Quantcast
Channel: 恵介の映画あれこれ
Viewing all 1415 articles
Browse latest View live

「のぞきめ」(日本映画):湖底に沈んだ村から、その昔、巡礼六部の母子を惨殺し路銀を奪った庄屋への怨念が現代に蘇えり人に摂りつく

$
0
0
有楽町や日比谷、新宿、渋谷、六本木、日本橋などはシネコンや大きな映画館があるので頻繁に出かけるが、同じような繁華街でも池袋には滅多に足を向けない。文芸座のあった頃には良く顔を出したが今の「新文芸座」になってからジャンルがどうも肌に合わない。他にシネ・リーブルとかシメマ・ロサとかサンシャインがあるが何れも二流館だ。

演劇やコンサートがあれば西口の東京芸術劇場へ行く。と言っても1年に1度か2度で余りえばれたものではないが。

その東京芸術劇場での20日(金)でThe 8th WORLD PEACE CLASSIC CONCERTと銘打って音楽監督・新田孝の指揮の元「オーケストラNIPPON SYMPHONY」の演奏を聴いた。

今までは小ホールの演劇だけで300にも満たない座席数だったがコンサートホールは7倍近く、2000座席の大ホール。階段式のシートは前の人も邪魔にならずに見やすい聴きやすい、すぐれものだ。

演奏曲も洗練されていてハープの朝永祐子とフルートの重見佳奈を迎えて「モーツアルトのフルートとハープのための協奏曲」メロディも美しいしフルートの重見が美形なのでうっとりとする。
真っ赤な衣装で大股で登場した鷺宮美幸はラベルのピアノ協奏曲ト長調を勇ましく果敢に弾く。
お目当てのピアニスト佐々木京子は真っ白な衣装。前見た時より何だかふっくらしている。

大学時代の友人の息子、ピアニスト本田聖爾君の奥さんで本田君の小さなOTTAVAコンサートで見慣れている。夫婦ともに大変なテクニシャンだが頭一つ抜けきれない。
優雅なショパンのピアノ協奏曲第一番も久しぶりに聴く。

トリはソプラノの山崎陶子。この人は東大卒なのに驚く。きれいな高音を響かせてヴェルディの椿姫やリゴレットを堪能させて貰った。

さて、洗練された華麗な音楽の世界からオドロオドロしいホラー映画の話に切り替えなければならない。

わずかな隙間から血走った大きな目の視線を投げかけ、目があった人間を恐怖に陥れ挙句は惨い死に追いやる怪異「のぞきめ」だ。

制作局ADとしてテレビ局MMT(ミナトミライTV)で働く三嶋彩乃(板野友美)は、自分の取材の落ち度を上司から責められ深夜残業をしている。

隣りの無人の報道局へ事件の一報。報道部員が誰もいないので報道チーフから強引な依頼で彩乃がカメラを担いで取材に出かける。

アパートの階段踊り場に身体がよじれ、腹から内臓が飛び出し口から血を吐き喉に泥が詰まると言う異様な死に方をしている男の大学生。
カメラに収め現場からレポートした彩乃はその後も報道部に駆り出され続報の取材を依頼される。

青年の恋人の岩登は「『のぞきめ』の仕業だ!」と狂ったように顔を歪める。彼ら二人の恋人はは大学のサークルで山奥の合宿に行って、更に奥地へと足を伸ばしたのだ。丘の上には細長い岩が二つ並んで立っていた。

「六部」と言う巡礼お遍路さんの記念碑で丘の下には部落があったが今では大きなダムの湖底に沈んでいる。

彩乃と恋人でホラー小説家、三津田信三(吉田鋼太郎)が丘に立ち見渡す限り太陽光を反射する湖面と降りて行く丘陵しか見えない。
しかし岩登のスマホにはダムに沈む古い小さな村が映っている。

丘の上に立つ二人が鈴のチリリンと言う音を聞く。
「振り向くな!」と叫ぶ信三。そこには菅笠に白衣の巡礼姿の少女が見つめていた。

盲目の民俗学者・四十澤が昭和初期に残したノートから、その村は「弔い村」の異名をもち「のぞきめ」という憑き物の伝承が残る、呪われた村だったことが明らかとなる。
寒村の村は六部巡礼の途上にあり、お遍路さんたちを泊めては夜半の襲い路銀を奪って生計をたてていたと言う恐ろしい話だ。

その怨霊が少女お遍路の姿となって現代に現れ、覗かれた人に災厄が襲う。

横溝正史調のおぞましい民話伝説が今に蘇える。
そして関係者も次々と「のぞきめ」の悲劇に見舞われ、その恐怖はついに彩乃の身にも降りかかる。
ラストの土に埋めた女性の手が伸びて彩乃を掴むのが一番恐ろしいシーンだが、これってS・キング原作のデ・パルマの映画「キャリー」のパクリじゃないの?

僕は原作者三津田信三を知らないが、映画の中の同名の三津田は彩乃の犠牲の上に生き残り、その体験を生かしてすっかり流行作家になり大勢のファンに取り囲まれてウハウハ生活を送っている。ふざけた話ではないか。

主役の板野友美はAKBのトップ3だが、映画初主演。他の二人、大島優子や前田敦子に比べると美人でも無いし、何よりも芝居が下手だ。
主題歌も歌っているがこちらは流石に上手い。

TV「トリハダ-劇場版-」シリーズでヒットしたTVディレクターの三木康一郎が劇場版も作っているが純粋の長編映画監督はこれがデビュー。未だ拙い。

原作の三津田信三は奈良県生まれ[3]。高野山大学文学部人文学科国文学専攻卒業[4]編集者を経て、2001年、「ホラー作家の棲む家」で小説家デビューを果たす。2010年、『水魑の如き沈むもの』で第10回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞する。
代表的な著作として、作者と同名の作家を登場人物とした作家三部作がある。三津田信三の名を自分の小説ばかりか映画でも広めたいらしい。

角川シネマ新宿で公開中

「マネーモンスター」(MONEY MONSTER)(アメリカ映画):全財産を番組の投資アドバイスで失った男が生放送中のスタジオに乱入、司会者に銃をつきつけインチキ投資先の全貌を暴くことを要求する。

$
0
0
 この作品、日曜(22日)に閉幕した第69回カンヌ国際映画祭でオープニング上映されたもので、監督J・フォスターや主演のG・クルーニー、J・ロバーツもレッドカーペットで愛想を振りまいたがどの賞にもカスリもしなかった。

結局はイギリスのケン・ローチ監督が「I, Daniel Blake」(日本公開未定)でPalme d’Orを獲得。
ケン・ローチはこれで「麦の穂をゆらす風」に引き続き2度目のパルム・ドール授賞だ。

社会派のローチ監督の今回のテーマは、現代イギリスにおける貧困、そして社会保障支出の削減を進めるために政府が使ってきた「働き者と怠け者(給付受給者は怠け者で、ちゃんと働く人が不利益を被っている)」というアイロニーを扱っている。

 ハリウッド映画はカンヌやベニス、ドイツなどの欧州の映画祭では人気が無い。それもその筈150億から200億円の巨費を投じて制作する大作は殆どがヒット作品のシリーズものやらアメコミ原作の映画化。
 賞の対象には成り得ない。またハリウッドでもカンヌでパルム・ドールを獲って一般公開しても客が入らない。
2度も大賞を受けたケン・ローチのこの映画もアメリカで上映されるか疑問だ。されてもアートハウスのような特殊な小屋での限定上映となる。

上述の大作の定義に当て嵌まらない「マネーモンスター」はスリラーやアクション絡みと言えども正義を貫く社会派映画で、ジョディ・フォスターがカンヌに乗り込んだ意義もある。

カンヌのオープニング(12日)の翌日、13日より全米公開に踏み切ったが、2週目の「Captain America: Civil War」(「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」5週目のジョン・ファブロウ監督「Jungle Book」(ジャングル・ブック)の巨人たちに敗れ、3104館で上映するも$15M(16.5億円)の興行成績で第3位。

翌週末(20日―22日)では、更に順位を下げ6位で7.1M、10日間累積で$27.1M(29.7億円)の成績。制作費マーケティング費などが回収されるかどうかギリギリの線だが問題は日本を含め海外でどれだけ稼げるかにかかっている。

華やかな喋りとジェスチャーで人気のリー・ゲイツ(ジョージ・クルーニー)が司会を務め、その確信に満ちた株価予測で視聴者への助言を行う高視聴率財テク番組「マネーモンスター」。

今日のトピックは上場したばかりのアイビス・キャピタルの株が急落する。投資家の損失は8億ドル(880億円)に及ぶ。CEOウォルト・キャンビー(ドミニク・ウェスト)は南アへ飛行機で移動中だと言う。代理の同社広報担当と中継が繋がりインタビューが始まろうとしていた。

プロデューサーのパティ・フェン(ジュリア・ロバーツ)がイヤーフォーンを通して指示をするが全く聞かず、アドリブ全開でリーが生放送に没頭していた。

そこへ突然配達業者を装った男が拳銃を手にしてスタジオに乱入する。
男はカイル・パドウェル(ジャック・オコンネル)と名乗り、番組の株式情報によって折角の遺産を全て失くしたと憤慨し、リーを人質に番組をジャック。

さらに放送中に自分を陥れたアイビス・キャピタル株取引のからくりを白日のもとにさらすようパティに迫る。銃の他に腹にはプラスティック爆弾を巻いて取り巻く警官隊に迫るとボタンを押して自爆すると脅す。

カイルはアイビス・キャピタルと言う会社自体、そのIPOも最初から詐欺では無かったかと訴える。
俄然アクション劇が経済詐欺を追及し真相を明かすファイナンシャル・スリラーの様相を帯びて来る。

「ウォールストリート」や「マネーショート」などの映画で充分知識や教育を受けている観客はカイルの主張を受け入れる。リーもパティも真相追及に入る。この辺りはスタジオ内だけの密室劇だが盛り上がる。

司会者のリーを演じるジョージ・クルーニーが軽快でおっちょこちょいでお喋りで良い。
人気女優、ジュリア・ロバーツとしょっちゅう共演していたと思っていたが「オーシャンと12人の仲間」以来11年振りに一緒に出演したと言う。
しかしこの二人が出て来ると画面が華やかになり重厚感が増す。

復讐に燃える男、カイルは「不屈の男」で日本人捕虜収容所長に拷問攻めに会い2年間の地獄を生き延びるアメリカ人飛行士を熱演したジャック・オコンネル。相変わらず苦悩と悲惨な表情を浮かべての芝居は華やかなクルーニーやロバーツと好対照だ。

佳作「リトルマン・テイト」で監督デビューしたジョディ・フォスターは「それでも、愛してる」以来7年ぶりとなる監督第4作目だがヒューマンドラマからガラリとジャンルを変えて、株の取引にまつわる金融界の闇や格差社会といった社会的メッセージを盛り込んだファイナンシャル・スリラーに仕上げている。

僕はジョディ・フォスターのファン。
広告代理店時代には女優として頂点に立っていた彼女にCMの打診で会っている。気さくで飾らない人柄に一遍に惹かれた。

なかなか複雑な投資詐欺を描いたこの映画。
1時間39分で簡潔に纏めていて見応え充分。日本でヒットしてくれれば良いが。
ハリウッドの夏の大作が陸続と登場する6月から何とか生き延びて欲しい。

 6月10日よりTOHOシネマズ新宿他で全国公開される。

「ブレイク・ビーターズ」(DESSAU DANCERS) (ドイツ映画): ベルリンの壁崩壊前の東ドイツでブレイクダンスに摂り付かれた若者たちを政府がどう「社会主義化」したか

$
0
0
アメリカ映画で見たいと思う作品、最近で言えばベスト10に入っているセス・ローガンのコメディ「Neighbors 2: Sorority Rising」やライアン・ゴズリング演じる刑事とラッセル・クロウのマフィアの「Nice Guys」とかスーザン・サランドン主演の「The Meddler」など興味ある映画が日本公開未定になっている。
そうかと思うとヨーロッパの小品が本国以外に日本だけで上映される。

例えば今日紹介するドイツ映画「ブレイク・ビーターズ」。ドイツでは1昨年(2014年)6月に公開されたが他国では見向きもされず、ようやくスエーデンが翌年の3月に限定館で上映しただけ。

アメリカに憧れる東ドイツの若者たちを描いているのに自由で文化先進国と夢のアメリカでは見向きもされない。
それがいきなり2年遅れだが、地球の反対側・極東の日本で公開されるのだから、これだけで驚きだ。

タイトルから想像するようにアメリカ発の「ブレイクダンス」に夢中になり5人の若者が東ドイツ一の名ダンサーになるが社会主義体制の中での芸術活動は難しいと言う話。

1983年、東ドイツの工業都市デッサウ。
18歳のフランク(ゴードン・ケマラー)はテレビで観たブレイクダンスのとりことなり、映画館で丁度上映中の「ビート・ストリート」を見て夢中になる。
映画の帰り道、親友アレックス(オリヴァー・コニエツニー)と小ウィンドウの前でステップを真似る二
人。

「ビート・ストリート」はヒップホップにのったブレイクダンス幕開けの時代を描いた映画。日本では公開されなかったが、その前年(1983年)のジェニファー・ビールズ主演の「フラッシュダンス」が大ヒットして日本でもブレイクダンスブームが訪れていた。原宿の歩行者天国では幾つものダンスチームが競って踊っていたのを覚えている。

91年にはたけしの番組で「高校生制服ダンス甲子園」が視聴率を稼いでいた。洋の東西を問わずブレイクダンスに若者たちが熱中していた時代があった。

フランクはアレックスや元オリンピック体操選手マルティナ(ゾニア・ゲアハルト)、ミヒェル(ロバスティアン・イェガー)らと「ブレイク・ビーターズ」と名乗り路上で踊るようになる。
ここからが社会主義国。

政府のマンハルト委員長(ヴォルフガング・スタンプ)率いる「娯楽芸術委員会は、アメリカで誕生したブレイクダンスが非社会主義だとして禁止に乗り出す。
ある夜他のグループと路上ダンスバトルをしていた「ブレイク・ビーターズ」のメンバーは他のグループと共に一網打尽に国家警察に逮捕される。

警察とシュタージ(国家保安省)の取り調べにフランクの抗弁が良い。
「ブレイクダンスは反資本主義から生まれたのだ。アメリカの貧しい虐げられた人々の反抗の運動から誕生したものだ」
シュタージも匙を投げるが、ダンスをやめないフランクらダンサーたちに根負けした「娯楽芸術委員会」は奇策を思いつく。

「ブレイクダンスを社会主義化する!」と言うものだ。
先ず名称はアメリカ的なブレイクダンスを禁止い「アクロバティック・ショウ・ダンス」とし、個人技を見せるのではなくチームで並んでダンスを披露する。そうすれば「人民芸術集団」として認めると言うもの。
専用バスを仕立てて東ドイツ中を巡業し意に従わないと父親からアパートを追い出されたフランクには立派なマンションまで与えられる。
金髪美人のマルティナと豪華なダブルベッドで過ごすフランクには至福の時だ。

「人民芸術集団」は更に厳しい要求をして「ブレイク・ビーターズ」の従順な態度を東ドイツの若者に示そうと全国ネットのショウ番組で黄金色の衣装に振付まで指示する。

ここから「ブレイク・ビーターズ」の爆弾的反抗が始まる。このまま「良い子」で終わる筈は無いと見ていたが今まで追従と世辞で築いた名声と地位が一晩で崩れるのは見ていて気持ちが良い。
後4年で「ベルリンの壁」が崩れることを観客は知っているからだ。


1980年代の社会主義政権下の東ドイツを舞台に、世界中を席巻したブレイクダンスブームを題材にした青春ドラマ。
実話では無いし監督・脚本のヤン・マルティン・シャルフは西ドイツ・ケルンで1974年生まれ。物語の時代では10歳だ。
時代も舞台も違う脚本を書くのに随分とリサーチをし、残存のフーテージをチェックしたと言う。
キャリアはショートフィルムやテレビシリーズを中心に活躍してきたので長編劇映画には慣れていない。

全国から800人のダンサーのオーディションから選ばれた出演者たちは皆素人。

1人「トレジャー・ハンターズ アインシュタインの秘宝を追え!」などのゾニア・ゲアハルトのみが映画経験がある。ブロンドを振り乱しながら小ぶりの乳房を愛撫されるベッドシーンは勇壮な踊りと対照的に妖艶だ。
フランク役のゴードン・ケマラーは30歳。舞台俳優を修業中で映画は初めてだが背が高くハンサムでこれからドイツ映画の常連になるだろう。

当然のことながら代役なしで挑んだダンスシーンは見事で迫力がある。
前述した「フラッシュダンス」のジェニファー・ビールズはスタントが踊っている。

6月25日よりヒューマントラスト渋谷で公開される。

「めぐり会う日」(Looking For Her)(フランス映画):里子に出されパリで育ったエリザは幼い息子を連れて実母を探しに港町ダンケルクにやって来る

$
0
0
友人のO君が毎日新聞23日朝刊の山田孝男のコラム「風知草」で「『電通』に聞きたいこと」と題して電通批判をしていると知らせて来た。
下記のエッセイに僕が知られていない事実と私見を少々加えた。

東京五輪招致の不正疑惑で最も気になるのは、広告代理店大手「電通」が果たした役割である。
 売上高で日本一、世界第5位の「電通」は、オリンピックやサッカー・ワールドカップ(W杯)など巨大なスポーツイベントの開催、運営に必要な国際人脈とノウハウをもち、他の追随を許さない。

「電通」は招致活動の脇役ではなく、不動の主役である。「電通」自ら説明し、東京五輪のこれ以上のイメージダウンを食い止めてほしい。

 フランスの検察が捜査を始め、イギリスの新聞「ガーディアン」(11日付)がすっぱ抜いた疑惑は以下のようなものである。

 3年前、東京が2020年五輪の開催地に決まる前後、東京の招致委員会から、国際陸上競技連盟前会長の子息の関連口座に2回に分け、合計2・3億円が振り込まれた。
 セネガル人の国際陸連前会長は当時、国際オリンピック委員会(IOC)の有力委員。アフリカのIOC委員に影響力があり、開催都市の決定を左右する力を持っていた。
 
口座の名義はシンガポールの企業のもので、経営者は一時、スイスのルツェルンにある「電通」の子会社「AMS」のコンサルタントだった。

 1982年、「電通」はドイツの著名スポーツ用品メーカー「アディダス」傘下の企業と合弁で、ルツェルンに「ISL」という会社をつくった。
 「ISL」の仕事は、五輪やW杯、世界陸上などのマーケティング権(ビジネスを展開する権利)獲得の裏工作だった。スイスの州法では違法ではないが、日本では法令違反の可能性のある工作もした。
 
95年、「電通」は倒産した「ISL」の株を売って撤退するが、その際、売却益の一部8億円を「ISL」に戻した。そのカネは、当時、ヤマ場を迎えていた02年W杯の招致合戦を勝ち抜くための活動費だった。
 
後日、「スイスに隠し資産」と読んだ国税庁が「電通」を査察したが、「ロビー活動」の評価に迷い、不問に付された。 と、元「電通」専務、高橋治之がインタビューで答えている。
高橋治之は東京五輪組織委員会の理事に名を連ねている。 オリンピック利権を甘受し私服を肥やせる絶好のポジションだ。

因みにこの治之の弟はイ・アイ・イグループ総帥高橋治則だ。長期信用銀行を破綻に導き(頭取が自殺している)、旧東京協和・安全の2つの信用組合の乱脈融資事件で、背任の罪に問われていた。
2005年7月18日、裁判の途中で都内のサウナで死去、59歳の若さだった。司法解剖の結果死因はくも膜下出血と診断された。だが伝えられている噂では香港からの「仕掛け人」がサウナで隣に座り頸椎に針を打込んだとのが真相だと言われている。

 仏検察は、ドーピング隠蔽の見返りにロシアの陸連からカネを取ろうとした容疑で国際陸連前会長の関連口座を調べ、東京からの送金に気づいたという。

  自らは手を汚さず、腐敗の慣行に便乗するのか。知らぬ存ぜぬで押し通せると思うか。「電通」に聞いてみたい。と山田孝男は結んでいるが電通に対して弱腰に締めくくっている。

今年3月末の電通株主総会で「ISL」解散に伴う株売却金の一部8億についてスイスの司直の取り調べがあったことの指摘があり、更に他の株主から高橋元専務や死んだ服部常務らの私服疑惑についての質問があった。
「こんな疑惑の中で電通が主導する東京オリンピックが果たして開かれるかどうか?」と言う大問題が投げかけられた。

株主総会での石井直社長はのらりくらりと逃げてしまったが、毎日新聞記者、山田孝男には記者としてもっと鋭く追及して欲しいものだ。
(しかし毎日は赤字会社、電通から広告出稿が途絶えるとまたもや倒産の憂き目を見なければならないので筆が鈍るのは止むを得ない)



韓国の女流映画監督、ウニー・ルコントの人生そのものが波乱万丈で映画のヒロインの資格がある。
1966年、韓国ソウルに生まれの孤児。9歳の時にパリ郊外の父親が牧師をしている家庭に養女として貰われ、デザイン学校を卒業し映画に興味を抱いて業界に身を転じる。

短編などの脚本演出を経て孤児院を舞台にした「冬の小鳥」を書きあげ、巨匠、イ・チャンドンがプロデューサーと名乗り出て、仏韓共同制作の映画監督としてデビューしている。

 カンヌを始めベルリン、東京など国際映画祭に出品して好評を博したことは記憶に新しい。

 両親を知らない孤児として里子に出された原体験を映画に込めており「冬の~」以来6年振りの作品も養女に出されたパリに住む主人公が実母を求めて遠い港町ダンケルクの町に移り住み仕事をしながら縁を伝って実母にめぐり会う話だ。

 里子に出された孤児の体験をテーマにウニー・ルコント監督は三部作を企画しており、その第二作目にあたる。体験から湧き出る血を求める激情はそのまま観客に伝わって来る。
 現在50歳のルコントは三部作を完成する頃は還暦前、バーンアウトして新ジャンルの作品に取り組む情熱も無くなってしまうのでは無いかと老婆心が起こる。

パリで優しい夫と8歳になる息子ノエ(エリエス・アギス)と一緒に住むエリザ(セリーヌ・サレット)は身体の機能回復をサポートする理学療法士をしている。

産みの親を知らずに育ったエリザはアイデンティティーの不確かさから来る心の動揺を隠せず、養父母や夫の了解のもと、実母の調査を専門機関に依頼している。

だが匿名で出産した女性を守るプライバシー法律に阻まれ、実母にたどりつくことができない。
6か月後、ついにエリザは自ら調査をするために、自分の出生地である港街ダンケルクに息子ノエと共に引っ越して来る。ダンケルクと言えば1940年第二次大戦で英仏連合軍35万人がナチス・ヒトラーに蹴落とされ総動員した撤退作戦の港町だ。

出産に立ち会った助産婦は行方が分からず赤子で収容された養護施設でも門前払い。

一方、ノエが転校した小学校で給食の世話や清掃の仕事に従事する中年女性アネット(アンヌ・ブノワ)は、 母親ルネ(フランソワーズ・ルブラン)と同じアパートの別の階で一人暮らしをしている。

ノエは初めての給食時間、アラブ人特有の容貌のせいでまたもある誤解を受けてしまう。

そんなノエをなぜか気にするアネット。
学校で見かけたノエの容貌に、なぜか親近感を抱き、優しいまなざしを向ける。

鋭い観客はノエがアネットの孫では無いかと気付く。

ある日、背中を痛めたアネットが、学校から聞いてエリザの診療所にやって来る。これは偶然だがそうとは知らずにここで実母と会うエリザ。

「長いまつ毛ときれいな目をしたかわいい息子さんね」とノエを褒めるアネット。

二人は治療を重ねるうちに、互いに親密感を増していく。
母娘と認識していないアネットとエリザが、理学療法という肌が触れ合う行為を通しいつしか心を通わせ、互いを認知し、それが確信へと変わっていく過程、物理的接触が心情的琴線に触れる韓国女流監督ウニー・ルコントの固有の優れた描写技法だ。

見えない糸を手繰り寄せるように近づく母と娘。
エリザはアネットに子供はいるかとたずねるが親戚は多いが子供は居ないとエリザの期待を裏切る。

映画は二人の揺れ動く思いにそっとよりそい、見つめ、向き合う。
そして、エリザとアネットがそれぞれに毅然と歩み始める新しい人生を予言して終わる。

 ノエにはアラブの血が濃く出ているが1/2混血のエリザは白人の美女。アネットは100%白人だが貧しい漁師の顔でブス。二人が並ぶとエリザの美しさが際立つ。
終盤に妻子をエジプトに残しながらアネットを弄んだモハドと言う港湾労働者のプロファイルが明らかになる。母、兄、叔父など一族が口々にモハドを責めるが必死に「彼を愛していた」と庇うアネットがいじらしく涙を誘う。

 エリザ役のセリーヌ・サレットは36歳。舞台を経験した後映画界入り。2011年のがレル監督「灼熱の肌」の主演で一躍注目される。このエリザの熱演は印象的だ。

7月30日より岩波ホールにて公開される

「暗殺」(韓国映画):日本帝国が植民地化した1930年代の京城と上海疎開。日本からの独立を目指し命をかける暗殺隊の若者たち。

$
0
0
5月25日の在特会の「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)規制法が国会を通って法制化された。

大阪の鶴橋や東京の新大久保など在日が多い場所で人種偏見に満ちたスピーチとデモで「生命や身体に危害を加える旨を告知し、著しく侮蔑するなど、外国出身者であることを理由に、地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」と規定されているが、
非常に不平等だと思うのは「慰安婦像」を日本大使館前に設置し連日のごとく「ヘイトスピーチ」を繰り返している韓国人はどうしてくれるんだ。
しかも取り除くことを条件に10億円も受け取っているんだぜ。

在特会は麻布・暗闇坂の韓国大使館の前にはアイコン像を設置しないし、デモも行わない。
中国ではサッカーで日本に負けたからと選手たちの乗ったバスを取り囲んで罵詈雑言を浴びせ、南京大虐殺をユネスコの世界記憶遺産に登録しようとする。上海の領事館は生卵をぶっつけられる日が続いた。

 何で日本だけが「ヘイトスピーチ」を規制するのか公平性に欠ける。

だから日本と日本人が極悪人として描かれる韓国映画は力が入っているだけに辛い。
出演する日本軍人は威張りくさり朝鮮人をバカにする。

韓国人俳優が日本軍人を演じるが、少しくらい日本語を練習して演じろよ!
変なアクセントで聞き取り難い。その証拠に日本語のセリフに日本語の字幕がスパーインポーズされる。

 戦後70年の昨年(2015年)、韓国で日本の植民地支配下にあった時代を題材にした映画「暗殺」が大ヒットとなった。
慰安婦問題、歴史観の相違を指摘する韓国人は日本が憎くてたまらない。
映画をヒットさせたければ日本人を冷酷無比、非情な人類と描けば良いから頭を使わない。

中国映画もそうだが、極悪人日本人を描く中国映画は配給会社が日本に輸入しない。見る人がいないからだ。

唯一1988年のチャン・イーモウ監督とコン・リー主演の二人のデビュー作だけはその芸術性や社会性の高さで悪の日本軍を描いても日本上映が出来たくらいだ。

しかし韓国映画では日本がどう描かれようと韓国ドラマで懐柔されたおばサマ方のファアンが多い。
日本人が悪人だろうと気にしない、韓国イケメンのおっかけ屋おばサンたちで商売になるのだ。

確かに日本へのヘイトスピーチに耳を塞げば映画としては良くできているのだ。
韓国映画作家のレベルは高い。

この映画の観客動員数約1270万人は歴代7位の記録で、国民の4人に1人が見た計算になる。
これに気を良くしたスタジオは今後も日本植民地時代の映画は続くという。

1933年祖国が消えて(1910)23年経った時代。
大韓民国の臨時政府は日本軍に氏名や素性が漏れていない3人の若者を暗殺作戦を命令する。

韓国独立軍狙撃手アン・オクユン(チョン・ジヒョン)、新興武官学校出身速射砲、爆弾専門家ファン・ドクサム(チェ・ドクムン)。
臨時政府の警武国隊長ヨム・ソクチン(イ・ジョンジェ)は彼らを探し始める。ミッションインポシブルの隊員選びだね。

暗殺団のターゲットは朝鮮駐屯軍司令官川口守(パク・ピョンウン)と親日派で祖国を売る漢奸、カン・イングク(イ・ギョンヨン)。
一方、巨額のギャラで依頼を受けた謎の請負殺人業者ハワイ・ピストル(ハ・ジョンウ)が暗殺団の後を追う。

1930年代のソウル。日本統治時代は「京城」と呼ばれた。
その象徴とも言えるきらびやかでモダンな「三越百貨店」(日本橋の本店に似た構造で正面の階段が象徴的)で、独立軍の若者たちが対日協力者の結婚式を襲撃する。

舞台は上海に移る。上海の日本疎開で悪辣な侵略行為を企む日本諜報部隊に独立軍の3人の暗殺隊と謎のハワイピストルが迫る。

時代考証がしっかりしている。その当時使われた銃器、ライフル、狙撃銃、トンプソン軽機関銃,手瑠弾などが小道具として暗殺団が縦横に使いこなす。
アメリカ製のクラシカルなセダン、「フォードA」「フォードT」「リンカーン」などは見事復元され街中をギャングさながら機関銃を速射し暴走しクラッシュし炎上する。アクションシーンも一流だ。

「暗殺」の主演チョン・ジヒョンは、日本でも知られる「猟奇的な彼女」のヒロイン。架空の女狙撃手が活躍する、1000M離れた日本将校を簡単に射殺する。
韓国臨時政府隊長、ヨム・ソクチン役のおイ・ジョンジェや暗殺請負人、ハワイピストル役のハ・ジョンウ、速射砲ことチュ・サンオクのチョ・ジヌンなどのトップ俳優たちが豪華に顔を並べる。
男優は皆イケメン。クラーク・ゲーブル風の口ひげを一様に生やしこれがサマになっている。
日本のおばサマたちの琴線に触れるのが分かる。

監督は「10人の泥棒たち」「チョン・ウチ」「タチャ・いかさま師」などのチェ・ドンフンで、活劇よりはユーモアが得意な演出家だ。 
韓国では植民地支配から解放70年の8月15日の「光復節」に向け公開をしたが、光復節を抗日戦争勝利日のように感じている韓国人が多い。日本が降伏したのは連合軍であって韓国では無い。

 韓国では近年、格差の象徴である財閥に対し、庶民の反感が強まっている。大韓航空の「ナッツ・リターン事件」やロッテのお家騒動も記憶に新しい
「民族を裏切って私腹を肥やす対日協力者と強引な蓄財をし勝手なことをする財閥のイメージが重なり、社会的正義の鉄槌を下すことに観客の共感が集まっているのだろうか。

7月16日よりシネマート新宿他で公開される。

「ハイ・ライズ」(HIGH-RISE)(イギリス映画):ロンドン郊外40階のタワーマンションは住む階層によって住人の階級が異なっている。

$
0
0
昨日のオバマ大統領の広島訪問と被爆者との面談は久しぶりに気持ちがスカッと晴れた。(巨人軍の6連敗で5位転落も許せる気持ちだった)

「71年前、よく晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。閃光が広がり、火の玉がこの町を破壊しました。」で始まる歴史的名演説に聞き惚れた。被爆者とのハグ、自分で折った鶴二羽など日本人の心情に切々と訴える。オバマは日本人にとって記憶に残り語り継がれる「偉大な大統領」になった。

このオバマに,原爆ドーム前で「オバマ来広反対」「全ての米軍基地を撤去せよ」とデモをかけたアホな団体がある。
「被爆71周年8・6ヒロシマ大行動実行委員会」なる団体で26日夕に続き、昨日(27日)は2度目の集会だ。

そのアホたちに立ち向かい集会を粉砕したのが昨日のブログで紹介した「在特会」のメンバーだ。「ヘイトスピーチ」だけが売り物では無い。

僕自身のオバマへの思い込みもある。
大統領就任直前(2009年1月)に朝日新聞出版から「オバマの真実」と言う翻訳本を出しているからだ。

アメリカを憎み、米軍基地撤廃を求める翁長沖縄知事は、軍属の「痛まし事件」に哀悼の意を表しているオバマ大統領をどう評価するのだろうか?

来年からの次期大統領にドナルド・トランプが有力だ。
(私事になるがNY駐在時代4年間はセントラルパーク・サウスの「トランプ・パーク」に住んでいたので大家・トランプに親しみを覚える)

トランプがチーフ・コマンダーに就任すれば、翁長知事の要請通り米軍を全部撤収して基地は返還されるだろう。

知事は日米安保条約も憲法改正も反対している。

中国が戦闘機や爆撃機で空から、空母や駆逐艦で海から領海侵犯し沖縄諸島の間を抜けて尖閣諸島を領有化するのを「良し」とするのだろうか?米軍でなければ中国軍や中国兵ならウェルカムなのだろうか?少女がレイプされても黙認するのか?
米兵より中国兵の方が鬱積の多い分荒っぽいぜ。


タイトルの「ハイ・ライズ」は高層建築、ここでは仕舞屋が立ち並ぶ住宅地ににょっきりと建つ高層マンションのこと。

舞台は1970年代半ばのイギリス・ロンドンの郊外。
SF小説家J・G・バラードの1975年の「ハイ-ライズ」を原作にした映画。

映画の冒頭はタイトルとは裏腹に荒廃した暗い部屋でたき火をして犬の脚を炙って食べている髭もじゃの中年男。
電気もガスも来てないし、食料も不足している。

その主人公の医師DR. ロバート・ラング(トム・ヒドルストン)の3カ月前の入居した日の回想から始まる。

 40階建てタワーマンションの25階に引っ越してきたラングはベランダのビーチヘッドで裸の日光浴。そこへ上の階から鉢植えが落っこちて来て粉々に砕ける。驚いて立ち上がると階上(26階)から美女シャーロット・メルヴィル(シエナ・ミラー)が笑顔で手を振っている。
シングルマザーで息子トビーがいる。10歳にして天才「ミニ・ドク」として大人たちを観察している。

15階に大きなスーパーマーケットがあり住人はそこで十分欲しい物が手に入るから外出も必要無い。ティーネージャーのキャッシャー、フェイ(ステイシー・マーティン)は気だるそうにレジを打っている。
30階には身体を鍛えるジムも子供たちを遊ばせるプールも完備している。

プールでデッキチェアに寛いでいるロバートに執事だと言う男に着いて来るように案内される。
専用の高速エレベーターはノンストップで40Fのペントハウスに到着。部屋の主はアンソニー・ロイヤル(ジェレミー・アイアン)で従順な妻アン(キーリー・ホーズ)と共にロバートを迎える。

ロイヤルはタワーマンションの設計者であり所有者で、ペントハウスからマンションを睥睨し「王」として住民をコントロールしている。「食物連鎖の頂点」にいるのだ。
屋上には農園があり家畜がいてアンは白馬を乘りまわしている。

毎晩のように住民たちは派手なパーティを催しロバートは招待されてハイ・ライズ生活を満喫している。

ある日ロバートは3階に住むドキュメンタリー監督のリチャード・ワイルド(ルーク・エヴァンス)と知り合う。
身重の妻、ヘレン(エリザベス・モス)の世話を焼きながら、リチャードは意外な話を打ち明ける。

上層階には富裕層や上流階級の人たちが住む。下層階には負債を抱えた人たちや貧乏人などの弱者が住み互いに反発し牽制しあっていると言う。

これはオカシナ話だ。
高級タワーマンションの住民になるには下層階に住む入居者も相当な金額を払わなければならない。貧乏人が入居できる訳が無い。

そんな時に起きた停電で住民たちの問題は顕在化しマンションは荒れ始める。
スーパーから品物は無くなり食料不足から騒動が勃発する。下層階の連中が実力を行使し始める。
女性たちは輪姦され、中には食べものの為に身体を売る女性も出て来る。住民同士の暴力も絶えない。
ドッグフッドの缶詰めを美味しそう食べるのは良いとして、冒頭のロバートのように犬を食べ始める。

ロイヤル家では極上のステーキが出されるが
フェイの愛馬の肉だ。

昨年公開された韓国ポン・ジュノ監督の「スノウピアサー」の横の階層をハイ・ライズの建築に当て嵌めただけで喜劇の筈が貧富の階層闘争と言うシリアスな社会ドラマの様相を帯びて来る。
完璧に見えたタワーマンションに住んでる住民たちが理想的な状態からコントロール不能になっていく様子は、群集劇にしても不条理でトッ散らかっていすぎる。


監督は「サイトシアーズ ~殺人者のための英国観光ガイド~」「キル・リスト」などのベン・ウィートリー。
「戦火の馬」で脇のトム・ヒドルストンを主人公に抜擢。
「ホビット」シリーズのルーク・エヴァンスやオスカー俳優、ジェレミー・アイアンズ、「アメリカンスナイパー」や「二つ星の料理人」など売れっ子のシエナ・ミラーらが脇を固める。

マンション室内のセット撮影が主だからかなりの低予算映画だが役者は華やかにそろえている。
サンフランシスコ国際映画祭やトライベッカ映画祭などに出品しているがアメリカでのウケは余り良く無く一般公開もされていない。
日本でも小さな小屋で細々と上映される。。

8月6日よりヒューマントラスト渋谷にて公開される。

「素敵なサプライズ ベルギーの奇妙な代理店」(DE SURPRISE)(オランダ映画):死ぬ積りの富豪が出会った若い女性に一目ぼれ。死ぬ計画で申し込んでいた旅行代理店に中止を申し入れるが遅すぎた。

$
0
0
 今年52歳になる矢月秀作は劇画原作、ゲームノベライズ、アニメ脚本などの経歴後アクションやサスペンス小説に転じる。

超法規的(要するのアウトロー)のトラブルシュータ―を主人公にした「モグラ」(12)が大ヒットして本格的に警察ものや探偵を扱う流行作家になった。

兵庫県出身だけに主人公は関西弁でまくし立て相手を威圧する。
「いかさま」(実業之日本社文庫:2016年4月刊)は2004年の桃園文庫を底本として中編4作を収録している。

主人公は藤堂廉治。大阪鶴橋で「藤堂よろず相談所」と言う、まあ探偵事務所もどきの小さなオフィスをたった一人の部下、江尻三吾と一緒に開いている。
廉治は何でも屋で、頭は余り良く無い。だが腕っぷしは強く態度は大きい。直情タイプで何かあれば後先考えずに突っ走る。
若い頃、長年の恋人・森崎一美が麻薬に嵌りボロボロになったのを救おうとヤクを扱う道頓堀の極道の本拠に1人で殴り込みをかけ殺傷事件を起こして収監された。

「錆びついた糸」は11年振りに再会した二人だが、一美は東京で大規模にトルエンなど薬を捌く大組織「三道会」の五味会長の情婦となっている。
昔の情熱を取り戻し、五味の元を去ろうとする一美はドラッグの仕入れ先やクライアント名簿など大分の書類を持ち出し廉治に渡すが五味と部下の成田に見つかり拘束されて五味邸に連れ込まれる。

東京では女性警部補だった中島満留がかつての部下で現職の警視庁緒方刑事と組んで三道会の内偵をしていた。結果として警視庁に協力する形で暴力団は壊滅するが、一美は成田の凶弾に倒れる。

「オヤジ狩り」は白昼盛り場で東京からやって来た青年実業家加治光司が三人の少年に囲まれ暴行を受け財布時計ばかりか大金の入ったアタッシェケースを強奪される。加治の訴えを聞いた廉治は少年たちを突き止める。
廃墟となった喫茶店の現場には万札が散らばっている。
そこへ連絡した加治がやって来る。当然感謝されると思ってい廉治に銃を突きつける加治。そこへ中島満留や緒方も駆けつける。加治は警視庁から手配されていたある大事件の主犯だったのだ。万札のゴミの前で呆然とする廉治。

高校生カスミが拉致されヤクザに輪姦されて裏サイトに動画が流れる「猥褻ファイル」やそうとは知らずに相談所が犯罪の片棒を担がされる「ダブルフェイク」など、4篇とも痛快なB級アクション小説だ。

ダボシャツに雪駄姿のコテコテ大阪人の廉治の強さは異常だ。手錠をかけられていても頭突きで相手に瀕死の重傷を負わせるから過剰防衛として何度も臭い飯を留置所で食べる羽目になる。

中島も三吾も空手を基本に武術の達人。廉治に劣らず悪漢をバッタバッタとなぎ倒す。通勤電車の無聊を慰めてくれる矢月秀作は文学賞など無縁でつっばしっている。

 
 土曜(28日)朝のTBS「王様のブランチ」でLilicoが褒めていたのでヒューマントラスト有楽町はギッシリの満員。
放送を見てネットで席を抑えていたから良かった。

豪華なベッドで白髪の老婆が瀕死の状態で息子の手を握っている。「自分はあの世へ行く」と言い残して息が絶える。冷静に母親の死を見つめる息子。
埋葬の日、慈善団体の理事長があれほどの巨額な寄付金は初めてで間違いではないかと何度も確かめる。

オランダの貴族ファン・ザイレン家で大富豪の一人息子ヤーコブ(イェルン・ファン・コーニンスブルッヘ)は幼い頃に父親を亡くしてから感情を失っている。

 広大な敷地にあるお城に住み、アストン・マーチン、ポルシェやジャガーなど初期の限定モデルの高級車を何10数台も所有しているが、一切楽しみを感じたことがない人生に嫌気がさしていた。
長年勤めてくれた執事のムラ―に命じ大量の使用人に暇を出し、豪邸とその広大な庭も売却するつもりで秘書で弁護士のフェルメールに買主を探させる。

母親の葬式を済ませた彼は広大な庭の林に入り込みロープで首吊り自殺を試みるが、常に邪魔が入り死ぬことができない。

車で事故を起こして死ねないかと崖の上で思索している時、黒塗りの車が止まりがけ下に車いすの老人を放り込む。
去った男たちが落としたマッチ箱に記された謎の代理店を訪ねてベルギーへ行く。
オランダからベルギーも至近距離で、車で簡単に行ける。

そこは「最終目的地への特別な旅」のプランを提案する旅行代理店「エリュシオン」だったが、それは「あの世への旅」であり、事故に見せかけた自殺幇助のサービスを提供しているのだ。
社長のMr.ジョーンズを父親とする息子4人、アシフ、クラム、ハリム、モシンの家族経営の死の旅をアレンジする旅行代理店と言う訳だ。どうも名前や顔つきからインド系らしい。

ヤーコブは喜んでサービスを依頼し、「いつ、どこで、どうやって死ぬか分からないサプライズ・コース」を申し込む。
  他に「愛する人に見守れて死ぬ」コースなどがあるがこのコースを選んだ老人に最後に泣かされることになる。

長年の悩みがすっきりし解決したとノンビリ代理店4階のショウルームに飾ってある棺桶を物色していたヤーコブは、同じコースを申し込んだという若い美しいアンネ(ジョルジナ・フェルバーン)と出会う。
感情を持たない筈のヤーコブはアンネと食事をしたりダンスをしたりして灰色の彼の日々は少しずつ暖かな色を付け始める。

 シリアスな映画じゃないから良いが人生の生き様が簡単に変わるユーモアは許しても構わない。だが唐突な変化はご都合主義だね。

そうなると、もう少し生きていたくなったヤーコブとアンネは、謎の代理店を訪れるがコースの変更や延期は出来ないと一歩代理店を出た瞬間から、激しい追跡をかわしながら逃避行の旅に出る。

途中ブレイキが故障した超大型トラックとすれ違い、ベンツ二台に分乗し追撃して来る代理店の若者4人の銃撃戦をかわす。

 驚いたことにアンネはクラシックカーに詳しいだけでなく運転技術はワイルドスピードの連中も顔負けの名ドライバー。

しかし豪邸に避難した二人に代理店の若者が襲い掛かり、アンネが浚われる。
そしてさらに思いもよらない最大のサプライズがヤーコブを待ち受けていた。

監督は長編初監督作『キャラクター/孤独な人の肖像』で第70回アカデミー賞®外国語映画賞を射止めたマイク・ファン・ディム。
オスカー獲得後にハリウッドから殺到したオファーを、「ミシュランで星を獲ったのにハンバーガーなんか焼くもんか」(うまいことを言う)と一蹴し、母国でCM演出だけを引き受けてきたという変わり者マイク・ファン・ディム監督。だからこれが長編監督第二作だ。
監督に嫌われたアメリカではこんな素晴らしい作品の公開は未定だ。おそらく上映の機会は無いだろう。

 主人公のヤーコブにはオランダで国民的人気のコメディアン、イェルン・ファン・コーニンスブルッヘ。
ヤーコブと一緒に恋の逃避行に出るコケティッシュなアンネに実力派女優のジョルジナ・フェルバーン。美人¥では無いが猫みたいなキュートな女優だ。

 代理店の社長Mr.ジョーンズには「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」のヘンリー・グッドマン。

 ヤーコブの執事である父親のような存在のムラーには、オランダやベルギーで活躍する名優ヤン・デクレール。

 一度は人生を諦めかけ、自殺ほう助を裏稼業とする葬儀屋に自殺の協力を依頼した富豪の息子が、同じ目的を持った女性との出会いから人生を見直そうとする姿を描くコメディ。
ユニークな物語を手がけたのは、「キャクター 孤独な人の肖像」で第70回アカデミー賞外国語映画賞に輝いたマイケ・ファン・ディム監督。

 世界で安楽死が認められている国はオランダ 2001年「安楽死法」可決。ベルギー(2002年)とクセンブルク(2008年)だけ。

舞台をオランダとベルギーにして初めて可能な映画だ。

 ヒューマントラスト有楽町にて公開中

「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(LES HERITIERS)(フランス映画):パリの移民など異文化のるつぼの貧民屈に立つ高等学校で歴史教師がナチス強制収容所「アウシュビッツ」をテーマに落ちこぼれ生徒

$
0
0
今日(30日)、アメリカではメモリアルデイ=戦没者追悼記念日。もともとは南北戦争でなくなった方を追悼する日だったが、今ではアフガニスタンやイラクなどの戦争でなくなった人々総てを弔う記念日となっている。戦没者の墓地があるところでは、追悼式やパレードなどが行われる。

そして、この日を境に「夏」が始まるとも言われ、一昔前までは夏の大作映画はこの週末からスタートしたが今では5月に入ると直ぐに巨額の制作費を投じたハリウッド映画がゾロゾロと出て来る。「バットマンvsスーパーマン」「キャプテン・アメリカ」「ジャングル・ブック」などなど。今年も激しい死闘が繰り返される。

コミックを原作とする大作群の中で異色なのはビデオ・ゲームに基ずく「アングり―バード」と「ウォークラフト」が参入していることです。


いまでは荒廃した学校や落ちこぼれクラスなど当たり前だが、60年前の昭和30年、高校生の頃に見た「暴力教室」は僕にとって相当なインパクトだった。
学校は勉強するところ、先生は神様のように従うものとの常識が通らない世界があることを知った。

ニューヨークの高校に赴任したグレン・フォード扮する教師リチャード・ダディエは、不良行為少年が集まった、暴力が支配するクラスの担任となる。
ダディエは必死で奮闘するも、彼の妻、アン(アン・フランシス)まで生徒達の標的となり、暴力に暴力で対抗せざるを得なくなっていく。ヴィック・モローの生徒が黒板の前のダディエ先生にジャックナイフを突きつけるシーンに怯えたことを覚えている。


この手の映画はその後世相を反映して数多くっ制作され、落ちこぼれ生徒も世界中何処でも見られる。そして不良生徒たちを正道に戻す熱血教師の作品も陸続と出て来た。

このフランス映画は舞台をパリ郊外の貧困層の集まる地区、移民の多い街の学校での実話に基づく話だ。
苛めや貧困層などは日本でも日常の問題だが、この学校のように文化の違う移民は日本には無い。将来移民を受け入れなければならない状態は日本でもいずれ来る。

冒頭で学校内に入ろうとするイスラムの女生徒に校長が校内ではスカーフを取るように注意する。卒業式の日だ。
女生徒とその母親は3年間校則を守ってスカーフを被らなかった。「今日が最後だから良いでしょう」と食ってかかり校長の命令に従わない。
3年間続けて最後の日だから取ったらどうだ、との指示に憤然として学内を去る母子の姿。
成績優秀で不良でも落ちこぼれでもないフツ―の生徒の態度にこの学校「レオン・ブルム高校」の問題点が浮き彫りになる。

貧困層が暮らすパリ郊外のレオン・ブルム高校の新学期。
様々な人種の生徒たちが集められ成績順に掃きだめのような「落ちこぼれクラス」に、厳格な歴史教師アンヌ・ゲゲン(アリアンヌ・アスカリッド)が赴任してくる。

黒板の大きく「アンヌ・ゲゲン」と名前をチョークで書いて
「私は教員歴22年。教えることが大好きで退屈な授業はしないつもり」と言い切る情熱的な彼女は、中年の眼鏡をかけたおばさん。不良の生徒たちを統率できるか危ぶむ。生徒たちの名前はしっかり頭に入っていてファーストネームで呼びかけ質問し、スマホやガムなど違法なものは取り締まる。ピシピシ指導するプロフェッショナルには感心する。

アンヌ・ゲゲン先生は歴史の担当だが、カリキュラムを外れて課題を与える。
歴史の裏に隠された真実、立場による物事の見え方の違い、学ぶことの楽しさについて教えようとする。

だが生徒達は相変わらず問題ばかり起こしていた。
アンヌ先生は、生徒たちを全国歴史コンクールに参加するように促すがナチスドイツの殲滅収容所「アウシュヴィッツ」という難しいテーマに彼らは反発する。

ある日、アンヌ先生は、強制収容所の生存者レオン・ズィゲルという老人を授業に招待する。

15歳で父母と兄・妹の5人家族がパリの自宅から連行され、アウシュビッツで強制労働に従事される。既に母と妹は女性で労働が出来ないとガス室に送られ、病気を病んでいた父親は治療のため病院へ連れ去られる。レオンは収容所に病院など無いことを知っていたので悲しかった。
90歳を超えた生き残り本人が訥々と語るのは演技でも芝居でも無いだけに迫力がある。

ユダヤ人だけに「宗教」を聞かれた時にエホバと答えるかと思ったら「無宗教だ」の返事にプロテスタントの学校だけに教師も生徒もホットする。冒頭のイスラム親子の例に洩れず宗教が生徒たちを分断するからだ。

老人は殲滅収容所の次から次へと殲滅される囚人たちは神は居ないと信ずるようになると言う。もっともな話だ。

大量虐殺が行われた強制収容所から逃げ出すことができた数少ない生き証人の悲惨な状況を知った生徒たちは、老人の腕の入れ墨の番号を見て発奮する。
そしてこの日を境に変わっていく。

ある歴史教師との出会いが、生徒たちの人生を変える、パリ郊外にある高校の落ちこぼれクラスで本当にあった冒険の物語だ。

アハメッド・ドゥラメという当時18歳だった男子生徒が、マリー=カスティーユ・マンション=シャール監督へ送った一通のメールから始まった実話の映画化。

主演のアンヌ・ゲゲン先生を演じるのは「マルセイユの恋」(96)でセザール賞主演女優賞を受賞し「クレールの刺繍」や「キリマンジャロの雪」などのアリアンヌ・アスカリッド。彼女の飾らない素顔の演技にリアリティがある。

監督アハメッドとともに、生徒だった自分の体験を元に脚本を共同執筆し、出演もしたアハメッド・ドゥラメは、セザール賞有望男優賞 にノミネートされた。

この映画は、カンヌ国際映画祭正式出品作品、ELLE シネマ大賞ノミネート、サンタバーバラ国際映画祭観客賞、トロントユダヤ映画祭最優秀作品賞(女性監督部門)、セントルイス国際映画祭最優秀作品賞など数々の映画祭で話題となった。

しかしアメリカでの一般公開は実現していない。

女流監督で脚本・制作はマリー=カスティーユ・マンション・シャール。コロンビア・ピクチャーズのパリ支社に勤めていたが1998年に自分の制作会社を立ち上げ既に12本の長編映画を送り出している。

2014年カンヌ国際映画祭正式出品を始め、ELLE シネマ大賞ノミネート、2015年サンタバーバラ国際映画祭で観客賞、2015年セントルイス国際映画祭で最優秀作品賞を受賞するなど、各国の映画祭で絶賛された感動作

尚生き残りの囚人、レオン・ズィゲル(Léon Zyguel)は1927年、ポーランド系ユダヤ人移民の子としてパリに生まれる。1942年にドイツ警察に連行されてアウシュビッツの強制収容所に収容されるが、奇跡的に生き延びる。2015年1月に97歳で逝去すている。。

8月6日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される。

「10 クローバーフィールド レーン」(10 CLOVERFIELD LANE)(アメリカ映画):破壊尽くすエイリアンの攻撃を逃れ地下のシェルターに逃げ込み生活する3人の男女

$
0
0
2008年にJ・J・エイブラムズの制作で巨大都市ニューヨークを「未知の何者か」(多分エイリアン)を炎上させ完璧に破壊するSF恐怖活劇「クローバーフィールド」と言うのがあった。ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の亜流で詰まらない映画だった。怪獣映画をアマチュアビデオで撮っただけだ。「
この映画もJ・J・エイブラムズがプロデューサーだからまた同じ伝かと思っていたら全く違う。
カメラも一部手持ちはあるが固定ししっかりした映像でホラーを捉えている。嬉しい誤算だ。
しかし大きな意味で08年のオリジナルの続編だと言う。確かにエイリアンが地球を襲い、核兵器ばかりか細菌をばらまき人間が殺されていく。

オリジナルでは多くの人間が登場し愚行を重ねるが、この映画は3人だけでそれも地下3Mに掘ったシェルター(Bank)の中での密室劇で登場人物は何れも頭を使い知恵を絞る。

だから登場人物も少なくロケも無いので、前作より更に低予算の10M(11億円)の制作費で済んだと言う。邦画も予算が無いからハリウッドのような作品は作れないとボヤくより、アイディア溢れるこのような映画を参考にすべきだ。

冒頭は都会にいてはマズイと身の危険を感じた若い女性ミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)がボーイフレンドの止めるのも聞かずニューオルリンズを抜け出しエイリアンの脅威が少ないルイジアナの田舎町へと車を走らす。

突如車はスリップそ横転し何かに激突してミシェルは気を失う。
気がつけば窓の無い部屋のベッドに手錠で縛り付けられていて足に大けがを負って寝ている。

ベッド脇に初老の大男、ハワード(ジョン・グッドマン)が付き添い「きみを救うためにここへ連れてきた」と。
如何にも胡乱臭いがこの危機状況下で縋れる人はハワードだけだ。

もう一人、腕を三角巾で吊った若い男がいる。
自らシェルターに逃げてきた近所に住む若い男、エメット(ジョン・ギャラガー・ジュニア)で、これら3人のシェルターでの共同生活が始まる。

ハワードに依れば、エイリアンの攻撃はまだ続いていて核攻撃や止まず大都市は破壊されつくされ、空気は化学兵器で汚染されていると言う。
シェルター内は電波が届かずTVやラジオ、スマホは使えないので外界の様子は分からずハワードの言うことを信じる他はない。

自動発電、地下水を濾した水道、ガスボンベ、膨大な書籍にゲーム機器、映画のDVD、ジュークボックス、3年分の飲料と食料、アルコール、それにトイレとシャワーにキッチン。至れり尽くせりの広いバンク(シェルター)だ。

ハワードは、他人に親切にする信用できる「善人」なのか?(本名はJ・Goodmanで善人なのだが(笑))
それとも何か企んでいてミシェルを利用しようとする「悪人」なのか?疑心暗鬼の中、共同生活が続いていく

ある日、ミシェルは必死にシェルターから抜け出そうと試みるが、「ドアを開けるな!皆 殺されるぞ!」と叫びながら制止しようとするハワード。
それでもミシェルはシェルターのドアまでたどり着く。ミシェルの表情が恐怖と驚きに満ちた表情に変わっていく。そこには中年の女性がガラスのドアを叩いて「HEP!HELP!」と叫んでいる。
彼女の乗って来た乗用車の上に広がる空は澄み切っている。

普通プロデューサーは黒幕で表に出ないがJ.J.エイブラムズが総指揮者としてポスター全面に踊っている。
監督を務めた「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」(2015)で北米興行収入歴代最高を記録し、映画史を塗り替えたヒットメーカーの余韻に預かろうと言う訳だ。・

もう一つはこの作品で長編映画初監督となるダン・トラクテンバーグは誰も知らない。J・J・のハロー効果頂かねばならない。しかしベア・マクレアリーの低音通奏の不気味な音楽と相俟って恐怖を高めていく手話は新人とは思えない。良くできた脚本に「セッション」のデイミアン・チャゼル

「リンカーン/秘密の書」「ダイ・ハード」などのメアリー・エリザベス・ウィンステッド、「バートン・フィンク」などの幅広いジャンルで活躍するコメディ俳優ジョン・グッドマン。若い男にはトニー賞受賞歴もある舞台俳優のベテラン、ジョン・ギャラガー・Jrらが出演。

書きたいことはいろいろとあるが、試写の時にネタバレは勿論,ヒントもダメと言われて萎縮している。
しかしオリジナル「クローバーフィールド」と比べ天と地の差程ある、怖さや面白さだった。

6月17日よりTOHOシネマズ日劇他で公開される。

「クリーピー 偽りの隣人」(日本映画):刑事を辞め大学教授となってノンビリできると妻も喜び、引っ越した稲城市の隣人がクリーピー

$
0
0
愚にもつかない映画を立て続けに2本見た後だけにこの映画のスリリングで怖くて文字通り息もつかせぬ興奮で2時間10分の長尺も1時間足らずに感じる。いやあー、面白かったの一言に尽きる。
良く考えると不条理な点、筋が通らない部分もあるが黒沢清監督のテンポの良さが、瑕瑾をカバーしてしまう。

タイトルの「クリーピー」(CREEPY)とは「気味が悪い」とか「ぞっとする」の意味で、主演の香川照之がこのぞっとするキャラクターを好演している。

映画の冒頭は警視庁の取り調べ室。
捜査一課刑事、高倉(西島秀俊)が8件の連続殺人を犯した松岡(馬場轍)を熱心に尋問している。
検察に送る時間を過ぎているが典型的な「サイコパス」としてどうしてももう一日欲しい。
そんな時、取調室から逃げ出した松岡は事務員の女性にフォークを首筋に突き付け逃亡を図る。
高倉は説得しようと失敗し逆に下腹部を刺され重傷を負う。

 刑事には向いていない、自分は学究肌だと警視庁を辞め現在は犯罪心理学者として大学教授の高倉(西島秀俊)の授業は学生たちに人気がある。妻康子(竹内結子)も郊外、稲城市の一軒家でゆったりとした生活に希望を抱き警察の昼夜無い暮らしを抜け出せたことを喜ぶ。

 高倉と妻・康子が隣人宅へ挨拶に行くが、顔を見せた西野(香川照之)は愛想が良かったり怒り出したりどこかつかみどころのない中年の男だった。

 西野は挨拶に顔を出せない程の病弱な妻と中学生の娘・澪(藤野涼子)の3人家族だった。
一見人の良さそうな西野との何気ない会話に高倉夫妻は翻弄され、困惑する。
高倉には「大学の事務をしている竹内さんは知り合いです」とか
康子には「奥さんは僕とご主人とどちらに惹かれますか?」と不躾な言葉をかける。

不思議なのは高倉夫妻の間で西野との会話が持ち出されないことだ。特に妻康子が秘密にするのが解せない。

ある日、かつて同僚だった刑事・野上(東出昌大)から、6年前に発生した日野市の本多一家3人の失踪事件の分析を依頼される。

 だが、事件当時中学生だった唯一の生き残りである長女・早紀(川口春名)の記憶をたどり調査を進めても核心にはたどりつけずにいた。電話で誰かに「支配されていた」としか分からない。大学生になった早紀の言うことも毎回違う。ただ一つ隣家の水谷家の庭から男が見上げていたことだけだった。その水田家も誰も住んでいない廃屋だ。

そんなある日、澪は高倉に「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です」と告げる。
このセリフのインパクトは強い。決して澪は嘘を言っているのでは無いことが観客にも高倉にも分かる。

未解決の一家失踪事件と隣人一家の不可解な関係がどうやら繋がりそうになった時、高倉夫妻の平穏な日常も崩れてゆく。

試写前にこう言う映画だからネタバレやそのヒントになることは厳重に注意を受けている。だからこれ以上は書けない。

今や黒沢監督と言えば黒沢明ではなく、黒沢清のこと。
「岸辺の旅」で昨年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞したのを始め、「回路」「アカルイミライ」「ドッペルゲンガー」など海外でも評価は高い。
「東南角部屋二階の女」で長編監督デビューした池田千尋と黒沢監督が共同で書いた脚本も構成やセリフも良く仕上がっている。

 原作は第15回日本ミステリー文学大賞新人賞に輝いた前川裕のサスペンス・スリラー「クリーピー」。原作は読んでいないが恐らく映画の方が良くできているのでは無いか?

 犯罪心理学者の主人公を西島秀俊、「人間合格」や「LOFT」など黒沢監督の作品にこれで4作主演をしている。
怪しい隣人の香川照之が実に上手い。
歌舞伎役者やタカラジェンヌの血を引き東大卒の頭の良さも相俟って今の俳優で何をやらせても一番上手いのではないだろうか。

他に高倉の妻を竹内結子、失踪事件に興味を持つ刑事を東出昌大、捜査一課課長を笹野高史ら実力派が揃っている。

ともかく最近の邦画サスペンスでは出色の作品。見逃してはなりませんぞ。

 6月18日より丸の内ピカデリー他で公開される。

「歌声にのった少年」(The Idol)(パレスチナ映画):パレスチナのガザの少年は姉の希望に沿って「スター歌手になって世界を変える」夢を実現しようとする。

$
0
0
 吉川永青の「悪名残すとも」(KADOKAWA:2015年12月刊)はずっしりと胸に応える時代小説だ。主人公の陶隆房(すえたかふさ)のことは何も知らなかった。

小説は天文9年(1540年)の師走、未だ20歳の若い頃から始まる。毛利元就の居城、安芸国の郡山城に尼子軍が攻めた時に、1万の援軍を引き連れて若き美丈夫の軍師、陶隆房が現れた。毛利氏を従える大内義隆の筆頭家老であり、援軍の大将を務め、見事な戦略で尼子軍を打ち破る。
爾来、隆房は元就の戦友にして親交を深めて行った。

だがその翌年出雲に侵攻した隆房の軍は内部の統制が取れずに敗走を余儀無くされる。そのこともあって大内氏内部で文治派が台頭し坊主上がりの祐筆、相良武任が大内義隆に取り入り武断派の隆房は追い詰められて行く。

奸臣・相良の甘言で主君義隆は戦離れになり、派手な宴や能などの文化への傾倒と浪費は年貢だけでは足りず、天役(臨時徴税)を連発し領民は塗炭の苦しみに陥る。
迫り来る隣国の侵攻や疲弊する大内氏を立て直すため、隆房は幕臣たちと語らい義隆を「押し込め」(強制的に隠居させる)を決意するのだった。

隆房は飽く迄も大内氏存続を念頭に義隆を押し込めようとするが、親友毛利元就は隆房の謀略を事前に知りそれでは生温いと忠告する。
西国は大内氏に代わり陶隆房が差配しなければならぬと。毛利氏は隆房に従うと。だが陶隆房には大内氏の存続以外の大志は無い。

そして毛利元就の5000の軍勢と陶隆房率いる2万の大軍は元就の本拠地、厳島で戦いの火蓋を切る。
だが水軍を利用し謀略に長けた元就の戦法の前に惨敗を喫した隆房は瀬戸内海の浜辺で生涯となる。

大内氏存続のため何故自分は「悪名残すとも」下剋上をしなければならなかったか、
戦国の武将、陶隆房の心情が濃密に描写されている上質の時代劇だ。

著者の吉川永青は47歳、吉川英治文学賞新人賞の候補となった位で未だ世に出ていない遅咲きの作家だが、この時代劇は吉川の出世作となるのではなかろうか。


今、角川シネマ新宿で公開中の「オマールの壁」はノンビリ暮らす日本人には信じられないシーンを見せてくれる。
パレスチナ人の居住区のど真ん中にイスラエル軍によって建てられた分離壁が非人道的で人間の尊厳を否定してドカンと聳え立つ。

ガザ地区に住んでいながら恋人に逢うために10Mを超える壁をよじ登って向こう側に降りなければならない。
登っているところを見つけられればイスラエル兵に狙撃される。

ハニ・アブ・アサド監督は試写の時にも来日して挨拶をした。
今年54歳だがオマール役の主演のアダム・パクリに似た精悍な顔つき。
現在はオランダに住んでパレスチナ問題の映画を撮っている監督は流暢な英語を喋る。

アブサド監督と言えば、自爆テロに向かう二人のパレスチナ人青年を中心にパレスチナ人から見たパレスチナ問題を描く「パラダイス・ナウ」を送り出し、2005年ベルリン国際映画祭での「青い天使」賞、ヨーロッパ映画賞脚本部門、2006年のゴールデン・グローブ賞外国語映画部門など多くの賞でノミネートや受賞をして国際的に高い評価をうけている。

これまでの世界に訴える平和や政治的な2本のシリアスな作品と違って「歌声にのった少年」はガザ地区を抜け出した歌の天才少年がアラブ世界のアイドルになる実話だから夢がありロマンティックだ。
その上一番商業的にも成功するだろう。

「オマ-ルの壁」が小さな角川シネマでしか上映されないのに対しこの映画は新宿ピカデリー他ヒューマントラスト有楽町など一流の大劇場で公開予定だ。

映画の前半は主人公たち子供時代をユーモラスに描く。

紛争の絶えないパレスチナ・ガザ地区で暮らす10歳のムハンマド・アッサーフ少年(クエ・アタラ)。歌が大好きなムハンマドの夢は「スター歌手になって世界を変える」こと。

2歳年上で仲良しの姉ヌール(ヒバ・アタラ)と二人の友だち、アシュラフ(アーマド・カシム)とオマル(アブド・エルカリン・アブ‐バラケ)の4人でバンドを組み、拾ったガラクタで楽器を作り、道端で歌っていた。
ゴミの中から拾った楽器でロクな音が出ないがムハンマドの歌は澄んで鳴り響く。
ムハンマドの声が「最高」だと信じるヌールは、「カイロのオペラハウスに出る」というとんでもない目標を立てる。

ヌールはオシャマなお転婆娘、男に間違えられるほどの身体能力や運動能力があり駆けっこや混みあった市場を走り抜けるヒョウのようなすばしこさがある。演じるアタラの色黒い顔の1/3に大きな瞳が悪戯っぽく光る。

この姉弟の仲の良さは異常にも思えるが、特にヌールが体調を崩し病院へ担ぎ込まれ「腎臓炎」と診断されてからムハンマドは必至に自分の腎臓の提供を申し入れる。

 医師は取りあえず週一の透析で凌ぎ1万5千ドルかかる移植手術に踏み切ると宣告する。
そんな大金が稼げる筈も無い。
結婚式で歌い(後のコンテストでウェディング・シンガーと紹介される)教会で歌うが追いつく金額で無い。
その内ヌールは亡くなってしまう。

最愛の姉を失い希望を絶たれるムハンマド。泣かせるツボをアブサド監督はしっかり押さえている。

 月日が過ぎ、2012年、映画の後半に入るとムハンマド(タウフィーク・バーホム)はタクシーの運転手をしながら金を貯め、姉ヌールがムハンマドに託した希望、ガザを抜け出てアラブ世界のスター歌手になる夢を実現しようとする。

 色んな障壁がある。子供時代のバンド仲間オマル(アーマド・ロクー)はモスリムの兵士になって宗教的にも軍としても国境越えを許さないと立ちはだかる。
勿論VISAは無いし、国境の警備は厳しい。
偽VISAと見抜かれた警備兵の前で歌うと「神に祝福された声だ」と見逃して出国させてくれる。

 エジプト・カイロの「アラブ・アイドル」オーディションの申し込みは数千人の群衆が詰め掛けて来年まで待たなければならないと係員。
会場のオペラハウスに二階の窓から入り込み警備員に追い詰められてトイレに雪隠詰め。
そこで歌う(追われているのに歌うかよ!)隣の個室に入っていた男が余りの美声で自分のオーディションチケットを譲ってくれる。

 そしてオーディションを無事に受けられとんとん拍子に勝ち抜きチャンピオンに。
心地良いサクセス・ストーリーだが、余りにコミカルでご都合主義なのが気にかかる。

 唯一の挫折は最終決戦を前にしてパニック症状を起こし病院に担ぎ込まれリハーサルも欠席。診察した医師は明日の決勝出場は無理とプロデューサーに宣言する。

 病院を抜け出し港に出てガザの街、自分を応援してくれるガザの人々を思い出しながら得意の「故郷よ~」を歌いだす。
その歌声をバックに3人の最終候補と争うステージのシーン,勝者になってトロフィーを受け取る栄光のシーン、姉との約束を果たし、そしてアラブ世界を代表する歌手でスターとなる。

 コンテスト優勝時とエンドクレジットに流れる歌はムハンマド・アッサーフ本人だ。映画の中はオーディションに合格した役者が歌っているが歴然の差がある。

モデルになったムハンマド・アッサーフは、全米の人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」のエジプト版「アラブ・アイドル」に出場し、2013年の「アラブ・アイド」に輝いた。

アラブで知らない人はいないスーパースターとなったムハンマド・アッサーフは現在も、歌手を続けながら「国連パレスチナ難民救済事業機関」の青年大使を務めている。字幕で国連発行のVISAがあるためどこの国へも偽VISAを使わずに出入国できると言うのが笑える。

9月24日(土)より新宿ピカデリー他で公開される

「栄光のランナー/1936ベルリン」(RACE)(アメリカ・ドイツ・カナダ映画):ナチスドイツやアメリカ国内での人種差別にも負けずベルリンオリンピックで史上初の金メダル4個を獲得したジェシー・オーエン

$
0
0
原題の「RACE」には陸上競技などの「レース」と「人種」の意味がある。アーリア人種の優位性を唱え、ユダヤ人やジプシー、有色人種を差別するナチスドイツ主宰の「ベルリンオリンピックが舞台だけにダブルミーニングの洒落た題名だ。
 
1936年の「ベルリンオリンピック」。
ナチス独裁政権下で開催され、のちに「ヒトラーのオリンピック」とも呼ばれたこの大会で史上初の四冠を成し遂げ、歴史に名を残したアメリカの陸上競技選手 ジェシー・オーエンス。

この映画は、81年経った今も多くの選手に影響を与え続けるオーエンスの、アメリカでの人種差別やナチス政権による抑圧との闘い、

 今年の「リオ・オリンピック」にふさわしい時宜を得た作品だ。
驚いたことにオリンピックに関する利権や賄賂の話も出て来る。

 ブランデージIOC会長やダスラー兄弟製靴工場も出て来る。
兄弟はその後夫々独立し兄は「プーマ」弟は「アディダス」のブランドで世界的なスポーツシューズのメーカーとなる。

 建築会社社長のブランデージはナチスからワシントンDCでのドイツ大使館の建設を請け負いアメリカオリンピック組織委員会(AOC)でナチのファッシズムに協力するものとして反対する委員たちを押し切って参加することに決める。
これは「賄賂」だが映画ではそうは言っていない。

 後日譚だが「アディダス」は電通とILSと言う合弁会社を1982年スイス・ルッツェルンに作りワールドカップサッカーなどのロビー活動をしていたが倒産し株式売却益8億円が使途不明金となり「賄賂」に使われた恐れがあるとスイスの司直が来日し電通関係者を取り調べた。

 更にこのところ騒がせているのが世界陸上での「賄賂」問題。
フランスの検察が捜査を始め、イギリスの新聞「ガーディアン」(11日付)がすっぱ抜いた疑惑は以下のようなものである。

 3年前、東京が2020年五輪の開催地に決まる前後、東京の招致委員会から、国際陸上競技連盟前会長の子息の関連口座に2回に分け、合計2・3億円が振り込まれた。
 セネガル人の国際陸連前会長は当時、国際オリンピック委員会(IOC)の有力委員。アフリカのIOC委員に影響力があり、開催都市の決定を左右する力を持っていた。
 
 口座の名義はシンガポールの企業のもので、経営者は一時、スイスのルツェルンにある「電通」の子会社「AMS」のコンサルタントだった。 「ISL」の仕事は、五輪やW杯、世界陸上などのマーケティング権(ビジネスを展開する権利)獲得の裏工作だった。

 映画では時代が違うので電通もISLも出て来ないが、1935年、今から81年前でも公然と賄賂が飛び交っていたとは初めて知る。

 舞台は1930年代のアメリカでもド田舎のクリーブランド州コロンバス。
中学時代から陸上競技で驚異的な記録を次々と打ちたてたジェシー・オーエンス(ステファン・ジェイムス)。家族も多く家計を支えるためと(如何にも黒人らしく)結婚していないが美容師ルース・ソロモン(ジャーニス・バンタン)との間に娘を設けておりその養育費も稼がなければならなかった。

 奨学金付きで高校のコーチの勧めでオハイオ州立大学へ進学する。そこで生涯の名コーチ、ラリー・スナイダー(ジェイソン・サダイキス)に出会う。
ラリーは194年のパリオリンピックに出場が決まっていながら悪戯心で飛ばした複葉機事故で資格を失っているだけに、自分の育てた選手をオリンピックの金メダリストにしたいと言う思いは人一倍強い。
アルコール依存症でコーチに終始する余り娘と妻に逃げられ独身。だが突然転がり込んで来た「金の卵」に目の色が輝く。

 南部オハイオ州は黒人差別が激しい。特にフットボールチーム「バックアイ」は白人だけでシャワー室からジェシー達黒人を追い出す。

 ラリーは言う「観客を気にするな。トラックに立てば自分1人。10秒間は君の世界だ」ラリーとジェシーは兄弟のような付き合いを始める。

 大学陸上競技サーキットで全米を廻り始めたが有名なのがミシガン州アンアーバーでのレース。30分間で走り幅跳びなど3つの世界記録を樹立した。
有名人になって都会の資産家令嬢(シャンテル・ライリー)とサロンで酔っ払った挙句の艶聞がスキャンダル記事となり全国紙を読んだルースから絶交を言い渡される。

「直ぐに結婚したい」と雨の中で泣いて謝るシーンは印象的だ。この後ジェシーとルースは終生平穏に暮らし3人の娘を設けている。

 当時のアメリカ国内では、ナチスに反対してオリンピックのボイコットを訴える世論が高まっていた。
さらに、ナチスの人種差別政策は黒人であるオーエンスにとっては認めがたいものであった。

そして前述したようにアメリカオリンピック委員会の理事、アベリー・ブランデージ(ジェレミー・アイアン)は不参加を唱えるエレミア・マホーニー(ウィリアム・ハート)と対立し実情視察でベルリンへ飛び、ベルリンオリンピックのドキュメンタリーを撮る女流監督レニ・リーフェンシュタイン(カリス・ファン・バウテン)の通訳でヨーゼフ・ゲッペルス宣伝相(バーナビー・メッチェラート)と会う。

 アメリカが参加しなければ「俺の」オリンピックは成り立たないとゲッペルスは「賄賂」をチラつかせブランデージを説得する。

 市川崑監督が型破りのオリンピック記録映画を作るまで、リーフェンシュタインの「美の祭典」は最高のドキュメンタリー映画だった。
 
 このフーテージが入場式や聖火式などが使われている。日本選手団も金6、銀4,銅3を獲得する8位の活躍で僕自身何度もこの映画を見ている。

 偏執狂的なゲッペルスは寡黙、間に入るリーフェンシュタインはフェミニスト、ゲッペルスにもヅケヅケものを言う。

 走り幅跳びで金メダルを争うドイツのルッツ・ロング選手(デヴィッド・クロス)との友情のエピソードも涙が零れる。
踏切でファウルをしたジェシーに目印を置くアドバイスをし、優勝したジェシーと肩を組んでトラックを一周する。
ヒットラーやゲッペルスが怒らない訳が無い。後に一兵卒として前線へ送られ戦病死する。

 ヒットラーのユダヤ人嫌いは徹底している。
400Mリレーの二人のユダヤ選手を外せと強硬な談判。
事なかれ主義のブランデージが了承し、急遽リレーなどやったことが無いジェシーが先頭ランナーで走り世界新記録で金メタル。3個で満足していたが4個になってしまう。

 このアメリカのヒーローの凱旋パレードを100万人の人々がマンハッタン五番街を埋め尽くす。
しかし祝勝会のウォドーフアストリア・ホテルでは黒人は勝手口から入るようにコンシェルジェから指示されるし、日本なら国民栄誉賞ものだがホワイトハウスは無言の応対。

偉業を成し遂げた黒人がまともに扱われるには、更に二世代を経たキング牧師の公民権運動を待たなければならない。

 映画としての出来や質は良く無いし賞を取る作品ではない。しかし改めてジェシー・オーエンスの偉業とその生涯、そしてドイツナチスやアメリカ本国での人種差別を振り返って「RACE」の意義を噛みしめる。
 
 主役のジェシー・オーエンスを演じるのは「グローリー/明日への行進」で公民権運動の活動家ジョン・ルイス役を演じたステファン・ジェイムス。
コーチのラリー・スナイダー役にはコメディ「モンスター上司』のジェイソン・サダイキス。二人とも主役級では無いので顔を知らない人も多いだろう。
アメリカオリンピック委員会の委員役には、オスカー俳優のジェレミー・アイアンズとウィリアム・ハートのベテランが固める。

 監督は「エルム街の悪夢5」や「プレデター2」「ジャッジメント・ナイト」などのB級ホラーが得意のスティーブン・ホプキンス。コミックの原画制作やCMを経て監督になった人で彼も一流では無い。脚本にも加わるべきだが、ジョー・シュラップネル&アナ・ウォーターハウスに任せている。

 4つの金メタリストと言うレガシーの素材が良かったから面白く感動的な作品に仕上がったが監督が代わればもっと興味深い映画になっていたかも知れない。

8月11日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国劇場にて公開。

「生きうつしのプリマ」(THE MISPLACED WORLD)(ドイツ映画):亡き母そっくりの世界的有名なオペラ歌手をTVで見て家族の謎を探る女性ジャズ歌手

$
0
0
ヴィムベンダーズなどのニュー・ジャーマン・シネマの伝統を継承するマルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品だけに期待して見始めたがやや失望する。監督のいつものテーマ女性の孤独感を巡ってミステリーと言うよりもメロドラマが展開する。

「話があるんだ」と思いつめた声で父パウル(マティアス・ハービッヒ)から呼び出されたゾフィ(カッチャ・リーマン)は、ネットのニュース画面を見せられて唖然とする。
そこには、1年前に亡くなった最愛の母・エヴェリン(バルバラ・スコヴァ)に生き写しの女性が映っていた。彼女の名はカタリーナ。NYのメトロポリタン・オペラで歌う世界的なプリマドンナで、同じ歌手でもドイツの名もないクラブをクビになったばかりのゾフィとは次元の違うスターだ。

父パウルはどうしても彼女のことが知りたい、どうして亡妻と生き写しなのだと探って欲しいと、ゾフィを強引にニューヨークへと送り出す。
カタリーナのマンハッタンにある豪華なアパートを訪ねるゾフィの顔を見て、カタリーナの母親は「エヴェリン!」と絶叫する。認知症を患っている老婆はゾフィを離さない。

帰宅したカタリーナは母を逆上させたとゾフィを殴り部屋を追い出す。
気まぐれでミステリアスなカタリーナ・ファビアーニ(バルバラ・スコヴァ:二役)に振り回されながら、彼女と母の関係を探るゾフィ。
どうやら母には、自分も父も知らないもう一つの顔があったらしい。

この映画は家族の血を巡るミステリー調で展開する。が底は浅いし、ご都合主義的な逃げがある。
父と母は幸せな結婚をしていたと信じるゾフィ。だが父はいつも「エヴェリンに殺される」と口走っていた。母の幽霊が毎晩枕もとに現れると言うのだ。

父を問いただすとエヴェリンは結婚前に恋人との子供を妊娠していた。ドイツで堕胎は出来ないのでオランダへ送り込んだがオランダでそのまま産んだ娘がゾフィ。だから父娘の血の繋がりが無い。
その上飛んでも無いことを言い出す。父の兄、つまりゾフィの叔父ラルフ(グンナール・モーラー)は母親に横恋慕していたと。

「兄はいつも俺の持ち物を欲しがり横取りしようとするんだ」と。
ゾフィはラルフ叔父を訪ねる。88歳のモーラー演じる叔父はヨボヨボ爺さんだ。その口から「母親は弟パウルを嫌い、ズーッと俺を愛していた」と。その証拠にと母エヴェリンからラルフへの小箱に一杯のラブレターを見せられ愕然とするゾフィ。

謎の一部は解けるが肝心のローマ生まれのカタリーナのことは全く分からない。
父はオランダの後ローマへ留学したいとエヴェリンをイタリアへ送り出し、母は1年半ローマで過ごしたと言う。ならばカタリーナの母はエヴェリンで似ていても無理は無い。
だが父親は誰?

NYでゾフィは素敵な青年フィリップ(ロバート・ジーリゲル)に出会いロマンスの花を咲かせるサブプロットもさることながら、ゾフィ―に扮するカッチャ・リーマンの喉も見事だ。トーチソングシンガーとして軽やかなジャズにバラードとストーリーと関係無く楽しませてくれる。

オペラ歌手カタリーナのバルバラ・スコヴァのアリアは少ない出番だがしっかり聞かせる。
それにしてもどうも養老院映画を見ている感じだ。ゾフィが父親ではないかと振付師を訪ねるシーンがある。
振付師はホモで女性に興味が無いことがわかるが、「ちょっと小太りだ」と身長体重を聞く。
「160センチ60キロ」と正直に答えるが、カッチャ・リーマンは52歳でロマンスも無いだろう。

オペラのカタリーナ役のスコヴァは66歳、リーマンより役柄で言えば1歳半年下の筈だ。
因みに父親役のハービッヒは76歳、前述したモーラーは米寿を過ぎた88歳だ。

「ハンナ・アーレント」で注目されたマルガレーテ・フォン・トロッタ監督と脚本も74歳でどうもさえない。一番若いフィリップ役のジリゲルが50歳だから老人映画だ。悪いとは言わないが日本の若い映画観客にどう受け止められるか心配もする。

NY―ドイツを巡り、「母」の本当の姿や心を知る謎は母親エヴェリンの「恋多き女」に尽きる。ならば生きている時代のエヴェリンも描いてほしかった。

母の墓に供えられる贈り主不明の花束、記憶を失くしたカタリーナの母親(養母)が隠す古い写真、ラルフ叔父へのラブレターなどで数々の謎が解き明かされ、母の真実の姿が現れて来る。
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督と主演のバルバラ・スコヴァが再び手を組んだ、オペラとジャズを
フィーチャーした母娘のミステリーと言うかむしろ「メロドラマ」。

舞台はドイツとニューヨークを行き交う。ドイツの大都市郊外で水と緑の都の美しい風景と、NYマンハッタンのリンカーンセンターの大噴水。壮麗なアーチに飾られたメトロポリタンオペラハウスや広大な緑が広がるセントラルパークを見下ろす。

バルバラ・スコヴァが一人二役で秘密を抱えたカタリーナと母親エヴェリンを演じる。
母の謎に迫るゾフィには、「帰ってきたヒトラー」でも顔を見せたカッチャ・リーマン。NYに飛ぶロマンを描くならもう少し若い女優が欲しかった。

7月16日よりYEBISU GARDEN CINEMAで公開される

「デッドプール」(DEADPOOL)(アメリカ映画):傭兵ウェイドは余命幾ばくも無いがん治療を受けるが、マッド・サイアンティストの手で不死身のミュータントになってしまう

$
0
0
モハメッド・アリが死んだ。74歳だった。

僕はアリに会って契約書にサインを貰い日本のCMに出演してもらったことがある。
1977年の秋だった。
カシアス・クレイ時代から「蝶のように舞い、蜂のように刺す」のビッグマウスを気に入って大ファンのクライアントが男性用オーデ・コロンを売り出したいとの依頼を受けシカゴへ飛んだ。
シカゴ・ミシガン湖の湖畔をノースウェスタン大学と反対の西方向へ1時間弱ドライブすると白亜の殿堂が立っていた。

途上、街中に「エルヴィスプレスリー来る」のポスターがベタベタ貼ってあった。コンサートは実現しなかった。その夏エルビスは急死したからだ。

 マネージャーの弁護士を通じて2年契約の話は了承されており、サインを貰うためアリだけに逢えば良いのだが、一歩邸宅に足を踏み入れると10数人の大男が部屋を埋め尽くしていた。全部黒人だった。
やはり威圧されて怖かったが、30代半ばの世界チャンプは日本から遥々やって来た僕とクリエーターを笑顔で迎え、熱心にCMコンテの説明を聞いてくれた。

 オーデ・コロンを持ってカメラ目線でBlack is Beautifulみたいな一言だけ、芝居は要らないから半日の撮影で済む。別に特別の意見も無くスティルとCMコンテをマネージャーに残して1時間ほどで契約書にサインを貰い飛行場へ急いだ。

 晩秋と言え既に寒く、LAの宿にたどり着いた時は緊張も解けホッとしたのを覚えている。あれから40年も経つんだ。僕は撮影には立ち会わず一度だけの顔合わせだった。CMタレントで黒人を使ったのは初めてだが、ジョークで皆を笑わせ愛嬌を振りまくアリはとっつきやすく親しみを覚えた。

 3年前のジョージ・フォアマンとのタイトルマッチを劣勢から見事に挽回し死闘を制した「ザイールの奇跡」は、この人かと大勢の人たちから頼まれた色紙にサイン貰い興奮してアリ宅を辞した。


 昨日(4日)のTOHOシネマズ日劇の5時の回はガラガラかと思ったら若いカプルなどで4割を超す意外な盛況だった。
この手のミュータントものは余り好きでないが、映画のトーンが型破りで主人公が画面から観客に語り掛けるスタイルは斬新で面白かった。

 この映画はアメリカではG・ワシントンとA・リンカーンを記念する「プレジデンツ・デイ」の休日にヴァレンタイン・デイが重なる週末に公開され。祝日をいれて4日間では150M(165億円)と言う驚異的な成績を挙げている。
被験者にならなければ生きられないと怪しい人体実験によって「不死の肉体」を手に入れたミュータントになった主人公の戦いをユーモアたっぷりに映し出す。

 「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」(09)でもウェイド役を演じたライアン・レイノルズがスピンオフし従来のキャラをガラリと変えてユニークな役柄に挑む。ウォルトディズニーの「アヴェンジャー」やソニーの「スパイダーマン」などマーベルコミックスの主流に比べれば「X-Men」からのスピンオフのデッドプールは小物に見える。

しかしそれだけ自由に自分勝手な行動もスパーヒーローなどの悪口も言い放題だ。「第四の壁」と称して場面を無視し映画館の観客に直接話しかけるのも面白い。

 冒頭で主演や監督が字幕で紹介するのが普通だが名前は出て来ない。例えば監督、ティム・ミラーのことを「ギャラが実力以上に高すぎる。」と出て来る。その筈ミラーはこの作品でデビューする新人監督だ。
しかし何と言われようと主演のライアン・レイノルズは「クールでハンサム」。この映画は彼の代表作になるだろう。
相手役の妖艶なヴァネッサのモリーナ・バッカリンも新人だ。


プロローグはタクシーに乗って目的地へ急ぐ全身真っ赤なコスチュームの男。インド系の運転手に「デッドプール」と名乗ったその男が到着したのは、ハイウェイの上。デッドプールは、そこで仮面を被らなければならない程の顔にさせられた宿敵への復讐を果たそうとしていた。

映画は現在とその2年前に分かれる。

 かつてカナダの有能な傭兵だったウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)は第一線を引退後、好き勝手に悪い奴を懲らしめ、金を稼ぐというヒーロー気取りの生活を送っていた。暇な時は自堕落な女性たちが集まるシスター・マーガレット・ホームで時間を過ごす。バーテンダーはウェイドの親友ウィーゼル(T・J・ミラー)がウェイドに助言をし情報を伝え武器の調達もしてくれる。

 マーガレット・ホームでウェイドが一夜の相手として知り合ったのが、娼婦のヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)。肉体が売り物のホアなのだがウェイドにゾッコン。ウェイドも昼夜セックスをしても飽きない相性の良さに二人は一時も離れられないカップルになる。
2人は1年間の同居を経て結婚を決意する。

これからは幸福で平穏な未来が待っていると思ったのも束の間、原因不明の痛みに襲われたウェイドに医師は、肺がんから全身に転移していると診断を下す。

余命わずかとなり、落ち込むウェイド。そこへ、末期ガンが治療できると声を掛けてきた男がいた。科学者だと名乗るエイ・ジャックス(エド・スクレイン)だ。
エイジャックスはウェインを、ある施設へ案内する。

 そこでは、余命宣告を受けた者たちに人体実験を施し、肉体改造を経て戦闘マシンとして売り飛ばすという恐ろしいプロジェクトだった。
自らも無敵の肉体を手に入れたエイジャックスはその施設の所長だった。

様々な実験を重ねて改造されたウェイドは、やがてどんな攻撃を受けても回復できる肉体を手に入れる。思わぬ攻撃で怒りが収まらない彼はエイジャックスとの激しい戦いの末、施設から逃亡する。

しかし実験で全身の皮膚がただれてしまい、ヴァネッサに素顔を見せる勇気がなかった。その顔を隠すため、自ら作ったゴム製の赤と黒のマスクを被りスーツを着て「デッドプール」と名乗り、復讐のためエイジャックスを探し始める。

元のようなハンサムな顔や肉体を手に入れ、もう一度、ヴァネッサと幸せな生活を送りたいとデッドプールは強い感情に突き動かされ、エイジャックスへの手がかりを見つけては、次々と敵を倒してゆく。

ここで冒頭の高速道路でのカーチェイスに銃撃戦に戻る。X-Menの仲間の巨漢コロッサル(ステファン・カピシク)や小人のワ―ヘッド(ブライアナ・ヒルデブランド)が加勢に加わったりする。

ミュータント同士の一騎打ちはややこしい。銃が命中し刀が突き刺さって死んだと思っても治癒能力が高い。手錠をかけられ拉致されるデッドプールは手首を切り落とし逃走する。やがて手首は生えて来る。

圧巻はエイジャックスとデッドプールの死闘。銃を使わす斧と日本刀での決闘だ。武蔵のような二刀流の捌きは見事。

顔はボロボロだがそんなデッドプールを心から愛すると言うヴァネッサのやさしさで締めくくる。

正統派スパーヒーローを逸脱するデッドプールだが、マーベルコミックでもこちらの方が面白いしユーモラスで楽しい。ワム!などの1980年代の懐かしの甘いヒットソングをバックにデッドプールとヴァネッサのロマンスは展開する。


TOHOシネマズ日劇他で公開中

「ヒップスター」(I Am Not a Hipster)(アメリカ映画):田舎から都会に出て来たシンガーソングライターのブルックは行き詰まり自己嫌悪に陥っているところに家族がやって来る

$
0
0
トルコ・イスタンブール生まれの64歳のオルハン・パルク(ORPHAN PAMUK)が書いた「黒い本」(KARA KITAP)(藤原書店:2016年4月刊)は2006年度文学ノーベル文学賞を受賞。この「黒い本」は1990年の作品。2002年に出された「雪」は911を予見した小説としてベストセラーになった。

時代は1960年-70年代ののイスタンブール。街でかかっている映画のスター名が列挙される。ハンフリー・ボガート、エドワード・G・ロビンソン、エヴァ・ガードナーなど。
弁護士のガーリップは突然家を出た妻リュヤーの行方を捜してイスタンブールの街をさまよう。妻の行きそうな場所に電話をかけるがどこにもいない。

前夫の家にまで押しかけるも相手はすでに再婚していた。別件で妻の義理の兄であり、自分にとって従兄にあたるコラムニストのジェラールに電話をするがジェラールも電話に出ない。
妻はジェラールと一緒に何処か隠れ家にいるにちがいない。ガーリップの探索行がはじまる。ジェラールはE・G・ロビンソンそっくりの顔をしている。
姿を隠した妻の行方を探偵役の夫が追う、というミステリ仕立て。本筋を追えば分かり易いがガーリップは脱線ばかりして

全体は二部に分かれ、第一部が19章、第二部が17章という章立て。その奇数章がガーリップを探偵役、偶数章はジェラールが執筆したコラムになっている。
だからジェラールが主人公になったりお忍びの皇帝自身になったりする。ジェラールが失踪してからは過去に掲載されたコラムを再掲載をしていたが、彼を研究しつくしたガ―リップが原稿を書き始めその文体も内容もジェラールそっくりのため編集長はじめ誰も疑わない。

ジェラールの書くコラムというのが凄い。
新聞に載るニュース以外の記事全般をコラムと規定しているが、人生相談から占いまで、何でもこなしてきた海千山千のコラムニストであるジェラールの書くそれは、コラムという概念を超えている。
始めは身近な家族や近所の店の紹介といった軽い内容のものだが、人気が出てきてからはイスラム神秘主義メヴラーナ教の奥義にはじまるオカルティスムの知識、「千夜一夜物語」からプルーストの「失われた時を求めて」に至る過去の文学を本歌取りした物語群、クーデターを企図する一派に潜入しての訪問記事といった、かなりスリリングで危険なものに変わって行く。

奇数章と偶数章が絶妙に絡まり、秘密や暗号、隠喩、暗示といったさだかではないものの何かを告げようとしている徴を手がかりに、ガーリップはジェラールに迫る。ジェラールは大衆扇動者なのか、クーデターの首謀者なのか、およそ胡散臭い連中と起居を共にしていたこともあれば、ベイオウルの無法者たちの中に深く入り込んでいたこともある。

やっと見つけた潜伏先の一つ、昔のアパルトマンは三十年前の姿をそのまま復元しており、過去のコラムや大量の写真が保存されていた。ガーリップは、ジェラールのパジャマを着て彼のベッドで眠ることをくり返すうちに、次第にジェラールに自分を重ねるようになる。実際書きだめしていたコラムの原稿は切れ、ガ―リップがジェラールに成り代わって書いたコラムは他の編集者も成りすましと見抜けぬまま掲載される始末。

この小説の舞台が東洋と西洋の中継地点であるトルコの物語というところに特徴がある。ジェラールの父
でガーリップの伯父にあたる人物がなかなかの食わせ者で、菓子の製法を学ぶためにフランスに渡ったはいいが、その後家に戻らず、ムハンマドの子孫の絶世の美女と結婚し、キリスト教に宗旨変えし、アフリカで両宗教を融合した宗教施設を設立したなどという噂の主でもある。

ジェラールは、トルコ人を西洋に憧れ、西洋人になりたいと模倣して止まない東洋人と位置づけ、その風潮に対する批判を延々と延びる地下道のマネキン工房の挿話に託している。人ばかりではない。トルコという国家のナショナル・アイデンティもまた複雑にして微妙なのだ。
ガーリップは何としても妻、リュヤーを探し出す執念に燃え、ジェラールのコラムの挿話群を丹念に追い始める。

迷路のように入り組んだイスタンブールの市街を、旧市街から新市街へと何度もガラタ橋やアタチュルク橋を渡り、ヨーロッパ・サイドからアジア・サイドへとフェリーに乗って移動するガーリップの足跡をたどると、いつしかイスタンブールのミステリアスな怪しい細道や街灯、見知らぬ外壁、恐ろしい表情の古いアパートなど詳細に知るようになりイスタンブール通になっている。

そして大団円。ジェラールとリュヤーは映画「帰郷(カミングホーム)」を見た夜道の帰途、暴漢に襲われ拳銃で射殺される。
因みにこの映画はハル・アシュビー監督でジェーン・フォンダとジョン・ボイト主演の1978年映画。アカデミー賞を総なめにした作品だ。
何しろ600ページ近い大分の小説。トルコ語訳も難解で読了するのに10日間もかかった。


タイトルの「ヒップスター」とは[HIP+STER]でジャズ通、ジャズファン、流行の先端を行く人,新しがり屋の意味。主人公は「僕はヒップスターではない」と原題で主張している。
2009年の短編映画「ショート・ターム12」で注目を集めた新鋭デスティン・ダニエル・クレットン監督が2012年に手がけた長編劇場映画のデビュー作。サンダス映画祭で注目されたが一般公開されるまで時間がかかっている。

西海岸サンディエゴのインディ・ミュージック&アートシーンを舞台に、悲劇に直面しながらもクリエイティブであり続けようとする主人公のロック歌手の姿をリアルに描く。

冒頭はサンディエゴで若い女性たちが詰め掛けたギグ。
オハイオの田舎から出て来て、人気者になりつつあるシンガーソングライターのブルック・ハイド(ドミニク・ボガート)が一曲歌い始めて舞台を降りてしまう。
トイレで戻すブルック。

映画はその1週間前に戻る。ゴミだらけの散らかったブルックのアパート。留守電が無数にある。家族、3人の姉と父がやって来るとメッセージを残しているが無視。
部屋に籠るブルックを元気溌剌のマネージャー、クラーク(アルヴァロ・オーランド)が地元のラジオ局へ送り込む。

ブルックはリスナーに向けて語る。「僕の最初のアルバムは成功したように見えるが僕にしてみればバカみたいでエネルギーの無駄だった」
ラジオの司会者が聞く。

2年前、母親が死んでブルックはオハイオからサンディエゴにやって来た、それとの関係があるのか?
ブルックは不機嫌になるだけで答えない。

電話で通告があったようにチャキチャキした3人の姉(タミー・ミノフ、ローレン・コールマン、カンディス・エリクソン)が賑やかにやって来る。楽しく過ごすからブルックにつき合えと。
ブルックは姉たちと一緒にやって来た、苦手の父親(マイケル・ハーディング)は何とか避けることは出来た。

家族の目的は母親の遺灰を遺言通り海に撒くために来たのだ。
5人は海岸に出る。波打ち際に撒くわけに行かない。ゴムボートに乗って沖へ漕ぎ出し海から離れた海中に骨壺を空ける積りだ。

男だけ、父とブルックがボートを押えて乗り込もうとする。
波が高くゴムボート揺れて制御できない。父親は波に足を取られてひっくり返り、骨壺を海中に落としてしまう。
三人の姉たちも服がずぶ濡れになるのを厭わず海中を手探り、つま先で探る。そして遂に見つけた時の家族5人の喜び、ファミリー・リユニオンが出来たのだ。

サンディエゴの海岸は美しい。カリフォルニアの太陽に焼かれながら心を併せ母親を探す家族。感動の瞬間だが、それだけのこと。

冒頭のギグに戻りブルックは見事な喉を聞かせる。シンガーソングライター役だがボガートは自前の喉で曲はサンディゴ在住のミュージシャン、ジョエル・P・ウェストの作曲だ。美しいバラードは耳に残る。

バラバラ家族のリユニオンは良いが何故ブルックが自己嫌悪に陥り、何を悩んでいたかが観客には良く分からないのが難だ。

若いデスティン・ダニエル・クレットンが監督し脚本を書いたがこれが初めて。「完全に失敗でも構わない。ともかく新しいことをやってみたい」とデビュー作の心意気を語っている。そのコンセプトを主人公に託する。
家族との再会をきっかけに過去の自分を振り返り、昔とは別人のようになった現在の自分と向きあっていく。

主役ブルックを演じるドミニク・ボガートはミュージカル巡業の二軍俳優。歌は本職だが芝居は未熟だ。

7月16日より新宿シネマカリテで上映される。

「きみがくれた物語」(THE CHOICE)(アメリカ映画): 泣かせ上手のベストセラー作家、ニコラス・スパークスが自分のプロダクションで映画製作に乗り出した

$
0
0
泣かせ上手は韓国ドラマに勝るニコラス・スパークス。
いきなり600万部のベストセラーになった処女作「きみに読む物語」(96 )以来ワンパターンながら出す小説がことごとく大ヒット。立て続けに映画化されこの映画でえ11作目だ。
商売人で抜け目に無いスパークスは映画製作会社「A Nicholas Sparks Production」を創立し、この映画は記念すべき第一回作品。

それだからこそこの原作となった「Choice」は「きみに読む~」を遥かに凌駕すると言い切っている。(しかし処女作は小説も映画も比べ物にならない程優れている)
スパークスが言い張るからと言って邦題が便乗して混同するような「きみがくれた物語」にすることは無く「人生の選択」を敷衍する言葉を探してほしかった。

改めて51歳になるニコラス・スパークスを振り返ってみよう。累計1億部と、いま世界で最も読まれている恋愛小説家。
「きみに読む物語」「メッセージ・イン・ア・ボトル」「親愛なるきみへ」など映画化されたヒット作品も11本を数える。
主人公は中産階級の白人たちで黒人は決して主要なキャラクターにならない。舞台は南部ノースキャロライナが殆ど。自分と家族が住んでいるから。愛する男女のロマンスは決して一筋縄ではいかない。山あり谷ありの難局を乗り越えて栄光のラブにたどり着く。
先が見えるが手を変え、品を変えて変化球で攻められ思わず涙を流しながら大団円でホット安堵の息をつく。

ノースカロライナ州の海沿いにある小さな町で獣医のトラヴィス(ベンジャミン・ウォーカー)は隣家に引っ越して来たギャビー(テリーサ・パーマー)と運命的な出会いを果たす。
映画の中でも絶えず文句を言い批判をするギャビーは家続きの庭で大きな音で音楽を聞くトラヴィスに厳しく注意をする。

女好きで離婚以来ガールフレンドが絶えなかった32歳のトラヴィスはギャビーに一目惚れ。ギャビーはレジデントとして町で唯一の病院に勤め始めたばかりだ。しかし上司のライアン医師(トム・ウェイング)と同棲しているが、ライアンはアトランタに長期出張中。

二人の間を取り持つのが二匹の犬。
トラヴィスのモビー(ボルト)はシェパードとセントバーナードの混血、ギャビーのモリー(グレイス)はゴールデンリトリーバー。
二匹とも愛嬌を振りまき可愛い。

ライアンと別れる決心をしたギャビーとモニカ(アレクサンドラ・ダタリオ)などガールフレンドを整理したトラヴィスは紆余曲折をへて結ばれる。

二児を授かり幸せな家庭を営む二人だったが、久しぶりのデートの約束にトラヴィスが急患の猫の治療で遅れた夜、レストランでシビレを切らし帰宅途中のギャビーの車が出合い頭に衝突する交通事故にあい、命を取り留めたものの植物状態になりチューブに繋がれ生命維持装置だけで生きている。
自責の念に駆られるトラヴィスは、目を覚まさないギャビーを前に「真実の愛のために人はどこまでできるのか」と何度も自問する。

担当のライアン医師は90日が限度だ。それを過ぎたら蘇生率は1%を切る。生命維持装置はギャビーの肉体に苦痛を与えている。維持装置を切り安楽死させるべきだと説く。
選択肢(Choice)は白か黒か、二つしかない。トラヴィスには人生でもっとも重い、究極の選択が求められる。

監督はこれで2作目のロス・カッツ。日本では初お目見えだが「君に読む~」のニック・カサベテス程の冴えが無い。

主演のベンジャミン・ウォーカーとテリーサ・パーマーも脇で顔を見せた作品もあるが馴染みが無い。それでも二人とも犬に助けられて熱演する。他にマギー・グレイス、アレクサンドラ・ダダリオが脇を固める。
唯一馴染みの役者はトラヴィスの父親役のベテラン、トム・ウィルキンソン。父子で経営する獣医医院の院長。皆に応援されて患者の犬を連れ週に3回も通院するアリスにデイトを申し込むシーンは微笑ましい。

相も変らぬノースカロライナの白いビーチに真っ青な海、夜になると無数の星と月が二人を照らす、息をのむ映像美と80年代のバラードが流れる通奏にウットリとする。

8月13日より渋谷シネパレスにて公開される。

「ニュースの真相」(TRUTH)(アメリカ、オーストラリア映画):再選を目指すジョージ・W・ブッシュ大統領のベトナム兵役逃れを暴いたCBS報道番組のプロデューサーとアンカーマン

$
0
0
ジャーナリストが「正義や真相」を追及し勝利する映画は、ウォータゲート事件でニクソン大統領を引きずり下ろした1976年の「大統領の陰謀」(All the President's Men)やボストンのカトリック教会の神父の小児性愛を暴いてカトリック教会を弾劾し今年のアカデミー賞を授与された「スポットライト」(SPOTLIGHT)(15)など数多くある。
何れもジャーナリストの「社会の木鐸」が勝を収めるカタルシスを観客に提供している。

東京都知事、舛添要一も週刊文春にすっぱ抜かれた政治資金着服と公私混同で追い込まれ知事職を放棄しなければならないところまで来ている。
ジャーナリストはかくかくたる戦果を挙げているのだ。

この映画もその線に沿ったものだと見始めると様相が変わっているので驚く。
CBSの看板番組「60ミニッツ」のプロデューサー、メアリー・メイプスのノンフィクション「ニュースの真相」(キノブックス:原題「TRUTH AND DUTY:The Press,the President,and the Privilege of Power」(05)を原作としている。

したがって主人公、メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)の視点で描かれている。

メアリーの功績はTV報道界の最高の名誉であるピーボディ賞を授与されたアブグレイブ刑務所のイラン兵捕虜虐待のスクープだが、それは冒頭で少し触れるだけ。

すぐさまジョージ・W・ブッシュ大統領が再選を目指していた2004年の夏のシーンに移る。
ベトナム戦争の徴兵を拒否するためブッシュ大統領の軍歴詐称疑惑をスクープする。ビンラディンと繋がりのある石油会社を通じてベトナム戦争たけなわの1968年、テキサス州空軍111航空団へ入隊する。州空軍ならベトナムへ行かなく手も済むからだ。しかし6年の兵役の中で72年に健康診断拒否で処分を受けアラバマに転属になって1年間は行方不明、73年9月にハーバードビジネススクールへ入学のため早期除隊している。明らかなベトナム出兵を逃れての兵役拒否だ。

当時の軍の関係者にあたると一様に現大統領を恐れて証言拒否。唯一ブッシュの上官だったキリアン中佐が残した文書、ブッシュが訓練不足や能力不足の報告書のコピーを退役中佐ビル・バーゲット(ステイシー・キーチ)が所有していることが分かり、中佐を口説いてダンがインタビューを取る。
2004年9月8日の選挙前に放送された「60ミニッツ」はアメリカで大反響を呼ぶ。

幼い頃実の父親からフェミニストの魔女といじめられ続けたメアリーはダンを父親のように慕い、ダンも娘として扱っていたコンビの大勝利。チームは勝利の美酒に酔いしれる。

ここからは探偵小説風の後半に入る。
放送の翌日から共和党ファンのSNSに文書は偽造だ。1970年代のタイプライターで打った文書に現代のタイプフェイスやワードプロセッシング技術並みの文字が並び、特に111師団の111の肩にthと小さな文字では打てないと大反論が出る。スクープを抜かれ他局や新聞が一斉にCBSに襲い掛かる。
第三者委員会(どっかで聞いた名前だね)の査問の末、ダン・ラザーはアンカーマンを降り、メアリーは解雇処分を受ける。

委員会でメアリーは決して政治的に偏向していないこと、ただ事実だけを追ったことなど堂々と主張する。CBSは現役大統領とその政権を恐れ犠牲者を出さざるを得なかった。

日本にいる僕らはG・W・ブッシュは兵役逃れでコネで州空軍に入り、ズルをして早期除隊をしたと認識しており、ダン・ラザー一派の敗北は考えてもいない。
その後イラク開戦の重要な根拠となった大量破壊兵器の報告に誤りがあったことなどを含め「最低の大統領」のイメージの根拠となっている。

 主演のメアリー役、ケイト・ブランシェットの熱演で2時間を超える大作は支えられる。
ダン・ラザーとの疑似父娘など見事な演技を見せる。ケイトはこんなに上手い女優だと改めて印象つけられる。
80歳を超えたロバート・レッドフォードは益々元気でベテランの芝居は画面の重鎮だ。

 監督は「ゾディアック」などの脚本家ジェームズ・バンダービルトのデビュー作。もう少し縮められるのだろうが慣れない初監督は不器用だ。しかし見事な作品に仕上げた。

 8月5日TOHOシネマズシャンテ他で公開される。

「白い帽子の女」(BY THE SEA)(アメリカ映画):NYからマルタ島を訪れる中年夫婦はフランス人新婚夫婦の刺激を受けて立ち直る

$
0
0
1昨日(7日)元博報堂の本間某なる男が、FCCJ記者会見で「悪徳電通」の主旨で1時間半に亘る講演を行った

電通は外国で賄賂をばら撒き、東京オリンピック委員会と組んで
オフィシャルスポンサーやサプライヤーなどで
既に独占的に3990億円を集め、その20%を掠め取って
その上7月8月と言う酷暑のオリンピック時期にヴォランティアに無料奉仕を強制する
「悪辣」で「恥知らず」と罵る話題で外人記者(Financial Times他有力紙特派員)にアピールしてウケていた。

私はジャーナリストでは無いが電通OBとして愛社精神は高い。
そんな出鱈目(Bullshit)の話は容認しがたいと強く反発し
大声で発言したが多勢に無勢、誰も聞く耳を持たない。
本間は民進党の議員と組んで電通を独占禁止法で取り締まるべく
法案を準備中だとも言っている。

電通には自民党の二世が20名ほど社員として在籍するから自民党と電通は蜜月関係にある。何でも電通の要求することは通る。

つまり組織委員会と組んで莫大な金を搾取しながら
ヴォランティアに無料奉仕を強制する「悪辣」で「恥知らず」と罵る話題で外人記者(Financial Times他有力紙特派員)にアピールしてウケていました

博報堂に18年在籍し6年前に独立し、電通バッシングでメシを食う寄生虫なぞ、
何故FCCJ・PAC委員会は呼ぶのか?是々非々主義なら負け犬博報堂の意見ばかりでなく、電通からしかるべき人を呼んで喋らせるべきだがその努力をFCCJはしない。
早速抗議をせねばならない。
2005年の大ヒット作「Mr.&Mrs.スミス」での初共演をきっかけに恋の陥りスタートしたジョリーとピット、その頃はジェニファー・アニストンと結婚していたピットは直ぐに離婚して、14年夏に結婚した二人。だから映画で共演するのは10年振りと言う訳だ。

この映画ではアンジェリーナ・ジョリー・ピットと「ピット」を強調した名前を使ったジョリーは、監督・製作・脚本を兼ね、一回り上の52歳の夫ピットは主演の他にプロデューサーとしてバックアップ。夫婦仲良く共同制作の映画だ。
そして舞台は二人がハネムーンで訪れたマルタ島で撮影が行われた。
41歳になるアンジェリーナはUNHCR(難民高等弁務官事務所)の親善大使を務めた影響で、戦争を扱った映画に興味を持ち「最愛の大地」( In the Land of Blood and Honey )(11年)と「不屈の男 アンブロークン」( Unbroken)(14年)の2本の戦争作品を監督したが、3本目はガラリと変わり、ヨーロッパ調の自分たち夫婦の私生活を描くような映画の監督・脚本そして主演を務めている。
ジョリーは前夫だったジョニー・リー・ミラーやビリー・ボブ・ソーントンの名前を全身に入れていた刺青はキレイに無くなり白い透き通るような肌と乳房が見える。
冒頭は1970年代のマルタ島、幌をあげたシトロエンのカブリオーレが地中海を見下ろす崖の細い曲がりくねった道を砂煙あげて走って来る。
NYからアメリカ人小説家ローランド(ピット)と妻ヴァネッサ(ジョリー)はマルタ島の海辺にあるリゾートホテルに長期滞在客としてやってくる。ローランドは滞在中に新作を終える積りで窓辺に机を置き赤いタイプライターを打ち始める。
ヴァネッサは不機嫌でふさぎ込んでいる。殆ど部屋に籠りたまに村の雑貨屋に出かける時は袖丈や裾が長い白いドレスに鍔廣帽子にサングラス。まるで幽霊かゾンビのような恰好だ。太陽に灼けたカーキ色の町並みに相応しく無い。
部屋でサングラスを取ると濃いシャドウのアイラインを引いて目は落窪んでいる。夫ローランドと口をきかない。明らかに妻を愛している夫は苛々して小説は進まない。ホテルの下の居酒屋風バーに出かけて朝から酒を飲んでいる。フランス語が堪能でオーナーでありバーテンダー(ニール・アレストラップ)とすっかり仲良くなる。
そんなホテルの隣部屋にパリから新婚のレア(メラニー・ロラン)と、フランソワ(メルビル・プポー)がやって来て状況が一変する。
ベランダから流暢な英語で話しかける二人は屈託が無い。驚いたことに朝と言い昼と言い夜は勿論、二六時中セックスに耽る。
ヴァネッサがベッドの下に隣部屋を覗ける小さな穴を見つける。ローランドと一緒に若い二人のよがり声も構わない奔放なセックスを観賞している内に穴を挟んで二人でワインを飲みながら会話が戻って来る。回春刺激剤で長らくご無沙汰のセックスも始まる。
ここで初めて何故結婚14年の二人が不幸なのかが分かる。ヴァネッサは子供を望み、妊娠しては流産しそれが二度も見舞われていたのだ。
夫が手を差し伸べても振り払い、セックスも会話も途絶えていた。
それがピーピング・トム(覗き見)で復活するとはユーモラスだが現実味がある。パリで画廊を経営する夫フランソワと資産家の娘レアのブルジョワな二人の全裸の絡みが中年夫婦を地獄から救うことになるとは。
小説もそれをテーマに書き終えた夫婦は光り輝く太陽と真っ青な地中海に沿ってキャブリオーレを走らせてホテルを後にする。
アンジェリ―ナ・ジョリのヴァネッサは熱演している。
自分たちと対照的な輝かしいふたりを嫉妬と好奇心の眼差しで見つめるゾンビのような目は妖しく光る。夫と不仲になりながら隣のセックスの覗き見で生気を取り戻す芝居も良い。
ピットやジョリーの二人の主役が興味を抱く若いカプルに「イングロリアス・バスターズ」のメラニー・ロランが金髪スレンダーのレア役、「わたしはロランス」のメルビル・プポーがフランソワを演じ、仏セザール賞の常連俳優ニエル・アレストリュプがホテルオーナー役や、リシャール・ボーランジェらが脇を固める。
ドラマティックでも無いしヨーロッパ調の夫婦の話は日本の観客が興味を持つとも思えないが、やはりゴールデンカプル、ジョリーとピットの10年振り、夫婦になって初めての共演を見てみたい。

9月から東京・シネスイッチ銀座、渋谷シネパレスほか全国で順次公開。

「だれかの木琴」(日本映画):家族からも友人からも疎外されている孤独で普通の主婦がふらりと立ち寄った美容院で若い男性美容師に心を奪われる

$
0
0
同じ時に芥川賞を受賞しながらお笑い芸人・又吉直樹の「火花」で影が薄くなった(イヤ注目されたと言う意見もある)羽田圭介の芥川賞受賞作「スクラップ・アンド・ビルド」(文藝春秋社:2015年8月刊)。

母と二人暮らしの主人公、健斗の家に引き取られてきた認知症で足腰も弱くなり介護が必要な祖父。
「早う死にたか」と毎日のようにぼやく祖父の願いを聞いてあげようとする健斗。

健斗は祖父が、ひとりで寝起きも出来ており頭もしっかりしていて、ある種の甘えと面倒臭さを持っているのでは?という疑念と一部事実も見てしまう。

日々の筋トレと就職活動。肉体も生活もリセットして再構築中の健斗の心は衰え行く生の隣で次第に変化していく。

表題「スクラップ・アンド・ビルド」は老朽化したり陳腐化したりして物理的または機能的に古くなった設備を廃棄し、高能率の新鋭設備に置き換えることで、小説では要介護老人と無職の孫との攻防戦、死闘がユーモラスに描かれる。

冒頭から引き込まれる。
「掛け布団を頭までずり上げた健斗は、暗闇の中で大きなくしゃみをした。今年から、花粉症を発症した。六畳間のドアや通風口も閉めていたのに杉花粉は侵入し、身体に過剰な免疫反応を起こさせている。ヘッドボードのティッシュへ手を伸ばした健斗の視界に、再び白く薄暗い空間が映った。早朝だろうか。だが少し前に杖をつく音で目覚めた際も同じ光景だった。それともあれは昨日の朝の記憶か。健斗は断片的な記憶の時系列を正す。あれは間違いなく今日だ。時計を見ると、午前一一時半だった。
 北向き六畳間の外に出ると、廊下をはさんだ向かいの部屋のドアは閉められていた。火曜だからデイサービスの日ではない。蛍光灯の明かりも一切なく、人気は感じられなかった。玄関や風呂場の横を通り過ぎ、リビングへ入ったがそこにも人気はなかった。同じ空間にいるはずなのに、電気もつけず歩く時以外音もたてず、そこにいないように振る舞う祖父の辛気くさい感じに健斗が慣れたのも最近だ。ダイニングテーブルの上に、出勤した母が作り置いていった祖父の昼食用おにぎりが一つ置かれている。」


羽田の現代社会の人間関係の距離感に焦点を当てた問題作に考えさせられるが、直木賞作家、井上荒野の同名の小説「だれかの木琴」(2011年〕を原作とするこの映画も、現代人の心の奥底にある不条理な謎を抉り出す。

普通の主婦がたまたま入った美容院でヘアカットしてもらった美容師にストーカー行為に走る異常さを描いているのだ。

別に肉体的な深い関係があった訳でもなく携帯電話で化粧品のアドバイスやまたのご来店をお待ちしますの営業トークに歯止めがかからなくなって行く現代人の人間関係の異常さは別のスライスを切り取りながら羽田の小説と同じコンセプトだ。

夫と娘と郊外に越してきたごく30代後半の普通の主婦・親海小夜子(常盤貴子)は、新しく見つけた美容院「MINT」で髪を切った。貴子よりは10歳程年下に見える若い男性美容師、山田海斗(池松壮亮)に肩の中ほどに達する長い髪の毛の手入れをしてもらう。

海斗の繊細な指が小夜子のストレートな髪に触れ、分け入り、掻き上げ櫛を挟んでハサミを入れるシーンはクローズアップでゾクゾクするほど官能的なショットだ。女性向け映画を40年以上も撮り続け女心の機微を心得ている東陽一監督ならではの描写だ。
これで小夜子のハートに火がついた。

専業主婦の小夜子は警備機器会社に勤め仕事熱心な夫、光太郎(勝村政信)と中学生の娘、かんな(木村美言)の3人暮らし。何の不満も不平も無い幸せな家族だ。
その日のうちに届いたMINT美容師・海斗からのお礼の営業メールに返信したことから小夜子の日常が一変する。

頻繁にメールを送り、週に何度も店に足を運び、海斗を指名する小夜子。美容院店長(日比大介)は担当を変えてくれと言う海斗に営業を大事にしろと取り合わない。
新しいベッドが届いたと写真を送った時は海斗の恋人、唯(佐津川愛美)は「誘っているんだよ」と嫉妬の混じった不快感を表す。

そして、「火曜日は休みです」と言っていた海斗の言葉を思い出し、アパートを探し当てた小夜子は、部屋の呼び鈴を押してしまう。

ストーカー行為がエスカレートするほどに、小夜子はいきいきと輝き、思い切って髪をバッサリカットしてショートヘアにし、夫や友達に褒められ、美しくなっていったお礼を心から海斗に述べる。
娘のかんなが母の異常に気付き、海斗の恋人、唯は怒り心頭に発し、小夜子の家に上がり「糞婆あ!」と怒鳴り込む。

夫は仕事で遅く娘は学校や部活で忙しい。
一人ぽっちで近所付き合いも友人もいない主婦、SNSだけが人と人を繋ぐ機械的で人間性の欠けた主婦の孤独。
そんな時ふとした心の隙間に入って来た優しいハンサムな美容師の男に、どうしようもなく惹かれて行く、ごく普通の主婦の常軌を逸した強い執着とストーカー行為。そんな女の飢餓感を見つめるが解決法も助けも出来ない若い男。

ドラマとして物理的に何かビックリすることが起こるわけでもないが、いつの間にか異常な小夜子に感情移入してハラハラドキドキのサスペンション劇にしてしまう。

43歳の常盤貴子の主演は久しぶりだがやはり上手い。異常な執着心をしっかりと演じている。
若いイケメン美容師役は25歳の池松壮亮。
ストーカー行為を繰り返す主婦と気の強い恋人、煩く世話を焼く田舎の母親の狭間で仕事熱心の純朴な青年を好演している。

海斗の恋人役・佐津川愛美の嫉妬にかられた怒りと叫び、小夜子の異変に気付くもただ小夜子を求めることしかできない勝村政信ふんする夫の悲哀など見せ場も多い。勝村が無礼な佐津川を一喝するシーンはスカッとする。夫が愛する妻を守ったのだ。

主題歌となる井上陽水の名曲「最後のニュース」が劇中に印象的に流れる。

 監督は「もう頬づえはつかない」「絵の中のぼくの村」「わたしのグランパ」など女性を主人公にした映画が得意なベテラン・82歳の東陽一。

僕自身は78年の「サード」が一番好きだ。脚本を寺山修二が書き、元高校野球選手の永島敏行扮するサードが少年院に収監された中で、少年と大人の狭間で悩みながら成人に向かって走り出す。永島の熱演と東監督の若者の内面をえぐる演出で心に残る青春映画だった。

9月10日より有楽町スバル座他で公開される。

「クズとブスとゲス」(日本映画):スキンヘッドに眉を剃り落し、傷だらけの容貌で暴れ回る奥田康介は監督・脚本・主演と独り舞台の獅子奮迅の大活劇

$
0
0
タイトルからも試写状の主役の奥田の凶悪な人相のヴィジュアルからもB級のつまらない映画だろうとタカを括って見始めるが、これが意外の面白かった。
奥田康介は未だ29歳、僕は初めて作品を見る。

生れは福島県猪苗代、2008年、早稲田大学川口芸術学校卒業。
2010年、監督作品「青春墓場 明日と一緒に歩くのだ」が第32回ぴあフィルムフェスティバルにてPFFアワード入選を果たしたほか、第20回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にてオフシアター・コンペティション部門グランプリを受賞した。

 2011年、劇場用長編デビュー作品「東京プレイボーイクラブ」が第12回東京フィルメックスコンペティション部門で上映され、学生審査員賞を受賞し、翌2012年、同作で第41回ロッテルダム国際映画祭コンペティション部門タイガー・アウォードを受賞したと言う。

 なかなかラッキーなキャリアの出だしだ。
商業用映画第二弾のこの作品はやはり製作費に苦労脚本を書き監督を務め主役を演じている。クラウドファンんでぃんぐで270万円弱を集めているがメジャー系映画に比べれば雀の涙だ。

 寂れたダイニングバーで視線の落ち着かないスキンヘッドの男(奥田)。
獲物を見つけようと鵜の目鷹の目で獲物を探す。
一人で酒を飲む若い女を見つけてすり寄り隙を見ては酒に薬を放り込む。
意識朦朧とした女を部屋に連れ込み裸にして強姦、写真を撮って目を覚ますのを待つ。

 恥ずかしい写真をばら撒くと脅されるとスキンヘッドの言うなりになる。ソープランドやデルヘリに叩き売って生計を立てる「サイテー」な男だ。

しかし今回は相手が悪かった。
ヤクザ(芦川誠)の店で働く女だと分かったのはヤクザの一団がスキンヘッドと母親の住む部屋に上がり込み1週間以内の200万円を払えと。

素人ばかりの映画にまともな芝居が出来るのはヤクザ役の芦川誠だけ。小柄ながら鋭く光る眼で相手を威圧する。

余談のエピソードだがヤクザには身障の大きな子どもがいる。母親に死なれ引き籠りイジケテ生きているが、夕飯だと好物の牛丼を買って帰宅するシーンが良い。
牛丼だけひったくるように持ち去る息子に生卵を掲げて見せる。
勿論牛丼に生卵は息子には魅力的だ。
強面のヤクザの内側にボールペン1本を万引きして警察へ身柄を引き取りに行く父親の優しさ。

 200万円を工面できる筈もないスキンヘッドは行きつけのバーのマスターに隠し持った大麻の販売を頼みこむ。

 大麻の運び屋を引きうけたのがリーゼントの男(板橋駿谷).
恋人(岩田恵里)のためにまともな就職をしようとするが、面接で刑務所に入っていたことや麻薬の売人をやっていたことをペラペラ喋るのでなかな堅気になれない。
恋人の誕生日にプレゼント一つ買えない不甲斐なさについバーのマスターに頼まれるまま麻薬の運び屋をやってしまったのだ。

怒った恋人は家を飛び出し一人でお茶を飲んでいるところをスキンヘッドに捕まり、薬と写真で言いなりになり、ヤクザの下へ連れていかれ借金のカタにデルヘリ嬢にされてしまう。

客とラブホに入ったところを後を付けたリーゼントが部屋に殴り込み強引に恋人を連れ出す。

デルヘリ嬢が居なくなったとヤクザは八方に手を廻し、リーゼントと喧嘩をしているスキンヘッドの二人を捕まえ拷問して女の行方を吐かせようとする。

ここまで筋を追えばスリリングでエキサイティングかも知れないがテンポが掴めずモタモタと進行する。

映画全体は2時間21分と長尺だが後40分は摘まんだ方が良い。

痛めつけられたスキンヘッドとリーゼントにリベンジは凄絶。ドラム缶を投げつけ、鉄パイプでの撲殺、ナイフでの刺殺。
ただアクション監督は居ないので段取りが悪く不器用な死闘はワンパターン。

痛めつけられ最後に爆発して逆襲は観客サービスも十分でカタルシスは味わえる。
 
 奥田庸介監督の主人公はいつも社会適応力ゼロな人間たちらしい。彼らが繰り広げる血と暴力と涙の物語は刺激的だ。

奥田の容貌は一目見たら忘れられない。スキンヘッドに眉を剃り、鼻にピアスの輪を付けている。ヤクザの親分に、お前は「牛だ!」と笑われる。

 体重は15キロ落とし、アクションはコンタクトで総て本物で血も随分と流れたと言う。本番中にビール瓶で自ら頭をカチ割って12針も縫う大けがを負い、そのまま病院送りになって撮影が中断したエピソードも伝えらている。

自分のプロダクションを「映画蛮族」と名乗る通り、蛮族・奥田の獰猛な風体と態度で画面が締まる。
「映画を撮っているけど、映画からもはみ出したい」。奥田庸介監督は語る。
  
香港映画界が誇るアクション監督の巨匠ジョニー・トーが「恐るべき監督が出現した」と絶賛したと言う。 
昨年の「第16回東京フィルメックス」ではスペシャル・メンションを授与され「第45回ロッテルダム国際映画祭>にも正式出品された。

7月30日より渋谷ユーロスペースにて公開される
Viewing all 1415 articles
Browse latest View live




Latest Images