授の友達は「教授はあらゆる可能性を考え、あなたのために永遠に生きようと」していたことを教える。

エジンバラやサン・ジュリオで、エイミーが誰にも言えずに封印していた過去を、エドが密かに調べていたことを知る。

セリフや動画、スカイプ、DVD総て英語だから違和感を覚える。主人公がエジンバラやロンドン出身だからだろうか?ジュゼッペ・トルナトーレ監督の英語のダイアログには隙間が見える。

長年の盟友、エンニオ・モリコーネの低音通奏は美しいが所詮影の音だ。

天文学者エド役のオスカー俳優、ジェレミー・アイアンと恋人のエイミーを演じるロシアのボンドガール、オルガ・キュリレンコもしっくり来ない。

ストーリーは星のように美しくミステリアスなのだがじわっと浸みて来ないのはどうしてだろうか?

9月22日よりTOHOシネマズ 六本木ヒルズ他で公開される

「時代劇は死なず ちゃんばら美学校」(日本映画):中島貞夫監督17年振りの新作は時代劇を振り返り、若い作家に再び時代劇の飛翔を促すドキュメンタリ

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内館牧子と言えば名脚本家でNHKの朝ドラの「ひらり」や大河ドラマ「毛利元就」などで頂点に立つが,大相撲に詳しく横綱審議委員などを経て55歳から東北大学大学院で相撲を研究した。
小説も「十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞」など面白かった。

今までの内館の小説で最も興味をひいたのは「終わった人」(講談社:2015年9月刊)だ。
ボクと同じような経歴の主人公、田代壮介の定年退職後の生きざまに感情移入してしまい夢中で読む。

ボクも田舎の高校の優等生で東大へ現役で入り、京大卒の親父に「負けたな」と言わせる。
田代も東北大学医学部卒の親父を凌駕し、メガバンクに入るが役員一歩手前で人閥に乗り損ない子会社に転じる。

ボクは広告代理店に入りイケイケドンドンで、38歳で運転手付き秘書付きの営業局長になる。
そこで上司が変わり連日の衝突や喧嘩の果て役員待遇のまま子会社の社長に出向。63歳で放りだされた「終わった人」だ。

仲間を見ても「散る桜、残る桜も散る桜」に反発する田代は、これで終わってたまるかと奮闘する2年間が興味深い。

妻の千草は美容師の資格をとり自分の店を聖心女子大近くの富裕層の住宅地の真ん中で開店し順調に還暦を迎えているが、田代は必死で昔の栄光を取り戻そうとする。ハローワークで小さな製造業に面接に行くと「東大卒でメガバンクの幹部」だった経歴に相手がビビッて就職もできない。

ジムで体を鍛えている内に20台の若さで100億近い売り上げがあるIT企業の社長、鈴木に見込まれ、田代のキャリアで若い会社をリードして欲しいと特別顧問になって1000万円超の月収を確保しこれで世間や銀行への面子を施せると思って4か月で鈴木が持病の心臓病で急死する。

ITなど何も知らないと固辞するも若い人たちに担ぎ上げられ社長になって1年弱、ミャンマーで請け負ったITプログラムの代金3億円が回収不能になりあっさり倒産。

1億2千万円の負債を代表取締役の田代が弁済せねばならない。
ゴルフ会員権や株などを売っても残り9千万円がズシリと田代の肩にかかってくる。
妻、千草の怒るまいことか。主夫として掃除洗濯家事一般をこなすが口もきいてくれない。離婚すれば簡単だが9千万円は千草も貢献した資産からの取り崩しだ。

結局は「離婚」に至らない「卒婚」(まあ別居ですな)で故郷盛岡へ行き、東北復興のNPOで経理や総務関係の仕事で人生の充実をや満足感を見つける。無論無報酬で借金返済の役には立たない。

ボクも広告代理店の仕事を継続し後輩たちのコンサルタントをしようと事務所を開くが「終わった人」には最初はソコソコ仕事を貰えたが15年経った今や皆無。
そこへ舞い込んだ仕事がNY勤務時代にユニセフのDM制作を手伝ったことから、同じアメリカに本部を置く慈善団体NPOに頼まれ日本支社を開設し理事長職。

黄色人種の発症率が白人種や黒人種の2倍もある東南アジアの口唇口蓋裂(兎唇)の子どもたちへ日本の形成外科医を送り込み無料手術をする。
お医者さんたちをリクルートし(これが皆さん喜んでやってくれるので嬉しいのだが)各団体や企業、個人に働きかけて寄金を募る。

大変な仕事だが人生「世のため人のため」に働くのはじめてで満足感や充実感がみなぎる。自分の懐からおよそ1500万円は消えたが墓に金は要らない。

主人公田代とボクは「終わった人」の軌道が一致しているのが嬉しい。



 昨日(12日)の外国特派員協会は中島貞夫監督の17年振りの新作を特別上映の後、殺陣師清家三彦と東映剣会の殺陣を見せてくれると言うので満員の盛況だった。忍者や殺陣、入れ墨など純日本的なイベントは外人記者の人気の的だ。

久し振りに中島貞夫監督の姿を見た。バーコードの頭に小太り、丸顔に眼鏡を光らせて杖を突きながらにこやかに現れる。
1934年生まれだから僕より4歳上の82歳、東大文学部を1959年卒(1年浪人した)で3年先輩。一緒に在学していた時の接点は「ギリシャ悲劇研究会」。
TV放映されたりして役者が足りない時はエキストラで死んだ久世光彦などと一緒に衛兵役で駆り出された。
主役を演じていた中島とは言葉を交わしたことは無い。

東映入社は1959年「ギリ研」は西洋の時代劇だからと東映京都撮影所に配属され1964年に「くの一忍法」で監督デビュー。

それから「大奥」シリーズや「木枯し紋次郎 関わりござんせん」や「日本の首領」などのやくざ物を数多く撮っているが、映画監督として名だたる賞を獲っている訳ではない

まあ時代劇の職人ですな。生涯80本は撮っているのではないか。
それより肌にあっているのが教職の仕事。
•東大文学部卒の肩書ともってうまれた教える才能が花開く。

 1987年(昭和62年)に大阪芸術大学にて教授に就任。1997年(平成9年)から同大学院教授。
1994年(平成6年) 京都市文化・芸術振興計画委員会委員など映画の世界からはなれている。
監督としては「極道の妻たち 決着」(1998年)以来、このドキュメンタリ「時代劇は死なず」は17年振りのメガホンだ。

フランスのリュミエール兄弟が映画を発明しグランドホテル地下で蒸気機関車が驀進する画面を見て観客が逃げ惑ったのが1894年。その2年後に日本人が兄弟からカメラや上映機を譲り受け京都で映画が始まったと言うから120年の歴史があるのだ。

中島監督と女優の山本千尋が京都の街を巡りながら創始者の牧野省三の銅像やスタジオ跡のモニュメントを巡り時代劇の歴史的変遷を現代にいたるまで山本に分かり易く語る。監督と言うより大学の先生だね。最初の映画スターだった「目玉の松ちゃん」のポートレイトやエピソードは興味深い。

その他評論家や著名な俳優や殺陣師らへのインタビューの後、これから撮ろうとする新選組の下部組織「マンジ組」の若武者が同輩や先輩に失望し脱走しようとする場面が挿入される。
中島監督の次回作のトレーラーだと言うが森の中の斬りあいは迫力がある。
映画が終わりになると「東映剣の会」の殺陣の実演が会場を沸かせた。紅一点、女流剣士が3人の男性陣をバッタバッタと切り倒す。これはコリオグラフだとの説明がある。

記者会見で時代劇の将来を聞かれ「東映はダメだね」とニベもない。「時代劇の東映」の往年の金看板は、儲からない写真は作らないと一切足を洗ってしまったようだ。
この作品にしても吉本興業と日活の制作だ。

「私は『大奥』と言う女性主人公の映画を撮ったがあくまでも男性の視点からの女性映画だ。これからは女性の視点で女性を描く時代劇とか、『高速参勤交代』のような時代劇の基礎をしっかり踏んだうえでコメディタッチで攻めるような新機軸の作品を若い作家に期待したい」と記者会見を結ぶ。

12月3日より有楽町スバル座にて公開される。

「インターン」(日本映画):企業の「インターンシップ」で正規社員になろうと頑張る女子大生たち

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ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイの「マイ・インターン」が話題になっているのに同じタイトルで勝負をするとはいい度胸だ。
しかも主演の新木優子なんて聞いたことの無い女優だ。とりたてて美人でも無ければ芝居が上手い訳でもない。ただ22歳と言う若さで画面を踊り回るように行動するのが良い。

近年の学生にとって就職は社会に出るため長年の目標、ゴールだ。大企業では「インターンシップ」を取り入れて、大学生向けのビジネス実践型プログラムとして仕事を体験させるところが多くなった。悪い言葉で言えば「足入れ婚」。正式採用前に学生の長所短所能力社会性などをすべてチェックできる。TV局の女子アナなどは殆どこのインターンシップを通してさいようされている。

物語は現実世界に「死神」が入りメルヘンティックなツイストを見せる。
主人公は大学三年生の川倉晴香(新木優子)。親友の浜崎真希(岡本杏理)に誘われ、あるIT企業のインターンシップ説明会に行く。

企業の創立者でCEO牧野正幸(風間トオル)の講演を聞くものの、自分の能力を超えたものを要求されていると考えた晴香はあきらめようとする。
しかし真希は無理やり晴香のエントリーシートを出させる。

そんな晴香は帰りがけに車にはねられそうになったが、それを助けようとしたのは通りかかった牧野だった。そして牧野が交通事故に巻き込まれる。

病院のICU(集中治療室)で意識を取り戻した牧野のベッドの横に、死神(佐野岳)と名乗る若い男が現れ、ベッドに横たわる抜け殻の自分を見せつけられる。死神と言っても黒いヘルメットを被った町のアンちゃんと言う感じ。

だが現代ドラマで日常のど真ん中に「死神」はなかろう、余りにギャップが大きすぎる。
何か媒介物やステップが必要ではなかろうか?

死神が囁く、交通事故で死ぬ運命だった晴香を助けたことで、牧野が死ぬ運命に変わってしまったと。何故そうなるか、説明が必要だ。

死神は、二人とも助かるには、晴香の未来を変えなければならないと言う。
彼女がインターンで成績優秀者となって入社パスを手に入れられれば、未来を変えることができると思い
ついた牧野は真希に憑依し、晴香のインターンをサポートしていくことにする。
だが、真希の忠告やアドバイスを「おせっかい」と無視して、自力で課題に取り組むのは良いがドジばかりで悪い成績しか取れない晴香。毎日点数が壁に張り出されるがEとかDの底辺をうろついている。

最終試験は二人で組んで研究発表だが試験会場へ辿りつけない。
辿りつけないのは晴香が部長をしている「かるたサークル」の地区最終予選に出席したためだ。晴香が5人の部員に戦略を指示する。「近眼のあなたは下の句を読めなくとも、時の配列を覚えてとる」「全部句を覚えていなくとも、覚えている相手陣内のかるただけを狙う」

「ちはやふる」の大ヒットで観客は百人一首は知悉している。それにかるたのとり方も「さっと」払うだけでドシンバタンは素人。大学のかるた部員の最終地区予選がこんなでは嗤われる。

吉田秋生監督、脚本の大田善也は真面目に仕事に取り組んでいるのだろうか?折角「死神」のようなジョーカーを持ち出してもタロットカードのような予言機能しかない。

遊休遊園地からのスカイプ中継で企業再生の何を言おうとしたのか良く分からない。工事中や交通渋滞の末にたどり着いた窮余の一策だけに、その点を解明してもらわねばカタルシスは得られない。

主演は、「non-no」の専属モデルの新木優子。就活を控える大学生として、等身大で演じられそれなりに頑張っているが、演技が未熟なのは仕方が無いか。

共演は同じnon-noのモデルの岡本杏理、鈴木友菜、泉はるといった素人群。
唯一「仮面ライダー鎧武」でアクション経験のある佐野岳が「死神」に扮して陰で人生の行方を操る。ベッドに横たわったままだが風間トオルが顔を出すと画面が引き締まる。

監督は「怪談新耳袋 劇場版」などの吉田秋生が担当している。
一つ言えるのは製作費が格安なので劇場で上映されDVDになればモトはとれる。

11月5日よりシネリーブル池袋にて公開される

「うさぎ追いし 山際勝三郎物語」(日本映画):長野県上田市の生んだ隠れた偉人、ノーベル賞候補にもなった山極正三郎を掘り起こす伝記映画

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昨夜(14日)の五反田、イマジカ第一試写室は熱気で包まれていた。
「日本が世界に誇る人工癌研究者、山際勝三郎」の伝記映画だ.
 最初の上映会で関係者が集い熱気に包まれていた。

 信州人が集まり酒を飲むと必ず歌う県歌がある
「信濃の国は十州に~」で始まるお国自慢だ。

 その中に信州が生んだ偉人列伝がある
余り偉人武将も輩出していないので一生懸命拾い出している。

「旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
 春台太宰先生も 象山佐久間先生も
 皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく~」

森の石松ではないが「誰か忘れてはいねーか?」が
この日本人ノーベル賞第一号になり損ねた山極勝三郎先生だ。

長野県上田藩の下級藩士の部屋住みの息子。
秀才の誉れ高く噂を聞きつけた東京の飲んだくれ医師、山極家の養子となり東京帝国大学医学部に学び主席で卒業する。

山極医院を継がず病理学に進んだ勝三郎は
「癌が人工で作ることが出来れば癌は治せる」との信念でウサギの耳で癌を人工的に作成する苦労談。

しかし病理学と言うのは縁の下の力持ち。いつも裏方に徹し表は内科や外科の華々しい症例に称賛は持って行かれる。
だからこの映画でも山極は忍耐強く、兎の耳へのがん細胞移植作業を試行錯誤を重ねながら延々と助手の市川と二人で来る日も来る日も60数匹の兎をチェックしている。

実験中に唯一「絵」になるのは真っ白な金平糖が大好きな山際がチリ紙に包んだ黒い正露丸と白い金平糖を見比べて、白兎より黒兎の方が耳への外部「刺激」の方に感受性が高いだろうと思いつくシーンだ。

江戸から明治への転換期。上田藩の下級武士の家系に生まれ育った山本勝三郎(遠藤憲一)は16歳のときに、東京で町医者を開業 する山極吉哉(横光克彦)の後継ぎとなるべく、親友の金子滋次郎(豊原功補)とともに上京。

飲んだくれで医療が手につかなくなった藪医者、吉哉の娘・かね子(水野真紀)の婿養子に入る。他山の石と父を見て育ったかね子は良く出来た妻だ。

やがて、山極は東京帝国大学の医科に入学し、親友の金子は東京帝国大学の法学部へ入学する。
同じ大学だ、日本のために頑張ろうと「三四朗池」(夏目漱石の小説からの命名だからその当時は名前は無い)の辺りで誓う。

猛勉強を続けた勝三郎は、医学部を首席で卒業し、臨床医ではなく病理学の道へ進むことを決心する。

数年後、32歳で東京大学教授に昇進した勝三郎は、かね子との間に3人の子を授かり、幸せの絶頂だった。

しかし、そんな勝三郎を結核が襲う。
病を患いながらも勝三郎がすべてを尽くした研究は「癌刺激説」の証明であった。
勝三郎に扮する遠藤のセリフは一本調子のいつもの遠藤節(信州弁は出ず標準語)だが、身体はあばらが浮き上がり痩身の肉体は迫力がある。

「癌を作ることができれば、癌は治せる」という信念のもと、うさぎの耳にあらゆる手段で刺激を加え続けることで人工癌が出来るかという命題に取り組むものである。

 助手の農学部畜産課卒の市川厚一(岡部尚)とともに悪戦苦闘を乗り越え、人工癌の実験は進められていく。暑さで半数が死に、寄生虫で更に半分、そこで上述したように白でなく感受性の強い黒兎で実験は繰りかえられる
果たして実験は成功を遂げることが出来るのだろうか?

大正時代の初期に世界で初めて人工的なガンの発生実験を成功させ、ノーベル医学生理学賞候補にもなった山極勝三郎の生涯を、遠藤憲一主演で描いた人間ドラマ。

こんな地味な学者を取り上げ伝記映画を完成させたのは71歳の永井正夫(のぼうの城)や「スパイ・ゾルゲ」など)の故郷愛だ。

自分の生まれ故郷、信州上田の産んだ偉人の山極、もう一歩でノーベル「生理学」賞を逸した偉人を放っておいて良いものか。

県歌「信濃の国」の基底の流れに押された永井は大映時代の同輩、近藤明男(「ふみ子の海」などを口説いてメガホンをとらせている。

最近の流行りの手持ちカメラは排し、固定の長廻しに徹するクラシカルな手法だ。僕らみたいな年寄り観客にはありがたい。

永井、近藤両氏が上映前に熱い思いを吐露するが、それにも増してのお願いはチケットの販売の協力依頼だ。やはり相当に苦しい台所事情。

近藤監督の大映入社の同期女優が関根(高橋)恵子。昭和41年にスェーデンノーベル賞選考委員の1人が来日し山極の賞授与に至らなかったお詫びをする際、娘の梅子に扮して父は賞には興味が無かった。人のために何が出来るかを絶えず考える人だったと締める。
映画もそのセリフでケジメを付け。締まった「隠れた日本の偉人映画」のエンドマークに繫がる。

遠藤が主人公・山極勝三郎の学生時代から晩年までの40年を演じ、勝三郎を支える妻・かね子役を水野真紀が務めた。東大教授と言いながら給与の殆どが研究費と医師や薬代に消えた家庭を懸命に支え、愚痴一つこぼさぬ妻、かね子の塗炭の苦しみ。かね子を中心の家族愛情ドラマとしても見逃せない。

他の共演に豊原功輔、岡部尚、高橋惠子、北大路欣也ら。

12月17日より有楽町スバル座にて公開される

「オケ老人!」(日本映画):郊外の梅が丘高校に赴任して来た数学教師、小山千鶴は間違えて老人ばかりのアマチュア・オーケストラに入団してしまう

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今朝はこれから羽田へ行き、11時30分発のJALでシンガポールへ飛ぶ。東南アジアを中心に口唇口蓋裂(兎唇)の子どもたちに無料手術を施す医師団派遣の団体、「スマイル・アジア」の代表者会議だ。
今までアメリカのオペレーション・スマイルの支部として活動してきたが契約解消で晴れてスマイル・アジアの一員として参加できる。

日本の形成外科医のレベルは世界一、その上日本の個人や企業からの寄金も順調で会議ではシンガポールと共に中心的役割を果たす。
議長は「スマイル・ホンコン」のサー・デイビッド。
僕は彼に次ぐ二番目の長老になる。

入院生活1か月で筋肉が相当落ちているので杖をついて爺むさい恰好で出席せねばならない。
脊柱管狭窄症の大手術から2週間も経っていない。
回りは「ヨセヨセ」と言うがここでわが日本の「スマイル・ジャパン」&「子どもに笑顔」の意気込みを皆に語らなければ男がすたる。

今年はインドネシアのメダン、フィリピン・カリテ、フィリピン・マニラ、ミャンマー・ヤンゴン、そして10月にブータン・パラオと5回も医師団を派遣している。


タイトルを見て「ボケ老人」と読み違えていた。「オケ老人」が正しく、オーケストラを結成し活躍する老人たちの姿を描く。

梅が岡高校に赴任してきた数学教師の小山千鶴(杏)は、学生時代に修練したバイオリンをもう一度演奏したい!という気持ちに駆られ、早速地元でエリートと言われているアマチュア・オーケストラに連絡を取り「入団したい」と伝えると、あっさりOKの返事。

さほど美人では無いがモデルで鍛えNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」で売り出した杏の映画初主演作品。
若い女優でこれほどコミカルな芝居ができる女優は嬉しい。
ご存知のようにあの渡辺謙の長女。母は離婚したが悪妻の誉れ高い某女。

翌日、入団に心躍らせながら練習会場の公民館へ向かう。
だが集まってくるのはしょぼくれた老人ばかり。

千鶴は間違いに気付く。
梅が岡には2つのアマチュア・オーケストラが存在し、千鶴が入団したかったオケは「梅が岡フィルハーモニー」(梅フィル)というエリート楽団で、問い合せをしてしまったのは「梅が岡交響楽団」(梅響)は老人ばかりのどうしようもないオケだった。

年寄りばかりの「梅響」のメンバーは、先ずコンマスの野々村(笹野高史)、クラリネットのクラさん(左とん平)、チェロのトミー(小松政夫)、オーボエのマーサ(藤田弓子)、ティンパニの棟梁(石倉三郎)、第二バイオリンのしま子(喜多道枝)、フルートの真弓センセイ(茅島成美)、トランペットのラバウル(森下能幸)。
お馴染みの長老役者先生が楽器を持つとサマになるから不思議だ。

平均年齢は65歳を遥かに超えている。
音楽は大好きだけれど、演奏はヘタくそもいいところ、オケの練習よりもその後の「飲み会」が楽しみなジジババは、若いピチピチした千鶴の入団を大歓迎し手放しで喜ぶ。

皆が喜ぶ姿を見て千鶴は「楽団を間違えました」と自分の勘違いを言い出せないまま、しぶしぶ梅響のメンバーに加わる。

だがコンマスで指揮棒を振る野々村は心臓の調子が悪く、緊急入院はシバシバ。
仕方なく代わりに指揮棒を振るはめになってしまう。
知らず知らずに梅響のキーパーソンになってしまった千鶴。

スーさんの運転手役が嵌っていた笹野高史がいい味を出している。第一バイオリンの奏者も板についている。禿げ頭をフリフリの熱演に引き込まれる。

演奏もドボルザークの「新世界」だとかベートーベンの「第九」とか本格的だがフィナーレに演奏するエルガーの「威風堂々」が圧倒的な迫力で盛り上げる。

ボケ老人だらけのオーケストラで、しかも演奏は聞くに堪えられないひどいレベル。
千鶴のそそっかしい間違えによって出会った彼らが、年代を越えてぶつかり合い、刺激し合い、成長していく姿は、笑いと感動にあふれて元気と幸せを届けてくれる。

早とちりのそそっかしいロマンスもある。千鶴の同僚で後輩の英語教師(坂口健太郎)がいろいろとお節介を焼くので気があるのかとか、笹野の孫(黒島結菜)が、話があると近寄ってくる。2歳年下だけどマーイイカと思ったらパリへパティシェリ修行の相談だったり。30歳にして男気無しの千鶴さん。

老人だらけの「梅が岡交響楽団」のアマオケ・メンバーには、笹野高史、左とん平、小松政夫、藤田弓子、石倉三郎、喜多道枝、茅島成美、森下能幸、梅響に対抗する「梅が岡フィルハーモニー」の悪役・コンマスには光石研など、ベテラン俳優のオールスターキャスト。

原作は「ちょんまげぷりん」や「探検隊の栄光」などの小説が映画化されている荒木源の同名小説。

監督は「ぱいかじ南海作戦」で劇場監督デビューを飾った細川徹。デビュー作を遥かに超えて笑わせ泣かせるこの映画を卒業すると次回作はもっと期待できそうだ。

11月11日よりTOHOシネマズ新宿他にて公開される

「純情」(韓国映画):23年を経て「もう一度会いたい初恋の人」からの想いは何だったのだろうか?

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 昨夕(16日)シンガポール・チャンギ空港に着いた。
羽田でもチャンギでも病後の衰弱で車椅子を要請してあったのだが、これが凄い威力。搭乗は真っ先だし、チャンギのカスタムズは延々と待たされる悪名高い横柄な役人天国。
車椅子の乗客は特別のゲイトからあっと言う間にクリアして出迎えていたスマイル・アジアのハイルルを待たせない。

気温は30度近くあるが湿気が低く東京より過ごしやすい。
ホテルは「中秋祭」で賑わうチャイナタウンを過ぎ、オーチャード通りの入口近くのパークホテル・クラーク・キー。ポストモダンの設備や良く教育を受けた従業員の手際良さでカンフォタブルなホテルだ。

早速、7時からウェルカムディナー。
殆どの出席者が顔なじみだ。特に2年前、東南アジアを軽視するOS本部の圧政に抗議してシンガポール、香港、インド、日本などが中心に「スマイル・アジア」立ち上げを宣誓した香港会議のメンバーたちにはいろんな思いが重なる。
 
 香港会議後帰国した僕の下へOS本部から契約無視の警告が届く。スマイル・アジアに加盟するなら財政援助や今までの負債を総てクリアにせよと。
スマイル・アジア発足に水をさすような形で日本は加盟出来ないことを伝えざるを得なかった。

それが今年の3月に急転直下、OS本部はOSジャパンとの提携を解消すると。呆気にとられた僕たちに本部から次々と指示が送られてくる。先ず名前(ブランド)を変更せよ。OSとの関連を匂わす名称は一切禁止すると。

名義変更は東京都からの認可に4カ月かかる。5月初旬に変更願いを都に提出したので10月初めにようやく承認される。

その間募金活動は一切できない鬱屈で胸がはりさけそうだ。
承認が下り次第、読売新聞朝刊に名義変更の告知と募金振り込み口座をゆうちょ銀行と銀行に作らなければならない。
わがNPOの正念場を迎える。
その現状と支援を訴えるには今朝から、ここシンガポール・パークホテルで開かれる「スマイル・アジア首脳国会議」は絶好の場でありタイミングだ。

ボムシル(ディオ)は名の知れたDJだがこのところマンネリでやる気が無い。
何とないお喋りで時間を費消している彼の手元へ一通の手紙がスタッフから届けられる。
アーハーの「Take On Me」のリクエストは、何と23年前、思いを寄せていた女性スオク(キム・ソヒョン)からの便りだった。あの夏自死した筈のスオクがどうして今、この時期に?

1991年。夏休み、ソウルの大学1年生のボムシルはスオクを始め親友4人が待つ故郷の離島、高興(コフン)に帰って来る。

幼い頃からスオクに恋心を抱くボムシルは、生まれつき足が不自由な彼女のために常に隣に寄り添い、島で育った仲間たちとアーハ―の曲を歌う楽しい日々を過ごすのだった。

そんな中、スオクがソウルから来た主治医のヨンイルに心を寄せていることを知ったボムシルは、嫉妬と苛立ちからヨンイルに迫る。

右足と左足の長さが違うのは手術で直るとヨンイルは言うが、彼には美しいスオクの心を捕らえようとする下心があり、変な希望を持たせていることをボムシルは問い詰めて白状させた。

そしてその事実を告げながら「僕なら一生君の傍に仕え守ってあげる」と誓う。
ソウルのような都会で大学を卒業して色んな女性と知り合えば、そんな約束は紙よりも軽いもので「直ぐに破られてしまう」とスオクは言い切り「別れましょう」と言い放つ。

韓国映画の良い所は主演の男女は必ず美男美女。愛し合っている主人公たちがのっぴきならない状態(不治の病とか家族の問題とか)に追い込まれ別れざるを得ず、そして片方が死ぬ。

日本の戦前戦中の「母もの」から出発したパターンは植民地時代を経て、韓国映画の基幹となり発展し、現状の「必ず泣かせる悲劇」を完成させた。
家元の邦画がモタモタしている内の「出藍の誉れ」だ。
韓国映画作家たちは見事な花を咲かせている。
この映画もその例に洩れない。

アジアを中心に活動する人気男性グループ「EXO」のD.O.(ディオ)が映画初主演で主人公ボムシルを演じる。イケメンのディオはミュージシャンとしても役者としても一流で18歳から41歳までを上手い芝居で演じている。
ヒロイン・スオク役のキム・ソヒョンはTVドラマの名子役から演技派女優として転身を遂げたと言うが僕は初めて見る顔だ。楚々とした清潔感の漂う美女。

列車の窓越しのキスならぬ、雨中のビニール傘越しのキスは「純情」のシンボルかも知れないが、余りピンと来ない。

23年の時を経て、スオクが本当に伝えたかった想いがその手紙に託されている。明かされる事実は大切な仲間たちへ、そして愛する人ボムシルへ伝えたいメッセージだった。
「もう一度会いたい初恋の人」からの想いは何だったのだろうか?
ミステリアスなトーンでソウルのラジオスタジオから23年前の離島、高興への懐古シーンへの展開も見事だ。

監督・脚本はこれがデビュー作となるイ・ウンヒ。
韓国芸術総合学校映像院出身で女流監督独特な繊細で情緒溢れる演出は次回作にも期待できる。韓国映画界の凄いは次々と有望な新人作家を送り出していることだ。

上映は終了し10月28日よりDVDが発売される。

「ザ・ギフト」(THE GIFT)(アメリカ映画):忘れていた高校時代の苛めが25年経った今自分の身に跳ね返った来る

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昨日(17日)はシンガポール・パークホテル・クラーク・キーで行われたスマイル・アジア(SA)首脳国会議に出席し、慈善団体NPO「子どもに笑顔」として正式にSAに加盟の署名を行いメンバー国となった。

医者の派遣と資金を支援する国(Resource Country)として、シンガポール、香港と並んで日本の3カ国。
支援を受ける国(Program Country)としてインド、カンボジアの2カ国、計5か国の連合組織だ。

例えばカンボジアは人口1300万人の貧しい国だが形成外科医は20人しか居ない。口唇口蓋裂の子どもは黄色人種だから4-500人に1人の割合で生まれて来る。形成外科医の絶対数が20人では手術が追いつかない。
そこで日本などリソースカントリ-から医師と資金の無料手術ミッションを派遣するのだ。

会議は9時半から5時まで熱い議論の中、明るい将来を模索しながら続けられたが、驚いたのはフェアウェル・晩餐会だ。

SAのスタッフを含め参加者全員25名ほどがスマイル・シンガポール(SS)の支援者の邸宅に招かれた。
ガレージにBMWやメルセデスがズラリと並んでいる。
イタリアから取り寄せた大理石フロアの居間やダイニングルームにはアンディ・ウォホールやルオー、モンドリアンなどの絵画が壁面一杯に飾られている。

広いテラスに高級レストランから取り寄せた大皿料理が所狭しと並んでいる。ウェイターが絶えずワインなどのアルコール類を運んでくる。

スマイル・シンガポール(SS)は富裕層のスポンサーが多いと聞いていたが、この私邸もその一人の家だ。
ホスト夫妻は40台前半の若さで招待客の中に入って気さくな談笑に耽っている。
日本では見られない風景に羨望の眼差しで家中の美術品を見て回り、3匹のラブラドールをからかい、アッと言う間の3時間のディナーパーティだった。


 特別の機会や日頃の感謝や祝福の気持ちで贈るGIFT(贈り物)。
それが思いがけない相手から飛んでも無い時に贈られたら、誰もが困惑してしまう。そしてその奇妙な贈り物が執拗に繰り返されたら不気味な恐怖に駆られる。

 昨年8月に新登場して全米チャートで3位を記録し、4週連続トップテン入りのヒットを飛ばしたこの作品は「恐怖の贈り物」に翻弄される若い夫婦の困惑を描いたサイコスリラーだ。低予算で制作されているので

 観客の受け入れサイトRotten Tomatoesで満足度93%という高い支持を獲得したこの映画は、オーストラリアのベテラン俳優ジョエル・エドガートンの監督と脚本のデビュー作。
シカゴからLAのハリウッドヒルズに移り住んだアラフォーの若い夫婦サイモン(ジェイソン・ベイトマン)とロビン(レベッカ・ホール)は、半世紀前の豪邸を購入し幸せな生活を送っていた。サイモンはITによるセキュリティ・システム会社で重役候補のトップを走っていた。

新天地LAはサイモンの故郷でもあった。ホームデポで買い物中に高校時代の同級生ゴード(ジョエル・エドガートン)から声をかけられる。

 すっかり忘れていたサイモンだったが、旧友との25年ぶりの再会を喜んだゴードは、引っ越し祝いとしてワインを、次には水道工事や鉛管工事の業者リストと次々に贈り物を届けてくる。
特に驚いたのは使われていない屋内プールを洗浄してゴージャスの日本の「鯉」を数匹泳がせてくれていた。

 サイモンは思い出した。
ゴードンを「ゴードの変人」(GORDOTHE WEIRDO)と綽名をつけ苛め抜いた張本人は自分だと。
ゴードは赤茶けた髪の毛に右耳に時代遅れのピアスを吊るし、一昔前のスーツをギコチなく着ている。

勝者と負け犬の関係は25年経っても変わっていない。
レベッカがお礼にとゴードンを手作りの夕食に誘った時「ゴードの変人」と台所の白版に書いたサイモンの殴り書きを目に留めている。

この辺りの描写は「危険な情事」(FATAL ATTRACTION)を思わせる。
一つの過失から迫られて最後は可愛がっていた兎を煮殺される。

その上ゴードは私邸でご馳走したいからと招いて呉れる。
ご馳走前にワインで乾杯の最中に元妻からの長々とした電話。
切れたサイモンは「もう俺たちに構うな。家に来ないでくれ!」と言い残して自宅へ戻る。

やがて夫妻の周囲で続発する奇怪な出来事が次々と起こる。
プールの鯉が総て死んで腹を上に漂う。
愛犬が行方不明、ガス栓が開けられている。
シャワーを浴びていると怪しい人影が現れ消える。

そこへ、ゴードから謝罪の手紙が届くが、そこにはサイモンとの過去の因縁をほのめかす一文があった。そして愛犬は森で迷っていたとゴードが連れ戻してくれた。
ゴードは昔の苛めの復讐をしようとするのだろうか?

一体25年前、高校生だった二人の間に何があったのか。
頑なに口を閉ざす夫への疑念を募らせ、自らその秘密を解き明かそうとしたロビンは夫の高校時代を探りはじめる。

そして夫の人間性に疑問を抱き始める。
自分の夫の暗部は底が見えないほど深い。

 オーストラリアのベテラン俳優エドガートンは自身のオリジナル脚本に基づく監督デビュー作ながら、リアルなテーマを繊細な工夫を凝らし恐怖へと仕上げている。

 謎が錯綜する「贈り物」は、じわじわと忘れ去った「過去」を呼び覚まし、どんでん返しのクライマックスへと飛び込んでいく。

 出演は「ディス/コネクト」のジェイソン・ベイトマン、
「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」のレベッカ・ホール。
エドガートンは美味しい役で印象付けている。

勝者と敗者の境目が逆転を生む良く出来たサイコスリラー。小品ながら見逃せない作品だ。

10月28日よりTOHOシネマズ新宿で公開される。

「ベン・ハー」(BEN-HUR)(アメリカ映画):190億円の巨費を投じた大作で大コケ。125億円の赤字で上映中止で親会社の会長のクビが飛ぶ。

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昨日(18日)はスマイル・アジア首脳国会議も終えやれやれの休日。だがシンガポールの街はF1レースの本番と興奮に包まれている。
いつものショウハウスで映画を見ようとタクシーに乗り込んだが運転手がいい顔をしない。オーチャード通り方面は通行止めで近くにしか行けないと。

シンガポールの映画はアメリカと同時公開で日本に来ない作品が多く上映されている。「リド」はIMAXを含め13程のスクリーンがある。

絶対に日本では公開されない2本を選んで見る。「ベンハー」と「Kubo and the Two Strings」だ。
ストップアニメーション「Kubo and the Two Strings」は人気映画で公開1カ月になるのにベスト10に残っている。

少年クボが主人公。ライカスタジオ制作。専門の映画評は好評。古代の日本を舞台にした冒険絵巻。バックの音楽は三味線、太鼓などの日本の伝統的楽器で演奏。
聡明で心優しいクボ(アート・パーキンソン)は海辺の町で吟遊詩人として慎ましい生活を送っている。しかし彼が不意にも敵討ちを求める祖先の霊を召喚してしまったことで、静かな生活は終わり、戦いの旅にでることになる。
クボは猿(シャーリーズ・セロン)とカブトムシ(マシュー・マコノヒー)を旅のお供とし、家族のため、そして世界で最も偉大な侍だったクボの父親の死の真相のために、血湧き肉躍る冒険へと旅立っていく。

魔法の楽器である「三味線」を携え、 出世の秘密を知るため、家族の結束のため、そして英雄としての務めを果たすために、執念深き祖父の月王(ムーン・キング/レイフ・ファインズ)や悪の双子姉妹(ルーニー・マーラ)たちと戦い繰り広げる。

もう1本は「ベン・ハー」。
1959年の大ヒット作は主人公ベン・ハーをチャールトン・ヘストン、メッサラをスティーヴン・ボイド、他にジャック・ホーキンス 、ハイヤ・ハラリート、ヒュー・グリフィス が出演。チャールトン・ヘストンがアカデミー賞主演男優賞、ヒュー・グリフィス が助演男優賞を受賞し、ウィリアム・ワイラーはこの映画で3度目の監督賞を受けている。

原作の副題に「キリストの物語」とあるように、キリストの生誕、受難、復活が「ベン・ハー」の物語の大きな背景となっている。

1959年11月18日にプレミア公開され212分の大作ながら全米公開後、瞬く間にヒットとなった。同様に全世界でも公開されてヒットした。54億円もの制作費が投入されたが、この映画1本で倒産寸前だったMGMを一気に立て直すことができた。

それとは逆にこのリメイクの「ベン・ハー」はこの夏190億円の巨費を投じた最後の大作。期待されたキリスト教徒向けの信仰映画は3084館で上映され11.4Mと期待外れの成績に加え、映画評で酷評されて大フロップ。

MGMとパラマウント(PP)の共同制作だがPPにとっては劇中の「戦車競走」で大金を賭けたような一発逆転を狙った大博打だった。
この結果をうけて投資会社「レッドストーン」と主導権争いで死闘を繰り広げているPPの親会社ViacomのCEO・Philppe Daumanは会社を去りCOOのThomas Dooleyが代理を務めることになった。

1959年の映画がMGMを倒産から救ったのに、この作品は親分のクビを取られる結果に終わったとは皮肉なものだし、映画産業の予測不能の冷たい現実を思い知らされる。スタジオは教会や宗教指導者へ懸命のプッシュをした。

南部や南西部のバイブルベルトでは好成績だが、西海岸や北東部、NYやLAの大都市では無残な結果。観客は51%が女性、25歳以上は91%も占める。

同じ新登場で100M以下の制作費「WAR-」「KUBO-」にも負けている。こう言う大作には客を惹きつけるビッグ・スターが必要なんだろう。脇のモーガン・フリーマン以外の主演級の二人、ジャック・ヒューストンとトビー・ケベルは初めて見る顔だ。

先週、結局120億円の赤字で締めることになったのだが、日本での公開はこの時点で絶望的でシンガポールで見るチャンスがあったのは幸運だった。

スクリーン6の100席以下の狭いが満員の盛況。2時にチケットを買った時には5席しか空いていなかった。もっとも一日一回上映ならそうなるのだろうか。

紀元26年のエルサレム。イエス・キリストが厩で生誕して20数年後、ユダヤ人の貴族、ユダ・ベン・ハー(ジャック・ヒューストン=ジョン・ヒューストンの孫)は幼馴染で今はローマ軍の隊長となっている義兄弟のメッサラ(トビー・ケベル)がローマ帝国司令官として任地エルサレムに戻ってきて、二人は再会を喜びあうが、やがて支配者側のメッサラと被支配者側のベン・ハーとで意見が分かれ、二人の間には亀裂が走る。

ローマ軍の隊長のメッサラがベン・ハーを提督暗殺未遂の罪で捕らえ、母や妹たちは殺されたか行方が知れない。

そして5年間ローマの奴隷としてガレー船の漕ぎ手で過ごした彼は族長イルデリム(モーガン・フリーマン)に気に入られ、ナザレのイエス(ロドリゴ・サントロ)との出会いで強烈な印象を受ける。そしてシーザーの主宰する「戦車競走」でメッサラに挑むことで多くのユダヤ人を救おうとする。
ヘストンのベン・ハーは苛め抜かれたメッサラへの復讐の戦車競走だったが、この映画では「許しと希望」を前面に出して昔の義兄弟の仲を取り戻し、家族のリユニオンをテーマとしている。

CGをふんだんに使った戦車競走はヘストンの戦車より効果や迫力は凄いしくらべものにならない。
イスラエルでその時総督はピラトだがシーザーが仕切るのが変だ。

キリストとは水を飲ませてあげたり、ゴルゴタの丘で磔刑のキリストを遠望する第三者でキリスト教映画とは言い難い。ややこしいことにヒューストンとサントロは顔が似ているので混同する。

ルー・ウォーレスの1880年の小説「ベン・ハー」を原作としてキース・クラークとジョン・リドリー脚本、監督はロシア生まれで「Night Watch」(2006)の大ヒットでハリウッドに招かれたティムール・ベクマンベトフで5度目の映画化。

監督主導でテーマを変えたのが間違いなのか、ヘストン級の大スターをケチったのが悪かったのか、映画がこう不出来では話にならない。PPも身売りの噂が出ており、(日本ではPPジャパンは2月に東宝東和に吸収合併されている)従業員こそいい面の皮だ。

日本は映画は公開せずDVDでの発売予定。
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