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Channel: 恵介の映画あれこれ
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「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」(日本映画):ある夜、家の前に空腹で倒れていた青年を拾い、カップラーメンを食べさせたのが総ての始まりだった。

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「『雑草なんて草は無い。草には総て名前がある』と昭和天皇は言った」。
植物をカメラに収めながら樹(いつき)(岩田剛典)はいつもさやか(高畑充希)に草の名前を教えていた。

 深夜自転車置き場で「犬のように」お腹を空かせて倒れていた青年を拾いアパートでカップラーメンを食べさせると言う稚拙な出だしに詰まらん映画だとタカを括っていた二人の展開にいつの間にか引き込まれ最後は涙が止まらない。どうってことの無いドジな女の子の話なのに。

不動産紹介会社に勤めるさやか(高畑充希)は何をやってもドジ。部屋を紹介する客との打ち合わせ場所を間違えたり窓口で性急な客の応対が遅れ怒らせたり。上司(ダンカン)は皆の前で大声でさやかを叱る。恋人とも別れて久しい。
ある夜、帰宅すると、マンションの前で倒れている男・樹(岩田剛典)を見つける。

「お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか。噛みつきません。部屋でオシッコやウンコもしない、躾はできています」
犬のようなセリフを聞いてさやかは自室に招き入れてしまう。
翌朝ご馳走の夢を見ていると夢に美味しそうなニオイまでついている。

食卓にはスクランブルエッグやおみおつけ、おしたしがキレイに並んでいる。
「冷蔵庫にあるものだけで勝手に作った」とシンプルながら美味な朝食。
おまけにさやかの見事なお弁当までできている。

 さやかの誕生日は8月15日。それまで6か月ある。
「半年だけ居させて欲しい」と部屋に居つくことになった樹は料理上手で、家事全般を担当することを条件に奇妙な同居生活が始まる。

 草花に詳しく部屋に小さな庭にしげるヘクソカズラ(屁糞葛)などの説明にさやかも観客のフーンと納得する。
 葉や茎は確かに異臭を放つが夏に花を着けるが花弁は白色、中心は紅紫色であり、実は乾燥させてヒビワレやアカギレに効くと言う。

コンビニで深夜勤務の仕事に就く樹はさやかの帰宅時と会社への出勤時に顔を合わせるだけだがその間を繋ぐのは樹の手料理。

樹のバイトのお給料で買った二台の自転車に乗り、二人で野原に出かけフキやヨモギ、ノビル、土筆、クレソン、野イチゴなどの野草を採取し料理を作ってくれる。野草とさやかをニコンのカメラで絶え間なく撮る樹。

突然まいこんだ樹との日々は楽しく、さやかは次第に恋心を抱いていくが、気がつけば苗字も知らない。出身地も過去も年齢も何も知らない。

 いつか雨の日に扱けたさやかに真っ赤のハンカチを差し出した樹に不信感を抱き、勤務する駅前のコンビニを覗くと女店員、ユリエ(今井華)から「クサカベ君」と呼ばれている。
嫉妬に狂ったさやかを追いかけて来る樹は優しい言葉と同時に徒歩で来たさやかに自分の自転車を渡す。何となく樹の真心を信じるさやか。
 そして二人は自然に結ばれる。

 会社ではさやかを慕う先輩、竹沢(阿部丈二)がお弁当からオカズを取ったり食事に誘われたり、コクられたりするが樹に惚れっぱなしのさやかは断固として跳ねつける。

 半年後の8月15日、不安に駆られて家の戻ると部屋は電気が消えて真っ暗。「樹!樹!」と叫びながら部屋を駆け巡るとパッと電気がついてバースデーケイキを手にした樹の姿が。嬉しくて涙が零れるさやかの気持ちは観客にも移入される。
24歳の誕生日だ。蝋燭の火を吹き消す幸せそうなさやか。
しかし翌日、樹の姿が消える。
必死に探しまわるさやか。
コンビニのユリエの後をつけ回し警察沙汰にまでなるさやか。

 しかし行方は杳として知れず1年が経ちさやかの誕生日が過ぎる。
そこに樹についての大変なニュースが飛び込む。。。

 人気女流作家・有川浩の小説ほど沢山映画化された作家は居無い。
「レインツリーの国」「阪急電車」「フリーター、家を買う」「県庁おもてなし課」など何れも優しさに溢れ感動的な作品になっている。この映画のその範疇に入りお気に入りの作品リストに入った。

しかし僕が大嫌いなのは近未来SF「図書館戦争」シリーズで、およそ有川らしくないと思うが映画でも大ヒットになってる。本の禁制を巡る戦争なんて馬鹿らしい。

 監督はTVドラマ出身でドラマの劇場版「トリハダ」シリーズなどで映画監督にデビューした三木康一郎。未だ映画の文法を勉強中だ。

 脚本は有川浩・原作の難聴女性の恋を描く「レインツリーの国」などの渡辺千穂が担当。
 
 主演は、樹役は三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE のパフォーマー・岩田剛典。経験が無くとも歌手は演技が上手い。
さやかは「バンクーバーの朝日」などで脇を務めた高畑充希。

 二人とも馴染みが無く人気スターでは無いがこの役にセレブはいらない。

6月4日より丸の内ピカデリー他で公開される

「ミモザの島に消えた母」(BOOMERANG)(フランス映画):子供の頃に事故死した母のトラウマに悩まされ、人生何をやっても失敗続きのアントワンは母の30回忌に故郷の島に戻って真相を追及する

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 案の上と言うかやっぱり世界で400M超え上映されたどの国でもトップの座を占める「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は日本では3位で首位になれない。(先週末4月30日―5月1日の興行成績)

1位は3週目の邦画アニメ「名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)」が、土日2日間で動員49万261人、興収5億6225万2800円をあげ、3週連続首位を獲得。動員前週比94%、累計興収は36億円を突破した。

次いでWDのファミリーアニメ「ズートピア」が動員44万3249人、興収5億969万9700円をあげ、2位をキープ。動員前週比は135%と前週を大きく上回り、累計興収は15億円目前だ。

注目のマーベルシリーズ最新作「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」が625スクリーンで公開され2日間で動員32万2943人、興収4億4880万9900円をあげ、辛うじて3位に食い込む。

 世界を制覇したDCコミックの「バットマンvsスーパーマン」なんて3週目でトップ10を外れ今は何処にいるのか分からない。

 日本はアメコミ映画ではガラパゴス状態。
世界でヒットしていても駄作(とは言わないが)日本アニメ「名探偵コナン」にも及ばないのだから。


 大西洋を臨む西仏ノワールムティエ島、風光明媚な通称「ミモザの島」が舞台。
車の横転事故から映画が始まる。
派手な横転シーンを見せてくれるが映画の展開には何ら関係が無い。
何でこんなカ―アクションを挿入したのだろう。
それもタイトル前のプロローグに。

この避暑地で10歳の時に溺死した美しい母、クラリスの30回目の命日を控え献杯する兄アントワン(ローラン・ラフィット)と妹のアガット(メラニー・ロラン)。
アガットの記憶から母の姿は無い。それに苛立った兄が起こした交通事故だった。

 アントワンは10歳の時に溺死した母の死をトラウマとして抱えていたが、その他にも自分の結婚生活は破たんの挙句の離婚、そして失業、娘との不和と人生の様々な問題を抱えた30年間だった。
トラウマとして封印された死の謎を30回忌を機会に解くためにミモザの島へやって来ていたのだ。

祖母の家で家政婦をしていたベルナデット(リーズ・ラメトリー)は「坊ちゃん」と呼びかけながら、思いがけない話を聞かせてくれる。
溺死したのはこの島では無く10キロ離れた対岸だったと。
生前の母はベルナデットに腕時計を残していた。
修理に出した腕時計の裏蓋に「永遠に。ジャン・ウィズマン」と彫られていた。
ウィズマンとは何者か?

かつてクラリスの検死が行われた病院内の遺体安置所でエンバーマ―(遺体修理師)のアンジェル(オドレイ・ダナ)に会う。
彼女も少女時代に経験した親の死のトラウマを抱いていた。そのトラウマの中から将来を見つめエンバーマ―の道を歩んだのだ。

 事件当時を知る人々へと会いに行くアントワンに対して、父親シャルル(ウラディミール・ヨルダノフが「ただの事故死だから掘り返すな」と釘を刺す。

兄妹が真実に近付くほど、家族間の溝が深まっていく。

 母の死に疑惑を抱くアントワンは、30年ぶりに訪れた島で過去を紐解く手掛かりにようやくたどり着く。
 決して幸せでなかった母のもう一つの顔が浮かび上がって来る。
そしてそのことは語られてきた家族史がすべて偽りだ、とする驚愕の事実だった。
 
 大ヒットした「サラの鍵」(2010)の原作者タチアナ・ド・ロネはNYタイムス社から10篇の小説を出版している。「サラの~」につぐベストセラー小説「ミモザの島に消えた母」の映画化だ。
推理劇タッチで真実を追求して行く、喪失感から立ち直ることができない息子、真実を打ち明けることができなかった父や祖母の心の機微を繊細に描く。

 女流監督フランソワ・ファブラの3本目の作品だが、日本へはこの映画が初めてだ。女性らしい微妙な人間の内面の機微を巧みに描いている。疑いを抱えたまま真実の背を向けると「ブーメラン」(原題)のように他の破局を伴って戻って来ると、テーマを強調する。

 主人公、アントワン役に「ムード・インディゴ うたかたの日々」「クリムゾン・リバー」などのベテラン、43歳のローラン・ラフィット。髯もじゃの顔に真実を追求する眼が鋭い。2013年にフランス政府より芸術文学勲爵士を贈られている。
アントワンとともに真相を追う妹役に「人生はビギナーズ」「イングロリアス・バスターズ」の33歳のメラニー・ロラン。不仲になった兄の長女、マルゴ(アンジェル・ガニエ)の悩みを親身になって相談に乗ってやり、兄を側面から支援する。

 ロケ地となったフランス本土とミモザの島をつなぐ砂州「パッサージュ・デュ・ゴア」の白い砂浜と何処までも透き通った海は息を飲む美しさだ。

 7月23日よりヒューマントラスト渋谷にて公開される。

「海すずめ」(日本映画):瀬戸内海の島「宇和島伊達家400年祭」に沸く宇和島市立図書館の「自転車課」で働く赤松雀。

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 今年56歳になる小笠原慧は、年齢が13歳上だが帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)に学歴が似ている。
東京大学文学部から京都大学医学部(帚木は九州大学)を卒業して医師と小説家の二足の草鞋を履く。
 もっとも帚木は医師も卒業して作家生活一筋だから文章力も文学性も遥かに小笠原を上回る。

 小笠原慧の「あなたの人生、逆転させます」(新潮社:2016年1月刊)は「新米療法士・美夢のメンタルクリニック日誌」の示す通り、小笠原の専門分野の発達障害やパーソナリティー障害治療のケーススタディを主人公の心理療法士、美夢をとおして優しく説明的に短編にしたもの。
 「ビューティフル・ドリーマー」「母子カプセル」「潔癖症」「安全基地」の4篇が収められている。

 美夢は就活に失敗し個人経営のメンタルクリニックが住宅街で新規営業開始寸前に滑り込みで採用された心理療法士。
変人だとばかり思っていた奥田院長は名ドクターでこのクリニックはベッドタウンの心の病のデパートになることは後で知る。

僕が気に入らないのは、美夢は良く夢を見て奥田院長は「夢占い」の名人で、。
患者の病状解明に「俗説の夢占い」を充てること。科学的なメンタル診断に気まぐれな「夢占い」はしっくりこない。だからユーモラスな要素で取り入れた占いが挿入されることで小説のグレードは下がる。

それにも関わらず、現代人の心の悩みをケーススタディで解く心の安全地帯のクリニックが小笠原のクリニックと小説のスローガンだ。


舞台となるのは愛媛県宇和島市。
今年(2015)は「宇和島伊達家400年祭」の節目の年。
豊臣秀吉の天下、仙台藩を開いたあの隻眼の武将、伊達政宗の長男秀宗が豊臣家の人質になったが関ケ原の戦いで、徳川家康に敗れると家康の人質となり江戸へ移る。

 政宗の次男で伊達忠宗が伊達家の家督を継ぐ。
そして大阪冬の陣で功績を挙げた政宗、秀忠は家康から伊予宇和島10万石に封じられ、
1615年秀忠は家臣団と共に板島丸串城(現在の宇和島情)に居を構える。

 この映画でも本人役で13代当主で44歳の伊達宗信がのっぺりした殿様顔で現れる。
芝居はしっかり演じているから大したものだ。
伊達家の蔵や屋敷も解放されて画面に登場する

 100年に一度の大イベントだ。
だから記念映画を作ろうと安易な発想。
早速地元出身の大森研一に脚本から監督と総てを任せた。

 だが残念なことに大森にはそれだけの才能も実力も無い。

前作「ポプラの秋」は悪くは無かった。天国の父へ手紙を届けてくれると約束する老婆と少女の感傷的なストーリーで、中村玉緒などの一流の役者を使いながら、結局は小屋主も気に入らず自主上映で劇場が決まっていなかった。

 所詮大森監督は業界では一流では無いのだろう。
この映画は小さい小屋だが「有楽町スバル座」が決まっているの大森作品としては快挙だ。
主人公、赤松雀(武田梨奈)は始めて書いた「夢の中」で小さな文学新人賞でデビューするも、早くもスランプに陥って次作が執筆できずにいる。

 東京での奮戦空しく故郷である愛媛県宇和島市に戻った彼女に、「いつも中途半端だ」と言う父,武男(内藤剛志)の言葉はきついし耳が痛い。
そんな時にいつも慰めてくれるのが優しい母、京子(岡田奈々)。久しぶりの可愛い子ちゃん、岡田奈々も老けたね。無理も無い、還暦も近いもん。

 幸い自転車で図書を運ぶ「市立図書館自転車課」で働くことになり無職ではなくなった。

 だが「宇和島市立図書館自転車課」なんてありえないし、直ぐにフィクションだと分かる。
いくら裕福な市町村でもそこまでのサービスはする訳も無い。

 私は地元の我孫子図書館に日曜毎、東京都中央区図書館に月一度通っているが、
こんなプロットを書く大森は実態を知らない。

 そんなに人手を割きフェリーを使ってでも離党に本を届けるなんて夢想を土台にしているので映画として足が地に着かない。

 以前じん帯を痛めて引退したロードレーサーだった賢一(小林豊)や、上司の娘のはな(佐生雪)と共に働き、市立図書館の場所にあった私立伊達図書館で働いていたというトメ(吉行和子)と知り合う。
トメは離れ島の九島に住んでいるのでフェリーに自転車を乗せて届けなければならない。

「また雀ちゃんの本が出たら買うけん」が口癖。雀は辛い。

 ある日、宇和島伊達400年祭の武者行列に使う着物の刺繍模様復元の資料として必要な御家伝来の本の行方をめぐる騒ぎが起きる。
伊達家の大きな倉庫に入り込み多くの行李を開けて一つ一つ検証する雀らの図書館員、

 そんな時に予算の無駄使いと「自転車課の廃止案」が決まる。
図書館長へ届けられる廃止処分撤廃の署名簿、人口8万の島民の半分、4万人が署名している。
これだけの署名活動が雀たちの知らないところで行われていたとは信じ難い。

 映画としてはことほど左様な「ご都合主義」で終始し、大森監督の無能ぶりをさらけ出す。

 取柄は豪華絢爛たる「伊達家400年祭」の武者行列や復元した山車の上で刺繍模様の和服を着飾ったお姫様たちの微笑みだ。島をとりまく地中海の海の透明さ真っ白な砂浜が印象に残る。海岸沿いの細い道を図書館自転車が気持ち良く走り抜ける爽快感は良い。

「祖谷物語 −おくのひと−」など脇で顔を出していた武田梨奈がヒロインにふんする。美人では無いが健康的、自転車を元気いっぱいに漕ぐ太ももだけが目立つ。
TVドラマ「なぜ東堂院聖也16歳は彼女が出来ないのか?」などの小林豊など馴染みが無い新人オンパレード。

 雀と賢一のロマンはどうなったの?少しはフォローして欲しい。

脇ではベテランがズラリと揃う。
内藤剛志、吉行和子、岡田奈々、目黒祐樹など豪勢さ。
400年祭に沸く宇和島市の風景や植村花菜による書き下ろしの主題歌にも注目。

 愛媛県の宇和島伊達400年を記念して製作された青春ムービー。地元の銀行や小さな新聞社が寄付をして出来上がった映画。

 宇和島出身の大森研一監督が脚本を書き演出をするが下手だね。
昨年公開された「ポプラの秋」などは懐古趣味に溢れた佳作だが、ひも付きで制限だらけの映画になると力が発揮されない。
大好きな父親を突然亡くし、母とポプラ荘へと引っ越してきた千秋は、大家のおばあさんと出会う。
「自分は亡くなった人に手紙を届けることができる」と、不思議なことを口にするおばあさんの言葉を信じた千秋は、天国の父に手紙を書き、それをおばあさんに託すのだった。良い話だった。

松竹での打一回試写で関係者が集い拍手喝采を送っていた。
7月からの小屋に友人知人を連れてきてほしいものだ。
 
7月2日より有楽町スバル座で公開される。

「トリプル9-裏切りのコード―」(TRIPLE 9)(アメリカ映画):999が発せられると「警官が撃たれた!」のコード番号。受信したすべての警官は取り掛かっている事件を総て捨てて現場へ駆けつける

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ジョイス・キャロル・オーツと言う78歳のアメリカ人女流作家の「邪眼 うまくいかないい愛をめぐる4つの中編」(EVIL EYES,河出新書2016年2月刊)はふしぎなあやしくたくらみに満ちた、そして死と暴力に溢れた中編集だ。これが老婆の作品とは思えない程刺激的だ。

カバーストーリーの「邪眼」(EVIL EYE)は立て続けに両親を亡くし精神的に弱っていたマリアナは上司で舞台芸術界の大物であるオースティン・モーアに慰められ優しくされ結婚する。30歳年上のオースティンはマリアナは4番目の妻だった。

 二人が暮らし始めたサンフランシスコの豪邸に、最初の妻だったイネスが姪を連れて泊まりに来る。年齢よりも若く見える美しいイネスは驚いたことに片目が無い。イネスの滞在をきっかけにマリアナは夫の過去と本性を知ることになる。

「すぐそばに いつでも いつまでも」(SO NEAR ANY TIME ALWAYS) 恋に恋する内気なティーネージャーのリズベスは図書館でデスモンドに出会う。大人びた素敵な少年だ。しかし完璧だと思っていたデスモンドは秘密を抱えていて内部から彼の心を蝕んでいた。

「処刑」(THE EXEECUTION) 愚鈍な大学生、バート・ハンセンが両親の家に忍び込み二人を斧で殺害する。周到に練り上げたバートの計画に誤算が生じる。父親は絶命したが母親は意識不明のまま生き残る。意識が切れる寸前に警官に犯人は「息子だ」と証言する。
 バートが親殺しに至るまでの身勝手な意識の流れが克明に描かれる。
結末は意外な結果に終わるが読者の予想通りになる。

「平床トレーラー」(THE FLATBED)はアート系の財団に勤務するセシリア。上司のNと付き合うようになって18ヵ月になるが愛を交わそうとしてもセックスが怖く体が固まる。過去の男たちは呆れてセシリアを去って行ったが、Nは静かに彼女の心を解きほぐし秘密を話させる。
性と暴力、愛と憎しみは表裏一体、善悪の判断も一筋縄でいかないことを解く。

アメリカ・ゴシック・サスペンスの女王、ジョイス・キャロル・オーツはノーベル文学賞の最右翼。


さて今日の映画の原題TRIPLE 9(999)とは「Officer Down」つまり「警官が撃たれた」の意味のコードだそうだ。

 映画の中でも10-4(テン・フォア)「了解」とか10-34(テン・サーティフォー)「応援頼む」など警官だけに通じる「符丁」、お馴染みの数字コードだ。

 警官は仲間意識が強い。「999」のコードを耳にするとどんな凶悪犯を追っていてもパトカーでスピード狂を寸前のところで追いつけそうでも、直ちに全警官は持ち場やデューティを離れ、撃たれた警官のもとへ駆けつけるのが原則のようだ。
 そしてその間に警察網におよそ「10分間の空白」が生じると言う。

この映画は悪人どもがこの10分間を利用して大きな「ヤマ」を張ろうとするもの。

ロサンゼルスやマイアミなどにも勝るとも劣らない凶悪犯罪都市アトランタ。
ある夜事件が起きる。5人組の覆面武装グループが銀行を襲撃した。

 特殊部隊のマイケルは傭兵上がりの元兵士で軍隊並みの規律でグループを纏める。
マーカス(アンソニー・マッキー)やゲイブ(アーロン・ポール)など悪徳警官で構成された犯人グループは5人。黒人が多く如何にも悪人と言う面構えの面々だ

ギャング団を率いるリーダーのマイケル・アトウッド(キウェテル・イジョフォー)は、この仕事を最後にロシアン・マフィアとの関係を絶つつもりだった。
ところが、非情な女ボスのイリーナ・ヴラスロフ(ケイト・ウィンスレット)は、それを許さなかった。

最愛の一人息子を人質に取られたマイケルは、指令に従い不可能と言われる警戒厳重な「国土安全保障省」の施設を標的にした襲撃計画を練り上げる。
思いついたのは警官が撃たれたことを意味する緊急コード「トリプルナイン」を発動させ、アトランタ市警の機能を10分間完全停止させるというもので「空白の10分間」で仕事をやり終える計画だった。

しかし、標的となった警官クリス(ケイシー・アフレック)やそのボスの重大犯罪課の刑事、ジェフリー・アレン(ウディ・ハレルソン)を巻き込んだその犯罪計画は、マイケルたち犯行グループの内部対立や裏切りも絡み、予想外の事態へ発展してゆく。

ロシアン・マフィアのボスがケイト・ウィンスレットなのは意外だ。ケイトがクライムドラマで悪人役なんて初めてだ。
ケイシー・アフレックやウディ・ハレルソンなどの大物役者が出ている割には出番が少なく盛り上がりに欠ける。

マイケル役のキウェテル・イジョフォーが主人公だからか。「それでも夜は明ける」で一躍オスカー候補として注目を浴びたが黒人役者は花が無い。
オーストラリア生まれのジョン・ヒルコート監督は、故国での活躍が認められ大作「ザ・ロード」でハリウッドへ進出し前作「欲望のバージニア」も好評だった。
警官が撃たれた緊急コード「トリプルナイン」の強盗計画だけがギミックの底の浅いクライム映画だ。多分脚本を書いたマット・クックの経験の浅さから来るのだろう。
キャストはケイシー・アフレック、キウェテル・イジョフォー、ケイト・ウィンスレットら豪華キャストに、共演は「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」のアンソニー・マッキー、「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」のガル・ガドットなどが生かされていない。

6月18日よりヒューマントラスト渋谷にて公開される。

「太陽が欲しい」(中国・日本映画):韓国慰安婦は光が当たっているが、中国での性奴隷となった女性たちは見捨てられ底辺で喘いでいる。

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 昨夜(6日)の外国特派員協会の映画上映会は雨の中、連休明けの淋しい夜にも関わらず100名近くの会員が集まり2時間を超える長尺のドキュメンタリ映画を固唾を飲んで見守った。
 
上映後、監督の班忠義とナレーションを担当したロジャー・パルバーズが登壇し熱心な質疑応答が1時間弱も続く。

 50に手が届く、班忠義は上智大学外学院でジャーナリスムを専攻し(1992年)日本滞在が長いので流暢な日本語話す。

 映画は証言する凌辱された老婆の中国語と加害者だった日本兵の日本語での証言などを英語字幕がカバーする。記者クラブだから英語で通すと言うポリシーは一般日本人の観客には辛いものがある。
字幕は超訳でないから丹念に訳すが読み切らない内にサッと消える。

 班監督に言わせれば中国人の性で凌辱された女性は「慰安婦」では無いと言う。日本の植民地で日本人であった韓国人女性は集団で韓国から中国戦地へ連れて来られて「慰安所」とよばれた施設に入れられ兵士たちの性を相手をした。そして一定額の賃金を支払われた。

 班忠義は1992年から20年に亘って山西省を中心に海南島や越南、更にモンゴルやロシア国境に散らばった80人ほどの老婆を毎年訪ねてインタビューを繰り返している。

 モンゴルやロシア国境近くの老婆は韓国人が多く、病を得て韓国本土へ送還された慰安婦は立派な病院に収容され手厚い看護を受けて亡くなった。「もっと生きたい」と願いながら彼女はガン末期だった。勿論日本政府の補償を受けた医療施設だ。

 そこへ行くと中国人の老婆たちは「早く死にたい」と周囲に漏らしている。自分が長生きをすることで家族親戚に負担がかかるからだ。

 中国政府は性奴隷になった老婆に救いの手を伸ばさない。むしろ彼女たちのことを秘匿する。党にとって老婆たちは重要なアジェンダでは無く日本政府への要求では下方に位置する。
中国政府の検閲や人権の問題を見れば政府の方針は理解できる。

僕は思う。「慰安婦」は韓国だけの問題に見えるが朝日新聞の誤報で勢いついた「韓国」が必要以上の阿漕な要求を日本政府に突き付け自虐的な日本は要求に屈し、昨年暮れには今まで十分に支払った賠償金に上積みして10億円の巨費までも了解した。それでも納得しない慰安婦たちの強欲は日本大使館前の「慰安婦の像」の撤去も拒否している。朴槿恵大統領も約束を反故にして慰安婦像を黙認している。

 そんな韓国側の強欲さに比べ第二次大戦中に性奴隷とされた中国女性たちの人生には涙を禁じ得ない。
「(湖北省の「慰安所」では)生理のときも休めませんでした。妊娠したときは「紅花」という薬を飲まされました。そのあとお腹からどろどろの血が流れます。すると、体から力が抜けて、顔が黄色く痩せます。そんなことがあって、私は子どもを生めない体になってしまいました」と袁 竹林さん。

「(山西省の日本軍の駐屯地の)真っ暗なヤオトンに監禁され、用をたすときだけ外に出られました。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。太陽の光がほしかった。」との劉 面換さんの証言が映画のタイトルになっている。

 元日本兵たちも正直に自分たちの犯した罪を告白している。
「村に入って何処を探しても女性は居ない。トイレを兼ねている豚小屋へ行くと30歳位の主婦が糞尿の中から見つかった。引きずり出して臭いのも構わず性欲に任せてシャツを引きちぎり下着を下ろして強姦した。仲間たちも次々と犯した」
これほどまでの性欲は異常だ。

 「母親を輪姦し動かなくなったので井戸へ放り込んだ。子供が泣き叫んで母親の後を追おうとするが井戸の縁が高い。椅子を持ってきた子供が椅子から井戸へ飛び込むのを見て上官が可哀想だからと手榴弾を投げ込んで母子を爆殺した」

 こんな証言を聞いて僕ら日本人は性被害をうけた中国人女性たちのことを何も知らないことに気づく。韓国人慰安婦は厚かましく日本人の自虐性に付け込んで来るが、中国人老婆は政府の保護も受けず、日本政府もダマテンを決め込んでいる。

 班監督のこの映画は日本人の有志たちが資金を出し合い制作に漕ぎつけ自主性上映で全国を廻っていると言う。昨年(2015)に完成し夏から今までに40回の上映会を催したが毎回100-200人の観客から熱い支援を受けていると言う。

 商業ベースに乗せるためにも映画館での上映が望ましいがこれからポチポチと配給会社との交渉を始めるとノンビリしている。自主上映会の要請が引きも切らないからだろう。
正確な統計は無いが日本兵に凌辱された中国女性は10万人に上ると言う。

 映画は、万愛花さんや郭喜翠さん、劉面換さんなど、一人ひとりの犠牲者のどの生もかけがえのなかったものであり、そのひとつひとつを日本軍は奪っていったのだ。
僕は「30万人の南京大虐殺」を全く信じていないが、声なき声で市井に潜む老婆たちの声は聴くべきだと感じた。

「謝罪してほしい。罪を認め、頭を下げて賠償をするべきです。裁判が続かないと日本の友人の顔に泥を塗ることになる。日本政府は見くびっている、日本の友人たちを。最後まで闘う。政府に対して圧力をかけなければ。ここまで来たんだからやり抜く必要がある。私が死んでも鬼になって闘う。魂となって皆と共に闘う」

 「被害者が生きているうちに、被害者が望む解決を!」と日本政府を訴えた裁判は1992年の問題提起以来、1996年に4人、1998年に10人が訴えを起こしたが2000年に全員の告訴は退けられている。

 裁判を闘った山西省の女性たちは、いまは誰も生きていない。
班監督はこの20年間80名の性奴隷となった女性たちを撮り続けてきたが今や生き残りは10名を数えるのみ。
存命中で戦う意欲を示す万愛花さんが「鬼神となって私たちと共にいる、だから戦いを続ける」と断言している。

 この映画は自主上映で全国を巡演中。

「ROAD TO HiGH&LOW」(日本映画):幼いころから無二の親友同士の3人。コブラとヤマトは暴れ回ること能がないが、ノボルは頭が良く司法試験を目指して頑張っていた。

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昨日(7日)が初日。書き入れ時の5時20分の回に上映館「丸の内ピカデリー1」に足を踏み入れて驚いた。
あの広い豪華なスクリーン1に10人にも満たない観客がパラパラと座っているだけ。

いくらゴールデンウイークが終わったからと言って映画鑑賞気分まで消えた訳ではあるまいに。
長年丸の内ピカデリーに通いなれているが初めて見る惨状に愕然とする。

配給・松竹関係者も真っ青だろう。
しかもこのDOA(上映時点で瀕死状態)の作品に続編も出ると、エンドタイトル終了後に予告編まで付け加わるしつこさ。

 7月16日公開とあるからには、撮影どころかポストプロダクションも終わって上映開始待機状態にある筈だ。
初日の打ち込みを見て劇場側はシリーズ上映を拒否するだろうし、何よりも始まったばかりの本編を何処で打ち切るか相談も始まっている筈だ。
(2週間限定公開としているが2週間持つか?)

 それにしてもTVとHuluで放送しコミックは7月に刊行予定、SNSのIntagramで毎日アップと様々なメディアでコンテンツを連動させているが、空回りしているのだろう。

 さて肝心のストーリーだが、
SWORD地区と呼ばれるエリアで激しい抗争を繰り広げる5つの不良チームのメンバーたち。「山王連合会」(S)「White Rascals」(W)「鬼邪高校」(O)「RUDE BOYS」(R)「達磨一家」(D)という5つの不良チームの頭文字を繋ぐとSWORD。互いに覇権を争い激しい闘争を繰り返している。映画の半分は殴る蹴るの乱闘、死闘のモブシーンで溢れる。不良高校生たちの乱闘「クロウ」で驚いたことがあるがそんなもんじゃない。
ワイヤーアクションにCGの特殊効果を加えて派手な出入りだ。

 コブラ(岩田剛典)とヤマト(鈴木伸之)、ノボル(町田啓太)の3人は、幼いころから無二の親友同士。
NYスラム街・ヘルズキッチンで幼い頃から仲の良かった3人のギャングを描くマーティン・スコセッシ監督の「グッドフェローズ」(90)に似ている。

 頭が良く大学に進学したノボルは、喧嘩しか取り柄のないコブラとヤマトの希望の星だった。
だがある日、ノボルを突然の悲劇が襲う。大学の同級生でガールフレンドを輪姦したチンピラたちを半殺しにしたノボルは実刑判決を受けて収監される。

 ノボルの刑務所入りで一家は世間の冷たい目に晒され離散。
司法試験に合格し弁護士になる昔からの夢は途絶えコブラたちとの付き合いも無くなった。

コブラとヤマトはノボルの戻ってくる場所として「山王連合会」を結成。
やがて「山王連合会」と「White Rascals」「鬼邪高校」「RUDE BOYS」「達磨一家」という5つの不良チームが頭角を現し、その地区はそれぞれの頭文字をとってSWORD地区と呼ばれるようになる。

そんな彼らの均衡はギリギリのところで保たれていたが、ノボルが戻ってきたことをきっかけにグループ間のバランスは崩れ大事件が勃発する。

ノボルは刑務所で知り合った家村会の幹部(西岡徳馬)に拾われ、「九龍グループ・家村会」の一員となっていた。会長(中村達也)に可愛がられ、特命でSWORD地区浄化を指示される。
家村会はドラッグを密造販売しその拠点としてSWORD地区の支配を目論んでいるのだ。

ノボルはコブラやヤマトに会い山王連合会に家村会の傘下に入ることを迫る。ノボルが幾ら要請しても聞ける頼みと聞けない要求はある。ノボルは拳銃を構えてコブラに迫る。

 「植物図鑑」で内気で優しい主人公を演じた岩田剛典が茶髪に染めて暴れ回るのだからイメージが狂う。他に三代目J Soul Brothers from EXILE TRIBEをはじめ、EXILEファミリーのメンバーが多数出演している。シリアスなヒューマンドラマでは無いので歌手たちはのびのびと暴れ回る。
  久保茂昭監督は何もすることが無い。

男どもの暴力群集劇だから女性の出番は少ないがYOUだとか小泉今日子が顔を見せる。しかし違和感は否めない。

有楽町や日比谷と客種が違う、新宿渋谷では小屋の入りはどうだろうか?
何れにしても配給元・松竹としては何等かの手を打たねばならない。

丸の内ピカデリー他で公開中

「MARSただ君を愛してる」(日本映画):主人公・零を挟んだいびつな三角関係。近親相姦、同性愛とタブーの世界を描く。

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 昨日(8日)でゴールデンウイーク(GW)は終わったが、熱狂的読売巨人軍ファンの僕のGWはブルーだった。

信じられるだろうか?9戦して2勝7敗!
連戦連勝の快進撃でスタートした「宜伸ジャイアンツ」の筈なのにGW中に何と3位に転落だ。

 仕方が無いので読書で気を紛らす。
ロング・グッドバイといってもレイモンド・チャンドラーじゃない。

 「少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く」認知症(ディメンシア)を、アメリカではこう表現するという。

 「小さなおうち」で芥川賞を獲った中島京子の「長いお別れ」(河出書房:2015年5月刊)は
2年前に認知症の実父と10年目に死別したその体験を基に書いているので細部に亘り綿密に描写されており迫力があると同時に認知症患者の言動に笑ってしまうユーモアにあふれている。

 主人公、父東昇平がアルツハイマー型認知症と診断されてからの10年間。老夫婦と3人の娘とその家族の日常を、計8編の連作に切り取る。

 昇平は元中学の国語教師。校長職や図書館長を歴任し、週1回通うデイサービスの漢字テストがお気に入りの彼は、孫の前で「蟋蟀(こおろぎ)」「熨斗(のし)」など難しい漢字を書いて見せ、「永久名人」と呼ばれたりした。

 帰り道は忘れても難読漢字はスラスラわかる。妻、曜子の名前は忘れても、顔を見れば安心しきった顔をする。
「何が変わってしまったというのだろう。
言葉は失われた。記憶も。知性の大部分も。

 けれど長い結婚生活の中で夫婦の間に常に、ある時は強く、ある時はさほど強くは無かったかもしれないけれども、たしかに存在した何かと同じものでもって、夫と妻とコミュニケーションを保っているのだ」

 僕自身も時には方向感覚を失い迷子になることも屡々。身に抓まされながら、笑いながら一気に読んだ。良くできた小説だ。
ラストシーンでカリフォルニア・モントレーに居る中学生の孫、タカシが不登校の理由を校長に聞かれて「祖父が死にました」「八十とかそれくらい」と答えにならない答えをする場面が印象的だ。


 コミックなんてチャラチャラした青春物ばかりだと思っていたら幼い日に父親(義父)からレイプされると言うトラウマまで扱っているので驚く。
それにタイトル「MARS」は「軍神」。

 主人公の3人の高校生は戦いながら自分の途を切り開いて行く。
90年代に「別冊フレンド」に連載され、禁断の世界観で人気を博した惣領冬実による少女漫画が原作のテレビドラマの劇場版(複雑だ)。

 学園でスターのような扱われ方をする一方、派手な女性関係で刹那的な毎日を過ごし、何か心に傷を抱える零(藤ヶ谷太輔)。

樫野キラ(飯豊まりえ)は偶然、そんな零と海辺で出会い互いに惹かれ合っていく。
心に闇を抱いているのは零ばかりでは無い、キラも幼女時代に受けた性的トラウマを抱えていた。

そこへ、零の自殺した双子の弟・聖と親友だった桐島牧生(窪田正孝)が転校してくる。零とキラの良き理解者のように思えた牧生だったが、彼は零に特別な感情を抱いていた。
牧生は零に執着するあまり、零とキラの仲を引き裂こうとする。

辛い過去(それも幼い日に義父より受けた傷)を突き止められ、深く傷つくキラ、狂おしいほど零への思いを募らせる牧生、キラを守ろうとする零。

 零を挟んだ三角関係だ。近親相姦、同性愛とタブーが堂々と描かれる。
そして3人の運命が絡み合っていく。

 イケメン2人と心を閉ざした女子高生を中心に繰り広げられる、純粋で残酷な恋模様を描く。そのイケメン二人の男同士のキスもショッキングだ。

 監督は「百瀬、こっちを向いて。」などでデビューした耶雲哉治。ハリウッド映画では取り上げられるタブーのテーマを日本映画として本格的に取り組み、美しく描いている。
映画館で必ず本編の前に上映される「NO MORE 映画泥棒」のディレクターとして知られている。

 光と影の二面性を持つ主人公、樫野零はKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔。
零の亡き弟の親友・桐島牧生を「デスノート」シリーズなどの窪田正孝が演じる。
零のファム・ファタール、運命の恋人・麻生キラをNHK連続テレビ小説「まれ」などの飯豊まりえが演じる。初めて見るが中々のキュートな顔立ちだ。

 男性二人、女性ともに美男・美女。見ているだけでウットリする。

6月18日よりTOHOシネマズ新宿他全国で公開される。

「教授のおかしな妄想殺人」(IRRATIONAL MAN)(アメリカ映画):人生に飽き、やる気を無くした大学教授は「完全犯罪の殺人」を成功させることで「人生の喜び」を取り戻す

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ロードアイランド州ニューポートは僕もジャズフェスティバルや友人の結婚式で3-4回訪れたことがある港湾都市だ。NYからは車で3時間ほどかかるがボストンの南約100kmに位置し1時間半足らずで着く。人口は3万人を切るこじんまりした閑静な住宅地。保養地・別荘地としても名高く、19世紀末以降に建てられた豪邸が街の南の風光明媚な海岸に並ぶ。
グレース・ケリーの最後の映画になった映画「上流社会」の舞台にもなった。そんな平和なニューポートでの殺人事件なのだ。

監督・脚本のウディ・アレンはNYを離れなかったがやがてカリフォルニアへそしてロンドンやパリ、マドリッドやローマと最近はヨーロッパを舞台にしているが、久しぶりにアメリカへ戻ってNYのマンハッタンやブルックリンではなくニューポートとは興味深い。

もう一つウディ・アレンほど「完全犯罪」や「殺人」を映画のテーマにしている監督はいない。ヒッチコック以上だ。
「重罪と軽罪」「マンハッタン殺人ミステリー」「夢と犯罪」「マッチ・ポイント」「タロットカード殺人事件」など枚挙に暇ない。そして毎回異なる犯罪の動機が笑わせてくれる。
今回の動機はお金や恋愛のもつれじゃなく「社会的の許せない・義憤」にかられるからだ。だから動機が無い自分には警察の容疑者リストから外される、つまり「完全犯罪」が成り立つと言う論法だ。

並外れた変人と評判の哲学科教授エイブ・ルーカス(ホアキン・フェニックス)が、ニューポートの美しいこじんまりした大学「ブレイリン・カレッジ」に赴任してくる。

着任前から学生も教授陣も住人も噂で持ち切り。
アルコール依存症(絶えず尻のポケットに容れたヒップ・フラスクからシングルモルトを飲んでいる)で、女子学生に手が早い、妻が友達と駆け落ちした、親友がイラク(ひょっとしてアフガニスタンかな)で地雷に触れて爆死した、などで相当に参っていると言う。このプロローグ紹介で軽快なジャズが飛び込んできて全編を貫く。
クラリネット奏者のアレンは音楽もコントロールする。

若い頃は政治活動やボランティアに熱中し、世界中を飛び回ったエイブだが、今では精神的にダメッジを受け、学問にも恋愛にも身が入らず、慢性的に孤独な無気力人間になっている。

それでも昔取った杵柄、キエルケゴールやサルトルの引用で授業は順調に進む。
しかし「哲学なんて言葉の上の『自慰行為』だ」とかパーティで一発の弾丸を込めた拳銃を頭に当て引き金を引く「ロシアンルーレット」を演じて見せるニヒリストでもあった。

哲学科の女子学生女子大生ジル・ポラード(エマ・ストーン)がレポートを褒められたことを切っ掛けに教授に恋心を抱く。

夫婦生活に不満を抱く化学の教授リタ・リチャーズ(パーカー・ポージー)もエイブに急接近する。

だがリタとベッドを共にしても、清純なジルにスリスリされても「勃起」しない。
未だ50歳前だと言うのにセックスが出来ない状態は1年以上だと言う。

そんなある日、たまたまジルろ立ち寄ったダイナーで隣座席で迷惑な悪徳判事・トム・スパングラーの噂を耳にする。離婚したぐうたらな父親から賄賂を貰い二人の幼い子供の「親権」を無条件で母親から奪ったと泣く女性。

 この瞬間に、エイブの脳裏に突拍子もない考えがひらめく。
誰にも疑われることなく、関係ない第三者の自分の手で判事を殺害するという完全犯罪への挑戦。

そして見事に朝の公演でベンチに座ったスパングラー判事に青酸カリ入りのジュースを飲ませることに成功する。マスコミや警察は「心臓麻痺」と報道する。

ここからがオカシイ。今までのインポが直ってしまい、リタは「野獣」のように襲われて寝かせてくれない。

 奇妙で訳の分からない(IRRATIONAL)な「生きる意味」 を発見したエイブはたちまち身も心も絶好調となり、ひたすら憂鬱だった暗黒の日常が鮮やかに色めき出す。

 エイブに恋心を抱く教え子ジルは、いつも寝坊するエイブが土曜は6時半に家を出たとか、化学の実験室でエイブを見かけたと言う噂を聞きつけエイブが真犯人ではないかと疑い始める。

 エイブは大好きだが例え悪徳判事でも殺人は許されない。まして警察は他殺と決め判事を恨む前科者を逮捕した

悩むジル。
エイブは「完全犯罪」を追及するにはどうすべきかを真剣に考える。

 シーンごとにナレーションはジルになったりリタになったり、エイブを取り囲む状況を面白おかしく、しかも倫理観を交えて伝えて来るのが笑える。

運命や偶然なるものに翻弄される人間の哀しさ、滑稽さを探究してきたアレンが「人生は無意味である」という真理に到達してしまったニヒルな大学教授の姿は理不尽だが正しくもあり正しくもない。

この作品は45本目の映画。1年に1本、律儀に制作を続ける81歳のウディ・アレンは健在だ。しかも久しぶりのシネマスコープと言う大型画面にニューポートの景観を収めている。

 主演は「ウォーク・インザ・ライン」や「her/世界でひとつの彼女』などの名優ホアキン・フェニックスが体重を15キロ増やし腹の出た哲学科教授エイブ役を熱演。アレンの映画に初出演だ。
アレンの前作「マジック・イン・ムーンライト」の可憐なヒロイン、27歳のエマ・ストーンが教授に恋心を抱く女子大生ジル役を務めている。

 アレンの映画はいつも1時間半位。観客を心地良くさせ中身を楽しませるに適切な長さだ。
下手な監督、ポット出の監督ほど3時間にもなる長尺を撮る。

6月11日より丸の内ピカデリー他で公開される。

「貞子vs伽椰子」(日本映画):「J‐ホラー」のスーパー妖怪同士の激突は凄惨で怖ろしい

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最近はアメコミの世界で「バットマンvsスーパーマン」や「シビル・ウォー」でキャプテンアメリカvsアイアンマンの死闘が受けている。

そんなら「J‐ホラー」のスーパー妖怪同士の激突はどうだろうか?
とこれはまた面白く興味ある企画だ。

夫々が主人公で独立した映画にしか出現しないものを一緒に舞台に登場させ殺し合わせたらどうだろうと考えるのはもっともだ。

アメコミのヒーローたちは正義の味方だが、日本の妖怪は悪の権化、人間たちを殺しまくる。「毒をもって毒を制す」の昔ながらの鉄則を遂行する試みだ。

日本から海を超えハリウッドでリメイクされるなど、世界でも評価の高い「Jホラー」の2大キャラクター、「リング」シリーズの貞子と「呪怨」シリーズの伽椰子。

貞子は1998年と言うからもう20年程前に「リング」と「らせん」に現れた。呪いの「ビデオテープ」を見終わると電話がかかって来て2日後に死ぬと。白い服を着て長い髪を垂らした女がブラウン管から現れる。

「伽椰子」の方は地味な出だし。同じ98年にTVドラマ「学校の怪談」の片隅からスタートして翌99年からビデオ「呪怨1」「呪怨2」と続き本格的な劇場長編映画「呪怨」は2003年まで待たねばならない。
白塗りの手足が蜘蛛みたいに長い女が地面を這って襲い掛かる。

2010年代の前半にかけて「貞子」と伽椰子」の2大スーパー妖怪は暴れ回る。そしてこのところやや下火になったホラーブームの底入れに二大悪女の登場となる。

冒頭は大学の講義風景。森繁教授(甲本雅裕)は都市伝説について話をしている。大抵は誰も経験したことの無い噂に過ぎないが呪いのビデオだけは実話だと。

女子大生の有里(山本美月)は、親友の夏美(佐津川愛美)と一緒にリサイクルショップで買ったビデオデッキで昔撮った両親の結婚式をDVDに焼き直そうとしている。
ところが古いデッキの中にラベルのはがれたVHSテープが入っている。ビデオを再生する。
再生の最中に有里に電話がかかって来て目を逸らすが夏美は見てしまう。すると夏美のスマホに非通知のベルが鳴る。

それは、観た者に貞子から電話がかかってきて、2日後に死ぬという「呪いの動画」だった。

一方、女子高生の鈴花(玉城ティナ)は引っ越した先の向かいにある「呪いの家」に入ってしまう。一家が無理心中をした家だ。そこに住み着いていたのは小学生の子連れの伽椰子。夫の暴力で殺された二人は「呪怨」の怒りに満ちて全身白塗りで鬼女の形相恐ろしく襲い掛かる。鈴花を助けようと母親が犠牲になる。

僕は臆病で怖がりだから何度見ても長い髪を頭から口からも垂らす「貞子」も長手足の蜘蛛みたいな「伽椰子」も怖くて画面から目を逸らしてしまう。
霊媒師の経蔵(安藤政信)は霊感の強い盲目の少女,珠緒(菊地麻衣)と一緒に二つの呪いを解くために、呪いの動画の貞子と呪いの家に居る伽椰子を激突させようとする。経蔵の陰陽師のような手と指を使って呪縛を解く仕草は頼もしいし、コマッシャクれた赤い服でサングラスの少女珠緒が断定的に物を言うのも凄いと思う。
可哀想なのは「貞子」と「伽椰子」を激突させる時、有里か鈴花どちらかが二つの妖怪を抱いて深い井戸へ飛び込まなければならないと。

かくしてそら恐ろしい大団円が始まる。

 だが一番怖いのはエンドタイトルが終わって明るくならないでいきなり不鮮明なビデオがスクリーン一杯に映りだされることだ。「バットマンvsスーパーマン」より面白い。

監督は「戦慄怪奇ファイ」シリーズや「ボクソール★ライドショー~恐怖の廃校脱出!~」などホラー作品を多数手がける白石晃士。

主演は「東京PRウーマン」などの山本美月。玉城ティナ、安藤政信らが共演する。

6月18日よりTOHOシネマズ 新宿他で公開される。

「Young Adult New Yorkヤング・アダルト・ニューヨーク」(WHILE WE’RE YOUNG)(アメリカ映画):20代の若者夫妻にかき回され人生を見つめなおす40代の映画作家夫妻

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邦題が「Young Adult New York」と英語になっていてNYに住むヤングアダルトの映画かと思うと原題は「WHILE WE’RE YOUNG」(若い内に)で意味が全く違う。観客を頭から惑わせている。

 内容は映画作家を目指す20代のカップル・ジェイミー、ダービー夫妻と40代のドキュメンタリー映画作家のジョシュと妻コーネリアの夫婦との世代ギャップを描くコメディタッチの作品だ。

彼らが興味を抱くのはフィクションではなくドキュメンタリー映画。コーネリアの父親、ブライトバードは記録映画界では伝説的な大御所と言う設定だ。

ドキュメンタリー映画の監督であるジョシュ(ベン・スティラー)と、コーネリア(ナオミ・ワッツ)は40代の夫婦。まだまだ自分たちは若いと考えているが、ジョシュにはここ8年完成させた新作がなく、中年に足を踏み入れてから人生や夫婦の関係から輝きが消えてしまったと自分たち自身も感じている。
社会学者ライト・ミルズの「パワー・エリート」論を通して現代アメリカを描こうとする超大作と取り組むもまったく上手くいかない。
いささかな諍いがあって不義理をしている妻、コーネリアの父親、ブライトバード(チャールズ・グローディン)に意見を聞く。彼は記録映画界では伝説的な大御所だが、大幅なカットが必要だ、トルコの描写は全面削除せよと忠告する。ジョシュはドキュメタリーを面白さではなく内容が持つ真実や正義で語ろうとする思惑は通じない。8年、いや10年もかけているアメリカの愛国心を描こうするが記録映画はトルコやアフガンなど中近東を入れて7時間を超える長尺になる。商業的に劇場にかけられる作品では無いと。
怒って話も聞かず飛び出すジョシュ。

しかし長年無給のスタッフからはギャラを要求されているが申請している交付金が下りてからと逃げ回る。交付金など下りる筈が無い。申請などしていないのだから。
昔からの仲間との付き合いも無い。社交的な隔絶は子供だ。二人には子供がいない。バイオロジカリーに出来ないのでは無く、子どもは不要と作らない主義なのだ。

そんな時、ジョシュが講師を務める大学のドキュメンタリー講座を聴講していたジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・サイフリッド)の若い夫婦と出会う。彼らのアパートにはLPレコードやターンテーブル。IBMタイプライター、自分たちの手作りのテーブルいったレトロなグッズや文化を愛する若いながらも古風な暮らしを実践する彼らに驚き、年齢の壁を越えて奇妙な友情関係を育むようになる。

面白いのは、ジョシュなど中年夫妻は新しいテクノロジー、例えばNetflixを楽しんでいるのに若いカップルは古いLPやVHFなど大切にしている。「私たちが捨ててしまった物を楽しんでいるんだわ」とコーネリアは洩らす。「古いものが新しいんだ」

若者たちに連れられて行った南米の幻覚剤「アヤフヤスカ」を飲んでゲロを吐きながら自己を解放するパーティとか今までに無い体験をする。
やがてジョシュとジェイミーは一緒に映画を撮ることを企画する。ジェイミーの考え方や発想は斬新で題材も素晴らしい。特にフェイスブックで見つけた高校時代の友人ケント(ブラディ・コルベット)がアフガンで戦い、精神を病み自殺未遂をしてカリフォルニアの病院で治療を受けている。このシーンはドキュメンタリーのハイライトになる。

妻、コーネリアも光を放つジェイミーの映画のプロデューサーに就任し殆どの時間を制作に費やす。ジョシュは嫉妬を覚える。
だが編集をしているジェイミーのフーテージを見て飛び上がる。最初にケントを訪ねるシーンでダービーのお店の特注飲み物が置いてあるではないか。ケントに聞くがダービーは高校時代の同級生だがジェイミーは知らないと言う。

フェイスブックも同級生も噓パチ。アフガン戦傷者を調べてデッチあげ。ブライトバードのライフアチーブメントの祝賀会で義父の隣りに座って気に入られているジェイミーを捕まえ白状させる。ケントとダービーを通じて友達になっているし時系列的に後先は構わないと開き直る。義父もドキュメンタリーでは良くあることだと取り合わない。

僕の尊敬するドキュメンタリー作家の惣田和弘監督はこういう。「記録映画に脚本があるのはオカシイ。そこにあるものをそのまま手を加えず撮るのがドキュメンタリーだ」
彼はそれを「観察映画」と呼ぶが音楽やナレーションも無しで対象物を只管に撮り画面からストーリーを観客に感じて貰う。

ジェイミーは全くの邪道でジョシュの方が惣田監督に近い。
ノア・バームバック監督はラストシーンでジェネレーション・ギャップを通して、若い世代から人生で本当に必要なものを学んだジョシュ夫妻の姿を描いて問題を解決している。

「フランシス・ハ」で20代後半のNYに住むヒロインの疎外感を描いたノア・バームバックの監督・脚本の新作。B・スティラーやA・ドライバー、N・ワッツの配役陣も豪華で彼の作品で一番商業的に成功するのではなかろうか。
特にスティラーとワッツの遣り取りにウディ・アレン調の可笑しさが出ていた。
主演はそのベン・スティラー、共演に「インポッシブル」などのナオミ・ワッツ、テレビドラマ「GIRLS/ガールズ」シリーズなどのアダム・ドライバー、「親愛なるきみへ」などのアマンダ・サイフリッド。

7月22日よりTOHOシネマズみゆき座他で公開される。

「シングストリート 未来への歌」(SING STREET)(アイルランド映画):人生の家庭が崩壊し貧乏のどん底に突き落とされた14歳の少年コナーは音楽と年上の美女に救われる

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監督・脚本のジョン・カーニーは07年の「ONCEダブリンの街角で」(ONCE)13年の「はじまりのうた」(ONCE AGAIN)に続く音楽バンドもの3部作の最終編を締めくくる。
 
しかも1972年生れのカーニーにとって、1985年のコナーは同じ年齢。初めての時代物で監督は自叙伝風に主人公を描きたかったと思われる。

3部作では少年たちの夢や幻想と厳しい日常の現実を踏まえたストーリーは良くできており、音楽的にもこの作品がベストだ。
昔の映画だがアイリシュバンドを描いた「コミットメント」にも似たところがある。

1985年、大不況のダブリン。
人生のどん底を迎える14歳のコナー。
父親の失業のせいで7歳年上の兄、ブランドン(ジャック・レイナー)は大学を中退させられ、
高校生のコナー(フェリディア・ウォルシュ=ピーロ)は私立の授業料は賄い切れず、
公立の荒れた学校に転校させられ、
家では母親が勤務先の上司と不倫帰宅しない日もあり、
連日連夜の両父母のけんかで家庭崩壊寸前。

中退以来家に引きこもりの音楽狂いの兄と一緒に、隣国ロンドンのMVをテレビで見ている時だけがハッピーだ。デュラン・デュランやザ・キュアの音楽にすっかり魅せられる。
カーニー自身も引き籠り時代があったと言う。

公立学校は私立と違って(当然だが)
生徒たちは煙草を吸うはビールを飲むわはなど不良じみていてる。
特にスキンヘッドのバリー(イアン・ケニー)コナーに絡み暴力を振るう。

神父姿の厳しいバクスター校長(ドン・ウィチャリー)はコナーの茶色の靴は校則違反だと没収してしまい、靴下を履いたまま歩き回る。
そこにあらわれたチビで眼鏡をかけたダーレン(ベン・キャララン)が自分も苛めを受けているとコナーに近づき友達になる

ある日、学校の近くで見かけたラフィーナ(ルーシー・ボーイトン)の大人びた美しさにひと目で心を打ちぬかれたコナーは、「僕の バンドのPV(プロモーション・ヴィデオ)に出ない?」と口走る。「先ず音を聞かせてよ」とラフィーナ。雛には稀な美人の彼女の口から出る言葉は雷に打たれたようにコナーを襲い服従する。

慌ててバンドを組もうとするコナーに賛成しダーレンはマネジャーを買って出る。
ダーレンは事情通。
最初に選んだのがユーティリティ・プレイヤーのエイモン(マーク・マッケンナ)。
父親がカバーバンドを組んでいるので楽器は何でも揃っている。おまけにエイモンはどんな楽器も器用に演奏できる。コナーがボーカル、エイモンがギターで決定。

学校に張り出した「バンドを創るメンバー募集」のポスターでベースとドラムが集まる。
「キーボードは黒人がやればハクがつく」だけで選ばれカーリーヘアの少年ンギダ(パーシー・チャンブルカ)に決まる。
TVドラマ「ミッション・インポシブル」のメンバー選びのようだ。夫々素人ながら一丁前の音が出せる。バンドは中学校(ラテン語だが)に因んで「SING STREET」と命名する。

デュラン・デュランのカバー曲をバンド演奏して兄、ブレンダンに聞かせたら、好きな女の子を「他人の曲で口説くな」と叱られる。

ここから始まるオリジナル曲のスタート。
コナーが詞を書き、エイモンが曲を作る。
完成した曲が「モデルの謎」。
テープを聴いたラフィーナは気に入り早速の撮影、
不器用なダーレンのカメラでもPVはしっかり撮れている。

曲も次々と美しい曲が誕生し、ラフィーナも美しく歩き踊り回り皆好評。

しかし突如ラフィーナの年上の彼氏エヴァンスとロンドンは行くと言う。
本格的にモデル業をやってみたいと。

コナーのラフィーナを失った挫折も大きいが、音楽にかける夢も大きい。
そして小さな漁船に乗り込み無謀にもロンドンの音楽シーンに乗り込もうとするラストシーンは涙が零れる程の感動を齎す。

7月9日よりヒューマントラスト有楽町他にて公開される。

「イレブン・ミニッツ」(11 MINUTES)(ポーランド・アイルランド映画):大都会に住む互いにコミュニケーションもない不条理な群衆は大カタストロフィーで繋がる

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昨年11月にポーランド映画祭が角川シネマで開催されたが、毎回監修者としてイエジー・スコリモフスキ監督は来日していると言う。この映画祭は昨年で4回目を迎え、第1回から作品選定にかかわるスコリモフスキ監督は毎年11月中旬を日本で過ごす1週間の予定を入れている。

5月に78歳になったイエジー・スコリモフスキは脚本家としてスタートしている。ワルシャワ大学卒業直後の1960年、アンジェイ・ワイダ監督の「夜の終りに」の脚本をイエジー・アンジェウスキーと共同で執筆。更に1962年、脚本を担当したロマン・ポランスキー監督の「水の中のナイフ」は第23回ベネチア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞し、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされた。これが23歳の時だから半世紀を超える映画作家としてのキャリアは充実しており濃い。

スコリモフスキは「ハリウッドなどでの長い外国生活の後、ポーランドに戻り17年振りの「アンナと過ごした4日間」(08)が好評を博する。病院の火葬場で働く中年の主人公がレイプされた看護婦に恋する話だ。次の米軍捕虜のテロリスト逃亡の「エッセンシャル・キリング」(10)もヒットしたところで、始まりと終わりのあるキッチリした物語に飽きた。そして更に5年を経て昨年この実験的な映画を仕上げた」と言う。この作品はアカデミー賞外国語映画賞ポーランド代表に選出されたが、今年の3月でのオスカーは逃した。

ワルシャワの夏の午後5時から5時11分の間に、複数の人が行う様々な行動を観客が目撃し、劇的なクライマックスに向かう映画だと説明しているが、タイトル前から観客をケイオスに叩き込む。
沢山の人たちが出てきてウェブカメラやスマホ、CCTVカメラなど手振れがして落ち着かない断片的な短い小さな画像とその都度の暗転でパニック状態になる。

タイトル通り、午後5時に始まり5時11分に終わる物語だと言うが上映時間は1時間半を超える。
警察から戻って来たヘルマン(ヴォイチェフ・メツファルドスキ)。
若いが顔下半分は髯に覆われ左目下に殴られたアザがある。結婚したばかりの妻アニャ(パウリナ・ハプコ)は金髪美人の女優。ヘルマンは妻のマネージャーでもある。
「午後5時の約束なの」とアニャ。言い争いが始まるがシャンパンに睡眠薬を入れて乾杯。

場面は変わって監視カメラの映像。
供述書にサインする初老の男(アンジェイ・ピラ)。保護観察記録のテロップ。
「学校に近づくな」と警告される。
この男はホトドッグを路上の屋台で尼さんたちに売っている。

アパートの一室、窓際に座った若い男がPCのカメラに向かって語る「母さん、僕に何かあったら」

タイトル出るとようやく画面が落ち着き、主要人物が絞られ来る。

高層ビルのホテルのスィートルーム。
ハリウッドの映画監督(リチャード・ドーマー)は部屋の電話ケーブルを引き抜き、ビデオカメラのアウィッチを入れる。
アニャが訪ねて来る。
部屋にいれた監督は「ドンディス」カードを下げる。

アパートで目が覚めるヘルマン。
妻がいない。電話をかけるが繋がらない。
ヘルマンはホテルの入口へ。

この辺りに来ると観客には予感がある。
妻はハリウッドから来たプレイボーイの監督に誘惑され体を奪われようとしている。
嫉妬深い夫ヘルマンは何としてでも食い止めようとしているのだ。

雑多に登場する人々は夫々物語を持っている。
ホットドッグ屋の親父は小児性愛者で保護観察中だし、通り過ぎるバイク便の男(ダヴィド・オグロドニク)は親父の息子でドラッグを配達している。

ホテルの一室で恋人にポルノ映画を見せている登山家の女(アガタ・ブゼク)ビルの壁を修理している男(ビョトル・グウォヴァツキ)路上の老画家(ヤん・ノヴィッキ)質屋強盗を失敗した少年(ウカシュ・シコラ)などなどやたらと関係の無い人物が登場する。

カオスと混乱は続くが、メインストリームはホテルにたどり着いた夫ヘルマンがフロント、警備員やエレベーターボーイなどのガードを搔い潜り如何にして妻の貞操を守るかに絞られる。

何しろ前戯が長い、いや長すぎる。
しかし一旦スィート部屋に殴り込み、妻を守るために監督を襲うところから今まで無関係な群衆が大アクションに巻き込まれる。
CGと特殊効果を交えスローモーションのリプレイで大カタストロフィーは描写される。

大都会に暮らすいわくありげな人々。互いのコミュニケーションは不在で不条理な現代社会。そんなバラバラな人々を11分間のドラマをモザイク状に構成した群像劇。

今年78歳という高齢ながら、定番ジャンルのアクション劇を斬新な音響表現とCGを使用した特殊効果の新しい映像で頑張っている。

カンヌ、ベネチア、ベルリン3大映画祭で受賞経験のあるポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキの最新作「イレブン・ミニッツ」だが、コンセプトは良く分かるがどう考えても商業的にヒットしそうもない。

8月中旬よりヒューマントラスト有楽町にて公開される。

「ひそひそ星」(日本映画):大きな災害を経て人間は絶滅種。ロボットが支配する世の中で宅配便の宇宙船は僅かに残った人々に荷物を届ける女性アンドロイド

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日経の夕刊(13日)で過分の称賛があったせいか初日の昨日(14日)17時の回の新宿駅西口のシネマカリテは満員。こんな映画に信じられない盛況だ。

同じ紙面では「殿、利息でござる!」と言う実話に基づいた江戸末期の年貢に苦しむ町民は藩に金を貸し付け、利息をもらうという秘策に打って出る映画評も星三つと酷評を浴びせている。社会面下に全五段で大きな広告を打っているのに本紙の批評でこんなひどい仕打ちに広告主の松竹は泣くね。

日経夕刊の映画評はへそ曲がりで、大衆が好むだろう作品は褒めない。ハリウッドの大作は貶す。ヨーロッパの毒にも薬にもならない小品を手放しで褒める。
おそらく「キネマ旬報で育った人々が担当していると見える。僕に言わせると「曲学阿世の徒」の集団だ。早くクビを切って欲しい。

彼らは特別な監督に執着する。例えばこの映画の監督、園子温だ。

評者の日経編集委員の古賀重樹はこういう書いている。
「過激なイメージの奔流で見る者を驚かせる園子温監督。
25年前の構想を実現した新作は寡黙なミニマリズム的作品だが、予定調和を裏切り、画面から目を離せない点は変わらない。」

 ただ古臭くて新奇なアイディアも無く退屈でつまらないだけの映画も褒めようでどうにでもなるものだ。

 普通の古ぼけた住宅に見えるがどうやらこれは宇宙船のようだ。
他にクルーは見えない。普段着の疲れ切った一人の女、鈴木洋子・マシンナンバー722(神楽坂恵)が無線機で何やら数字を囁いている。
相棒はコンピューター「きかい6・7・マーM」。
仕舞屋風の宇宙船は昭和レトロな内装の「レンタルナンバーZ」。
近未来だろうが、居間にある機器は古びている。ラジオのような操縦機が指令を出す。

 どうやら目的地を定め船の進行方向を指示しているのだろうか。声に出さず囁くようにマイクに向かう。
台所のシンクに水道からポタポタと水滴が落ちる。古ぼけた汚い畳。天井の蛍光灯の覆いに入った蛾の影と羽音。

 誰もいないが湯を沸かしお茶を入れる女。窓から真っ暗闇に星が流れる。
タイトルまえの字幕が状況を説明する。
 
「人類はあれから大きな災害と大きな失敗を繰り返した。その度に人は減っていった。現在ロボットは80%、人間は20%に過ぎない。人間は昔と同様、100年生きるのがせいぜいだ。人間は、宇宙の中で次第に消えてゆくロウソクの火のような存在だ。」

 人工知能(AI)が宇宙を支配し、人間は絶滅危惧種となった。宇宙船の女も当然アンドロイド。腹部からベルトを出して乾電池を入れ替えている。単3の旧式電池で動くんだ。
鈴木洋子は十数年、独りで宇宙船で星々を巡り、宅配便を届けている。

 こんな画面が延々と続き他に登場人物も居ないし当然ドラマも無い。
女を演じるのは監督園子温のカミさん。独身で若い時はヘアヌード(「冷たい熱帯魚」「恋の罪」など)の大胆な演技を見せて楽しませてくれたが、35歳にもなるとここでは何も起こらない。

 宅配便を抱えて女が星に到着し降りる。何も無い草原だ。枯れ木、打ち上げられた船。破壊された建物が散在し、人影は全くない。津波の後の東北の町のようだ。風と波の音だけが聴こえる。
 
 段ボールの箱の中身はフィルム、絵の具、コップ、帽子や鉛筆、洋服など大切な物とは思えない。大きな箱にポツンと収まっている。
そんな荷物を大切そうに受け取る人々。人間は贈り物の遣り取りで繋がりを保つのだ。ウルツ星やパラスゼロ星など様々な星に降り立ち、かつて賑わっていた街や海辺に荷物を運ぶ洋子。誰もが大切そうに荷物を受け取ってゆく。

 30デシベル以上の音をたてると人間が死ぬ恐れがあるという「ひそひそ星」では、人間は影絵のような存在だ。洋子は注意深く、音をたてないよう配達する。

 「ひそひそ星」だけでなくとも、映画全編を通して、会話はささやくようで難聴の僕には聞き取り難い。低音通奏のように台所でのクッキングや掃除などの生活の音や風や波の自然の音ばかりが聴こえる。
 
 園子温監督が20代の頃に執筆した脚本を、妻の神楽坂恵を主演に映像化したSFドラマだそうだ。宇宙宅配便の配達員をするアンドロイドのヒロインが、昭和風のレトロな内装の宇宙船で人間に大切な思い出の品を送り届けるさまをモノクロの映像で映し出す。

園子温が2013年に設立した「シオンプロダクション」の第1回作品となる。随分と予算を抑えた制作費で作っている。

 園子温監督の思い込みばかりが前に出て、観客にとっては退屈で詰まらない映画だ。時間とお金の無駄使いだった。

新宿シネマカリテにて公開中

「火花」(日本映画):芥川賞受賞作、ピース又吉直樹のお笑い芸人の世界を描く「火花」を原作とした450分の動画がNETFLIXにてストリーミング公開

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フランス人、ジェニフェール・ルシュールの書いたガリマール新評伝シリーズとして「三島由紀夫」(祥伝社:201211月刊)は外人らしくこんな見方があるのかと興味深く読んだ。

三島由紀夫文学館館長の佐伯彰一は「外国人と言う立場の特権で可能な距離と客観性で、平気で突っ放した態度をとることが出来る。」

同時代を生きたカリスマ的大文豪、三島由紀夫に思い入れがある日本人ならかなりの時間が経たないとこの心境には到達できないと僕も思う。
「内的,外的な距離の余裕を外国人としての立場によって先取りしてしまった」

日本の伝統的な美の擁護者、仮面を被った同性愛者、死に摂りつかれたニヒリスト、肉体美を露出したがるナルシスト、天皇への敬愛に満ちた憂国の士、日本人として夫々がもつ偏りを逃れて余計なバイアスのかかっていない、客観的にストレートな三島の姿を描いているので新発見がいくつもある。

例えば「ゲイ」(同性愛者)。「仮面の愛」で三島はゲイだと知っている。が日本人は表立ってそのことを指摘しない。

しかしルシュールは、例えば旅行中のNYで深夜バーで美青年を捕まえ一晩を過ごしたことを詳らかにしている。慰めは決してそれは肉体的には至らず精神的プラトニックで終わっていたと付け加えている。

「聖セバスティアの殉教」の絵にどれだけ執着したか、篠山紀信に絵と同じポーズで写真を撮らせた話を延々と書いている。
だからカリスマ三島由紀夫を知らない若い世代には受け入れやすい伝記だろう。

ルシュールは37歳の伝記作家。「パンクの女王」(09)としてパティ・スミスやアメリカの女性飛行士・アメリア・イアハートの伝記を出版している。


昨日(15日)のハリウッドレポートに面白い記事がある。
カンヌ映画祭で12日(木)にコンペ作品として上映されたジョディ・フォスター監督のfinancial thriller「Money Monster」(邦題「マネーモンスター」SPE配給:6月10日よりTOHOシネマズ六本木他全国公開)3104館で15Mを挙げて「シビル・ウォー」や「ジャングルブック」などの強豪に伍して3位に食い込む健闘を見せている。

配給元のソニー映画のSPEのワールドワイド・マーケティング・チーフのジョシュ・グリーンスタインは喜びを隠しきれない。

「劇場公開映画の世界はNETFLIXやAMAZONなどのネット配信映画にアダルト向けの映画やスリラーが蚕食されつつある。だからこの勝利は意味がある」と。

めっきり映画人口が減り家やスマホでNETFLIXやAMAZON(「モーツアルト・イン・ザ・ジャングル」など)のネット配信映画を見る傾向が増えて来てスタジオ関係者の頭痛の種なのだ。とくに大人向けのスリラーなどが劇場公開しても動画配信を待つようになったと言う。

日本でも徐々にそんな動きが始まっている。
今日紹介する「火花」は第153回芥川賞を受賞、現在までに累計発行部数260万部という異例の大ヒットとなったお笑い芸人・ピース又吉直樹の著書「火花」を原作とした映像化。55分番組として全10話、450分。

キャストも半端ではない。林遣郎、浪岡一喜、染谷将太、門脇麦など有望な若手たちに田口トモロヲ、小林薫などのベテランが絡む。

肝心の監督は白石和郎、沖田修一、久万直路、毛利安孝などの若手の上に映画「さよなら歌舞伎町」や「ストロボ・エッジ」などの廣木隆一が総監督で全体を監修して締める。

 売れないお笑い芸人の徳永(林遣郎)は、熱海の花火大会で、先輩芸人で4歳年上の神谷(浪岡一喜)と偶然に出会い強く惹かれ、「弟子にして下さい」と申し出た。神谷は天才肌であり、また人間味に富んだ人物だと徳永には思えた。

「いいよ」という軽い返事の条件は「俺の伝記を書く」ことだとに徳永は驚く。
神谷も徳永に心を開き、二人は頻繁に会って酒を飲む。売れない二人だが勘定はいつでもひったくるように紙谷が伝票を掴んで徳永に払わせない。
財布が空っぽになると「アコム」に飛び込む神谷。
神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとする。

 吉祥寺の街を歩きまわりさまざまな人間と触れ合うのだったが、やがて二人の歩む道は決定的に異なっていく。徳永は少しずつ売れていき、その一方で、神谷は自分の特異な芸風に拘り過ぎて少しずつ損なわれていくのだった。

 そしてある日、神谷は徳永をはじめ関わるすべての人々の前から借金を抱えたまま姿を消してしまう。
小説からイメージした通りのお笑いの世界。それは良く描かれている。

 上にへつらわない大衆に媚びない神谷は薄汚い髭面だが毅然としている。今まで我々が知ることがなかったお笑いの裏側で、苦悩する二人の芸人の姿は痛ましいが明日のサクセスを夢見る希望の世界でもある。

 しかしピース又吉直樹の原作は大分なものでは無い。450分の映像化に耐えるかと危惧していると笑いのネタ作りがやたらに挿入される。
 それも余り面白く無いギャクばかり。
スマホの録音された「電波の届かないところ~」とのお断りメッセージをバラエティ豊かに手を変え品を変えても面白くも何とも無い。
 それを観客が大笑いしてウケるから見ている方でしらけてしまう。

 原作の増量剤は脚本家が頑張らなければどうにも締まらないものになると言う典型だ。

 6月3日より全10話はNETFLIXにてストリーミングで公開する。

「ロング・トレイル」(A WALK IN THE WOODS)(アメリカ映画): 老人二人の山中の長遠征。何でもありの珍道中に生まれる固い友情。

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ユーモアあふれる旅行エッセイで知られる作家ビル・ブライソンの体験した紀行小説を映画化したもの。

 原作者ブライソンは現在、還暦を過ぎたと言っても64歳の若さ。トレイル踏破を目指す主演のロバート・レッドフォードは喜寿を過ぎた78歳、相方のニック・ノルティh75歳。若者の目から見れば「老人」と一括りだが実在の主人公と14歳の年の差は体力、気力、精神力でかなりの差やギャップが見られる。その辺は映画と紀行文の違いを認識しておいた方が良さそうだ。

原作「A WALK IN THE WOODS」がNYタイムス・ベストセラーになったのは1998年、26年も前でその時の筆者・ブライソンは37歳の生気溢れる壮年だ。だから映画の中で二人が老人扱いされ、僅か3M程の崖も駆け上がれず、若者たちの手を借りたり、トレイル半ばにして体力を失い踏破断念をするなんて果たして原作に忠実だろうかと訝しく思わざるを得ない。

紀行文を老人向けに書き直したシナリオと説明されれば納得が行くがそんな注釈は何処にもない。
60歳を超えた(レッドフォードも15歳近く若返る)アメリカ生まれだが英国に長く住んだ紀行作家ビル・ブライソン(ロバート・レッドフォード)は、英国で結婚した妻キャサリン(エマ・トンプソン)や子供たちと共に故郷アメリカ・ニューハンプシャーに戻り、いまでは穏やかな生活を送っている。(大女優トンプソンもこんな端役で我慢している。)

 そんな退屈な引退生活に物足りなさを感じていたビルは、ある時自分の住居近くに遥か遠くまで続く道があることを発見する。
標識には「アパラチアン・トレイル」とあり南はジョージア州からノースカロライナを抜けヴァージニア州、フイラデルフィア、ニューヨーク、マサチュセッツ、そして北のメイン州に達する全長3500キロという北米有数の自然歩道だ。

 いつしか若い頃の冒険心がフツフツと湧き全行程踏破を思いつく。
夫の無謀な計画を阻止しようと同行者がいなければ許可しないと宣言する。
ビルは友人仲間に声をかけるが大部分は死んでいるか病床に横たわっている。ピンピンしていてもそんな長距離は老人の身体には無謀だと逆にビルに諫める者も。

 諦めかけていたところに旅の同行者として名乗り出たのは40年ぶりの再会となる旧友、スティーブン・カッツ(ニック・ノルティ)だった。白髪と白髯に覆われた大男。メタボの体重は100キロ近く、刑務所に入っていたことも隠さない「酒浸りのバツイチ」で絵に描いたような彼の破天荒っぷりに心配を隠せないビルの妻をよそに、二人は意気揚々と出発。
しかし観客の予想通り、ご老体のビルとカッツの前に、大自然の驚異と体力の衰えという現実が立ちはだかる。

 だが若者たちを先に行かせてノンビリ旅はトレイル途中のモーテルでハップニングを迎える。老母を介護しながらフロントマネジャーのジェニー(メアリー・スティンバゲン)がビルに好意を示す。カッツは口説け口説けと煩いが「結婚して40年、妻以外の女性を知らない」と答えるビルに驚き仰天のカッツ。絶滅種を見るような目つきが可笑しい。

 カッツはモーテル近くのローンドリーでデブブス女性に近づき洗濯機に引っ掛って敗れたパンティの代替品を女性の贈ったことから焼き餅亭主に銃を持って追いかけまわされる。

 カッツのおかげでトレイルは散々だがユーモアあふれる展開に笑い転げる。
ロバート・レッドフォードが製作兼主演を務め、見た目も性格も正反対のシニア二人組が3500キロに及ぶ北米の自然歩道“アパラチアン・トレイル”踏破を目指す旅を綴る。

 旅を断念するのは3M足らずのがけ下に転落してから。崖を登る体力も無く互いにズボンを脱いで繋ぎ合わせ道に生えている樹の枝にひっかけようとして失敗しパンツ無しで夜を過ごしてから。

 怒りっぽい老人二人の珍道中は中々楽しめる逸品だ

 監督は「だれもがクジラを愛してる。」のケン・クワピス。

 7月30日(土)よりヒューマントラスト渋谷にて公開される。

「ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~」(韓国映画):エベレストで命を落とした仲間の亡骸を回収するため、二次災害も顧みず過酷な遠征を行った「ヒューマン遠征」77日間の挑戦

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まあ、何とヒマラヤやエベレスト登頂の映画の多いこと。それも殆どが実話に基づく映画化だけに迫力がある。

ブームの端緒は09年のドイツ映画「ヒマラヤ 運命の山」だった。弟を亡くした兄弟登山家の北壁登頂のシーンは凄絶だった。

そして昨年(15年)だけでもエドモンド・ヒラリーとシェルパ、テイジン・ノルゲイのエベレスト初登頂の「ビヨンド・ザ・エッジ」。
1953年のエリザベス女王戴冠式に間に合わせる時間との戦いと政治的人種的な絡みのドラマだ。

時を経てエべレスト登頂が商業化して、ツアー形式登山の1996年に多くのベテラン登山家が大量遭難する実話に基づく「エべレスト3D」。

この1年で3本目のエべレスト映画だ。山はセットじゃないからどうも見た気になる。

今年になると日本映画も負けじ、とばかりに「エベレスト 神々の山嶺」で競争に参加した。これは夢枕獏の原作の完全なフィクション。阿部寛と岡田准一の主演で日本人の感情に訴えかける涙のドラマになっている。

しかし振り返るとこの邦画が、一番出来が悪い。実話で無いこともさることながらドラマにしても今日紹介する韓国映画が一番優れている。

エベレストで命を落とした仲間の亡骸を回収するだけのため、二次災害も顧みず記録に残らない過酷な遠征を行った彼らの77日間の過酷な日々を描写している。この目的は登頂では無い。「だから何の見返りも無い」人々はこの登頂を「ヒューマン遠征隊」と呼ぶ。

登頂であれ遠征であれ、ことヒューマンドラマになれば韓国映画作家たちの独壇場。泣かせどころのツボをしっかりと押えており、見終わった後は「涙(なだ)そうそう」状態。明るくなって恥ずかしくて仕方ないが周りも皆「涙そうそう」

映画の冒頭は、1992年オム・ホンギル隊長(ファン・ジョンミン)は逆の指示をして学生、パク・ムテク(チョンウ)を叱る。カンチェジュンガ6500M地点で遭難したテミヨン大学の仲間の遺体を回収しようとして勝手に道を戻ろうとする。
「お前は二度と山に登るな。独断で暴走するバカに登山の資格は無い!」と。

回収しようとして衰弱したムテクをホンギル隊長は徹夜で看病したとムテクの親友、パク・ジョンボク(キム・ウングォン)は打ち明ける。

1999年、14座登頂を目指すホンギル隊長は13番目のカンチェジュンガ登頂を目指して準備中。そこへ二人の新人が現れる。
元学生のムテクとジョンボクだった。激しい訓練扱きに耐え登頂が始まる。必死に頑張る二人をホンギルは見直す。

2000年5月、隊長とムテクの二人だけで8586Mの登頂に成功する。
K2も征服しアジア初の14座完登のホンギル隊長。ムテクは隊長の右腕、愛弟子になっている。

しかし8000Mの衛星峰を含めヒマラヤ完全登頂を目前としてホンギルの足は凍傷と骨折で5センチも短くなっていて、医者から引導を渡されもはや隊長は無理。

 一緒に夢を達成しようとしていたムテクは納得が行かない。
「俺が足になります」と迫るが
「お前の時代が来たんんだ」と14座登頂を共にした愛用のピッケルを渡す。
ジンと来るシーンだ。

 ムテクは初の隊長として母校50周年の登山チームを率いてエベレスト登頂に挑む。堂々と成功し下山途中で雪崩滑落とムテク、副隊長のジョンボク、隊員のジェホンの3人が帰らぬ人となった。

 一旦は山のためと別れた恋人でそして妻となった、チェ・スヨン(チョン・ユミ)とのロマンも美しく哀しく描かれている。

夫の遺体回収のため二次災害の危険があると知ったスヨンは「ムテクは山に残りたい、二人の親友と一緒に居たいのよ」とベースキャンプから悲痛な声でマイクを通してホンギル隊長を説得しようとする。
こんなセリフ、こんなシーンを撮れるのは韓国だけだ。

 遺体が眠るのは海抜8750メートル、ヒマラヤ山脈・エベレストのデスゾーン。人間の接近を許さない神の領域。そこに我々の同僚が埋められている。
命を終えた後輩隊員の遺体を捜すため記録も、名誉も、補償もない、胸熱い旅が始まる。「ヒューマン遠征隊」。

 韓国人はベトナム戦争で「タイガー部隊」を送り込み数十万のベトナム人達を残酷無比に殺戮し、その論功行賞でタイガー部隊関係者とその家族親族に米国への永住権(グリーンカード)が無制限に与えられ今の繁栄を築いた。

 そんな冷酷な韓国人にこれほどの人間味溢れる温かい血が流れているとは素晴らしいことで、
それを教えてくれただけでもこの映画の価値ははかり知れない。

 監督は「ダンシング・クィーン」や「パイレーツ」などの大ヒットを飛ばしているイ・ソクフン、54歳。観客の感動の盛り上がりを計算できるベテラン監督だ。

 主演は「国際市場で逢いましょう」「ベテラン」などの45歳のファン・ジョンミン。落ち着いたカリスマ隊長を熱演する。

 36歳のムテクのチョンウもエネルギー一杯に暴れ回る若者の演技は好感される。

 他の俳優はあまり馴染みが無いが、登山家と言う男らしい芝居を全員好演している。紅一点の登山家、チョ・ミヨンエ(ラ・ミン)が女だからと言ってベースキャンプでの炊事役ばかりで不公平だと隊長に食ってかかる。それから登頂に連れて行ってもらう嬉しい芝居をみせる小太りのラ・ミンもユーモラスで画面に変化を与える。

 ヒマラヤ8,000メートル級高峰14座の登頂にアジアで初めて成功した実在の登山家オム・ホンギル率いる「ヒューマン遠征隊」の遠征実話を描いた映画は胸に深々と刻み付けられる。

 ホンギルは55歳、今では講演に著書と忙しい日々を送っている。
22年間に8000M級を38度回挑戦しその過程で多くの仲間を失っている。

 7月30日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される。

「走れ、絶望に追いつかれない速さで」(日本映画):同性愛的な親友薫の死から立ち直れない蓮。25歳・中川龍太郎監督の半自伝映画。

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 映画の内容よりもこのタイトルが気に入った。洒落たと言うか気の利いたエスプリのある題名は最近皆無だ。洋画になると配給会社はとうの昔に諦めて原語のカナ読みを恥ずかしくも無く堂々とタイトルとしている。

 暫くはこの映画題名は他の追随を許さないだろう。

しかし映画の内容は監督・脚本の中川龍太郎の思い入れだけが先走って空回りしている。それもその筈、この映画は中川の半自叙伝なのだから無理も無い。だが映画は観客に見せ感情を移入し共感を得て初めて成立するものだ。
中川の頭には観客が見えない。「自慰映画」になってしまった。

学生時代を一緒に過ごし二人でアパートを借りていた親友・薫(小林竜樹)の自死を、一年経った今でも受け入れられないでいる漣(太賀)。

 大学を卒業し製造工場で職工として働いていても蓮の頭に浮かぶのは薫の姿ばかり。
絵が得意な薫が死ぬ前に遺した絵には、薫の中学時代の同級生らしい女の子の顔が描かれている。
薫は東京の高校へ入るまでは富山で中学までを、過ごしたことを知らなかった。

 思い切って休暇をとり、薫が飛び込んだ日本海とその絵に描かれた女の子を訪ねて見ようと決断する。
薫のガールフレンドだった理沙子(黒川芽衣)も車で300キロの旅に同行したいと乗り込んで来る。

 理沙子は恨みがましく言う。
「薫のことが好きだったけど、蓮と余りに仲が良すぎて私は入り込めなかった」と。

 理沙子を含め、観客の目から見れば薫と蓮は完全な同性愛者だ。
狭いアパートの二段ベッドは「僕は高所恐怖症だから」と下段を取り、上段の薫とは寝る時間まで26時中べったり。
しかし蓮はゲイを強く否定する。

 日本海の荒波を見下ろす崖の上に立つ蓮と理沙子。
暮れなずむ鈍色の海の向こうにオレンジの太陽が没する。

 富山の小さな日本旅館に泊まって、中学校の卒業アルバムを調べる。
薫の初恋の相手、デッサンの主は環奈(寉岡萌希)と知れる。
薫にとって大切な存在であり続けた環奈に薫の死を知らせようと決意した。

 理沙子は初恋の相手に会っても仕方無いとさっさと電車で東京へ戻る。
電車に乗り込みながら蓮に向かって「死なないでよ」と念を押す。
蓮はそれほどまでに思い詰めた表情だった。

 環奈がつとめていたのはキャバクラだった。すっかりスレからしの彼女は薫が死んだと聞いて眉一つ動かさない。薫のスケッチを見せても「揉め事を持ち込まないでよ」と邪険に絵を突き返す。
 そうだよね、蓮の想いと環奈の感情とでは「天と地の差」がある。絶望に打ちひしがれた蓮は夜遅く薫が飛び降りた崖の上に立っていた。

 高所恐怖症も薫との大切な思い出になっている。ハングライダーに突如取り組んだり、グライダーで飛翔しながら望む夕日の絵など説明無しで乱暴に挿入するのは中川の羞恥心か?

 監督と脚本を手掛けたのは、詩人としても活動している25歳の中川龍太郎。

 2014年5月に公開された「愛の小さな歴史」に続き2年連続の東京国際映画祭出品となった中川の自伝的作品。

 カナダの10代のグザヴィエ・ドランは「マイ・マザー」や「わたしはロランス」など半自伝映画でカンヌを騒がせているが、東京国際映画祭とスケールは小さいもののドランに匹敵する才能だ。

 主人公・漣役に「ほとりの朔子」「桐島、部活やめるってよ」の太賀。
中川監督の前作「愛の小さな歴史」から引き続いての出演となる小林竜樹が自死する薫役。
「ドライブイン蒲生」「愛を語れば変態ですか」の黒川芽以が薫の元恋人。
他に「シネマの天使」の藤原令子、「リュウグウノツカイ」の寉岡萌希、「ローリング」の松浦祐也が脇を固める。

 6月4日より渋谷ユーロスペースで公開される。

「天国からの奇跡」(MIRACLES FROM HEAVEN)(アメリカ映画):難病に苦しみ「死にたいと」と泣いていた少女が、老木の空洞に落ちて幽体離脱、天国を見て完璧に治癒された奇跡の実話。

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 ソニー映画のキリスト教信仰映画については「復活」(RISEN)の紹介の時に触れた。
ゴルゴタで磔で処刑された筈のイエスが3日後に復活するミステリーを追うローマ百人隊長クラビス。

このキリスト教映画は150億も200億円もの巨費をつぎ込むハリウッド大作の陰で頑張っている低予算(10~15億円)作品だ。

アメリカの大都会NYやLAなどでは見向きもされないが、「バイブルベルト」と呼ばれる中西部から南東部にかけて複数の州にまたがる広い地域で、プロテスタント、キリスト教原理主義、南部バプテスト連盟、福音派などが熱心に信仰される地域文化の中に信仰映画は受け入れられている。

この地域では教会への出席率の非常な高さも特徴で、社会的には保守的であり、ダーウィンの「進化論」や「地球の自転」などを教える(旧約聖書「創世記」に背く)ことが最近まで州法で禁じられていたなど、キリスト教や聖書をめぐる論争は絶えない。

この「バイブルベルト」に向けて低予算の信仰映画を「スパイダーマン」以外は成績のパッとしない、そして北朝鮮を怒らせてサイバー攻撃の的になり散々な目に会ったソニー映画(SPE)が制作に乗り出している。

先ず入場券は教会を通して売る。キリスト教会だからチーティングは無い。取りっぱぐれは無い上に信者は義務として見るし、口コミやPRも効く。興行成績は少なくとも60億円、多ければ100億円にも達する。

大化けするキリスト教映画もある。メル・ギブスンの「パッション」(04)などは33億円で作って700億円の大ヒットになった。

昔は聖書を原作にした映画はヒットし大流行だった。
「ベンハ―」「聖衣」「エクソダス」「10戒」「サロメ」などは前述したキリスト教信仰映画とは一線を画する。
何故ならば、50年代60年代の大作は旧約聖書を基にしてキリストは出て来ない。
スタジオのお偉方は総てユダヤ人だからだ。

ユダヤ人はイエスを「キリストと認めず」ナザレの大工の息子としか認識しないのだ。
 救世主(キリスト)はやがて現れ、選ばれた民(エリート)のユダヤ民族を苦しみ悩みから救ってくれると信じている。
 
100億ラインのヒット作「復活」や続く信仰映画シリーズは、日本人が資本を握るソニー映画(SPE)が制作するか、インディから買い取った物でユダヤ人は関係しない。
そして第二弾が6月18日(土)からこの「天国からの奇跡」(MIRACKLES FROM HEAVEN)、
第三弾が7月9日(土)から「祈りのちから」(WAR ROOM)
というクリスチャン映画3作品を各3週間限定で連続公開する。

 2000年前の聖書のキリストの「復活」をなぞった作品と違いこれは現代、テキサス州の小さな町に起こった奇跡を描く。不治の難病に苦しむ少女の実話を基にした映画だ。

「神様、娘を助けてください。」
テキサスの小さな田舎町で暮らす少女アナ(カイリ―・ロジャース)は、幼い頃から重い消化器疾患を患い入退院を繰り返していた。大腸が絡まり捻じれて消化出来なくなり、絶えず痛みが伴う。10歳のアナを演じるロジャースがクリクリとした瞳を濡らし死ぬほどの痛みを訴える熱演は見事だ。

母クリスティ・ビーム(ジェニファー・ガーナ―)はボストンに消化器系の名医、ナルコ(ユージニーオ・デルベス・デルベス)がいると聞き、飛行機とレンタカーで大病院へ診察を頼み込む。しかし名医は6か月先まで予約が一杯だと。

突然のキャンセルで空きが出たら電話で知らせると約束をトリ、カフェテリアで食事をしていると親切なウェイトレス、アンジェラ(クイィーン・ラティファ)が落ち込んでいる親子を励まそうと休暇をとってボストンを案内してくれる。

水族館。美術館、モネの「水連」の大作の前に感動するアナベル。
突然のキャンセルでやっとのことでアナは入院するも、治療の方法がなく自宅へ戻る。
しかし定期的にボストンへ診察と治療で通わなくならなくなったビーム家の財政は瀕死状態。

夫で獣医のケビン(マーティン・ヘンダーソン)は愛用のオートバイまで売り飛ばして銀行の借金は雪だるま式に増えている。家はとっくに抵当に入っている。

 何が何でもアナの病気を治すんだとクリスティは他の姉妹、姉のアビー(ブライトン・シャビーノ)や妹のアデリン(コートニー・ファンスレー)もほったらかし。

 おまけに教会で「両親かアナが悪いことをして神に見放されたのよ」と影口を叩かれ、教会へも通わなくなる。これだけ神を信仰しているのに見捨てられたと感じるクリスティ。

 二人が留守にしていた間、夫や姉妹との間にも亀裂が生じていた。そんな中、アナが庭のハコヤナギ(Cotton Wood)の大木の空洞に落ちてしまう事故が起こる。100年も経った老木は芯が腐っていてホコが出来たのだ。高さ10Mを真っ逆さまに落下し頭は泥に浸かっている。

 消防車、救急車が集まり3時間後にアナはハーネスに括られ引き上げられ、ドクヘリどフォートワースの病院は運ばれる。そこで一命を取りとめたばかりで無く、軽い脳震盪を起こしただけのアナの身に「奇跡」が待ち受けていた。あの奇病が完璧に治癒したのだ。

 ナルコ医師は落下で中枢神経にインパクトを与えそれで正常になったのだ言うが確信が持てない。しかし完璧に治癒され下腹部の膨らみも消えてしまう。

スコット牧師(ジョン・キャロル・リンチ)は教区民で一杯の教会でクリスティに「奇跡」の話をさせる。引用したアインシュタインの言葉「人生には二つの生き方しかない。奇跡など何一つしか無いと生きること。もう一つはすべてが奇跡であるかのように生きること」
 
 教区民の何人かが反発する。「そもそもアナは難病では無かったのではないか?」「奇跡はイージー過ぎる」
ここで立ち上がったジャーナリスト(ウエィン・ピア)が感動的な証言をする。私の娘ヘイリーはアナの隣のベッドで余命幾ばくもない骨髄眼と戦っていた。アナがネックレスの十字架を与えて信仰をヘイリーに説いた。娘はすっかり心の平安を取り戻してあの世に旅立った。今日はお礼を言いたくてボストンから飛んで来た」と。

 クリスティは付け加える。奇跡は神からのものでは無い。

人と人のつながりや好意から生まれる。キャンセルが出てナルコ先生の診察が可能になった訳では無い。新米の受付が先生に直訴して実現した。ボストンへ飛ぼうとカウウンターでチケットをクレジットカードで買おうとするが預金が無いから、無理。そこで係りはPC事故にして与信無しの手書きで発行する。アンジェラは休暇など取れない。無理無理に作って市内観光案内をする。総て周りの人々との繋がりから生まれて来たものだ。

 アナが落ちた空洞も下は柔らかい泥で骨折もしない。
その間幽体離脱をして天国を見る。

 クリスティ・ビームが不思議な実体験をまとめた回顧録「MIRACLES FROM HEAVEN」を、パトリシア・リゲン監督が映画化したもの。
チリの炭鉱に取り残された「チリ33人 希望の軌跡」で似たような映画を撮っている。実話だけに迫力はあるし、韓国ドラマのように泣き所のツボを押さえた演出が光る。

 「ドラフト・デイ」のジェニファー・ガーナーが主人公のクリスティを演じるほか、「シカゴ」のクイーン・ラティファ、「フライボーイズ」のマーティン・ヘンダーソンらが脇を固める。

 エンドクレジットの横に実際のビーン一家の映像が映し出される。「奇跡」から3年経っている。
実際のクリスティは美人だが三姉妹はデブブスなのはちょっとばかりイメージが狂う。
 
 8月6日よりヒューマントラスト有楽町他で公開される。

「夢二 愛のとはしり」(日本映画):大正ロマンを具現化する竹久夢二の美人画モデルたちとの愛の遍歴

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はらだみずきの「あの人が同窓会に来ない理由」(幻冬舎:2015年12月刊)は身近な同窓会を取り上げ、出席しない同級生たちの過去、現在に亘る人間ドラマを推理とミステリーを交えて追及する。
40歳を目前にした男女が幹事として中学の同窓会を企画することから物語が始まる。

主人公は藤本宏樹。机を並べた常磐南中学校の同級生のことを、宏樹は何も知らなかったが、いきなり同窓会の幹事をするはめになった。だが、出席者は一向に集まらない。かつての仲間たちの消息を尋ねることにする。思い出したくない過去、知られたくない現状。

同窓会代行業の女性、沢村あゆみを交えて参加者を増やすことに知恵を絞り奔走するのですが、所在不明者や欠席者が続出し作業は難航する。かつてのクラスメイトそれぞれの過去と現在を織り交ぜ、思い通りにならない人生模様を描いたちょっぴりミステリータッチの小説。沢村あゆみが重要な役割を果たす人物になるが同窓会代行業なる商売があるのだろうか?
今だから話せること、笑い合えることがきっとある。

クラスの人気者で野球の花形選手・磯崎開晴、優秀な学級委員長の田代と副委員長の塩野、落ちこぼれの東に水嶋、山田に志水、そして美しい謎の転校生、湯島葵。
この湯島が謎の中心で彼女を探し求めることが裕樹のメインのミッション。

かれらは今、どこで何をしているのだろう。
あの時、教室で何が起こっていたのだろう。
20年の空白が埋まる時、もうひとつの真実が明らかになる。

はらだみずきは千葉県生まれ。法政大学卒。商社、出版社勤務を経て、2006年『サッカーボーイズ 再会のグラウンド』でデビュー。これと言った文学賞を受けていないが、文章は読みやすく内容も濃い。


舛添知事、政治資金使いネットオークションで「夢二」など美術品購入したとされ脚光を浴びた夢二の美人画。

一昨年(2014)は夢二生誕130年を記念して生誕地、岡山では数々の催しが行われたが、この映画もその一端だ。

竹久 夢二は1884年(明治17年)9月16日 に岡山で生まれ 1934年(昭和9年)9月1日没、享年49歳11か月だった。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)と言う。画家であり詩人でもある夢二の代表的な詩は曲がつけられ「宵待草」として大流行をし、夢二の絵を表装した楽譜は飛ぶように売れ、全国的な愛唱曲となった。

明治時代から大正時代にかけて大阪を舞台に多くの美人画を描いた画家・竹久夢二と3人の女性との愛を通して、「大正ロマン」を具現化する人間・夢二の本質に迫る伝記ドラマ。

美少女の絵と言えば僕の頭の中では夢二と雑誌・ソレイユの表紙を毎号描いた中原淳一のイメージがダブル。

 画家として人気を博した夢二(駿河太郎)が経験した、美人画のモデルにもなった妻たまき(黒谷友香)との愛憎と別れと再会そして3人の息子、運命の女性、彦乃(小宮有紗)との逃避行と死、最後のミューズとなったお葉(高見こころ)との出会いを描く。

夢二はいつでも貧乏。
たまきが生活費を無心しても気にもとめない。
夢二の短冊や色紙に描く美人画を売る小さな店の売り上げで細々と暮らしているが、
夢二は絵が無くなっても補給はせず遊び回っている。

 かつては夢二の美人画のモデルだったたまきもすっかり生活苦で老け込んでいる。
たまき役の黒岩友香の配役が良い。
「TANKA」で瑞々しいヘアヌードを披露して10年。
40歳を過ぎた黒岩はそれでも昔の妖艶さを残しており、夢二と思い出したようなセックスシーンを喘ぎながら演じる。

 しかし夢二の心は一回りも若い彦乃に傾き、たまきの許へは帰らない日々が続く。
彦乃とは連日連夜のセックス。
この絡みの描写がワンパターン。
彦乃は夢二のファム・ファタール。
もっと燃えても誰も文句を言わない。

宮野ケイジ監督は女優に遠慮しているのか露出度が低い。
乳房も見えないベッドシーンを延々と見させられると飽きが来る。
「TANKA」で見せた黒岩友香のような大胆な演技を何故要求しないのだろう。

 彦乃は親が決めた婚約を嫌い東京から逃げて来た画学生。
父親(加藤雅也)が娘を連れ戻しに何回も大阪へやって来る。
やがて彦乃も妊娠。夢二の私生活は破綻をきたしている。
天才かも知れないが女に関してはだらしが無いと言うか野放図だ。

監督は、TVCM出身の「不良少年 3,000人の総番(アタマ)」などの宮野ケイジ。短編映画やドキュメンタリーではベテランだが劇場用長編映画の経験は浅い。
宮野は脚本も書いているが整理されておらずコンテクトスがおかしな処も散見されるなどとっ散らかっている。
サブ・タイトルに「愛のとばしり」と入れるからにはもっとクロニクルを気にして欲しい。

 主人公、夢二役は、テレビドラマ「半沢直樹」などの駿河太郎が演じる。
TVドラマを見ない僕には全く無名の新人だ。
同じことがヒロイン、彦乃の小宮有紗にも言える。

 父親役の加藤雅也も随分老けた。
52歳だから初主演作「マリアンに逢いたい」を見たのは1988年、今から28年前で加藤は24歳だった。

 画家・夢二の足跡を振り返ると、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれ「大正の浮世絵師」の別名を持つ。
児童雑誌や詩文の挿絵も描き、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。
彼自身の独特な美意識による「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くは、日本画の技法で描かれ(軸物や屏風)、他に洋画(キャンバスに油彩)技法による女性像や風景画ものこされている。
印刷された書籍の表紙や広告美術などが多くの目に触れ、大衆に好まれた。今で言う商業美術(グラフィック・デザイン)の考えを持っていた。

 一時は中央画壇へ登場したかったようだが、東京では受け入れられず、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索した(せざるを得なかった)。

 舛添知事ばかりでなく我々も温故知新で夢二を見直す切っ掛けをこの映画は与えてくれる。

 7月30日より池袋シネ・リーブルにて公開される。

「心霊ドクターと消された記憶」:(BACKTRACK)(オーストラリア映画): 精神科医ピーター・バウアーの患者は総て20年前自分の故郷での列車事故で死んだ人たちだった

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劇場公開されて日が経つのに見てない作品が結構ある。
昨日(21日)は午後3時40分から新宿の明治通りを挟んで伊勢丹向かいの雑居ビル4Fにある角川シネマ新宿へ出かけて2本の映画を見た。

最近のシネコンは同じスクリーンで同じ作品を続けない。
スクリーン1で「心霊ドクターと消された記憶」と言うオーストラリア映画の後は同じ場所で20分の間隔を空けて「のぞきめ」と言う日本映画を見た。
終わったら8時半を過ぎ外は小雨が降っていた。

久しぶりにホラー映画を2作品、洋画&邦画、共にB級とレベルは低いが怖かった。

シドニーの精神分析医ピーター・バウアー(エイドリアン・ブロディ)は、幼い娘キャロルを亡くし、悲しみに沈んでいた。
だが彼は、立ち直って普段の生活を取り戻すため、患者との医師として面談を再開する。
そんなある日、エリザベス・ヴァレンタイン(クロエ・ベイリス)という少女がふらりとピーターの前に現れる。

患者ではない彼女は一言も言葉を発しないまま、1枚のメモを残して足早に立ち去って行った。

この出会いが全ての始まりとなり、そのメモを調べたピーターは、患者たちの奇妙な共通点に気づく。

全員、1987年7月12日に起きた列車事故で亡くなっていた幽霊だったのだ。何かを伝えたいエリザベスもこの世の人だない。
しかも、その事故が発生したのは少年だったピーター(アレックス・マクガイア)の住んでいた村の近くを走る鉄道だった。

亡霊たちに導かれ、20年間封印されてきた秘密を解き明かすためにピーターは故郷を訪れる。
原題「BACKTRACK」は「同じ道を引き返す」の意味。
眉毛が垂れさがったこけた頬でモゴモゴ喋る、自分も幽霊のような陰鬱な顔のアンディ・ブローディ。
主役を演じてもオスカー賞受賞者のブローディには華が無い。

だがこの映画の主人公・ピーター役にはぴったりの姿形だ。

森と丘陵に囲まれた小さな村で、ピーターの脳裏に蘇ってきたのは、10代の時、自分が乗客47名の死亡した列車脱線事故に関わっていたという過去だった。今まで薄れていた記憶が徐々に蘇える。
自分と友達が自転車を線路の上に置いたのだ。

そればかりでは無い。列車事故に紛れて少女が一人遺体で見つかっていた。
ピーターは自分の記憶が塗り替えられていることに気付く。
その事実に愕然としたピーターは、亡霊たちによってさらにその夜の記憶を取り戻してゆく。

元警官で年老いた父、ウィリアムス(ジョージ・シェヴストン)は自転車位で列車は転覆しないとピーターを慰める。

しかし少女、エリザベスが伝えたかった事実は列車事故と少し違っていた。
この村では少女たちの連続強姦殺人事件が起きていたのだ。
列車事故で死んだと思われたエリザベスは強姦殺人事件の被害者だった。

ピーターが無理矢理思い出すことを封印していた、忘れなければならなかった記憶はどうやら父ウィリアムスに繋がっている。

地元の女性刑事バーバラ。ヘニング(ロビン・マクリービー)と一緒に過去の事件を紐解き謎を追う推理劇は興味を繋ぐ。

サイコロジー・スリラーであり、ホラー映画でもあるので
中途半端な感は否めないが結構楽しめる作品になっている。

新宿角川シネマにて公開中
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